先月末7月31日に妻の母、私にとっての義母が亡くなりました。
8月4日に通夜、昨日5日に葬儀と告別式を執り行いました。
親族や友人にお集まりいただいて、少ないながらもやさしく温かい雰囲気の中で執り行われました。ご列席いただいた皆様には心から感謝申し上げます。
お葬式全体を通して読経を上げていただいたのは、横須賀長願寺のご住職でした。
心のこもったお経で、とても精妙なしめやかなお葬式となりました。
故人もきっと喜ばれたと思います。
私が今の会社を立ち上げてサラリーマンを退職し独立したのは39才の時でした。明けの明星のように時代をリードする会社でありたい、人を勇気づけ元気を取り戻してもらえるような会社でありたいと願って、志高く立ち上げたものの、経営は決して楽ではありませんでした。
お客様は少なく、商品もまだまだ力不足であり、まったく軌道には乗れませんでした。そうした不安定で危険な綱渡りをしていた時に支えてくださったのが義母でした。ずいぶんお金の無心をしたと思います。今、当社がこうしてあることができるのは、実は、ひとえに義母の当時の犠牲があったからなのです。義母は、顔色一つ変えずに、嫌味も一つ言わずに、ニコニコと大切な大切なお金を貸してくれたものです。
おかげさまで、会社は軌道に乗り始め、現在は、多くのお客様と自信のある商品に恵まれて、日々楽しく仕事をさせていただいております。これもひとえに義母のおかげでした。本当にありがとうございました。
義母が調子を悪くし始めたのは、ちょうどコロナの出始めのころでした。骨粗しょう症で入院し、治療したものの歩けなくなってしまったのです。階段や段差が多い家では現実的に生活することができないので、施設に預けることになりました。施設では良く面倒を見てくれていたのですが、ちょうどコロナの時期と重なり、まったく面会に行くことができませんでした。3年間預けっぱなしとなってしまった次第です。頂いたご恩に何も報いることができずに、逆に悲しい思いを強いてしまった次第です。
施設の中で、義母はどんどん体調を崩してしまい、今年の3月から食事をとることができなくなり、6月末に施設を出て病院に入院し、その一か月後7月31日に息を引き取られた次第です。
葬儀を執り行いながら、義母への感謝の思いと同時に、どうしても申し訳なさ、罪悪感がぬぐい切れずに、とても穏やかで聖なる雰囲気の中で、やさしく温かく癒される雰囲気の中で葬儀は執り行われていったわけですが、何かもやもやとするものを拭い去ることができなかったのです。
昨日、初七日の法要で一連のお葬式がひと段落したわけですが、葬儀が終わってご住職とお話をさせていただいた折に、そのもやもやを思い切って話してしまいました。
「ありがとうと言う気持ちと同時に、ごめんなさいというきもちがあるんですよね」
そうしたら、ご住職が思いもよらないことを言ってくれたのです。
「ありがとう は、ごめんなさい と言うことなんだよ」って。
ありがとうは、「感謝」と言うことですが、
「感謝」と言う漢字にレ点を打ってさかさまにすると、
「謝(あやまる)を感じる」ということ、
すなわち、ごめんなさいと言うことなのだとおっしゃるのです。
私は、そのことを聞いて、思わず涙がこぼれてしまいました。
実は、ありがとうの背景には、その割にはしてやれることが少なかったという後悔、
むしろ迷惑をかけてしまったという罪悪感が織り込み済みなんだということを理解したのでした。
それにしても、日本語は美しい、こんなに深い意味が隠されていたなんで全く知りませんでした。
私が感じたもやもやは、実は超古代の人たちも感じていたことであり、漢字を通して連綿と語り継がれてきた感情だったのですね。なんと、もやもやがあったのは、私だけではなかったのです。
ご住職のお話をお聞きして、何かそれでいいんだよ、と言ってもらえたような気がして、許されたような気がして肩の荷が下りた気がして涙が止まりませんでした。
今回の義母のご葬儀は、こうした、とても大切なことを私に教えてくださった機会でもありました。本当に私は恵まれており、ありがたいことだと感じ入った次第です。
かあちゃん、本当にありがとう、そしてごめんなさい。 合掌