4.誰もが持っている傷ついたインナーチャイルド
IFSの言う追放者、自分の中に存在する傷ついた孤独な子供は、何も、病気で苦しむ人たちだけではなく、誰にでも存在するパーツであると考えられています。人の人生には、一つや二つの言葉にならない苦悩、人に言えない恥、思い出したくない恐怖や悲しみはあるものです。また、思い出すことができる痛みならまだしも、その記憶すらないトラウマも人には存在すると考えられています。
心理学で「幼児期健忘」という言葉があります。これは、3歳くらいまでの記憶がない人が多く、幼児期には記憶が残りにくい現象を言います。この幼児期健忘がなぜ起こるのかの原因は、明確にはなっていませんが、有力な説の一つが言語脳の機能説となります。
人は、幼児期は、まだ言葉を扱うことができません。ですので、左脳がまだ未発達なのです。その時期に自分をコントロールし自分を生きている主体は右脳である可能性が高いと考えられます。右脳は、イメージ記憶をもつ部位であり、幼児期の赤ちゃんは、右脳で周囲の様子、体験をイメージや感情で記憶していると考えられています。しかし、その後発達し自我意識を担うことになる左脳は、幼少期の右脳の記憶は感知しません。普段私たちが私であると感じている統一感は、前章でも述べた通り、左脳の言語機能、インタープリターから出来ていますので、解釈者としての私が感知できない記憶は、私にとっては「存在しない」と感じるのです。
こうして、右脳ではしっかりと印象記憶が為されているにもかかわらず、左脳でキャッチできないがゆえに記憶がないと感じる「幼児期健忘」という症状が起こるのではないかと考えられているのです。
幼児期の環境が、愛と思いやりとやさしさに満たされて、幸福に過ごすことができた人は幸運です。幼児期の右脳の記憶には、両親に対する信頼と愛情、周囲に対する信頼と安心感の思い出がたくさん残されており、意識できようができまいが、その人のその後の人生に、基本的安心感、勇気と粘り強さと前向きさ、明るさをもたらし、たくましく生きる生き方を後押ししてくれるからです。
しかし、幼少期の体験が完璧なものだったという人は、どのくらい存在するのでしょうか?一切の痛みや苦しみ、トラウマ的な体験が無かったと言える人がどの程度存在するのでしょう?痛みや恐怖は、両親の養育態度だけからもたらされるものではありません。たとえそれが完璧なものだったとしても、医者に行って身体を拘束されて痛い注射を打たれた時の恐怖、不注意によって転倒し怪我をした痛みとショック、心無い大人から向けられた悪意ある視線、人生には、多くの困難や痛みはつきものです。また、両親も完璧な存在ではなく、いつも愛情深く思いやりに富んでいる存在で居続けることはできません。時には、赤ちゃんにとっては、不本意で苦痛、悲しみ、恐怖を感じる対処もあったことでしょう。ですので、幼少期の体験が、人生を豊かにしてくれるようなポジティブなものばかりとは限らないのです。「私の子供時代は幸せで何一つ問題なかった」という人は、自分が自分の一部(追放者)に最悪の痛みを押し付けているという可能性を忘れてはいけません。そう考えられるのも、私の中の小さな犠牲者(追放者)のおかげなのかもしれません。
幼少期のトラウマは、左脳の自己意識では感知できませんが、それは、右脳にしっかりとそのままの形で記憶されており、トラウマがフラッシュバックの苦しみをもたらすように、本人が大人になっても、時と条件が整えば、その記憶はフラッシュバックし、その時に感じた痛み、悲しみ、恐怖と同じ感情が沸き起こってきます。大人の私は、沸き起こってくる激情の理由は分かりませんが、その感情や苦しみはリアルであり、理由の分からない理不尽なさまざまな心身トラブル、問題にさいなまれることにつながる可能性があります。人が感じる生きづらさや人と話すときの過度の緊張、さまざまな困難は、そうした幼少期の痛みに由来するのかもしれません。
幼少期のトラウマに代表されるように、人には多くの気づいていない痛み、苦しみ、トラウマを抱えている可能性があります。そう、IFSで言う追放者、傷ついたインナーチャイルドは、特別なことではなく、私たち一人一人の中で、その存在に気づき、関心を持たれ、癒してもらえることをいつまでもいつまでも待っているのかもしれません。
【内的家族システムによるセルフリーダーシップ シリーズ】