また凄惨な未成年の犯罪が起こってしまいました。
被害者の娘さんのご冥福をお祈りしたいと思います。ご遺族の心境を思うと胸が痛みます。
かつて、家庭裁判所調査官など有識者が集まり、凶悪少年犯罪の事例を研究し、レポートを発表しました。レポートは、「重大少年事件の実証研究」と題して司法協会より平成13年に出版されています。このレポートによると、凶悪犯罪を起こす少年や少女に共通する特徴の一つとして「自己イメージの悪さ」が挙げられています。
要するに、凶悪犯罪を起こした少年少女たちには、自分自身がダメ人間で、価値がなく、いなくてもよい存在だと思い込んでいる子が多いと言えるのです。
犯罪を犯してしまった原因の一つとして、自分自身を、「価値の無い人間」「愛される資格が無い人間」と思い込んだ少年や少女が、対人関係で様々な問題を起こし、最終的に犯罪につながってしまったのではないかと考えられているのです。
自尊心が低い人は、自分に対して否定的、攻撃的です。かつての私がそうだったのでよく分かりますが、自分の内面の中で、絶えず自分を攻撃する言葉、「ダメ人間、死んだほうがよい、だらしない、罪人、偽善者、・・・」が駆け巡っているのです。人から言われたら怒るくせに、自分では平気で自分にそう言う否定の言葉を投げかけているのです。
人は、自分にするように人にするものです。自分に激しく攻撃する人は、人にも激しく攻撃するでしょう。しかも、縁が近づけば近づくほど、「その人は自分だ」と思えるくらいに相手を愛すれば愛するほど、自分にする暴力を相手に振るうことを我慢できなくなるでしょう。
また、内面の葛藤が長引くと混迷の度合いを深め、次第に自分らしい魅力的な側面を失い、自分の人生を主体的に自分らしく生きるということに対して絶望し、投げやりで責任のとれない状況になっていくでしょう。まさに、心神喪失の状態になってしまいます。
罪を憎んで人を憎まず。
犯してしまった犯罪は、絶望の隙間に入り込んだ罪がさせたもので、その人そのものがしたものでは無いということなんだろうと私は解釈しています。
凶悪犯罪の背景として、本当に自尊心の欠如が影響していたとしたならば、私が考えるこうした一連の絶望と悲劇のプロセスが本当に働いていたとしたならば、犯罪者に必要なことは、自分への呪いや自己否定をやめること、自尊心と愛の回復なんだろうと思います。
また、こうした犯罪を、今後防いでいくために必要なことは、まさに、自尊心と愛の回復、自分への信頼、他者への信頼の回復なんだろうと思います。
長崎県教育委員会が、命の教育を徹底していたにもかかわらず、また悲劇が起こったと失望されているとの記事を読みましたが、その無力感や痛さは、私にもわかる気がします。
ただ、単に「命が大切だ」と主張しても、そのいのちが、自分とは関係のない他人のものと子供たちが感じている限りは、教育の成果は出ないでしょう。
子供たちが「いのち」を実感できるとしたら、それはまさに、自分自身の命を通してです。
だから、命は大切と言う前に、まずは子供たちに「あなたの存在こそが大切なんだ」と言ってあげるべきなんじゃないでしょうか。
願わくば、多くの子供たちが自分自身を呪うのではなく祝福し、明るく元気に人生を謳歌できますように。
今回の凄惨な悲劇を起こした背景にある暗くて重い痛みが癒され、呪いが祓われ、もう2度とこうした悲劇が起こらないよう、心から祈りたいと思います。