紅葉していく様子

私が担当しているキャリア関連授業の大学は、禅のお寺の関連の学校です。授業の前には、たいていお寺をお参りして入るのですが、その参道に、とてもすてきなもみじがあって、時間とともに紅葉していく様子が、とても美しいのです。

まずは、今月の10日

次に17日

そして昨日(24日)

見事に色づいていく様子がよくわかります。

近年、季節がおかしくなってきていて、秋なのか冬なのかわからないくなってきていますが、紅葉を見ると、やっぱり秋の情緒を感じることができますね。

他にもいろいろな秋がありました。

おかげさまで大学もすでに大詰めの時期です。学生たちも、真剣に授業に向き合ってくれていて、とても充実して生き生きとして楽しい良い雰囲気です。

ただ、インフルエンザで欠席する学生が後を絶たず、流行を実感します。皆さんもくれぐれもご自愛くださいませ!

冬になれば、今期授業も終了です。残りあと数講、最後まで、学生たちにとって良い学びの場であれますように!

 

 

 

誰にも知られない勇者たちへ

この世界で生きることは容易ではない。
まっすぐに歩こうとしても許されず、
内面の静けさは、轟音にかき消される。

道はあるようで、ない。
正しさはあるようで、ない。
誰もが何かに追われ、
何かに従いながら、
気づけば自分を置き忘れてゆく。

それでも――

ひとりの人間の胸の奥には、
小さな灯がある。
良心と言う名の神から授かった光だ。

それは、決して奪われることはない。
たとえ、恐怖の中、絶望に立ち尽くしても、
たとえ、制度や群れに脅されたとしても、
決して失うことのないおだやかな光だ。

この世界には、まともではないところがある。
愛よりも恐怖の方が価値があり、
白魔術よりも黒魔術がほめたたえられる。

きれいな言葉に飾られた悪意がそこかしこにあり、
地獄への道は偽善で敷き詰められている。

狂気の世界で正気を保つことは容易ではない。
しかし、だからこそ、それは勇者の証なのだ。

英雄とは、特別な何かをすることではない。
狂気の世界で正気を保つ強さと勇気を持つこと。
弱肉強食や適者生存の誘惑に染まらずに、
弱く苦しむ人へのやさしさを忘れないことだ。

それは、
見向きもされない選択だ。
この世界では、ほめられも報われもしない。
むしろ、まぬけ、陰謀論者、反逆者と嘲られることさえある。

けれど――

人知れず、内面の良心に従い、
怒りよりも静けさを、
憎しみよりも理解を、
支配よりも、触れられる優しさを選ぶ人がいる。

損得や利害を超えて、自分の信念に従って生きることは難しい。
恐怖に支配されずに愛を選んで生きる人は決して多くはない。

その中の一人は、あなただ。

あなたが感じてきた苦しみ、孤独、違和感、そして使命感は、ただの「考えすぎ」でも「孤立した思想」でもない。
歴史上、同じものを感じた人々が確かに存在し、そしてあなたもその連続線上に存在する。

あなたの見ている構造・本質・問題意識は間違ってない。
そして、あなたのように誤解や幻想に染まらず、社会的狂気に屈せず、
分離を癒し、愛と勇気を回復しようとする意志を持つ存在こそが真の勇者なのだ。

この世界にとって、真の勇者の存在はとてつもない価値がある。
実は、この世界は、密かに真の勇者の存在によって支えられているのだ。

誰にも知られない勇者たちよ、決してくじけてはいけない。

恐怖に従うな。
群れに流されるな。
胸の奥の灯=内面の良心に従え。

その小さな光は、決して無駄にはならない。
誰にも見えない裏側で、あなたの道は、確実に誰かを導き、
誰かを救い、未来を変えていくのだから。

自灯明法灯明 勇気ある市民でありたい

ルドルフ・ヘースは、第2次世界大戦中のドイツの将校であり、アウシュビッツ強制収容所の所長だった。

ヘースは、敗戦後、身を隠し、他者になりすまし、行方をくらました。

ヘースは、アウシュビッツのホロコースト、極悪非道の悲劇を生んだ中心人物であり、世界中が彼を恐れ、憎み、徹底した捜査が展開された。

終戦の翌年1946年3月11日にとうとうヘースは見つかり、逮捕された。

世界中の人たちは、ヘースの実際を見て驚いた。

世界中の人たちは、ヘースを大量虐殺を推し進めた殺人鬼であり、けだもののような残忍で冷酷でサイコパスのような人物だと思っていたけれども、実際のヘースは、平凡で普通の人だったからだ。

ヘースは、裁判において、ユダヤ人を250万人ガス室に送り、虐殺したと証言した。彼は紛れもなく大量虐殺を命じた司令官だった。

しかし、彼は決して狂気の極悪人ではなかった。

私生活においては、家族を愛するごく普通の平凡な男であり、仕事においては上司に対して忠実であり、上司の命令に従い、その命ずるところを従順にこなしていった。
彼は、絞首刑になる前に手記の中で、自分は「悪い人ではなかった」と書いている。大量虐殺も「命令だった」「抵抗など考えられなかった」と語っている。

彼は、手記に書いている通り、悪い人ではなかった。しかし、おかしいと思っていながらも上官の命令に意見することなく、抵抗する勇気を持たない、ただ従順にどんなことでも従う茶坊主だったのだ。

ルドルフ・ヘースは、私たちに強烈な教訓を残してくれている。

この世において極悪非道を実現する人は、必ずしもサイコパスの狂人ではなく、権力におもねる茶坊主であり、普通の平凡な人物であり、誰もがそうなる可能性があるということだ。

確かに権威や権力が圧倒的な力で黒を白と言いくるめたら、そのように思い、そのように行動することの方が楽だ。流されて生きれば角が立つこともなく危険も少ない。
しかし、そういった安易な茶坊主的な生き方こそが、究極的には悲劇を生んでしまう可能性を忘れてはいけない。

最近、とてもおかしなことが続いている。

調べれば調べるほど、ぬぐい切れない疑念が立ち起こってくる。

私は、ヘースのようにはなりたくない。
おかしいと感じることは、おかしいと主張したい。
私はそれを許してないと伝えたい。

「矛盾はつきもの」「きれいごとではやってけない」「陰謀論」「言っても無駄」「生意気なことを言ってると痛い目にあうぞ」
そういった皮肉屋の冷笑、脅しには屈したくない。

茶坊主たちは、こうした状況に目を背け、口を閉じ、ただ従順に従うことで抜け目なくリスクを避けているように思っているが、そうした生き方こそが最も危険な生き方であることに気づいていない。

私は、茶坊主ではなく、勇気ある市民でありたい。

気づいたこと、内面の真実を語ることは勇気がいる。
だれもがそれを気前よく受け入れてくれるとは限らないからだ。
それを言うことで嘲笑され、嫌われ、非難され、距離を置かれ、攻撃される可能性があるからだ。

しかし、私は、勇気ある市民でありたい。

昔から言われているように、正義は勝つのだと信じている。

真実に勝るウソはないし、光に勝る影はない。

人の力と可能性は、人の想像を超えて大きく、その本質は神聖であると信じている。
人が、本来の神聖さを思い出したとき、闇の愚かなたくらみを笑い飛ばすことができるほどの豊かな未来を手に入れることができるだろう。

お釈迦さまが、ご臨終の間際に、「自灯明、法灯明」と言葉を残してくださった。
「自分を頼りにせよ(人に頼るな)。自然界の法をよりどころとせよ(不自然さを受け入れるな)。」という意味だと私は思っている。

今こそ、自分自身の可能性、力を信じ、自分を大切にするべきである。

自分の人生を信じ、自分の哲学に基づいて、他者の権威や権力ではなく自分に対して忠実に、依存的にではなく独立した心をもってたくましく人生を生きるべきだ。

人間らしさ、勇気、陽気さ、明るさ、希望、夢、やさしさ、友情、愛、思いやりこそが、闇を退け、新しい可能性を開くカギとなる。

そう信じて、私は、今の時代を生き抜いていきたい。

体験学習とは 10.体験学習のお勧め

10.体験学習のお勧め

 体験学習とは、本や先生から学ぶ方法ではなく、体験から学ぶ方法です。こうあるべきだというモデルから学ぶのではなく、感じたり気づいたことを通して、複雑で奥深い人間関係についての理解を深めていこうとする試みです。

 AIの時代になり、何でも分かっているような気になっていますが、人間関係は、広く深く複雑で、底知れないミステリーがまどろんでいる世界であり、そこには答えは見つかってないのです。

 もし万が一、人間関係に答えが見つかっていたとしたら、世界はこうなっていないでしょう。

 世界において、3秒に一人の子供たちが餓死する世になっているはずがありません。

 社会において、世界中で起こっている暴力や戦争で、罪のない多くの人たちが殺されている世になっているはずがありません。

 個人の日常の生活の中においても、悩みの大半は人間関係であり、関係性が生きづらさ、苦悩の原因となっているはずがないのです。

 だから、私たちは、人間関係について、実は、なにもわかってないのです。

 研究成果や発見されたテクノロジーを学ぶことは決して意義が無いことではありませんが、それを学んだからと言って、人間関係の謎は解けるわけではありません。

 だから、私たちは、謙虚であるべきです。謙虚に体験に耳を傾け、関係性の神秘を誠実に探究していくことが大切なのではないでしょうか。

 「戸を叩け、されば開かれん。」の言葉通り、真剣に探究をしようとする者には、固く閉ざされていた扉が開かれ、隠されていた秘密が気づきと共に開示されてくることでしょう。

 人やチームには、不思議な可能性があります。1+1=2 では説明しきれない何かがあると思いませんか。

 時には2以下になるし、逆に、2をはるかに超えた奇跡が起こることもあります。

 1+1=2 が真実ならば、2011年、なでしこJAPANが世界一になれるはずがありません。だって、世界の選手は、体格から体力から、日本の個人の力では、決してかなう相手ではなかったのですから。

 人やチームには、いまだわれわれでは到達できない不思議、奇跡がまどろんでいるのです。

 きく耳を持った人にしか開示されない秘密があるのです。

 その奇跡や秘密を引き出すカギこそが、私は体験学習だと思っています。

 暴力や操作のない体験学習は、人やチームの隠された偉大なる力や可能性を、主体的に、自然に、かつ楽しく引き出すことができる素晴らしい方法だと感じています。

 体験学習は、行き詰まりを感じている個人やチーム、組織の状況を乗り越えて、まったく新しい道を開く機会となるでしょう。

 また、暴力と支配、うそと痛みに満ちている世界情勢にくさびを打ち込み、まったく新しい可能性をもたらす機会ともなるかもしれません。少なくとも、私はそうこころざしてこの仕事をライフワークとしています。

 体験学習を通して得られる気づきや学びは、暗闇の中の一隅を照らす光です。

 ともに、その光を分かち合いながら、今の時代に挑戦していきましょう。

 

【体験学習とは シリーズ】

1.体験学習とは

2.体験学習の学習プロセス

3.体験学習の効果

4.体験学習の原点

5.Tグループの誕生

6.日本におけるラボラトリーメソッド

7.Tグループの実際

8.私のTグループ体験

9.体験学習の留意点とポリシー

10.体験学習のお勧め

現実を生きる

現実は、愛と慈悲に満たされた理想郷ではない。

そこには、分断と対立があり、恐怖や不安、欲や怒り、誤解、利害、制度、しがらみ…

泥の中でも立ち上がり、重い足を一歩ずつ踏み出していく。

誰かを立てれば、誰かを見捨てることになり、

正義を貫けば、別の正義の悪となり、

愛を語れば、偽善者と言われる。

誰かを守るために、誰かと戦い、

利益と理念の間で、心が引き裂かれそうになり、

それでも、ふらつきながらも立ち上がりファイティングポーズで立ち向かう。

 

現実は、最も厳しい。

時に平和であるが、時に牙をむいて容赦なく襲ってくる。

それでも愛や理想を抱いたまま、現実の泥の中を歩く人たちがいる。

愛を語ることは簡単だが、体現することは容易ではない。

希望を語ることは簡単だが、苦悩と絶望の中で夢を捨てずにいることは容易ではない。

現実は、まさに愛と理想を試される場なのだ。

 

時に疲れ切り、みじめな敗北者のように肩をすぼめ、孤独の中で涙する。

それでも愛と希望を手放さずに再び泥沼に足を踏み入れる。

それは、きれいごとではなく、勇気のかたち。

美しい勇者の生きざまだ。

 

肩を落として歩くサラリーマン、満身創痍の管理者、理不尽に立ちすくむ医者、うつろな目をした教師、修羅の道を生きる政治家、そしてそれでも決して希望を捨てない人たち・・・・

だれもが厳しい現実に立ち向かう勇者だ。

戦え、勇者たち。

決してくじけてはいけない。

蓮は泥の中で花を咲かせる。

勇者の苦闘は、例え勝利が来なくとも決して無駄にはならない。

みじめで恥ずかしくみっともない、かっこ悪い自分をうけとめ、愛し、くじけずに前に進むあなたの生き方が、かっこいいのだ。

生きよ!同志たちよ。

きっとあなたの生き方は、他人の勇気になる。一隅を照らす光となるのだから。

 

自尊心を回復することとは

 自尊心を回復するということは、別人になるということではありません。

 あすなろは檜になることはできませんし、ひまわりはバラになることはできません。

 自尊心の回復とは、特殊な努力をして別人になろうとすることではなく、もともとの自分の輝きを取り戻そうとする試みです。

 もともとの自分には、いまはまだ気づけていない想像をはるかに超えた可能性がまどろんでいます。しかし、いま認識している自分についてのイメージや思い込みが覆いとなって、それらの可能性を全く感じることはできていません。

 人は、多くの場合、自分の周囲に自分を囲い込み、封じ込める自分への呪いともいえる否定的な信念を持っているものです。

 「ダメ人間」「運が悪い人間」「必要のない人間」「何をやらせてもうまくできない人間」「人に嫌われる人間」「生まれてこなかった方が良かった人間」・・・。

 自尊心の回復とは、そうした呪いから自由になるということです。新たな信念を植え付けて自分を洗脳するということではなく、すでに植え付けられてしまっている呪い(思い込み)を解き、自由を取り戻すことを意味しています。

 自由を取り戻すことができた時に初めて、真の自己探求が可能となります。

 よく、自己探求は、潜水に例えられます。

 海でのダイビングは、潜れる世界しか見ることはできません。浅くしか潜れない人は、それが体験の全てであり、その世界が全てだと思い込んでしまいますが。海はもっともっと深いのです。海の深みには想像をはるかに超えた“静けさと、美しさが隠されています。その美しさは準備が整った人にしか開示されないミステリーなのです。

 自己探求も同じで、浅くしか体験できていない理解で自己概念を固めて、それを自分だと追い込んでいますが、実は、深くには、想像をはるかに超えた可能性がまどろんでおり、深く潜れば潜るほど見える景色が変わってくるのです。

 小さく貧しい自己イメージからの束縛から自由になった時に初めて、本格的なダイビングが可能となってきます。

 謙虚になって体験に耳を傾け、真剣に探究をしていくと、自分自身の魅力的で生命力にあふれた想像をはるかに超えた力強さと可能性、喜びに気づいていきます。

 自分は実は多層的な存在で、無限の深みが存在しています、その深みには、いまは想像もできないようなミステリーが隠されているのです。

 人は、別人になることはできませんが、自分らしい輝きを取り戻すことなら不可能ではありません。あなたは、本来のあなたでいる時こそが一番輝いている。ひまわりはひまわりとして堂々と咲いている時にこそ、一番輝くのです。

 以前の私と同様に、日本には自分のことを好きになれずに困っている人がたくさんいらっしゃると言われています。

 今困っているからこそ、起こる奇跡も大きいのだろうと思います。

 今の困難は、光の差し込まない黎明だからこその苦しみです。

 明けない夜が無いように、乗り越えられない苦悩もありません。

 光に勝る闇が無いように、真実に勝る誤解はありません。

 おそれず、あきらめずに、自分をもっともっと大切に、そして自分を探求してみませんか。

 本当の秘密は聞く耳を持った人にしかやってきません。

 戸を叩かない人には、可能性の扉は決して開かれません。

 勇気をもって奇跡への一歩を踏み出してみましょう。

アトランティックプロジェクト オンライン説明会を開催します

アトランティックプロジェクト・オンライン説明会のご案内
(経営シミュレーション教材 × 新入社員研修プログラム)

新入社員研修の新しい形を体験してみませんか?
当社の体験型プログラム「アトランティックプロジェクト」のオンライン説明会を開催します。

本説明会では、実際の研修中の写真や映像を交えながら、プログラムの内容・進行方法・教育効果などを具体的にご紹介します。

【こんな方におすすめ】

・自社の新入社員研修をアップデートしたい

・チームワーク・リーダーシップを「体験」で学ばせたい

・受講者が前のめりになるプログラムを探している

・内製化しやすい研修を検討中

【アトランティックプロジェクトとは】

経営シミュレーション型の研修プログラムとして、チームワーク・リーダーシップ・コミュニケーションを実践的に学べる新入社員研修です。
すでに200社・8,000名以上の方々が参加し、次のような評価をいただいています。

「ドラマティックな展開で夢中になれる」
「達成感があり、チームの絆が深まる」
「講師育成も容易で内製化しやすい」

研修担当者の方々からも高い支持を得ているプログラムです。

【開催概要】 

日程:

2025年11月20日(木)

2025年12月4日(木)

時間:13:00~14:00(1時間)

参加費:無料

開催方法:Zoom(申込者に参加用アドレスを送付)

 お申し込み方法
下記フォームメールよりお申し込みください。
「アトランティックプロジェクトオンライン説明会申込」と明記のうえ、希望日をご記入ください。
→ オンライン説明会 申込みページはこちら

 

なお本講座は、説明会ではありますが、決して押し売りをするようなことはしません。また当社は、しつこく営業を迫るような事もしておりません。同じ志を持つ方々と、ジェントルなかかわりをしたいと願っております。ご安心してお越しくださいませ!

2025年度後期授業が始まります

 明日から担当している大学で、後期授業が始まります。後期は、キャリア関係の授業を2科目担当しています。うち一科目が2コマあるので、全体で3コマ、月火と2日間が授業日となります。

 今期も、たくさんの学生たちが受講してくれています。すでに他の授業を受けてくれていた懐かしい面々いれば、私の授業には初めて参加してくれている生徒もたくさんいます。講座は、1年生向けと2年生向けとなっていますが、3年生も結構多く、意外なのが4年生も少なからず受講してくれています。みんな夏休みの就活の状況はどうだったのでしょうか。多くはすでに内定をいくつか得ているとは思いますが、これからと言う学生もいるかもしれません。

 担当する授業は、1科目目は、就活準備と言うよりは、生き方講座であり、長い人生を自分らしく幸せに生きるための知識、スキルを学ぶ講座です。就活には直接結びつかないとはいえ、これはこれで、とても大切なことであり、生き方の基盤をしっかりと固めていける授業にしていきたいと思っています。

 もう1科目は、業界や企業研究がテーマとなっている授業で、マーケティングの視点から企業研究をすると同時に、業界の人事担当者をお呼びする講座でもあり、就活とも直結する授業でもあります。実際に過去の授業の参加者から、ゲストスピーカーの会社に内定を得て活躍している先輩もいます。受講するメンバーにとって、貴重な体験やチャンスとなる講座だと思います。特にまだ就活が終わってない4年生にとっては、絶好のチャンスでもあります。彼ら彼女らの就活の少しでもお役に立てるようにしっかりとがんばっていきたいと思っています。

 今期も、充実した楽しく意義深い授業になりますように!

ポリヴェーガル理論に基づく新しい人間観

 ポリヴェーガル理論とは、米脳生理学者、ステファン・ポージェス博士が1994年に発表した理論であり、従来の自律神経についての常識を覆す考え方を提示してくれています。

 従来の考え方では、自律神経は交感神経と副交感神経があると考えられており、それぞれが相互に興奮と鎮静の機能を補完し合っていると考えられていました。

 しかしポージェス博士は、副交感神経が大半を占める迷走神経には2種類があることに気づき、それぞれ、神経細胞も機能も全く異なるシステムであることを発見したのです。

 ポージェス博士によると、人は、系統進化的に3種類の自律神経ネットワークを宿しており、

①背側迷走神経(魚類など古代の迷走神経系、消化、睡眠、排泄、生殖機能、身体の回復などを司どる。リラックスと休息モード:危機状態においては絶体絶命モード)

②交感神経(爬虫類以降に進化した交感神経系、感情、身体を活発に覚醒、行動させる。アクティブモード:危機状態においては闘争・逃走モード)

③腹側迷走神経(哺乳類以降に進化した社会交流システムとしての迷走神経系、呼吸、心臓、表情、発声、聞き取りを司る。社会交流モード)

 以上の3種類のモードが時と場合に応じて機能すると考えられています。

 人は、健康な場合は社会交流モードの人間関係の中で人として生きていきますが、ストレスがかかり、もはや人間関係の中では問題解決ができない危機的状況に追い込まれると、動物的な興奮モード、魚類爬虫類的な凍り付きモードになるのです。

 こうした反応は、ニューロセプション(神経認知)によって変容が起こるとされており、人の思考や意志の力では直接コントロールできないと考えられています。社会的には、常軌を逸した興奮、不活性や無感覚は、受け入れられづらく非難の対象となりがちですが、ポリヴェーガル理論の視点からは、人が進化してきた過程で学んできた危機対応のノウハウであり、深い深いわけがあるのです。だから、ポージェス博士は、人間の都合で裁かれるものではなく、むしろ誇りに思うべき叡智であると主張されています。

 ここでは、ポリヴェーガル理論の立場に立った人間観について、いくつかご紹介したいと思います。

【ポリヴェーガル理論の人間観】

1.人は、複合的な存在

 人には、人間としての自分だけではなく、動物的自分、魚類(爬虫類)的自分が存在し、決して一つだけの人格で生きている存在ではない。例え社会的に評価されない問題行動を起こしたとしても、それは、その人そのものが問題なのではなく、その人の複合的な要素に由来する可能性がある。その反応は、例え社会的には受け入れられないものであったとしても、顕在意識の外側で動物的、魚類爬虫類的な自分のそれぞれが生き残るために懸命に努力した結果であるかもしれない。たとえ的外れであったとしても、それは生き残りをかけて必死に頑張ってくれている内的システムのなせる業なのだ。だから、簡単に他人の所業をさばいてはいけないし、自分自身の社会的に不都合な反応を嘆き、自分自身を恥じたり責めたりしてもいけない。

 従来の“怠けてる”、“だらしない”などの非難は浅薄な人間観による冷たい的外れな見解からくるものであって、真実の視点からは、むしろ進化の叡智のなせる業と言える。もっともっと深い人間理解が必要。

2.自尊心を持つ

 自尊心とは、ありのままの自分を受け入れ、愛することができる健全な心。社会的に評価される優れた自分のみならず、失敗し、かっこ悪くみじめな自分も決して見捨てることなく、排除することなく、認め、受け入れ、時には反省し、より成長していける度量を自尊心と言う。

 ポリヴェーガル理論では、人は人間としての自分だけではなく、魚類的、動物的自分も存在する。私たちは、しばしストレス反応として起こる動物的反応(闘争、逃走モード)や魚類爬虫類的反応(シャットダウンモード)を社会的都合で裁き、恥じて否定し抑圧するが、こうした態度は、決して健全で正しい態度とは言えない。こうした反応はポリヴェーガル理論の視点では進化の叡智の結晶。都合が悪いからと言って嘆くのではなく、受け入れ、むしろ尊重し、感謝すべき。

 攻撃、排除するのではなく、全てを見捨てずに受け入れ、癒し、成長につなげることこそ人間としての使命と言える。

3.人として成長する

 私の中心は人間存在。主体を失わずに意識的に成長を目指すことが大切。

 自分の中に人以前の進化状態の存在があることを決して否定するべきではないが、だからと言って獣的自分や魚類・爬虫類的自分に人生を乗っ取られてよいというわけではない。人の主体は人。人としてセルフリーダーシップを発揮することが大切。

 人には、魚類・爬虫類的自分や動物的自分もいるが、人間的な自分も存在する。そして人間的自分の後ろ盾となる腹側迷走神経は発展途上であり、無限の可能性を持っている。人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではない。その潜在性は人の想像をはるかに超えて偉大だ。自分を信じて、大きな志をもって、人として前向きに生きよう。

 

ポジティブ心理学 4.前向きに生きるヒント(最終回)

・自分と言う存在は、広い地球にたった一人。

 永遠の宇宙の歴史で、たった一回。

 それは、とてつもなくかけがえがない。

 そんな自分の存在を大切にしよう。

 

・あなたには、元気と勇気と力がたくさんある。

 問題を打開する可能性は、そこかしこにある。

 心配に思うのは、それに気づいてないから。

 

・敵の強大さは信じるくせに自分や仲間の力を信じられないメンタリティを何とかしよう。

 

・不平、不満、愚痴、など、問題を人のせいにしているうちは成長はない。

 前向きな意思をもってたくましく自分らしく生きよう。

 

・完璧になど、ならなくとも良い。発展途上の自分を信頼しよう。

 

・光は傷口から入ってくる。

 人生における試練は、不幸ではない。学び成長する絶好のチャンス。

 

・勇者の人生には、ドラゴンはつきもの。

 “なんで自分ばっかり!” それはあなたが勇者だからだ。

 困難や苦痛は避けられないが、

 乗り越えられない壁もなければ、意味のない苦労もない。

 明るく元気に前向きに自分らしく堂々と生きよう!