カテゴリー別アーカイブ: 05.詩・メッセージ

後悔と反省の違い

 後悔と反省は違う。似て非なるものである。
 後悔の背景には恐怖と怒り、反省の背景には信頼と希望がある。

 後悔は、自分が失敗したことを受け入れてない。自分に欠点や至らない点があることを他人に暴露されることが恐ろしいのだ。
 「役に立つ人間、すごい人間、完璧な人間」でなければ他人に認められない、又は、存在を許されないとかたくなに恐れており、使える完全無欠な人間であるようにふるまい、他者にも自分をそう見てもらえるように操作的に関わる。
 しかし、すごい自分を演じている自分が実はすごくないことを一番よく知っているのは自分だ。そして、自分の中のみじめで役立たずで不完全で醜いと思い込んでいる自分を隠し、憎み、恥じている。
 だから、自分の至らない点を受け入れることができない、と同時に、起こった出来事をありのままに受け入れることができない。それが起こったのは自分のせいではない、他人、環境、社会のせいであって自分の落ち度ではない。そもそもこんなことは起こるべきじゃなかった。自分は不条理な被害を受ける被害者であり、言われないそしりを受ける弱者である。と思い込み、自己防衛と復讐に奮闘努力するのだ。
 結果、後悔には偽善、欺瞞によって塗り固められた自画像を固く死守することにこだわり、一切の変化や成長は封じ込められてしまう。暗く閉ざされた巣穴に引きこもり、光が差し込むことはない。

 反省は、後悔とは違う、似て非なるものである。
 後悔は痛みであり、反省は癒しである。
 反省は、痛みを伴うどのような体験であっても、決して目をそらすことなくありのままに見ようとする。どのような現実であれ、現実を肯定し、そのままに受け止めようとする。良くも悪くも起こる出来事は、起こるべくして起こったことであり、それ以上でもそれ以下でもない寸分も狂いもないものであると受け止めている。
 出来事に対して、不平や文句を言わずに受け止めるには信念と覚悟がいる。
 自己防衛と言い訳に勤しむ自分を慎み、自分の成長の可能性を信じて未知に挑戦し、変化し成長しようとする覚悟。
 出来事の全ては天の采配であって、天が自分に与えてくれた良き教材だと信じる信念だ。
 それはシンプルなものであり決して理解が難しい考え方ではないが、体現することは簡単ではない。その高い壁を乗り越えられる人はそう多くはない。しかし、その大きな分水嶺を乗り越えた人にこそ癒しはやってくる。
 反省は、自分に痛みを与えた出来事、人、環境を許し、同時に、そのようなみじめな体験をした自分自身をも許す。自他のコインの両面を許すのだ。
 許されたものは、ありのままの真実を開示する。狭い了見のエゴで捻じ曲げて解釈していた時には分かりようのなかった秘密が打ち明けられるのだ。
 それは、かたくなに隠し通されてきた痛み、怯え、罪悪感、恥、封じ込められていたさまざまな悪霊が解放され、許され、癒されていくということ。
 それは、まったく知らなかった偉大なる仕組みや法則や可能性が開示され、自分の立場や視野の新しいリアリティ、次元が拡大するということ。
 それは、自分を縛り付けていた呪縛から解放されて、自分らしい成長を喜ぶということなのだ。

 結果、反省は、ありのままの自分を見つめ、反省し、どうすればよいかを考え、挑戦していく。

 光は傷口から差し込んでくる。
 反省は、内面に光をもたらす。内面に真実の光が差し込むことによって、人の痛みや苦悩がやさしく温かく癒されていくことになる。

 希望は絶望の後にやってくる。
 反省は、絶望の痛みがあったからこそ、それを乗り越えた人にやってくる希望に満たされる。
 それは、歓喜であり、全く新しい自分の偉大なる可能性である。

 後悔してはいけないということではない。時に膝を抱えて休むことも必要である。しかし、いつまでも自己憐憫に浸ることは慎まなければならない。どんなに嘆いても事態は改善しないからである。
 ひと時休んだら、反省に取り組まなければならない。
 見ても見ず、聞いても聞かず、理解しないのではなく、しっかりと見て聞いて理解しなければならない。
 逃げてばかりでなく踵を返して前を向かなければならない。
 立ち上がって戦士となってドラゴンに向き合わなければならない。
 なぜならば、あなたは勇者だからだ。
 あなたは、魂を持った偉大なる勇者であって、決して卑屈な負け犬ではない。
 あなたには、今の未熟なありかたから脱皮し、成長する宿命がある。
 いつまでも大きな芋虫ではいけない。
 あなたは、蝶となって自由に大空を舞うことが使命なのだ。

 決して忘れてはいけない、あなたは今あなたが思っているようなちっぽけな存在ではない。
 あなたは、成長を使命とする魂を持ったたぐいまれなる個性を持った魅力的で力ある勇者なのだ。

 あなたには、あなたと同じように苦しんでいる人を助ける使命があることを忘れてはいけない。

 いまこそ、あなたの魂、その使命に耳を傾けるとき。

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ①おわりに

 最近kindleより発表した新刊“To be a Hero”の内容を、何回かのシリーズで、部分的にご紹介したいと思います。

 まずは、最後のご挨拶、メッセージから。

・・・・・・・・・・・以下、“To be a Hero” おわりにより・・・・・・・・・・・
 以上を持ちまして、“To ba a Hero ~自分を生きる勇者となる~”を終了します。

 この本にここまで付き合ってくださった読者の皆さんに、心から感謝を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

 本シリーズでも書きましたが、実は、私は、子供時代から若いころにかけて、自分を好きになれずに、前向きになれずに、何かと生きづらさを感じていました。私と同様に、生きづらさを感じている人は多いのではないでしょうか。
 実際に、この地球上で生きることは、決して楽なことではないと思います。世界には、戦争や暴力がはびこり、経済は不安定で貧困や餓死が存在しています。うそや陰謀、権力の不条理がまかり通り、悲しみや憎悪や悪意がそこかしこに見受けられます。人生の中には、絶えず心配事があり、想定しないトラブルがやってきて、困難や苦しみに放り込まれ、誰も助けてくれません。確かに、この世には、地獄の側面が存在しています。
 しかし、だからと言って絶望して肩を落として生きなければならないというわけではありません。恐怖や痛みに支配されて人生を棒に振る必要もありません。私たちには可能性があるのです。

 天国で天使たちにかこまれて、天使として生きるのは簡単です。誰でも苦労なくできるでしょう。しかし、地獄の中で、天使として生きるのは容易ではありません。朱に交われば赤くなるのことわざの通り、邪悪に囲まれて生きれば邪悪の影響を受けてしまうのは必至です。しかし、地獄にあっても自分の中の良心を信じて悪を選ばず、悪鬼たちの脅迫に屈することなく、恐怖にこうべをたれることなく勇気をもって立ち向かい、思いやりと愛、光をもって生きる生き方も存在します。それは、いばらの道であり、周囲の誰にもほめられない、むしろ嘲笑され、裏切者扱いされる可能性がある危険な道です。勇者は、その困難に立ち向かう人であり、誰にもできない難しさがあるからこそ輝かしくかっこいいのだと思います。
 きっとそうした勇者は、この世界に人知れずたくさんいるのだろうと思います。周囲の冷淡さに迎合せずに、思いやりとやさしさを忘れない人、周囲の不平不満の輪に入らずに感謝を忘れない人、小さく弱いものたちにやさしく語りかける人、見て見ぬふりをしないで不正を指摘する人、自分の失敗を誤魔化さずに正直に語る人、家族を愛し大切にする人、道路を掃除して街を清める人、人知れず世界の平和を祈る人、飢えに苦しんでいる人にやさしくパンを差し出す人、そうした人たちは、全て勇者であり、きっと勇者こそが今の地球を救っているのだと思います。

 いま、地球は、黙示録の真っただ中にあります。環境問題、温暖化、飢餓と疫病、世界経済の不安定、テロと戦争と核兵器など、深刻な問題に直面しています。末法の世でもあり、最も仏の教えから遠のいている時代でもあるように思えます。だからこそ、恐怖の持つ力は強大で、その力に屈服してしまった恐怖の代理人たちも数多く存在しています。
 いま、地球では、その存亡をかけた壮大な綱引きが行われているのだろうと思います。引きずり落そうとする勢力と、何とか救い上げようとする勢力が力いっぱい引き合い、拮抗状態にあるのだと思います。現状で動きが無いように見えても、背景にはすさまじい力が渦巻いているのです。
 相反する強い力が均衡状態にある状況下では、ちょっとした力の変化が、重大な変化をもたらします。問題の大きさと個人の力の小ささに絶望してあきらめてしまい、一人でも綱を引っ張ることを止めてしまったら、均衡が崩れてアッと言う間に引きずり落されてしまうかもしれません。
 逆に、粘り強く、一生懸命にがんばる勇者たちに勇気づけられて、一人、二人と仲間が増えるかもしれません。張り詰めたコップの水をこぼすためには、たった一滴の水で十分です。今のような張り詰めた時代には、一人一人の力は偉大です。たった一人の力で地球を救えるかもしれません。

 いま、地球は暗く、問題のとてつもない大きさと深刻さにめまいがする思いになると同時に、個人の無力さに暗澹たる気持ちになりますが、だからと言って、決してあきらめたり絶望してはいけません。
 闇がどんなに深くて強大だとしても、光に勝る闇はありません。光は闇に勝利するのが定めです。しかし、闇の中で光の存在を信じることは容易ではありません。光を信じるということは闇を敵に回すということであり、とてつもない危険が待ち受けているということでもあります。光のサイドに立って、闇の強大さに立ち向かうには、一世一代の勇気が必要であり、その困難な挑戦に踏み出せる人は、そう多くはありません。

 その数少ない中の一人は、あなたです。

 あなたがこの文章に目を通していることは、偶然ではありません。あなたには、このような時代に生まれ、立派に生きて地球に何らかの貢献するという使命があります。
 あなたは、まさに地球を救う一人の勇者なのです。

 被害者意識に甘えて、強い分離感に身を任せてはいけません。勝つべきものは、相手ではなく、自分自身なのです。
 道ができることを待っていてはいけません。あなたが道をひらくのです。
 導く人がいないことを言い訳にしてはいけません。だからこそあなたの出番なのです。
 準備が整ってないと先送りにしてはいけません。そこに行くからこそ奇跡が起こるのです。
 誰かの許可を得る必要などありません。あなた自身を権威として進むのです。
 皆がそうだからと言って、絶望に身を染めてはいけません。注意深く生き残って一隅を照らす光となるのです。

 あなたには、泥沼に落ちようとしている仲間を救い出す責任がああります。
 知っているなら、あきらめても手を緩めてもいけません。真に仲間を守る戦士になるのです。

 あなたは、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。あなたは勇者です。
 背伸びして勇者になるわけではありません、あなたはもともと勇者だったのです。
 あまりに厚い雲に遮られて勇者だったことを忘れてしまったのであって、今本当の自分を思い出したのです。
 自分の力と責任の大きさに怖気づかないでください。あなたの勇者としての可能性を信じてください。
 注目が集まることに尻込みしないでください。あなた自身の魅力とパワーを信じてください。
 立ちふさがる壁の高さにひるまないでください。それがどんなに苦しい困難であってもあなたに乗り越える力ができたからこそやってきた教材なのです。

 夜明け前が、最も暗いことを忘れてはいけません。
 今がつらく、苦しいとしたら、それは、単に夜明け前だということなのです。
 人の苦しみや思いとは無関係に、天の計らいは淡々と進行します。
 日は沈み、そしてまた昇ります。

 明けない夜は、ありません。
 もし今が、とても悲しく、苦しく、希望がなく、憎悪の極みだとしたならば、
 それは、闇の終わりだということ。
 夜明けが近いということです。

 だから決してやけになってはいけません。
 あなたなら大丈夫。あなたならできる。
 あなたは今思っているほどちっぽけな存在ではありません。
 あなたには、想像をはるかに超える途方もない潜在性と可能性がまどろんでいる。

 自分を信じてこうべを上げ、肩の力を抜いて大志に向けて一歩踏み出しましょう。
 そう、夜明けは近い。
 奇跡は必ず起こります。
 なぜならば、あなたは、もともと勇者なのですから。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

人間関係の本質

人間関係の本質は、静謐な愛と神聖さ、力強いやさしさだ。

それを信じられないのは、あなたがそれを忘れたからだ。

あまりに強い恐怖と不安、欠乏感と飢餓の雲があなたを取り巻き、長年にわたって光がさえぎられてしまったから、太陽なんて存在しないと勘違いしているのだ。

太陽は、あなたの思惑のいかんを問わず、いつも必ずそこにある。

もしあなたが、太陽の無さを恨み、怒り、報復したとしたら、その言動は、他人に連鎖的に影響を与え、時を経てパワーを増してあなたに戻ってくるだろう。

もしあなたが、自分よりも光を見失った人の怒りや苦しみを悪とみなし、攻撃をしたならば、相手は喜んであなたの暴力に対抗し、大義名分を得てますます意気盛んとなり、あなたを攻撃するだろう。

そうしてあなたの前に、対立と不信、怒りと悲しみの複雑な世界が立ち現れてくるのだ。

もしあなたが、光の無さは自分の問題と気づき、太陽の存在を信じて、かすかな光を愛し感謝したならば、その言動は、他人に連鎖的に影響を与え、時を経てパワーを増してあなたに戻ってくるだろう。

もしあなたが、自分よりも光を見失った人の怒りや苦しみを理解し、自分の中にある痛みを鏡の中に見るように見て、その痛みが癒されるように祈れば、相手とあなたの“が(我)”が癒され、力を失い“”かがみかみとなるだろう。

どう生きるかは、太陽や雲が決めるのではない。

それは、あなたが決めるのだ。

あなたの認識と意志が、あなたの未来を作る。

そう、あなたには未来を作る偉大なる力がまどろんでいる。

あなたは文字通り、未来を作る創造主なのだ。

自動反応として沸き起こってくる怒り、恐怖、不安のままに生きてはいけない。

自分を信じて気高くいきなさい。

意識的に自分の本質である愛と感謝と喜びを感じ、表現しながらあなたらしく生きなさい。

 

生き方を選択すると、一瞬で奇跡が起こる。

ふりまわされていた人生から軸の通った生き方になる。

されるがままの人生から自ら舵を切る人生になる。

脇役の人生から主人公の人生になる。

そもそもあなたはあなたの人生の中の王様であり王女様なのだ。

どんなに苦しいからと言って、その玉座を明け渡してはいけない。

被害者として嘆き、恨み、絶望するのではなく、勇者として自分の中のドラゴンに立ち向かい、勝利して未来を拓こう。

なぜなら、あなたはもともと勇者なのだから。

 

人を批判するということ

批判をする人は、80億分の一の出会いを台無しにしていることに気づいていない。

せっかくご縁があって、豊かな信頼関係を育めれば、思いもよらない良い仕事ができる、奇跡が起こる可能性があるのに、

自分の狭い了見、私の役に立つとか立たないとか、使えるとか使えないとか、そうした次元の低い物差しでさばいて、

距離を置いて見下すことによって、自ら豊かな可能性、未来を閉ざしていることに気づいていない。

批判をする人には、批判した相手に、想像を遥かに越える壮大な可能性、偉大なる価値があることが分からないのだ。

今の感受性では、たとえお釈迦様と隣り合わせになっても、そうとは気づかないだろう。

 

愚かなことに、そのようなふるまいを正義だと思い込んでいる。

自分の内面で、自分をコントロールするための方法として、自分をさばき、おどし、操作的にかかわることを成長だと思い込んでいる。

その成長の方法を他者に向けて、他者を成長させていると思い込んでいる。

愚かな虐待を正義だと思い込んでいるので、自分の態度を一向に反省することなく、罪を作り続けている。

 

裁くものは裁かれるのだ。

ご縁を大事にして、相手を受け入れ、未来を拓く代わりに、

未熟なものさしで人を裁き、それが正しいと思いこんで他人を操作しようとする態度を続ける者は、自分の振るった力と同じ力で責められるだろう。

 

他人に完璧を期待して、文句ばかり言ってはいけない。

あなたの文句は、自分の欠点の投影なのだ。

だから、変えなければならないのは、相手ではなくあなただ。

 

狭い了見で、天の采配を無視してはいけない。

ご縁は、1㎜のずれもなく起こっている

あなたがその人に出会ったのは、単なる偶然ではない。

そこから、癒し、成長、創造、貢献、関係を通して新しい奇跡を起こすことを期待されているのだ。

 

あなたは、自分で想像している以上の偉大なる存在だ。

だから、自分を他者から押し付けられた愚かな物差しで裁いてはいけない。

だから、他者をみにくい物差しで裁いて、距離を置いて見下してはいけない。

天からのプレゼント、80億分の一の奇跡、出会いを大切にして、相手を受け入れ、積極的に関心を持ち、信頼を育むべきだ。

あなたが、自分の出会いと真摯に向き合い、誠実にかかわろうとしたとき、その一瞬から人生は変わるだろう。

真の謙虚さこそが、あなたの本当のすばらしさ、美しさ、偉大なる可能性を引き出す。

偉大なる自分への一歩を踏み出してみよう。

時代を導くリーダーとなる

人には、全く性質の異なる2つの動機がある。
一つは、『自分には、何かが欠けている。欠けているものを手に入れなければ苦痛であり、恐怖であり危機である。 だから何としてでも獲得しなければならない。』と言う信念に基づく欲求だ。
それは、不安と恐怖にたきつけられる渇望であり、欠乏動機と呼ばれる。

もう一つは、『自分には充分な力と価値がある。自分の素晴らしさを表現したい。未知なることに挑戦したい。』 と言う信念に基づく欲求だ。
恐怖の束縛から自由となった人に訪れる情熱であり、人本来のまさに魂の欲求、実存動機と呼ばれる。

多くのマネジメントは欠乏動機を利用してきた。
欠乏動機による管理とは、あめとムチによる管理とも言える。
恐怖心に働きかけるリーダーシップは、やろうと思えばだれにでもできる簡単な方法であり、
一旦行い始めると確実に効くこと、安定的であり将来の予測を立てやすいと言う強みがある。
しかし、反面、メンバーのモチベーションは低下し、
防衛的かつ攻撃的風土を助長するので、官僚主義が跋扈し、生産性や成長性は、必ず頭打ちとなる。

多くのリーダーは、厳しい競争にさらされており、不安と恐怖の中にいる。
強力な圧力が常にかけられており、心無い攻撃により、心身ともに満身創痍だ。
だから、その多くが、自尊心の糸が切れると、いとも簡単に恐怖心に首を垂れることになる。
『自分は、みじめで孤独な力ないダメ人間だ。自分もそうであるように、他人もそうだ。 自分は被害者であり、こんなに苦しんでいるのだから自分を守るためなら、人を傷つけても許される』 と信じ込み、恫喝を使うことに躊躇がなくなる。
自らが恐怖の代理人となるのだ。
あめとムチを使い始めた当初は、目覚ましい効果が出るので、どんどんその傾向を強めるが、 遅かれ早かれ、必ず頭打ちとなり、結果的には、自ら奮った力によって滅ぼされることになる。

しかし、その困難を乗り越えて、実存動機を哲学とするリーダーも存在する。
実存動機によるリーダーシップとは、人を大切にして、人の持っている素晴らしい潜在性と可能性を信じ、 引き出そうとするリーダーシップだ。

実存動機を哲学とするリーダーの歩む道は平坦ではない。
人を大切にしたからと言って、相手がそれに応えてくれる保証はない。
そうしたからと言って、誰にも褒められるわけでも応援されるわけでもない。
むしろ、皮肉屋から冷笑されることもあるだろう。
実存のリーダーには、そんな痛み、不信感を乗り越える勇気が必要だ。

また、人の心からのやる気と能力は、本質的に不安定だ。
良い時は奇跡的な成果を出すが、悪い時は、永く無力だ。
実存のリーダーには、そんな浮き沈みをものともしない強い忍耐力と信念が必要だ。

さらに、人の可能性にかけるということは、将来の見通しも立ちづらいと言うことだ。
実存動機による成長は、まさにイノベーションによる成長だ。
まったく新しい商品の開発、新しい顧客との出会いによる、ある意味で奇跡による成長だ。
しかし、奇跡は、コントロールはできない。
奇跡を、事前に予測することはできない。
だから、未来の計画を立てることができない。
本質的に、実存動機は、管理とは相性が合わないのだ。

しかし、ひとたび実存動機が機能し始めた組織には、奇跡が起こる。
メンバーのハートは鼓動し始め、目の輝きが明らかに変わる。
分離感が癒され、心が開かれ、情熱と叡智が交流を始める。
現状の課題と問題点が、偏見によるゆがみを経ることなく、その真実が分かり、対処される。
今までは想像もしなかったような全く新しいアイデアや工夫が、 日常のあらゆる仕事の場面で創造され、実践されて、あっという間に現実が変わっていく。
結果的に、生産性と創造性は、想像を超えて高まり、奇跡的な成長を遂げていくことになる。

今、時代は大きく変わろうとしている。
むき出しのエゴイズムは、消費者から嫌われ、高い意識の経営が評価され、株価を上げる時代となっている。
強欲な資本主義から、高い意識の資本主義へと、静かに、ゆっくりと変わろうとしている。

そのような中で、求められるリーダーシップは、まさに、実存動機を哲学とするリーダーシップだ。
しかし、あめとムチによる欠乏動機のリーダーシップではなく、人間本来の可能性を引き出す実存動機のリーダーシップ という理想を担える存在は、そう多くはない。

その数少ない存在の中の一人は、あなただ。

被害者意識に甘えて、強い分離感に身を任せてはいけない。
勝つべきものは、相手ではなく、自分自身なのだ。

皆がそうだからと言って、絶望に身を染めてはいけない。
一隅を照らす光となるのだ。

あなたには、泥沼に落ちようとしている仲間を救い出す責任がある。
知っているなら、あきらめても手を緩めてもいけない。
真に仲間を守る戦士になるのだ。

あなたは、断じて欠点だらけの無力な存在ではない。
あなたの潜在性と可能性は、今の想像をはるかに超えて大きい。
その可能性を信じてみよう。
自分にするように、仲間の可能性も信じてみよう。
奇跡への一歩はそこから始まるのだから。

少しの勇気が人生を変える

自分らしく幸せに生きるために必要なこと、
輝いて生きるために必要なこと、
それは、お金でも、体力でも、頭のよさでもない。
決定的な要因は、勇気だ。
ほんの少しの勇気が、人生を大きく変える。

リスクから逃げまどうだけの人生が、最も危険な生き方である。
私たちは、天国に生きているわけではない。
この世には、危険がつきものであり、逃げ切れることなどできないのだ。

大それた蛮勇など必要ではない。
ちょっとした勇気を大切にしよう。

未知に一歩踏み出す挑戦の勇気、
失敗の恐怖を乗り越える勇気、
不安を押して人と関わる勇気、
愛しているという勇気、

そんな勇気を大切にしよう。
あなたなら大丈夫、
あなたには、今は想像もできないくらい大きな可能性がまどろんでいるのだから。
あなたは、勇者だ。
そんな大きな可能性に挑戦しよう。

いま現在 とは

「アミ 小さな宇宙人」エンリケバリオス著 徳間書店 より抜粋

 

「なんてきれいな街灯なんだろう。

絵に描いてみたくなるほどだ・・・。

見てごらん。

月の光に照らされ、星いっぱいの夜空にシルエットのように、くっきりと浮かび上がったアンテナを・・・。

ペドゥリート、人生はこれらを健全に満喫する以外に目的はない。

人生が提供してくれたすべてのものに注意の目を向けるようにつとめてごらん。

たえずいろんなすばらしさを発見するだろう。

頭ばかりで考えるかわりに、感じるように知覚するようにつとめてみてごらん。

人生の深い意味は思考のもっと向こう側にあるんだ・・・

人生は現実のおとぎ話のようなものなんだ・・・

神がきみにささげた美しい贈りものなんだよ・・・

なぜなら神はきみを愛しているからね・・・」

理想を生きる

人の脳は、3歳までに、ほぼ80%が成長を遂げるという。

それに伴って、人は、ほぼ3歳までに自分の生き方を決めるという。

分かち合う生き方、

平和な生き方、

愛の生き方、

戦いの生き方、

自己犠牲の生き方、

孤独の生き方、

報復の生き方、

自分らしく輝く生き方を選択したとしたら、それは幸いだ。

しかし、多くの場合、そうではない。

しかし、例えその生き方が本意ではなくとも、

いったん決めてしまった生き方は、変えようとするまでは決して変わらない。

例え忘れてしまった遠い過去でも、例え今の意識に昇ってこなくとも、

幼いころに決めてしまった生き方は、今でも心と生き方を支配している。

そうして、人は、忘れてしまった遠い過去の痛みを一生ひきずって生きることになる。

今の事実に基づかずに、過去の亡霊に基づいて生きることになる。

今の理想に従わずに、過去の恐怖に従って生きることになる。

今とは何の関係もない過去に縛られて生きることになる。

それは、決して自分らしい生き方ではない。

それは、決して輝かしい生き方ではない。

それは、決して幸せな生き方ではない。

人は、生き方を見直すことができる。

人は過去を乗り越えられる。

過去の痛みを癒し、憎しみを許し、過去の束縛から自由になれる。

本当に幸せな生き方をしよう。あなたには、そう生きるための十分な力がある。

高い理想を生きよう。

忠実であるべきものは、過去の痛みでは断じてない。

忠実であるべきものは、あなたの大志なのだ。

夜明けは近い

 

 夜明け前が、最も暗いことを忘れてはいけない。

 今がつらく、苦しいとしたら、それは、単に夜明け前だということなのだ。

 人の苦しみや思いとは無関係に、天の計らいは淡々と進行する。

 日は沈み、そしてまた昇る。

 明けない夜は、存在しない。

 もし今が、とても悲しく、苦しく、希望がなく、憎悪の極みだとしたならば、

 それは、絶望への入り口ではなく、 闇の終わりだということ。

 そう、夜明けは近い。