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ポリヴェーガル理論⑥「自分らしさを取り戻すために」

人が人として輝いて生きることが出来る状態は、ポリヴェーガル理論的に言うと、腹側迷走神経系が主導している社会交流モードであると言えます。

しかし、社会交流モードに、意図的になることはできないとされています。

ポージェス博士によると、危機対応によって人は、社会交流モードから闘争・逃走モードやシャットダウンモードに変化するとされています。

この防衛反応を起こす際の評価は、思考や意思ではなくニューロセプションと呼ばれる反射反応的な防衛機構が判断していると考えられています。

特に、トラウマと呼ばれる心理的外傷に関わる反応は、トラウマを体験した時とは全く関係のない時と場所であったとしても、その体験に似たあらゆる要因(匂い、風景、色、感覚、などなど)がきっかけとなり、トラウマの記憶をフラッシュバックさせて苦痛を再体験せざるを得なくなるのです。トラウマは既に過ぎ去ったことなのですが、その人の中では、まだその呪いは息づいており、何度も何度も色あせることなく繰り返し苦悩を体験することになってしまうのです。

そして、フラッシュバックは、人の意志や考え方では止めることはできずに、危機対応モードに自分自身が乗っ取られてしまいます。

人が意図も希望もしない反応を避けることも止めることもできずに、自分らしさからかけ離れた手負いの獣的、爬虫類的、魚類的あり方にハイジャックされ、コントロールされてしまう…。何とも厄介で過酷な試練ではないでしょうか。

では、どうすればこうした意のままにならない反応を食い止め、コントロールを取り戻すことが出来るのでしょうか?

ポージェス博士は、まずはこうした反応を嫌い、呪うのではなく、古代から伝わってきたサバイバルの叡智の結晶から生まれた事であり、誇りに思うべきだと仰っています。そうした反応に抵抗し、やっつけ、矯正しようとするのではなく、まずは受け入れるべきだと私は解釈しています。

また、ポリヴェーガル理論やトラウマ心理学の流れの中で、とても優れた素晴らしい方法が、どんどん編み出されています。

ヨガ、ニューロフィードバック、ソマティックエクスペリエンス(身体に働きかける療法)のさまざまな方法、マッサージ、内的家族システム療法、スキーマ療法など様々なカウンセリング技法、マインドフルネス、アート、ダンス、音楽セラピー、鍼灸鍼療法、経絡ツボ療法、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)、などなど。

どの方法も素晴らしい方法であり、大きな可能性があると言えます。

ただ、どれも絶対の完璧なものではなく、発展途上であると同時に、相性もあると思います。興味のある方法をご自身の目と感覚で探求していけば、きっとより良いご縁が出来てくるのだろうと思います。

私も、さまざまな本を読み、お勧めのエクササイズを実践してみて、少しずつ学ばせていただいております。中には、ずいぶん入れ込んで探求を進めたものもあります。どれも今の私にとっては、貴重な学びです。

あくまでも参考としてですが、今の私にとって、大変役に立ってくれている瞑想と言う方法をここではご紹介したいと思います。瞑想は、古来から伝えられてきた方法であり、とてつもない高さ、深さ、広さがあると思っています。

よく瞑想は、潜水に例えられることがあります。潜れる深さの範囲内でしか世界を認識することが出来ない。深く潜る力があればあるほど、見える世界が広がり、気づきが深く大きくなっていく。そして、気づきの深さには際限がないのです。だから、瞑想のスキルも、想像を絶するような高い境地があるのだろうとも思っております。

私の場合は、水辺でぴちゃぴちゃと遊んでいる程度だろうと感じておりますが、そのようなレベルであっても、私にはずいぶん役に立っております。今でも毎日欠かさず行っている日課の一つです。

以下、一番基礎的で安全な方法をご紹介します。参考にしていただければ幸いです。

以下、「To be a Hero ~自分を生きる勇者となる~」より抜粋

<エクササイズ 「受け入れる瞑想」>
 瞑想は、古来から伝わる自己探求の方法です。瞑想は、心の中のノイズを静め、過去や未来に向かってしまう心の焦点を今ここに戻し、今ここの自分自身を探求する方法です。今ここの自分自身には、通常の自分の顕在意識では認識できない繊細さ、精妙さ、大きなエネルギー、偉大なる可能性がまどろんでいると考えられています。瞑想は、そうした今ここの本来の自分とアクセスし、自分らしく輝いて生きていく生き方を後押ししてくれます。
 なお、今ここの本来の自分とアクセスするためには、瞑想の立場では、決して特殊なことは必要ないと考えています。本来の自分は、作ったりどこかに探しに行くものではなく、今ここにいつでも存在していると考えています。それにアクセスできないのは、普段私が私だと思い込んでいる私の一部の活発な活動が障がいとなっているためであって、雑音を静め、思い込みを緩めていけば、自然に見えてくると考えています。太陽が存在していないわけではないのです。あまりに厚い雲で光がさえぎられているので、太陽の存在を感じ取れないのです。ですので、太陽を見たければ、雲を払うことが大切なのであって、太陽を作ろうとしたり、太陽を探そうと努力することは的外れなのだと言えます。
 瞑想は、素晴らしい自分を作ろうとしたり探し求めたりはしません。ただひたすら雲を払う、私の中の適応や生き残りのための騒がしい活発な活動を静め、自分に対する固定観念を解きほぐしていく作業を進めていきます。劇的な変化というよりはゆっくりと一歩ずつ進めていく方法ですので、時間はかかりますが、確実に成長につながる方法と言えましょう。
 私は、10年以上にわたって毎日コツコツと瞑想を続けています。別に実績を自慢している訳ではありませんが、日々の瞑想を通して、ずいぶん生きやすさ、元気を頂いている実感があります。信頼できる方法でかつ効果を期待できる方法だと思っており、本書でもご紹介したいと思っています。
 私が瞑想を気に入っている理由は3つあります。

①何にも依存しない…瞑想は一人でできますので、お金も、物も、人間関係も必要ありません。もし、自分らしく輝いて生きるために、何か自分以外のもの、例えばお金や貴金属、愛する人や本、などが必要であった場合は、輝いて生きるためにはそれらに依存しなければなりません。他の何かに依存する生き方は、自分自身を信じて自分自身によって立つ自分らしい生き方とは言えませんよね。その意味で、瞑想は、特別な場所や物、お金や宝石など、他の何物も必要としません。身
一つで手軽に実践できる方法です。

②安全でジェントル…瞑想は、基本的には、ただ座ってじっとしている方法ですので、泣いたり、叫んだり、気を失ったり(寝てしまうことはありますが…)、などの浸食的、激情的な現象が起こることはありません。一切の暴力が排除されているシンプルな方法ですので、安全で穏やかで静かな方法です。また、長時間しなければならないなどの約束や縛りもありませんので、自分の気の向くまま、無理なくできる方法でもあります。だからこそ、長く続けることができるのだと思います。

③ちょっとずつ確実に効果が現われる…瞑想は、たとえ短時間であっても、実践を続ければ続けるほど効果が出てきます。ただ、悟りを開くとか超能力が身につくとかそうした劇的な効果は期待しない方がよいと思います。私が感じている効果は、日常のささやかなことです。一切やる気が出なかったけど掃除をする気になってやってみた、いつも不機嫌だったけど最近はよく笑うようになった、素直に人の話が聞けた、普段は感じない花の香りを感じて花がきれいに見えた、文句ばっかりだったけどありがたみを感じた、肩のコリが和らいで少し楽になった、姿勢がよくなった、少しやさしくなった、瞑想していること自体が楽しくなった、気づいたら風邪をひかなくなっていた、人と話すことが苦でなくなってきた、などなど、瞑想は、今までの生き方の延長上ではない、ほんとうにささやかではあるけれども思いもよらない変化が、ちょっとずつ確実に起こってくるように実感しています。私にとっては、こうした思いもよらない小さな変化こそがちょっとした奇跡であり、大切な大切な気づき、人としての成長につながっていくのだろうと思っています。自己探求には近道や王道はありません。逆に簡単にできる近道を唄う方法には、必ずどこかに落とし穴があるように思います。瞑想は、その意味で、地味ではありますが、楽しみながらコツコツと長く続
けてできる方法であり、ゆっくりと確実に効果が出てくる努力を裏切らない方法です。

 以上の理由で、私は、瞑想を気に入っており、実践しております。百ある方法の一つであり、最善最強の方法というわけではないのですが、参考にしていただけると感じておりますので、本書でも、瞑想の方法をさまざまな節でご紹介していきたいと思います。ここでは、瞑想の中でも最も基本的で大切な「受け入れる瞑想」をご紹介します。以下のステップを参考にして、自分自身を探求していきましょう。

1.姿勢を正す
 椅子などに腰掛け、ヘソを前に突き出し、あごを引いて姿勢を正します。手は、もっとも置きやすい形(伏せるなど)で置きやすい場所(腿の上など)に自然に置きます。

2.重力を受け入れる
 受け入れる第一ステップとして、まずは、重力を受け入れていきます。重力は普段は意識しませんが、とてもパワフルであり、確実に私たちに働きかけてくれています。その存在のおかげで地球での生活が確保できるのですから。その重力を丁寧に感じて身をゆだねていきます。
 まずは、左腕から左手のひら、左指にかけて重みを感じてみます。重みを感じることが少しでもできたならば、左手を重力に委ね、力を抜きます。ホッと力を抜くときに、左手の血流を感じ、温かさ、ジーンとする感覚を感じることがあるかもしれません。もし感じることができたら、その感覚を大切にしてください。
 以降、右手→左足→右足→頭→首→胸→おなか→腰と重力スキャン、脱力を進めていきます。その際、力を抜くからと言って、姿勢を崩さないようにしてください。しっかりと姿勢を保つだけの力だけは確保しておきます。
 重力を受け入れ、身体の温かさ、ジーンとする心地よい感覚に身を包まれながら、地球のやさしく安定した力強い重力という力で生かされていることに思いをはせ、感謝します。

3.環境を受け入れる
 受け入れる第二ステップとして、今ここで置かれている環境を受け入れていきます。今いる場所がどこであれ、静かなところであれ騒がしいところであれ、その場所への文句や不満(あれば)を静め、緊張を解き、今ここの環境を「それでよし」とひとまず受け入れてみます。存在する地面、家、人、家具、空気を、今ここで感じている温度、におい、音を、「起こるべくして起こっている、何一つ過不足はない」という心境で受け入れ、抵抗や緊張を緩めていきます。
 逆にそれらの存在があるからこそ今ここで瞑想できることに意識をはせてみます。実際に、床があるから座っていられます。その床は私が作ったものではなく誰かの努力で作られたものです。
 実際に空気があるから呼吸ができます。その空気は自分 が作ったものではなく他の存在によってもたらされたものです。
 実際に適度な温かさがあるから座っていられます。その温度は私が作ったものではなく他の存在によって提供されたものです。普段は当たり前過ぎて意識していませんが、よくよく考えて みると、それが無ければ一瞬たりとも生きることはできません。しかし、自分で努力して集めたわけではないのに、今ここでこうしていることに必要なものは全て満たされています。それが存在していることが実に不思議であり、ありがたいことだと分かります。もしかしたら、私は思いのほか周囲から守られ、愛されているのかもしれません。
 今ここの環境を受け入れ、「今ここで私は守られている」「今ここで私は愛されている」と周囲を感じ、感謝します。
 
3.自分を受け入れる
 受け入れる第三ステップとして、今ここの自分を受け入れていきます。今ここの自分は、私が自分だと思い込んでいる自分にはないミステリーがあります。自己探求はよく潜水に例えられます。自分は自分が潜れる範囲内でしか自分を認識できないので、それが自分のすべてだと思い込んでしまいます。1mしか潜れない人は、水深1m分の自分を自分の全てだと思い込み、それ以上の自分の可能性は全く認識できません。しかし、実際にはもっともっと深いリアリティが存在し、それは、探求されるまでは開示されることはないのです。今ここの自分にも、今の自分が自分だと思っている範囲をはるかに超える領域が存在します。そこには、今の自分では及びもつかないような素晴らしい可能性もあれば、封じ込めてしまった痛みや悲しみも存在しているのです。第三ステップでは、それらの自分という場で起こるあらゆる出来事を受け入れていきます。

①身体を受け入れる
 まずは、自分の身体を受け入れます。自分の身体感覚に集中していきましょう。手、足、頭、首、胸、おなか、腰、足、呼吸などをモニターし、今ここで感じている感じ方のありのままを受け入れます。その際、こうあるべきだという思いでコントロールしようとすることは慎みましょう。時に、流れの悪さ、皮膚の痒み、居心地の悪さ、コリや痛み、などを感じることがあります。痛み
や痒さなど、体の位置を変えたり動かしたりなどで対応できるものに関しては、実際にそうして対処すればよいでしょう。一切体を動かしてはいけないというルールはありませんから。ただし、そういうことでは対処できない居心地の悪さ、イライラ、コリなどは、それをなおそうとしたり、無くそうとするのではなく、まずは、その存在を許し、受け止めて、よくその感じを味わってみることが大切です。
 もしそれを手放したければ、しっかりと手で捕まえなければ遠くへ投げられません。もし遠くに打ち返したければ、球筋をよく観察しなければ空振りしてしまいます。いきなり操作コントロールしようとするのではなく、まずは受け入れてよく見て観察し、理解する必要があるのです。
 なお、この身体感覚に集中するステップは、全ての基盤、基礎となります。何かに迷ったり、道を見失った場合は、いつもこの場所に戻ってくるようにしましょう。身体感覚は、うそをつきません。必ずしもそれが真実というではありませんが、真実への方向性を指示してくれる重要な羅針盤となります。今ここに戻ろうとした場合は、いつもこの身体感覚から始めるとよいでしょう。

②思考を受け入れ、手放す
 瞑想を始めると、自分の内面に意識が向かいます。そして、瞑想の当初は、自分の内面の騒がしさに驚くかもしれません。
気になることや考え事がわいてきて、連鎖的にいろいろな考えが巻き起こり、とめどなく考えに耽ってしまう、瞑想中は、そういうことがよく起こります。考え事に集中していることに気づいたら、それを気前よくやめて、今ここの身体感覚に戻ってくるようにしましょう。
 思考は、決して今ここのものではありません。思考は言葉によって出来上がっていますが、言葉は実態ではありません。ビールという言葉はビールそのものではありません。あくまでも本物に張られた名前なのです。名前はいつでも実態の後で貼り付けられるものであって、同時ではありません。ですので、言語化した時点で言葉はリアリティの後付け、“いま”ではなく“先ほど”の存在となります。思考は言葉によってできていますので、それはいつでも今ここを認識できません。それは、いつも過去のこと、未来のことを考えるのであって、今ここをありのままに感じ、味わうことはできないのです。
 瞑想は、今ここの自分を探求する方法ですので、思考に集中してしまうと、瞑想ができなくなります。ですので、考え事に集中していると分かったら、そこから離れて、今ここに戻ってくる必要があります。その際、思考を止めようとしたり、思考する自分を責めたり罰することは慎みましょう。人であれば思考は好むと好まざるとにかかわらず必ずわいてくるものです。湧き出る自然の
湧水を止められないように、思考の出現も止められません。だから、止めようと努力することも無駄ですし、それができない自分を責めるのも自分に無理難題を押し付けていることになり、良いことではありません。できることは、思考が湧き出ることを許し受け入れること、そして、執着せずに手放すこととなります。
 ですから、瞑想中は、思考を観察し、出てきたらそれにどっぷりつからずに手放す作業を繰り返します。思考を観察することによって、私は思考そのものではなく、思考から距離をおいた存在、思考を観察する存在となります。同時に、思考の世界である過去と未来にとらわれるのではなく、自分の意志で今ここに戻ってくる自由を獲得することができるようになります。この努力は、筋トレのように毎日繰り返すとどんどん強くなり、スキルが高まります。
 思考を観察し、考えていることに気づいたら身体感覚に集中し、今ここに戻ってくる。単調な作業ではありますが、この繰り返しが、自己探求と言うとても大切な能力と力を伸ばす大きな意義のあるレッスンであることを理解しましょう。

③感情を受け入れ、共感する
 瞑想中に、思考だけではなく、時に感情が沸き起こることもあります。考え事に触発される、嫌いな人(動物)の声が聞こえてイライラする、その日の気分としてうつうつとした感情がノイズのように流れている、など、瞑想中に、否定的な感情が沸き起こることも良くあります。自分の中の感情に気づいたら、その感情を抑圧しようとしたり変えようとするなど、コントロールや操作は慎みましょう。
 後述しますが、トラウマのような痛みの記憶は、身体エネルギーの流れのどこかに記憶され、解放されるまではその人に悪影響を及ぼすと考えられています。ですから、自分の感情に気づくということは、自分の中にある癒されない痛みに気づくということ、それは、癒しや成長の絶好のチャンスでもあります。ですので、瞑想中の感情を触発する出来事は、福音なのかもしれません。自分の感情に気づいたら、それが起こることをを許し、受け入れ、それを操作コントロールしようとせず、それに伴って起こっている身体感覚=胸がふさぐ、手が汗ばむ、背中が痛む、みぞおちが重くなる、浮足立つ、などなどさまざまな身体感覚に集中し、その感覚の推移を味わってみましょう。但し、無理は禁物です。あまりにもつらい場合は、いったん中断してください。
 癒しは、一気に全部起こるわけではありません。人の抱える痛みは一気に全部癒やせるほど、扱いが容易なものではありません。不用意に近づきすぎるとやけどをする可能性もあります。ですから、欲張って無理をしてはいけません。一歩ずつ近づき、一滴ずつ癒やす、そういうアプローチがちょうどよいのだと思います。
 ただ、方向性としては、感情の痛みをすぐに治そうとしたり、無視しようとしたり、コントロールしようとするのではなく、それを許し、受け入れ、共感することが大切です。痛みの感情にも意地があるのです。それから逃げようとしたり、無視したり、消そうとしたりコントロールしようとすればするほど、それは大義名分を得て力を増して反撃してきますが、その存在を許し、あたたかく受け入れ、共感すれば、その痛みが癒され、蓄積されていた痛みの感情エネルギーが解放されて、それ以降は影響を与えることは少なくなるでしょう。

 以上のステップを参考にしながら、自分の身体感覚に集中することを通して今ここの自分を感じてみることを続けていきます。最初のころは5分~10分、慣れてきたら30分程度続けてみるとよいでしょう。
 瞑想を始めた最初のうちは、瞑想中に、かゆみ、痛み、苦痛、いらいら、落ち着きのなさ、など、瞑想の目的の一つである心の落ち着きでどころはなく、逆に不快感を感じる場合がよくあります。そうした不快な体験を受けて、「私には瞑想は合わないのだ」と思い込んで、続けるのをやめてしまう人が結構多くいらっしゃいますが、それはとても残念なことです。
 瞑想をしたから不快感が起こってきたのではないのです。それは、瞑想をする前から自分の中で起こっていたことであり、普段は気づかなかったことが、瞑想で浮き彫りになったということなのだと思います。そうした心の中の不快感に気づき、受け入れ、味わうこと自体が、深い癒しにつながり、健康と成長につながっていくものですので、簡単にはあきらめずに続けていくことが大切です。
 瞑想で不快感ばかり感じてしまう人は、瞑想が合わないのではなく、逆に効果が大きすぎるのです。ですので、あまり無理せず、5分程度の短時間でも構わないので、その不快感と向き合ってみてはいかがでしょうか。「座禅は安楽の法門」と言う言葉があります。瞑想も慣れてスキルが高まってくると、気持ちよさを感じ、ストレスの解消や疲労回復、能力のアップにつながってくると言われていますので、簡単にあきらめずに、少しずつでも構わないので継続してみましょう。
 瞑想は、長時間座って達成感を感じられたとしても、気まぐれで時々であればあまり効果はありません。無理のない範囲内の時間で毎日コツコツと続けたほうが効果的です。また、瞑想をした後で必ず心が安らぎさわやかな気分になるとは限りません。時には、癒やされた実感を全く感じなかったり、逆にすっきりしないモヤモヤが残るかもしれません。それはそれでよいのだと思います。そんな瞑想にも必ず価値がある。どんな瞑想でも、瞑想は瞑想、瞑想は裏切りません。必ずそこには意義があります。3勝2敗程度のおおらかな気持ちで、大きな期待を寄せずに、毎日の洗顔のような習慣のつもりでコツコツと続けるとよいでしょう。
 瞑想を続けると、次第に緊張感が和らぎ、ストレスに影響されづらくなり、不安感や恐怖感から解放されやすい免疫力を養うことができます。きっと続けて数か月もたてば疲れづらい元気な心身の状態を回復してくることに気づくでしょう。ぜひ挑戦してみましょう。
 瞑想の最後には、この瞑想という場を提供してくれた環境と自分自身に感謝して、終了します。

 

【参考文献】

・「ポリヴェーガル理論入門」ステファン・W・ポージェス 著 春秋社

・「身体はトラウマを記録する」べッセル・ヴァン・デア・コーク 紀伊国屋書店

・「身体に閉じ込められたトラウマ」ピーター・A・ラヴィーン 星和書店

【関連記事】

ポリヴェーガル理論①「ポリヴェーガル理論とは」

ポリヴェーガル理論②「進化プロセスを記憶する身体」

ポリヴェーガル理論③「認識や判断ではなく生理学的反応」

ポリヴェーガル理論④「人が人として生きられない時 トラウマの呪い」

ポリヴェーガル理論⑤「自分らしく生きるとは」

ポリヴェーガル理論⑥「自分らしさを取り戻すために」

ポリヴェーガル理論⑤「自分らしく生きるとは」

 ポリヴェーガル理論の立場から考えると、人には、もちろん人としての自分が存在していますが、ストレスモードになると恐怖と怒り、渇望というネガティブな感情で動く動物的、獣的な存在、さらに、生命の危機に陥ると絶体絶命モードになり、凍り付き、解離を旨とする爬虫類的な存在が発現してくることになります。

 すなわち、私と言う存在には、人としての自分、動物的獣的自分、爬虫類的自分が存在していると言えましょう。

 前節で、獣的自分や爬虫類的自分が現れるのは太古の昔からの危機対応方法として学んできた生命の叡智であり、狭い了見で裁き、責めるべきではないこと、それは、決して弱さではなく、むしろ誇らしいこと、サバイバルの叡智の結果として起こっていることで、受け入れて、逆に感謝して、尊重するべきものだとポージェス博士は主張されていると申し上げました。

 確かにそのとおりであり、進化の結果として確立された自律神経系のシステムに、人間の都合で文句を言うべきではありません。まずは、それらの反応を受け入れて、尊重するという態度は大切だと言えましょう。

 しかし、だからと言って、獣的自分や爬虫類的自分に人生を乗っ取られてよいというわけではありません。人は人だからです。人としての玉座に人以前の進化状態の存在を座らせて、自分の人生を支配させて良いというわけではないのです。

 自律神経系にも、進化のヒエラルキー(腹側神経系>交感神経系>背側神経系)があるように、自分のありかたにもヒエラルキーがあります(人>動物>爬虫類)。その秩序や序列を乱すことは決して健全ではないのです。

 恐怖、絶望、悲嘆、怒り、憎しみ、暴力衝動は、本来動物的、獣的自分に備わった属性です。その気持ちをあるがままに認めその強い影響力が作用することを一時的部分的に許すことはあったとしても、それを自分そのものと勘違いしてそのままに発散することは、人としての自然な生き方ではありません。

 それは獣的、爬虫類的なあるがままであって、決して人間としてのものではありません。自分の中の獣的存在や爬虫類的存在を上手に指導し、導く必要があるのだと言えましょう。

 自分の中の獣的存在や爬虫類的存在を指導し、導くためには、大前提として、このポリヴェーガル理論が役に立つでしょう。

 ポリヴェーガル理論は、自分の中にそのような人以前の進化状態の存在があることを決して否定したり、非難するのではなく、受け入れ、尊重し、誇りに思うべきだと考えています。

 それらは、肉体に刻印されている進化の体系であり、危機的な状況に応じて、自分の意志や認識の範囲外で、独立的、半独立的に自分を守ろうと反応するものであり、進化の叡智の結果として存在しているものなのだということをまずは理解することが大切だと考えています。

 すべては、いまのここから始める必要があります。たとえ現状が地獄のように感じられても、現在においては、そこが出発点であり他に道はないことを受け入れ、現実に向き合い、心を開き、自分自身を探求することが大切だ考えているのです。

 

【参考文献】

・「ポリヴェーガル理論入門」ステファン・W・ポージェス 著 春秋社

・「身体はトラウマを記録する」べッセル・ヴァン・デア・コーク 紀伊国屋書店

・「身体に閉じ込められたトラウマ」ピーター・A・ラヴィーン 星和書店

【関連記事】

ポリヴェーガル理論①「ポリヴェーガル理論とは」

ポリヴェーガル理論②「進化プロセスを記憶する身体」

ポリヴェーガル理論③「認識や判断ではなく生理学的反応」

ポリヴェーガル理論④「人が人として生きられない時 トラウマの呪い」

ポリヴェーガル理論⑤「自分らしく生きるとは」

ポリヴェーガル理論⑥「自分らしさを取り戻すために」

自由とは

「君の幸せが他の誰かがやったりやらなかったりすることにかかっている時、
 君は罠にはまっているんだ。
 なぜなら、他の人々が考えることや行なうことを、
 君がコントロールすることはできないからさ。
 でもね、自分の喜びは他人にかかっているのではないということがわかったら、
 その時には本当に自由になれるんだ」
 
 「サラとソロモン」エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス 著 ナチュラルスピリット 出版

現代社会の基盤となる考え方の検討

「現代社会の基盤となる考え方の検討」をテーマとした動画をyoutubeにアップしました。

大学のオンデマンド授業で活用した動画の一部となります。

私たちが当たり前のように常識だと思っている弱肉強食、適者生存、等の考え方を検討し、それらの考え方にまつわる勘違いや思い込みを解消していく展開となります。

決して派手ではない、演出もない素朴なものですが、大切なことだと思っています。よろしければご覧ください。

 

 

 

 

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ⑦セルフリーダーシップを回復するために

7.セルフリーダーシップを回復するために

 前節で、自分らしく幸せに生きるためには、Selfとパーツが信頼しあい、協調しあえる調和の状態であることが必要だということが分かりましたが、では、どのようにすれば、そのような調和や統合が可能なのでしょうか。IFSでは、まずは、自分の中に、自分が見捨ててしまったパーツがあることを受け入れること、そして傷ついたインナーチャイルド、追放者と和解し、癒し、再統合を図ることが必要だと考えています。どのパーツも見捨てずに歓迎する、全てのパーツに尊厳と感謝をもって癒しを深めていく自己への共感によるヒーリングが必要だと考えているのです。
 私の中の追放者は、私が見捨ててしまった小さな私であり、私の顕在意識の手の届かないところに追いやってしまったために、もはやコントロールすることはできません。戦うことはもちろん、突き放す、無視する、脅す、褒美を与える、取引する、など、追放者が自分の一部ではなく分離した対称という認識を持ったままでは、どのようなテクニックを弄しても、問題を解決することはできません。
 本質的な問題解決に必要なことは、もともと私だった追放者を再び迎え入れること、私の中の痛みの存在を認め、ありのままを受け入れ、共感し、再び自分として統合を図ることなのだと言えましょう。そもそも、追放者は、困難な人生を生き残るための適応方法として生み出されたものであり、それが無ければ私は生きてこれなかったかもしれないのです。私に不本意な問題を引き起こす原因なので厄介者扱いされますが、実は、私が生き残るために体を張って戦ってくれた勇者であり、私を愛してくれている大切な家族なのです。追放者と向き合うために必要なことは、暴力ではなく、ひとえにおもいやり、やさしさ、共感であり、高い精神性なのだと言えましょう。

 

【内的家族システムによるセルフリーダーシップ シリーズ】

内的家族システムとは

トラウマを担う追放者というパーツ

追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

本当の私=Selfによる癒しと統合

Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

セルフリーダーシップを回復するために

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ⑥Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

6.Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

 Selfとパーツの関係の在り方によって、「私」は、⑴調和の状態 ⑵葛藤の状態 ⑶機能不全の状態 の3つの状態に変容していきます。それぞれの状態の特徴について以下解説していきましょう。

⑴調和の状態
 Selfの働きによってパーツが十分に癒され、ネガティブのエネルギーの束縛から解放されると同時に、Selfとパーツの信頼関係が育まれて、基本的な安心感、世界と向き合う上での確固たる基盤が出来上がります。また、世界に対する信頼感、前向きな思いを取り戻し、チャレンジ精神や粘り強さ、明るさや勇気といった本来の美徳、問題解決能力を取り戻して、たくましく力強く人生を切り開いていきます。この状態こそが、人本来の可能性が表現されている状態であり、もっともその人らしく幸せに輝いて生きている状謡といえます。

⑵葛藤の状態
 Selfは、活発なパーツの活動に打ち消されて、背景に隠れてしまい、もはや主導権を失った状態です。Selfを自覚できなくなると、私は、一部のパーツと同一化し、一部のパーツを私と認識するようになります。しかしそのパーツは、Selfとは違い、癒す力や人徳によるリーダーシップを発揮する能力はありません。時には、取引や計算高さ、あめとムチ、脅しや操作などの質の悪い管理者のするようなふるまいで他のパーツをリードすることはあるでしょうが、決してSelfの発揮する効果は期待できません。リーダーとしての限界があるのです。また、パーツは、内面に複数存在し、その目的や利害が一致しているわけではなく、かならずしも同一化したパーツに、他のパーツがすなおに従うわけではありません。ですから、一部のパーツが主導権を握った「私」の内面は、反論、抵抗、攻撃、など、パーツ同士が絶えず主導権を巡って戦いあう葛藤状態となります。
 パーツ同士の葛藤が深まり、分離が強くなればなるほど、「私」の自己イメージは悪化し、自尊心を損ない、自己嫌悪が激しくなっていきます。
 この状態になると、パーツの主導権が、頻繁に移行するようになります。要するに、ニコニコ笑っているかと思うと、いきなり怒り始め、暴言を吐くなど、他者から見ると、まるで人格が変わったような(実際に変わっているのですが…)現象が起こるのです。こうした症状は、境界型パーソナリティ障害としても知られています。この段階では、急激な人格交代は起こりますが、全ての人格の発言や行動の記憶が途絶えることはありません。自分(のパーツ)がやっていることの全ては、まだしっかりと把握できているのです。

⑶機能不全の状態
 自分で自分だと認めたくない部分、自己嫌悪の対象、追放者が多くなればなるほど、自分の領域は狭くなり、自分は不自由で制限のあるふるまいしかできなくなり、無力感は増していきます。また、追放者を扱う管理者や消防士などのプロテクターにもエネルギーを注がなければならないので、自分のエネルギーはどんどん枯渇し、常に疲労している不活性な状態になります。そして、次第に自分の内面をマネジメントすることに対して絶望し、責任を持てない混乱の状況になっていくのです。
 この状態になると、パーツ同士は、協調するというよりは、自分勝手にふるまい始め、相互の分離感は強く、壁が厚くなり、主導権を争う葛藤も激しくなります。また、「自分」は、増々無力で不活性状態になっているので、容易にパーツの影響を受けるようになり、主導権を奪われ、自分の意思というよりはパーツの意思で生きるようになってきます。
 こうした症状は、統合失調症や多重人格としても知られています。この段階になると、もはや、パーツが主導している間の記憶が飛んでしまうことが多くなります。「私」は、私の場で起こっているすべてのことを把握することが出来なくなってしまう、まさに無秩序、混乱の状態、「私」の機能不全の状態となってしまうのです。

 

【内的家族システムによるセルフリーダーシップ シリーズ】

内的家族システムとは

トラウマを担う追放者というパーツ

追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

本当の私=Selfによる癒しと統合

Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

セルフリーダーシップを回復するために

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ⑤本当の私=Selfによる癒しと統合

5.本当の私=Selfによる癒しと統合

 IFSでは、人にはパーツを超えた意識、人の「本来の自己」であり、力強く輝く気高い意識があると考えており、その意識をSelfと呼んでいます。
 Selfは、普段は、パーツの活発な活動の背景に隠れており、容易には知覚できませんが、パーツとの同一化を止めて距離を置き、パーツへの負荷を低下させていくと姿を現してくると考えられています。
 Selfは、思いやりややさしさ、穏やかさや平和、明晰さや創造性、勇気や自尊心などの気高い価値に満ちており、癒しや統合、問題解決の驚くべき力を持っており、一旦Selfが目覚めたならば、多くのパーツが癒され、一致団結して、一つの調和した健康で元気な自分として活躍できるようになると考えられているのです。
 ですので、自分が自分らしく力強く幸せに生きようとこころざした場合には、このSelfを呼び起こし、本当の自分自身であるSelfによるリーダーシップを発揮して生きることが必要なのだと言えましょう。

 

【内的家族システムによるセルフリーダーシップ シリーズ】

内的家族システムとは

トラウマを担う追放者というパーツ

追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

本当の私=Selfによる癒しと統合

Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

セルフリーダーシップを回復するために

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ④誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

4.誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

 IFSの言う追放者、自分の中に存在する傷ついた孤独な子供は、何も、病気で苦しむ人たちだけではなく、誰にでも存在するパーツであると考えられています。人の人生には、一つや二つの言葉にならない苦悩、人に言えない恥、思い出したくない恐怖や悲しみはあるものです。また、思い出すことができる痛みならまだしも、その記憶すらないトラウマも人には存在すると考えられています。
 心理学で「幼児期健忘」という言葉があります。これは、3歳くらいまでの記憶がない人が多く、幼児期には記憶が残りにくい現象を言います。この幼児期健忘がなぜ起こるのかの原因は、明確にはなっていませんが、有力な説の一つが言語脳の機能説となります。
 人は、幼児期は、まだ言葉を扱うことができません。ですので、左脳がまだ未発達なのです。その時期に自分をコントロールし自分を生きている主体は右脳である可能性が高いと考えられます。右脳は、イメージ記憶をもつ部位であり、幼児期の赤ちゃんは、右脳で周囲の様子、体験をイメージや感情で記憶していると考えられています。しかし、その後発達し自我意識を担うことになる左脳は、幼少期の右脳の記憶は感知しません。普段私たちが私であると感じている統一感は、前章でも述べた通り、左脳の言語機能、インタープリターから出来ていますので、解釈者としての私が感知できない記憶は、私にとっては「存在しない」と感じるのです。
 こうして、右脳ではしっかりと印象記憶が為されているにもかかわらず、左脳でキャッチできないがゆえに記憶がないと感じる「幼児期健忘」という症状が起こるのではないかと考えられているのです。
 幼児期の環境が、愛と思いやりとやさしさに満たされて、幸福に過ごすことができた人は幸運です。幼児期の右脳の記憶には、両親に対する信頼と愛情、周囲に対する信頼と安心感の思い出がたくさん残されており、意識できようができまいが、その人のその後の人生に、基本的安心感、勇気と粘り強さと前向きさ、明るさをもたらし、たくましく生きる生き方を後押ししてくれるからです。
 しかし、幼少期の体験が完璧なものだったという人は、どのくらい存在するのでしょうか?一切の痛みや苦しみ、トラウマ的な体験が無かったと言える人がどの程度存在するのでしょう?痛みや恐怖は、両親の養育態度だけからもたらされるものではありません。たとえそれが完璧なものだったとしても、医者に行って身体を拘束されて痛い注射を打たれた時の恐怖、不注意によって転倒し怪我をした痛みとショック、心無い大人から向けられた悪意ある視線、人生には、多くの困難や痛みはつきものです。また、両親も完璧な存在ではなく、いつも愛情深く思いやりに富んでいる存在で居続けることはできません。時には、赤ちゃんにとっては、不本意で苦痛、悲しみ、恐怖を感じる対処もあったことでしょう。ですので、幼少期の体験が、人生を豊かにしてくれるようなポジティブなものばかりとは限らないのです。「私の子供時代は幸せで何一つ問題なかった」という人は、自分が自分の一部(追放者)に最悪の痛みを押し付けているという可能性を忘れてはいけません。そう考えられるのも、私の中の小さな犠牲者(追放者)のおかげなのかもしれません。
 幼少期のトラウマは、左脳の自己意識では感知できませんが、それは、右脳にしっかりとそのままの形で記憶されており、トラウマがフラッシュバックの苦しみをもたらすように、本人が大人になっても、時と条件が整えば、その記憶はフラッシュバックし、その時に感じた痛み、悲しみ、恐怖と同じ感情が沸き起こってきます。大人の私は、沸き起こってくる激情の理由は分かりませんが、その感情や苦しみはリアルであり、理由の分からない理不尽なさまざまな心身トラブル、問題にさいなまれることにつながる可能性があります。人が感じる生きづらさや人と話すときの過度の緊張、さまざまな困難は、そうした幼少期の痛みに由来するのかもしれません。
 幼少期のトラウマに代表されるように、人には多くの気づいていない痛み、苦しみ、トラウマを抱えている可能性があります。そう、IFSで言う追放者、傷ついたインナーチャイルドは、特別なことではなく、私たち一人一人の中で、その存在に気づき、関心を持たれ、癒してもらえることをいつまでもいつまでも待っているのかもしれません。

 

【内的家族システムによるセルフリーダーシップ シリーズ】

内的家族システムとは

トラウマを担う追放者というパーツ

追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

本当の私=Selfによる癒しと統合

Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

セルフリーダーシップを回復するために

内的家族システムによるセルフリーダーシップ ③追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

3.追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

 追放者のエネルギーは、残りのパーツにとっての脅威となるので、追放者の悪影響から全体を守るために、残りのパーツは団結して対処する必要が出てきます。そうした追放者から全体を守る役割を担ったパーツを防衛者(protector)と呼んでいます。また、防衛者は、その働きから、2種類に分けることができます。一つは「管理者(manager)」と呼ばれるパーツ、もうひとつは「消防士(firefighter)です。それぞれの特徴と機能を以下解説していきましょう。

⑴管理者(manager)
 管理者は、追放者が目覚め、騒ぎ出さないように戦略的に自分の環境や人生を管理しようとします。主な働きは、消極的なものと積極的なものの2種類あります。
 積極的な管理者は、追放者を抑圧封印できるように、追放者を無視し、関心を他に向けようとする働きをします。例えば、「仕事にエネルギーのすべてを注ぎ、経済的な成功を目指す」、「論理性を武器に理路整然と相手を批判し、自分の正しさを主張する」、「何事も完璧を目指し、確実に賞賛を受ける結果を出す」、「戦いに圧勝できる非の打ちどころのない強さを持とうとする」などのふるまい、生き方を促します。それが成功する場合は、勝利、安定、成長につながりますが、機能不全になると、ハラスメント、パニック、強迫、攻撃的などの問題につながることもあります。
 もうひとつの消極的な管理者は、追放者を刺激しないように、刺激しそうな事柄や場を避けたり、追放者の信念や感情(ダメ人間、無力、絶望、自罰、恥)に従おうとする働きをします。例えば「人と会わない、話さない」、「できるだけ出かけない」、「自分を犠牲にして人の世話を焼く」、「身を低くして葛藤を避ける」、「注目を集めないよう目立たないようにする」、「受け身でしてくれるのを待つ」などのふるまい、生き方を促します。それがうまく機能する場合は、危険回避、慎重さにつながりますが、機能不全になると、うつ、無力感、引きこもり等の問題を引き起こす可能性があり、注意が必要です。

⑵消防士(firefighter)
 管理者が追放者を目覚めさせないようなさまざまな活動をしているにもかかわらず、努力が及ばなかった時に登場するのが消防士です。消防士は、追放者が目覚め、感情が炎上してしまった緊急時に、その感情の炎を消すためのあらゆる努力を行います。傷つき暴れる感情の炎を消すためには、その感情を麻痺させること、その感情を開放すること等の対処法があります。消防士は激情を麻痺させるためにあらゆる方法を模索します。例えば、アルコール、薬物、食べ物、ギャンブル、セックス、ショッピング、などです。それらは、ある程度の気晴らし、楽しみとしてたしなむのでしたら問題は起こりませんが、時に消防士の行動は衝動的で、依存症につながってしまう可能性があるので注意が必要です。
 また、消防士は、追放者の激情を小出しに解放することで消火しようとしますが、その場合は、怒りの表出、自傷行為、他者への暴力など、衝動的な行動につながります。
 いずれにしても、消防士が出動した場合の本人の行動は、衝動的で問題行動につながることが多く、本人も自分のふるまいに戸惑い、困惑、後悔、自責の念を感じることが多いと言えます。顕在意識では、原因の根本が自分の傷ついたインナーチャイルド、追放者であることもわからないし、傷の記憶もありません。また、その傷の痛みを避けるための衝動ゆえの行動であることもわからないので、自分でそれが問題であることを知っていながら、それを止めることができない可能性が高く、強い無力感、自分を持て余すような絶望感を感じてしまうことが多いと言えましょう。

【内的家族システムによるセルフリーダーシップ シリーズ】

内的家族システムとは

トラウマを担う追放者というパーツ

追放者の悪影響から全体を守る防衛者というパーツ

誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド

本当の私=Selfによる癒しと統合

Selfとパーツの関係がもたらす「私」の3つの状態

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