カテゴリー別アーカイブ: ⑥心理学

16人の勇者 12. ➉覇王

第12章 ➉覇王

覇王は、力とテクノロジーによって世界を統一しようとする覇者です。
科学・制度・技術を用いて世界規模の課題を解決しようと志します。

この混乱と無秩序に満ちた世界を、
暴力と搾取が横行し、人々が恐怖と苦悩の中で生きるこの社会を、
自らの力によって正さなければならないと確信しています。

覇王は、この世に真の平和をもたらせるのは、自分しかいないと信じています。

人々は弱く、迷い、欲望に流されます。
民主主義も、善意も、理想論も、結局は争いを止められません。
だからこそ、自分が持つ卓越した力とテクノロジーと支配構造で世界を統一し、秩序を打ち立てるしかない。
それが覇王の信念なのです。

覇王は非常に優秀です。
・数手先を読み、資源を大胆に集中させ、一気に勝負を決めます。
・群を抜いた科学技術やテクノロジーで多くの問題を予見し、解決します。
・わずかな違和感も見逃さず、裏切りの芽は徹底的に摘み取ります。
・誰も下せない決断を恐れることなく下し、圧倒的な実行力で現実を変えます。
・敗北から学び、決して諦めず、何度でも立ち上がり、逆襲します。
・人の能力を見抜き、適材適所に配置し、巨大な組織を自在に動かします。
・国家や企業、文明全体を俯瞰し、長期的な戦略を描きます。

だから、人は従います。
だから、巨大な組織が生まれます。
だから、国は豊かになり、秩序は保たれ、栄華を極めるのです。

しかし、そんな完璧に見える覇王にも、誰にも見せることのない弱さがあります。
それは、自分の弱さを認められないこと、ありのままの自分で人と向き合えないことです。
覇王は世界を征服しようとします。
しかし本当に征服したいのは、誰にも知られたくない自分自身の弱さなのかもしれません。
その隠された傷を起点として、覇王という壮大なドラマが展開されていくことになります。

⑴光の側面
覇王は、圧倒的な統率力を持っています。

巨大な組織をまとめ、国家を動かし、歴史を変え、文明を築く力を持っています。
その決断は速く、意志は金剛のように強く、迷いはなく、困難から逃げません。
誰も決められないことを決め、誰も背負えない責任を背負います。

覇王は混乱を嫌います。
秩序を築き、資源を集め、技術を発展させ、巨大な国家や企業を築き上げます。
未来を先取りした科学技術で、魔法のように現実を分析し、劇的に変えます。
その力は、他を凌駕して、圧倒的です。

覇王の権力の源泉は、圧倒的な力(武力、科学力、技術力、財力、能力、…)です。
彼が用いるのは単なる暴力ではなく、「予測可能で合理的なテクノロジー」でもあります。
それによって数手先を読み、資源を集中させ、実際に国を豊かにし、無秩序を排していく。
その威厳の前では、多くの人が畏れ、従います。
世界は統一され、秩序が生まれ、繁栄が訪れるのです。

⑵ 影の側面
覇王は、あらゆる手段を弄して人心を、そして未来をマネジメントしようと試みます。
・プロパガンダ、宣伝広告、マーケティング、ブランド戦略…。
・情報収集、情報統制、教育、法律、ルール設定、買収と企業統治、…。
持てる力やテクノロジーの全てを駆使して、世論を誘導し、自分がそう思ってほしいように人々が思ってもらえるように巧妙に操作します。
不確実性を完全に排除するために、人間の心さえもデータやアルゴリズムのようにマネジメントしようと試み、意図的にヒットやムーブメント、“はやりすたりを作っていくのです。

理想を定め、計画を練って実践し、現実を変えていく…。マネジメントは、世界の不確実性に対処するための唯一の本質的な手段であり、未来を拓こうとする者たちにとっての必要なツールですが、扱い方によっては、危険な武器ともなります。

人身のぬくもりを失い、良心を失ったマネジメントは、時に冷たく、残酷で、支配操作的です。
なりふり構わない、時に悪意を隠さない、法的な問題だけがその制約となるような、時に法的に問題が起こる危険性をもいとわない操作的な方法は、もはやマネジメントとは言えません。
それは、陰謀であり、謀略であり、人を穴に陥れる悪意のある罠です。
それは、詐欺的であり、暴力的であり、犯罪的です。
それは、人の心を貶める呪いであり、洗脳であり、黒魔術になり果ててしまうのです。

また、覇王は、自分自身の力に酔い、コントロールできない存在が許せなくなります。
天地自然の不確実性、時代の流れ、世界で起こる出来事をも自分の都合で操ろうとする。
まさに覇王のエゴは肥大し、神をも目指すようになってしまうのです。
こうなるともはや覇王は覇王ではなく、最も守るべきものであった人間性を失い始め、堕天使へと堕落してしまうことになります。

⑶ 恐れるもの
覇王が恐れるものは、無秩序、制御不能、そして停滞です。

覇王は、世界をより良くしたいと願っています。だからこそ、混乱を嫌い、秩序を築こうとします。責任を果たすために、あらゆる状況を把握し、制御しようとします。そして、停滞こそが敗北の始まりと恐れ、改革と成長を推し進めます。

しかし、この恐れが強くなりすぎると、秩序は管理へ、管理は支配へと変わります。本来、人々を守るために築いた体制が、人々を縛る檻になってしまうのです。

また、覇王の欠点は、心を開けない事、正直になれない事、愛してると決して言えない事でもあります。
覇王は、世界を支配し、人を動かし、完璧なまでの強さを得ることができた存在ですが、そういう存在に値しない自分であることを一番よく知っているのは自分です。
実は、覇王は、自分には自信がないのです。自分の心を支配することはできないし、心の中の敵を滅することもできないし、絶望を拭い去ることもできません。
正直に語り、抱きしめ合うことは、鎧をまとった覇王には不可能であり、かといって、愛されたいという渇望は決してなくなることはありません。愛し愛されたい心の飢餓を脅しと暴力で押し殺して、強さに邁進することによって忘れようとするのです。
実は、覇王は、権力や武力、財力をはぎ取ったら、ひそかに見下し、さげすんでいた下々の者たちと何も変わりがないことを知っており、それが暴露されてしまう事を最も恐れているのです。

人が手に入れることができないほどの権力と富を得た覇王ですが、その代償として、人として最も大切な成長を封印してしまってきたのです。

覇王は、心を開くことができません。
弱音を吐けません。
助けを求められません。
涙を見せられません。

脅すことはできても、「ありがとう。」が言えません。
そして、「大っ嫌いだ」とは言えても、「愛している。」の一言だけは、どうしても口にできないのです。
「私も愛している」と言ってくれる可能性は極めて低く、そして愛は、支配では得られないことを知っているからです。

だから覇王は、愛されるより、恐れられることを望みます。
尊敬されるより、服従されることを望みます。
信頼するより、支配することを望みます。
覇王は、愛よりも恐怖を人生の基軸として選んだのです。

しかし、恐怖によって得られるのは、忠誠ではありません。
沈黙であり、服従であり、諦めです。
人は命令には従っても、心までは差し出しません。

覇王は世界を征服することはできます。
しかし、一人の人間の心を命令で愛させることはできないのです。

⑷ 課題
覇王の課題は、さらに強くなることでも、権力を得ることでも、豊かになることでもありません。
それらの力は、有限であり、必ず頭打ちになるのが宿命です。

覇王の課題は、そうした偶像に頼るのではなく、真実に心を開くこと=自分自身を信じることです。
自分の中に愛し、愛される可能性があること、そして、愛は、実は恐怖とはくらべものにならないほどの偉大なる力が内在しているということに少しでも気づくことができたら、その時を境に、覇王の宇宙は劇的に変わっていくことでしょう。

自分のありのままを受け入れ、愛し、信じることができれば、自分の中の痛みや葛藤、恥や恐れ、自己嫌悪や絶望に光が入り、次第に闇が力を失い、平和を取り戻し始めます。
同時に、恐れとは異なる真の勇気、知恵、元気を取り戻し始め、その光は、徐々に覇王の帝国に反映し始めるはずです。

メンバーのハートは鼓動し始め、目の輝きが明るさを取り戻し、
分離感が癒され、心が開かれ、情熱と叡智が交流を始め、
現状の課題と問題点が、うそや隠し事、偏見を経ることなく、そのありのままが分かり、対処され始め、
今までは想像もしなかったような全く新しいアイデアや工夫が、 日常のあらゆる仕事の場面で創造され、実践されて、あっという間に現実が変わっていく。
結果的に、生産性と創造性は、想像を超えて高まり、奇跡的な成長を遂げていくことになるのです。

覇王が心を閉ざしたままでは、どれほど巨大な帝国を築いても、やがて内側から崩れていきます。愛なき組織は、早晩滅亡するからです。

覇王が、鎧を脱ぎ、鉾を納めて、一人の人間として心を開くことができた時、初めて本当の王への道が開けてくるのです。

16人の勇者 11. ⑨武将

第11章 ⑨武将

武将は、人を率い、仲間を育て、組織を勝利へ導く勇者です。

戦士は、自ら戦います。
達人は、自らの技を極めます。
しかし、どれほど優れた戦士や達人であっても、一人で成し遂げられることには限界があります。
より大きな使命を果たすためには、多くの仲間と力を合わせなければなりません。
武将は、チームを作り、組織を束ねて、一丸となって未来を拓くのです。

武将は、自分が一番強ければよいとは考えません。
仲間一人ひとりの力を見抜き、それぞれが最も力を発揮できる場所へ導きます。
人を育て、人を信じ、人を生かし、組織全体を一つの生命体のように動かしていきます。
武将が目指すのは、自分一人の勝利ではありません。
仲間と共に勝利することなのです。

⑴ 光の側面
武将は、大局を見る人です。
目の前の一勝一敗ではなく、全体の流れを見ています。
目先の利益よりも、未来を考えます。
誰を育て、誰に任せ、誰を支えるべきかを見極めます。
武将は、自分が輝くことよりも、仲間が輝くことを喜びます。
仲間の成功を、自分の成功として受け止めることができます。
また武将は、責任を引き受ける人でもあります。
失敗すれば、自分の責任。
成功すれば、仲間の功績。
その姿勢が、人々の信頼を集めます。
武将の周りには、自然と優秀な人材が集まり、互いを高め合う強い組織が育っていくのです。

⑵ 影の側面
しかし武将にも影があります。
責任が重くなればなるほど、人を信じることが難しくなります。
失敗を恐れるあまり、すべてを自分で管理しようとします。
部下に任せられず、細かなことまで口を出すようになります。
やがて仲間は萎縮し、自ら考えなくなります。
また、成果への執着が強くなると、人を目的ではなく手段として見るようになります。
組織を守るためと言いながら、実は地位や権力を守っていることもあります。
さらに闇が深まると、武将は暴君へと堕ちます。
人を信頼できず、命令だけで人を動かし、恐怖によって組織を支配します。
仲間は協力者ではなく駒となり、組織は命を失ってしまいます。

⑶ 恐れるもの
武将が恐れるものは、敗北だけではありません。
仲間を失うことです。
自分の判断一つで、多くの人の人生が変わります。
だから武将は、決断する孤独を背負います。
間違えることを恐れます。
裏切られることを恐れます。
期待を裏切ることを恐れます。
その恐れが強くなりすぎると、人を信じることができなくなり、組織は次第に硬直していきます。
武将は、完全な確実性など存在しないことを受け入れ、それでも仲間を信じて決断する勇気を学ばなければなりません。

⑷ 課題
武将の課題は、勝ち続けることではありません。
仲間のために、自ら体を張ることです。
武将は、多くの部下を率い、大きな組織を動かします。
命令を下し、戦略を立て、組織を勝利へ導くこともできます。
しかし、それだけでは、人は心からついてきません。
人は、権威には従います。
しかし、愛する人のためには、自ら進んで命を懸けることができます。
真の武将は、自分の利益よりも部下を守ります。
自分の名誉よりも仲間の成長を喜びます。
そして、危険な時ほど、自ら最後尾ではなく先頭に立ちます。
部下に命を懸けることを求める前に、まず自らが部下のために命を懸ける覚悟を持つのです。
その姿を見た時、人は命令に従うのではありません。
心から信頼し、自らの意思でその人についていこうと決意するのです。

組織を支えるものは、権力ではありません。
制度でもありません。
まして恐怖でもありません。
組織を本当に支えるものは、愛です。
愛とは、甘やかすことではありません。
仲間の可能性を信じ、守り、育て、共に使命を果たそうとする覚悟です。

愛なき組織は、早晩滅亡します。一時は栄えることがあっても、決して永く栄えることはありません。仲間はもはや互いを信頼できなくなり、責任を押しつけ合い、挑戦を恐れ、やがて内側から崩れていきます。

反対に、愛ある組織は困難によって強くなります。
仲間は互いを支え合い、一人では到底成し遂げられない使命を共に実現していきます。
武将が、自らの勝利よりも仲間の命を大切にし、そのために自ら体を張ることができるようになった時、統率は支配から愛へと変わります。
その時、武将は、組織を率いる人から、人々に希望を与える存在へと成長します。
そして、武将は、自らの命を懸けて人々を守る覚悟をもった勇者への道を歩み始めるのです。

16人の勇者 10. ⑧達人

第10章 ⑧達人

 達人は、技を通して人格を磨き、人々の期待や想像をはるかに超える現実を創り出す創造者です。

 戦士は、目の前に立ちはだかる障害や壁にひるむことなく、自分の能力を高めることを通して強くなり、乗り越えます。しかし、戦士が強くなればなるほど、内面の悩みが多くなり、問題も多発します。新たに現れる敵もますます強くなり、外面の問題への対処を迫られます。
 また、問題解決能力が高まり、不確実でリスクが伴う戦いや挑戦に対しても勝利できるようになると、周囲の期待もより大きくなり、さらなる能力と責任を担う必要に迫られるようになります。戦士は、内面を見つめることによって人間的に成長を遂げ、さらに問題解決のスキル、職務遂行能力、専門的な技術をより高く磨くことを通して、多発するさまざまな問題に立ち向かうことになります。
 かくして、戦士は、達人へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 達人が成長するプロセスは、決して甘いものではありません。乗り越えなければならない壁も決して低くはありません。学問に王道が無いように、達人への近道はありません。達人が学ばなければならないことは、内外ともに無限であり、それも、数々の試練を通して体験的に学ばなければならないものであり、大きな苦痛も伴います。それは、まさに、過酷な道、修行なのです。

 内面的には、心の中の平和とセルフリーダーシップを取り戻すことによって、過度な緊張から解放されて、リラックスと集中のスキルを身につけます。リラックスは、弱いことでもだらしないことでもありません。それは最強最善のスキルであり、最も目的にかなった行動を、最も効果的なタイミングで、最も効率よく、最も最適な力で実行し、驚くような成果を出すことができます。
 但し、このリラックスのスキルを体得することは、容易ではありません。自分の中の平和を取り戻すためには、自分の中に存在している痛みや苦しみ、憎悪や悲嘆を癒やしていく必要があります。しかし、そうした痛みをもった小さな自分のパーツの数は無限であり、海を満たす水滴の数ほどあるのです。
 瞑想や内観を通して、自分の中の問題と向き合い、癒し、痛みのエネルギーを少しずつ開放していきます。しかし、それはカメの歩みのようにゆっくりであり、成果を出すためには根気と粘り強さが必要です。また、目に見える効果を実感できないので、こんなことを続けても何の役にも立たないのではないかという迷いが生まれますが、それを乗り越えるだけの強い信頼と意志が必要です。さらに、自分の中の痛みを見つめて行くことは、決して楽しいことではありません。体験した時と同じだけの痛みを再体験することも多く、その苦しさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
 達人は、このような過酷な試練の登山道を歩みます。着実に、一歩ずつ、時に疲労困憊し、倒れても、しばし休み、再び立ち上がり、前を向いて歩んでいきます。たとえ牛歩の歩みでも、着実な一歩は、目に見えないほどの着実な成長と変化をもたらします。数週間、数か月、数年という根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。次第に、苦痛と絶望は穏やかになり、気高く精妙なエネルギーに気づく感受性を取り戻し、みずみずしい生命の力強さと喜びを取り戻しながら、達人は、徐々に、リラックスと集中のスキルを体得し始めます。そして、うまくいくかどうかが分からない課題に対して、単なる成功を超えて、人の期待をはるかに超えるような驚くべき成功、まったく新しい現実を創造することができるのです。

 外面的には、自分が取り組む課題、芸術、仕事、芸道、武道、などのスキル高めるための方法をあらゆる角度から探求し、成長の計画を立てて、忠実に実践し、スキルを磨いていきます。徐々に腕を上げ、自分独自の方法を編み出し、誰も真似できない高度な専門性とスキルを身につけ、創造的で美しく、常人には真似できない達人の境地に至ります。

 但し、達人の境地に至る事は、容易ではありません。そのためには、身体的には、整った体と姿勢、鍛えられた筋力、強く揺るがない体幹、しなやかで無駄のない美しい身のこなしが必要です。 前述のリラックスと集中のスキルで磨かれた穏やかでパワフルな心も必要です。さらに、掃除などの人目につかない下積みの地道な仕事を続け完ぺきにこなす基礎力、気の遠くなるほどの繰り返し練習、人知れず重ねた努力、道を究めようとする情熱を通して磨き抜かれた技術も必要です。こうした心技体を体得することは、ラクダが針の穴を通るくらいに困難ですが、根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。
 次第に、自分独自の独特な手法や方法を編み出して奇跡を生み出す力を発揮できるようになります。その成功の秘訣は、独創的かつ特殊で秘伝的です。達人の真似をしたからと言って、同じように成功はできません。それは、余人をもって代えがたい、達人にしかできないことなのです。

 達人の作品は、どれも驚くべきものであり、依頼者は、期待以上の成果を手にすることができて、その作品に魅了され喜びます。こうして達人は、多くのファンに慕われるようになり、高い人望と絶大なる信頼が寄せられることになるのです。

 達人は、そのような修行のプロセスを通して、頼もしいパートナーや友人たちと出会うこともあります。その友人たちは、傷ついた子供や放浪者のころに出会った友人たちとは異なり、単なる遊び友達ではなく、仕事上の心強いパートナーとなります。達人は、新しい仲間、ソウルメイトたちと困難が多い修行の道を助け合って歩み、難しい仕事を協力し合って成功させていくことになります。こうして、達人は、表面的ではない深い信頼関係、絆を育む力を得ることもできるのです。達人が作り上げるチームは、まさに最強のチームであり、高度な専門家集団です。達人は、頼もしい仲間とともに、リーダーシップを発揮して、見事に困難なプロジェクトを成功に導いていくのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、達人は、一本気であり、わき目もふらずに一つのことを究めるので、視野が狭くなりがちです。もっと別の視点から見たならば、より良い解決策が見つかる可能性があるのに、自分の視野の狭さが邪魔をしてして、立ち位置を変えることに抵抗します。一芸を究めることは大切であり、それが差別化をもたらす源泉となりますが、その技だけで今後のあらゆる問題を解決できるとは限りません。技の陳腐化を防ぐためには、多様な視点からの探索と技術革新が必要であり、そのためにも、いわゆる“あそび”が必要なのです。一本気すぎて他を排除するのではなく、一見無関係に思えることであっても興味を持ち、見聞を広げる余裕が大事です。
 また、達人は、あまりにも真剣で、その意味で仕事の鬼であり、仕事ばかりに集中します。それは決して技を磨くという意味では悪いことではないのですが、睡眠時間や食事の時間、楽しい家族との対話、余暇の時間をないがしろにして仕事だけに取り組むことは、決して健康的とは言えません。それは仕事中毒であり、仕事に人生を依存している状態でもあります。バランスの良い生き方こそが、より高度な技につながることを鑑みても、ワークホリックではなく、人生の多様な側面を楽しむということはとても大切なことでしょう。

⑶ 恐れるもの
達人が恐れるものは、凡庸になること。技が衰えること。期待に応えられなくなることです。
だから練習し、努力し、改善します。
しかし、その恐れが強くなりすぎると、スランプとなり、当たり前にできていたことができなくなってしまうのです。
達人は、一旦スランプの隘路にはまってしまうと、創造ではなく、再現に走ります。
芸術は職人芸になり、仕事は作業になります。
そうして、創造のクオリテイは、達人の努力や意図とは正反対にどんどん鈍っていくことになります。
スランプの中の達人は、「努力は夢中に勝てない」の言葉を思い出す必要があります。
恐怖で委縮したありかたでは、決して達人技は機能しません、恐怖は、注意深さの源泉であり、成長への踏み台ですが、それに支配されてはいけません。
実は、自分の技は、自分が為すのではありません。自分の中のまだ十分には出会えていない偉大なる可能性が為すのです。そのためには、自分の中のロゴスを信じ、肩の力を抜いて、その働きに身を委ねる覚悟を学ぶのです。

⑷ 課題
達人の課題は、さらに努力することではありません。
遊び心を取り戻すことです。

遊びとは、怠けることではありません。
遊びとは、新しい視点を受け入れる余白、異なる世界に触れる勇気、未知を楽しむ心です。
その余白こそが、さらなる創造性を育てるのです。

そしてもう一つの課題は、人生の調和です。
達人は、本当に仕事一筋です。
時に、その真剣さゆえに、仕事だけが人生になってしまいます。
しかし、家族も、友人も、自然も、芸術も、休息もまた、人生を豊かにする大切な師です。
人生そのものを深く味わえるようになった時、技はさらに深まり、在り方もさらに成熟していきます。
達人は、もはや単なる技術者ではありません。
世界に存在しなかった価値を生み出す創造者なのです。

その創造力を未知の可能性へと向け、不可能を可能にする奇跡を生み出すならば、達人は魔法使いへの道を歩み始めます。
一方、その創造力を仲間や社会のために用い、人々を導き、困難な使命を成し遂げるならば、達人は勇者への道を歩み始めるのです。

16人の勇者 9. ⑦求道者

第9章 ⑦求道者

求道者は、真理を探究する人です。

職人は、自らの技を磨き続けます。
知識を身につけ、経験を積み重ね、失敗を繰り返しながら、自分の専門性を高めていきます。
しかし、ある時、大きな壁にぶつかっていることに気づくことになります。
・技術だけでは解決できない問題がある。
・努力だけでは届かない真実がある。
・同じ技術を使っても、人によって結果が違う。
・正しいことをしても、報われないことがある。

そして職人は、技術では決して解くことのできない「答えのない問い」と出会うことになるのです。
・人は、なぜ苦しむのか。
・人は、なぜ間違えるのか。
・世界は、なぜこれほど矛盾と痛みに満ちているのか。
職人は、その答えを探究する過程で、自分の技を磨くだけではなく、その技を支えている原理や法則、人間の本質、世界の真理そのものを知りたいと願うようになるります。

こうして職人は、技を探究する者から、問いを探究する者となり、真理を探究する者である求道者へと変容を遂げるのです。

求道者は、知識を集める人ではありません。真理を探究する人です。
目に見える現象の奥にある法則、人間の心の仕組み、人生の意味、善と悪…。
自由とは何か、愛とは何か、幸福とは何か…。
求道者は、世界の本質を理解しようとします。

求道者の探究は、真剣そのものです。
書物を読み、科学を学び、心理学を学び、哲学を学び、宗教を学びます。
山にこもり、瞑想を重ね、師を訪ね、寺院を巡り、旅をします。
求道者は、容易には答えを手に入れることができない危険な問いを巡って、容赦ない修行を繰り広げていくのです。

⑴ 光の側面
求道者は、問い続ける人です。
安易な答えには飛びつきません。
世間の常識をうのみにしません。
権威だからといって信じません。
自分自身の体験を大切にし、気付きを深め、徐々により精妙で豊かな感受性を身につけていきます。
また、自分が間違っている可能性を受け入れる謙虚さも持っています。
真実の前では、あらゆる自己欺瞞、こじつけやいいわけを決して許しません。
自分の中の良心と言う厳格な基準に忠実なのです。

だから求道者は、日々成長します。
知識だけでなく、洞察を深めていくのです。
出来事や存在を一面的にではなく、多元的多面的に理解できるようになり、認識に深みと広さが生まれてきます。いわゆる正見のスキルを身につけるようになります。

ありのままをありのままに理解する。
自分の願望を混ぜない。
自分の恐れを投影しない。
自分の都合で解釈しない。
世界を世界のままに、人を人のままに、自分を自分のままに見る。
その当たり前のようでいて最も難しい能力――正見を、求道者は問い続ける勇気を通して少しずつ身につけていくのです。

⑵ 影の側面

人には、自分ではうまくコントロールができない、ままならないものが2つあります。
一つは内面であり、一つは自分以外の世界です。
求道者は、内面については、徹底的に探究を進めており、深い洞察を体得していますが、外側の世界の不確実性についてはいまだに苦手です。
外側の世界には、思いもよらない偶然、理屈では説明のできない奇跡もあれば、理不尽な苦悩、痛み、矛盾、うそ、搾取、暴力、など、光もあれば闇もあり、そのたいていのことは、自分のコントロールの範囲外で起こってきます。 実は、求道者は、そうした外面の複雑性、不確実性が苦手なのです。
求道者は、そうした外面の不確実性に対して、2つの対処をします。 一つ目は、疑い深さと論理性であり、もう一つはルール化です。 こうした注意深さは、罠の多い精神世界を歩む上では、必要な武器と防具でもありますが、度が過ぎると、さまざまな機能不全となって現れてきます。

まず、一つ目の「疑い深さと論理性」について、求道者は、論理性を重んじます。
しかし、論理だけでは説明できない出来事もあります。
求道者が批判精神や思考力だけに凝り固まり、感受性を失ってしまって、やさしい目や好奇心、聴く耳を失ってしまったら、論理性を越えた気付きや教えを手にすることはできません。
自分に自信がなかったり偶然の幸運を疑って信じられなければ、訪れたチャンスをただの気のせいだと思い込み、目の前の宝を無視してありもしない宝を探し始めることになってしまいます。
共時性や幸運は、論理だけでは捉えきれない世界の働きです。
この世には、理屈だけでは説明できない不思議があります。

それを受け止めるには、論理だけでなく、信頼と感受性、そして聴く耳が必要なのです。
求道者は、自分が十分に準備を整えていることへの自信と、幸運に心を開く信頼感、聴く耳を持つことが大切です。

二つ目の「ルール化」について、求道者は、きままで誘惑の多い外面の世界に対して、厳格なルールをもって自分の行動や組織の秩序を維持します。ルールは、トラブルを未然に防ぐ便利なツールであり、軸をもって生きる上での支えとなるものですが、扱い方を間違えると、強い副作用が出てくる劇薬となります。
ルールはあくまでも手段であって、成長への踏み台ですが、それに権威を持たせて玉座に据えてしまうと、たちまち法的統治から転落し、教条主義、権威主義、原理主義となり、柔軟性のなさと狭量による厳格な罰則を強調し始めることになります。
自分たちが設定したルールを権威化して、自分の生活や生き方を一元的に例外を許さず厳格に律すると同時に、他者にも、そのような生き方を強制します。もし、ルールを少しでも踏み外したら、指摘し、裁き、罰を与えるのです。

さらに、その傾向の度が過ぎると、求道者は、律法学者へと闇落ちすることになります。
律法学者は、すでに探究者ではなく権威者となってしまいます。
律法学者は、世のため人のためと言いながら、正装して歩き、上席や上座を好み、やもめの家々を食いつぶし、その言い訳に長々と祈ります。
人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしません。
知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げます。
聖なるものたちを、ルールにそぐわないと言って、魔女、罪人のレッテルを張って迫害するのです。

探求者は、こうした闇落ちの罠があることに十分注意をしなければなりません。自分の不完全さを受け入れる勇気、謙虚さ、共感、人の言葉に耳を傾けることができる節度、そして、自分の良心を決して裏切らない基軸を持つことが大切です。

⑶ 恐れるもの
求道者が恐れることは、罠にかかること、間違えること、完ぺきではないことです。
求道者が出会う教えが、全て適切で正しいものとは限りません。そこは玉石混交の世界であり、間違えた教えを真実と勘違いしてしまう罠もあるのです。求道者には、真実とうそを見極める選択眼が必要なのです。
 また、求道者は、完ぺきではないこと、そこに少しでも影があること、間違いがあることを嫌うあまり、問題解決のための求道というよりは、理想主義や完璧主義の隘路にはまり、完璧な方法や、非の打ち所がない教えを求めることもあります。
目的が問題解決から求道そのものに切り替わってしまうのです。理想を追求するあまり、次から次へと指導者や教えを巡り歩き、ジプシーを繰り広げることもあります。
そうした探究が、最終的な真実との出あいにつながる可能性もありますが、時には、放浪者と同じように、本質的で見たくない問題から逃れるための言い訳となっている可能性もあります。あくまでも目的は探究ではなく真理であることを忘れてはいけません。

⑷ 課題
求道者の課題は、真理を所有することではなく、真理に仕えることです。
さらに多くの知識を得ることでも、さらに深い悟りを得ることでもありません。
真理に仕えるとは、自分のエゴを、真理の前に静かにひざまずかせることです。
自分の都合に合わせて真理を利用するのではなく、真理によって自分自身が変わっていくことです。
求道者は、厳しい修行を経て、悟りを開き、自分自身を救うことができますが、本来の探究は、自分自身のみを救うことではありません。
自らが得た智慧を、人の幸せのために用いること。
それこそが、求道の使命なのです。
真理は、自分一人のために存在するものではありません。
人を照らし、人を生かし、人を幸せにするために存在するのです。

求道者が、自分だけの悟りへの執着を手放し、真理に仕え、人に仕えようとした時、その探究は新たな段階へ入ります。
真理を探す者は、やがて真理を生きる者となるのです。
その時、真理は知識ではなく、生き方になります。
そして、智慧は知識ではなく人格となり、勇者は、人を導く存在への道を歩み始めるのです。

16人の勇者 第8章 ⑥戦士

第8章 ⑥戦士

戦士は、勇気をもって旅に一歩踏み出した勇者です。
戦士は、慣れ親しんだ自分の居心地の良い部屋、習慣、生き方を捨て去り、愛する人を守るため、ドラゴンを倒すため、夢を実現するため、自分の弱さを克服するための旅に出る覚悟を決めます。

慣れ親しんだ環境を後にして新しい世界に入ろうとする際には、必ずそれに抵抗する「門番」と呼ばれる力が立ち現れてきます。門番は、異なる2つの世界の境界にいて、境界を出入りする人を監視し、管理します。
旅に出ることを決めた戦士にとって、門番は、最初に出会う敵となります。門番は、故郷を後にしようとする戦士の邪魔をして、旅立ちを阻止しようとするのです。
それは、故郷を後にするものを裏切者扱いにする嫉妬深い人であるかもしれませんし、法律のような制度であるかもしれません。
逆に、戦士を心配し、戦士が未知に挑戦することを危険視するあまりに、おせっかいをやく親かもしれません。
また、仲間抜けをするなら落とし前をつけろと脅す戦士を搾取していた者たちであるかもしれません。
さらに、戦士自身の冒険への不安や恐怖である場合もあります。
いずれにしても、門番は、何らかの理由、たいていの場合は狭く勝手な了見で、戦士の旅立ちを阻害します。戦士は、まずは、その者たちに対して、上手に立ち向かい、乗り越える必要があるのです。

戦士は、門番に対して決して逃げることなく立ち向かいます。門番を乗り越えるためのさまざまな作戦を練って、検討し、果敢に出陣するのです。
もちろん、面と向かって戦い、門番を倒し、打ち負かすことで乗り越えることもできますが、方法はそれだけではありません。門番が寝ているすきをみて素早く通り過ぎる方法もありますし、荷車の荷物に紛れて通り過ぎる方法もあります、通過を許されている何者かに変装して門番を上手にだます方法もあるでしょう。
理想的には、話し合い、門を出る必要性と意義を理解してもらい、旅を応援してくれる仲間になってもらうのが最高です。
そもそも、門番は、門番としての使命を持っており、戦士にとっては旅を邪魔する障害となる者ですが、決して敵や悪者ではありません。できるだけ門番を傷つけずに脱出できるのに越したことはないのです。戦士は、この門番への対処法を通して、まさに今までに学んだ事柄のテスト、力量を問われることになります。

いずれにしても、戦士は、こうして、障害から逃げることなく直面し、作戦を練って果敢に挑戦し、見事に高い壁を乗り越えて、戻ることのできない未知なる冒険へと乗り出すことになるのです。

⑴光の側面
戦士は、勇気と力と高潔さをもって敵に立ち向かいます。
目標を定め、計画を練って、果敢に挑戦して成果を出します。
時には自分や仲間を守るために勇敢に戦いを挑みます。戦士は、ただ単に強く手段を選ばない暴君ではなく、気高く高貴な正義の騎士なのです。
戦士は、多くの戦いや挑戦を経て、どんどん強くなっていきます。
どう転ぶかわからない不確実な戦いに挑み、多くの経験を経て戦いを有利に進め、勝利をもたらす力を身に着けていきます。
旅に出る前は先を見通せる事だけしかできなかったのに対して、戦士は、不確実で成功の保証がない課題に取り組み、高い確率で成功をもたらすことができるようになります。すなわち、不確実性への耐性を体得することができるのです。
また、困難な逆境にあっても、決してあきらめずに立ち向かう強靭な精神力、粘り強さを体得していきます。さまざまな不安にひるまずに率直に言うべきことを言う自己主張の力、説得し納得を引き出すプレゼンテーションの力を身につけます。

⑵影の側面
戦士が恐れるものは、自分自身の弱さ、能力不足です。
自分の中にある弱さや能力不足を、何度も何度も練習を繰り返し、克服していきます。
敵に勝つなどの具体的な目標を設定し、それを実現する能力を獲得するために学習計画、鍛錬のスケジュールを定め、強い意志で訓練を続け、成長していくのです。
それは、自分の中の弱さと戦い、打ち負かそうとするプロセスでもあります。
戦士は、自分の中の怠け癖、わがまま、悪の傾向、私利私欲を求める心、移り気、いい加減さに対して、無慈悲で厳しい態度で臨みます。それらを発見するたびに、自分を叱り、責め、否定して打ち負かそうとするのです。
そうしたストイックな態度は、戦士の急速な成長をもたらします。戦士はあっという間に力をつけて、能力を高めます。以前の自分とは比べ物にならないくらいの力強くたくましい存在になるのです。
しかし、一方で、自分の中で否定された弱さや欠点は、決して消え去ることはありません。光あるところに影ができるように、弱さや欠点は切り離せない自分の一部であり、どんなに戦士が強くなっても、それらは影のように存在しています。
普段は戦士の厳しい態度に打ち負かされて身を潜めますが、戦士の気力が弱まった時や心理的な困難で集中力を失ったときには、心のすきを縫って自己主張し、戦士を増々困惑させる事態を生むことになるのです。
戦士は、そうした弱点の反撃に会うたびに、自分の中にある欠点をぬぐえないことに対する罪悪感や恥を感じ、弱点を嫌悪し、恫喝し、破壊しようとします。完璧な戦士になろうとして、正義を貫き、時には自己犠牲の精神で、自分の命をも捨てる覚悟で戦いますが、たとえそれができたからと言って、欠点を克服できたわけではありません。
完璧になろうとする試みは、決して成功しません。光があれば影ができるように、長所があれば欠点が生まれてくるのは宿命です。また影は実体ではなく、光の欠如であり、光が強ければ強いほど濃くなります。同様に、戦士が強くなればなるほど、弱さや欠点も強くなり目立つようになるのです。
こうして、戦士の外面的な成長とは裏腹に、内面では、徐々に葛藤が強まり、苦悩は増していくことになります。この葛藤は、放置しておくと、ますます悪化して、後に大きな問題やトラブルにつながる原因となっていく危険性があります。
また、内面の葛藤は、外面にも影響を及ぼすようになります。戦士は、自分の内面の弱さを憎み、攻撃するように、他者の弱さや欠点に対しても厳格です。他者の弱さを指摘し、反省を促し、克服する努力をするように忠告します。
しかし、他者の弱点や欠点も、自分同様に光あるところの影であり、決して無くなることはありません。攻撃を受けて身をひそめることはあるでしょうが、チャンスを見て反撃をすることもあるでしょう。
戦士は、反撃にあえば会うほど、過剰に警戒し防衛するようになり、弱点への攻撃は、ますます無慈悲になり、過酷になります。戦士の攻めが強くなればなるほど相手の防衛と反撃も強まるので、ますます自他の葛藤は強まります。葛藤に勝つために、戦士の忠告は警告になり、次第に恫喝へと変わっていきます。
時には、虐待や暴力につながる危険性もあります。そうなると、もはや正義の味方ではなく、冷酷な一匹狼に逆戻りしてしまい、最悪で虐待者、悪への転落者となってしまいます。

⑶課題
そうした暴力や虐待の罠にはまることなく、戦士が本質的に強くなるためには、意識的にこの内面と外面の葛藤を解決するよう努力する必要があります。
戦士に必要な課題のまず一つ目は、何のために弱さと戦うのかについての大義を忘れないようにすることです。
弱きを助け強きをくじくという志の下では、弱者に対しての慈悲を忘れることはないでしょう。
しかし、大義を失い、私利私欲に走ってしまうと、容易に恐怖や怒りの感情に飲み込まれて、暴君や虐待者になってしまうことでしょう。

2つ目の課題は自制心を持つことです。自制心とは、自分を律すること、自分の内面の多様性を統合するリーダーシップを言います。
自制心は、弱点を決して否定しません。かといって、放置もしません。暴れ馬に手綱をつけて静め上手に乗りこなすのです。自分にとっての障害を見境なく敵と見立てて戦うのではなく、上手に向き合い、コントロールするすべ=自制心を学び取ることが大切です。

3つ目の課題は、受け入れる度量を身につけることです。まずは、自分や他者の欠点、弱点は、影のような存在であり、けっして消し去ることはできないことを理解し、それを受け入れることが必要です。自分が恐れるものは自分の影であることを見極めて、恐れから戦いを挑むことを止めることが大切です。恐れてやみくもに剣を振るうのではなく、存在を受け入れ、良く観察して、光を当てていくことが大切なのです。
認められた欠点はもはや敵ではありません。光が当たった欠点はもはや障害ではありません。それは、免疫力であり、注意深さであり、健全な防衛力となります。受け入れる度量は、狭量な偏屈さ、頑固さを和らげ、敵を少なくすると同時に、味方を増やし、最終的には戦力の増強につながるのです。

16人の勇者 7.⑤暴君

第7章 ⑤暴君

一匹狼が群れに属さないとすれば、暴君はその群れを作る者です。
高い報酬と徹底した処罰で管理、コントロールして組織を束ねます。
愛ではなく契約による統治者なのです。

高い報酬の源泉は、不確実性への耐性です。
並外れた胆力をもって、不可能を可能にします。

暴君は、不確実性の正体を徹底的に研究します。
何が起こり得るのか。
どこに危険が潜んでいるのか。
どうすれば勝率を上げられるのか。
失敗を避けるためには何が必要なのか。
そうしたことを執拗なまでに分析し、自分なりの対処法やノウハウを構築していきます。

そして、磨きぬいたやり方と技術と力をもって、
・大きな賭けをする、
・リスクを引き受ける、
・修羅場に強い、
・危機で逃げない、…
暴君は、多くの人が恐れて近づかない危険や混乱の中へ、自ら踏み込んでいきます。
危険な橋を渡るリスクを引き受けて、不確実性と戦います。
だからこそ莫大な成果を生み出せるのです。

暴君は組織を作ります。
事業を作ります。
資産を作ります。
国家を作ります。
混乱を整理し、秩序を生み出し、大きな成果を実現します。

そのために必要なのは、知識でも技術でもありません。
覚悟です。
誰も引き受けたがらない責任を引き受ける覚悟。
誰も挑戦しない未来へ賭ける覚悟。
失敗すれば全てを失うかもしれない状況で決断する覚悟です。
暴君は、その覚悟によって莫大な価値を生み出します。

度胸と覚悟と注意深さは、幸運を招きます。
幸運の女神は、勇気あるものに微笑む。
暴君は、運を味方につけて奇跡を起こすのです。

だから人は彼を必要とします。
だから人は彼を恐れます。
だから人は彼に従うのです。

⑴ 光の側面
暴君は、圧倒的な実行力を持っています。
決断ができます。
責任を引き受けます。
不確実な未来に賭けることができます。

多くの人が危険を恐れて立ち止まる場面でも、暴君は前へ進みます。
だから新しい事業が生まれます。
新しい技術が生まれます。
新しい社会が生まれます。

暴君は成果主義です。
努力や能力を評価します。
結果を出した者には報酬を与えます。
その報酬は、自らが引き受けた不確実性から生み出されたものです。

暴君は人を甘やかしません。
厳しい要求をします。
高い基準を求めます。
しかしそれは、自らにも同じ基準を課しているからです。

暴君は、自分に最も厳しい人でもあります。
弱気な自分を許しません。
失敗した自分を許しません。
騙された自分を許しません。
傷ついた自分を許しません。
弱さや欠点を克服すべく、常に自分を鍛え続けます。
暴君は、努力によって越えられない問題はないと信じています。

違和感から目をそらしません。
危険の兆候を見逃しません。
現実を甘く見ません。
人の善意を過信しません。
社会に潜む罠を見抜こうとします。
そして、自らの知識と経験と技術を磨き続けます。

安易な楽観主義を嫌います。
しかし同時に、絶望もしません。
冷徹に現実を見つめながら、それでも大胆に未来に賭けます。
だからこそ、多くの人が諦める困難を突破できるのです。

そうした暴君は、不可能を可能にする魅力を持っています。
そして、人々はその力に憧れ、その覚悟に驚き、その危うさに畏怖するのです。

⑵ 影の側面
暴君は、世の複雑性を良く知っています。
この世に善と悪が存在し、複雑に絡み合っており、悪も簡単には裁けないことを良く理解しています。
しかし、悪を知っていることと、悪に支配されることは違います。
また、悪を利用することと、悪に奉仕することも違います。
暴君はしばしば、その違いを見失ってしまうことがあります。
暴君のその力は、時として、うそやごまかし、誇張や脅迫を交えた愛のない支配、冷たい取引へと変わってしまうのです。

暴君は、人を信じているのではありません。
愛されるよりも怖がられることによって管理しています。
成果を出せば報酬。
従わなければ処罰。
そうして秩序を維持します。

暴君にとって、人は大切な戦力です。
しかし心から信頼できる仲間ではありません。
利害によって結びついた存在だと考えています。
力になってくれることもありますが、状況が変われば裏切ることもあります。
だから暴君は、人を信頼ではなくアメとムチによって束ねようとします。
時に、それがハラスメントになり、暴力に転じることもあります。
人は、恐怖故に暴君に従いますが、心服はしていないので、言われたことしかやりませんし、身を護るために、言い訳やうそ、取り繕いに徹します。
暴君は、一生懸命に組織を束ねれば束ねるほど、組織はその力を失っていくのです。

また、暴君は、危機的状況になると、時として、強引になってしまいます。
暴君は、不確実性に立ち向かう英雄であると同時に、世界を制御可能だと思っています。
だからこそ、制御できない現実を前にすると激しく動揺します。
しかし世界には、努力でも技術でも解決できないものがある。
暴君は、決して敗北を受け入れることができないように、その事実を受け入れることができません。
だから、勝利のためには手段は選ばない、修羅の道を選ぶことがあります。法的な制約は、それを破ることまではしませんが、時として、法の網の目を通り抜けるような法律ぎりぎりの手段に訴えることもあります。
そうしたふるまいは、他者からは、詐欺的、暴力的とも映ることがあります。

さらに、暴君は、自分の弱さを激しく嫌悪しています。
臆病な自分、無力でみじめな自分、失敗する自分、偽善的な自分、醜い自分、…。
自分の中に、そのような自分が存在することを決して許そうとしません。

だから強くなろうとします。
だから勝ち続けようとします。
だから成功し続けようとします。
しかし、その戦いに終わりはありません。
なぜなら暴君が倒そうとしている相手は、他人ではなく自分自身の影だからです。

そして他人の中に同じものを見つけると、それもまた許さず、憎みます。
・弱音を吐く者。
・言い訳をする者。
・能力のない者。
・偽善者。
・見栄を張る者。
・依存する者。
そのような人々に激しい嫌悪感を抱くことがあります。
しかし実際には、それらは暴君自身の影でもあります。
影は、光の不在であって決して倒し排除することはできませんが、暴君はその勝ち目のない戦いを続けるのです。

自己否定が嵩じて自己嫌悪になってしまうと、勇者の道を踏み外して、魔王へと堕落する危険性があります。
暴君は、少なくとも、世のため人のためと思っている大義名分をもち、法律違反は慎みますが、魔王は、それすら尊重しなくなります。自分の中のぐずぐずと燃え滾る怒りや憎しみ、復讐心、…。それらの源泉は、他者から与えられたものと言うよりは、自己嫌悪なのですが、それを自分に見て反省しようとはせず、他人に投影し、攻撃を始めます。
眼光は狂気を帯びるようになり、その攻撃は、自分にするように他人にするものであり、容赦ないもので、虐待や暴力をふるうことに躊躇がなくなるのです。
その時、暴君が築いた王国は、人々のための秩序ではなく、自らの傷を守るための牢獄へと変わるのです。

⑶ 恐れるもの
暴君の恐れは自己嫌悪です。自分の中の見捨て虐待した自分が影となって、時として自分に影響を与えること、もしくはそう言う弱く醜い自分の存在が暴露されることを恐れているのです。

だからこそ徹底的な圧勝で脆い自己イメージを維持しようとします。
暴君にとって敗北とは、単なる失敗ではありません。
過去に見捨てた自分自身との再会です。
だから、そうした弱くてみじめな自分と直面しないためにも、単なる成功ではなく圧倒的な勝利を勝ち取る自分を維持する必要があるのです。
暴君は人から畏怖を集めることによって自己イメージを高めたいのです。

暴君は負けることを恐れています。
しかし本当に恐れているのは敗北ではありません。
敗北によって、自分が隠してきた弱さや醜さが暴露されることなのです。

⑷ 課題
暴君の課題は、自己不信と劣等感、そしてそれが積み重なって生まれる自己嫌悪です。
本来、人の弱さや醜さは、心理学的には、光の影であって、人存在としてあってしかるべきものであり、切り離すことは不可能な部分でもあります。
しかし、暴君は、そういう自分の内面の瑕疵、欠点や弱さを受け入れることができません。なぜなら、自分の本質が、そういう弱さ醜さであり、そういう自分の無価値な本質がばれたら存在が許されないと思い込んでいるからです。
だから、自分は完全無欠で非の打ちどころのない強さを持っており、何一つ隙はない。あらゆるものは自分が制御可能であり、不可能はない。そう思いたいし、そう思ってもらいたいのです。
暴君にとって、そういう無理難題を自分にも他人にも命じることは、決して楽しく自然なことではありません。自分の圧倒的な力をもってそういう強引な命令を通すことは、一時的にできたとしても、長続きはしません。
だからこそ、もっと肩の力を抜く必要があります。

暴君の課題は、さらに力を手に入れることではありません。
自分自身を許すことです。
弱さを許すこと。
失敗を許すこと。
愚かさを許すこと。
未熟さを許すこと。
偽善を許すこと。

暴君は、自分を愛していません。
だから他人にも厳しくなります。
だから世界にも厳しくなります。
自分を裁く人は、他人も裁くからです。
しかし人は誰も完全ではありません。

誰もが弱さを持っています。
誰もが矛盾を抱えています。
誰もが愚かさを持っています。
その事実を受け入れること。
そして、自分の価値を成果や支配や評価によって証明しようとすることをやめること。
それが暴君の学ぶべき課題です。

自分のありのままを受け入れて、それを少しずつ愛せるようになった時、少しだけ人を許せるようになり、人を大切にできる気持ちが起こってくるのであり、その時にこそ、暴君は、真のリーダーへと変容していくことができるのです。

16人の勇者 6.④職人

第6章 ④職人

放浪者は、さまざまな経験を通して多くのことを学びます。
人との付き合い方。
傷ついた時の立ち直り方。
困難を切り抜ける知恵。
生き抜くための工夫。
しかし、それらはまだ断片的な知識に過ぎません。

職人は、それらを自分自身の力へと変えていく人です。
知識を技術へ。
理解を実践へ。
可能性を現実へ。

職人は、自分の才能や能力を信じ、繰り返し練習し、失敗し、改善しながら、自らの技を磨いていきます。
職人は自分と相性の合う一つの分野を見つけ、深く掘り下げる人です。

その探求の対象は、社会の中でうまく立ち回る方法と言うよりは、自分です。
「自分には何ができるのか」
「どこまで成長できるのか」
「どのような価値を生み出せるのか」
職人は、自らの可能性を形にするために修練を続ける勇者なのです。

⑴ 光の側面
職人は努力を信じています。
才能だけでなく、反復と鍛錬によって人は成長できることを知っています。

昨日より今日、今日より明日。
少しでも上達したい。
少しでも良いものを作りたい。
そんな向上心を持っています。

職人は、自分の責任を他人に押し付けません。
できなかったことを言い訳せず、自らの課題として受け止めます。
また、地道な積み重ねを厭いません。
派手な成功よりも、確かな成長を大切にします。
何度も挑戦し、何度も失敗し、その失敗から学びます。

職人は、自分の力で人生を切り開こうとする人です。
だからこそ、困難な状況の中でも諦めずに努力を続けることができます。
その誠実さと粘り強さは、職人の大きな魅力です。

⑵ 影の側面
しかし、その向上心は時として完璧主義へと変わります。
もっと上手くならなければならない。
失敗してはいけない。
常に正しくなければならない。
少しでも瑕疵があってはならない、…。

それは、自分のスキルを磨く原動力ともなりますが、
自他ともに欠点を嫌う狭量さともなり、時に頑固で、融通の利かないわからずやのレッテルを張られることもあります。

また、職人は、自分の仮説にこだわりを持っています。実際には、それらは勘違いや思い込みであることが多いのですが、一旦信じ込んだ仮説は、簡単には変えたり手放したりすることはありません。
他者から「それは違うよ」「勘違いだよ」とフィードバックされても、決して心からは納得することなく、いつまでも自分の勘違いを大切にして、逆に、過去や現実をその仮説の通りに合わせようとするのです。

それは、自分の成長が、仮説と共に在ったので、仮説を信じることは、大切なことでもあるのですが、自分が思いつくあらゆる仮説が真実とは限りません。
職人は、自分の技術やスキルを高めてきましたが、世界の複雑さや不確実性、混とんとしてよくわからない状況に対して、それを深く探求していくことを嫌い、単純で簡単にけりをつけたいという欲求が強いので、世界への理解は自分の技ほど成長していません。
だから、本当は不器用であり、社会でうまくやっていくことに関しては、実は全く自信がないのです。
そして、その自分の欠点と向き合うことが難しい。だから、社会や世界に関する自分の仮説を疑うことができずに、真実と思い込んでしまい、いろいろなトラブルや失敗につながる危険性が少なくないのです。

さらに、大きくゆがんだ世界観や宗教観を自分の信念として持ってしまった場合は、自分の高い技術やスキルが、逆にあだを為してしまいます。
勇者の道を踏み外し、自分の専門性を悪用して、偽善に仕えるマッドサイエンティストに闇落ちしてしまう危険性があるのです。

マッドサイエンテイストは、自分の狭い了見から生まれた暗い世界観や宗教観、人間観を絶対視し、それに人や現実を従わせようとします。
ゆがんだ理論を真実と偽り、専門性を生かして、数多くの実験を行って、自分の立場を証明し、正当化しようとします。
その結果、人の幸せのためではなく、自らのゆがんだ思想や理論による何らかのモンスターを作ってしまうのです。

職人にとって最大の敵は、未熟さではありません。自分の正しさへの執着=傲慢さなのです。

⑶ 恐れるもの
職人は、自分の不完全さ、失敗、愚かさ、自分の内面に存在する影を恐れています。
また、そういう自分の愚かな内面が暴露されて、人から嫌われ、見下されることを恐れているのです。

だから、安全確実で見通しがつくものにだけ手を出しますが、
自分にはできそうもないこと挑戦することを恐れます。

職人は、「分からない」「だから教えてください」ということが苦手です。
人に弱みを見られることを恐れているのです。

だから、知っているふりをします。人に聞かずに自分で何とかしてしまおうとします。
だからこそ高い探求心をもって主体的に高いスキルを体得できるのですが、その成長は、遅く、独自で、隘路にはまりがちとなります。

⑷ 課題
職人の課題は、了見の狭い自分のままで、さらにテクニックを磨くことではありません。
自分の今の限界、いまの不完全さを受け入れることです。

どれほど努力しても失敗はあります。
どれほど賢くなっても分からないことはあります。
どれほど技術を磨いても、人生を完全に制御することはできません。

だから職人には謙虚さが必要です。
自分の最善が絶対ではないこと。
自分の仮説が間違っている可能性があること。
自分のエゴの力だけでは届かない領域があること。
その事実を受け入れる勇気が必要なのです。

職人の使命は、非の打ちどころのない超人になることではありません。
肩の力を抜いて、もっと自分のありのままを受け入れること、真の意味で自分を愛することです。
そして、他人に対しても完璧を求めない。自分のルールを押し付けない。こうあるべきだという偽善から自由になって、もっと他人や社会のありのままをありのままに受け入れ、観察すること、謙虚に学ばせていただくことです。

なぜ努力しても報われないことがあるのか?
なぜ正しいことが受け入れられないのか?
その問いから逃げずに向き合った時、職人は次の旅へと歩み始めます。
技を極めようとしていた者は、やがて真理を求める者へと変わるのです。

16人の勇者 4.②放浪者

第4章 ②放浪者

自然児・隠遁者は、内面に自己中心的で周囲への配慮が欠けたわがままなあり方がある限り、周囲からの指摘や注意、叱責を受けることになります。周囲から拒絶され、距離を置かれるような、さまざまな出来事に傷つきますが、それらの出来事は、未熟な今の在り方を指摘し、より高い成長を促すメッセージでもあり、そのピンチをチャンスとしてとらえ、自らの成長に向けての努力をする必要があります。しかし、多くの場合、今まで慣れ親しんでいたあり方、考え方、習慣、態度を変えたくない気持ちが強く、現状を維持することに固執して、新しいチャレンジをすることを拒否します。
しかしながら、未熟な現在のありようを続ける限り、痛みを伴う体験=変容を促すメッセージはとめどもなく起こり続けることになり、自然児、隠遁者は、そうした痛みから逃れるためのあらゆる方法を探ります。
かくして、自然児、隠遁者は、放浪者へと変容を遂げることになります。
放浪者は、閉じた世界から外に踏み出した人です。それだけで、すでに一つの勇気がある。しかし放浪者の本当の旅は、まだ始まっていません。

⑴光の側面
放浪者は、恐怖や苦悩から逃れるためのありとあらゆる方法を探していきます。助けてくれる人、機関、知識、科学、宗教、気晴らし、束の間の楽しみ、趣味、悩みを共有して相談できる友人、などなど、痛みや苦しみ、内面の傷の疼きから逃れるためのさまざまな方法を研究しながら見聞を広げ、まともにぶつかりあわずに上手にかわす方法、たとえ投げ飛ばされても上手に受け身をとって怪我をしない方法、ディフェンスの技術を身に着け、次第にたくましくなります。友人と友情をはぐくむ方法や、時には逃げることも大切だということ、困難の中でもリラックスをして楽しめる自分なりの方法などを学びます。
放浪者は、さまよい逃げまどいながらも、明るさを忘れず、束の間ではありながらも楽しさや喜びを求めます。仲間ともに語り合い、気晴らしのゲームを楽しみ、ちょっとした冒険を繰り広げながら、次第に子供っぽさから卒業し大人の流儀を身にまとうようになります。放浪者は、痛みを体験しているがゆえに、人の痛みが分かるやさしさを持っています。自分が傷ついた経験があるからこそ、苦しんでいる人を放っておけません。周囲の人たちにとって、放浪者は、痛みを分かち合える気のいいやつであり、助け合える良き友です。苦しみの中にあっても明るさを忘れず、楽しく明るさをもたらし、場を盛り上げてくれる仲間なのです。

⑵影の側面
放浪者が求めることは、困難から逃れること、今の自分の在り方や日常の習慣を維持して変えないこと、執着している何かを失わないことです。不満や問題があることは知っていても、放浪者にとって日常は、これ以上の危険性のないそれなりに安心できる場所であり、居心地の良い領域なのです。また、自分に降りかかった課題に取り組むためには、全く新しい希望と危険が待ち受けている未知の世界に踏み出さなければならないことを知っており、自分がそこでやっていける自信がなく、怖気づいているのです。
しかし、この世に変わらないものなど存在しません。今の自分の在り方も日常の習慣や生活も、時間の流れとともに変わっていくものであり、成長を促すメッセージは、良いこと悪いことの両面からさまざまな形で次々に訪れて来ます。
放浪者は、それらのメッセージを無視して、成長を拒絶しているわけではありません。
むしろ成長したいのです。
だから本を読む。話を聞く。旅に出る。人と出会う。技術を学ぶ。
しかし、そのどれもが「出発の準備」のまま終わってしまいます。
まだ早い。まだ自信がない。まだ足りない。助けてくれる人や制度がない。
そう言いながら、いつまでも出発できないのです。
放浪者は、この変化への呼びかけを上手にかわしながら、準備が足りないと言って出発を先延ばしにします。
しかし、どれだけ準備を重ねても、不確実性が消える日は来ません。
未知の世界へ踏み出す勇気は、準備の量ではなく、一歩を踏み出すことでしか育たないのです。

また、放浪者は、社会の複雑性や多様性、不確実性に直面することを嫌い、単純で分かりやすい答えに飛びつく傾向があるので、容易にだまされやすい特徴もあります。
出会う人たちがみな善良な人ならば問題はありませんが、残念ながら、この世界は天使に囲まれているわけではありません。中には、放浪者の弱さに付け込んでだまし、利用しようとする存在も少なくはありません。
「簡単に儲けられるよ!」「ちょっとくらいなら悪いことじゃないよ」「みんなやってるよ」などと、誘惑され、うのみにして従ってしまうと、悪のパシリへと転落してしまい、思いもよらない犯罪行為に手を出してしまう危険性もあります。
放浪者は、自分で考えることや判断することを決して放棄してはならないのです。

⑶恐れるもの
放浪者は、狭く小さな世界の中の限定された安定の中から出ようとしません。自分の中に課題があることを知っていながら、その問題を先送りしてばかりで直面しようとしません。問題を乗り越えるための努力をする代わりにそのような野暮な努力を冷笑しがちです。真実に向き合う代わりに嘘をついて誤魔化す時もあります。苦しみに直面する代わりに気を紛らわせるための束の間の楽しさに依存しやすい弱さもあります。友情を大切にする一方で気に入らない人や嫉妬を覚える人には関係改善の努力をせずに冷淡に突き放したります。間違いを正そうとする代わりに仲間外れになることを恐れて悪行につきあうことがあります。仲間受けを良くするために蛮勇をみせて虚勢をはることはありますが、基本的には失敗を怖がって挑戦をしたがりません。放浪者は、放浪を通してさまざまな知識や技術を磨き、多くのことができるようになりますが、それは、あくまでも限定的なもの、先が見通せて確実に解決ができることが保証されている問題への対処法であり、広い世界の中の不確実な事柄には対処できません。放浪者は、本質的により大きな可能性を持った存在なのであって、そのような狭く限定された力にとどまり続けることはできません。どんなにごまかしても、成長への課題や高い壁は消えることはありません。どんなに打ち消しても、自分の内面で芽生えた理想や夢は打ち消すことはできません。長い目で見た場合には、いつかは心地よい日常、自分にとっての楽園を後にして冒険に出る必要があるのです。

⑷課題
放浪者にとっての課題は、自分自身の可能性を信じること、執着を手放すこと、夢を持つこと、そして、ちょっとした挑戦をすることと言えます。ただし、大それた挑戦やリスクテイキングは必要ありません。ちょっとした勇気が大切なのです。行ったことのない所に行ってみる、食べたことのない食べ物を食べてみる、着たことのない色の服を着てみる、難しそうな本を読んでみる、正直になってあやまってみる、自分の弱みを言ってみる、相手に愛を伝えてみる、などなど、大きなことをすることに意味があるのではなく、ちょっと勇気が必要なことを丁寧に挑戦し、じっくりと味わってみる、そんな身の丈に合った挑戦が意義ある成長に結びつくことになります。

16人の勇者 3.自然児・隠遁者 B.隠遁者

第3章 ①自然児、隠遁者 

B.隠遁者
――古い自己を失い、孤独の中で真の自己を探し続ける勇者

隠遁者は、孤独が好きな人ではありません。
仕事や人付き合いに疲れて、さぼっている人でもありません。
現実社会に傷つけられて、逃げ隠れしている人でもありません。

隠遁者とは、古い自己を失い、何物でもなくなることを引き受け、
孤独の中で真の自己との再会を待つ人であり、
たった一人でアイデンティティの危機、最も危険な暗闇に立ち向かう勇者です。

隠遁者の多くは、自分が勇者だとは思っていません。
ただ、前の自分で生きられなくなった。
しかし次の自分も見つからない。
その宙づりの状態にいます。
しかし、この状態には大切な意味があるのです。

隠遁者に何が起きているのか?
周囲の人や社会からは、何も起こってないし、停滞し、落伍者のように見えます。
しかし、隠遁者の内側では、静かな革命がゆっくりと進行しているのです。
社会から逃げているのではなく、以前の自分では生きられなくなっている。
「自分はこういう人間だ」
「世界はこうあるべきだ」
「こうすれば嫌われない、こうすれば認められる」
そうした自分を支えていた構造が、根底から崩れてしまったのです。

これは脱皮ではありません。
脱皮なら、古い殻の下に新しい皮膚がある。しかし隠遁者が経験しているのは、新しいものがまだ見えない中で、人生の基軸となっているアイデンティティが崩壊していくプロセスにあります。
さながら、内部の全てが崩壊するさなぎのような状況と言えます。

しかし、さなぎと違うのは、さなぎの場合は、蝶になることが定めですが、隠遁者には、未来が見えません。今の境遇では、蝶になるような奇跡は到底考えられません。そこには、暗さと不安、絶望の気配しか見えない状態であり、羽化は必ずしも成功は約束されていません。

隠遁者は、自分自身や社会の矛盾の中で調子を合わせて生きることを拒絶した人です。それは、自己防衛のための戦略であり、命がけの戦いでもあります。決して勝ち目のない戦いの中で、それ以上戻ることができない限界点まで避難してきて、もう背水の陣です。
隠遁者は、個人の矛盾と社会の矛盾が交差する場所、羽化して奇跡を起こすか、敗北するかの分水嶺に立つ勇者なのです。

⑴光の側面
外から見ると、隠遁者は停滞しており、何ら成長の気配は見えません。
しかし内側では、少しずつ静かに変化が起こっているのです。
植物は、移動しませんから、なにも変化がないように見えますが、日々、ゆっくりと根を張り、水脈を探し、栄養を蓄えています。
サナギは、芋虫に羽が生えるのではなく、芋虫の在り方が大胆に分解され、根本的に構造が解体されたうえで、まったく新しい在り方に変容していきます。
隠遁者とは、真のアイデンティティとの出会いに向けた熟成期間でもあります。
隠遁者は、古い在り方を超越し、まったく新しい可能性を探るダイヤモンドの原石の状態でもあるのです。

⑵影の側面
しかし、真のアイデンティティとの出会いは並大抵ではありません。
隠遁者の中では、自分の今のありように対して、自分が拒絶した旧価値観による裁き、非難で暴風雨が吹いています。結果、罪悪感、恥、自己嫌悪、絶望の中にあり、決してのんきで楽しく幸せに暮らせているわけではありません。
たっぷり存在する時間を自己成長に向けて使えているわけでもありません。
「どうせバカだから」「誰にも勝てないし」「誰も助けてくれないから」「社会が悪いから」などと、自己防衛のための言い訳、枠組みで鎧を作り、新しい試みにはなかなか手を出せません。
そして、隠遁者は、そういう自分を決して愛することはできていません。どちらかと言えば、消え入りたいという絶望を抱えているかもしれません。
ただ、隠遁者の挑戦していることは、ある意味で死と再生、古いエゴが死に、新しい自分の可能性に目覚めると言う途方もない冒険であり、それを、抜き差しならないところで命がけでその問題に直面させられている状況とも言えます。
いわゆる、とてつもなくつらく苦しい体験をしており、出口は見えません。ただし、古い自分が死を望んでいるとしても、だからと言って、決して多層多面の自分や他人に対して暴力をふるうべきではありません。変わるべきは肉体ではなくエゴだからです。

⑶恐れるもの
また傷つくこと。また挑戦して、失敗すること。また手を差し伸べて、人から嫌われること。そして、自分が何者かわからないまま、世界に晒されること。
勝利の目途もたたないまま、やみくもに戦いに出ることは自殺行為であり、危険から身を守ることは当たり前の戦略です。
また、アイデンティティの喪失は、心理的には死に近い体験です。だから怖い。だから閉じる。それは弱さではなく、崩壊しつつある自分を守るための、正直な反応です。

⑷課題
隠遁者の課題は、元に戻ることではありません。以前よりもっと強くなることでもありません。
まだ生まれていない自分のために、生き延びること。
そして、沈黙に耐えること。新しいアイデンティティが生まれるまで、答えの見えない暗闇の中に留まり続けること。それはまさに、ネガティブケイパビリティの実践です。

隠遁者の使命は、変わることではありません。
失われた自分を探すことでもありません。
孤独の中で、本来の自己が現れるのを待つことです。
自分を超えた大きな生命や真理、ロゴスとのつながりを信頼することです。

My Self、タオ、仏性、真我、ロゴス、…
たくさんの呼び方で呼ばれてきた在り方があります。
それがどういうものかは、いまの五感による認識、エゴによる意識では決して把握することはできません。しかし、今の自分が分からないからといって、存在していないわけではありません。
どちらかと言えば、少し丁寧に、すこし意識的に、すこし粘り強く、今ここと関わることができれば、少しずつ開示されてくるミステリーであり、とても近く、思ったよりも親しい存在なのかもしれません。

隠遁者は、何か新しい存在になるために旅をするのではありません。
本来の自己へ帰るために旅をします。
その旅の中で古い自己は死に、新しい自己が生まれます。
だから隠遁者とは、何者でもなくなる勇気が必要です。
古い自己の死を受け入れ、孤独の中で真の自己との再会を待つ勇者なのです。

⑸お勧めのチャレンジ
・動物と関わる
隠遁者は、アイデンティティの危機を迎えており、たいていの場合、自尊心がボロボロです。しかし、本来自尊心は、can do ではなく being に持つものです。どんなにボロボロな自分にも偉大なる価値がある。そう思える気持ちが自尊心なのです。一人で、そういう心境になりづらければ、時に、仲間に助けを求めることもありです。他人に無条件の愛を期待するのは、慎まなければなりません。自分もできないことを相手に無理強いするものではありません。
その点、動物は、エゴが少なく、愛情も無条件です。どんなにみじめな自分に対しても、しっぽを振って、キラキラした目で抱き着いてきて、大いなる愛を表現してくれます。そうした愛を通して、自分自身への無条件の愛を少しずつ思い出していくことは、決して不可能ではありません。

・瞑想、ヨガ、実践ワーク
瞑想やヨガなどの実践的ワークは、今の自分が自分だと思っている自分を静めて、今は気づけていない自分の可能性と出会うための実践的方法です。やりかたは、いろんなところにいろいろなやり方で書かれていますが、相性の良い、自分がやってみたいと思える方法から取り組んだらよいでしょう。ただし、偶像崇拝、権威主義にはご注意ください。本来の自己探求には、大金や高額な本、宝石、壺は必要ありませんから。自分に頼るのであって、他に頼るのは、隠遁者が拒絶した古いやり方であって、自分が求める道ではありませんから。

・意識的に感謝してみる
隠遁者は、危機の中にあるため、どうしても苦しみや不足、不満に意識が向きがちです。だから、周囲は、みんな敵に見えがちですが、決してそれは真実ではありません。そうしたバイアスを調整するためにも、意識的に感謝の気持ちを持ってみることは大切です。1日の終わりに、一つだけでもいいから、自分と他に対して、感謝の言葉を紙に書いてみる、そして、それを言葉で言ってみる。そうした挑戦は、すこし、今の行き詰まりに風穴を開けてくれるかもしれません。

⑹羽化
隠遁者は、ある日突然変わるわけではありません。
しかしある時、自分でも気づかないうちに、世界との関係が変わり始めます。
以前は敵に見えていたものが、学びに見える。
以前は呪いに見えていたものが、贈り物に見える。
以前は自分を否定していた経験が、自分を育てていたことに気づく。

世界は変わっていません。
変わったのは、自分の見方です。
羽化とは、新しい能力を手に入れることではありません。
本来の自分を思い出すこと、本来の自分の感受性を取り戻すことです。

本来の自分は、今の想像をはるかに超えて偉大な勇者なのです。
だから今の自分だけを見て、自分の価値を決めつけてはいけません。
今のちっぽけで狭い了見では、計り知れない謎が存在するのです。

だから、いまの自分の不完全さを受け入れて、欠点を嘆くのはやめませんか。
隠遁者の使命は、まだ想像すらできない自分のために生き延びることです。
隠遁者の旅は、何かになる旅ではなく、本来の自己へ帰る旅なのですから。

16人の勇者 2.自然児・隠遁者 A.自然児

第2章 ①自然児・隠遁者  A.自然児
自然児・隠遁者は、この地図の出発点です。
私たちは皆、ここから旅を始めます。
ただし、二人は同じ場所にいますが、まったく異なる経緯でここにいます。
・自然児——まだ旅を始めていない人。ここが出発点。
・隠遁者——一度旅に出て、傷ついて戻ってきた人。ここが避難場所。
ここでは、この二人の在り方を、2回に分けてお伝えしようと思います。
まずは、自然児からご紹介しましょう。

①A.自然児
自然児は、自然の恵みと家族の庇護、世話を受けながら生きる純粋無垢で素朴な子供です。まさにダイヤモンドの原石であり、途方もない可能性に満ちています。
自然児は、周囲の思いやり、配慮や庇護、世話を受けることによって、自己信頼や他者への信頼の気持ち、愛し、愛される方法。そして楽観性を育むことができます。

⑴光の側面
自然児は、純真な心と、元気いっぱいであふれんばかりの生命力に満ちており、とても魅力的です。人に対して、まだ疑うことを知りません。だからこそ、素直に笑い、素直に喜び、素直に心を開きます。相手の言葉や態度を、スポンジのように吸収し、自分の世界を広げていきます。周囲の人たちは、そうした自然児の天性の明るさや無邪気さに癒され、元気を取り戻します。自然児は、その存在そのものが太陽なのです。

⑵影の側面
しかし、一方で、自然児は、自分は特別な存在で、無条件に愛されること、庇護や配慮や面倒を見てもらうことは当たり前で、いつまでも満たされるべきものであるという自分中心の極めて利己的な枠組みを持っており、時に、わがままで、周囲への配慮に欠けるところもあります。
また、痛みや困難、悪意、人生の苦労については、その存在を知らないか、または体験しても起こるべきことではないと考えており、それを拒否するか、無視しがちです。「闇なんか存在しない」「この世には良い人しかいない」「闇があっても私には関係ない」と考えています。

⑶求めるもの
自然児が求めるものは、安全であり続けること、安心であり続けることです。自然児は、弱く傷つきやすい存在であり、生きていくためには周囲の庇護や面倒、配慮が必要なのです。自然児は自分がそうした弱さを持つ特別な存在なので、周囲から面倒を見られ庇護を受けることが当然であると認識しており、周囲の配慮が自分の期待よりも低かった場合は、見捨てられる不安や被害者意識が惹起されて、火が付いたように泣き、怒ります。親の庇護や恵まれた環境が、いかに特別なもので、楽園であり、ありがたく感謝すべきものであるのかがまだ分かっていないのです。

⑷恐れるもの
自然児が最も恐れることは、見捨てられることです。自分には力が無いと思い込んでいる自然児にとって、見捨てられることはすなわち死を意味します。ですので、それを避けるために、泣き、怒り、時に笑顔や甘えで相手に関心を向けてもらい、面倒を見てもらえる方法を学びます。

⑸課題
自然児にとっての課題は、依存からの脱却と感謝の心です。一つ目には、他者や周囲に期待するのではなく、自分で自分の面倒を見れるように自立する力を身につけること。そして、二つ目には、自分の面倒を見てくれる周囲の愛や配慮を、当然のことと思うのではなく、そこには相手の努力と犠牲があることを理解し、感謝することが必要です。