第10章 ⑧達人
達人は、技を通して人格を磨き、人々の期待や想像をはるかに超える現実を創り出す創造者です。
戦士は、目の前に立ちはだかる障害や壁にひるむことなく、自分の能力を高めることを通して強くなり、乗り越えます。しかし、戦士が強くなればなるほど、内面の悩みが多くなり、問題も多発します。新たに現れる敵もますます強くなり、外面の問題への対処を迫られます。
また、問題解決能力が高まり、不確実でリスクが伴う戦いや挑戦に対しても勝利できるようになると、周囲の期待もより大きくなり、さらなる能力と責任を担う必要に迫られるようになります。戦士は、内面を見つめることによって人間的に成長を遂げ、さらに問題解決のスキル、職務遂行能力、専門的な技術をより高く磨くことを通して、多発するさまざまな問題に立ち向かうことになります。
かくして、戦士は、達人へと変容を遂げることになります。
⑴光の側面
達人が成長するプロセスは、決して甘いものではありません。乗り越えなければならない壁も決して低くはありません。学問に王道が無いように、達人への近道はありません。達人が学ばなければならないことは、内外ともに無限であり、それも、数々の試練を通して体験的に学ばなければならないものであり、大きな苦痛も伴います。それは、まさに、過酷な道、修行なのです。
内面的には、心の中の平和とセルフリーダーシップを取り戻すことによって、過度な緊張から解放されて、リラックスと集中のスキルを身につけます。リラックスは、弱いことでもだらしないことでもありません。それは最強最善のスキルであり、最も目的にかなった行動を、最も効果的なタイミングで、最も効率よく、最も最適な力で実行し、驚くような成果を出すことができます。
但し、このリラックスのスキルを体得することは、容易ではありません。自分の中の平和を取り戻すためには、自分の中に存在している痛みや苦しみ、憎悪や悲嘆を癒やしていく必要があります。しかし、そうした痛みをもった小さな自分のパーツの数は無限であり、海を満たす水滴の数ほどあるのです。
瞑想や内観を通して、自分の中の問題と向き合い、癒し、痛みのエネルギーを少しずつ開放していきます。しかし、それはカメの歩みのようにゆっくりであり、成果を出すためには根気と粘り強さが必要です。また、目に見える効果を実感できないので、こんなことを続けても何の役にも立たないのではないかという迷いが生まれますが、それを乗り越えるだけの強い信頼と意志が必要です。さらに、自分の中の痛みを見つめて行くことは、決して楽しいことではありません。体験した時と同じだけの痛みを再体験することも多く、その苦しさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
達人は、このような過酷な試練の登山道を歩みます。着実に、一歩ずつ、時に疲労困憊し、倒れても、しばし休み、再び立ち上がり、前を向いて歩んでいきます。たとえ牛歩の歩みでも、着実な一歩は、目に見えないほどの着実な成長と変化をもたらします。数週間、数か月、数年という根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。次第に、苦痛と絶望は穏やかになり、気高く精妙なエネルギーに気づく感受性を取り戻し、みずみずしい生命の力強さと喜びを取り戻しながら、達人は、徐々に、リラックスと集中のスキルを体得し始めます。そして、うまくいくかどうかが分からない課題に対して、単なる成功を超えて、人の期待をはるかに超えるような驚くべき成功、まったく新しい現実を創造することができるのです。
外面的には、自分が取り組む課題、芸術、仕事、芸道、武道、などのスキル高めるための方法をあらゆる角度から探求し、成長の計画を立てて、忠実に実践し、スキルを磨いていきます。徐々に腕を上げ、自分独自の方法を編み出し、誰も真似できない高度な専門性とスキルを身につけ、創造的で美しく、常人には真似できない達人の境地に至ります。
但し、達人の境地に至る事は、容易ではありません。そのためには、身体的には、整った体と姿勢、鍛えられた筋力、強く揺るがない体幹、しなやかで無駄のない美しい身のこなしが必要です。 前述のリラックスと集中のスキルで磨かれた穏やかでパワフルな心も必要です。さらに、掃除などの人目につかない下積みの地道な仕事を続け完ぺきにこなす基礎力、気の遠くなるほどの繰り返し練習、人知れず重ねた努力、道を究めようとする情熱を通して磨き抜かれた技術も必要です。こうした心技体を体得することは、ラクダが針の穴を通るくらいに困難ですが、根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。
次第に、自分独自の独特な手法や方法を編み出して奇跡を生み出す力を発揮できるようになります。その成功の秘訣は、独創的かつ特殊で秘伝的です。達人の真似をしたからと言って、同じように成功はできません。それは、余人をもって代えがたい、達人にしかできないことなのです。
達人の作品は、どれも驚くべきものであり、依頼者は、期待以上の成果を手にすることができて、その作品に魅了され喜びます。こうして達人は、多くのファンに慕われるようになり、高い人望と絶大なる信頼が寄せられることになるのです。
達人は、そのような修行のプロセスを通して、頼もしいパートナーや友人たちと出会うこともあります。その友人たちは、傷ついた子供や放浪者のころに出会った友人たちとは異なり、単なる遊び友達ではなく、仕事上の心強いパートナーとなります。達人は、新しい仲間、ソウルメイトたちと困難が多い修行の道を助け合って歩み、難しい仕事を協力し合って成功させていくことになります。こうして、達人は、表面的ではない深い信頼関係、絆を育む力を得ることもできるのです。達人が作り上げるチームは、まさに最強のチームであり、高度な専門家集団です。達人は、頼もしい仲間とともに、リーダーシップを発揮して、見事に困難なプロジェクトを成功に導いていくのです。
⑵影の側面
しかし、一方で、達人は、一本気であり、わき目もふらずに一つのことを究めるので、視野が狭くなりがちです。もっと別の視点から見たならば、より良い解決策が見つかる可能性があるのに、自分の視野の狭さが邪魔をしてして、立ち位置を変えることに抵抗します。一芸を究めることは大切であり、それが差別化をもたらす源泉となりますが、その技だけで今後のあらゆる問題を解決できるとは限りません。技の陳腐化を防ぐためには、多様な視点からの探索と技術革新が必要であり、そのためにも、いわゆる“あそび”が必要なのです。一本気すぎて他を排除するのではなく、一見無関係に思えることであっても興味を持ち、見聞を広げる余裕が大事です。
また、達人は、あまりにも真剣で、その意味で仕事の鬼であり、仕事ばかりに集中します。それは決して技を磨くという意味では悪いことではないのですが、睡眠時間や食事の時間、楽しい家族との対話、余暇の時間をないがしろにして仕事だけに取り組むことは、決して健康的とは言えません。それは仕事中毒であり、仕事に人生を依存している状態でもあります。バランスの良い生き方こそが、より高度な技につながることを鑑みても、ワークホリックではなく、人生の多様な側面を楽しむということはとても大切なことでしょう。
⑶ 恐れるもの
達人が恐れるものは、凡庸になること。技が衰えること。期待に応えられなくなることです。
だから練習し、努力し、改善します。
しかし、その恐れが強くなりすぎると、スランプとなり、当たり前にできていたことができなくなってしまうのです。
達人は、一旦スランプの隘路にはまってしまうと、創造ではなく、再現に走ります。
芸術は職人芸になり、仕事は作業になります。
そうして、創造のクオリテイは、達人の努力や意図とは正反対にどんどん鈍っていくことになります。
スランプの中の達人は、「努力は夢中に勝てない」の言葉を思い出す必要があります。
恐怖で委縮したありかたでは、決して達人技は機能しません、恐怖は、注意深さの源泉であり、成長への踏み台ですが、それに支配されてはいけません。
実は、自分の技は、自分が為すのではありません。自分の中のまだ十分には出会えていない偉大なる可能性が為すのです。そのためには、自分の中のロゴスを信じ、肩の力を抜いて、その働きに身を委ねる覚悟を学ぶのです。
⑷ 課題
達人の課題は、さらに努力することではありません。
遊び心を取り戻すことです。
遊びとは、怠けることではありません。
遊びとは、新しい視点を受け入れる余白、異なる世界に触れる勇気、未知を楽しむ心です。
その余白こそが、さらなる創造性を育てるのです。
そしてもう一つの課題は、人生の調和です。
達人は、本当に仕事一筋です。
時に、その真剣さゆえに、仕事だけが人生になってしまいます。
しかし、家族も、友人も、自然も、芸術も、休息もまた、人生を豊かにする大切な師です。
人生そのものを深く味わえるようになった時、技はさらに深まり、在り方もさらに成熟していきます。
達人は、もはや単なる技術者ではありません。
世界に存在しなかった価値を生み出す創造者なのです。
その創造力を未知の可能性へと向け、不可能を可能にする奇跡を生み出すならば、達人は魔法使いへの道を歩み始めます。
一方、その創造力を仲間や社会のために用い、人々を導き、困難な使命を成し遂げるならば、達人は勇者への道を歩み始めるのです。
