月別アーカイブ: 2021年10月

オンライン研修が続きます

おかげさまで、10月に入ってから、研修ラッシュとなっております。

コロナ禍も、徐々におさまりつつあり、集合研修も増えてきましたが、実は、圧倒的にオンライン研修が多いのです。

オンライン研修は、交通費と宿泊費、研修会場費が削減できます。

実は、研修を実施する際には、これらの費用がばかになりません。多分、研修そのものにかかる経費、講師料であるとか教材費よりも数倍かかるのではないでしょうか。

オンラインの場合は、それが全くかからなくなるので、極めて経済的です。もしも、集合研修と遜色がないくらいに効果があるのならば、オンライン研修の方が圧倒的に効率的と言えましょう。

この研修効果に関しまして、当社は、オンラインでも体験学習を展開していますが、今のところ、リアル集合研修とオンライン研修を比較して、効果に全く遜色はありません。

むしろ、オンラインの場合には、さまざまなITツールを駆使して、チームワークができること。オンラインによるチームワークが難しいからこそできたときの達成感が大きいこと。オンラインという制約があるからこそ、逆に集中度が増すこと。などなど、オンライン体験学習には、リアル研修では味わうことができない特典、おもしろさ、高い効果があると言えましょう。

おかげさまで、リピートオファーが多くなっており、他の階層に実施したいというご要望が多くなってきております。

とてもありがたく、光栄なことだと感じております。

今月は、これまでも、これからも多くのオンライン研修のお仕事の機会を頂いております。

せっかくのチャンスですので、受けて良かったと思えるような価値ある充実した場にしたいと思っています。

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑮ヒーローズジャーニーの教え

3.ヒーローズジャーニーの教え

 ヒーローズジャーニーは、含蓄に富んでおり、多くの学びの種がそこに隠されています。きっと深く探求すればするほど、意義深い気づきをえることができることでしょう。ここでは、その中のほんの一部にしかすぎませんが、本書なりにまとめてみたいと思います。

 

①全てのステージが必要である

 前章で、英雄の成長プロセスが、「自然児→傷ついた子供→放浪者→求道者→戦士→達人→魔法使い→変革者→勇者→覇王→仙人→賢者」の12のステージを経ていくことを解説しましたが、英雄として成長するためには、そのすべてのステップを充分に体験し、そこでの課題や学びを体得する必要があります。通常、私たちが、英雄と感じるのは、戦士以降ではないでしょうか。英雄とは光り輝く完成された存在であるというイメージがあるので、欠点の多い自然児から求道者までのプロセスは、英雄とは感じづらいのではないでしょうか。ですが、ヒーローズジャーニーの考え方では、どのステージも英雄が経験し学ぶ必要があるプロセスであり、ないがしろにできるものはありません。かっこ悪いからと言って、そのステージをいい加減に過ごしてしまうと、後々勇者や達人、魔法使いになった時に、残してしまった宿題に悩まされることになってしまいます。ですから、自分勝手で欠点が多いあり方を生きることは、成長へのプロセスとして、必要なことなのです。それを恥じたり責めたりするべきではないのです。なぜならば、そうした下積みともいえる学びがあるからこそ英雄になれるのですから。
今、自分の立ち位置が放浪者で、困難や真実に向き合えずに逃げてばかりいたとしても、決してそのような自分を恥じたり罪悪感を感じたりすべきではありません。英雄には、うそをついて誤魔化す体験、失敗してみじめな思いをする体験、自分勝手で孤立してしまう体験は、成長へのプロセスとして必要不可欠なものなのです。だから、自分の中にある愚かさ、弱点、醜さを、人類全般が通る道であるとして許し、受け入れることが大切です。自分にもそうであるように、他人にも寛容さを持つことが大切です。人類全般が通る道だとしたら、自分が体験した罪や恥は、自分だけのものではなく、あらゆる人が体験するものだからです。罪を憎んで人を憎まないことが大切なのだと言えましょう。自他の醜さや欠点を拒否すればするほど、それはますます強く存在を主張し、どこまでも追いかけてきます。英雄は、その存在を許し、それと面と向き合い、ありのままを知って反省し、成長に向かうのです。ただし、ずっと愚かなままでいいというわけではありません。英雄にはもっと偉大な存在になる可能性がまどろんでおり、その段階にとどまり続けようとすることは不自然なことです。充分にそのステージを楽しんで、ステージの課題を乗り越えることができたならば、次のより成長した自分へと変容を遂げていくのです。

 

②勇気こそが成長を促す

 ヒーローズジャーニーを読み解くと、英雄が成長するために必要なことは、単なる頭のよさやテクニックではないことが分かります。そうした小賢しさは、英雄が直面する死の恐怖には通用しないのです。成長と正義には危険がつきものです。 英雄が故郷を後にして成長の旅に出ようとすると、裏切者扱いしてくい止めようとするものが現れます。英雄が正義をなそうとしたら、闇の圧倒される権力が攻撃をしてきます。そうした非難や攻撃の恐怖を乗り越えるために必要なものは、小賢しさやテクニックではなく、勇気です。勇者が成長し、正義をなそうとするときに邪魔をするのは、勇者自身の恐怖であり、その恐怖を乗り越えるために必要なものこそが勇気なのです。決して大それた蛮勇が必要なのではありません。欠点も含めて正直に自分を語る勇気、相手を攻撃するのではなく愛していると言いう勇気、そして真実の自分を裏切らない勇気です。
 さて、それでは、どうすれば勇気を持てるのでしょうか?実は、勇気は獲得するものではありません。もともと人の美徳として存在し、まどろんでいるものです。太陽が存在しないわけではありません。雲が厚くたちこめているので光が見えないだけなのです。ですから、勇気を取り戻すために必要なことは、厚くたちこめた雲を吹き払うことです。雲とは、自分を信じられない心、自己嫌悪、葛藤、自己憐憫、罪悪感、恥の思い、恐怖、不安、などです。それらの暗く重苦しい思いを受け入れ、許し、手放していけば、自信と愛と勇気は自然に回復してくることでしょう。

 

③勇者の人生にドラゴンはつきもの

 世界中のどのような神話を探しても、ドラゴンが存在しない英雄譚は存在しません。英雄にとって、ドラゴンに象徴される痛みや苦しみ、耐え難い困難はつきものなのです。人も同じであり、この世で生きる限りは、痛みや苦しみ、困難を避けることはできません。うまく逃げ切る方法は存在しないし、たとえ逃げ切れたとしても、成長をすることができないので、勇者にはなれません。ヒーローズジャーニーの視点からすると、困難は避けるものではなく、直面して立ち向かい、乗り越えるものなのだと言えましょう。人は、困難にであい、もがき苦しみ、対処法を考え抜いて、自分を鍛えて成長し、壁を乗り越えることで成長していきます。人の成長には痛みがつきものなのです。
 痛みを嫌い、困難を拒絶し続けると、自分の中で、弱いダメ人間としての自分、被害者としての自分の自己イメージが育まれます。弱いダメ人間としての自己イメージは、言い訳し、正当化し、うそをつきます。被害者としての自己イメージは、周囲を敵とみなし、防衛し、反撃します。欠点を持ちながらもそれを変えようとはせずに相手を責めて相手を変えようとします。それは、もはや勇者ではなく暴君です。
 勇者は、どのような困難であっても、起こるべくして起こったことであり、自己成長のチャンスでもあると認識して、前向きにとらえ対処します。その過程で「何とかなる、大丈夫だ」という自己イメージ、確信が育まれて、困難を通して、反省し、学び、成長を遂げます。暴君として生きることは得策ではありません。自己防衛で疲労困憊するし、努力の割には一向に事態は好転しないし、友は去って孤独になります。一方で、勇者は、自分の弱さや欠点をおおらかに受け入れて正直に語り、仲間とともに笑い飛ばします。素直に反省して、対処方法を学び、今後は、同様な困難があっても容易に乗り越えられるようになります。あなたは、一度の人生をどちらの生き方で過ごしたいですか?

 

④新しい挑戦こそが自分の中の未知なる偉大さを引き出す

 人は、ややもすると日常に埋没しがちです。そこは文句や不満はあれども、安心できる領域であり、ストレスなく快適に過ごすことができる小部屋です。狭く限定された領域を出て、英雄としての成長に踏み出すために、いろいろな形で誘いを受けますが、快適な小部屋に固執する場合は、全ての働きかけを拒絶し、自分の部屋に引きこもります。しかし、そうした態度を続ける事は、決して自然なことではありません。人には、もっともっと大きく偉大なる可能性がまどろんでいて、その可能性を実現させることこそが、人の究極の使命だからです。
 狭く限定された快適ゾーンを抜け出すには勇気が必要です。なぜならば、小部屋の外には、思いもよらない危険があるからです。しかし、日常に埋没していた時には見えなかった自分の新たな可能性が顔をのぞかせるときは、思いもよらない危険に直面した時です。どうすればよいのか分からずにもがき苦しむときこそが、自分の新しい側面を引き出すチャンス、英雄としての成長へのチャンスなのです。
 だからと言って、やみくもに大それた危険に立ち向かうべきではありません。準備が整ってない課題に挑戦することは、無謀であって自然ではありません。それは、パニックゾーンと呼ばれる危険な領域であり、決して満足のできる成功には至りません。むしろ、必要の無い傷を受けて、長く苦しむことでしょう。
 挑戦は、程よいリスクに挑戦することが大切です。しっかりと目を開いて自分の人生を注意深く見つめたならば、聞こえてくる誘いの声、提示されてくる課題は、みな、こうした程よいリスクへの挑戦であるものです。人生に訪れるさまざまなイベントこそが、こうした今の自分にとってちょうどよい程度の挑戦への誘いでもあります。だからこそ、人生のもろもろの出来事を嫌ったり拒否したりせずに、誠実に向き合い、困難から逃げずに学び、準備を整えて乗り越えていこうとすることが大切なのだと言えましょう。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑮ステージ12 賢者

ステージ12 賢者

 仙人は、古き自分を脱ぎ捨てて大きな輝かしい自分へと生まれ変わります。その悟りの技術は、秘伝であり、成就することは容易ではありません。しかし、悟りを得た人は、その悟りを伝える義務があります。伝授し、成長を促すことは容易ではないので、迷いますが、覚悟を決めて故郷に帰り、真実を伝え始めます。
 かくして、仙人は、賢者へと変容を遂げることになります。
 賢者は、真の自己との強いつながりをいつも維持しており、真の自己としての精妙で力強い至福感を日常で体験しています。ですから、自分が幸福になるために必要なものは少なく、他に要求することは、ほとんどありません。賢者は、隠し事をする必要がないので開放的でフレンドリーです。賢者は、防衛する必要がなく、とげとげしい態度は微塵もありません。いつもゆったりと平和的で、穏やかにふるまいます。賢者の日常の暮らしの中に、その叡智と光が差し込み、周囲の人たちの間に混乱があったとしても、自然に解きほぐされて、平和になり、充実した楽しい雰囲気に満たされるようになります。賢者は、そこにいるだけで、その周囲の人たちを幸福にするのです。
 賢者は、周囲の人たちに、人としての礼儀を求めますが、決して権威者としてはふるまいません。思いがけないほど気さくであり、フレンドリーです。賢者は、人の人としての痛みを知っており、人が間違いを犯す存在であることも知っているので、愚かな人たちを裁きません。そのありのままを受け入れて、愛します。時に叱ることはありますが、それは、憎しみではなく大きな愛の鉄槌であり、相手のかたくななハートをノックし、深い感動を与え、相手が主体的に成長しようとする意欲を搔き立てるきっかけとなるのです。
 賢者は、良き指導者です。自分自身は、充分に満たされており多くを望まない代わりに、弟子たちの成長を願うのです。弟子を深くよく理解し、課題を見極めます。弟子の課題に応じて工夫された指導を行い、最も効果的に育成していきます。指導は、言葉だけではありません。言葉ではとらえられないより精妙なエネルギーを体験を通して体得していくように促します。弟子たちが、安全に学べるように、物理的な環境はもちろん、心理的、魂的な環境も整えます。邪を清め、聖なる力で満たすのです。それは、あまりにもさりげないものなので、弟子たちは気づくことも感謝することもできませんが、そうした庇護は確かに存在します。賢者のそうした気高い愛のもとで、弟子たちは育っていくのです。
 賢者は、良きアドバイザーでもあります。高い問題解決能力と人間関係能力を持っているので、周囲の人たちの抱えている問題を、高い視点、多様な角度から観察し、最適な方法を練って、解決に導くことができます。ですので、周囲の人たちは、賢者に、事あるごとにアドバイスを求めるようになります。賢者は、地域社会の良き相談役として、地域社会の平和と幸せに大きな貢献をするのです。
 賢者は、良き薬師でもあります。健康の仕組みに習熟しており、病気の意味と原因、その対処法を深いレベルで理解しているので、診断は正確であり、最も効果的な処方をして、周囲の人たちの病気を治します。そもそも、賢者は、病気が起こらないような雰囲気、自然なありかたを周囲にもたらします。賢者の内面の至福と平和のエネルギーが周囲に放射されて、周囲は、自然な形で邪が祓われ、寄り付かなくなります。周囲の人は、それがあまりにも自然であるので、気づくことはありません。当たり前のことと思って感謝することもありませんが、賢者の太陽の力は常に周囲を明るくしています。賢者は、その存在そのものが薬師なのです。
 賢者は、獲得した叡智を整理統合して、自分なりの哲学の体系を確立します。それは、嘘のない言葉で組み立てられた誠実な論理であり、読む人に生き方を指し示す聖典でもあります。しかし、賢者は、その自分なりの考え方や主張にも次第にこだわらなくなってきます。それとは違う主張をされても、論戦を挑もうとはせずに、異なる主張に耳を傾けようとします。言葉による表現は、所詮は真実の影であって、どんなに美しい文章であっても完璧には到底なりえないことを理解したからです。だから、どんなに権威ある文章であっても、社会が評価するほどの価値はありません。真実は、その言葉のはるか上の世界に存在しているのですから。
 時に、賢者の語る真実を快く思わない者たちもいます。真実は、愛と光であり、決して権力や支配、暴力を肯定しません。ですから、権力者や支配者、暴君の振る舞いは、真実には立脚していません。彼らが立脚しているのは、闇が語る詭弁なのです。闇は光には勝てません。だから、闇は光を恐れ、怒り、あらゆる陰謀を講じて排除しようと努めます。闇は分割して統治します。光が仲間を得て勢力を増大させることを恐れ、仲間の一部に罠をかけて誘惑して裏切者を作り、チームを切り崩して光を孤立させます。詭弁をもって光を悪者にでっち上げ、万民から分離し、万民から攻め殺させようとするのです。賢者は、そうした人の欠点、権力者たちのふるまいを理解して、真実を語る時には注意深くある必要があります。
 闇は、戦うことで滅ぼすことはできません。この世に責められ殺されるべきものは存在しません。存在するからには、狭い了見では計り知れない訳と役割があります。闇があるからこそ光の美しさを学べるのです。だから、暴力で排除しようとする試みは、決して最善の策ではありません。闇は、光の欠如=影であって実体はありません。闇を祓うことができるのは、光だけです。痛みは欠乏の結果であり、実体はありません。痛みをとることができるのは、欠乏を満たすことができる愛と思いやりだけです。ただ、光や愛をもってしても闇や痛みを急激に消すことはできません。闇が構造と力を手にするためには、気の遠くなるほどの時間と努力を費やしており、一朝一夕には解体することはできません。痛みには強いネガティブなエネルギーが取り巻いており、パンドラの箱を不用意に一気に開けてしまうことはとても危険です。それを癒やすためには、一滴ずつ、一滴ずつ、ゆっくりとデリケートに進めていく必要があります。賢者は、そのダイナミズムをよく理解して、不注意によって闇を刺激し、必要のない対立を起こす愚を避ける必要があります。ゆっくりと急がずに、思いやりをもって光を放ち、結果的に闇を静めていくのです。
 賢者は、天地とつながり、大自然の英気を集めることによって、子供のようなみずみずしく楽しく元気な心を取り戻します。言葉によって解釈する代わりに、初めてそれを見たような新鮮さをもってあらゆるものを興味深く味わいます。普通の人にとっては日常の飽き飽きとした風景であっても、賢者は、そこに新鮮な美しさを感じるのです。今ここには、深い深い秘密が隠されています。それは、とても精妙で力強く美しいものですが、準備が整った人にしか開示されることはありません。賢者は、長い修行を経て、今ここの力にアクセスすることができます。その力は、言葉では表現できません。言葉は、対象と自分を分離して、対象を上から目線で名付けることによって対象を操りますが、今ここの力は分かつことのできない自分自身の力なのです。ですから、他人行儀に名前を付けて操ることはできません。できることは、それを直接的に体験することだけです。賢者は、日常のありふれた世界に流れる今ここの美しさを自分として体験し、その至福を感じるのです。賢者は、生き生きとした自然の息吹を楽しみ、自然の生命力を自分に吸収することを通して、次第に不自由な言葉にこだわることをやめて、自然児のような自然で素朴でみずみずしく、魅力的なありかたを取り戻します。
 かくして、賢者は、新しい次元の自然児となり、また新たな次元の英雄の旅へと旅立ちます。成長には限りがありません。ゴールにたどり着いて暇になることはありません。成長の可能性は永遠であると同時に冒険すべき領域も無限なのです。賢者は、一つのゴールを迎えると同時に、新たな冒険へと準備を整えていくことになるのです。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑭ステージ11 仙人

ステージ11 仙人

 覇王は、大きな力を持つ宝を守り続けるために覇王となり、組織を束ねる権力者となります。しかし、その責務は重く、次々と起こる問題に対処しなければなりません。また、自分の在り方、特に自分の中の欠点によって引き起こされるさまざまなトラブルを解決していく必要に迫られます。覇王は、こうした多くの苦労を通して、自分を見つめなおし、自分の中に残っている痛みや恐怖、怒りや復讐心、劣等感や罪悪感を癒し、徐々に自分の中にたちこめていた厚い雲を吹き払っていきます。心の中に存在する恐怖こそが自分の中の小さなエゴが渇望する欲求のエネルギー源となります。死への恐怖、食事を得られない飢餓の苦しみ、住まいを奪われることの不安、仲間外れにされることの恐怖、などなど、多くの懸念や恐怖こそが、戦って奪うこと、土地を獲得し城を作ること、抜きんでる存在になること、勢力を大きくすることのエンジンとなります。覇王は、多くの苦労に直面し、人格が陶冶され、成長することによって、恐怖の正体を見極めて、痛みや恐れにとらわれなくなっていきます。それに伴って、今までとめどなく沸き起こってきた欲望や渇望が弱くなり、おおよそ恐怖をエンジンとする欠乏動機から自由になっていきます。動物的な飢餓や性欲、支配欲、物欲、権力欲に至るまで、以前のような求めてやまない渇望が弱まるにしたがって、権力を部下に委譲し、財宝を分け与え、多くの職務を部下たちに任せ、任を辞して、自由になっていきます。
 かくして、覇王は、仙人へと変容を遂げることになります。
 仙人に唯一残っている望みは、悟りであり、仙境に参入することです。しかし、冒険の世界と仙境(故郷)の世界の間には関門があり、境界の門番が控えています。仙境の世界には、穢れを持ち込むことはできません。仙人は、境界を通るために、冒険を通して身につけてしまった多くの穢れ、戦いで流された血、怒り、悲しみや絶望、恐怖やうらみ、自責の念などの重くくすんだエネルギーをみそぎ祓い清めます。こうして、仙人は、恐怖に由来する執着を手放し、死や喪失を受け入れ、身軽になって自由になるのです。
 境界における検査は厳しく、徹底しています。仙人は、テストをパスするために、徹底した修行を続けます。食べ物を選び、清い水を飲み、体を整えます。呼吸を工夫して体内の邪を祓い、大自然の清いエネルギーを取り込みます。瞑想し、祈り、天地と感応します。仙人は、いたずら好きで、笑うことが大好きです。笑いと言っても皮肉な笑いや冷笑ではありません、それは豪快で恰幅のいい笑いです。時に寂しくなって、下界におりて様子を探ったり、ちょっといたいたずらやちょっかいを出して人助けをしたりしますが、多くは、再び山にこもって修行を続けます。下界では修行が進まないからです。
 仙人の修業は、必ずしも短時間で済むわけではありませんし、努力したからと言って必ず合格できる保証もありません。仙人は、根気強く行を継続し、気づきを深め、境地を高めていきます。行を通して、仙人の中にあったあらゆるエゴの痛みのエネルギーが癒され、力を失います。時に、頑固で強力な執着は、ハンマーで破壊され、分解されて、雲散霧消します。そのプロセスは、自我の死のプロセスであり、まさに仙人は今まで自分を構成していた自分の死を迎えることになります。しかしだからと言って仙人の存在が消滅するわけではありません。仙人の本質は、自我ではなくて、その背景にあるより精妙な輝きです。自我が人生を主導しているときには、その背景にある精妙な輝きは影を潜めていますが、自我が力を失い、自我の厚い雲が取り除かれると、背景にあった偉大なる輝きが顔をのぞかせるようになるのです。
 こうして、仙人は、古い自分を構成していた自我の恐怖やそれに基づく執着をすべて手放すことで、事実上の死を体験すると同時に、より精妙な体で天地と共鳴し、そこに輝かしい新たな自分を発見します。自由な光豊かな存在として生まれ変わるのです。
 しかし、一方で、仙人は、一つだけちょっとした気がかりを残しています。それは、懐かしい故郷に、自分が学んだ真実を伝えたいという願いです。故郷の懐かしい人たちと再会し、酒を酌み交わして、楽しくお土産話を語り会いたいのです。気づきや学びというお土産を持ち帰って、故郷の人たちを喜ばせてあげたいのです。
 ただ、仙人は、故郷に戻ることを躊躇します。故郷に戻ったとしても自分が受け入れられるのかどうかを懸念しているのです。故郷の人たちに自分の学んだことを教えようとしても、理解されないかもしれないし、拒絶されるかもしれない、もっと悪いことに悪用されるかもしれないと心配しています。しかし、残念ながら、その心配は、多くの場合ほんとうに起こる可能性の高い予言であって、実際に懸念したようになる可能性が高いのです。仙人は、故郷の人たちの理解力や学習の可能性を全面的には信じてはいません。全ての人が、学びを正しく聞き入れ理解し、学びにつなげられるとは楽観していません。自分が帰ることによって、たくさんのトラブルや問題が発生し、自分が学びを伝えることで、幸せどころか不幸をもたらしてしまう未来の危険性を見通しているのです。ですので、仙人は、故郷に帰ることに迷いを生じます。山籠もりも決して不幸せではないし、住めば都です。なにも、この平和で楽しい生活を手放し、危険をおかしてまで、または、いらぬ苦労を背負ってまで故郷に帰る必要はないと感じるのです。結果、多くの仙人は、故郷に帰ることをあきらめます。
 仙人は自由であり、故郷の世界に戻らない選択をすることを決して責めることはできませんが、仙人が学んだ貴重な悟りを、多くの人たちに分かち合えないことは、この上ない残念でもあります。一度でも光明を得た人には、責任があります。光を信じることができずに絶望の中で苦しんでいる人や、迷っている人、より深い罪を犯そうとしている人に、「何を弱気なことを言ってるのだ!」と喝を入れなければなりません。「君は捨てたものではない、君ならできる!」と勇気づけなければなりません。そして自らの光を取り戻すための教育、お手伝いをして、悟りの後継者を育成する必要があるのです。
 本来であれば、故郷の人たちの意識が、仙人の学びを謙虚に受け入れて学ぶことができるまでに成長していることが大切であり、それがかなわない現状で、仙人に必要以上の自己犠牲を強いることはできません。あくまでも、故郷の人たちが、自力で学び、成長を遂げて、学びを受け取る準備を整えることが前提として必要なのです。その努力をせずに、教えてくれないことを責めるわけにはいきません。準備ができていない人には開示できない秘密があるのですから。ただ、故郷のすべての人たちが準備を整えることができていないわけではありません。成長の可能性はそこかしこにまどろんでいるはずです。仙人は、そのような可能性を粘り強く探求し、故郷を見捨てることなく、面倒くさがらずに、万難を排してあらゆる伝授の方法を探していくことが課題となります。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑬ステージ10 覇王

ステージ10 覇王

 勇者は、戦いに勝利することによって、貴重な宝を得ることができます。しかし、その宝は、大きな力を持つものであり、良くも悪くも世界を変える可能性のあるものでもあります。その力を求めて、奪いに来る者もいるでしょうし、奪われてしまったら、悪用されて、国や世界、地球に害悪を及ぼすかもしれません。また、勇者の死後、上手に宝を継承できないかもしれませんし、後継者たちが宝の扱いを間違えてしまう危険性もあります。宝のパワーが強力であるがゆえに、勇者は、それらの懸念に対処する必要に迫られます。宝を守り、継承していく方法を探るのです。
 かくして、勇者は、覇王へと変容を遂げることになります。
 覇王は、宝を奪おうとする者たちから宝を守るために、体制や構造を作ります。国をおこし、城を建て、城壁を固めます。敵に負けないように、兵力を増強し、国土を広げて収穫を増やし、国力を高めます。宝の力は、その勢力増強の源泉でもあります。宝の魅力によって、多くの人の注目を集め、優秀な人材や富を集めて、急速に勢力は拡大していきます。また、覇王は、後継者の手配も怠りません。組織を作り、ルールや法律を定め、協力体制を整えます。宝を守るための方法を確立し、教育を通して人材を育成し、揺るがない盤石の伝統を構築します。かくして、覇王は、諸国列強に覇を唱える王者となるのです。
 覇王の恐れるものは、無秩序と制御不能です。覇王がリーダーシップを発揮しなければならない対象は、もはや自分やチームの範囲をはるかに超えて、大人数の組織、国、勢力圏となります。自己イメージが、小さな自分を超えて、組織や国家、国家連合へと広がるのです。覇王は、巨大化した自己を上手に統制しなければなりません。やり方によっては、平和で幸せを実感できる世界となりますが、方向性を間違えると、対立、勢力争い、陰謀、不正義がまかり通る無秩序状態となってしまいます。それは、ほんの少しのずれであっても、末端に至る時には大きな波紋となって影響を及ぼしますので、毛ほどのずれも起こさない注意深さが必要です。また、悪貨は良貨を駆逐するの例えの通り、組織の中の邪悪さを見逃すと、その広がりはあっという間です。気づいたらもう戻ることのできない隘路にはまってしまうことになるので、いち早く邪を見つけて祓うこと、組織の風土を善良で健康なものにする努力を怠ることはできません。
 覇王は、こうした、多くの管理や仕事を、自分一人でなすことはできないので、組織を通して実現することになります。ある意味で、組織とは、覇王の体であり、覇王と組織は一体です。覇王の人格が高く、洗練されている場合には、組織も同様に高い意識と思いやりによって、風通し良く、お互いに信頼し、助け合って、効率よく動くことになりますが、覇王の人格が低く、洗練されていない場合には、その悪影響が露骨に組織を通して現れることになります。部下たちは、覇王の悪いところばかりまねて、覇王の持つ自分勝手でわがままで残酷な最も悪い欠点を受け継いで、その小さな覇王の権化として悪徳なふるまいをします。組織の中に悪意や陰謀、嫉妬や憎悪などがたちこめると、たちまち風通しは悪くなり、各種ハラスメントが横行し、構成員のモチベーションは下がります。結果的に、効率は悪化し、業績は頭打ち、もしくは下降傾向になり、それだけではなく、大きな不祥事が発生する危険性も高くなります。
 覇王は、こうした組織風土の悪さを幹部や部下のせいにするべきではありません。広い目で見た場合は、悪徳の発生源はトップにあります。類は友を呼ぶように、トップの性質に共鳴する人たちが縁を持って集まってきますし、トップが語りふるまうように部下たちもふるまいます。その際、トップの美徳や高い意識からくるものは、基本的に模倣が困難なので、部下たちにとって身近に感じる低い意識、欠点をよく見て、まねるのです。ですから、組織は、トップの美徳の部分の反映というよりは、悪徳の部分の反映となりがちです。だからこそ、覇王の人格の完成が必要となるのです。
 ゆえに、覇王にとっての課題は、自分の人格を高めていくこと、自我という狭い枠組みを乗り越えて、組織や国家、人類への貢献という高い志を持つことになります。覇王は、自分の中の欠点の多くを克服する必要があります。もはや感情の赴くまま、好きなようにふるまうことはできません。自制心をもって万人の見本となる必要があるのです。覇王は、自分の中のいまだ癒やされていない痛み、焦げ付くような渇望、欠乏の恐怖に注意深くある必要があります。そうした側面を癒し、騒ぎ立てるエネルギーを開放し、悪徳に支配されるのではなく克服していく努力をする必要があります。そうした欠点は魔がたちいる隙間となり、覇王の考え方や意思決定、行動に魔が差す機会を与えることになります。トップのちょっとした間違いは、組織全体に深刻な悪影響をもたらし、数倍になって重大なトラブルを引き起こしかねません。トップのあり方は、想像以上に重要なのです。覇王は、そうした自分のエゴという狭い了見の望みをいち早く癒し、とらわれることを止めて、もっと大きな自分である、家族、国、人類という大きなスケールの幸せを追及することが大切です。覇王は、大志をもって大志に忠実に、揺るがない強い心で多くの人たちの人生に貢献するのです。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑫ステージ9 勇者

ステージ9 勇者

 変革者は、最強最大の敵である旧体制を倒し、新し創造をもたらします。変革者は、勝利を得ることによって、貴重な宝を得ることになります。その宝とは、金銀財宝と言った豊かさだけではなく、学びや成長、仲間との友情、深層心理の深みから得た気づきや教え、悟り、チームを導くリーダーシップ、権力、などの形のないものであったりもします。変革者は、奇跡的な成功を達成することによって、もはや以前の自分ではなくなります。勇者の称号を得て新しい自分へと生まれ変わるのです。
 かくして、変革者は、勇者へと変容を遂げることになります。
 勇者は、勝利者です。困難に勇敢に立ち向かい、勝利することによって、勇者としての称号と地位、権力と力を得ることができます。勇者は、今まで自分をしばりつけていた多くの思い込みや呪い=自己嫌悪、恥、自己憐憫、自責、悲嘆、絶望、悲観を吹き払い、新しい称号を受け入れて勇者として生まれ変わります。それは、名前が変わっただけではなく、意識や考え方、態度や行動まで変わります。負け犬としてかがめていた背筋が伸びます。絶望して伏し目がちだった目が前を向きます。恐怖でくすんでしまった顔色が輝きを取り戻します。勇者のふるまいは自然であり、過度な緊張や警戒はありません。不安な未来や陰鬱な過去に気を取られるのではなく今ここに集中し、今ここの大きな至福とつながって豪快に笑うのです。それは、ヒマワリがバラに変わったわけではありません。勇者はもともとの自分の中の勇者を取り戻したのです。太陽が存在しなかったわけではありません。あまりに恐怖と不安のくもが厚く立ち込めていて光が見えなかっただけなのです。勇者は、自分の中の呪いである恐怖と不安を吹き払って、自分の中の光を取り戻し、表現し始めたのです。勇者のみなぎる明るさや喜びは強烈であり、その輝かしさやエネルギーに影響されて、周囲の人たちも元気で明るく前向きになります。勇者の言葉には、うそや皮肉がありません。沸き起こる情熱は希望の言葉となり、あふれんばかりの喜びは幸せをもたらす物語となります。勇者はその力ある言葉で人を勇気づけ、元気と愛をもたらします。勇者はまさに周囲の人たちにとっての太陽でもあるのです。
 勇者は、言い訳したり人のせいにすることを止めます。そう感じるのは、エゴという狭い了見で裁いているから感じることであり、決して真実ではないことに気づいているからです。勇者は、起こる出来事や出会いは、全て偶然ではなく、起こるべくして起こったことであり、雪のひとひらひとひらが落ちるべきところに落ちるように、出来事も1mmのずれもなく起こっていると考えます。その出来事が、例え悲惨で不条理で、起こるべきではなかったと怒りを感じることであっても、そこには必ず前向きな意義が隠されており、そこから何かを学ぶことが大切だと知っているのです。ゆえに、勇者は、すべての責任を自分で引き受ける覚悟を決めます。トラブルが起こった縁をもたらしたのは自分であり、自分が反省し、自分が学ぶこと、成長することによって、どのようなトラブルでも乗り越えることができるという確固たる自信を得るのです。だから、勇者は、もろもろのことを無視したり、言い訳したり、人任せにしたりしません。全てを引き受けて、主体的にかかわり、改善すべく努力するのです。
 しかし、一方で、成功や勝利には、うぬぼれや傲慢さという罠が潜んでいます。人生の中で最も危険な時は、ピンチの時ではなく、成功に酔いしれてつけあがっているときです。ピンチの時は、周囲はそれを知って同情し、さまざまな形で応援をしてくれるものですが、うぬぼれてつけあがり人を見下す態度を取りはじめると、周囲の目は厳しく、あっという間に信頼を失い、人望を失います。傲慢さで失敗した人は、その後どんなに困難な状況になっても、もう誰も応援してくれなくなってしまいます。傲慢さの失敗は、挽回が難しいのです。勇者が為しえた大成功は、この危険な罠がつきものであって、注意深くある必要があります。勇者の成功が大きければ大きいほど、それは、自分だけの力でできたものではありません。友人たちとのチームワークや運、天の采配の為せる技であって、それらに対する感謝の気持ちを忘れてはいけません。このうぬぼれや傲慢さを克服することこそが、勇者にとっての第一の課題と言えましょう。
 また、逆に、低く否定的な自己イメージの呪いを解ききることができずに、いまだに卑屈な意識を持ち続けて、勇者としての自分に尻込みしたり、自分に注目が集まることをおびえたり、リーダーとしての責任を担うことに怖気づいたりすることもあります。謙虚さと自虐は違います。謙虚さは、自分も相手も大切だと思える心情であり、人間関係が長続きします。しかし、自虐は、自分を嫌います。自虐の人は、縁の薄い遠い関係性の人には礼儀正しくふるまうので、謙虚な人だと勘違いされますが、相手が近づけば近づくほど自分に対するマナーを人間関係に投影します。自分に対しで虐待するように、相手に対しても暴言を吐いたり暴力をふるったりようになるのです。人は、自分にするように人にするのです。
 謙虚ではあるべきですが、自虐は慎まなければなりません。もし勇者が、いまだに自虐の罠にはまっており、自分の内面で分離と葛藤を持ち続けていたとしたら、自分の中の不穏さ、暴力は、外側に投影されて、人間関係やチームワークの中で、強引さ、ハラスメント、暴力が散見されるようになります。自制がきいている分にはまだその出現も少なく済みますが、大きなプレッシャーやストレスにさらされて、恐怖や絶望にこうべを垂れてしまったならば、もはや良心の自制は効かずに不正をなしたり、暴力をふるうことに躊躇がなくなります。かくして、勇者は暴君へと変容してしまいます。
 実は、勇者と暴君は同じコインの裏表です。どちらに転ぶかは、健全な自己認識を得られるかどうかにかかります。勇者としての自分を受け入れ、信じることができる健全な自尊心を持てている場合は、長所も欠点も含めたありのままの自分を受け入れ、痛みや失敗も含めた自分の人生を祝福し、かっこよいも悪くもある自分のすべての側面を愛することができます。自分を愛するように、他者の存在も尊いと認識し、他の欠点や失敗、愚かな側面も自分同様にその存在を受け入れる度量、清濁併せ呑む度量があるのです。自分の中の欠点を認めるということは、自分に甘いということではありません。それは、誤魔化そうとする自分を厳しく制御し、しっかりと反省できるということであり、今後に向けて成長できるということでもあります。
 一方で、自分の中の一部を嫌悪し、受け入れられずに否定している場合は、自分の中のその欠点が他人に暴露されることを恐れるあまりに、欠点の存在を全否定します。自分の中の醜さこそが自分の本質ではないかと恐れており、醜さを克服する事ができないのではなかと心配し、自分が成長する可能性を信じることができないので、自分が反省して変わるべきだというアイデアや指摘を拒絶します。自分に欠点が確かに存在するのに、詭弁をもって「自分は悪くない」と主張します。「自分は完璧であり、変わる必要がない。悪いのはあなたであって、あなたが変われば問題は解決する」と主張するのです。完全無欠で非の打ちどころのないファンタジーの自分を自分だと信じ込んでおり、そのような自画像を他者にも信じ込ませようとします。それは、うぬぼれであり傲慢だということなのですが、本人は他人にそう映っているとはつゆ知らず、裸の王様になってしまいます。
 自分の中の欠点を嫌悪するので、他者が持っている同様の欠点にも敏感です。他者の長所ではなく欠点ばかりを見るようになり、それを指摘し、攻撃して、矯正するように勧告します。しかし、実は、嫌悪し、直せと言っている他者の欠点は、自分の欠点なのです。自分の中の問題を相手に見てそれを責めることを投影と言います。投影の罠に絡み取られると、反省すべきは自分ではなく他人だと思い込んでしまいます。変わるべきものは自分ではなく他人であると感じるのです。ですから、本来自分の欠点であるので自分が反省し変わらなければ本質的に問題が解決しないにもかかわらず、それを相手の人や環境のせいにするので、いつまでも成長することもできないし、本質的問題を解決することもできません。投影の状態では、歩けどもあるけどもたどり着かず堂々巡り、がんばってもがんばっても空回りをしてますます事態は悪化する、知らないうちに友が去り、孤独になっていく、そんな罠にはまり込んでしまうのです。
 変わらなければならないのは他人ではなく自分だったのです。勇者とは言え、成長のプロセスにあり、ゴールにいるわけではありません。まだまだ克服すべき欠点があるし、成長の偉大なる可能性もあります。欠点があるからと言って、それは決して自分の本質ではなく、痛みを持った小さな自分、生傷を守ろうとするかさぶたたのです。光は、そうした傷や痛みから差し込んでくる。痛みは成長のチャンスでもあるので、拒否したり恐れたりすべきものではありません。痛みを受け止める度量、反省につなげる謙虚さ、そして成長を信じる勇気こそが自分の本質なのです。勇者の2つ目の課題は、自分の本質は決して醜い愚かさではなく、輝かしい勇者なのだと気づくこと、自己卑下や自虐を止めて、健全なる自尊心を取り戻すことです。偉大なる自分の側面に怖気づかずに受け入れること、そして、人から注目を集めることを恐れずに楽しむこと、リーダーとしての責務を受け止めることが大切なのだ言えましょう。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え