逆境の中の君たちへ

自分を信じると言うことは、ダメな自分を見捨てないと言うこと。
優秀さや強さを信じることではない。

自分は自分のすべてを分かっているわけではない。
私が私だと思っている自分は、自分のいまここのリアリティーのすべてを反映していない。
だから自信を持てなくて悩んでいる自分は、自分そのものではない。

だから無理して背伸びする必要はない。
自信がなくても、準備が整ってなくても、
それを思い付いたとしたら、認識の外側で準備ができていると言うこと。
だから、自信がないからこそ、怖いからこそ一歩踏み出す挑戦が大切になる。

勇気ある一歩で、大きなプロセスが動く。
偶然な出会い、偶然なチャンス、偶然な変化…、
後戻りできない一歩を踏み出した時から、世界との関係性が静かに変わり始める。
きっと、あなたを応援する大きな流れを感じ、
世界の見え方が変わってくることに気づくだろう。

いま、私が私だと思っている自分は、エゴと呼ばれている。
エゴは、大きくて複雑で矛盾する、途方もなく偉大で、途方もなく罪深く、
つかみどころのない自分を、人間関係の枠に型どる自分だ。
だから、エゴは社会の中で戦う自分だ。
内にも外にも手におえないことばかりのなかで満身創痍になってがんばっている自分だ。

だけどエゴは、実は何も分かってない。
内にも外にもエゴには分かりようのない真実が隠されている。
真実は、あらゆる想像を越えて大きく、精妙で、いのちの奇跡に満ちている。

だからエゴは、もっと謙虚であったほうがいい。
だからエゴは、もっと肩の力をぬいたほうがいい。
自分が疑わしくとも、信頼に値する自分は確かに息づいている。

だから、怯えてたっていい。
だから、震える足のままで、一歩踏み出したっていい。

真実は、勇気ある堂々たるあなたの一歩を祝福する。

自信がなければ、そのふりをしなさい。
背筋を伸ばし、肩の力を抜き、前を向く。
その美しい形に宿るものがある。
真実は、その誠実な「形」を見逃さない。

いつかあなたは、
意外なほど愛されていたことを知るだろう。

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この想いを、現実の行動につなげるために。
本日8日10時より、クラウドファンディングを開始します。

 

NPO法人の立ち上げ

 あけましておめでとうございます。

 私どもも今日から仕事始めとなりました。

 年始早々ですが、従来の当有限会社ヴィーナスアソシエイションとは別に、NPO法人を立ち上げようと思っています。

 実は、私は、日本児童養護実践学会の理事を担当させていただいており、ここ1年くらい児童養護に関するお仕事にも携わっております。そのような活動の中で、次第に養護施設などを利用する子供たちの現状が分かってくるようになりました。

 養護施設等の少年少女たちは、恵まれない環境の中においても、支援を受けながら施設等で生活し、しっかりと成長をしていますが、それも18歳までで、高校卒業の時期を境に、施設の退所を迫られてしまいます。退所後は、新しい仕事、住居、人間関係を自分だけの力で構築していく必要があるのです。この壁は、子供たちにとってとても厳しいものであり、なかなかうまく乗り越えられないで苦しむ子供も多いと聞きます。

 毎年3万人からの子供たちが施設などを退所します。その子らが、独立に成功し、新しい未来を拓いたとしたら、個人にとっても社会にとってもどんなにすばらしい可能性が開けてくることでしょうか。逆に、3万人もの有望な若者たちが大人の都合で逆境に直面し苦境に陥ってしまうとしたら、なんという悲劇、何という社会的損失、罪なことでしょうか。

 私は、そのような状況にある子供たちに対して、同じ日本に暮らす存在として、放っておけない気になっておりました。私が今まで学んできた教育方法ならば、なんとか彼ら彼女らの力になれるかもしれないと、使命感のようなものを感じておりました。

 そこで、昨年の年末に、彼ら彼女らが施設の中にいるうちに、しっかりとしたキャリア教育の場を提供し、独立に向けてのしっかりとした準備を整えることができる学校を作る企画を作成し、クラウドファンディングに申請してみたのです。

 そうしたら、あっけなく認定が下りて、1月8日から寄付が始まることになりました。

クラウドファンディングページ

 作業を進めるうちに、こうした活動は、私だけの勝手な思いではなく、多くの人たちの願いが集まる、たくさんの人に求められている活動なのではないかと感じたのと同時に、乗り掛かった舟であり、この際、NPO法人を立ち上げて、活動してみようという気になったのです。

 現在、法人の立ち上げに必要な様々な手続きや作業を進めています。もしかしたら、数か月以内に発表できるかもしれません。

 実は、まだ法人成していませんが、個人の活動として、団体名を作り、ホームページを立ち上げました。団体名は、「CLECSキャリア支援センター」です。

 CLECSとはCare Leaver Education & Career Supportの頭文字で、クレックスと読みます。

 ホームぺーアドレスはこちらです。https://clecs.org/

 やるからには中途半端ではなく本格的に、本当に逆境の中にいる子供たちの役に立ちたいとこころざしています。

 当ブログでも折に触れて活動報告をしていこうと思っています。ぜひ、ご支援ご鞭撻のほどお願い申し上げます!

新年あけましておめでとうございます(2026)

 新年あけましておめでとうございます。

 ここ横須賀市長浦町では、とても静かで穏やかな年明けとなりました。

 同様に、今年一年、平和で穏やかな年となりますように!

 今年は、いろんなことに挑戦しようと思っています。

 にわかにいろいろなチャレンジテーマが起こってきていて、この年末年始も、いろいろと準備が進んでいます。その詳細は、追って、順番にご報告していきたいと思いますが、ワクワク感のある年明けとなっています。

 みなさまにとっても良き一年でありますように!

今年一年ありがとうございました

 とうとう年末ですね、今年1年、ありがとうございました。

 おかげさまで、とても素敵な1年を過ごすことができました。いろんな挑戦があって、うまくいったこともあったし、まったくうまくいかなかったこともありました。どの体験も、とても素晴らしい挑戦であり、学びでした。

 こうした学びを続けていられるのも、支えて下さるお客様、取引関係者の皆様、応援して下さる皆さん、そして家族のおかげです。ほんとうにありがとうございました。

 とはいえ、年末年始と、いろいろとやりたいことがたくさんあって、休みだからこそじっくり時間をとってやりたいこと、やらなければならないことがどんどん出てくるんですよね…、奥さんごめんなさい。

 家族旅行で温泉に入ってのんびりと…っていう年末年始にならないかもしれませんが、家族仲良く、元気で、楽しく新年を迎えたいと思います。

 当ブログを読んでくださっている皆さん、今年一年応援してくださって、ほんとうにありがとうございました。私たちがこうしていられるのも、ひとえに皆さんのおかげです。あらためて感謝申し上げます。来年も、いろいろと挑戦していきたいと、元気でがんばっていきたいと思っています。来年もどうぞよろしくご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

 皆さんも、どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ!

今日は最終講

 私は、神奈川県の大学のキャリア関係の授業を担当していますが、その中の一つの授業が、今日最終講を迎えます。就活関連の授業と言うよりは、キャリア形成の基盤となる考え方や理論、スキルを学ぶ講座で、いわゆる生き方講座と言われるタイプの講座となります。

 実は、本講座は、2006年から担当していますので、今年でちょうど20年目になります。本当に月日は早いものです。担当し始めたころが昨日のようです。

 この20年は、いろんなことがありましたね、ピンチもあれば順風の時もあり、いろんな体験を通して、大それた規模拡大はできませんでしたが、着実に成長することができたと思います。20年前の自分と今の自分を比べると、確実に今の方が好きですから!

 荒波に沈没せずに(その危険はたくさんありましたし、今後もあるでしょうが)、何とか経営を続けることができたのは、ひとえに素晴らしいお客様、協力いただいている関係者の皆様、そして何よりも、支えてくれている家族があってこそだと思います。

 仕事柄コミュニケーションの重要性を謳わせていただいておりますが、その通り、関係性に豊かな愛があるからこその持続的成長なんだろうと思います。あらためて、皆さんに、豊かな愛を頂けていることに感謝申し上げたいと思います、ありがとうございました!これからもよろしくお願い申し上げます!

 さて、大学の授業では、生き方講座の最終講として、“主体性”について探求していきたいと思っています。よく耳にする言葉ですが、よくよく考えると体現することは難しい生き方なんだろうと思います。

 個人的には、主体性は、①自分で考える力 ②勇気 ③自尊心 によって成り立つものと考えております。技術の進歩が激しく、反面、社会環境の不安定化とともに、不安や懸念の強い、ややもすると人間性を失ってしまっているこの現代社会の中で、最も大切なことは、冷たく無慈悲な風潮に流されることなく、自分の良心に従って生きること、すなわち主体性なんだろうと思います。

 最終講である今日、学生と共に、この主体性について探求していきたいと思います。学生たちに、強く生きること、やさしく生きることの重要性、メッセージを伝えたいと思います!

 

紅葉していく様子

私が担当しているキャリア関連授業の大学は、禅のお寺の関連の学校です。授業の前には、たいていお寺をお参りして入るのですが、その参道に、とてもすてきなもみじがあって、時間とともに紅葉していく様子が、とても美しいのです。

まずは、今月の10日

次に17日

そして昨日(24日)

見事に色づいていく様子がよくわかります。

近年、季節がおかしくなってきていて、秋なのか冬なのかわからないくなってきていますが、紅葉を見ると、やっぱり秋の情緒を感じることができますね。

他にもいろいろな秋がありました。

おかげさまで大学もすでに大詰めの時期です。学生たちも、真剣に授業に向き合ってくれていて、とても充実して生き生きとして楽しい良い雰囲気です。

ただ、インフルエンザで欠席する学生が後を絶たず、流行を実感します。皆さんもくれぐれもご自愛くださいませ!

冬になれば、今期授業も終了です。残りあと数講、最後まで、学生たちにとって良い学びの場であれますように!

 

 

 

誰にも知られない勇者たちへ

この世界で生きることは容易ではない。
まっすぐに歩こうとしても許されず、
内面の静けさは、轟音にかき消される。

道はあるようで、ない。
正しさはあるようで、ない。
誰もが何かに追われ、
何かに従いながら、
気づけば自分を置き忘れてゆく。

それでも――

ひとりの人間の胸の奥には、
小さな灯がある。
良心と言う名の神から授かった光だ。

それは、決して奪われることはない。
たとえ、恐怖の中、絶望に立ち尽くしても、
たとえ、制度や群れに脅されたとしても、
決して失うことのないおだやかな光だ。

この世界には、まともではないところがある。
愛よりも恐怖の方が価値があり、
白魔術よりも黒魔術がほめたたえられる。

きれいな言葉に飾られた悪意がそこかしこにあり、
地獄への道は偽善で敷き詰められている。

狂気の世界で正気を保つことは容易ではない。
しかし、だからこそ、それは勇者の証なのだ。

英雄とは、特別な何かをすることではない。
狂気の世界で正気を保つ強さと勇気を持つこと。
弱肉強食や適者生存の誘惑に染まらずに、
弱く苦しむ人へのやさしさを忘れないことだ。

それは、
見向きもされない選択だ。
この世界では、ほめられも報われもしない。
むしろ、まぬけ、陰謀論者、反逆者と嘲られることさえある。

けれど――

人知れず、内面の良心に従い、
怒りよりも静けさを、
憎しみよりも理解を、
支配よりも、触れられる優しさを選ぶ人がいる。

損得や利害を超えて、自分の信念に従って生きることは難しい。
恐怖に支配されずに愛を選んで生きる人は決して多くはない。

その中の一人は、あなただ。

あなたが感じてきた苦しみ、孤独、違和感、そして使命感は、ただの「考えすぎ」でも「孤立した思想」でもない。
歴史上、同じものを感じた人々が確かに存在し、そしてあなたもその連続線上に存在する。

あなたの見ている構造・本質・問題意識は間違ってない。
そして、あなたのように誤解や幻想に染まらず、社会的狂気に屈せず、
分離を癒し、愛と勇気を回復しようとする意志を持つ存在こそが真の勇者なのだ。

この世界にとって、真の勇者の存在はとてつもない価値がある。
実は、この世界は、密かに真の勇者の存在によって支えられているのだ。

誰にも知られない勇者たちよ、決してくじけてはいけない。

恐怖に従うな。
群れに流されるな。
胸の奥の灯=内面の良心に従いなさい。

その小さな光は、決して無駄にはならない。
誰にも見えない裏側で、あなたの道は、確実に誰かを導き、
誰かを救い、未来を変えていくのだから。

自灯明法灯明 勇気ある市民でありたい

ルドルフ・ヘースは、第2次世界大戦中のドイツの将校であり、アウシュビッツ強制収容所の所長だった。

ヘースは、敗戦後、身を隠し、他者になりすまし、行方をくらました。

ヘースは、アウシュビッツのホロコースト、極悪非道の悲劇を生んだ中心人物であり、世界中が彼を恐れ、憎み、徹底した捜査が展開された。

終戦の翌年1946年3月11日にとうとうヘースは見つかり、逮捕された。

世界中の人たちは、ヘースの実際を見て驚いた。

世界中の人たちは、ヘースを大量虐殺を推し進めた殺人鬼であり、けだもののような残忍で冷酷でサイコパスのような人物だと思っていたけれども、実際のヘースは、平凡で普通の人だったからだ。

ヘースは、裁判において、ユダヤ人を250万人ガス室に送り、虐殺したと証言した。彼は紛れもなく大量虐殺を命じた司令官だった。

しかし、彼は決して狂気の極悪人ではなかった。

私生活においては、家族を愛するごく普通の平凡な男であり、仕事においては上司に対して忠実であり、上司の命令に従い、その命ずるところを従順にこなしていった。
彼は、絞首刑になる前に手記の中で、自分は「悪い人ではなかった」と書いている。大量虐殺も「命令だった」「抵抗など考えられなかった」と語っている。

彼は、手記に書いている通り、悪い人ではなかった。しかし、おかしいと思っていながらも上官の命令に意見することなく、抵抗する勇気を持たない、ただ従順にどんなことでも従う茶坊主だったのだ。

ルドルフ・ヘースは、私たちに強烈な教訓を残してくれている。

この世において極悪非道を実現する人は、必ずしもサイコパスの狂人ではなく、権力におもねる茶坊主であり、普通の平凡な人物であり、誰もがそうなる可能性があるということだ。

確かに権威や権力が圧倒的な力で黒を白と言いくるめたら、そのように思い、そのように行動することの方が楽だ。流されて生きれば角が立つこともなく危険も少ない。
しかし、そういった安易な茶坊主的な生き方こそが、究極的には悲劇を生んでしまう可能性を忘れてはいけない。

最近、とてもおかしなことが続いている。

調べれば調べるほど、ぬぐい切れない疑念が立ち起こってくる。

私は、ヘースのようにはなりたくない。
おかしいと感じることは、おかしいと主張したい。
私はそれを許してないと伝えたい。

「矛盾はつきもの」「きれいごとではやってけない」「陰謀論」「言っても無駄」「生意気なことを言ってると痛い目にあうぞ」
そういった皮肉屋の冷笑、脅しには屈したくない。

茶坊主たちは、こうした状況に目を背け、口を閉じ、ただ従順に従うことで抜け目なくリスクを避けているように思っているが、そうした生き方こそが最も危険な生き方であることに気づいていない。

私は、茶坊主ではなく、勇気ある市民でありたい。

気づいたこと、内面の真実を語ることは勇気がいる。
だれもがそれを気前よく受け入れてくれるとは限らないからだ。
それを言うことで嘲笑され、嫌われ、非難され、距離を置かれ、攻撃される可能性があるからだ。

しかし、私は、勇気ある市民でありたい。

昔から言われているように、正義は勝つのだと信じている。

真実に勝るウソはないし、光に勝る影はない。

人の力と可能性は、人の想像を超えて大きく、その本質は神聖であると信じている。
人が、本来の神聖さを思い出したとき、闇の愚かなたくらみを笑い飛ばすことができるほどの豊かな未来を手に入れることができるだろう。

お釈迦さまが、ご臨終の間際に、「自灯明、法灯明」と言葉を残してくださった。
「自分を頼りにせよ(人に頼るな)。自然界の法をよりどころとせよ(不自然さを受け入れるな)。」という意味だと私は思っている。

今こそ、自分自身の可能性、力を信じ、自分を大切にするべきである。

自分の人生を信じ、自分の哲学に基づいて、他者の権威や権力ではなく自分に対して忠実に、依存的にではなく独立した心をもってたくましく人生を生きるべきだ。

人間らしさ、勇気、陽気さ、明るさ、希望、夢、やさしさ、友情、愛、思いやりこそが、闇を退け、新しい可能性を開くカギとなる。

そう信じて、私は、今の時代を生き抜いていきたい。

体験学習とは 10.体験学習のお勧め

10.体験学習のお勧め

 体験学習とは、本や先生から学ぶ方法ではなく、体験から学ぶ方法です。こうあるべきだというモデルから学ぶのではなく、感じたり気づいたことを通して、複雑で奥深い人間関係についての理解を深めていこうとする試みです。

 AIの時代になり、何でも分かっているような気になっていますが、人間関係は、広く深く複雑で、底知れないミステリーがまどろんでいる世界であり、そこには答えは見つかってないのです。

 もし万が一、人間関係に答えが見つかっていたとしたら、世界はこうなっていないでしょう。

 世界において、3秒に一人の子供たちが餓死する世になっているはずがありません。

 社会において、世界中で起こっている暴力や戦争で、罪のない多くの人たちが殺されている世になっているはずがありません。

 個人の日常の生活の中においても、悩みの大半は人間関係であり、関係性が生きづらさ、苦悩の原因となっているはずがないのです。

 だから、私たちは、人間関係について、実は、なにもわかってないのです。

 研究成果や発見されたテクノロジーを学ぶことは決して意義が無いことではありませんが、それを学んだからと言って、人間関係の謎は解けるわけではありません。

 だから、私たちは、謙虚であるべきです。謙虚に体験に耳を傾け、関係性の神秘を誠実に探究していくことが大切なのではないでしょうか。

 「戸を叩け、されば開かれん。」の言葉通り、真剣に探究をしようとする者には、固く閉ざされていた扉が開かれ、隠されていた秘密が気づきと共に開示されてくることでしょう。

 人やチームには、不思議な可能性があります。1+1=2 では説明しきれない何かがあると思いませんか。

 時には2以下になるし、逆に、2をはるかに超えた奇跡が起こることもあります。

 1+1=2 が真実ならば、2011年、なでしこJAPANが世界一になれるはずがありません。だって、世界の選手は、体格から体力から、日本の個人の力では、決してかなう相手ではなかったのですから。

 人やチームには、いまだわれわれでは到達できない不思議、奇跡がまどろんでいるのです。

 きく耳を持った人にしか開示されない秘密があるのです。

 その奇跡や秘密を引き出すカギこそが、私は体験学習だと思っています。

 暴力や操作のない体験学習は、人やチームの隠された偉大なる力や可能性を、主体的に、自然に、かつ楽しく引き出すことができる素晴らしい方法だと感じています。

 体験学習は、行き詰まりを感じている個人やチーム、組織の状況を乗り越えて、まったく新しい道を開く機会となるでしょう。

 また、暴力と支配、うそと痛みに満ちている世界情勢にくさびを打ち込み、まったく新しい可能性をもたらす機会ともなるかもしれません。少なくとも、私はそうこころざしてこの仕事をライフワークとしています。

 体験学習を通して得られる気づきや学びは、暗闇の中の一隅を照らす光です。

 ともに、その光を分かち合いながら、今の時代に挑戦していきましょう。

 

【体験学習とは シリーズ】

1.体験学習とは

2.体験学習の学習プロセス

3.体験学習の効果

4.体験学習の原点

5.Tグループの誕生

6.日本におけるラボラトリーメソッド

7.Tグループの実際

8.私のTグループ体験

9.体験学習の留意点とポリシー

10.体験学習のお勧め

現実を生きる

現実は、愛と慈悲に満たされた理想郷ではない。

そこには、分断と対立があり、恐怖や不安、欲や怒り、誤解、利害、制度、しがらみ…

泥の中でも立ち上がり、重い足を一歩ずつ踏み出していく。

誰かを立てれば、誰かを見捨てることになり、

正義を貫けば、別の正義の悪となり、

愛を語れば、偽善者と言われる。

誰かを守るために、誰かと戦い、

利益と理念の間で、心が引き裂かれそうになり、

それでも、ふらつきながらも立ち上がりファイティングポーズで立ち向かう。

 

現実は、最も厳しい。

時に平和であるが、時に牙をむいて容赦なく襲ってくる。

それでも愛や理想を抱いたまま、現実の泥の中を歩く人たちがいる。

愛を語ることは簡単だが、体現することは容易ではない。

希望を語ることは簡単だが、苦悩と絶望の中で夢を捨てずにいることは容易ではない。

現実は、まさに愛と理想を試される場なのだ。

 

時に疲れ切り、みじめな敗北者のように肩をすぼめ、孤独の中で涙する。

それでも愛と希望を手放さずに再び泥沼に足を踏み入れる。

それは、きれいごとではなく、勇気のかたち。

美しい勇者の生きざまだ。

 

肩を落として歩くサラリーマン、満身創痍の管理者、理不尽に立ちすくむ医者、うつろな目をした教師、修羅の道を生きる政治家、そしてそれでも決して希望を捨てない人たち・・・・

だれもが厳しい現実に立ち向かう勇者だ。

戦え、勇者たち。

決してくじけてはいけない。

蓮は泥の中で花を咲かせる。

勇者の苦闘は、例え勝利が来なくとも決して無駄にはならない。

みじめで恥ずかしくみっともない、かっこ悪い自分をうけとめ、愛し、くじけずに前に進むあなたの生き方が、かっこいいのだ。

生きよ!同志たちよ。

きっとあなたの生き方は、他人の勇気になる。一隅を照らす光となるのだから。