カテゴリー別アーカイブ: 05.詩・メッセージ

創造性とは

人は言う。
「自分には創造性なんて大それたものはない」と。

その通りなのかもしれない。
創造性は、エゴの仕事ではなく、神の仕事だからだ。

だから私たちは、自分の力だけで創造しようとすると、すぐに限界に突き当たる。

しかし、ほんの少し勇気を出して創造に挑戦してみると、不思議なことが起こる。
枯渇していると思い込んでいた井戸の底から、次々と新しい水が湧き出してくる。

一つ描けば、次の絵が現れる。
一つ書けば、次の言葉が現れる。
一つ問いを立てれば、さらに深い問いが現れる。

まるで、そこにある可能性は使うほど減るのではなく、使うほど増えていくかのようだ。

創造活動は、汲み尽くすことのできない井戸である。
その奥には、想像をはるかに超える可能性がまどろんでいる。

そして、その井戸から水をくみ出せば出すほど、歓喜は深くなり、愛は広がり、光は強くなる。

創造性とは、自分が何かを生み出すことではない。
創造性とは、ロゴスとの共同作業なのである。

私が創るのではない。
創造が私を通って現れるのだ。

自分を裏切らずに生きるということ

自分を裏切らずに生きるということ

困難から逃げずに立ち向かっていけば、どの道を通っても必ず勝利する。
何につけ人のせいにして逃げているうちは成長はないし勝利もない。

時に、ドラゴンに首をたれて恐怖の代理人になる人もいる。

どう生きたってかまわない。どう生きてもその人のその時の人生だ。
しかし、ダークサイドに落ちて喜んでる人は、誰も愛せないし誰からも愛されない。
金や力は得るかもしれないが、
誰かを犠牲にしてその生き血を吸う寄生虫のような嫌われ者になる。

自分らしく生きようと志す者は、決して恐怖に負けてはいけない。
恐怖は成長への踏み台であって主人ではない。
勇者の人生にはドラゴンがつきものだ。
痛みや苦しみは避けられないが、立ち向かうことで成長の教材になる。

「なんで俺ばっかりこんな目に合うんだ!」
それはあなたが勇者だからだ。
痛みから学び、成長し、いつか同じような苦しみを持つ人を救うためだ。

人生には目的がある。その大切なものの一つは成長だ。
成長することは、あなたの使命なのだ。
より深く、より広く、より気高い存在へと成長することは、人としての宿命。

痛みや困難は避けられない。
痛みを受ける弱い自分を許そう。
失敗した自分を受け入れよう。
そして反省から学び、
勇気をもって再び歩き出そう。

自分を裏切らないために。

 

y=1/2gt²

物理学上の時間は、順も逆も問わない。
しかし、この現実では、時間は誰にとっても平等に過去から未来へと流れていく。

この世界の時間とは、可能性を現実へと変えていく神秘である。

だから人生は、
進むたびに自由を失う。

しかしその不自由さの中でしか、本当に大切なものは得られない。
それは、支配から献身への脱皮である。

万能の神も、
無限の可能性を捨て、
あえて一つの歴史を選んだ。
あえて一つの世界を選んだ。
あえて一つの時間の流れを選んだ。
そして、あなたになった。

あなたが、ままならない世界の中で、それでも生きる中で、
愛も、
勇気も、
赦しも、
献身も、
現実となった。

そして、そんなあなたと、めぐりあうことができた。

あなたとの出逢いで、つまらない日常が輝いてきた。
さびしかったけどもう一人じゃなくなった。
あんなに重苦しかった対話が、楽しさに変わった。
とっくに忘れてしまった胸の鼓動、愛おしさがよみがえってきた。
すっかり委縮してなくなってしまったと思っていた勇気が胸に満ちてきた。
いとおしさと哀しさと愛が胸からあふれ出てきた。
あなたとの出逢いは、忘れてしまっていた尊いものに気づかせてくれた。

そう、君との出逢いは、封印された宝庫を開く鍵だった。
再び、自由になる。
再び、気高くなる。
再び、愛せるようになる。

君との豊かな関係性は、 人生の大切さを思い出させてくれた。
理不尽や苦悩さえも、 この旅に必要だったのだと教えてくれた。
そして、 長いあいだ抱えていた痛みを、 そっと溶かしてくれた。

さあ、今度は、一皮むけた二人で旅立つ番だね。
創造への冒険ははじまる。

 

逆境の中の君たちへ

自分を信じると言うことは、ダメな自分を見捨てないと言うこと。
優秀さや強さを信じることではない。

自分は自分のすべてを分かっているわけではない。
私が私だと思っている自分は、自分のいまここのリアリティーのすべてを反映していない。
だから自信を持てなくて悩んでいる自分は、自分そのものではない。

だから無理して背伸びする必要はない。
自信がなくても、準備が整ってなくても、
それを思い付いたとしたら、認識の外側で準備ができていると言うこと。
だから、自信がないからこそ、怖いからこそ一歩踏み出す挑戦が大切になる。

勇気ある一歩で、大きなプロセスが動く。
偶然な出会い、偶然なチャンス、偶然な変化…、
後戻りできない一歩を踏み出した時から、世界との関係性が静かに変わり始める。
きっと、あなたを応援する大きな流れを感じ、
世界の見え方が変わってくることに気づくだろう。

いま、私が私だと思っている自分は、エゴと呼ばれている。
エゴは、大きくて複雑で矛盾する、途方もなく偉大で、途方もなく罪深く、
つかみどころのない自分を、人間関係の枠に型どる自分だ。
だから、エゴは社会の中で戦う自分だ。
内にも外にも手におえないことばかりのなかで満身創痍になってがんばっている自分だ。

だけどエゴは、実は何も分かってない。
内にも外にもエゴには分かりようのない真実が隠されている。
真実は、あらゆる想像を越えて大きく、精妙で、いのちの奇跡に満ちている。

だからエゴは、もっと謙虚であったほうがいい。
だからエゴは、もっと肩の力をぬいたほうがいい。
自分が疑わしくとも、信頼に値する自分は確かに息づいている。

だから、怯えてたっていい。
だから、震える足のままで、一歩踏み出したっていい。

真実は、勇気ある堂々たるあなたの一歩を祝福する。

自信がなければ、そのふりをしなさい。
背筋を伸ばし、肩の力を抜き、前を向く。
その美しい形に宿るものがある。
真実は、その誠実な「形」を見逃さない。

いつかあなたは、
意外なほど愛されていたことを知るだろう。

誰にも知られない勇者たちへ

この世界で生きることは容易ではない。
まっすぐに歩こうとしても許されず、
内面の静けさは、轟音にかき消される。

道はあるようで、ない。
正しさはあるようで、ない。
誰もが何かに追われ、
何かに従いながら、
気づけば自分を置き忘れてゆく。

それでも――

ひとりの人間の胸の奥には、
小さな灯がある。
良心と言う名の神から授かった光だ。

それは、決して奪われることはない。
たとえ、恐怖の中、絶望に立ち尽くしても、
たとえ、制度や群れに脅されたとしても、
決して失うことのないおだやかな光だ。

この世界には、まともではないところがある。
愛よりも恐怖の方が価値があり、
白魔術よりも黒魔術がほめたたえられる。

きれいな言葉に飾られた悪意がそこかしこにあり、
地獄への道は偽善で敷き詰められている。

狂気の世界で正気を保つことは容易ではない。
しかし、だからこそ、それは勇者の証なのだ。

英雄とは、特別な何かをすることではない。
狂気の世界で正気を保つ強さと勇気を持つこと。
弱肉強食や適者生存の誘惑に染まらずに、
弱く苦しむ人へのやさしさを忘れないことだ。

それは、
見向きもされない選択だ。
この世界では、ほめられも報われもしない。
むしろ、まぬけ、陰謀論者、反逆者と嘲られることさえある。

けれど――

人知れず、内面の良心に従い、
怒りよりも静けさを、
憎しみよりも理解を、
支配よりも、触れられる優しさを選ぶ人がいる。

損得や利害を超えて、自分の信念に従って生きることは難しい。
恐怖に支配されずに愛を選んで生きる人は決して多くはない。

その中の一人は、あなただ。

あなたが感じてきた苦しみ、孤独、違和感、そして使命感は、ただの「考えすぎ」でも「孤立した思想」でもない。
歴史上、同じものを感じた人々が確かに存在し、そしてあなたもその連続線上に存在する。

あなたの見ている構造・本質・問題意識は間違ってない。
そして、あなたのように誤解や幻想に染まらず、社会的狂気に屈せず、
分離を癒し、愛と勇気を回復しようとする意志を持つ存在こそが真の勇者なのだ。

この世界にとって、真の勇者の存在はとてつもない価値がある。
実は、この世界は、密かに真の勇者の存在によって支えられているのだ。

誰にも知られない勇者たちよ、決してくじけてはいけない。

恐怖に従うな。
群れに流されるな。
胸の奥の灯=内面の良心に従いなさい。

その小さな光は、決して無駄にはならない。
誰にも見えない裏側で、あなたの道は、確実に誰かを導き、
誰かを救い、未来を変えていくのだから。

自灯明法灯明 勇気ある市民でありたい

ルドルフ・ヘースは、第2次世界大戦中のドイツの将校であり、アウシュビッツ強制収容所の所長だった。

ヘースは、敗戦後、身を隠し、他者になりすまし、行方をくらました。

ヘースは、アウシュビッツのホロコースト、極悪非道の悲劇を生んだ中心人物であり、世界中が彼を恐れ、憎み、徹底した捜査が展開された。

終戦の翌年1946年3月11日にとうとうヘースは見つかり、逮捕された。

世界中の人たちは、ヘースの実際を見て驚いた。

世界中の人たちは、ヘースを大量虐殺を推し進めた殺人鬼であり、けだもののような残忍で冷酷でサイコパスのような人物だと思っていたけれども、実際のヘースは、平凡で普通の人だったからだ。

ヘースは、裁判において、ユダヤ人を250万人ガス室に送り、虐殺したと証言した。彼は紛れもなく大量虐殺を命じた司令官だった。

しかし、彼は決して狂気の極悪人ではなかった。

私生活においては、家族を愛するごく普通の平凡な男であり、仕事においては上司に対して忠実であり、上司の命令に従い、その命ずるところを従順にこなしていった。
彼は、絞首刑になる前に手記の中で、自分は「悪い人ではなかった」と書いている。大量虐殺も「命令だった」「抵抗など考えられなかった」と語っている。

彼は、手記に書いている通り、悪い人ではなかった。しかし、おかしいと思っていながらも上官の命令に意見することなく、抵抗する勇気を持たない、ただ従順にどんなことでも従う茶坊主だったのだ。

ルドルフ・ヘースは、私たちに強烈な教訓を残してくれている。

この世において極悪非道を実現する人は、必ずしもサイコパスの狂人ではなく、権力におもねる茶坊主であり、普通の平凡な人物であり、誰もがそうなる可能性があるということだ。

確かに権威や権力が圧倒的な力で黒を白と言いくるめたら、そのように思い、そのように行動することの方が楽だ。流されて生きれば角が立つこともなく危険も少ない。
しかし、そういった安易な茶坊主的な生き方こそが、究極的には悲劇を生んでしまう可能性を忘れてはいけない。

最近、とてもおかしなことが続いている。

調べれば調べるほど、ぬぐい切れない疑念が立ち起こってくる。

私は、ヘースのようにはなりたくない。
おかしいと感じることは、おかしいと主張したい。
私はそれを許してないと伝えたい。

「矛盾はつきもの」「きれいごとではやってけない」「陰謀論」「言っても無駄」「生意気なことを言ってると痛い目にあうぞ」
そういった皮肉屋の冷笑、脅しには屈したくない。

茶坊主たちは、こうした状況に目を背け、口を閉じ、ただ従順に従うことで抜け目なくリスクを避けているように思っているが、そうした生き方こそが最も危険な生き方であることに気づいていない。

私は、茶坊主ではなく、勇気ある市民でありたい。

気づいたこと、内面の真実を語ることは勇気がいる。
だれもがそれを気前よく受け入れてくれるとは限らないからだ。
それを言うことで嘲笑され、嫌われ、非難され、距離を置かれ、攻撃される可能性があるからだ。

しかし、私は、勇気ある市民でありたい。

昔から言われているように、正義は勝つのだと信じている。

真実に勝るウソはないし、光に勝る影はない。

人の力と可能性は、人の想像を超えて大きく、その本質は神聖であると信じている。
人が、本来の神聖さを思い出したとき、闇の愚かなたくらみを笑い飛ばすことができるほどの豊かな未来を手に入れることができるだろう。

お釈迦さまが、ご臨終の間際に、「自灯明、法灯明」と言葉を残してくださった。
「自分を頼りにせよ(人に頼るな)。自然界の法をよりどころとせよ(不自然さを受け入れるな)。」という意味だと私は思っている。

今こそ、自分自身の可能性、力を信じ、自分を大切にするべきである。

自分の人生を信じ、自分の哲学に基づいて、他者の権威や権力ではなく自分に対して忠実に、依存的にではなく独立した心をもってたくましく人生を生きるべきだ。

人間らしさ、勇気、陽気さ、明るさ、希望、夢、やさしさ、友情、愛、思いやりこそが、闇を退け、新しい可能性を開くカギとなる。

そう信じて、私は、今の時代を生き抜いていきたい。

現実を生きる

現実は、愛と慈悲に満たされた理想郷ではない。

そこには、分断と対立があり、恐怖や不安、欲や怒り、誤解、利害、制度、しがらみ…

泥の中でも立ち上がり、重い足を一歩ずつ踏み出していく。

誰かを立てれば、誰かを見捨てることになり、

正義を貫けば、別の正義の悪となり、

愛を語れば、偽善者と言われる。

誰かを守るために、誰かと戦い、

利益と理念の間で、心が引き裂かれそうになり、

それでも、ふらつきながらも立ち上がりファイティングポーズで立ち向かう。

 

現実は、最も厳しい。

時に平和であるが、時に牙をむいて容赦なく襲ってくる。

それでも愛や理想を抱いたまま、現実の泥の中を歩く人たちがいる。

愛を語ることは簡単だが、体現することは容易ではない。

希望を語ることは簡単だが、苦悩と絶望の中で夢を捨てずにいることは容易ではない。

現実は、まさに愛と理想を試される場なのだ。

 

時に疲れ切り、みじめな敗北者のように肩をすぼめ、孤独の中で涙する。

それでも愛と希望を手放さずに再び泥沼に足を踏み入れる。

それは、きれいごとではなく、勇気のかたち。

美しい勇者の生きざまだ。

 

肩を落として歩くサラリーマン、満身創痍の管理者、理不尽に立ちすくむ医者、うつろな目をした教師、修羅の道を生きる政治家、そしてそれでも決して希望を捨てない人たち・・・・

だれもが厳しい現実に立ち向かう勇者だ。

戦え、勇者たち。

決してくじけてはいけない。

蓮は泥の中で花を咲かせる。

勇者の苦闘は、例え勝利が来なくとも決して無駄にはならない。

みじめで恥ずかしくみっともない、かっこ悪い自分をうけとめ、愛し、くじけずに前に進むあなたの生き方が、かっこいいのだ。

生きよ!同志たちよ。

きっとあなたの生き方は、他人の勇気になる。一隅を照らす光となるのだから。

 

後悔と反省の違い

 後悔と反省は違う。似て非なるものである。
 後悔の背景には恐怖と怒り、反省の背景には信頼と希望がある。

 後悔は、自分が失敗したことを受け入れてない。自分に欠点や至らない点があることを他人に暴露されることが恐ろしいのだ。
 「役に立つ人間、すごい人間、完璧な人間」でなければ他人に認められない、又は、存在を許されないとかたくなに恐れており、使える完全無欠な人間であるようにふるまい、他者にも自分をそう見てもらえるように操作的に関わる。
 しかし、すごい自分を演じている自分が実はすごくないことを一番よく知っているのは自分だ。そして、自分の中のみじめで役立たずで不完全で醜いと思い込んでいる自分を隠し、憎み、恥じている。
 だから、自分の至らない点を受け入れることができない、と同時に、起こった出来事をありのままに受け入れることができない。それが起こったのは自分のせいではない、他人、環境、社会のせいであって自分の落ち度ではない。そもそもこんなことは起こるべきじゃなかった。自分は不条理な被害を受ける被害者であり、言われないそしりを受ける弱者である。と思い込み、自己防衛と復讐に奮闘努力するのだ。
 結果、後悔には偽善、欺瞞によって塗り固められた自画像を固く死守することにこだわり、一切の変化や成長は封じ込められてしまう。暗く閉ざされた巣穴に引きこもり、光が差し込むことはない。

 反省は、後悔とは違う、似て非なるものである。
 後悔は痛みであり、反省は癒しである。
 反省は、痛みを伴うどのような体験であっても、決して目をそらすことなくありのままに見ようとする。どのような現実であれ、現実を肯定し、そのままに受け止めようとする。良くも悪くも起こる出来事は、起こるべくして起こったことであり、それ以上でもそれ以下でもない寸分も狂いもないものであると受け止めている。
 出来事に対して、不平や文句を言わずに受け止めるには信念と覚悟がいる。
 自己防衛と言い訳に勤しむ自分を慎み、自分の成長の可能性を信じて未知に挑戦し、変化し成長しようとする覚悟。
 出来事の全ては天の采配であって、天が自分に与えてくれた良き教材だと信じる信念だ。
 それはシンプルなものであり決して理解が難しい考え方ではないが、体現することは簡単ではない。その高い壁を乗り越えられる人はそう多くはない。しかし、その大きな分水嶺を乗り越えた人にこそ癒しはやってくる。
 反省は、自分に痛みを与えた出来事、人、環境を許し、同時に、そのようなみじめな体験をした自分自身をも許す。自他のコインの両面を許すのだ。
 許されたものは、ありのままの真実を開示する。狭い了見のエゴで捻じ曲げて解釈していた時には分かりようのなかった秘密が打ち明けられるのだ。
 それは、かたくなに隠し通されてきた痛み、怯え、罪悪感、恥、封じ込められていたさまざまな悪霊が解放され、許され、癒されていくということ。
 それは、まったく知らなかった偉大なる仕組みや法則や可能性が開示され、自分の立場や視野の新しいリアリティ、次元が拡大するということ。
 それは、自分を縛り付けていた呪縛から解放されて、自分らしい成長を喜ぶということなのだ。

 結果、反省は、ありのままの自分を見つめ、反省し、どうすればよいかを考え、挑戦していく。

 “光は傷口から差し込んでくる。”
 反省は、内面に光をもたらす。内面に真実の光が差し込むことによって、人の痛みや苦悩がやさしく温かく癒されていくことになる。

 “希望は絶望の後にやってくる。”
 反省は、絶望の痛みがあったからこそ、それを乗り越えた人にやってくる希望に満たされる。
 それは、歓喜であり、全く新しい自分の偉大なる可能性である。

 後悔してはいけないということではない。時に膝を抱えて休むことも必要である。しかし、いつまでも自己憐憫に浸ることは慎まなければならない。どんなに嘆いても事態は改善しないからである。
 ひと時休んだら、反省に取り組まなければならない。
 “見ても見ず、聞いても聞かず、理解しないのではなく、しっかりと見て聞いて理解しなければならない。

 逃げてばかりでなく踵を返して前を向かなければならない。
 立ち上がって戦士となってドラゴンに向き合わなければならない。
 なぜならば、あなたは勇者だからだ。
 あなたは、魂を持った偉大なる勇者であって、決して卑屈な負け犬ではない。
 あなたには、今の未熟なありかたから脱皮し、成長する宿命がある。
 いつまでも大きな芋虫ではいけない。
 あなたは、蝶となって自由に大空を舞うことが使命なのだ。

 決して忘れてはいけない、あなたは今あなたが思っているようなちっぽけな存在ではない。
 あなたは、成長を使命とする魂を持ったたぐいまれなる個性を持った魅力的で力ある勇者なのだ。

 あなたには、あなたと同じように苦しんでいる人を助ける使命があることを忘れてはいけない。

 いまこそ、あなたの魂、その使命に耳を傾けるとき。

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ①おわりに

 最近kindleより発表した新刊“To be a Hero”の内容を、何回かのシリーズで、部分的にご紹介したいと思います。

 まずは、最後のご挨拶、メッセージから。

・・・・・・・・・・・以下、“To be a Hero” おわりにより・・・・・・・・・・・
 以上を持ちまして、“To ba a Hero ~自分を生きる勇者となる~”を終了します。

 この本にここまで付き合ってくださった読者の皆さんに、心から感謝を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

 本シリーズでも書きましたが、実は、私は、子供時代から若いころにかけて、自分を好きになれずに、前向きになれずに、何かと生きづらさを感じていました。私と同様に、生きづらさを感じている人は多いのではないでしょうか。
 実際に、この地球上で生きることは、決して楽なことではないと思います。世界には、戦争や暴力がはびこり、経済は不安定で貧困や餓死が存在しています。うそや陰謀、権力の不条理がまかり通り、悲しみや憎悪や悪意がそこかしこに見受けられます。人生の中には、絶えず心配事があり、想定しないトラブルがやってきて、困難や苦しみに放り込まれ、誰も助けてくれません。確かに、この世には、地獄の側面が存在しています。
 しかし、だからと言って絶望して肩を落として生きなければならないというわけではありません。恐怖や痛みに支配されて人生を棒に振る必要もありません。私たちには可能性があるのです。

 天国で天使たちにかこまれて、天使として生きるのは簡単です。誰でも苦労なくできるでしょう。しかし、地獄の中で、天使として生きるのは容易ではありません。朱に交われば赤くなるのことわざの通り、邪悪に囲まれて生きれば邪悪の影響を受けてしまうのは必至です。しかし、地獄にあっても自分の中の良心を信じて悪を選ばず、悪鬼たちの脅迫に屈することなく、恐怖にこうべをたれることなく勇気をもって立ち向かい、思いやりと愛、光をもって生きる生き方も存在します。それは、いばらの道であり、周囲の誰にもほめられない、むしろ嘲笑され、裏切者扱いされる可能性がある危険な道です。勇者は、その困難に立ち向かう人であり、誰にもできない難しさがあるからこそ輝かしくかっこいいのだと思います。
 きっとそうした勇者は、この世界に人知れずたくさんいるのだろうと思います。周囲の冷淡さに迎合せずに、思いやりとやさしさを忘れない人、周囲の不平不満の輪に入らずに感謝を忘れない人、小さく弱いものたちにやさしく語りかける人、見て見ぬふりをしないで不正を指摘する人、自分の失敗を誤魔化さずに正直に語る人、家族を愛し大切にする人、道路を掃除して街を清める人、人知れず世界の平和を祈る人、飢えに苦しんでいる人にやさしくパンを差し出す人、そうした人たちは、全て勇者であり、きっと勇者こそが今の地球を救っているのだと思います。

 いま、地球は、黙示録の真っただ中にあります。環境問題、温暖化、飢餓と疫病、世界経済の不安定、テロと戦争と核兵器など、深刻な問題に直面しています。末法の世でもあり、最も仏の教えから遠のいている時代でもあるように思えます。だからこそ、恐怖の持つ力は強大で、その力に屈服してしまった恐怖の代理人たちも数多く存在しています。
 いま、地球では、その存亡をかけた壮大な綱引きが行われているのだろうと思います。引きずり落そうとする勢力と、何とか救い上げようとする勢力が力いっぱい引き合い、拮抗状態にあるのだと思います。現状で動きが無いように見えても、背景にはすさまじい力が渦巻いているのです。
 相反する強い力が均衡状態にある状況下では、ちょっとした力の変化が、重大な変化をもたらします。問題の大きさと個人の力の小ささに絶望してあきらめてしまい、一人でも綱を引っ張ることを止めてしまったら、均衡が崩れてアッと言う間に引きずり落されてしまうかもしれません。
 逆に、粘り強く、一生懸命にがんばる勇者たちに勇気づけられて、一人、二人と仲間が増えるかもしれません。張り詰めたコップの水をこぼすためには、たった一滴の水で十分です。今のような張り詰めた時代には、一人一人の力は偉大です。たった一人の力で地球を救えるかもしれません。

 いま、地球は暗く、問題のとてつもない大きさと深刻さにめまいがする思いになると同時に、個人の無力さに暗澹たる気持ちになりますが、だからと言って、決してあきらめたり絶望してはいけません。
 闇がどんなに深くて強大だとしても、光に勝る闇はありません。光は闇に勝利するのが定めです。しかし、闇の中で光の存在を信じることは容易ではありません。光を信じるということは闇を敵に回すということであり、とてつもない危険が待ち受けているということでもあります。光のサイドに立って、闇の強大さに立ち向かうには、一世一代の勇気が必要であり、その困難な挑戦に踏み出せる人は、そう多くはありません。

 その数少ない中の一人は、あなたです。

 あなたがこの文章に目を通していることは、偶然ではありません。あなたには、このような時代に生まれ、立派に生きて地球に何らかの貢献するという使命があります。
 あなたは、まさに地球を救う一人の勇者なのです。

 被害者意識に甘えて、強い分離感に身を任せてはいけません。勝つべきものは、相手ではなく、自分自身なのです。
 道ができることを待っていてはいけません。あなたが道をひらくのです。
 導く人がいないことを言い訳にしてはいけません。だからこそあなたの出番なのです。
 準備が整ってないと先送りにしてはいけません。そこに行くからこそ奇跡が起こるのです。
 誰かの許可を得る必要などありません。あなた自身を権威として進むのです。
 皆がそうだからと言って、絶望に身を染めてはいけません。注意深く生き残って一隅を照らす光となるのです。

 あなたには、泥沼に落ちようとしている仲間を救い出す責任がああります。
 知っているなら、あきらめても手を緩めてもいけません。真に仲間を守る戦士になるのです。

 あなたは、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。あなたは勇者です。
 背伸びして勇者になるわけではありません、あなたはもともと勇者だったのです。
 あまりに厚い雲に遮られて勇者だったことを忘れてしまったのであって、今本当の自分を思い出したのです。
 自分の力と責任の大きさに怖気づかないでください。あなたの勇者としての可能性を信じてください。
 注目が集まることに尻込みしないでください。あなた自身の魅力とパワーを信じてください。
 立ちふさがる壁の高さにひるまないでください。それがどんなに苦しい困難であってもあなたに乗り越える力ができたからこそやってきた教材なのです。

 夜明け前が、最も暗いことを忘れてはいけません。
 今がつらく、苦しいとしたら、それは、単に夜明け前だということなのです。
 人の苦しみや思いとは無関係に、天の計らいは淡々と進行します。
 日は沈み、そしてまた昇ります。

 明けない夜は、ありません。
 もし今が、とても悲しく、苦しく、希望がなく、憎悪の極みだとしたならば、
 それは、闇の終わりだということ。
 夜明けが近いということです。

 だから決してやけになってはいけません。
 あなたなら大丈夫。あなたならできる。
 あなたは今思っているほどちっぽけな存在ではありません。
 あなたには、想像をはるかに超える途方もない潜在性と可能性がまどろんでいる。

 自分を信じてこうべを上げ、肩の力を抜いて大志に向けて一歩踏み出しましょう。
 そう、夜明けは近い。
 奇跡は必ず起こります。
 なぜならば、あなたは、もともと勇者なのですから。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

人間関係の本質

人間関係の本質は、静謐な愛と神聖さ、力強いやさしさだ。

それを信じられないのは、あなたがそれを忘れたからだ。

あまりに強い恐怖と不安、欠乏感と飢餓の雲があなたを取り巻き、長年にわたって光がさえぎられてしまったから、太陽なんて存在しないと勘違いしているのだ。

太陽は、あなたの思惑のいかんを問わず、いつも必ずそこにある。

もしあなたが、太陽の無さを恨み、怒り、報復したとしたら、その言動は、他人に連鎖的に影響を与え、時を経てパワーを増してあなたに戻ってくるだろう。

もしあなたが、自分よりも光を見失った人の怒りや苦しみを悪とみなし、攻撃をしたならば、相手は喜んであなたの暴力に対抗し、大義名分を得てますます意気盛んとなり、あなたを攻撃するだろう。

そうしてあなたの前に、対立と不信、怒りと悲しみの複雑な世界が立ち現れてくるのだ。

もしあなたが、光の無さは自分の問題と気づき、太陽の存在を信じて、かすかな光を愛し感謝したならば、その言動は、他人に連鎖的に影響を与え、時を経てパワーを増してあなたに戻ってくるだろう。

もしあなたが、自分よりも光を見失った人の怒りや苦しみを理解し、自分の中にある痛みを鏡の中に見るように見て、その痛みが癒されるように祈れば、相手とあなたの“が(我)”が癒され、力を失い“”かがみかみとなるだろう。

どう生きるかは、太陽や雲が決めるのではない。

それは、あなたが決めるのだ。

あなたの認識と意志が、あなたの未来を作る。

そう、あなたには未来を作る偉大なる力がまどろんでいる。

あなたは文字通り、未来を作る創造主なのだ。

自動反応として沸き起こってくる怒り、恐怖、不安のままに生きてはいけない。

自分を信じて気高くいきなさい。

意識的に自分の本質である愛と感謝と喜びを感じ、表現しながらあなたらしく生きなさい。

 

生き方を選択すると、一瞬で奇跡が起こる。

ふりまわされていた人生から軸の通った生き方になる。

されるがままの人生から自ら舵を切る人生になる。

脇役の人生から主人公の人生になる。

そもそもあなたはあなたの人生の中の王様であり王女様なのだ。

どんなに苦しいからと言って、その玉座を明け渡してはいけない。

被害者として嘆き、恨み、絶望するのではなく、勇者として自分の中のドラゴンに立ち向かい、勝利して未来を拓こう。

なぜなら、あなたはもともと勇者なのだから。