カテゴリー別アーカイブ: ①哲学

不安の真相

不安はどこからともなくやってくる。

どれほど自信満々に生きていても、
夜の静けさの中で、それは、突然、やってくる。

この先、大丈夫だろうか
私は、これでいいのだろうか
いつか、すべてを失うのではないか

不安は不快だけれども、なくすことはできない。
また、大丈夫だよって軽々しくなだめることはできない。
不安は正直だし、ごまかしがきかないのだ。

けれど、不安と共にあることはできる。
不安は、敵ではない。
それは、自分がまだ答えを知らないということを教えてくれる。
不安は、問いなのだ。

すぐに答えを出そうとしなくていい。
答えの出ない問いと共にいる。

「今の自分には答えが出せない」ことと、「答えが存在しない」ことは違う。

今の私の認識には限界がある。
だから、今の私の力だけで答えを出そうとすれば、
結局は、既知の枠組みでしか答えは出てこない。

今は分からない。でも、分からないことを理由に絶望しなくていい。
問いを手放さず、 不安と共にあり、
分からないものを分からないまま抱えている。

するといつか、
自分では考えつかなかった答えが、
今の狭い枠組みを越えたところから、
ふっとやってくることがある。

今の知識や了見では答えの出ない問いと共にいる。
するといつか、今の自分の認識を越えたところから、 新しい智慧がやってくる。

成長とは、古い自分を手放すことであり、未知の自分へ踏み出すこと。
だから危険な道でもある。
だからこそ、成長には「信頼」が必要になる。
古い自分を手放しても、自分そのものが消えるわけではない。
放たれた問いは、プロセスを動かし、時を経て必ず答えになって戻ってくる。

だから、不安から逃げなくていい。
不安に立つのだ。

不安は、未知の智慧へ向かうための、
そして、新しい自分に向けて一歩踏み出していくための、
ありがたい道しるべなのだから。

 

わび・さびとネガティブケイパビリティ

「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を初めて知ったとき、私はどこか懐かしさを覚えた。
十九世紀のイギリスの詩人ジョン・キーツは、それを「不確実さや神秘、疑いの中にあっても、性急に事実や理由を求めない力」と表現した。
一般には「曖昧さに耐える能力」と説明されることが多い。

もちろん、それも間違いではない。
しかし、キーツが本当に語りたかったのは、「能力」ではなく「感受性」だったのではないだろうか。

詩人である彼にとって、「神秘」とは説明できないものではなく、感じるものだった。
世界を分析する前に、世界に心を動かされること。
答えを見つける前に、その美しさに立ち止まること。
そこに、ネガティブ・ケイパビリティの本質があるように思える。

そう考えたとき、私の心に浮かんだのが、日本人が古くから育んできた「わび・さび」の感性である。
古びた茶碗。
苔むした石。
雨上がりの庭。
散りゆく桜。
それらは完成された美ではない。
むしろ、不完全だからこそ美しい。
移ろいゆくからこそ心を打つ。
日本人は、その言葉にならない美しさを「わび・さび」と呼んできた。

私は、ふと思う。
日本人が「わび・さび」として育んできた感性を、キーツは「ネガティブ・ケイパビリティ」としてとらえたのかもしれない。

もちろん、両者は歴史も文化も異なる。
わび・さびは日本の美意識であり、ネガティブ・ケイパビリティはイギリス・ロマン派の詩人が残した言葉である。
だから、同じ概念だと言うつもりはない。

しかし、その根底には共通した精神が流れているように感じる。
それは、世界を理解する前に、世界を味わうという姿勢である。

現代社会は、正解を急ぐ。
曖昧さを嫌い、不確実さを排除し、あらゆるものを説明しようとする。
しかし、本当に大切なものは、説明し尽くすことができない。

人を愛すること。
悲しみを受け止めること。
自然の美しさに心を奪われること。
そして、自分自身と静かに向き合うこと。
それらはすべて、理屈よりも先に感じる世界である。

キーツは、その世界を「神秘」と呼んだ。
日本人は、その世界を「美しい」とつぶやいた。
見ていたものは、同じだったのかもしれない。

ネガティブ・ケイパビリティとは、答えを保留する能力ではない。
わび・さびとは、古いものを愛でる趣味でもない。
どちらも、人間が世界に対して心を開く感受性である。

ここで、西洋と東洋が、感受性でつながった気がした。

世界を支配しようとするのではなく、世界に耳を澄ませること。
説明しようとするのではなく、味わおうとすること。

もし世界に今、本当に必要なものがあるとするなら、それは知識や力ではなく、この静かな感受性なのかもしれない。

世界は、力や正しさによって一つになるのではない。
美しさを共に感じられたとき、人は初めて争う理由を失うのではないだろうか。

16人の勇者 第20章(最終章) 勇者として生きる

第20章 勇者として生きる

 前章でご案内した通り、16人の勇者マップは、性格のタイプ診断ではありません。私たちは、人は成長し、変化する存在と考えており、その可能性には限界がないとも考えています。この地図は、そうした成長の旅のガイドマップなのです。
 最終章の第2部として、勇者としての生き方をご案内しましょう。

① 個性化という旅
 ユングは、人の成長を表す言葉として“個性化(Individuation)”と言う言葉を残しました。
 ユングは、人間の心には二つの中心があると考えました。
・自我(Ego)…「私は○○である」と思っている自分。日常生活を営むための意識の中心。
・自己(Self)…人格全体の中心。意識だけでなく無意識も含めた、本来の全体性。

 個性化とは、アイデンティティが自我から自己へと変容していくプロセスを言います。
 自我が、自分は自分そのものではなく役割としての仮面だったことに気づき、見捨ててしまった自分の痛みと和解し、更なる深みにある分離を統合することを通して、私の中心が、狭いエゴから、意識や無意識を含む全体の中心に移動するのです。
 言い換えれば、自我が、自分が世界の主人公だと思う状態から、自己というより大きな存在に導かれるようになる過程を言います。

 私たちは「個性化」という言葉を聞くと、「もっと自分らしくなろう」「他人とは違う個性を伸ばそう」という意味に受け取りがちです。

 しかし、ユングが用いた Individuation の語源は、決して分離や差別化を意味するものではありません。

・in-(~ではない)
・dividuus(分割できる)

つまり、「分割できないもの」「不可分なもの」という意味になります。

 現代では individual は、「個人」「一人ひとり」という意味で使われますが、ユングは語源に近い意味で使っています。
 つまり、
・バラバラだった心が一つになっていくこと。
・人格が統合され、分裂していた自分が「分けられない一つの全体」になっていく過程。
それを Individuation と呼んだのです。

 これは、他者との差別化ではありません。
 自分自身の中で分裂していたものを統合し、一つの全体として生きることなのです。

 16人の勇者マップも、ユングの考え方と響き合っています。
 ユングは、人間の成熟を「個性化(Individuation)」と呼びました。
 それは、自我(エゴ)が人生の主人公であるという錯覚を離れ、自己(Self)という、より大きな人格の中心へ導かれていく旅です。
 その過程では、まず自分の影(シャドウ)と向き合い、さらに自分の中にある対極的な性質を統合していくことが求められます。ユングはそれを、アニマ・アニムスという象徴で表現しました

 16人の勇者マップでは、この「対極を統合する旅」を、一つの地図として描いています。
・縦軸は、不確実な世界に秩序を築き、責任を果たし、社会を創造していく力。
・横軸は、自分や他者を受け入れ、信頼と愛によって関係性を成熟させていく力。
 人はどちらか一方だけでは成熟できません。
 世界を変える力だけでも、人を愛する力だけでも、人は完成しないのです。
 二つの力が互いに磨かれ、統合されていくとき、人は勇者となり、さらに賢者への道を歩み始めます。

 また、16人の勇者マップでは、人にはままならないものが2つあると考えています。
 一つは、外側の世界であり、もう一つは内面の世界です。
 人は、不確実で危険に満ちた外側と内側の世界に挟まれて、右往左往しながら自分を守り、適応して、未来を拓いていきます。
 その過程で、人は、戦士、武将、達人、勇者など、さまざまな勇者の在り方に変容していくことになります。
 その際、自然児も、放浪者も、暴君、求道者も、成長とともに消えてなくなるわけではありません。
 それぞれが自分の中に居場所を持ち、互いに争うのではなく、一つの人格の中で調和して働くようになるのです。
 次第に、狭く防衛的だった自我が、内にも外にも関心を持ち、理解を深め、自分として受け入れて、自我の殻を破り、新しい可能性に目覚めていくことになります。
 人は、小さな自分を守るために、他を警戒し、戦い、出し抜いて強くなるために生まれてきたのではありません。
 自分の中で分かれていたものを一つにし、「分けることのできない一人の人間」として生きるために、この旅を続けているのです。

② 勇者とは何か
 勇者とは、敵を倒す人ではありません。
 単なる成功者でもありません。
 勇者とは、自分の恐れと向き合い、恐怖に支配されていた人生の玉座を取り戻す人です。

 勇者とは、小さな自我を完璧にする人ではありません。
 力を得ること、財を得ること、権力を得ること、…。
 それらは人生に必要なこともあります。
 しかし、それだけでは人は自由になれません。
 勇者とは、私が私だと思い込んでいる小さな自我が私のすべてではないと気づき、より大きな自分の様々な可能性と向き合い、私そのものを探求して、本来の自分を生き始める人です。
 勇者とは、小さな自我だけではなく、自分の内に静かに語り続けていた本来の自分の声にも耳を傾け、その導きに従って生き始める人です。
 勇者とは、「これが私のすべてだ」と思い込んでいた小さな自我を超え、本来の自分として、小さな自我をはじめとする心の王国を調和へと導く人なのです。

 その人の心の王国では、自然児も、戦士も、暴君も、反逆者も、求道者も、それぞれが争うことなく、本来の役割を果たしています。
 かつて世界を支配しようとした「傲慢な力(覇王の影)」も、不確実性を恐れて人を縛ろうとした「固直した正しさ(求道者の影)」も、すべては恐れから生じた幼いエゴの防御だったと知っているからです。
 外側の世界を力でねじ伏せるのでも、正義で裁くのでもなく、その陰にあった「恐怖」に寄り添い、内なる王国全体を調和へと導く。そこから、真の王(Self)としての歩みが始まるのです。

 勇者は、「分ける」ことにも、「結ぶ」ことにも自由です。
 必要なときには、境界を引き、秩序を築き、世界に責任を果たします。
 また必要なときには、その境界を越え、人とつながり、愛し、共に生きます。
 どちらか一方に執着するのではなく、その両方を状況に応じて用いる自由を取り戻した人――それが勇者なのです。

 『16人の勇者』は、「善人になる」ことを目指していません。
 「全体の人間になる」ことがテーマなのです。

 善を伸ばすことでも、悪を消し去ることでもありません。
 善悪を区別すること自体は必要です。しかし、その区別だけで世界のすべてを二元的に裁こうとするあり方は、決して成熟した在り方ではありません。
 善にも悪にも、狭い了見では計り知れない役割があります。太陽は、善人にも悪人にも、等しく光を注ぐからです。

 善も悪も、内も外も、上も下も、聖も俗も。
 自然児も、戦士も、暴君も、求道者も、覇王も、反逆者も――。
 そのすべての分離を癒し、和解し、自分という全体の中で居場所を与え、調和させ、本来の役割を取り戻していくこと。
 それが、ここでいう「勇者」の道なのです。

 ですから、16人の勇者とは、16種類の個別の生き方ではありません。
 私たち一人ひとりの中に生きる16の可能性なのです。

③ 同じ勇者でも同じじゃない
 16人の勇者マップでは、全ての成長ルートの通過点として、“⑬勇者”が存在すると考えています。
 構造化と秩序の縦軸を経てきた勇者と、愛と信頼の回復の横軸を経てきた勇者、さらに、力と愛を統合しながらまっすぐに斜めの道を進んできた勇者とでは、同じ勇者でも、全く性格が異なる勇者となります。
 人には、16の勇者の全ての可能性がまどろんでいます。今、⑬勇者 であったとしても、勇者だけが存在してるのではなく、16の可能性が共存しており、その中で最も強い要素が ⑬勇者 なのだと考えるのです。
 ですから、各ルートをたどってきた⑬勇者は、内面に擁する勇者の要素は、ずいぶん変わってくるでしょう。同じ勇者でも、ユニークであり、唯一無二であり個性的なのです。
 これは、⑬勇者 に限らず、全ての勇者に当てはまります。
 同じ名称の勇者でも、たどってきた人生は異なり、千差万別、百花百様、人の数だけ美しい在りようが存在しています。

④ 勇者は完成しない
 16人の勇者マップでは、成長の究極の姿は ⑯賢者 ですが、賢者で成長が終わったとは考えていません。
 賢者は、人としての成長の極みですが、完璧な訳ではありません。そこには光も影もあり、課題もあります。学びの旅には、終わりは存在しないのです。
 賢者は、自分の中のペルソナを卒業し、影を受け入れて癒し、更に深い分断を統合することによって、平和を実現します。それは、愛であり、調和であり、自然です。
 矛盾や分離の無い分かりやすいシンプルな在り方であり、本来のエネルギーと叡智が脈動する大歓喜でもあります。
 賢者は、そうしたみずみずしく生き生きとしたエネルギーに満ちて若返り、再び新たな次元の自然児となって、新たな成長の旅に出かけることになります。

 勇者は、完成しません。常に発展途上であり、プロセスにあります。その意味で、どの勇者にも学ぶべき先輩がおり、指導すべき後輩がいます。あらゆる勇者は、成長に向かうプロセスの中にあり、その意味で、あらゆる勇者は平等なのです。
 だからこそ、今の在り方を恥じたり、逆に自慢したりすべきではありません。いつでも、いまここは、かつての私の結果です。だから、いつでもどこでも、いまここから始めなければなりません。
 だから、今ここを受け入れて、今ここを愛する。今ここに誇りを持ち、今ここを十分に楽しむ。成長は、そこから始まります。
 抱えきれない矛盾や準備不足や不確実性を恐れる必要はありません。
 不完全なあなたのままで、どうぞ、自分だけの勇者の旅を進めてください。
 あなたの内なる16人の勇者が、いつでもどこでもあなたと共に歩んでいるのですから。

最後に
 人は誰もが、人生という旅の途中にいます。
 ときには自然児となり、ときには暴君となり、ときには放浪者となり、ときには勇者となります。そのどれもが、あなたです。
 だから、自分を責めないでください。
 また、人を裁かないでください。
 人は皆、それぞれの旅を歩いています。
 誰もが、今日という一日を精いっぱい生きています。
 もし、この『16人の勇者』という地図が、あなたが自分自身を許し、もう少し深く理解し、誰かを少し優しく理解し、明日への一歩を踏み出す小さな勇気となれたなら、作者として、これほど嬉しいことはありません。

 勇者の旅に、終わりはありません。
 成長に、終着点はありません。
 人は、生涯を通して学び、生涯を通して愛し、強くなり、生涯を通して成長し続ける存在です。
 ユングは、その終わることのない成熟の旅を「個性化」と呼びました。
 私は、その旅を歩み続ける人を、「勇者」と呼びたいと思います。

 多くの勇者たちへ、地球は、決して天使に囲まれている天国ではありません。
 だからと言ってくじけてはいけません。
 あなたには、困難を乗り越えるに十分な力があります。
 あなたは、あなたが思っているほどちっぽけな弱い存在ではありません。
 あなたは、今は気づけていない偉大なる可能性をまどろませている勇者なのです。

 さあ、元気を出して立ち上がり、背筋を伸ばして一歩踏み出しましょう。
 震える足でも大丈夫、勇気ある一歩は、あなたの勇者性を目覚めさせるカギとなります。
 冒険の旅は、まだまだこれからです。
 世界は、あなたの船出を待っています。
 なぜなら、あなたは、主人公の勇者なのですから。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 19.勇者としての成長

第19章 勇者としての成長

 以上で、16人の勇者、一人ひとりの旅をご紹介してきました。
 長い旅にお付き合いくださり、心より感謝申し上げます。
 ここまで読まれた皆さまは、おそらくお気づきでしょう。
 この本に登場した16人は、どこか遠い世界の英雄ではありません。
 私たち一人ひとりの心の中に生きている16の姿なのです。

 さて、ここからは、この図表をどう使うのかについてご案内したいと思います。
 最終章は、2部に分かれています。第1部は、地図の活用の仕方がテーマで、第2部は地図の歩み方がテーマとなります。

第1部「16人の勇者地図の活用の仕方」
 16人の勇者は、単なるタイプ分けの性格分析ではありません。人は、16人の勇者の全ての要素を内面に擁しています。今、どこかの勇者が優勢だからと言って、その人にはその勇者の要素だけしか存在しないということはありません。潜在的なレベルで、あらゆる勇者の要素は息づいており、多元的多面的な存在なのです。また、一生その勇者が優勢であり続けるということでもありません。人は変化成長するからです。
 16人の勇者マップは、そうした人の成長や変化の道案内、人生と言う旅のガイドマップとして活用いただくことを目的に作成しています。
 以下、そうしたガイドマップとして活用する上でのポイント、留意点をご案内します。

①すべての勇者は必要であり、価値に優劣はない。
 全ての勇者は、人としてのある側面の勇者としての生き方を表現しているものであり、意味のない生き方は存在しません。
 また、それぞれの勇者の価値には優劣はありません。どの勇者もとてもユニークであり、光と影、課題が存在し、とてつもなく魅力的です。
 悪の勇者も存在しなければ善の勇者も存在しません。勇者は、一生懸命に成長のプロセスを歩んでいる存在であって、善悪や正誤の1元的見方をあてはめて裁くことはできません。そう言う見方は、冷たく的外れであって、勘違いなのです。

②成長の航路
 この地図には、16人の勇者が登場します。

 この世界には、ままならないものが二つあります。
 一つは、外側の世界であり、一つは内面の世界です。
 外面の世界は、時に不条理で、複雑で、思い通りにはいかないことが多く、予想のつかないことがらばかりです。だから、この世は、不安と恐怖でいっぱいです。
 また、内面の世界も、自分の思いのままにはなりません。感じたくない感情が沸き起こり、思いつきたくない邪悪な思いがやってきて、時々、とんでもないことを口走ったり、間違いを犯してしまったりします。そして、そういう自分に自信を持てません。
 人は、思い通りにならない内面と外面に挟まれて、そのはざまで、荒波の中、せいいっぱいエンジンをかけて、舵を切って人生を歩んでいます。

 成長の航路は、もちろん一つではありません。それは、人によって、荒波の嵐の中を、さまざまな方向に向けて活路を見出していくのであり、生き方は百花百様、人の数ほどルートが存在します。
 そのどれが正しく、どれが間違いということでもありません。全ての生き方は、広い世界でたった一人の生きざまであり、この長い宇宙の中でたった一回のドラマです。それは、たとえ間違えだらけで無駄だらけのように見えても、とてつもなくユニークであり、かけがえのないものであり、その人生の全てが尊く、図りしれない無限の価値を持つものでもあります。
 ですから、生き方や成長のルートには、序列もなければ、優劣もありません。
 16人の勇者マップでは、全ての生き方、成長ルートはそのありのままで美しく、個性的であり、大切なものであるという立場をとっています。
 どのような成長ルートをたどっても正解であり、間違いということはないのですが、ここでは、代表的な航路が3つあると考えています。

 ⑴力と支配を通る道。
①自然児・隠遁者→③一匹狼→⑤暴君→⑩覇王→⑫反逆者→⑬勇者→⑮国王→⑯賢者

 さまざまな力や技巧、ハイテクや機械技術、テクノロジーを駆使して世界の複雑さや不確実性に立ち向かい、この不条理で矛盾に満ちた先の読めない世界でたくましく未来を拓き、生き抜いていきます。
 努力の結果、成功を納めますが、序列や支配の無い豊かであたたかい人間関係を育むことや内面の統率に関しては、未だに苦手であり、心が満たされる満足を得ることができません。部下はたくさん得たけど、友達は一人もできませんでした。
 頂点にたどり着いたときに、その矛盾に耐え切れずに、力とテクノロジーの追求の旅を終えます。
 今までの自分と向き合い、対峙して、今までの自分の生き方とは全く異なる方向に向けて舵を切り、新たな冒険に踏み出します。
 そして、本当の自分、そして本当の関係性を求めて、さらなる成長を遂げていくことになるのです。

 ⑵内面を深めていく道。
①自然児・隠遁者→②放浪者→④職人→⑦求道者→⑪魔法使い→⑬勇者→⑭仙人→⑯賢者

 世界の矛盾や暴力に打ちのめされ、世に言う成功に背を向けて、真実の関係性、真実の自分を求めて探求を進めます。技術を学び、職人技を身につけ、一本の道を深く深く極めていくことで、気付きを深め、ついに小悟体験を得ます。満足と喜びとともに、他者にもこの救いを捧げたいと願います。
 しかし、ふと、寺院や制度などの安全な枠組みの中で、守られながら得ることができた学びであることに気づきます。愛や信頼は上手に扱えるけれども、敵意や悪意には全く無防備であり、守ってくれる構造がなければ、他人を救うどころか自分すら救うことができないことに気づくのです。
 逃げまどってきた世界の無秩序さ、理不尽さ、そこかしこにいるドラゴンと向き合い、踵を返して立ち向かっていきます。
 そして、自分の学んだ秘儀で他者に貢献すべく、荒波の嵐に船をこぎ出し、さらなる成長に向かうことになるのです。

 ⑶現実の中をバランスをとって真っ直ぐ進む道。
①自然児・隠遁者→⑥戦士→⑬勇者→⑯賢者

 世界の不確実性に対して、こころざしを定め、強い意志と粘り強さで実行し、現実を変えていきます。
 また、家族との愛ある豊かな信頼、仲間との裏の無い正直な関係、固く強く育まれる絆をもとに、自分の中の勇気、愛、自尊心という美徳を育んでいきます。
 紆余曲折はありますが、困難があっても逃げずに戦います。
 たとえ失敗し、敗北しても、言い訳せず、人のせいにせず、反省し、成長し、より強くなって障害を乗り越えます。
 自分の理想に向けて、日々努力を重ね、鍛錬し、強くなります。
 自分の中の弱さを見捨てず、癒し、手放していきます。
 強く優しい軸をぶらさずに、自分と他人、社会を救うべく、成長の旅を進めていきます。

 ⑷どのルートにも潜むシャドウ
 人は、ある勇者として成長していくと、その勇者の力を大きく発達させます。
 しかしその一方で、その力とは対極にある能力は、十分に育たないまま取り残されやすくなります。
 例えば、秩序や構造化を極めようとする人ほど、受容や共感の力を見失いやすくなります。
 逆に、愛や共感を深めようとする人ほど、力や境界線を引く能力を抑圧しやすくなります。
 ユングは、このように自我が受け入れることのできなかった人格の一部を「シャドウ(影)」と呼びました。
 『16人の勇者』では、この偏りは『勇者マップの対角線(斜線方向)に最も強く現れると考えています。

 つまり、勇者マップでは、対角線の向こう側、最も遠くに位置する勇者ほど、自分の中で見失われ、シャドウとなりやすいのです。
 人は、自分が最も否定するものを、最も深いところで求めていることがあります。
 職人は、威張る人(暴君)が大嫌いです。しかしその心の奥には、認められたい、時には威張ってみたいという思いが眠っていることがあります。
 覇王は、「愛などぞっとする」と言います。しかしその奥には、誰よりも深く愛し、愛されたいという願いが隠されていることがあります。
 シャドウは、悪ではありません。まだ心の王国の中に居場所を与えられていない力です。
だからこそ、シャドウは敵として嫌うのではなく、仲間として受け入れ、迎えるべきなのです。
 成長とは、光だけを大きくすることではありません。対角線の向こう側に置き去りにしてきた自分を迎えに行き、その力にも本来の役割を与えていくことでもあります。
 だから、勇者とは、影を消す人ではなく、影にも居場所を与える人なのです。

③勇者の人生にドラゴンはつきもの
 世界中のどのような神話を探しても、ドラゴンが存在しない英雄譚は存在しません。英雄にとって、ドラゴンに象徴される痛みや苦しみ、耐え難い困難はつきものなのです。
 人も同じであり、この世で生きる限りは、痛みや苦しみ、困難を避けることはできません。うまく逃げ切る方法は存在しないし、たとえ逃げ切れたとしても、成長をすることができないので、勇者にはなれません。
 16人の勇者マップでは、困難や痛みは、避けるべき不幸とは考えていません。むしろ、それらと直面して立ち向かい、乗り越えるからこそ、勇者は、成長を遂げていくことができるのだと考えています。
 人は、困難にであい、もがき苦しみ、対処法を考え抜いて、自分を鍛えて成長し、壁を乗り越えることで成長していきます。
 怪獣がいるから表に出たくないとだだをこねるヒーローは存在しません。
 勇者は、たとえ自分が傷つき倒される恐れがあったとしても、愛する者たちを守るために剣をとって果敢にドラゴンに立ち向かうのです。
 ついには勝利を得、勇者として成長を遂げ、いつか自分のように悩み苦しんでいる者たちを救うのです。
 痛みや苦しみがあるからと言って怯んではいけません。道がないからと言って待っていてはいけません。人には十分な勇気がまどろんでいます。それを使うかどうかは、ひとえにあなたの選択なのですから。

④勇気こそが成長を促す
 マップを旅するために必要なものは、技術、知識、資格、スキルなど、さまざまなものがありますが、中でも、最も大切なものは、勇気であると言えます。
 勇者は、自分を取り巻く世界にも、自分の内面にも、不確実でコントロール不能なさまざまなやっかい事、不安や恐怖が付きまとっています。
 やっかい事に対しては、知識や技術で対処することができますが、圧倒される恐怖や不安に対しては、逃げずに立ち向かうためには何よりも勇気が必要です。
 成長とは、ある意味で、恐怖を克服していくことでもあります。勇者は、さまざまな勇気を学び体得して、恐怖を乗り越え、成長していくのです。

⑤新しい挑戦こそが自分の中の未知なる偉大さを引き出す
 人は、ややもすれば日常に埋没しがちです。そこは文句や不満はあれども、安心できる領域であり、ストレスなく快適に過ごすことができる小部屋です。狭く限定された領域を出て、英雄としての成長に踏み出すために、いろいろな形で誘いを受けますが、快適な小部屋に固執する場合は、全ての働きかけを拒絶し、自分の部屋に引きこもります。しかし、そうした態度を続ける事は、決して自然なことではありません。人には、もっともっと大きく偉大なる可能性がまどろんでいて、その可能性を実現させることこそが、人の究極の使命だからです。
 狭く限定された快適ゾーンを抜け出すには勇気が必要です。なぜならば、小部屋の外には、思いもよらない危険があるからです。しかし、日常に埋没していた時には見えなかった自分の新たな可能性が顔をのぞかせるときは、思いもよらない危険に直面した時です。どうすればよいのか分からずにもがき苦しむときこそが、自分の新しい側面を引き出すチャンス、英雄としての成長へのチャンスなのです。
 だからと言って、やみくもに大それた危険に立ち向かうべきではありません。準備が整ってない課題に挑戦することは、無謀であって自然ではありません。それは、パニックゾーンと呼ばれる危険な領域であり、決して満足のできる成功には至りません。むしろ、必要の無い傷を受けて、長く苦しむことでしょう。
 挑戦は、程よいリスクに挑戦することが大切です。しっかりと目を開いて自分の人生を注意深く見つめたならば、聞こえてくる誘いの声、提示されてくる課題は、みな、こうした程よいリスクへの挑戦であるものです。人生に訪れるさまざまなイベントこそが、こうした今の自分にとってちょうどよい程度の挑戦への誘いでもあります。だからこそ、人生のもろもろの出来事を嫌ったり拒否したりせずに、誠実に向き合い、困難から逃げずに学び、準備を整えて乗り越えていこうとすることが大切なのだと言えましょう。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 18.⑯賢者

第18章 ⑯賢者

 賢者とは、仙境に留まる自由を持ちながら、それでも人々を愛するゆえに、再び下界へ降りた人です。

 仙人は、古き自分を脱ぎ捨てて大きな輝かしい自分へと生まれ変わります。その悟りの技術は、秘伝であり、成就することは容易ではありません。しかし、悟りを得た人は、その悟りを伝える義務があります。伝授し、成長を促すことは容易ではないので、迷いますが、覚悟を決めて故郷に帰り、真実を伝え始めます。
 かくして、仙人は、賢者へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 賢者は、真の自己との強いつながりをいつも維持しており、真の自己としての精妙で力強い至福感を日常で体験しています。ですから、自分が幸福になるために必要なものは少なく、他に要求することは、ほとんどありません。
 賢者は、隠し事をする必要がないので開放的でフレンドリーです。賢者は、防衛する必要がなく、とげとげしい態度は微塵もありません。いつもゆったりと平和的で、穏やかにふるまいます。
賢者の日常の暮らしの中に、その叡智と光が差し込み、周囲の人たちの間に混乱があったとしても、自然に解きほぐされて、平和になり、充実した楽しい雰囲気に満たされるようになります。賢者は、そこにいるだけで、その周囲の人たちを幸福にするのです。

 賢者は、周囲の人たちに、人としての礼儀を求めますが、決して権威者としてはふるまいません。思いがけないほど気さくであり、フレンドリーです。
賢者は、人の人としての痛みを知っており、人が間違いを犯す存在であることも知っているので、愚かな人たちを裁きません。そのありのままを受け入れて、愛します。時に叱ることはありますが、それは、憎しみではなく大きな愛の鉄槌であり、相手のかたくななハートをノックし、深い感動を与え、相手が主体的に成長しようとする意欲をかき立てるきっかけとなるのです。

 賢者は、良き指導者です。自分自身は、充分に満たされており多くを望まない代わりに、弟子たちの成長を願うのです。
 弟子を深くよく理解し、課題を見極めます。弟子の課題に応じて工夫された指導を行い、最も効果的に育成していきます。
 指導は、言葉だけではありません。言葉ではとらえられないより精妙なエネルギーを体験を通して体得していくように促します。
 弟子たちが、安全に学べるように、物理的な環境はもちろん、心理的、魂的な環境も整えます。邪を清め、聖なる力で満たすのです。それは、あまりにもさりげないものなので、弟子たちは気づくことも感謝することもできませんが、そうした庇護は確かに存在します。賢者のそうした気高い愛のもとで、弟子たちは育っていくのです。

 賢者は、良きアドバイザーでもあります。高い問題解決能力と人間関係能力を持っているので、周囲の人たちの抱えている問題を、高い視点、多様な角度から観察し、最適な方法を練って、解決に導くことができます。ですので、周囲の人たちは、賢者に、事あるごとにアドバイスを求めるようになります。賢者は、地域社会の良き相談役として、地域社会の平和と幸せに大きな貢献をするのです。

 賢者は、良き薬師でもあります。健康の仕組みに習熟しており、病気の意味と原因、その対処法を深いレベルで理解しているので、診断は正確であり、最も効果的な処方をして、周囲の人たちの病気を治します。
 そもそも、賢者は、病気が起こらないような雰囲気、自然なありかたを周囲にもたらします。賢者の内面の至福と平和のエネルギーが周囲に放射されて、周囲は、自然な形で邪が祓われ、寄り付かなくなります。
 周囲の人は、それがあまりにも自然であるので、気づくことはありません。当たり前のことと思って感謝することもありませんが、賢者の太陽の力は常に周囲を明るくしています。賢者は、その存在そのものが薬師なのです。

 賢者は、獲得した叡智を整理統合して、自分なりの哲学の体系を確立します。それは、嘘のない言葉で組み立てられた誠実な論理であり、読む人に生き方を指し示す聖典でもあります。
 しかし、賢者は、その自分なりの考え方や主張にも次第にこだわらなくなってきます。それとは違う主張をされても、論戦を挑もうとはせずに、異なる主張に耳を傾けようとします。
 言葉による表現は、所詮は真実の影であって、どんなに美しい文章であっても完璧には到底なりえないことを理解したからです。だから、どんなに権威ある文章であっても、社会が評価するほどの価値はありません。真実は、その言葉のはるか上の世界に存在しているのですから。

⑵影の側面
 時に、賢者の語る真実を快く思わない者たちもいます。真実は、愛と光であり、決して権力や支配、暴力を肯定しません。ですから、権力者や支配者、暴君の振る舞いは、真実には立脚していません。彼らが立脚しているのは、闇が語る詭弁なのです。
 闇は光には勝てません。だから、闇は光を恐れ、怒り、あらゆる陰謀を講じて排除しようと努めます。闇は分割して統治します。光が仲間を得て勢力を増大させることを恐れ、仲間の一部に罠をかけて誘惑して裏切者を作り、チームを切り崩して光を孤立させます。詭弁をもって光を悪者にでっち上げ、万民から分離し、万民から攻め殺させようとするのです。賢者は、そうした人の欠点、権力者たちのふるまいを理解して、真実を語る時には注意深くある必要があります。

 闇は、戦うことで滅ぼすことはできません。この世に責められ殺されるべきものは存在しません。存在するからには、狭い了見では計り知れない訳と役割があります。
 闇があるからこそ光の美しさを学べるのです。だから、暴力で排除しようとする試みは、決して最善の策ではありません。
 闇は、光の欠如=影であって実体はありません。闇を祓うことができるのは、光だけです。痛みは欠乏の結果であり、実体はありません。痛みをとることができるのは、欠乏を満たすことができる愛と思いやりだけです。
 ただ、光や愛をもってしても闇や痛みを急激に消すことはできません。闇が構造と力を手にするためには、気の遠くなるほどの時間と努力を費やしており、一朝一夕には解体することはできません。
 痛みには強いネガティブなエネルギーが取り巻いており、パンドラの箱を不用意に一気に開けてしまうことはとても危険です。それを癒やすためには、一滴ずつ、一滴ずつ、ゆっくりとデリケートに進めていく必要があります。
 賢者は、そのダイナミズムをよく理解して、不注意によって闇を刺激し、必要のない対立を起こす愚を避ける必要があります。ゆっくりと急がずに、思いやりをもって光を放ち、結果的に闇を鎮めていくのです。

⑶再び冒険の旅へ
 賢者は、天地とつながり、大自然の英気を集めることによって、子供のようなみずみずしく楽しく元気な心を取り戻します。言葉によって解釈する代わりに、初めてそれを見たような新鮮さをもってあらゆるものを興味深く味わいます。普通の人にとっては日常の飽き飽きとした風景であっても、賢者は、そこに新鮮な美しさを感じるのです。
 今ここには、深い深い秘密が隠されています。それは、とても精妙で力強く美しいものですが、準備が整った人にしか開示されることはありません。

 賢者は、長い修行を経て、今ここの力にアクセスすることができます。その力は、言葉では表現できません。言葉は、対象と自分を分離して、対象を上から目線で名付けることによって対象を操りますが、今ここの力は分かつことのできない自分自身の力なのです。
 ですから、他人行儀に名前を付けて操ることはできません。できることは、それを直接的に体験することだけです。

 実は、私とは、他との相互作用としてたち起こってくる現象です。他を愛して共感し、体験を共にできたら、もはや「境界線としての私」は静かに消え去り、そこにはただ「今ここ」という豊かな生命の躍動だけが残ります。賢者は、日常のありふれた世界に流れる今ここの美しさを自分として体験し、その至福を感じます。それは、何か特別な世界へ行くことではありません。いつも目の前にあった世界が、そのまま本来の姿を現すことなのです。

 賢者は、生き生きとした自然の息吹を楽しみ、自然の生命力を自分に吸収することを通して、次第に不自由な言葉にこだわることをやめて、自然児のような自然で素朴でみずみずしく、魅力的なありかたを取り戻します。
 かくして、賢者は、新しい次元の自然児となり、また新たな次元の英雄の旅へと旅立ちます。
 成長には限りがありません。ゴールにたどり着いて暇になることはありません。
 成長の可能性は永遠であると同時に冒険すべき領域も無限なのです。
 こうして、賢者は、一つのゴールを迎えると同時に、新たな冒険へと準備を整えていくことになるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 17.⑮国王

第17章 ⑮国王

 勇者は、戦いに勝利することによって、貴重な宝を得ることができます。
 しかし、その宝は、自分だけのものではありません。
 国王とは、宝を自分のものにする人ではなく、宝を未来へ受け渡す責任を引き受けた人です。

 勇者の得ることができた宝は、大きな力を持つものであり、良くも悪くも世界を変える可能性のあるものでもあります。
 その力を求めて、奪いに来る者もいるでしょうし、奪われてしまったら、悪用されて、国や世界、地球に害悪を及ぼすかもしれません。
 また、勇者の死後、上手に宝を継承できないかもしれませんし、後継者たちが宝の扱いを間違えてしまう危険性もあります。
 宝のパワーが強力であるがゆえに、勇者は、それらの懸念に対処する必要に迫られます。宝を守り、継承していく方法を探るのです。
 かくして、勇者は、国王へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 国王は、宝を奪おうとする者たちから宝を守るために、体制や構造を作ります。
 国をおこし、城を建て、城壁を固めます。敵に負けないように、兵力を増強し、国土を広げて収穫を増やし、国力を高めます。
 宝の力は、その勢力増強の源泉でもあります。宝の魅力によって、多くの人の注目を集め、優秀な人材や富を集めて、急速に勢力は拡大していきます。
 また、国王は、後継者の手配も怠りません。組織を作り、ルールや法律を定め、協力体制を整えます。宝を守るための方法を確立し、教育を通して人材を育成し、揺るがない盤石の伝統を構築します。かくして、国王は、諸国列強に覇を唱える王者となるのです。

⑵影の側面
 国王の恐れるものは、無秩序と制御不能です。
 国王がリーダーシップを発揮しなければならない対象は、もはや自分やチームの範囲をはるかに超えて、大人数の組織、国、勢力圏となります。
 自己イメージが、小さな自分を超えて、組織や国家、国家連合へと広がるのです。

 国王は、巨大化した自己を上手に統制しなければなりません。やり方によっては、平和で幸せを実感できる世界となりますが、方向性を間違えると、対立、勢力争い、陰謀、不正義がまかり通る無秩序状態となってしまいます。
 それは、ほんの少しのずれであっても、末端に至る頃には大きな波紋となって影響を及ぼしますので、毛ほどのずれも起こさない注意深さが必要です。

 また、悪貨は良貨を駆逐するの例えの通り、組織の中の邪悪さを見逃すと、その広がりはあっという間です。気づいたらもう戻ることのできない隘路にはまってしまうことになるので、いち早く邪を見つけて祓うこと、組織の風土を善良で健康なものにする努力を怠ることはできません。
 国王は、こうした、多くの管理や仕事を、自分一人でなすことはできないので、組織を通して実現することになります。

 ある意味で、組織とは、国王の体であり、国王と組織は一体です。
 組織は、国王の人格を映す鏡でもあります。
 国王が恐怖に支配されれば、組織にも恐怖が広がります。
 国王が嫉妬すれば、組織にも嫉妬が満ちます。
 国王が人を信頼すれば、組織にも信頼が育ちます。
 制度は組織を支えますが、組織を動かすのは国王の心です。
 人は制度よりも先に、国王のあり方を見て学び、模倣するのです。
 そのため、国王の人格が高く洗練されているならば、組織もまた、高い志と思いやりに満ち、風通し良く、互いに信頼し合い、助け合う組織へと成長していきます。

 しかし、国王の人格が未熟であるならば、その影響は組織全体へと広がります。恐怖や猜疑心が蔓延し、やがて悪意や不正が組織の風土となってしまうのです。

 部下たちは、国王の悪いところばかりまねて、例えば、国王の持つ自分勝手でわがままで残酷な最も悪い欠点を受け継いで、その小さな国王の権化として悪徳なふるまいをします。
 組織の中に悪意や陰謀、嫉妬や憎悪などがたちこめると、たちまち風通しは悪くなり、各種ハラスメントが横行し、構成員のモチベーションは下がります。
 結果的に、効率は悪化し、業績は頭打ち、もしくは下降傾向になり、それだけではなく、大きな不祥事が発生する危険性も高くなってしまうのです。

⑶課題
 国王は、こうした組織風土の悪さを幹部や部下のせいにするべきではありません。
 広い目で見た場合は、悪徳の発生源はトップにあります。
 類は友を呼ぶように、トップの性質に共鳴する人たちが縁を持って集まってきますし、トップが語りふるまうように部下たちもふるまいます。

 その際、トップの美徳や高い意識からくるものは、基本的に模倣が困難なので、部下たちにとって身近に感じる低い意識、欠点をよく見て、まねるのです。
 ですから、組織は、トップの美徳の部分の反映というよりは、悪徳の部分の反映となりがちです。だからこそ、国王の人格の完成が必要となるのです。

 ゆえに、国王にとっての課題は、自分の人格を高めていくこと、自我という狭い枠組みを乗り越えて、組織や国家、人類への貢献という高い志を持つことになります。
 国王は、自分の中の欠点の多くを克服する必要があります。もはや感情の赴くまま、好きなようにふるまうことはできません。自制心をもって万人の見本となる必要があるのです。
 国王は、自分の中のいまだ癒やされていない痛み、焦げ付くような渇望、欠乏の恐怖に注意深くある必要があります。そうした側面を癒し、騒ぎ立てるエネルギーを開放し、悪徳に支配されるのではなく克服していく努力をする必要があります。

 そうした欠点は、魔がたちいる隙間となり、国王の考え方や意思決定、行動に魔が差す機会を与えることになります。トップのちょっとした間違いは、組織全体に深刻な悪影響をもたらし、数倍になって重大なトラブルを引き起こしかねません。トップのあり方は、想像以上に重要なのです。

 国王は、そうした自分のエゴという狭い了見の望みをいち早く癒し、とらわれることを止めて、もっと大きな自分である、家族、国、人類という大きなスケールの幸せを追及することが大切です。国王は、大志をもって大志に忠実に、揺るがない強い心で多くの人たちの人生に貢献するのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 16.⑭仙人

第16章 ⑭仙人

 勇者は、大きな力を持つ宝を守り続けるためにリーダーとなり、組織を束ねる権力者となります。しかし、その責務は重く、次々と起こる問題に対処しなければなりません。
 また、自分の在り方、特に自分の中の欠点によって引き起こされるさまざまなトラブルを解決していく必要に迫られます。
 勇者は、こうした多くの苦労を通して、自分を見つめなおし、自分の中に残っている痛みや恐怖、怒りや復讐心、劣等感や罪悪感を癒し、徐々に自分の中にたちこめていた厚い雲を吹き払っていきます。
 心の中に立ちこめる雲とは、自分の中の恐怖です。恐怖こそが自分の中の小さなエゴが渇望する欲求のエネルギー源となります。
 死への恐怖、食事を得られない飢餓の苦しみ、住まいを奪われることの不安、仲間外れにされることの恐怖、などなど、多くの懸念や恐怖こそが、戦って奪うこと、土地を獲得し城を作ること、抜きんでる存在になること、勢力を大きくすることのエンジンとなります。
 勇者は、多くの苦労に直面し、人格が陶冶され、成長することによって、恐怖の正体を見極めて、痛みや恐れにとらわれなくなっていきます。それに伴って、今までとめどなく沸き起こってきた欲望や渇望が弱くなり、おおよそ恐怖をエンジンとする欠乏動機から自由になっていきます。
 動物的な飢餓や性欲、支配欲、物欲、権力欲に至るまで、以前のような求めてやまない渇望が弱まるにしたがって、権力を部下に委譲し、財宝を分け与え、多くの職務を部下たちに任せ、任を辞して、自由になっていきます。
 かくして、勇者は、仙人へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 仙人に唯一残っている望みは、悟りであり、仙境に参入することです。しかし、冒険の世界と仙境(故郷)の世界の間には関門があり、境界の門番が控えています。仙境の世界には、穢れを持ち込むことはできません。仙人は、境界を通るために、冒険を通して身につけてしまった多くの穢れ、戦いで流された血、怒り、悲しみや絶望、恐怖やうらみ、自責の念などの重くくすんだエネルギーをみそぎ祓い清めます。こうして、仙人は、恐怖に由来する執着を手放し、死や喪失を受け入れ、身軽になって自由になるのです。

 境界における検査は厳しく、徹底しています。仙人は、テストをパスするために、徹底した修行を続けます。
 食べ物を選び、清い水を飲み、体を整えます。
 呼吸を工夫して体内の邪を祓い、大自然の清いエネルギーを取り込みます。
 瞑想し、祈り、天地と感応します。
 仙人は、いたずら好きで、笑うことが大好きです。笑いと言っても皮肉な笑いや冷笑ではありません、それは豪快で恰幅のいい笑いです。
 時に寂しくなって、下界におりて様子を探ったり、ちょっとしたいたずらやちょっかいを出して人助けをしたりしますが、多くは、再び山にこもって修行を続けます。下界では修行が進まないからです。

 仙人の修業は、必ずしも短時間で済むわけではありませんし、努力したからと言って必ず合格できる保証もありません。仙人は、根気強く行を継続し、気づきを深め、境地を高めていきます。行を通して、仙人の中にあったあらゆるエゴの痛みのエネルギーが癒され、力を失います。
 時に、頑固で強力な執着は、ハンマーで破壊され、分解されて、雲散霧消します。そのプロセスは、自我の死のプロセスであり、まさに仙人は今まで自分を構成していた自分の死を迎えることになります。
 しかしだからと言って仙人の存在が消滅するわけではありません。仙人の本質は、エゴではなくて、その背景にあるより精妙な輝きです。自我が人生を主導しているときには、その背景にある精妙な輝きは影を潜めていますが、自我が力を失い、自我の厚い雲が取り除かれると、背景にあった偉大なる輝きが顔をのぞかせるようになるのです。

 こうして、仙人は、古い自分を構成していた自我の恐怖やそれに基づく執着をすべて手放すことで、事実上の死を体験すると同時に、より精妙な体で天地と呼応し、そこに輝かしい新たな自分を発見します。自由な光豊かな存在として生まれ変わるのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、仙人は、一つだけちょっとした気がかりを残しています。それは、懐かしい故郷に、自分が学んだ真実を伝えたいという願いです。
 故郷の懐かしい人たちと再会し、酒を酌み交わして、楽しくお土産話を語り会いたいのです。気づきや学びというお土産を持ち帰って、故郷の人たちを喜ばせてあげたいのです。

 ただ、仙人は、故郷に戻ることを躊躇します。故郷に戻ったとしても自分が受け入れられるのかどうかを懸念しているのです。
 故郷の人たちに自分の学んだことを教えようとしても、理解されないかもしれないし、拒絶されるかもしれない、もっと悪いことに悪用されるかもしれないと心配しています。

 しかし、残念ながら、その心配は、多くの場合ほんとうに起こる可能性の高い予言であって、実際に懸念したようになる危険性が高いのです。

 仙人は、故郷の人たちの理解力や学習の可能性を全面的には信じてはいません。全ての人が、学びを正しく聞き入れ理解し、学びにつなげられるとは楽観していません。自分が帰ることによって、たくさんのトラブルや問題が発生し、自分が学びを伝えることで、幸せどころか不幸をもたらしてしまう未来の危険性を見通しているのです。
 ですので、仙人は、故郷に帰ることに迷いを生じます。

 仙人は、人として完成した存在であり、仙境は、仙人にとっての新しい境地であり、新しい宇宙です。
 せっかくここまで来れた喜びは深く大きく、それは、執着と言うよりは、勝利のご褒美であり、そこに居続けて、下界に戻らない事を人間心で責めることはできません。
 仙人にとって、今の平和で楽しい生活を手放し、危険をおかしてまで、または、いらぬ苦労を背負ってまで故郷に帰る必要はないと感じるのです。結果、多くの仙人は、故郷に帰ることをあきらめます。

⑶課題
 仙人は自由であり、故郷の世界に戻らない選択をすることを決して責めることはできませんが、仙人が学んだ貴重な悟りを、多くの人たちに分かち合えないことは、この上ない残念でもあります。
 一度でも光明を得た人には、責任があります。
 光を信じることができずに絶望の中で苦しんでいる人や、迷っている人、より深い罪を犯そうとしている人に、
「何を弱気なことを言ってるのだ!」と喝を入れなければなりません。
「君は捨てたものではない、君ならできる!」と勇気づけなければなりません。

 そして自らの光を取り戻すための教育、お手伝いをして、悟りの後継者を育成する必要があるのです。

 本来であれば、故郷の人たちの意識が、仙人の学びを謙虚に受け入れて学ぶことができるまでに成長していることが大切であり、それがかなわない現状で、仙人に必要以上の自己犠牲を強いることはできません。
 あくまでも、故郷の人たちが、自力で学び、成長を遂げて、学びを受け取る準備を整えることが前提として必要なのです。その努力をせずに、教えてくれないことを責めるわけにはいきません。準備ができていない人には開示できない秘密があるのですから。

 ただ、故郷のすべての人たちが準備を整えることができていないわけではありません。成長の可能性はそこかしこにまどろんでいるはずです。仙人は、そのような可能性を粘り強く探求し、故郷を見捨てることなく、面倒くさがらずに、万難を排してあらゆる伝授の方法を探していくことが課題となります。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 15.⑬勇者

第15章 ⑬勇者

 勇者は、数え切れない敗北を越えてきた人です。
傷つき、倒れ、それでも立ち上がり続けた人だけが、勇者という称号を受け取ることができます。
 勇者は、敵を倒したから勇者なのではありません。恐怖に支配されず、自分の良心と勇気に忠実であり続けたから勇者なのです。

 地球上で生きるということは、ある意味で、試練を通して成長する宿命を持つということでもあります。
 歓迎するとせざるとにかかわらず、ドラゴンは、そこかしこに存在し、攻撃を受け、傷つき、痛みを受けることを通して人は成長していくことになります。
 ただし、痛みを成長の糧にできるかどうかは、本人の意志と生きざまによります。
 自己防衛は、当然の戦略ですが、それが嵩じると、いいわけ、こじつけになり、何につけ人のせいにして、自分は何も瑕疵がないのに不当な攻撃を受ける弱くてかわいそうな被害者となります。被害者としてのアイデンティティは、堕落、怠惰、攻撃、暴力を正当化します。自己正当化の罠にはまった被害者は、自己憐憫と過剰防衛に勤しみ、自らを反省し成長する機会を失ってしまいます。

 自己成長に向かうためには、とてつもない勇気が必要です。
・被害を受けた自分と被害を与えた相手の不完全さを許す勇気
・自分の失敗を認め反省する勇気
・自らの愚かさ、弱さ、みじめさを笑い飛ばし、語れる勇気
・痛みや困難に敗北するのではなく、成長し、何度も立ち向かい、挑戦する勇気
そうした勇気は、人を育て、次第にドラゴンを追い、追いつき、ついには勝利します。
 ドラゴンに勝利した人は、勝利を得ることによって、貴重な宝を得ることになります。その宝とは、金銀財宝と言った豊かさだけではなく、学びや成長、仲間との友情、深層心理の深みから得た気づきや教え、悟り、チームを導くリーダーシップ、権力、などの形のないものであったりもします。
 勝利者は、奇跡的な成功を達成することによって、もはや以前の自分ではなくなります。勇者の称号を得て新しい自分へと生まれ変わるのです。
 かくして、人は、勇者へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 勇者は、勝利者です。困難に勇敢に立ち向かい、勝利することによって、勇者としての称号と地位、権力と力を得ることができます。
 勇者は、今まで自分をしばりつけていた多くの思い込みや呪い=自己嫌悪、恥、自己憐憫、自責、悲嘆、絶望、悲観を吹き払い、新しい称号を受け入れて勇者として生まれ変わります。
 それは、名前が変わっただけではなく、意識や考え方、態度や行動まで変わります。
 負け犬としてかがめていた背筋が伸びます。
 絶望して伏し目がちだった目が前を向きます。
 恐怖でくすんでしまった顔色が輝きを取り戻します。

 勇者のふるまいは自然であり、過度な緊張や警戒はありません。
 不安な未来や陰鬱な過去に気を取られるのではなく今ここに集中し、今ここの大きな至福とつながって豪快に笑うのです。

 それは、ヒマワリがバラに変わったわけではありません。勇者はもともとの自分の中の勇者性を取り戻したのです。
 太陽が存在しなかったわけではありません。あまりに恐怖と不安のくもが厚く立ち込めていて光が見えなかっただけなのです。勇者は、自分の中の呪いである恐怖と不安を吹き払って、自分の中の光を取り戻し、表現し始めたのです。

 勇者のみなぎる明るさや喜びは強烈であり、その輝かしさやエネルギーに影響されて、周囲の人たちも元気で明るく前向きになります。
 勇者の言葉には、うそや皮肉がありません。沸き起こる情熱は希望の言葉となり、あふれんばかりの喜びは幸せをもたらす物語となります。
 勇者はその力ある言葉で人を勇気づけ、元気と愛をもたらします。勇者はまさに周囲の人たちにとっての太陽でもあるのです。

 勇者は、言い訳したり人のせいにすることを止めます。言い訳や転嫁の衝動を感じるのは、自己防衛に勤しむエゴという小さく狭い自分が感じていることであり、決して自分自身の真実ではないことに気づいているからです。
 勇者は、起こる出来事や出会いは、全て偶然ではなく、起こるべくして起こったことであり、雪のひとひらひとひらが落ちるべきところに落ちるように、出来事も1mmのずれもなく起こっていると考えます。
 その出来事が、例え悲惨で不条理で、起こるべきではなかったと怒りを感じることであっても、そこには必ず前向きな意義が隠されており、そこから何かを学ぶことが大切だと知っているのです。
 ゆえに、勇者は、すべての責任を自分で引き受ける覚悟を決めます。
 トラブルが起こった縁をもたらしたのは自分であり、自分が反省し、自分が学ぶこと、成長することによって、どのようなトラブルでも乗り越えることができるという確固たる自信を得るのです。だから、勇者は、もろもろのことを無視したり、言い訳したり、人任せにしたりしません。全てを引き受けて、主体的にかかわり、改善すべく努力するのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、成功や勝利には、うぬぼれや傲慢さという罠が潜んでいます。
 人生の中で最も危険な時は、ピンチの時ではなく、成功に酔いしれて有頂天になっているときです。
 ピンチの時は、周囲はそれを知って同情し、さまざまな形で応援をしてくれるものですが、うぬぼれてつけあがり人を見下す態度を取りはじめると、周囲の目は厳しく、あっという間に信頼を失い、人望を失います。
 そして、傲慢さで失敗した人は、その後どんなに困難な状況になっても、もう誰も応援してくれなくなってしまいます。傲慢さの失敗は、挽回が難しいのです。

 勇者が為しえた大成功は、この危険な罠がつきものであって、注意深くある必要があります。勇者の成功が大きければ大きいほど、それは、自分だけの力でできたものではありません。友人たちとのチームワークや運、天の采配の為せる技であって、それらに対する感謝の気持ちを忘れてはいけません。このうぬぼれや傲慢こそが、勇者にとって陥りやすい第一の罠なのです。

 また、逆に、低く否定的な自己イメージの呪いを解ききることができずに、いまだに卑屈な意識を持ち続けて、勇者としての自分に尻込みしたり、自分に注目が集まることをおびえたり、リーダーとしての責任を担うことに怖気づいたりすることもあります。
 謙虚さと自虐は違います。
 謙虚さは、自分も相手も大切だと思える心情であり、人間関係が長続きします。
 しかし、自虐は、自分を嫌います。自虐の人は、縁の薄い遠い関係性の人には礼儀正しくふるまうので、謙虚な人だと勘違いされますが、相手が近づけば近づくほど自分に対するマナーを人間関係に投影します。いわゆる、自分に対しで虐待するように、相手に対しても暴言を吐いたり暴力をふるったりようになるのです。人は、自分にするように人にするのです。
 謙虚ではあるべきですが、自虐は慎まなければなりません。
 もし勇者が、いまだに自虐の罠にはまっており、自分の内面で分離と葛藤を持ち続けていたとしたら、自分の中の不穏さ、暴力は、外側に投影されて、人間関係やチームワークの中で、強引さ、ハラスメント、暴力が散見されるようになります。
 自制がきいている分にはまだその出現も少なく済みますが、大きなプレッシャーやストレスにさらされて、恐怖や絶望にこうべを垂れてしまったならば、もはや良心の自制は効かずに不正をなしたり、暴力をふるうことに躊躇がなくなります。かくして、勇者は暴君へと変容してしまいます。
 実は、勇者と暴君は同じコインの裏表です。どちらに転ぶかは、健全な自己認識を得られるかどうかにかかります。
 勇者としての自分を受け入れ、信じることができる健全な自尊心を持てている場合は、長所も欠点も含めたありのままの自分を受け入れ、痛みや失敗も含めた自分の人生を祝福し、かっこよいも悪くもある自分のすべての側面を愛することができます。自分を愛するように、他者の存在も尊いと認識し、他の欠点や失敗、愚かな側面も自分同様にその存在を受け入れる度量、清濁併せ呑む度量があるのです。
 自分の中の欠点を認めるということは、自分に甘いということではありません。それは、誤魔化そうとする自分を厳しく制御し、しっかりと反省できるということであり、今後に向けて成長できるということでもあります。
 一方で、自分の中の一部を嫌悪し、受け入れられずに否定している場合は、自分の中のその欠点が他人に暴露されることを恐れるあまりに、欠点の存在を全否定します。
 自分の中の醜さこそが自分の本質ではないかと恐れており、醜さを克服する事ができないのではなかと心配し、自分が成長する可能性を信じることができないので、自分が反省して変わるべきだというアイデアや指摘を拒絶します。
 自分に欠点が確かに存在するのに、詭弁をもって「自分は悪くない」と主張します。「自分は完璧であり、変わる必要がない。悪いのはあなたであって、あなたが変われば問題は解決する」と主張するのです。
 完全無欠で非の打ちどころのないファンタジーの自分を自分だと信じ込んでおり、そのような自画像を他者にも信じ込ませようとします。それは、うぬぼれであり傲慢だということなのですが、本人は他人にそう映っているとはつゆ知らず、裸の王様になってしまいます。
 自分の中の欠点を嫌悪するので、他者が持っている同様の欠点にも敏感です。他者の長所ではなく欠点ばかりを見るようになり、それを指摘し、攻撃して、矯正するように勧告します。
 しかし、実は、嫌悪し、直せと言っている他者の欠点は、自分の欠点なのです。

⑶課題
 勇者の課題は、自分の光だけではなく、自分の闇をも愛する度量を持つことです。
 勇者は、自分の弱さを否定する必要はありません。傷ついた自分も、恐れている自分も、失敗した自分も、自分自身だからです。
 光だけを愛そうとすると、人は暴君になりますが、闇をも抱きしめられたとき、人は初めて真の勇者となるのです。

 自分の中の問題を相手に見てそれを責めることを投影と言います。投影の罠に絡み取られると、反省すべきは自分ではなく他人だと思い込んでしまいます。変わるべきものは自分ではなく他人であると感じるのです。
 ですから、本来自分の欠点であるので自分が反省し変わらなければ本質的に問題が解決しないにもかかわらず、それを相手の人や環境のせいにするので、いつまでも成長することもできないし、本質的問題を解決することもできません。
 投影の状態では、歩けどもあるけどもたどり着かず堂々巡り、がんばってもがんばっても空回りをしてますます事態は悪化する、知らないうちに友が去り、孤独になっていく、そんな罠にはまり込んでしまうのです。
 変わらなければならないのは他人ではなく自分だったのです。

 勇者とは言え、成長のプロセスにあり、ゴールにいるわけではありません。まだまだ克服すべき欠点があるし、成長の偉大なる可能性もあります。
 欠点があるからと言って、それは決して自分の本質ではなく、痛みを持った小さな自分、生傷を守ろうとするかさぶたたのです。
 内なるエゴは、退治すべき敵ではなく、「恐れから世界を必死にコントロールしようとしている、自分の中の幼く未熟な一部」なのです。
 光は、そうした傷や痛みから差し込んできます。
 痛みは成長のチャンスでもあるので、拒否したり恐れたりすべきものではありません。痛みを受け止める度量、反省につなげる謙虚さ、そして成長を信じる勇気こそが自分の本質なのです。
 勇者の課題は、自分の本質は決して醜い愚かさではなく、輝かしい勇者なのだと気づくこと、自己卑下や自虐を止めて、健全なる自尊心を取り戻すことです。
 偉大なる自分の側面に怖気づかずに受け入れること、そして、人から注目を集めることを恐れずに楽しむこと、リーダーとしての責務を受け止めることが大切なのだ言えましょう。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 14.⑫反逆者

第14章 ⑫反逆者

反逆者とは、自分がこれまで服従してきた権威を裏切り、かろうじて残っていた自分自身の小さな良心の炎を人生の玉座に据えた人です。

その瞬間、反逆者は「裏切り者」というレッテルを貼られます。
しかし、彼が裏切ったのは恐怖であって、真実ではありません。
むしろ、それまでは偽神に屈服し、自分自身の良心を裏切り続けていたのです。
反逆者とは、その厳しい真実に気づき、初めて自分の良心に忠誠を誓った人なのです。

⑴ 光の側面
反逆者は、自分を取り戻す人です。
恐怖の中で自分を見失い、長い年月、自分自身ではない何かに従って生きてきました。
権威、テクノロジー、世間、組織、常識、成功、名誉、あるいは誰かの期待。
それらは、自分を守り、安心を与えてくれる神のように思えました。

しかし、どれほど従っても心は満たされません。
従えば従うほど、自分らしさは失われ、心の奥底では、小さな違和感が渦巻いてきました。
財を得、権威は身につき、部下はたくさんできましたが、友達は一人もできませんでした。
反逆者は、その小さな違和感をもみ消すことはできませんでした。

最初は、かすかな疑問にすぎません。
「本当にこれでいいのだろうか。」
「私は、本当にこれを信じているのだろうか。」
「これは、本当に正しいことなのだろうか。」
その小さな内面のささやきに耳を澄ませるところから、反逆者の旅は始まります。

反逆者は、これまで絶対だと信じていた権威や価値観から少しずつ距離を置き始めます。
一歩離れて眺めてみることで、それまで神だと思っていたものが、実は偽神だったことに気づき始めるのです。

偽神は巧妙です。
善意や正義、伝統や常識という美しい衣をまとい、人々に服従を求めます。
卓越した科学技術を駆使して完璧な管理の檻のシステムを構築します。
恐怖を利用して支配し、本来であれば望まない罪を背負わせます。
人々を分断し、互いに争わせることで力を奪い、成長を阻害します。
さらに、ルールや制度までも巧妙に利用して、構造的な搾取を生み出します。

反逆者は、笑顔の仮面の下に隠された邪悪な欺瞞や科学技術の美名に隠された小賢しさと悪意に気づき、確信し、抜き差しならないところまで追い込まれます。
そして、ついに、裏切者の名を着せられることを覚悟のうえで、自分の良心に従う決意をするのです。

反逆者の心は複雑です。偽神に対する不信、怒り、そして、偽神に仕えてしまった自分への嫌悪、恥、世界観の崩壊。
強烈な恐怖と混乱と痛みにあがらってまでも、一歩踏み出す決断をしたのは、真実に生きたいという願いからです。

もちろん、その決断には代償があります。
裏切り者と呼ばれ、理解されず、孤立し、時に容赦ない攻撃を受けるのです。

それでも反逆者の決意は揺らぎません。
反逆者は、恐怖に従うことをやめます。
人生の玉座に消えかかっていた自分の良心を据えた時、
そのとき人は、初めて自分の人生を生き始めます。

反逆者とは、他人に勝つ人ではありません。
自分を失わせていた恐怖に勝ち、自分自身を取り戻した人なのです。

⑵ 影の側面
反逆者は、偽神の欺瞞に気づいた人です。
だからこそ、その欺瞞に対する怒りも人一倍強くなります。

裏切られた悲しみ。
利用されてきた悔しさ。
欺かれてきた怒り。

反逆者の偽神に対する怒りは正義の怒りであり、偽神の邪悪さを暴露し、くさびを打ち込む原動力にもなります。
それらは決して間違った感情ではありません。

しかし、糾弾する偽神は、自分とは無関係の存在ではありません。
かつて偽神は、自分自身でもありました。そして今もなお、その種は自分の中に息づいています。
自分だけが潔白で、偽神だけが邪悪なのだという認識は、幼い二元論であり、真実ではありません。
偽神にも、そこへ至る痛みや恐れがありました。
その一切を顧みることなく、一方的に悪と断じて裁くならば、それは正義ではありません。
偽神を裁く心そのものが、新たな偽神を自分の中に生み出してしまうこともあるのです。
その時、裁き、非難攻撃する者の玉座に据えられているものは、決して良心ではなく、正義の名を借りた偽神なのです。

実は、偽神とは、権力者のことではありません。
本当の偽神とは、人生の玉座に座り、自分こそが主人であると思い込んでいる自分であり、狭い了見のままで思い通りに世界を支配しようとするエゴです。
神になろうとする偽神は外にもいます。
しかし最も巧妙な偽神は、自分自身の中に住んでいます。

反逆者は、偽神を倒す人ではありません。
偽神の巧妙さを見抜き、自分の中にある偽神の暴走を許さない人、偽神からの自由を獲得する人なのです。

⑶ 課題
反逆者の課題は、自由であり続けることです。

反逆者は偽神を人生の玉座から降ろしましたが、偽神は、だからと言って簡単にあきらめません。
偽神は、とてつもなくしぶといのです。
あらゆる姿に身を変え、あらゆる手を尽くして、人生の玉座を奪い返そうとします。

・昨日まで戦っていた権力。
・自分が掲げる正義。
・仲間からの賞賛。
・人々の期待。
・成功した自分自身。
そのどれもが、いつしか良心に代わって玉座を奪い取るかもしれません。

だから反逆者は、一度反逆すれば終わりではありません。
何度でも立ち止まり、自分の心を見つめる必要があるのです。

今、人生の玉座に座っているのは、本当に良心に基づくのだろうか。
そう問い続けるのです。

良心は、大声では語りません。
恐怖や怒りのように人を支配することもありません。
静かに、しかし確かに、「こちらだ」と語り続けます。

その小さな声を聞き続けるためには、謙虚さが必要です。
反省する勇気が必要です。
そして、自分もまた間違える存在であることを忘れない度量が必要です。

反逆者は、誰かを倒すことで完成する人ではありません。
偽神が自分の中によみがえろうとするたびに、それに気づき、何度でも良心へ帰り続ける人なのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 13.⑪魔法使い

第13章 ⑪魔法使い

 魔法使いは、目に見えない力を理解し、世界に癒やしと奇跡をもたらす探究者です。

 魔法使いが探求しようとする世界は、とてつもなく深くて広い領域です。
 物理学の世界では、私たちが目で見て認識できる素粒子は、宇宙全体の4.9%に過ぎず、26.8%が暗黒物質(ダークマター)と呼ばれる未知の物質によって、68.3%がダークエネルギーと呼ばれる未知のエネルギーによって占められていると考えられています。物理学的な見地からは、私たちが世界だと認識している世界は、全宇宙の5%程度ですが、真実は、その大半が、現在私たちでは認識できない謎にみちているということになります。

 このような視点から考えると、私たち人間は、科学技術も進化していろんなことを知っているように思いこんでいるけれども、宇宙的な視点からすると、幼稚園児にもなっていない状況なのかもしれません。なにしろ、宇宙の95%以上の存在が、分からないのですから。
 物理学の視点に立つと、私たちが生きる基盤としている考え方や生き方、常識や政治も盤石なものだとは言い切れません。なぜならば、全宇宙の5%弱に過ぎない知識を基盤に構築されているからです。そこには、もしかしたら、大きな勘違いや思い込み、間違いがあるのかもしれません。全てを知っているつもりでいても、それは井の中の蛙であって、狭い了見の間違えた思想をもとに、裁いたり、批判したり、攻撃しあっているのかもしれません。

 魔法使いは、そうした常識の詭弁や間違いに気づくことで、常識を疑い、その支配から抜け出すとともに、常識では推し量れない領域の存在を知り、探求を始めます。魔法使いの周囲の人たちは、魔法使いが、妙なことを口走ったり、変なことに興味を持ち、やり始めたりすることを危うんで、常識を取り戻すように忠告しますが、魔法使いは、そのような指摘をものともしません。常識や権威の主張よりも自分の気づきの方が正しいという確信を持っているからです。

⑴光の側面
 魔法使いが求めることは、
・なぜこの世には苦しみがあるのか? なぜ病が起こるのか?
・死の意味とは? 幸せとは?
・感情とは? 人間関係とは?
・病を治す方法とは? よりよく生きる方法とは?
など、常識や従来の科学では答えることができない問いに対する答えを求め、技術を得ることです。魔法使いは、邪を祓い、痛みを癒し、幸せをもたらしたいのです。

 魔法使いは、顕在意識ではたどり着けない答えを潜在意識の世界に求めて、心理学、カウンセリング技法、人間関係、チームと組織の活性化手法、などの科学的な専門書のみならず、さまざまな宗教書、宗教芸術、宗教の行法なども熟読し、自分の気づきと照らし合わせながら、理解を深めていきます。探求を通して出会うさまざまなご縁に導かれて、多くの師匠、先輩と出会い、多くの気づきや理解を深めます。呼吸法、瞑想法、ヨガ、太極拳などさまざまな手法を試み、相性の合う方法を修行し体得していきます。

 魔法使いが探求しようとしている世界には、日常の常識では認識することができない秘密がたくさん存在しています。そして、その秘密は、聴く耳がある人にしかささやかれません。準備が整った人にしか真実は開示されないのです。
 魔法の世界の探求を潜水に例えると、ダイバーは自分が潜れる部分しか見えません。浅くしか潜れないダイバーは、浅い部分しか見えません。自分が見ている領域を世界のすべてだと思い込みますが、実は、もっともっと深い部分にもっともっと大きな謎が隠されています。そして、その底の深さは、無限大。尽きることのない可能性がまどろんでいるのです。

 魔法使いは、徐々に今まで身につけてきた思い込みや誤解、間違えた信念を解きほぐし、真実に触れて理解を進めていきます。そして、その理解の度合い、修行の進み具合に応じて、世界の真実や秘密が開示されて、魔法の力を身に着けていきます。魔法の力と言っても、呪文を使うなどの特殊なものだけとは限りません。

・人の話を真剣に聴くことによって、人の痛みを癒し元気をとりもどす。
・やさしさや思いやりをもって人と接することでチームの雰囲気を変える。
・自分が変わることで、相手を変える。
・草花の美しさにしばし足を止めて、花を舞う蝶に機嫌よく挨拶する。
・世話をし、面倒を見ることで、人を病や死の危機から救い出す。
・唄い、ともに踊ることで、分離を乗り越え、共感の喜びをもたらす。
・コミュニケーションを改善し、愛を取り戻すことで、組織をよみがえらせる。
・3人寄れば文殊の知恵が起こり、話し合うことで正解に近づく。
・名づけ、物語ることで、人を勇気づける。

 いずれも、特殊な呪文や行法はありませんが、目に見えない力を使って人を癒し、元気づけたり勇気づけたりすることであって、まさに魔法の力と言えます。魔法使いは、目に見えない力の背景にある仕組みやダイナミズムの理解を深め、それらを上手に改善し、自分や他者、チームや組織に幸福をもたらす技法を習得していくのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、魔法使いは、自分の力不足で成果を出せない事や調子が悪い時にはうまく力を発揮できないこと、好不調の差が大きいことを苦にして、焦ってしまうこともあります。
 本来であれば、自分の成長の度合いに応じて開示される能力でもあるので、自分の未熟さを受け入れ、自分の可能性を信じてゆっくりと克服していくべき課題なのですが、時に、今結果を出せないことが原因で名声や評判を傷つけることを恐れてしまい、薬物などの他の力を使って手っ取り早く乗り越えようとしたり、トリックを仕掛けてだまそうとしたり、自己正当化の理論を信じ込ませようと洗脳しようとしたりする誘惑に負けることがあります。
 それは、甘い誘惑なのですが、安易な道であり、自分の真の成長を阻害すると同時に悪徳に身を染めてしまう罠でもあります。ですので、他への依存の誘惑を断ち切り、自分を信じて独立自尊を貫くことが必要です。

 また、魔法使いの願いは、自他の幸福をもたらすことですが、その幸福が、敵を倒して勝利することであったり、誰かを陥れると言った、利己的で誰かを苦しませたり危害を加えようとする願望である場合もあります。
 魔法使いが、そのエゴイスティックな願望を聞き入れて、その願いに自分の魔法の力で加担する場合は、それは黒魔術となり、邪悪な方法に身を染めることになってしまいます。

 魔法の世界には、天使もいれば悪魔もいます。どちらを選ぶかは、2者択一であり、魔法使いは、自分の意志の力を使って、どちらを選ぶのかを決めなければなりません。

 天使は決して勧誘しませんが、悪魔の誘惑は強力です。それは、くもの巣を張り巡らせてわなを仕掛け、巧妙に近づき、アメとムチでしばり、恫喝し、操作や陰謀で陥れます。自信を打ち砕き自尊心を損なわせた後に、甘い救いの手を差し伸べて支配し、搾取します。
 悪魔の誘惑は、死の恐怖に匹敵するくらいの強力な力を持っており、それを拒否して乗り越えるためには、大志と勇気と誠実さが必要なのです。

 この分水嶺で道を踏み外し、悪に転落する魔法使いも決して少なくありません。
 彼ら彼女らは、能力がなかったわけではありません。ただ、自尊心と勇気が欠如していただけなのです。
 魔法の世界を探求しようとこころざす者は、そうした罠があることを十分に理解して、大義や志に向けて、健全なる自尊心を胸に、注意深く罠を避け、どんな時でも自分が信じる良心に従って善を選ぶ勇気を持つことが必要なのです。

⑶課題
 魔法使いにとっての課題は、宇宙(サムシンググレイト、ロゴス)との連携を強化していくことです。
 実は、魔法の力は、自分のエゴが生み出しているわけではありません。自我という狭い枠組みの中から生み出される力は、けっして宇宙をつかさどる偉大なる力にはかないません。
 そして、エゴには認識しようのない自分自身の偉大なる可能性は、サムシンググレイトと無関係ではありません。自分自身を深く探求することを通して、その中にある秩序、構造、真善美、そして、自分自身の真のアイデンティティとしての愛、ロゴスと会うことになるのです。
 魔法使いは、自分自身の可能性、そして宇宙を信じ、自我を超えるものに対して尊敬の念を持ち、頭を下げ、手を合わせて感謝する謙虚さが必要です。そこには、人間関係と同様に、礼儀とマナーが存在します。それもただの形だけのものではなく、真剣さや誠実さと言った心の在り方も必要になるのです。
 ただし、宇宙やサムシンググレイト、ロゴスと自分との関係性は、直接的なものでなければなりません。その間をとりもつ介在者を入れてはいけないということです。

 宇宙を実感することは容易ではありません。その秘密は、深い深い海の底に存在しているのであって、水辺をうろついている現状では、なかなか手が届きません。神は偉大であり、自分のような者が直接かかわるなんておこがましいという思い込みや畏怖もあります。ですので、その間を取り持つことができる誰かに介在してもらい、神の代理人になってもらおうとするのです。

 介在者は、司祭のような人だけとは限りません。権威のある本、仏像、言葉、絵、などなど、代理人としての役割を担うと感じれるものであれば、どんなものでも介在者となりえます。
 しかし、それらは、決して神そのものではないことを忘れてはいけません。それは偶像崇拝の罠であって、それに救いを求めるということは、自分自身を信じる気概や直接に神とかかわることができる可能性を放棄してしまうということ、
 すなわち、人が生きる上で最も大切な使命を放棄してしまうという重大な間違いを犯してしまう事につながります。

 決して司祭や本、仏像を大切にしてはいけないということを言っているわけではありません。行を進める方法の一つとして活用することは、むしろ役に立つことだと言えますが、それらを神として信仰することは間違いにつながるということを忘れるべきではありません。

 宇宙を構成する物質と、人の肉体を構成する物質は同じものです。ですので、人と宇宙は本質的には同じものです。
 ただ、一滴の海水と海は本質的に同じものとはいえ、その偉大さには絶大な違いがあるのと同じように、人と宇宙は同じものとはいえその偉大さには絶大な違いがあります。
 だからと言って、全く縁がないものではありません。むしろ、本質的には人は宇宙であり、人は、直接的に宇宙を自分だと感じ取ることができる能力をまどろませているのです。

 だから、その可能性を放棄してはいけません。自分の中にまどろむ力を信じて、他に依存することなく、独立自尊の精神を忘れずに魔法の世界と向き合うことが大切なのだと言えましょう。

 魔法使いが、自分自身を信じ、宇宙への畏敬を忘れず、良心を選び続けることができた時、その人は魔法を使う人ではなく、人々が自ら奇跡を起こせるような世界を創る人になります。
 そして魔法使いは、癒やしという枠を超え、人類そのものの未来を変える存在へと歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる