⑤広がる私の可能性
私たちが認識している「私」の感覚は、左脳のインタープリター(解釈者装置)がもたらすものだとすると、私たちが、「私」だと思っていることがらは、必ずしも真実ではなく、大きな間違いや思い込み、勘違い、時にはでっち上げ、捏造が混じっている可能性があります。
言語中枢のある左脳が認識できる自分は、内面の複数のわたしが本当に体験していることの数十、数百、もしかしたら、数万、数億分の1のサイズでしかありません。ですから、左脳の作り出す私は、リアリティの数億分の1に縮めてしまった大雑把な自分なのかもしれません。
左脳は自分の内面のたくさんのわたしがもっているすべての可能性や能力を把握していないので、左脳が解釈している自分は、自分の本当の可能性の数十、数百、もしかしたら、数万、数億分の1のサイズに縮めてしまったちっぽけな自分なのかもしれません。
逆に言えば、思い込みの私ではなく、真実のわたし、ほんとうの私には、思っている以上の複雑さ、魅力、大きな可能性があるのかもしれません。
解釈者の私が描いている私像が描き切れない私の可能性ってどのようなものなのでしょうか?そもそも、解釈者の私がいなくなったら「私」はどのようになるのでしょうか?この問いに対する素晴らしいヒントになる一人の神経解剖学者の事例をご紹介したいと思います。
ジル・ボルト・テイラー博士は、アメリカの神経解剖学者です。彼女は、ハーバード大学医学大学院にて脳と神経の研究に携わりマイセル賞を受賞すると同時にNAMI(全米精神疾患同盟)の史上最年少理事になり、順風満帆の大活躍をしていた37歳の時、脳卒中を起こし、左脳に重傷を負ってしまいました。
発症直後は左脳の多くの認知機能を失い、いわゆる左脳のインタープリター(解釈者装置)が重大な損傷を受けながらも自己意識を保ち、病状が回復する過程で自己意識がどのように変化していったのかを、神経解剖学として脳の機能と関連付けながら観察し、理解を深めるというたぐいまれなる体験をされました。
その経験は、「奇跡の脳」ジル・ボルト・テイラー著 新潮文庫出版 にて報告されています。「奇跡の脳」は人間存在の不思議、可能性を科学の視点から理解することができる素晴らしい名著です。ここでは、「奇跡の脳」より、彼女の左脳を失った体験とそれに伴う自己意識の変化をご紹介しましょう。
1996年12月10日の朝7時、ジル博士は左目の裏から脳を突き刺すような痛みを感じて目覚めました。それは、冷たいかき氷を食べたときにキーンとくるような鋭い痛みだったそうです。
最初は、運動で血行を良くすれば治ると思い、舟をこぐ運動ができるフィットネスマシンを試したのですが、一向に頭痛は収まらず、ふらつきながらマシンを降りて浴槽に入り、シャワーを浴びようと蛇口をひねった時に、水音が耳をつんざくような大音量に感じて驚いたそうです。聴覚の異常が脳神経の病気とかかわることを知っていたので、この時に初めて重篤な脳神経の病にかかった可能性があると分かったのです。
また、事態を把握するために普段はとめどなく流れている自己対話の流れが正常に作動せず、壊れ始めていることに気づきました。頭の中のおしゃべりが壊れ、止まっていくにつれて、奇妙な孤独感を覚えたと同時に、全てがゆっくりモードに変わってきたことを感じていました。
激しい頭痛の傍らで、左脳の現状を分析し対処しようとする思考おしゃべりが徐々に静かになるにつれて、平和な感覚が広まり、幸福感に満たされてきたと報告されています。何兆ものもの細胞たちが一瞬ごとに輝く働きをして私という生命を維持してくれていることを実感し、謙虚な気持ちになっていったそうです。
胸を打ち付けるシャワーの感覚ではっと我に返り、うずくような痛みが押し寄せ、自分が容易ならぬ危機にさらされていることを再認識しました。苦心しながら浴槽を出て、8時15分には服を着て勤めに出かける用意を整えたのです。かすかに残っている左脳の意識は、『そう、仕事に行く。しごとをしにいくの。しごとばへのいきかた、おぼえてる?運転できる?』とスケジュールに突然の邪魔が入ったことに苛立ちを覚えながら、事態を楽観視し、日常を続けようとしたのです。しかし、数歩歩こうとしたその瞬間に右腕がマヒしていることに気づき、初めて脳卒中にかかったことを自覚します。
その後、混乱する思考でありながら、たぐいまれなる集中力を発揮し、努力を繰り返し、職場や主治医に電話をかけて、助けを求めることができました。但し、電話ではまともに話すことができずに、犬の遠吠えのような話し方だったとのこと、たまたま受けてくれた人がジル博士の声だと分かり、対処してくれたとのことです。そのようなプロセスを経て、ジル博士が病院に入院できたのは、10日の昼前でした。
入院後、彼女は、ジル・ボルト・テイラー博士なる人物は、今朝死んだのだ、と感じたそうです。自分の名前、職業、好き嫌い、感情、判断の傾向、そういった病気前の私を表現した中枢が機能しなくなったので、そのように感じたり考えたりすることができなくなったと報告しています。彼女は、左脳の死、かつて私だったものの死をとても悲しく感じたそうです。
しかし、もしそうならば、残っている人は誰なのでしょう?左脳の死を悲しんだ人は誰なのでしょうか?彼女は、その続きとして以下のような体験をシェアーしてくれています。
“「自分であること」は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ個体のような存在としては自己を認識できません。ようするに、最も基本的なステップで自分が流体のように感じるのです。
…わたしたちのまわりの、わたしたちの近くの、わたしたちのなかの、そしてわたしたちのあいだの全てのものは、空間の中で振動する原子と分子からできている…。
つまるところわたしたちの全ては流動する存在なのです。
…私の右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく、寂しくもない。魂は宇宙と同じように大きく、そして無限の海の中で歓喜に心を躍らせていました。
…神経が傷を負っているのに、忘れ得ぬ平穏の感覚が、わたしという存在の隅々までに浸透しています。そして、静けさを感じました。(「奇跡の脳」より引用)”
いかがでしょうか、とても美しく神秘的で意義深い体験を報告してくださったジル博士に心から感謝申し上げたいと思います。
ジル博士の報告から、左脳は、他から分離された個体として自己を認識しますが、その堅苦しい回路から解放されたときに感じる自己は、もっともっと柔軟でみずみずしく、生き生きとしてエネルギッシュで、平和や幸福、生命の喜びを実感できる高い意識であることが分かります。
たった一つの体験、事例から一般化することは危険ですが、ジル博士の報告から、左脳のインタープリターが作る自分がいなくなったとしても、自分は十分に機能すること、そして、解釈装置の狭い了見から解放されたときには、より魅力的で偉大な自分が浮かび上がってくる可能性が見えてきました。
そう、「私」は、思っているほどちっぽけで無力な存在ではないのかもしれません。「私」には、狭い了見では把握できない魅力、言葉の力では及ばない神秘、想像をはるかに超えた大きさ、気高さがまどろんでいる可能性があるのです。
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