月別アーカイブ: 2021年2月

時代を導くリーダーとなる

人には、全く性質の異なる2つの動機がある。
一つは、『自分には、何かが欠けている。欠けているものを手に入れなければ苦痛であり、恐怖であり危機である。 だから何としてでも獲得しなければならない。』と言う信念に基づく欲求だ。
それは、不安と恐怖にたきつけられる渇望であり、欠乏動機と呼ばれる。

もう一つは、『自分には充分な力と価値がある。自分の素晴らしさを表現したい。未知なることに挑戦したい。』 と言う信念に基づく欲求だ。
恐怖の束縛から自由となった人に訪れる情熱であり、人本来のまさに魂の欲求、実存動機と呼ばれる。

多くのマネジメントは欠乏動機を利用してきた。
欠乏動機による管理とは、あめとムチによる管理とも言える。
恐怖心に働きかけるリーダーシップは、やろうと思えばだれにでもできる簡単な方法であり、
一旦行い始めると確実に効くこと、安定的であり将来の予測を立てやすいと言う強みがある。
しかし、反面、メンバーのモチベーションは低下し、
防衛的かつ攻撃的風土を助長するので、官僚主義が跋扈し、生産性や成長性は、必ず頭打ちとなる。

多くのリーダーは、厳しい競争にさらされており、不安と恐怖の中にいる。
強力な圧力が常にかけられており、心無い攻撃により、心身ともに満身創痍だ。
だから、その多くが、自尊心の糸が切れると、いとも簡単に恐怖心に首を垂れることになる。
『自分は、みじめで孤独な力ないダメ人間だ。自分もそうであるように、他人もそうだ。 自分は被害者であり、こんなに苦しんでいるのだから自分を守るためなら、人を傷つけても許される』 と信じ込み、恫喝を使うことに躊躇がなくなる。
自らが恐怖の代理人となるのだ。
あめとムチを使い始めた当初は、目覚ましい効果が出るので、どんどんその傾向を強めるが、 遅かれ早かれ、必ず頭打ちとなり、結果的には、自ら奮った力によって滅ぼされることになる。

しかし、その困難を乗り越えて、実存動機を哲学とするリーダーも存在する。
実存動機によるリーダーシップとは、人を大切にして、人の持っている素晴らしい潜在性と可能性を信じ、 引き出そうとするリーダーシップだ。

実存動機を哲学とするリーダーの歩む道は平坦ではない。
人を大切にしたからと言って、相手がそれに応えてくれる保証はない。
そうしたからと言って、誰にも褒められるわけでも応援されるわけでもない。
むしろ、皮肉屋から冷笑されることもあるだろう。
実存のリーダーには、そんな痛み、不信感を乗り越える勇気が必要だ。

また、人の心からのやる気と能力は、本質的に不安定だ。
良い時は奇跡的な成果を出すが、悪い時は、永く無力だ。
実存のリーダーには、そんな浮き沈みをものともしない強い忍耐力と信念が必要だ。

さらに、人の可能性にかけるということは、将来の見通しも立ちづらいと言うことだ。
実存動機による成長は、まさにイノベーションによる成長だ。
まったく新しい商品の開発、新しい顧客との出会いによる、ある意味で奇跡による成長だ。
しかし、奇跡は、コントロールはできない。
奇跡を、事前に予測することはできない。
だから、未来の計画を立てることができない。
本質的に、実存動機は、管理とは相性が合わないのだ。

しかし、ひとたび実存動機が機能し始めた組織には、奇跡が起こる。
メンバーのハートは鼓動し始め、目の輝きが明らかに変わる。
分離感が癒され、心が開かれ、情熱と叡智が交流を始める。
現状の課題と問題点が、偏見によるゆがみを経ることなく、その真実が分かり、対処される。
今までは想像もしなかったような全く新しいアイデアや工夫が、 日常のあらゆる仕事の場面で創造され、実践されて、あっという間に現実が変わっていく。
結果的に、生産性と創造性は、想像を超えて高まり、奇跡的な成長を遂げていくことになる。

今、時代は大きく変わろうとしている。
むき出しのエゴイズムは、消費者から嫌われ、高い意識の経営が評価され、株価を上げる時代となっている。
強欲な資本主義から、高い意識の資本主義へと、静かに、ゆっくりと変わろうとしている。

そのような中で、求められるリーダーシップは、まさに、実存動機を哲学とするリーダーシップだ。
しかし、あめとムチによる欠乏動機のリーダーシップではなく、人間本来の可能性を引き出す実存動機のリーダーシップ という理想を担える存在は、そう多くはない。

その数少ない存在の中の一人は、あなただ。

被害者意識に甘えて、強い分離感に身を任せてはいけない。
勝つべきものは、相手ではなく、自分自身なのだ。

皆がそうだからと言って、絶望に身を染めてはいけない。
一隅を照らす光となるのだ。

あなたには、泥沼に落ちようとしている仲間を救い出す責任がある。
知っているなら、あきらめても手を緩めてもいけない。
真に仲間を守る戦士になるのだ。

あなたは、断じて欠点だらけの無力な存在ではない。
あなたの潜在性と可能性は、今の想像をはるかに超えて大きい。
その可能性を信じてみよう。
自分にするように、仲間の可能性も信じてみよう。
奇跡への一歩はそこから始まるのだから。

アトランティックプロジェクト_online 完成

昨年より作成していましたアトランティックプロジェクトをオンライン化したプログラム、実習「アトランティックプロジェクト_online」がようやく完成しました。

昨年、体験学習のオンライン化に成功し、その流れを受けて、もっとも複雑な構造を持つ当社の実習「アトランティックプロジェクト」のオンライン化に取り組みました。

昨年末に一応の完成を見て、12月29日にプレトライアルを実施、修正を加えて、1月15日に有志を集めて第1回目トライアルを実施しました。

その際は12名もの方々がお集まりいただきました。お忙しい中ご協力いただけて、誠にありがたく、感謝申し上げます。

第1回目トライアルでは、万全を期したつもりでおりましたが、実際に実施してみると、もろもろの問題が発生し、残念ながら合格点に達しませんでした。

諸問題の修正をし、満を持して2月3日に、再び有志を募り、第2回目のトライアルを実施した次第です。

その節は、また12名の皆さんがお集まりいただきました。お忙しい中ご協力頂けて、誠にありがとうございました。

第2回目トライアルでは、決して完ぺきとは言わないまでも、実習として合格点を獲得した実感を得ることができました。プログラムとして完成することができたのではないかと思っております。

その後、トライアルで出てきた微調整を経て、マニュアル化を進め、本日、ようやくマニュアルも完成しました。

今後、商品としてWEB上で発表し、発売していきたいと思っております。

アトランティックプロジェクト_onlineは、WEB上で実施される体験学習の実習であり、特に協力しながら全員が、3次元の構造物を作り上げるという、私が知る限りでは、まだ世界に存在していない実習であり、きっとオンラインにおいてもチームワークやコミュニケーション、信頼関係や豊かな人間関係を育めることを学べるユニークで画期的なツールとしてきっと多くの場でお役に立てると思います。

すでに、いくつかの引き合いを頂いており、実施の計画も何件か出てきております。

実は、アトランティックプロジェクトとは別に、オンラインによるチームビルディング研修の案件を現在たくさんいただいており、その対応にもてんてこ舞いの状況です。コロナ過にあって経営が大変な企業さんが多い中で、本当にありがたい話なのですが、一つ一つのお仕事をしっかりとやっていくためには、ここは気を引き締めなければと思っております。

そのような状況でもあり、アトランティックプロジェクト_onlinは、今年度は既存のお客様の引き合いをしっかりと対応させていただき、新規の案件は募集しない意向です。

ですので、ただちにはなばなしく完成発表とはいかないのですが、当ブログでささやかながら完成をご報告するとともに、ご協力いただいた皆様に、心から感謝申し上げたいと思います。

ほんとうにありがとうございました、おかげさまで、とても良い商品ができました!

今後ともどうぞよろしくご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。

【関連リンク】
実習「アトランティックプロジェクト_online」プログラムの紹介ページ
実習「アトランティックプロジェクト_online」講師用マニュアル オンラインショップ
実習「アトランティックプロジェクト_online」教材セット オンラインショップ

彩雲-よいことがありますように!

おわかりでしょうか、車の窓からの写真で、妻がとってくれたものですが、真ん中のポールの左横に彩雲があります。窓の反射ではありません。

見事な彩雲で、かっこよく左に光が流れています。

今まで彩雲は何度か見たことがありますが、今回のものは、一番大きなものでした。

彩雲は、幸運が来る前兆とよく言われてますよね。

私にとって、家族にとって、友人たちにとって、日本にとって、世界にとって良いことが起こりますように!

勇気ある市民でありたい

ルドルフ・ヘスは、第2次世界大戦中のドイツの将校であり、アウシュビッツ強制収容所の所長だった。

ヘスは、敗戦後、身を隠し、他者になりすまし、行方をくらました。

ヘスは、アウシュビッツのホロコースト、極悪非道の悲劇を生んだ中心人物であり、世界中が彼を恐れ、憎み、徹底した捜査が展開された。

終戦の翌年1946年3月11日にとうとうヘスは見つかり、逮捕された。

世界中の人たちは、ヘスの実際を見て驚いた。

世界中の人たちは、ヘスを大量虐殺を推し進めた殺人鬼であり、けだもののような残忍で冷酷でサイコパスのような人物だと思っていたけれども、実際のヘスは、平凡で普通の人だったからだ。

ヘスは、裁判において、ユダヤ人を250万人ガス室に送り、虐殺したと証言した。彼は紛れもなく大量虐殺を命じた司令官だった。

しかし、彼は決して狂気の極悪人ではなかった。

私生活においては、家族を愛するごく普通の平凡な男であり、仕事においては上司に対して忠実であり、上司の命令に従い、その命ずるところを従順にこなしていった。
彼は、絞首刑になる前に手記の中で、自分は「悪い人ではなかった」と書いている。大量虐殺も「命令だった」「抵抗など考えられなかった」と語っている。

彼は、手記に書いている通り、悪い人ではなかった。しかし、おかしいと思っていながらも上官の命令に意見することなく、抵抗する勇気を持たない、ただ従順にどんなことでも従う茶坊主だったのだ。

ルドルフ・ヘスは、私たちに強烈な教訓を残してくれている。

この世において極悪非道を実現する人は、必ずしもサイコパスの狂人ではなく、権力におもねる茶坊主であり、普通の平凡な人物であり、誰もがそうなる可能性があるということだ。

確かに権威や権力が圧倒的な力で黒を白と言いくるめたら、そのように思い、そのように行動することの方が楽だ。流されて生きれば角が立つこともなく危険も少ない。
しかし、そういった安易な茶坊主的な生き方こそが、究極的には悲劇を生んでしまう可能性を忘れてはいけない。

最近、とてもおかしなことが続いている。
・中国の人権問題…法輪功の罪のない人たちを捕らえ、臓器移植のドナーとしている事実、チベットやウイグルをはじめとする人権問題、いまだにその蛮行を許している世界

・コロナウイルス…専門家でさえ人工的に加工された痕跡があると証言しているにもかかわらず天然のものであると断定されていること、思いのほか被害が少ないにもかかわらず、不安と恐怖をあおるマスコミ

・米大統領選挙の不正…あれだけの証拠が挙がっているにもかかわらず、取り合おうとしない司法、事実を伝えないだけではなく事実を捻じ曲げ悪者をすり替えるマスコミ、フェイスブックやツイッターなどの露骨なアカウント凍結による言論封鎖…、

調べれば調べるほど、ぬぐい切れない疑念が立ち起こってくる。

私は、ヘスのようにはなりたくない。
おかしいと感じることは、おかしいと主張したい。
私はそれを許してないと伝えたい。

「矛盾はつきもの」「きれいごとではやってけない」「陰謀論」「言っても無駄」「生意気なことを言ってると痛い目にあうぞ」
そういった皮肉屋の冷笑、脅しには屈したくない。

茶坊主たちは、こうした状況に目を背け、口を閉じ、ただ従順に従うことで抜け目なくリスクを避けているように思っているが、そうした生き方こそが最も危険な場所に向かう道しるべとなっていることに気づいていない。

私は、茶坊主ではなく、勇気ある市民でありたい。

気づいたこと、内面の真実を語ることは勇気がいる。
だれもがそれを気前よく受け入れてくれるとは限らないからだ。
それを言うことで嘲笑され、嫌われ、非難され、距離を置かれ、攻撃される可能性があるからだ。

しかし、私は、勇気ある市民でありたい。

昔から言われているように、正義は勝つのだと信じている。

真実に勝るウソはないし、光に勝る影はない。

人の力と可能性は、人の想像を超えて大きく、その本質は神聖であると信じている。
人が、本来の神聖さを思い出したとき、闇の愚かなたくらみを笑い飛ばすことができるほどの豊かな未来を手に入れることができるだろう。

お釈迦さまが、ご臨終の間際に、「自灯明、法灯明」と言葉を残してくださった。
「自分を頼りにせよ(人に頼るな)。自然界の法をよりどころとせよ(不自然さを受け入れるな)。」という意味だと私は思っている。

今こそ、自分自身の可能性、力を信じ、自分を大切にするべきである。

自分の人生を信じ、自分の哲学に基づいて、他者の権威や権力ではなく自分に対して忠実に、依存的にではなく独立した心をもってたくましく人生を生きるべきだ。

人間らしさ、勇気、陽気さ、明るさ、希望、夢、友情、愛、思いやりこそが、闇を退け、新しい可能性を開くカギとなる。

そう信じて、私は、今の時代を生き抜いていきたい。