なぜ自尊感情の欠如が、ストーキングや虐待などの心の闇につながるのでしょうか?その根本原因を一言で表すとすると、「人は、自分にするように人にする」という言葉に還元できるといえましょう。
人の人間関係のとり方やマナーは、その人が自分に対して常にしている態度の反映となります。
私は、自分とどう向き合っているのでしょうか?
私は、自分の身体や感情、感覚や思考に対して、どうかかわっているのでしょうか?それらとどう向き合っているのでしょうか?
たとえば、感情をコントロールするために自分の内面で行っているマネジメント手法はどのようなものでしょうか?抑圧的でしょうか、開放的でしょうか、強権的でしょうか受容的でしょうか、やっかいな感情を拒絶しているのでしょうか受け入れているのでしょうか、湧き起ってくる気持ちに対して敵対的なのでしょうか共感的なのでしょうか、感情に向き合う態度は厳格なのでしょうか寛容なのでしょうか?
自分の身体機能をコントロールするために自分はどんなことをしているのでしょうか?酷使しているのでしょうかいたわっているのでしょうか、自分の身体要件に文句を言っているのでしょうか感謝しているのでしょうか、自分の欠陥に厳罰を下しているのでしょうか勇気づけているのでしょうか?
自分の人生に対して自分はどう考えているでしょう?祝福しているでしょうか?苦々しく思っているでしょうか?感謝しているのでしょうか?呪っているのでしょうか?
まさに、そうした内面で行われている自分の自分に対するマネジメントのあり方や方法が、外面の人間関係や社会性に反映していくことになります。自分を大切にしている人は、基本的に自分にするように人を大切にしますし、自分に厳しい人は、基本的に自分にするような厳しさを他人にも求めるでしょうし、自分を攻撃する人は、他人にも攻撃的となるでしょう。
自尊感情が欠如している人は、概して自分に対して抑圧的、拒絶的、攻撃的です。自分は何かが欠けている力のない価値のない存在であると思い込み、欠乏を満たさなければ苦痛や死の危機に見舞われると信じ込んでおり、不安と恐怖にたきつけられて、必死に自分の内面をコントロールしようとしています。自分の欠点などの不快な側面を嫌悪し、攻撃し、言うことを聞かせようと操作的、脅迫的に関わる一方で、影と戦って影を消滅させることができないように、その努力は、永遠に報いられることはなく、結果として、自分の内面で強い分離意識と絶えざる葛藤に苦しめられることになります。
そのようなプロセスを経て、自尊感情が欠如しており、自己否定が強烈な人は、自分の内面をマネジメントすることに対して絶望しており、責任を持てない混乱の状況にあります。まさに、心神喪失の状況にあり、自分の中で発生する悪感情をもてあまし、絶えざる苦痛と痛みを体験することになるのです。
ストーキングや虐待などの問題行動は、まさにそうした内面の不安と恐怖、痛みと絶望の反映と言えましょう。
また、そうした犯罪行為は、関係性が自分に近いと認識できればできるほど激化、頻発します。
自分とは遠い存在であり、他人であると認識する人には、自分にするような劣悪なマナーで関係を持つことは控えがちとなります。なぜならば、自分の内面で起こっていることは、健全で正常だとは思っておらず、自信がないので、そのような方法を、社会的な人間関係に反映させることは自分にとって得にはならないし危険だと考えているからです。
しかし、自分と近い存在であり、自分の延長上の存在だと認識する相手に対しては、話は全く違ってきます。まさに、相手は他人ではなく自分であり、自分にふるう暴力を相手にふるうことに対して遠慮や躊躇がなくなります。自分にするように、相手の不快と感じる側面を嫌悪し、攻撃し、言うことを聞かせようと操作的、脅迫的に関わるのです。
悲劇なことは、ストーキングにしろ虐待にしろ、相手が憎くてやっているのではなく、根本的には、相手が自分だと思えるくらいに愛するからこそやってしまっていることです。
なんと、相手を愛するからこそ相手を攻撃してしまうのです。相手を愛すれば愛するほど葛藤は深まり、相手を傷つけてしまうことになります。
この不幸なダイナミズムは、早く終わらせなければなりません。