月別アーカイブ: 2006年7月

GMを巡って‐2

(GMを巡ってー1からの続き)
「現場で働く従業員は、単なる労働者ではなく、自ら考え、改善をする力と可能性を持った存在であり、その力を引き出すことこそ経営の重要課題」とのドラッカーの提言によって企画されたGMの職場改善プログラムでしたが、全米自動車労組(UAW)の反対によって頓挫してしまいます。UAWの反対理由は、「経営者が管理し、労働者が働く。労働者に対して管理者としての責任まで負わせると言うことは、労働者に大きな負担をもたらす」と言う理由だったそうです。

GMのコンサルタントとして一生懸命に働き、結果的に、「現場には大きな力と可能性があること」「意思決定は現場に近いほうが速く的確であること」「権限を下の階層にどんどん委譲して権力を分権化することが経営効率を高めること」「現場の労働者は、決してお金のためだけに働いているわけではなく、自ら責任を持っていい仕事をしたいと望んでいること」「だからこそ、現場の労働者の可能性や力を引き出す施策が必要であること」などの提言をしたドラッカーでしたが、GMの経営陣にその提案は拒絶され、敵視されただけでなく、当時の労働組合からも否定されてしまいました。

しかし、そのようなドラッカーの提言は、当のGMには拒絶されましたが、世界の心ある企業に強烈なインパクトを与えたのでした。当時、経営的に窮地に追い込まれていたフォードは、経営再建の教科書として、ドラッカーの『会社と言う概念』を指定し、見事に回復を遂げました。また、同様に経営不振に陥っていたGE(ゼネラルエレクトリック)も『会社と言う概念』を教科書として、ドラッカーとコンサルタント契約をして見事に経営を立て直します。さらに、GEは、ドラッカーの指導の下、ジャックウエルチがCEOとなり、奇跡的な成長を遂げて世界最強の企業となったのです。
また、労働組合から否定された職場の意識調査をもとにした「職場改善プログラム」のアイデアは、実は、トヨタ自動車に持ち込まれることになったのです。当時のトヨタ自動車は、激しい労働争議に巻き込まれて、創業者の豊田喜一郎が社長辞任に追い込まれるといった苦境にあり、その突破口として、このアイデアを持ち帰ったのです。
トヨタ自動車は、この資料や考え方をもとにして、同社の終身雇用や労務管理、労使協調政策といった施策となって生きたのでした。

こうしてみると、現在、ドラッカーの人間性に基づく提言を拒絶したGMが経営上の苦境に立たされて、それを受け入れたGEやトヨタ自動車が見事な成長を遂げたことは、運命の不思議、歴史の妙といえましょう。

日産ルノーグループとの提携が検討されているGMですが、ここで、勇気を持って、次世代を見越した、大いなる将来のヴィジョンに基づいた意思決定をしてほしいものだと思います。その決定のいかんによっては、今はまったく創造もできないような成功が将来待ち受けているかもしれません。
世界を代表する企業、組織がどう変わっていくのか?その動向は、きっと様々なところに影響を与えるのではないかと思いますが、願わくば、人に対して、より信頼のできる暖かい、前向きな方向に向かって代わっていってほしいと願った次第です。

<参考文献> 「ドラッカー20世紀を生きて」P.ドラッカー著 日本経済新聞社

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GMを巡って―1

GMを巡って―1

GMが、今週中にも日産ルノーグループとの提携に何らかの決定を下す見通しです。
ことの起こりは、GMの最近の業績の低迷にしびれを切らした大株主である米著名投資家カーク・カーコリアン氏らが、カルロス・ゴーン日産社長と面会し、GMと日産ルノーの提携を話し合ったことに端を発しております。
GMの会長リチャード・ワゴナー氏はじめ、経営陣は、この提携案に全面的に賛成をしているわけではありませんが、株主の意見に対して、むげに断るわけにもいかず、かと言って、代替案を経営陣として出さない限り、株価の更なる下落を招きかねないこともあり、態度を保留している状況で、最終的な意思決定は、今週になる見通しなのです。

GM(ゼネラルモータース)は、1908年に創業の世界最大の自動車メーカーであり、シボレーからキャデラックまで名だたる名車、ブランドを生み出してきた米国の名門企業です。
GMは、私が尊敬するピータードラッカーが始めてコンサルタントとして関わったところでもあります。
1943年、当時一世を風靡していたGMは、若きドラッカーに会社を内部から調査して、その現状と課題、将来の可能性と方向性についてまとめるようコンサルティングを依頼したのでした。当時のGMは、GM中興の祖と言われ、後に経営の名著と言われる”GMとともに”を書いたアルフレッド・スローンの引退を間近に控え、世代交代に向けて今までの経営や組織の見直しを図ろうとしていたのです。
ドラッカーは、ほぼ3年間に渡り調査と診断を進め、最終的に1946年『会社と言う概念』という本にまとめて刊行しました。
『会社と言う概念』は、現代でも通用する経営の名著であり、実質マネジメントと言う言葉を世界に広めた初めての本といえます。ところが、当時のGMは、この本の中で主張されている”分権化と権限委譲の方針”や”マネジメントを変えていく必要性”などの提言を受け入れることができずに、GMの中では、この『会社と言う概念』は「左翼からの敵対的な攻撃」と認識され、敵視されてしまうことになります。
また、ドラッカーは、そのような非難や敵視にもめげずに、更なる大規模なアメリカ産業史上初めての従業員意識調査を実施します。
ドラッカーは、会社と言う概念の中で、「責任ある労働者」という考え方を提唱しました。従来は、単なる生産手段、機械の一部とみなされていた労働者に対して、ドラッカーは、単に管理者に指示されるだけの存在ではなく、自ら問題を発見し、解決を図る力を持った責任ある存在であると認識し、そのような労働者を育成していくことが重要な経営課題のひとつであることを主張していましたが、GMの中でもスローンの後任であるチャールズ・ウイルソンが、この考えに共鳴し、「責任ある労働者」が運営する自治的な「工場共同体」を作るための施策としてこの意識調査を実施したのです。
調査の方法は、「私の仕事と私がそれを気に入っている理由」と題した作文コンテストであり、従業員が会社や上司、仕事に何を求めているかについて理解することが目的でした。
その調査によって、膨大な情報を得ることができたのですが、集計した結果、分ったことは、「従業員が欲しているのは金だけ」という通説は単なる思い込み、的外れであり、従業員が求めているものは、「会社や製品との一体感、仕事の責任」であることが分ったのでした。
この調査を受けて、ウイルソンは、現在の「QC(品質管理)サークル」である「職場改善プログラム」を実施しようとしたのでした。
しかし、この素晴らしいドラッカーの提言、アイデアも、今度は、全国自動車労組(UWA)の反対によって頓挫することになってしまうのです。

<参考文献> 「ドラッカー20世紀を生きて」P.ドラッカー著 日本経済新聞社

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