カテゴリー別アーカイブ: 06.人材教育の理論・情報

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ⑦セルフリーダーシップを回復するために

7.セルフリーダーシップを回復するために

 前節で、自分らしく幸せに生きるためには、Selfとパーツが信頼しあい、協調しあえる調和の状態であることが必要だということが分かりましたが、では、どのようにすれば、そのような調和や統合が可能なのでしょうか。IFSでは、まずは、自分の中に、自分が見捨ててしまったパーツがあることを受け入れること、そして傷ついたインナーチャイルド、追放者と和解し、癒し、再統合を図ることが必要だと考えています。どのパーツも見捨てずに歓迎する、全てのパーツに尊厳と感謝をもって癒しを深めていく自己への共感によるヒーリングが必要だと考えているのです。
 私の中の追放者は、私が見捨ててしまった小さな私であり、私の顕在意識の手の届かないところに追いやってしまったために、もはやコントロールすることはできません。戦うことはもちろん、突き放す、無視する、脅す、褒美を与える、取引する、など、追放者が自分の一部ではなく分離した対称という認識を持ったままでは、どのようなテクニックを弄しても、問題を解決することはできません。
 本質的な問題解決に必要なことは、もともと私だった追放者を再び迎え入れること、私の中の痛みの存在を認め、ありのままを受け入れ、共感し、再び自分として統合を図ることなのだと言えましょう。そもそも、追放者は、困難な人生を生き残るための適応方法として生み出されたものであり、それが無ければ私は生きてこれなかったかもしれないのです。私に不本意な問題を引き起こす原因なので厄介者扱いされますが、実は、私が生き残るために体を張って戦ってくれた勇者であり、私を愛してくれている大切な家族なのです。追放者と向き合うために必要なことは、暴力ではなく、ひとえにおもいやり、やさしさ、共感であり、高い精神性なのだと言えましょう。

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ⑥Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

6.Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

 Selfとパーツの関係の在り方によって、「私」は、⑴調和の状態 ⑵葛藤の状態 ⑶機能不全の状態 の3つの状態に変容していきます。それぞれの状態の特徴について以下解説していきましょう。

⑴調和の状態
 Selfの働きによってパーツが十分に癒され、ネガティブのエネルギーの束縛から解放されると同時に、Selfとパーツの信頼関係が育まれて、基本的な安心感、世界と向き合う上での確固たる基盤が出来上がります。また、世界に対する信頼感、前向きな思いを取り戻し、チャレンジ精神や粘り強さ、明るさや勇気といった本来の美徳、問題解決能力を取り戻して、たくましく力強く人生を切り開いていきます。この状態こそが、人本来の可能性が表現されている状態であり、もっともその人らしく幸せに輝いて生きている状謡といえます。

⑵葛藤の状態
 Selfは、活発なパーツの活動に打ち消されて、背景に隠れてしまい、もはや主導権を失った状態です。Selfを自覚できなくなると、私は、一部のパーツと同一化し、一部のパーツを私と認識するようになります。しかしそのパーツは、Selfとは違い、癒す力や人徳によるリーダーシップを発揮する能力はありません。時には、取引や計算高さ、あめとムチ、脅しや操作などの質の悪い管理者のするようなふるまいで他のパーツをリードすることはあるでしょうが、決してSelfの発揮する効果は期待できません。リーダーとしての限界があるのです。また、パーツは、内面に複数存在し、その目的や利害が一致しているわけではなく、かならずしも同一化したパーツに、他のパーツがすなおに従うわけではありません。ですから、一部のパーツが主導権を握った「私」の内面は、反論、抵抗、攻撃、など、パーツ同士が絶えず主導権を巡って戦いあう葛藤状態となります。
 パーツ同士の葛藤が深まり、分離が強くなればなるほど、「私」の自己イメージは悪化し、自尊心を損ない、自己嫌悪が激しくなっていきます。
 この状態になると、パーツの主導権が、頻繁に移行するようになります。要するに、ニコニコ笑っているかと思うと、いきなり怒り始め、暴言を吐くなど、他者から見ると、まるで人格が変わったような(実際に変わっているのですが…)現象が起こるのです。こうした症状は、境界型パーソナリティ障害としても知られています。この段階では、急激な人格交代は起こりますが、全ての人格の発言や行動の記憶が途絶えることはありません。自分(のパーツ)がやっていることの全ては、まだしっかりと把握できているのです。

⑶機能不全の状態
 自分で自分だと認めたくない部分、自己嫌悪の対象、追放者が多くなればなるほど、自分の領域は狭くなり、自分は不自由で制限のあるふるまいしかできなくなり、無力感は増していきます。また、追放者を扱う管理者や消防士などのプロテクターにもエネルギーを注がなければならないので、自分のエネルギーはどんどん枯渇し、常に疲労している不活性な状態になります。そして、次第に自分の内面をマネジメントすることに対して絶望し、責任を持てない混乱の状況になっていくのです。
 この状態になると、パーツ同士は、協調するというよりは、自分勝手にふるまい始め、相互の分離感は強く、壁が厚くなり、主導権を争う葛藤も激しくなります。また、「自分」は、増々無力で不活性状態になっているので、容易にパーツの影響を受けるようになり、主導権を奪われ、自分の意思というよりはパーツの意思で生きるようになってきます。
 こうした症状は、統合失調症や多重人格としても知られています。この段階になると、もはや、パーツが主導している間の記憶が飛んでしまうことが多くなります。「私」は、私の場で起こっているすべてのことを把握することが出来なくなってしまう、まさに無秩序、混乱の状態、「私」の機能不全の状態となってしまうのです。

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ⑤本当の私=Selfによる癒しと統合

5.本当の私=Selfによる癒しと統合

 IFSでは、人にはパーツを超えた意識、人の「本来の自己」であり、力強く輝く気高い意識があると考えており、その意識をSelfと呼んでいます。
 Selfは、普段は、パーツの活発な活動の背景に隠れており、容易には知覚できませんが、パーツとの同一化を止めて距離を置き、パーツへの負荷を低下させていくと姿を現してくると考えられています。
 Selfは、思いやりややさしさ、穏やかさや平和、明晰さや創造性、勇気や自尊心などの気高い価値に満ちており、癒しや統合、問題解決の驚くべき力を持っており、一旦Selfが目覚めたならば、多くのパーツが癒され、一致団結して、一つの調和した健康で元気な自分として活躍できるようになると考えられているのです。
 ですので、自分が自分らしく力強く幸せに生きようとこころざした場合には、このSelfを呼び起こし、本当の自分自身であるSelfによるリーダーシップを発揮して生きることが必要なのだと言えましょう。

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ④誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

4.誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

 IFSの言う追放者、自分の中に存在する傷ついた孤独な子供は、何も、病気で苦しむ人たちだけではなく、誰にでも存在するパーツであると考えられています。人の人生には、一つや二つの言葉にならない苦悩、人に言えない恥、思い出したくない恐怖や悲しみはあるものです。また、思い出すことができる痛みならまだしも、その記憶すらないトラウマも人には存在すると考えられています。
 心理学で「幼児期健忘」という言葉があります。これは、3歳くらいまでの記憶がない人が多く、幼児期には記憶が残りにくい現象を言います。この幼児期健忘がなぜ起こるのかの原因は、明確にはなっていませんが、有力な説の一つが言語脳の機能説となります。
 人は、幼児期は、まだ言葉を扱うことができません。ですので、左脳がまだ未発達なのです。その時期に自分をコントロールし自分を生きている主体は右脳である可能性が高いと考えられます。右脳は、イメージ記憶をもつ部位であり、幼児期の赤ちゃんは、右脳で周囲の様子、体験をイメージや感情で記憶していると考えられています。しかし、その後発達し自我意識を担うことになる左脳は、幼少期の右脳の記憶は感知しません。普段私たちが私であると感じている統一感は、前章でも述べた通り、左脳の言語機能、インタープリターから出来ていますので、解釈者としての私が感知できない記憶は、私にとっては「存在しない」と感じるのです。
 こうして、右脳ではしっかりと印象記憶が為されているにもかかわらず、左脳でキャッチできないがゆえに記憶がないと感じる「幼児期健忘」という症状が起こるのではないかと考えられているのです。
 幼児期の環境が、愛と思いやりとやさしさに満たされて、幸福に過ごすことができた人は幸運です。幼児期の右脳の記憶には、両親に対する信頼と愛情、周囲に対する信頼と安心感の思い出がたくさん残されており、意識できようができまいが、その人のその後の人生に、基本的安心感、勇気と粘り強さと前向きさ、明るさをもたらし、たくましく生きる生き方を後押ししてくれるからです。
 しかし、幼少期の体験が完璧なものだったという人は、どのくらい存在するのでしょうか?一切の痛みや苦しみ、トラウマ的な体験が無かったと言える人がどの程度存在するのでしょう?痛みや恐怖は、両親の養育態度だけからもたらされるものではありません。たとえそれが完璧なものだったとしても、医者に行って身体を拘束されて痛い注射を打たれた時の恐怖、不注意によって転倒し怪我をした痛みとショック、心無い大人から向けられた悪意ある視線、人生には、多くの困難や痛みはつきものです。また、両親も完璧な存在ではなく、いつも愛情深く思いやりに富んでいる存在で居続けることはできません。時には、赤ちゃんにとっては、不本意で苦痛、悲しみ、恐怖を感じる対処もあったことでしょう。ですので、幼少期の体験が、人生を豊かにしてくれるようなポジティブなものばかりとは限らないのです。「私の子供時代は幸せで何一つ問題なかった」という人は、自分が自分の一部(追放者)に最悪の痛みを押し付けているという可能性を忘れてはいけません。そう考えられるのも、私の中の小さな犠牲者(追放者)のおかげなのかもしれません。
 幼少期のトラウマは、左脳の自己意識では感知できませんが、それは、右脳にしっかりとそのままの形で記憶されており、トラウマがフラッシュバックの苦しみをもたらすように、本人が大人になっても、時と条件が整えば、その記憶はフラッシュバックし、その時に感じた痛み、悲しみ、恐怖と同じ感情が沸き起こってきます。大人の私は、沸き起こってくる激情の理由は分かりませんが、その感情や苦しみはリアルであり、理由の分からない理不尽なさまざまな心身トラブル、問題にさいなまれることにつながる可能性があります。人が感じる生きづらさや人と話すときの過度の緊張、さまざまな困難は、そうした幼少期の痛みに由来するのかもしれません。
 幼少期のトラウマに代表されるように、人には多くの気づいていない痛み、苦しみ、トラウマを抱えている可能性があります。そう、IFSで言う追放者、傷ついたインナーチャイルドは、特別なことではなく、私たち一人一人の中で、その存在に気づき、関心を持たれ、癒してもらえることをいつまでもいつまでも待っているのかもしれません。

 

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ③追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

3.追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

 追放者のエネルギーは、残りのパーツにとっての脅威となるので、追放者の悪影響から全体を守るために、残りのパーツは団結して対処する必要が出てきます。そうした追放者から全体を守る役割を担ったパーツを防衛者(protector)と呼んでいます。また、防衛者は、その働きから、2種類に分けることができます。一つは「管理者(manager)」と呼ばれるパーツ、もうひとつは「消防士(firefighter)です。それぞれの特徴と機能を以下解説していきましょう。

⑴管理者(manager)
 管理者は、追放者が目覚め、騒ぎ出さないように戦略的に自分の環境や人生を管理しようとします。主な働きは、消極的なものと積極的なものの2種類あります。
 積極的な管理者は、追放者を抑圧封印できるように、追放者を無視し、関心を他に向けようとする働きをします。例えば、「仕事にエネルギーのすべてを注ぎ、経済的な成功を目指す」、「論理性を武器に理路整然と相手を批判し、自分の正しさを主張する」、「何事も完璧を目指し、確実に賞賛を受ける結果を出す」、「戦いに圧勝できる非の打ちどころのない強さを持とうとする」などのふるまい、生き方を促します。それが成功する場合は、勝利、安定、成長につながりますが、機能不全になると、ハラスメント、パニック、強迫、攻撃的などの問題につながることもあります。
 もうひとつの消極的な管理者は、追放者を刺激しないように、刺激しそうな事柄や場を避けたり、追放者の信念や感情(ダメ人間、無力、絶望、自罰、恥)に従おうとする働きをします。例えば「人と会わない、話さない」、「できるだけ出かけない」、「自分を犠牲にして人の世話を焼く」、「身を低くして葛藤を避ける」、「注目を集めないよう目立たないようにする」、「受け身でしてくれるのを待つ」などのふるまい、生き方を促します。それがうまく機能する場合は、危険回避、慎重さにつながりますが、機能不全になると、うつ、無力感、引きこもり等の問題を引き起こす可能性があり、注意が必要です。

⑵消防士(firefighter)
 管理者が追放者を目覚めさせないようなさまざまな活動をしているにもかかわらず、努力が及ばなかった時に登場するのが消防士です。消防士は、追放者が目覚め、感情が炎上してしまった緊急時に、その感情の炎を消すためのあらゆる努力を行います。傷つき暴れる感情の炎を消すためには、その感情を麻痺させること、その感情を開放すること等の対処法があります。消防士は激情を麻痺させるためにあらゆる方法を模索します。例えば、アルコール、薬物、食べ物、ギャンブル、セックス、ショッピング、などです。それらは、ある程度の気晴らし、楽しみとしてたしなむのでしたら問題は起こりませんが、時に消防士の行動は衝動的で、依存症につながってしまう可能性があるので注意が必要です。
 また、消防士は、追放者の激情を小出しに解放することで消火しようとしますが、その場合は、怒りの表出、自傷行為、他者への暴力など、衝動的な行動につながります。
 いずれにしても、消防士が出動した場合の本人の行動は、衝動的で問題行動につながることが多く、本人も自分のふるまいに戸惑い、困惑、後悔、自責の念を感じることが多いと言えます。顕在意識では、原因の根本が自分の傷ついたインナーチャイルド、追放者であることもわからないし、傷の記憶もありません。また、その傷の痛みを避けるための衝動ゆえの行動であることもわからないので、自分でそれが問題であることを知っていながら、それを止めることができない可能性が高く、強い無力感、自分を持て余すような絶望感を感じてしまうことが多いと言えましょう。

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ②トラウマを担う追放者というパーツ

2.トラウマを担う追放者というパーツ

 人は、自分では消化しきれないショック、痛み、苦悩を体験すると、防衛機構が発動し、その体験の全てをありのままに見て受け止めることを拒否し、担い切れない部分を封じ込めると考えられています。封じ込められた痛みの体験は、氷結されてそのままの状態で身体のどこかに保存されます。そのような封じ込められた痛みをトラウマと呼んでいるのです。トラウマの体験は、顕在意識には登らずに抑圧、封印されることになり、実際にその記憶自体が失われる事例も多数見受けられます。
 IFSの考え方では、人は、無意識的に、このトラウマの痛みを自分の中の一つのパーツに背負わせて、他のパーツから隔離することによって、自分の全体像を守ろうとすると考えています。そして、隔離されたパーツを「追放者(Exile)」と呼んでいます。例えば、わたしたちには誰にでも、子供っぽく弱い部分があります。虐待を受けると、こうした部分は最も大きく傷つき、最も大きく反応します。人は、無意識に虐待のような担い切れない苦痛を体験した場合は、全体を守るために、一部のパーツ、この場合は子供っぽく弱い部分を切り離し、そこに裏切られた悲しみや痛みや恐怖を担わせることになるのです。
 トラウマを担わされたパーツは、「私は愛されていない」や「私は価値がない」などの否定的な信念の下で、暴力を受けた恐怖、裏切られた悲しみ、重すぎる無力感や絶望、担い切れないほどの痛みを抱え込んでいます。追放者は、その強い否定的なエネルギーゆえに他のパーツにとっての毒、有害な存在となり、隔離されます。隔離された追放者は、他のパーツからは、存在を否認され、仲間外れとなって孤立します。かくして、私の中に、見捨ててしまった私、私の手の届かない悲しい痛みのユニット、傷ついたインナーチャイルドが生まれるのです。
 追放者は、たとえ隔離され、封印されても、その存在が消えるわけではありません。実態の影のように、その強烈な痛みや感情のエネルギーを保ちながら、私にぴったりと寄り添って存在します。そして、そのエネルギーは、潜在意識下で雑音のように少しずつ影響を与えると同時に、トラウマを体験した時と同じような環境=その時に見たものと同じようなもの、場所、時間帯、匂いを感じると、直ちに目覚め、騒ぎ出し、恐怖や怒り、悲しみ、罪悪感、恥、自己嫌悪、等の強烈な感情エネルギーを復元させて、本人に問題行動を起こさせる原因となります。その際、追放者の痛みの理由は、その人の顕在意識では理解できないし、その強烈な感情エネルギーは、顕在意識のコントロールでは及びません。その人は、よくわからないままに、強烈な感情や衝動が沸き起こり、何らかの問題行動に走らざるを得なくなってしまうのです。

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ①内的家族システムとは

1.内的家族システム理論とは

 内的家族システム(Internal Family Systems Model)、略してIFSは、アメリカの家族療法のセラピストであるリチャード・シュワルツ博士によって開発された心理療法です。1980年代より始まり、30年以上の歴史を持つ療法であり、世界中の多くの心理セラピーの場で活用されています。また、広く一般的に認知されている理論でもあり、2013年に発表された関節リウマチに対する研究論文で、その効果が認められたこと、エビデンスが実証されています。
 IFSでは、人の心は、複数の副人格の集合体であると考えています。この場合の副人格とは、独自の考えと感情を持つ存在を言います。つまり、IFSの考え方では、私の中には、独自の考え方や感情を持つ多くの小さな私(人格)が存在しており、それぞれが、協力したり、戦ったり、働きかけたり、なだめたりしながら、わたしという全体像を作り上げていると考えているのです。なお、IFSでは、これらの副人格をパーツと呼んでいます。ここでもこれに倣って、以降は副人格をパーツと呼びます。
 また、IFSでは、パーツを超えたSelfと呼ばれる意識があるとも考えています。この場合のSelfとは、パーツを超えた高く大いなる意識であり、私たちの「本来の自己」であると考えています。Selfは、私の中のパーツの癒し手であり、私の人生を導く真のリーダーとなります。そしてSelfとパーツの関係性によって、人生のクオリティが大きく変わってくることになるのです。それが反感と不信、罪悪感と恥辱に満ちていると、解離や統合の失調をもたらしますが、相互信頼と安心、思いやりと調和に満たされた場合は、力強く輝く幸せな生き方につながるのです。まさに、セルフリーダーシップによる輝かしい生き方が実現できると言えましょう。

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑮ヒーローズジャーニーの教え

3.ヒーローズジャーニーの教え

 ヒーローズジャーニーは、含蓄に富んでおり、多くの学びの種がそこに隠されています。きっと深く探求すればするほど、意義深い気づきをえることができることでしょう。ここでは、その中のほんの一部にしかすぎませんが、本書なりにまとめてみたいと思います。

 

①全てのステージが必要である

 前章で、英雄の成長プロセスが、「自然児→傷ついた子供→放浪者→求道者→戦士→達人→魔法使い→変革者→勇者→覇王→仙人→賢者」の12のステージを経ていくことを解説しましたが、英雄として成長するためには、そのすべてのステップを充分に体験し、そこでの課題や学びを体得する必要があります。通常、私たちが、英雄と感じるのは、戦士以降ではないでしょうか。英雄とは光り輝く完成された存在であるというイメージがあるので、欠点の多い自然児から求道者までのプロセスは、英雄とは感じづらいのではないでしょうか。ですが、ヒーローズジャーニーの考え方では、どのステージも英雄が経験し学ぶ必要があるプロセスであり、ないがしろにできるものはありません。かっこ悪いからと言って、そのステージをいい加減に過ごしてしまうと、後々勇者や達人、魔法使いになった時に、残してしまった宿題に悩まされることになってしまいます。ですから、自分勝手で欠点が多いあり方を生きることは、成長へのプロセスとして、必要なことなのです。それを恥じたり責めたりするべきではないのです。なぜならば、そうした下積みともいえる学びがあるからこそ英雄になれるのですから。
今、自分の立ち位置が放浪者で、困難や真実に向き合えずに逃げてばかりいたとしても、決してそのような自分を恥じたり罪悪感を感じたりすべきではありません。英雄には、うそをついて誤魔化す体験、失敗してみじめな思いをする体験、自分勝手で孤立してしまう体験は、成長へのプロセスとして必要不可欠なものなのです。だから、自分の中にある愚かさ、弱点、醜さを、人類全般が通る道であるとして許し、受け入れることが大切です。自分にもそうであるように、他人にも寛容さを持つことが大切です。人類全般が通る道だとしたら、自分が体験した罪や恥は、自分だけのものではなく、あらゆる人が体験するものだからです。罪を憎んで人を憎まないことが大切なのだと言えましょう。自他の醜さや欠点を拒否すればするほど、それはますます強く存在を主張し、どこまでも追いかけてきます。英雄は、その存在を許し、それと面と向き合い、ありのままを知って反省し、成長に向かうのです。ただし、ずっと愚かなままでいいというわけではありません。英雄にはもっと偉大な存在になる可能性がまどろんでおり、その段階にとどまり続けようとすることは不自然なことです。充分にそのステージを楽しんで、ステージの課題を乗り越えることができたならば、次のより成長した自分へと変容を遂げていくのです。

 

②勇気こそが成長を促す

 ヒーローズジャーニーを読み解くと、英雄が成長するために必要なことは、単なる頭のよさやテクニックではないことが分かります。そうした小賢しさは、英雄が直面する死の恐怖には通用しないのです。成長と正義には危険がつきものです。 英雄が故郷を後にして成長の旅に出ようとすると、裏切者扱いしてくい止めようとするものが現れます。英雄が正義をなそうとしたら、闇の圧倒される権力が攻撃をしてきます。そうした非難や攻撃の恐怖を乗り越えるために必要なものは、小賢しさやテクニックではなく、勇気です。勇者が成長し、正義をなそうとするときに邪魔をするのは、勇者自身の恐怖であり、その恐怖を乗り越えるために必要なものこそが勇気なのです。決して大それた蛮勇が必要なのではありません。欠点も含めて正直に自分を語る勇気、相手を攻撃するのではなく愛していると言いう勇気、そして真実の自分を裏切らない勇気です。
 さて、それでは、どうすれば勇気を持てるのでしょうか?実は、勇気は獲得するものではありません。もともと人の美徳として存在し、まどろんでいるものです。太陽が存在しないわけではありません。雲が厚くたちこめているので光が見えないだけなのです。ですから、勇気を取り戻すために必要なことは、厚くたちこめた雲を吹き払うことです。雲とは、自分を信じられない心、自己嫌悪、葛藤、自己憐憫、罪悪感、恥の思い、恐怖、不安、などです。それらの暗く重苦しい思いを受け入れ、許し、手放していけば、自信と愛と勇気は自然に回復してくることでしょう。

 

③勇者の人生にドラゴンはつきもの

 世界中のどのような神話を探しても、ドラゴンが存在しない英雄譚は存在しません。英雄にとって、ドラゴンに象徴される痛みや苦しみ、耐え難い困難はつきものなのです。人も同じであり、この世で生きる限りは、痛みや苦しみ、困難を避けることはできません。うまく逃げ切る方法は存在しないし、たとえ逃げ切れたとしても、成長をすることができないので、勇者にはなれません。ヒーローズジャーニーの視点からすると、困難は避けるものではなく、直面して立ち向かい、乗り越えるものなのだと言えましょう。人は、困難にであい、もがき苦しみ、対処法を考え抜いて、自分を鍛えて成長し、壁を乗り越えることで成長していきます。人の成長には痛みがつきものなのです。
 痛みを嫌い、困難を拒絶し続けると、自分の中で、弱いダメ人間としての自分、被害者としての自分の自己イメージが育まれます。弱いダメ人間としての自己イメージは、言い訳し、正当化し、うそをつきます。被害者としての自己イメージは、周囲を敵とみなし、防衛し、反撃します。欠点を持ちながらもそれを変えようとはせずに相手を責めて相手を変えようとします。それは、もはや勇者ではなく暴君です。
 勇者は、どのような困難であっても、起こるべくして起こったことであり、自己成長のチャンスでもあると認識して、前向きにとらえ対処します。その過程で「何とかなる、大丈夫だ」という自己イメージ、確信が育まれて、困難を通して、反省し、学び、成長を遂げます。暴君として生きることは得策ではありません。自己防衛で疲労困憊するし、努力の割には一向に事態は好転しないし、友は去って孤独になります。一方で、勇者は、自分の弱さや欠点をおおらかに受け入れて正直に語り、仲間とともに笑い飛ばします。素直に反省して、対処方法を学び、今後は、同様な困難があっても容易に乗り越えられるようになります。あなたは、一度の人生をどちらの生き方で過ごしたいですか?

 

④新しい挑戦こそが自分の中の未知なる偉大さを引き出す

 人は、ややもすると日常に埋没しがちです。そこは文句や不満はあれども、安心できる領域であり、ストレスなく快適に過ごすことができる小部屋です。狭く限定された領域を出て、英雄としての成長に踏み出すために、いろいろな形で誘いを受けますが、快適な小部屋に固執する場合は、全ての働きかけを拒絶し、自分の部屋に引きこもります。しかし、そうした態度を続ける事は、決して自然なことではありません。人には、もっともっと大きく偉大なる可能性がまどろんでいて、その可能性を実現させることこそが、人の究極の使命だからです。
 狭く限定された快適ゾーンを抜け出すには勇気が必要です。なぜならば、小部屋の外には、思いもよらない危険があるからです。しかし、日常に埋没していた時には見えなかった自分の新たな可能性が顔をのぞかせるときは、思いもよらない危険に直面した時です。どうすればよいのか分からずにもがき苦しむときこそが、自分の新しい側面を引き出すチャンス、英雄としての成長へのチャンスなのです。
 だからと言って、やみくもに大それた危険に立ち向かうべきではありません。準備が整ってない課題に挑戦することは、無謀であって自然ではありません。それは、パニックゾーンと呼ばれる危険な領域であり、決して満足のできる成功には至りません。むしろ、必要の無い傷を受けて、長く苦しむことでしょう。
 挑戦は、程よいリスクに挑戦することが大切です。しっかりと目を開いて自分の人生を注意深く見つめたならば、聞こえてくる誘いの声、提示されてくる課題は、みな、こうした程よいリスクへの挑戦であるものです。人生に訪れるさまざまなイベントこそが、こうした今の自分にとってちょうどよい程度の挑戦への誘いでもあります。だからこそ、人生のもろもろの出来事を嫌ったり拒否したりせずに、誠実に向き合い、困難から逃げずに学び、準備を整えて乗り越えていこうとすることが大切なのだと言えましょう。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑮ステージ12 賢者

ステージ12 賢者

 仙人は、古き自分を脱ぎ捨てて大きな輝かしい自分へと生まれ変わります。その悟りの技術は、秘伝であり、成就することは容易ではありません。しかし、悟りを得た人は、その悟りを伝える義務があります。伝授し、成長を促すことは容易ではないので、迷いますが、覚悟を決めて故郷に帰り、真実を伝え始めます。
 かくして、仙人は、賢者へと変容を遂げることになります。
 賢者は、真の自己との強いつながりをいつも維持しており、真の自己としての精妙で力強い至福感を日常で体験しています。ですから、自分が幸福になるために必要なものは少なく、他に要求することは、ほとんどありません。賢者は、隠し事をする必要がないので開放的でフレンドリーです。賢者は、防衛する必要がなく、とげとげしい態度は微塵もありません。いつもゆったりと平和的で、穏やかにふるまいます。賢者の日常の暮らしの中に、その叡智と光が差し込み、周囲の人たちの間に混乱があったとしても、自然に解きほぐされて、平和になり、充実した楽しい雰囲気に満たされるようになります。賢者は、そこにいるだけで、その周囲の人たちを幸福にするのです。
 賢者は、周囲の人たちに、人としての礼儀を求めますが、決して権威者としてはふるまいません。思いがけないほど気さくであり、フレンドリーです。賢者は、人の人としての痛みを知っており、人が間違いを犯す存在であることも知っているので、愚かな人たちを裁きません。そのありのままを受け入れて、愛します。時に叱ることはありますが、それは、憎しみではなく大きな愛の鉄槌であり、相手のかたくななハートをノックし、深い感動を与え、相手が主体的に成長しようとする意欲を搔き立てるきっかけとなるのです。
 賢者は、良き指導者です。自分自身は、充分に満たされており多くを望まない代わりに、弟子たちの成長を願うのです。弟子を深くよく理解し、課題を見極めます。弟子の課題に応じて工夫された指導を行い、最も効果的に育成していきます。指導は、言葉だけではありません。言葉ではとらえられないより精妙なエネルギーを体験を通して体得していくように促します。弟子たちが、安全に学べるように、物理的な環境はもちろん、心理的、魂的な環境も整えます。邪を清め、聖なる力で満たすのです。それは、あまりにもさりげないものなので、弟子たちは気づくことも感謝することもできませんが、そうした庇護は確かに存在します。賢者のそうした気高い愛のもとで、弟子たちは育っていくのです。
 賢者は、良きアドバイザーでもあります。高い問題解決能力と人間関係能力を持っているので、周囲の人たちの抱えている問題を、高い視点、多様な角度から観察し、最適な方法を練って、解決に導くことができます。ですので、周囲の人たちは、賢者に、事あるごとにアドバイスを求めるようになります。賢者は、地域社会の良き相談役として、地域社会の平和と幸せに大きな貢献をするのです。
 賢者は、良き薬師でもあります。健康の仕組みに習熟しており、病気の意味と原因、その対処法を深いレベルで理解しているので、診断は正確であり、最も効果的な処方をして、周囲の人たちの病気を治します。そもそも、賢者は、病気が起こらないような雰囲気、自然なありかたを周囲にもたらします。賢者の内面の至福と平和のエネルギーが周囲に放射されて、周囲は、自然な形で邪が祓われ、寄り付かなくなります。周囲の人は、それがあまりにも自然であるので、気づくことはありません。当たり前のことと思って感謝することもありませんが、賢者の太陽の力は常に周囲を明るくしています。賢者は、その存在そのものが薬師なのです。
 賢者は、獲得した叡智を整理統合して、自分なりの哲学の体系を確立します。それは、嘘のない言葉で組み立てられた誠実な論理であり、読む人に生き方を指し示す聖典でもあります。しかし、賢者は、その自分なりの考え方や主張にも次第にこだわらなくなってきます。それとは違う主張をされても、論戦を挑もうとはせずに、異なる主張に耳を傾けようとします。言葉による表現は、所詮は真実の影であって、どんなに美しい文章であっても完璧には到底なりえないことを理解したからです。だから、どんなに権威ある文章であっても、社会が評価するほどの価値はありません。真実は、その言葉のはるか上の世界に存在しているのですから。
 時に、賢者の語る真実を快く思わない者たちもいます。真実は、愛と光であり、決して権力や支配、暴力を肯定しません。ですから、権力者や支配者、暴君の振る舞いは、真実には立脚していません。彼らが立脚しているのは、闇が語る詭弁なのです。闇は光には勝てません。だから、闇は光を恐れ、怒り、あらゆる陰謀を講じて排除しようと努めます。闇は分割して統治します。光が仲間を得て勢力を増大させることを恐れ、仲間の一部に罠をかけて誘惑して裏切者を作り、チームを切り崩して光を孤立させます。詭弁をもって光を悪者にでっち上げ、万民から分離し、万民から攻め殺させようとするのです。賢者は、そうした人の欠点、権力者たちのふるまいを理解して、真実を語る時には注意深くある必要があります。
 闇は、戦うことで滅ぼすことはできません。この世に責められ殺されるべきものは存在しません。存在するからには、狭い了見では計り知れない訳と役割があります。闇があるからこそ光の美しさを学べるのです。だから、暴力で排除しようとする試みは、決して最善の策ではありません。闇は、光の欠如=影であって実体はありません。闇を祓うことができるのは、光だけです。痛みは欠乏の結果であり、実体はありません。痛みをとることができるのは、欠乏を満たすことができる愛と思いやりだけです。ただ、光や愛をもってしても闇や痛みを急激に消すことはできません。闇が構造と力を手にするためには、気の遠くなるほどの時間と努力を費やしており、一朝一夕には解体することはできません。痛みには強いネガティブなエネルギーが取り巻いており、パンドラの箱を不用意に一気に開けてしまうことはとても危険です。それを癒やすためには、一滴ずつ、一滴ずつ、ゆっくりとデリケートに進めていく必要があります。賢者は、そのダイナミズムをよく理解して、不注意によって闇を刺激し、必要のない対立を起こす愚を避ける必要があります。ゆっくりと急がずに、思いやりをもって光を放ち、結果的に闇を静めていくのです。
 賢者は、天地とつながり、大自然の英気を集めることによって、子供のようなみずみずしく楽しく元気な心を取り戻します。言葉によって解釈する代わりに、初めてそれを見たような新鮮さをもってあらゆるものを興味深く味わいます。普通の人にとっては日常の飽き飽きとした風景であっても、賢者は、そこに新鮮な美しさを感じるのです。今ここには、深い深い秘密が隠されています。それは、とても精妙で力強く美しいものですが、準備が整った人にしか開示されることはありません。賢者は、長い修行を経て、今ここの力にアクセスすることができます。その力は、言葉では表現できません。言葉は、対象と自分を分離して、対象を上から目線で名付けることによって対象を操りますが、今ここの力は分かつことのできない自分自身の力なのです。ですから、他人行儀に名前を付けて操ることはできません。できることは、それを直接的に体験することだけです。賢者は、日常のありふれた世界に流れる今ここの美しさを自分として体験し、その至福を感じるのです。賢者は、生き生きとした自然の息吹を楽しみ、自然の生命力を自分に吸収することを通して、次第に不自由な言葉にこだわることをやめて、自然児のような自然で素朴でみずみずしく、魅力的なありかたを取り戻します。
 かくして、賢者は、新しい次元の自然児となり、また新たな次元の英雄の旅へと旅立ちます。成長には限りがありません。ゴールにたどり着いて暇になることはありません。成長の可能性は永遠であると同時に冒険すべき領域も無限なのです。賢者は、一つのゴールを迎えると同時に、新たな冒険へと準備を整えていくことになるのです。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑭ステージ11 仙人

ステージ11 仙人

 覇王は、大きな力を持つ宝を守り続けるために覇王となり、組織を束ねる権力者となります。しかし、その責務は重く、次々と起こる問題に対処しなければなりません。また、自分の在り方、特に自分の中の欠点によって引き起こされるさまざまなトラブルを解決していく必要に迫られます。覇王は、こうした多くの苦労を通して、自分を見つめなおし、自分の中に残っている痛みや恐怖、怒りや復讐心、劣等感や罪悪感を癒し、徐々に自分の中にたちこめていた厚い雲を吹き払っていきます。心の中に存在する恐怖こそが自分の中の小さなエゴが渇望する欲求のエネルギー源となります。死への恐怖、食事を得られない飢餓の苦しみ、住まいを奪われることの不安、仲間外れにされることの恐怖、などなど、多くの懸念や恐怖こそが、戦って奪うこと、土地を獲得し城を作ること、抜きんでる存在になること、勢力を大きくすることのエンジンとなります。覇王は、多くの苦労に直面し、人格が陶冶され、成長することによって、恐怖の正体を見極めて、痛みや恐れにとらわれなくなっていきます。それに伴って、今までとめどなく沸き起こってきた欲望や渇望が弱くなり、おおよそ恐怖をエンジンとする欠乏動機から自由になっていきます。動物的な飢餓や性欲、支配欲、物欲、権力欲に至るまで、以前のような求めてやまない渇望が弱まるにしたがって、権力を部下に委譲し、財宝を分け与え、多くの職務を部下たちに任せ、任を辞して、自由になっていきます。
 かくして、覇王は、仙人へと変容を遂げることになります。
 仙人に唯一残っている望みは、悟りであり、仙境に参入することです。しかし、冒険の世界と仙境(故郷)の世界の間には関門があり、境界の門番が控えています。仙境の世界には、穢れを持ち込むことはできません。仙人は、境界を通るために、冒険を通して身につけてしまった多くの穢れ、戦いで流された血、怒り、悲しみや絶望、恐怖やうらみ、自責の念などの重くくすんだエネルギーをみそぎ祓い清めます。こうして、仙人は、恐怖に由来する執着を手放し、死や喪失を受け入れ、身軽になって自由になるのです。
 境界における検査は厳しく、徹底しています。仙人は、テストをパスするために、徹底した修行を続けます。食べ物を選び、清い水を飲み、体を整えます。呼吸を工夫して体内の邪を祓い、大自然の清いエネルギーを取り込みます。瞑想し、祈り、天地と感応します。仙人は、いたずら好きで、笑うことが大好きです。笑いと言っても皮肉な笑いや冷笑ではありません、それは豪快で恰幅のいい笑いです。時に寂しくなって、下界におりて様子を探ったり、ちょっといたいたずらやちょっかいを出して人助けをしたりしますが、多くは、再び山にこもって修行を続けます。下界では修行が進まないからです。
 仙人の修業は、必ずしも短時間で済むわけではありませんし、努力したからと言って必ず合格できる保証もありません。仙人は、根気強く行を継続し、気づきを深め、境地を高めていきます。行を通して、仙人の中にあったあらゆるエゴの痛みのエネルギーが癒され、力を失います。時に、頑固で強力な執着は、ハンマーで破壊され、分解されて、雲散霧消します。そのプロセスは、自我の死のプロセスであり、まさに仙人は今まで自分を構成していた自分の死を迎えることになります。しかしだからと言って仙人の存在が消滅するわけではありません。仙人の本質は、自我ではなくて、その背景にあるより精妙な輝きです。自我が人生を主導しているときには、その背景にある精妙な輝きは影を潜めていますが、自我が力を失い、自我の厚い雲が取り除かれると、背景にあった偉大なる輝きが顔をのぞかせるようになるのです。
 こうして、仙人は、古い自分を構成していた自我の恐怖やそれに基づく執着をすべて手放すことで、事実上の死を体験すると同時に、より精妙な体で天地と共鳴し、そこに輝かしい新たな自分を発見します。自由な光豊かな存在として生まれ変わるのです。
 しかし、一方で、仙人は、一つだけちょっとした気がかりを残しています。それは、懐かしい故郷に、自分が学んだ真実を伝えたいという願いです。故郷の懐かしい人たちと再会し、酒を酌み交わして、楽しくお土産話を語り会いたいのです。気づきや学びというお土産を持ち帰って、故郷の人たちを喜ばせてあげたいのです。
 ただ、仙人は、故郷に戻ることを躊躇します。故郷に戻ったとしても自分が受け入れられるのかどうかを懸念しているのです。故郷の人たちに自分の学んだことを教えようとしても、理解されないかもしれないし、拒絶されるかもしれない、もっと悪いことに悪用されるかもしれないと心配しています。しかし、残念ながら、その心配は、多くの場合ほんとうに起こる可能性の高い予言であって、実際に懸念したようになる可能性が高いのです。仙人は、故郷の人たちの理解力や学習の可能性を全面的には信じてはいません。全ての人が、学びを正しく聞き入れ理解し、学びにつなげられるとは楽観していません。自分が帰ることによって、たくさんのトラブルや問題が発生し、自分が学びを伝えることで、幸せどころか不幸をもたらしてしまう未来の危険性を見通しているのです。ですので、仙人は、故郷に帰ることに迷いを生じます。山籠もりも決して不幸せではないし、住めば都です。なにも、この平和で楽しい生活を手放し、危険をおかしてまで、または、いらぬ苦労を背負ってまで故郷に帰る必要はないと感じるのです。結果、多くの仙人は、故郷に帰ることをあきらめます。
 仙人は自由であり、故郷の世界に戻らない選択をすることを決して責めることはできませんが、仙人が学んだ貴重な悟りを、多くの人たちに分かち合えないことは、この上ない残念でもあります。一度でも光明を得た人には、責任があります。光を信じることができずに絶望の中で苦しんでいる人や、迷っている人、より深い罪を犯そうとしている人に、「何を弱気なことを言ってるのだ!」と喝を入れなければなりません。「君は捨てたものではない、君ならできる!」と勇気づけなければなりません。そして自らの光を取り戻すための教育、お手伝いをして、悟りの後継者を育成する必要があるのです。
 本来であれば、故郷の人たちの意識が、仙人の学びを謙虚に受け入れて学ぶことができるまでに成長していることが大切であり、それがかなわない現状で、仙人に必要以上の自己犠牲を強いることはできません。あくまでも、故郷の人たちが、自力で学び、成長を遂げて、学びを受け取る準備を整えることが前提として必要なのです。その努力をせずに、教えてくれないことを責めるわけにはいきません。準備ができていない人には開示できない秘密があるのですから。ただ、故郷のすべての人たちが準備を整えることができていないわけではありません。成長の可能性はそこかしこにまどろんでいるはずです。仙人は、そのような可能性を粘り強く探求し、故郷を見捨てることなく、面倒くさがらずに、万難を排してあらゆる伝授の方法を探していくことが課題となります。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え