月別アーカイブ: 2005年6月

自己イメージ

 自己イメージとは、「私は~である。」「私は○○ができて、△△ができない。」といった、自分で自分をどのように認識しているのかのありようを自己イメージと言います。
 この自己イメージは、そのありようによって、人間関係、健康、生き方など、本人に大きな影響を及ぼしているとされています。

 しかし、この自己イメージは、かならずしも本当の自分を反映しているとは限らず、むしろ、誤解や思い込み、偏見などによってゆがんでしまっている可能性が大きいとされています。
 特に、日本人の自己イメージは、諸外国に比べて、矮小で貧弱で、自分に対してとっても手厳しいというデータが出ております。

 「諸外国に比べて、日本人は、能力が劣っている」ことが事実ならば、現実をありのままに見ていることになり問題は無いのですが、同じ人間として生まれて、潜在性や可能性に違いなどあるわけがありません。
 できないと信じているのは自分だけの思い込みであって、もともと持っている可能性に優劣などあるわけが無いのです。
 しかし、全く同じ人物であっても、一方は「必ずできる!」と信じて、もう一方は「絶対にできない」と信じて長年活動したとしたら、結果には大きな違いができてしまうでしょう。

 私たちは、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。
 私たちの潜在力は無限であり、まどろんでいる可能性は途方も無く大きいと言えるでしょう。
 私たちは、自分らしく輝いて生きるに値する十分な力量と能力を持っています。
 そして、地球は広いといっても、私のような顔と体を持っている人は、私一人であり、
 宇宙の歴史が長いといっても、私の人生は、今までも、今後も、たったの一回であり、とてつもなく尊く価値があることを忘れてはいけません。

 基本的な態度として、自分の力と可能性と価値を信じるべきであると言えましょう。
 自分を信じるからこそ、他人も信じることができるでしょうし、自分を大切にすることができるからこそ、他人も心から大切にでき、真の顧客満足を提供できるのではないでしょうか。

成績とキャリア

 「彼は、いつもクラスでいちばんできの悪い、おちこぼれの生徒だった。彼が8歳のある日、担任の先生に、全員の前で『君の頭は空っぽだね』と冷笑され、教室を飛び出し、家に駆け戻り、学校に行きたくないと、母親になきついた。」
 この少年は、後に発明王と呼ばれた、あのトーマス・エジソンです。

 「彼は、とても発育の遅い子供だった。口を利きはじめるのがひどく遅かったので、両親は、知恵遅れの子供ではないかと心配したほどだった。やっと話せるようになっても、話し方はぎこちなく、無口だったので、将来を心配した両親は、家庭教師をつけたが、なまけぐせがあり、身体が疲れることはすべて、すぐにさぼるのだった。
やがて学校に入学するも、先生からも決して好意をもたれず、『きみがぼくにさよならを言ってくれれば、たいへんありがたいよ』と言われ、『何も悪いことはしていない』と反論しても、『きみの授業中のばやっとした馬鹿みたいな態度が、みんなの規律を乱し、クラスの評判を落としているのがわからんのか』と酷評されてしまうのだった。」
 この人物評が、誰のことだかお分かりでしょうか?
 この少年は、長じて、相対性理論を発表し、世界の物理学を変革した大天才、アルバートアインシュタインなのです。

 世に言われる天才達は、決してだれもが秀才であったわけではありません。
 むしろ、少年時代は、手のつけられない落ちこぼれであったと言う逸話は、数多く伝えられているのです。

 子供の健全な成長を考えた場合、あまりに成績の良し悪しにとらわれるのは、問題なのかもしれません。自分の子供が落ちこぼれるのは確かに心配かもしれませんが、逆に、成績が良く、従順でおとなしい子が、突拍子もない大問題を起こす事件が最近では多発しているのですから。

 「優等生となって、良い大学に入り、良い成績をとって、一流企業に勤めれば、一生安泰である」と言う考え方が、現代では、最も危険であると言われています。
 逆に、人の評価はどうあれ、自分の信じる道を信念を持って貫いた人に、成功者が多いことは、よく知られている事実です。

 弊社では、いくつかの大学で、キャリア教育を担当させていただいており、大学生と直接関わる機会が多いのですが、実感では、「明るく元気でエネルギッシュ」と言うよりは、「警戒し、引きこもっており、硬く、冷えている」と言う印象です。
 私にしてみれば、まったくその必要はないのですが、ある意味「絶望しており、うつっぽい」雰囲気も漂っているようです。

 弊社では、自分らしく輝いて生きるためのキャリアを考えていく上で、最も大切なことは、成績の良し悪しというよりはむしろ、人生に対する信頼、自分の力や可能性に対する信頼、自分が愛される資格があり、かけがえのない命であると言う自分の価値に対する信頼を獲得することであると考えております。

 若く、青春と言うすばらしい時代を生きているわけですから、ぜひ、失敗を恐れず、遠慮することなく、多くの友と思いっきり人生を謳歌してほしいと願っております。

 学生よ、頑張れ! ともに人生を楽しもうではありませんか!

大手建設会社でコミュニケーション研修(20050617)

 建設業界における外資系の大手企業で、コミュニケーション研修を実施してきました。

 このプログラムは、コミュニケーションを学ぶことを通して、合併後の企業文化の統合、安全管理、会社全体としてのチーム力の向上を目的として、全社的に展開していた研修であり、今回は、その最終回でありました。
 場所は、大阪で、24名の関西地区の精鋭たちが集まり、2005年6月16日、9時から5時までの開催となりました。

 「どんな研修であり、どんなことをされるのだろう」といった懸念を押してのご参加であり、雨の中、決して楽しく、期待に胸膨らませている雰囲気とは言えない中でのスタートとなりました。
 しかし、プログラムを進めていく中で、
「コミュニケーションの基本は、自分を大切にし、可能性を信じる気持ちが重要であること」
「信頼関係は、演技や特別なテクニックが必要なのではなく、正直なコミュニケーションを通して懸念が解消されれば自然に起こることであること」
「コミュニケーションに必要な能力は、いま十分に持っており、リラックスがそれを引き出すカギであること」
「チームに信頼関係が起これば、とても大きな潜在性と可能性が引き出されること」
といったメッセージを、体験を通して実感し、学んでいくことになりました。
 その過程で、硬く緊張し、とげとげしく皮肉っぽかった雰囲気が、やわらかく、情熱的でやさしい雰囲気へと変容し、最終的には、自分たちはよい仲間であり、決して捨てたものではなく、例え困難があっても、粘り強く乗り越えていく十分な力があることを改めて確認することができました。

 私も、一日担当させていただき、大阪の文化でもあるのでしょうか?楽しく、明るく、本音であり、突込みが激しく、またさりげなくやさしく、あついエネルギーに満ちた皆さんとご一緒させて頂いて、私自身も元気を頂いたような気がいたします。以前からもそう思っていましたが、改めてすばらしい会社だなぁと実感いたしました。厳しい時代ではありますが、ともに頑張ってすばらしい未来を開きましょうと願ったしだいです。

<プログラムの概要>
題名:アドヴェンチャー トゥ エンカウンター(出会いへの冒険)
ねらい:コミュニケーションを学び、チーム力を高める
内容
(午前中)
セッション1「コミュニケーションの重要性」
・コミュニケーションは、21世紀の重要な企業戦略の1つであること
・輝いている人や組織は、コミュニケーションを何よりも大切にしている。
・コミュニケーションの基本は、自信と誇りであること

セッション2「なぜコミュニケーションが重要なのか」
実習「絵によるコミュニケーション」
・信頼関係は、特殊な能力や努力によって作るものではなく、誰もが体験する懸念を解消する=肩の力を抜くことを通して、自然に起こることである。
・懸念を解消するプロセスを促進するものは、まさにコミュニケーションである。

(午後)
セッション3「コミュニケーション改善のポイント」
実習「ひょうたん山」
・楽観性…自分やチームの力と可能性を信じること
・リラックス…お互いの誤解を減少し、懸念を解消すること
・あきらめないこと…コミュニケーションはそんなに生易しいことではないこと
・勇気…勇気がコミュニケーションの第一歩であること
・そして耳を傾けること…最後には聴くことが関係性を創造すること

セッション4「3人寄れば文殊の知恵」
実習「脱出!スノーマウンテン」
・信頼関係に基づいたコミュニケーションは、チームにまどろんでいる途方もない潜在性と可能性を引き出す。
・基本としての信頼があること、よきチームであることは、すばらしい未来を拓くためのカギとなる。

教育担当者の使命

 私の会社では、教育担当者は、弁護士であり、検事ではないと考えております。
 「人は、パンのみにて生きるにあらず」と聖書の言葉にもありますが、「粋に感じる」ことがなければ、やはりその人の本当の実力を開示してくれることは無いのだろうと思います。
 単に取引として、お金のためだけに働くのではなく、その仕事に意義を感じ、信頼できる仲間と共に、皆で頑張り、成果を喜び合えるからこそ人は、本気で仕事をするのではないでしょうか。

 教育担当者の仕事は、人の欠点を裁き、矯正することではなく、そのように人が輝いて働く生き方を後押しすることであると私どもは考えております。
 不安定な社会・経済環境の下、人に対して冷たく手厳しい施策が横行する風潮の中で、教育担当者として、安易にその流れに乗ったり、単に浅薄に走ったりするのではなく、「人が心からがんばれる、生きがいを持って働くことができるようになるために必要なこと」「人が輝くために必要なこと」などの問いかけに自分なりに本音で応えることのできる本質的な哲学をしっかりもって教育に取り組んでいくとが、最も大事であると思います。

 人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。
 本気を出せば、誰でもとても大きな仕事を成し遂げるものです。
 人材開発は、その能力を引き出す宝の鍵です。

 厳しい時代ではありますが、教育の意義はとても大きく、教育担当者の果たすべきミッションもまたとても大きいと思います。教育にかかわる皆さん、共に信念をもって頑張りましょう。

コミュニケーションの重要性

 最近、私どもの会社では、コミュニケーションに関わる研修が多くなってきております。
現実に、今伸びている会社は、地道にコミュニケーションに力を注ぎ、大切にしているところが圧倒的に多いのも事実でしょう。
 今回は、私たちが考えるコミュニケーションとその重要性についてご紹介したいと思います。

 コミュニケーションとは、2人以上の人たちの間で、互いに、考えや気持ち、意思などを伝え、理解しあう事です。
 ”コミュニケーション”は、個人としての生き方だけではなく、活気ある組織をつくるために、顧客満足、創造性の開発、生産性の向上、コーチング、人間関係、問題解決、効率の向上、など、仕事上のあらゆる側面に影響する大変重要な要素であると言えましょう。
 いつでもコミュニケーションが好いと大変素晴らしいのですが、時には”誤解”や”不安””疑い”の原因となります。

 逆に、さまざまな問題や非効率などの多くは、基本としてコミュニケーションの希薄さや誤解が原因となっていると言って過言ではないでしょう。
 では、なぜこのように通じたり通じなかったりと言った出来事が起こるのでしょうか。それは、コミュニケーションとは、心から心への伝達のことであり、その際、自分の心は、直接的に体験できるので、よく分かり、誤解がありませんが、他人の心は、直接には体験することができないので、それを理解しようとした場合、制約の多い言葉や記号を通して理解しなければならず、実際には、なかなかうまくはいかないからです。

 社会心理学者メイラビアンは、1971年、コミュニケーションの効果に関する実験をしました。その結果、言葉による効果は7%、話し方や抑揚などの聴覚効果が38%、表情やしぐさなどの視覚効果が55%という結果がでました。

 この実験によると、言葉の効果は、非常に低いと言えましょう。
 近年、私たちの人間関係は、概して表面的であり、Eメールなどの発達に伴い、言葉だけによるものが大変多くなっております。その際、実際に伝えたいことが伝わるのはほんの少しであり、圧倒的多数は、誤解や無理解、思い込み、勘違いが起こっている可能性があるといえるのです。

 これは、私たちの社会が、とても多くの勘違いや思い込み、無理解や誤解を基にしながら成り立っていることを示しており、分かり合えない苦悩に満ちた、非効率と間違いに満ちた、恐ろしい社会といえるのではないでしょうか。
 しかし、逆に言えば、このコミュニケーションを改善していくことは、今までは目を向けなかった広大な荒野を開拓していくことになるので、大変な宝を発掘することにつながると言えるのです。