“私“とは ①私の人格は一つではない

 当社では、自尊心をもつことは、自分らしく輝いて生きていく上でとても大切な要素であると言わせていただいております。しかし、その自尊心や自分を信じるの対象となっている“私”って、どういうことなのでしょうか?

 私とはいったい何を指すのか?私と他の境界ってどこなのかについては、さまざまな検討がなされており、実は、明確な答えは出ておりません。

 今目の前にある水は、私ではありませんが、飲んでしまったら私になります。暑くて汗をかいたときの汗は、私なのでしょうか?私じゃないのでしょうか?今、部屋に存在している空気は私ではありませんが、呼吸によって吸い込むと私になります、また、息を吐くと部屋に戻って私じゃなくなります。では、部屋のどこまでの空気が私でどこまでが私じゃないのでしょうか?

 こうして考えると、自分の存在や、自他の境界と言うものは、思っている以上にあいまいになってしまいます。

 これは、哲学的、宗教的テーマにもなっている重くて大きなテーマであり、いまだ一般的な共通認識としての科学的な答えは見つかっておりません。

 ただ、心理学的にとらえた“私“について、大脳生理学や心理学の進化発展によって、ずいぶん解明されてきたことがあります。

 本シリーズでは、心理学的な立場から見た“私“について、探求していきたいと思います。

 なお、本シリーズは、当社から出版しております電子書籍“To be a Hero”からの抜粋となっております。

1.「私」の人格はひとつではない
①分離脳研究
 分離脳とは、右脳と左脳をつなげる脳梁を切断し、左右の脳の情報のやり取りをできなくさせた状態のことを言います。
 脳梁の切断は、癲癇の治療として1940年から行われている方法です。左右の脳の情報伝達を断つことによって、発作につながる電気信号が左右どちらかの脳にとどまり、全身にいたる深刻な発作を食い止めることができるようになるのです。いわゆる対処療法ですが、発作が60~70%も減少し、中には完治する人もいると言われています。1日に数十回という難治性のてんかん発作に苦しむ患者さん達にとっては、この切断治療が最後の切り札となっているのです。
 さて、脳梁を切断したからと言って左右の脳の連絡が完全に断たれるわけではありません。さらに深い次元に存在する脳幹という共通部分があるので、内臓の働きや呼吸、睡眠など生命維持にかかわるものは支障なく機能し、左右の脳は同時に眠り、同時に覚醒します。しかし、より上位の意識活動に関しては、左右の脳の連絡が完全に断たれてしまうので、そうではない健常な人とは違ったさまざまな現象が起こることになります。
 米カルフォルニア工科大学のロジャー・スペリー博士は、1961年より、分離脳となった方々を対象に、さまざまな実験を展開してこの分離脳のもたらすさまざまな興味深い現象を調査しました。それらの研究により、人の意識に関する多くの新しい発見がなされ、より深く複雑な人間理解、新しい人間観をもたらしてくれたのです。スペリー博士は、それらの実験の成果によって1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

②分離脳研究から分かってきたこと
 分離脳実験が行われたころには、すでに以下の事柄が明確となっていました。

・言語機能は左脳が担っている。
・脳の左右と身体の左右の連動は交差しており、左脳は、右半身の運動機能をつかさどり、右側の視覚、聴覚、触覚、痛覚、の情報を受け取る。逆に右脳は、左半身の運動機能をつかさどり、左側の視覚、聴覚、触覚、痛覚の情報を受け取る。

 ですから、右目に入った情報は左脳で認識され、左目に入った情報は右脳で認識されることになります。左脳は言語中枢があるので、右目で見たものは直ちにそれが何なのかを答えられるはずですが、左目で見たものは右脳が認識し、右脳には言語化の機能はありませんので、それが何なのかを問われたらどのように答えるのでしょうか?
 分離脳手術を行った方に、右目(左脳)にスプーンの絵を一瞬見せた後、「何か見えましたか?」と質問すると、ただちに「スプーン」と答えが返ってきました。
 次に、同じ人の左目(右脳)に絵を一瞬見せた後、「何か見えましたか?」と質問すると、「何も見えませんでした」と答えたのです。
 それは、「分かりませんでした」ではなく「何も見えませんでした」ということですので、右脳で見た「絵」を言葉にできませんということではなく、絵そのものの存在を認識できなかったということを意味します。脳梁を切断しているので、右脳で得た情報を左脳がキャッチできないので、左脳は、右脳の反応を認識できないということが分かりました。

 次に、右脳がしっかりと視覚情報を受け取っているかどうかを確認する実験をしました。前述の通り、右脳は左目の情報を受け取ると同時に、左半身の運動をつかさどります。ですので、「光を感じたら左手でモールス信号のキーを押してください」と言った上で、左目(右脳)に一瞬光を見せたところ、即座に左手(右脳)はキーを押しました。右脳はしっかりと視覚情報をキャッチしていることが分かったのです。
 さらに、この反応を左脳がどう答えるのかを確認したところ、「何も見えませんでした」と答えました。左手がスイッチを押しているにもかかわらず、左脳は「何も見なかった」と主張し、右脳の光を見た認識を全く知ることはできませんでした。
 また、左目(右脳)に「フライパン」の文字を見せて、そのあとで「何を見ましたか?」と聞くと、「何も見えませんでした」と答えましたが、「見たものを目をつぶって左手で書いてください」と指示すると、フライパンの絵をかきます。目を開けた上で「これは何ですか?」と聞くと「フライパン」と答えるのです。
 さらに実験は続きます。分離脳患者の右目と左目に同時に絵を見せて、どのような反応になるかを調べました。モニター画面の右側には「ハンマー」の絵を、同時に左側には「のこぎり」の絵を一瞬見せます。そのあとで「何を見ましたか?」と問うと、左脳(右目)が認識した「ハンマー」と答えます。
 しかし、「目をつぶって見たものを左手(右脳)で書いてください」と言って左手にペンを持たせて目をつぶったまま紙に書かせると左目(右脳)が見た「のこぎり」の絵を書くのです。目隠しを取って自分の書いたものを見せて、「これは何ですか?」と問うと「のこぎりです」と答えます。さらに「何を見たんでしたっけ?」と繰り返すと「ハンマー」と答えます。「なぜこれ(のこぎり)を書いたのですか?」と聞くと「分かりません」と答えます。
 これらの実験から、分離脳の左半球と右半球は、それぞれ独立に情報処理が行われており、一方の半球は、他方の半球を全く感知しておらず、お互いに何をしているのか分からないということが分かったのです。

(以上の実験が行われている様子が動画でありますので、ご紹介します。動画の中で解説をされてらっしゃる方は、スペリー博士の教え子、マイケル・ザガニガ博士です。)

 

 ここで、問題は、「私」の所在についてでしょう。一連の実験では、対話している主体である左脳(言語中枢)が「私」を名乗っており、「私」が体験したこと、理解したことを語っていますが、言葉を持たない右脳も絵を描くことによって、認識し記憶し表現する主体であることが分かります。つまり、右脳も独立した人格を持っていると言えるのです。対話する主体となっている左脳の「私」と右脳の物言わぬ「わたし」が同時に共存していることになります。

 この二重の人格の問題を明確にするための実験が続きます。分離脳患者でありながら右脳の言語機能を持った男性に「卒業したら何になりたいですか?」と聞いたところ、返ってきた答えは「建築家です。そのための勉強をしています。」でした。しかし、右脳にだけ聞いたところ「カーレーサー」という答えが返ってきました。公式的な答えである「建築家」は、左脳の考えによる目標でしたが、右脳は「カーレーサー」という異なった夢を持っていたことになります。
 さらに、男性に、「子供のころにいじめられていた体験をどう思いますか?」の問いに対して、左脳は「もう気にしていない」と答えたのに対して、右脳は「まだ怒っている」と答えたのです。

 左脳と右脳で解釈とやりたいことが異なる事例として、他にも、左手が「妻を憎んでいる」と書き妻を殴ろうとしたところ、右手がそれを阻止したという事例もあります。

 一連のデータを見ると、一人の人の中に、異なる目標、感情、意図を持った複数の人格が存在している可能性が見えてきます。一連の分離脳の実験をスペリー博士とともに行ってきたガザニガ博士は、こう語っています。
 『WJ(分離脳被験者の名前)から4年後、私はこの研究をさらに掘り下げて次のような結論に達した。「大脳の正中切開によって正常な統一意識が分裂し、分離脳患者は左神経と右神経の(少なくとも)二つの神経を持つことになる。それを裏付ける証拠をわれわれはこの十年積み上げてきた。それは結合双生児が完全に独立した人格であるように、完全な二つの意識体として共存している』「〈わたし〉はどこにあるのか――ガザニガ脳科学講義(マイケル・S・ガザニガ著 紀伊国屋書店出版)」より引用

 ガザニガ博士は、人の人格は、少なくとも2つ以上存在していると明言しています。実はその後のスキャンや実験方法など科学技術の進化に伴い、新しいデータを集めた結果、半ば主体を持ったシステム(人格)は、右半球にも左半球にも無数に存在し、複数のサブシステム(副人格)のダイナミックな集まり集まりとして「わたし」をとらえることが一般的となってきています。

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