カテゴリー別アーカイブ: ⑤学習方法の理論

体験学習とは 10.体験学習のお勧め

10.体験学習のお勧め

 体験学習とは、本や先生から学ぶ方法ではなく、体験から学ぶ方法です。こうあるべきだというモデルから学ぶのではなく、感じたり気づいたことを通して、複雑で奥深い人間関係についての理解を深めていこうとする試みです。

 AIの時代になり、何でも分かっているような気になっていますが、人間関係は、広く深く複雑で、底知れないミステリーがまどろんでいる世界であり、そこには答えは見つかってないのです。

 もし万が一、人間関係に答えが見つかっていたとしたら、世界はこうなっていないでしょう。

 世界において、3秒に一人の子供たちが餓死する世になっているはずがありません。

 社会において、世界中で起こっている暴力や戦争で、罪のない多くの人たちが殺されている世になっているはずがありません。

 個人の日常の生活の中においても、悩みの大半は人間関係であり、関係性が生きづらさ、苦悩の原因となっているはずがないのです。

 だから、私たちは、人間関係について、実は、なにもわかってないのです。

 研究成果や発見されたテクノロジーを学ぶことは決して意義が無いことではありませんが、それを学んだからと言って、人間関係の謎は解けるわけではありません。

 だから、私たちは、謙虚であるべきです。謙虚に体験に耳を傾け、関係性の神秘を誠実に探究していくことが大切なのではないでしょうか。

 「戸を叩け、されば開かれん。」の言葉通り、真剣に探究をしようとする者には、固く閉ざされていた扉が開かれ、隠されていた秘密が気づきと共に開示されてくることでしょう。

 人やチームには、不思議な可能性があります。1+1=2 では説明しきれない何かがあると思いませんか。

 時には2以下になるし、逆に、2をはるかに超えた奇跡が起こることもあります。

 1+1=2 が真実ならば、2011年、なでしこJAPANが世界一になれるはずがありません。だって、世界の選手は、体格から体力から、日本の個人の力では、決してかなう相手ではなかったのですから。

 人やチームには、いまだわれわれでは到達できない不思議、奇跡がまどろんでいるのです。

 きく耳を持った人にしか開示されない秘密があるのです。

 その奇跡や秘密を引き出すカギこそが、私は体験学習だと思っています。

 暴力や操作のない体験学習は、人やチームの隠された偉大なる力や可能性を、主体的に、自然に、かつ楽しく引き出すことができる素晴らしい方法だと感じています。

 体験学習は、行き詰まりを感じている個人やチーム、組織の状況を乗り越えて、まったく新しい道を開く機会となるでしょう。

 また、暴力と支配、うそと痛みに満ちている世界情勢にくさびを打ち込み、まったく新しい可能性をもたらす機会ともなるかもしれません。少なくとも、私はそうこころざしてこの仕事をライフワークとしています。

 体験学習を通して得られる気づきや学びは、暗闇の中の一隅を照らす光です。

 ともに、その光を分かち合いながら、今の時代に挑戦していきましょう。

 

【体験学習とは シリーズ】

1.体験学習とは

2.体験学習の学習プロセス

3.体験学習の効果

4.体験学習の原点

5.Tグループの誕生

6.日本におけるラボラトリーメソッド

7.Tグループの実際

8.私のTグループ体験

9.体験学習の留意点とポリシー

10.体験学習のお勧め

ダイアローグの3段階

 ダイアローグ(Diarogue)とは、対話の意味です。

 語源から見ると、ダイア(Dia)は「流れる」で、ローグ(logue)は、「ロゴス」の意味であり、「関係を通してロゴスが流れる」ことをさしていると考えられます。

 では、ロゴスとはいったい何でしょうか。ロゴスとは、もともとギリシャ語で「言葉」「論理」「理(ことわり)」「神聖さ」などを意味する言葉であり、哲学や神学、言語学など様々な分野で使われており、その文脈によって意味合いが少しずつ異なります。

 ここでは、このロゴスの意味のレベルを3段階に整理して、ダイアローグ(対話)の深みを探ってみたいと思います。

 

  • 第一段階「情報交換の段階」

 ロゴスが、言葉を意味する段階です。いわゆる情報のやり取りの段階で、質問や説明がやり取りされることを通して、お互いの状況や考えを整理、理解することができます。

 論理的なやり取りが多く、それを取りまく感覚や感情、直観などの交流はまだ表に出てこないので、問題解決は表層的であり、本質的な解決につながりづらい段階です。

 懸念に基づく心理的な距離感があり、遠慮やぎこちなさ、慇懃さや注意深さをもってゆっくりと信頼を育んでいきます。

 

  • 第二段階「真実と創造の段階

 ロゴスが、真実や創造性を意味する段階です。懸念を乗り越え、心理的な安全性が確保されることによって、潜在化していた本音、感情や直観、アイデアが表出されるようになります。

 対話を通して共感、共鳴、楽しさがもたらされ、対話が単なる情報のやり取りではなく、個人の枠を超えた穏やかで豊かで創造的な場となります。結果、思いもよらなかった新しいアイデアや意味が紡がれる豊かな創造性が引き出されることになります。

 この段階で、ダイアローグは、本質的で的を得た、効果的かつ創造的な問題解決の源泉となります。

 

  • 第三段階「聖なる出会いの段階」

 ロゴスが、神聖さを意味する段階です。対話の在り方によっては、関係性を通して魂と魂が出会い、共鳴し、癒され、変容していく神聖な場となります。

 言葉によるもののみならず、沈黙を通しても意義深い共感が起こっており、穏やかでやさしい雰囲気の中で、お互いに深い興味と関心を持ち、お互いを無批判・無評価・無判断の態度でありのままを受け入れ、ありのままを理解します。

 場は、気高くエネルギッシュでパワフル、静かでありながらもダイナミックで生き生きと躍動しており、そこにいるだけで楽しくなり、元気になります。そこに立ち会う者は、その場にいるだけで、癒され、恐怖や絶望から自由となり、自分らしさを取り戻し、本来の自分らしい気高く元気で魅力にあふれた在り方へと変容を遂げていきます。

 ダイアローグは、単に情報のやり取りを意味するものではなく、そこには、隠されたミステリー、想像を超えた大きな可能性がまどろんでいます。向き合う態度ややり方によっては、その偉大なる力を引き出すことができます。

 人は、さまざまな側面がある複雑な存在です。注意しなければならない欠点もありますが、想像をはるかに超えるようない大きな可能性もまどろんでいます。大切なことは、その可能性に気づき、そういう自分として生きることなのだろうと思います。

 他に頼るのではなく、自分の内面の可能性を信じ、自分らしく勇気をもって生きることこそが、自分の偉大なる力をどんどん引き出し、魅力的になっていくプロセスを進めていくのだと思います。

 ただし、そうなるためには、孤立したエゴの状態のままでは変容は起こりません。そこには何らかの関係性が必要なのです。ダイアローグは、他者との関係を通してそうした成長のプロセスを後押しする貴重な機会なのだろうと思います。

 ダイアローグは単なるお話し合いではなく、共に聴き合い、響き合い、育ちあう冒険なのです。

日本の先生 自信が最低

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         朝日新聞 2014年6月26日より 

 

記事によると、日本の先生は、本アンケート参加の34ヶ国中、生徒指導の自信の度合いが最低だったとのことです。

 非常に興味があったので、OECD国際教員指導環境調査(TALIS)のオリジナルデータを国立教育政策研究所のwebページで詳細を確認してみました。

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  国立教育政策研究所 OECD国際教員指導環境調査(TALIS)のポイント

     http://www.nier.go.jp/kenkyukikaku/talis/imgs/talis_points.pdf より抜粋

 

 データによると、日本の教員の自己効力間に関する設問に対する回答が、世界平均と比較すると著しく低いことがわかります。

 私の考えでは、良い仕事ができるかどうかの根源となる基盤が自己信頼であると考えており、その視点から見ると今の日本の教育の現場では、大変酷いことが起こっている心配があると、私は思います。

 自己イメージが与える影響は、その人の仕事ぶりのみならず、キャリアや人生、寿命にまで影響を及ぼすといわれています。教員の自己イメージが健全で、高い自尊感情を持っている場合には、生徒たちに対して愛と情熱をもって関わり、質の高い教育に誇りをもって取り組んでいる、すばらしい教室運営をされている可能性が高くなりますが、もしも、教員の自己肯定感が低い場合には、うつ気質となっているので生徒に対する愛や教育への情熱は、絶望の雲でかげってしまっており、十分に効果的な教室運営がなされていないだけではなく、多くの問題を引き起こしている可能性があります。

 自尊感情の欠如は、生産性の低下を招くだけではなく、事故や深刻な問題を引き起こす可能性もあるのです。生徒への暴力や性的虐待、いじめ問題の放置や各種依存症など、最近の新聞をにぎわす教師たちの暴挙は、このあたりからきているのかもしれません。

 ちなみに、国立教育政策研究所では、こうした傾向は、「謙虚さや高い目標を設定しているが故の傾向」であるとの解釈がなされており、大した問題ではないようなニュアンスの主張がなされていますが、私は、もっと真剣に現場の悩みに耳を傾けるべきだと思いますね。そうした解釈が、真実であるならば問題はないと思いますが、もし誤解だったとしたら、これは大変な問題ですよ。

 謙虚さと自虐は違います。

 謙虚さは、自分も尊いと感じているからこそ相手も尊い存在だと思う心情ですが、自虐は、自分を尊いとは思っていません。人は自分にするように他人にするものですから、自虐の人は、最終的には必ず他人に仇をなすなど、問題を起こすようになるでしょう。

 自己効力感が低いということは、自罰的となっているということであり、それは、疲弊しており、絶望感にさいなまれているということであり、決して健全で健康的なことだとは言えません。せっかくこうした調査で、現状の大問題が見えてきているにもかかわらず、こじつけや曲解で現実を見ようとしないとしたならば、大きな問題だと思いますよ。

 何しろ、自己肯定感の問題は、学級崩壊やいじめ、自殺問題など、多くの深刻な問題にかかわっており、そうした問題は、自己信頼の回復がなくして、根本的な問題解決にはならないのですから。

 ちなみに、アンケートの設問で、「生徒に勉強ができると自信を持たせる」の設問に対して、ハイと答えた先生の割合が、世界平均では85.8%ですが、日本では17.6%と著しく低下しています。その通り、自信のない人に自信は教えることはできないのです。

 データからすると、日本の教育現場は、崩壊寸前だと私は思います。原因は、さまざまな要素があるとは思いますが、これは先生たちの問題と言うよりは、先生たちを絶望に追い込んでいる古くて瑕疵あるシステムの問題なのだろうと思います。

 いずれにしても、こうしたデータから、教育現場からの悲鳴が聞こえてくるようです。政府は、そうした悲鳴に謙虚に耳を傾けて、真剣に対策を練り直す必要があると思いますよ。何しろ、教育こそが国力の根源なのですから。

体験学習とは? 9.体験学習の留意点とポリシー

9.体験学習の留意点とポリシー

 体験学習は、Tグループをベースにして応用した学習方法です。
 現実的に長期の研修ができない企業や組織の事情を背景に、もっと短時間で効果的な方法をという現場のニーズに応える形で、主に、Tグループにおける午後一番で実施される構造化された実習を元にしたGセッションを中心として構成しなおし実施するようになったプログラムが、体験学習へと発展していったのです。
 体験学習は、単なる知識による学習ではなく、体験を通して人の内面に触れ合う、ハートに響く学習方法でもあります。そのあり方によっては、人の人生に大きな影響を与えるような素晴らしい気づきや学びを提供することもできますが、反面、人の心に関わることでもあり、前述の歴史上の失敗もあり、その運営には、非常に慎重な姿勢と注意深さが必要であると考えております。私どもでは、南山短期大学前副学長の星野欣生先生に以前私が教えていただいた哲学をもとに、体験学習の運営上の留意点とポリシーを以下のように考えております。

1.ともに学ぶ
・ファシリテーターは、権力者ではなく、学習者とともに学ぶ存在であり、学習の援助者、促進者である。
・参加メンバーの言動、気持ち、あり方は、参加メンバーが主体的に自由に決定するのであって、ファシリテーターは、その主体性と自由を尊重すべきで、決して強制したり、支配しようとしてはならない。
・主役(主体)は、参加メンバーであって、ファシリテーターではない。

2.操作しない
・気づかせたいことに向けて誘導したり、罠にかけるようなことはしない。
・作為、不自然さ、小細工などは、最終的にメンバーに伝わることが多く、共感されない。

3.評価しない 
・評価は、前提として”あるべきモデル(正解、価値)”を基準としているので、評価することは、結果的にそのモデルを相手に押し付けることにつながってしまうが、体験学習の場合は、体験を通してメンバーが自由にあり方を探求する場であるので、押し付けはすべきではない。
・期待や評価をすることは、結果的にメンバーを支配することにつながってしまい、メンバーの自分らしいあり方を探求する可能性をつぶしてしまう。
・「答や正解はファシリテーターサイドが持っている」という思い込みは、厳に慎むべきである。人間関係のことは分からないことが多く、だからこそ謙虚に体験から学ぶ必要があると言えよう。

4.個性の尊重
・メンバーの個性は最大限尊重すべきであって、決して虐待したり、粗末に扱うべきではない。
・違いは、好ましいことであって、矯正すべきものではない。
・体験学習のねらいは、個性的で自分らしい生き方を後押しすることであって、画一的な生き方や態度を教え込むことではない。

【体験学習とは シリーズ】

1.体験学習とは

2.体験学習の学習プロセス

3.体験学習の効果

4.体験学習の原点

5.Tグループの誕生

6.日本におけるラボラトリーメソッド

7.Tグループの実際

8.私のTグループ体験

9.体験学習の留意点とポリシー

10.体験学習のお勧め

体験学習とは? 8.私のTグループ体験

8.私のTグループ体験

 Tグループは、構造はとってもシンプルですが、その中で起こるドラマ、気づき、学びの深さと価値の高さなど、なかなか言葉では表現しづらい非常に印象的なプログラムとなることが多い方法です。ここでは、Tグループの実際をご理解いただくひとつの参考として、私自身が体験したTグループの体験を記して行きたいと思います。あくまでも個人の体験で、一般論ではありませんが、Tグループの特徴と効果を知る手がかりとしていただければ幸いです。

 実は、私は、もともとは人嫌いであり、どちらかと言うと引きこもりがちな性格でした。
「自分は、本性がばれたらきっと嫌われる」「人は、意地悪でいやなやつだ」「弱肉強食の世の中、人間関係の本質は戦いである」…
自分の本性がどんなことかも分からずに、そのような考えを心の奥深くに秘めながら、本音を隠して演技をし、強がりながら生きていたように思います。

 そのような私でも、さまざまな体験を経て、心に深く根ざしていた呪いともいえるネガティブな信念が融け、少しずつ生きやすく、楽になってきたように思えます。
 きっかけとなった出来事や人とのご縁、気づきは、たくさんあり、どれも大切な宝物なのですが、決定的だった体験の一つが、まさにTグループでした。

 私が受けたTグループは、南山短期大学人間関係研究センターの主催するプログラムであり、1990年の夏に木曾御嶽山のふもとの大自然の中にある研修所で、5泊6日にわたって実施されました。ファシリテーターは、南山短期大学の山口真人先生他1名、参加者は、ファシリテーターやスタッフも含めて10名でした。

 初日の第一回目のTセッションの際、ファシリテーターから全体のねらいと方法論がざっくりと説明されたあと、「では始めましょう」と放り出されるように開始してから、誰も何も話さず、身じろぎ一つできないような沈黙がしばらく続きました。沈黙の中で、何ともいえない不安感と恐怖を感じていたことを良く覚えています。最初のうちは、そのような懸念は、私だけではなくメンバー全員が感じていたようで、緊張しており、固くぎこちない不器用で手探りの対話が途切れ途切れでなされていました。

 しかし、回を重ねていくうちに、次第に肩の力が抜け始め、落ち着いて自分の心や場に関心を向けることができるようになっていきます。それと同時に、話す話題や内容は、”今ここ”で感じていることなので、自分の内面で体験している出来事と、他のメンバー同士で話されている内容が一致するようになってきて、その場で起こっていることが、誤解無く、とても良くわかるようになってきます。

 そのような状況になってからでしょうか、突如私は、「私は、今ここで、何も演技をしていないし、うそをついていない」ことに気づいたのです。今までは、「何かうそをついたり演技をしたりしないと、本当の自分がばれて、嫌われてしまう」という不思議な思い込みがあり、全くの無防備で警戒の無い本音で素の自分を出すことなど、人前ではありえなかったのですが、そのときは、何の意図も無く、何の構えも無く、自然に素の状態でいる自分を発見したのです。

 ささやかなことかもしれませんが、私にとっては人生がひっくり返るような出来事でした。なぜなら、素のままの自分は、嫌なやつではなかったし、メンバーからも受け入れてもらっており、そのメンバーの気持ちにうそが無いことが本当に分かったからです。

 何と、自然でありのままでいる自分は、決して捨てたものではなかったのです。

 そのような気づきが起こった時、私の心の中で、暖かい感動が起こり、とってもうれしく、元気が湧き起こってくるのを実感したのです。

 その回をきっかけに、私のTセッションは、とっても自由で開放的で基本的には恐怖や不安を感じない、信頼のおける楽しい場に変わっていきました。

 そうこうしているうちに、不思議な体験もするようになりました。

 研修も終盤になった頃、あるセッションで、それまで活発だったメンバー同士の対話が、ピタッと止まったことがありました。その後も、誰も何も話さない沈黙が続いたのです。ただ、Tグループ当初に起こった長い沈黙の緊張感や不安感とは別に、何かこう安心できる、やさしい何かに包まれて、このままでいいんだという思いがやってきたとき、どこからともなく笑い声が立ち上がり、みんな楽しそうにこの状況を笑い楽しんだのです。

 私もみなと同じく、誰も何も面白い話をしていないのに、楽しく、同じように笑って全員の楽しんでいる様子を眺めていました。

 その時、ある女性メンバーの笑顔を見た時、私の胸の中に、楽しい感情とは別の何かの感情が流れ込んできてその気持ちで胸がいっぱいになったのです。

 最初は、その気持ちが何なのかが分からずに、「この気持ちは、なんだっけ?」と注目すると、「さびしいって気持ちだ!」と気づきました。「こんなにみんな楽しい雰囲気の中で、しかも彼女も笑ってるし、寂しいわけがない。単なる勘違いだよ。」という考えが起こりましたが、その刹那、唐突に「○○さん、さびしそうだね。」と発言してしまいました。

 私の発言の後で、チーム全員が楽しい雰囲気に水を差されたようにシーンとなってしまいました。言ってしまった後で、「何てこと口走ってしまったんだろう!」「何の根拠もないのに、単にそう勘違いしただけなのに!雰囲気ぶち壊しだ!」。「そんなことないですよ、なんでそう思ったのですか?」って聞かれるだろうし、「この始末どうしよう・・・」などと、とても窮地に追い込まれたような気持になったことを良く覚えています。

 しかし、しばしの沈黙の後で、私が名指したメンバーは、

「わかりました?」

「実は、私だけ浮いているような気がして、とても寂しかったんです。」と発言したのです。

 私はとても驚きました。「そんなことない」と言われると確信していたので、彼女が本当にそういう気持ちになっていたことを知って、本当に驚いたのです。

 なんと、私が胸で感じた寂しさは、勘違いではなく本当のことだったのです。

 この体験は、言葉で言うと「人の気持ちが分かる」という何ともそっけない言葉になるのですが、そのときの私の心境は、衝撃的でした。人の気持ちが本当に共感できるものであることを生まれて初めて知ることができたのです。まさに、豊かな社会的感受性と言えるのでしょうか、Tグループのめざすテーマを体感した瞬間でもありました。

 また、何よりも驚いたのは、そのような状況になったとき、人間関係は、戦いではなく、暖かく優しくやわらかく私を包み込んでくれるものであり、つまらなくうっとうしくわずらわしいものではなく、躍動的で生き生きとしており、この上なく興味深く、私に生きる元気を与えてくれる尊いものであると実感したことでした。

 もし、本当に人が人の体験を共有できるとしたならば、もはや相手は他人ではありません。いま世界で起こっている、うそ、偽り、搾取、暴力、戦争なども、起こりうるはずがありません。だって、相手の痛みは自分の痛みとして体験するのですから。この体験を通して、私は、人間関係には、もしかしたら世界をかえ得る底知れない可能性があるということに気づいたのです。

 これは、今まで私の生き方をある意味規定していた否定的な信念とは完全に相容れない体験であり、世界観がひっくり返る危険な体験でもありましたが、しかし、私は、そのような信念よりも、今感じている喜びや実感のほうが、絶対的に真実に近いことを直観しておりました。理由は分かりませんが、何か、本当のこと、人間関係の真相に触れることができたと言う確信が起こり、私の心の奥深くで、世界が変わったのです。

 そのような体験を経て、私自身は、現在は、コンサルタント会社を立ち上げ、ラボラトリーメソッドによる気づきや学びを支援する教育をライフワークとしています。ですから、Tグループでの体験は、今の私の原点のひとつでもあり、私の人生を導いてくれた、とても大切で価値あるものだと言えるのです。

【体験学習とは シリーズ】

1.体験学習とは

2.体験学習の学習プロセス

3.体験学習の効果

4.体験学習の原点

5.Tグループの誕生

6.日本におけるラボラトリーメソッド

7.Tグループの実際

8.私のTグループ体験

9.体験学習の留意点とポリシー

10.体験学習のお勧め

体験学習とは? 7.Tグループの実際

7.Tグループの実際

Tグループは、「人間関係スキルの向上、個人の人間的成長、グループスキルの向上」などを目的として開催される集中セッションであり、通常5泊6日程度の合宿で開催されることが多いといえます。
 下図は、私が受講したTグループの実際のスケジュールです。Tグループタイムスケジュール

主催:南山短期大学 人間関係研究センター
日時:1990年9月14日~19日
場所:御岳名古屋市市民休暇村

 プログラムは、主に、Tセッションと呼ばれる80分にわたる集中セッションが、休憩を挟んで1日4回程度繰り返され、6日間全体で、おおよそ14回程度開催されます。
 Tセッションでは、椅子だけが人数分円形に並べられており、ファシリテーターとメンバーは、自由に着席します。
討議内容は、何も決められておらず、すべてがその場で起こったことを元に進められていきます。学習の素材は、「いまここ」であり、今ここで起こっていることがらや人間関係、ダイナミックスを個々人が言語化して、お互いに対話することを通して理解を深めていく展開となるのです。ですから、そこで話し合われる内容は、過去の出来事や末来の対策ではなく、まさに、今ここにいるメンバーに対して感じていること、自分の気持ち、気づきが話し合われることになります。

 主に、昼食後の午後一番には、Gセッション(全体会)と呼ばれるセッションが実施されることがあります。Gセッションとは、Tセッションとは違った状況の中で、プロセスへの理解を促進するために実施されるセッションで、あらかじめ構造化された実習やツールを使用して自分について、自他の影響関係について学ぶことになります。実習は、たいていよく工夫されており、刺激的で、楽しいことが多く、グループで起こっている人間関係やダイナミックスが浮き彫りになり、探求しやすくなることが多いといえましょう。

【体験学習とは シリーズ】

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3.体験学習の効果

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7.Tグループの実際

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体験学習とは? 6.日本におけるラボラトリーメソッド

6.日本におけるラボラトリーメソッド

 日本におけるTグループは、1958年に清里において開催された2週間にわたるワークショプが、初めてのものとされています。
 このワークショップは、世界キリスト教協議会主催の「教会における集団生活指導者研修会」というテーマの研修会であり、アメリカ、カナダのトレーナーのもとに開催され、成功し、さらにその後、1960年に第二回目のTグループが開催され、多大の成果を収め、ラボラトリー方式による教育方法が極めて効果的であること、革新的で今後の教育にとって価値が高いことが強く認識されることになりました。
 それらの研修の成功を受けて、1962年4月に立教大学内の一機関として「キリスト教教育研究所(通称 JICE(ジャイス):Japan Institute of Christian Education of Rikkyo University)」が設立されました。
 日本におけるTグループやラボラトリーメソッドによる教育技法は、このJICEの活動が中心となって広まっていくことになったのです。
その時のJICEのリーダーは、柳原光先生であり、私もご指導をいただいた先生です。
柳原先生は、気高くフェアーであり、不正には厳しく、また人間には優しく、自らがクリスチャンでいらっしゃったので、背景にキリスト教の人間哲学をしっかりと基盤に置かれてプログラムを運営されていました。
 私自身は、組織宗教には縁が無く、クリスチャンではないのですが、人間関係の本質は愛であること、人間存在の価値は途方も無く大きいこと、といった哲学を柳原先生の生き方やラボラトリーのプログラムから教えていただきました。残念ながら柳原先生は1994年1月にご逝去されていますが、先生から教えていただいたことは今の私にとって貴重な宝であり、先生の哲学は、今でも私自身の仕事の根底に流れています。

 さて、当初、そのようないきさつで、日本におけるTグループは、キリスト教の聖職者の方々を対象として立ち上がってきたのですが、その後、産業界においても、従来にない学習方法であることや、行動変容を促す実践的な方法であることが注目され、企業研修などに取り入れられて、大きなムーブメントを巻き起こすことになりました。
 しかし、大きなブームの中で、一部コンサルタントや業者などにおいて、ラボラトリーメソッドの原点となっている哲学である「人間尊重」の人間観や「共に学ぶ」教育観が欠如した、時には、洗脳的な操作や支配が横行し、STや自己啓発セミナーなど、社会問題ともなったのです。
 この問題は、現在でも続いており、このようなメソッドを安易に利用したコンサルタントやセミナー会社、業者で、問題視されているところも少なくありません。

 臨床心理学者カールロジャーズがラボラトリーメソッドを「今世紀最大の最も将来性のある社会的発明」と評したほど、ラボラトリーメソッドには、可能性と効果性を秘めていると言えるのですが、諸刃の刃であり、反面、使い方を間違えると、”人の心”を扱う方法であるだけに、大きな問題を起こしてしまう可能性は否めません。
 歴史的な経緯からも、ラボラトリーメソッドを運営するファシリテーターは、真摯な姿勢と哲学と注意深さが必要といえましょう。

 

【体験学習とは シリーズ】

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体験学習とは? 5.Tグループの誕生

5.Tグループの誕生
 Tグループは、1946年夏、コネティカット州ニューブリテン市の州立教育大学で、コネティカット州教育局人種問題委員会とマサチューセッツ工科大学集団力学研究所共催で開催されたワークショップ「公正雇用実施法の正しい理解とその順守を促進する地域社会のリーダー養成」での偶然の出来事に端を発しています。

 当ワークショップの参加者は、ソーシャルワーカー、教育関係者、産業界の人や一般市民で、「人種差別をなくすためにはどのようなことが必要なのか?」についてのテーマのもとで、グループ討議やロールプレイングなどでプログラムが展開してくことになります。
 レヴィンは、そのワークショップがより効果的に運営されるように、他の研究員と共に、スタッフとして参加したのです。

 さて、一日目のプログラムが終わった後、Tグループ誕生の発端となる出来事が起こります。
 初日のプログラム終了後、K.レヴィンの発案で、グループの状況をより正しく認識するためのスタッフミーティングが行なわれました。話し合うメンバーは、もちろんスタッフですが、そのミーティングに興味を持っている数人のワークショップに参加している受講メンバーが、スタッフミーティングに参加することを希望し、傍聴者として参加することを許可されたのです。

 ミーティングでは、当初、ワークショップ中にグループ討議をしているときのメンバーの言動や様子、感情の動き、リーダーシップやコミュニケーション上の出来事に関するさまざまなプロセスの観察報告がなされていました。しかし、観察データの報告の最中に、そのミーティングを傍聴していたワークショップ参加メンバーから、報告されていた観察事実の解釈に対して異議が唱えられたのです。それをきっかけに、観察報告だけではなく、グループ討議の中で起こっていたワークショップ参加者の生の体験や本当に感じたこと、気持ちが開示されるようになり、人間関係のありのままのプロセスについて、さまざまな人から意見が出てきて、結局は、リーダー、調査研究者、メンバー全員が、一堂に会して、3時問にも及ぶ討議となったのです。

 報告された観察事実の解釈の一例を挙げると以下のようになります。

 「午前10時、X夫人はグループリーダーに攻撃を加えた。Y氏はリーダーの弁護につとめた。そのため、X夫人はY氏と激論を戦わすことになった。また他のメンバーの中には、この論争に巻き込まれてどちらかの味方をするはめになった者もいた。他のメンバーは恐怖を感じ、2人の激論を平穏におさめようと努力しているように思われた。しかし、それも激論中の2人からは無視された。10時10分、リーダーは、激論のために忘れられていた話題に注意をひきもどした。X夫人とY氏は、その後の討論でも互いに反駁しあった」。 『人間関係トレーニング』(津村俊充・山口真人編 ナカニシヤ出版)P11より引用

 このような観察報告に対して、グルーブメンバーが体験した感情や心の動き、他者や出来事に対する自分の認識や反応などのデータを率直に出し合って、その場で起こっていた本当のことをオープンにして、全員がありのままに認識することができるようになっていったのです。

 また、それと同時に、以前のグループ討議のことではなく、今ここのスタッフミーティングで起こっているプロセスにも焦点が当たるようになり、今ここで感じているお互いの正直な気持ちが開示されると同時に率直なフィードバックが行われ、コミュニケーションが深まることを通して、メンバー同士の深い相互理解が起こり、想像もしていなかった家族に感じる以上の親密さ、信頼、愛を体験することになります。

 この出来事は、メンバーにとって、人種差別をなくすこと、人間尊重、相互理解や相互信頼ということについて、体験を通した深い理解と学習を促進し、メンバーやスタッフにとって非常に大きなインパクトを与えると同時に、貴重な学習の機会となったのです。

 レヴィンや参加メンバーは、この出来事を通して、人間関係やグループの学習は、既に一般化された知識や概念の学習よりも、”いまここ”の場で起こっているリアルな体験を学習素材に用いる体験学習の方が、はるかに効果的であることに気づいたのです。

 この出来事がヒントになって、レヴィン没後、翌1947年夏、メイン州、ベセルにおいて、前記ワークショップと同じトレーニングスタッフで、3週間のセッションが開催されました。
 このプログラムは、BST(Basic Skil Training)とよばれ、翌年の1948年以降は、NTL(National Training Laboratories)が主催し、”Tグループ”と呼ばれるプログラムとして、開催されるようになりました。

 以後、Tグループは、様々な技法を取り入れて、ラボラトリーメソッドと呼ばれる教育技法として、全世界に広がっていったのです。

<参考文献>
 「TグループQ&A(1990年3月)」 星野欣生 『人間関係』南山短期大学人間関係研究センター刊
 「人間関係トレーニング」 津村俊充・山口真人編 ナカニシヤ出版

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8.私のTグループ体験

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10.体験学習のお勧め

体験学習とは? 4.体験学習の原点

4.体験学習の原点

 体験学習の歴史は、K.レヴィン(Lewin,K,.1890-1947)の活動に端を発しています。
 レヴィンは、社会心理学の偉人であり、小集団の人間関係(コミュニケーション、リーダーシップ、信頼関係など)がそのパフォーマンスに大きな影響を与えているだろうとの考え方をもとに、多くの小集団の実践研究を展開し、グループダイナミクスと呼ばれる小集団の社会心理学の分野を創始しました。

 彼の研究を通して発見された理論や方法は、大変効果的で有用なものが多く、『パーソナリティの力学説』『アクションリサーチ』『力の場の理論』『グループダイナミックス』など、現在でも多くの理論や技術が幅広く活用され、応用されています。
 その技術の中の1つに、Tグループと呼ばれる人間関係を学ぶことを目的とした学習方法があります。

 Tグループは、「人間関係スキルの向上、個人の人間的成長、リーダーシップなどのグループスキルの向上」などを目的として開催される集中セッションであり、通常5泊6日程度の合宿で開催されることが多いといえます。
 プログラムは、主に、Tセッションと呼ばれる80分にわたる集中セッションが、休憩を挟んで1日4~5回程度繰り返される展開となります。
 Tセッションでは、椅子だけが人数分円形に並べられており、ファシリテーターとメンバーは、自由に着席します。実施内容は、何も決められておらず、すべてがその場で起こったことを元に進められていきます。学習の素材は、「いまここ」であり、今ここで起こっている気持ちや人間関係、ダイナミックスを個々人が言語化して、お互いに対話することを通して理解を深めていく展開となるのです。
 主に、昼食後の午後一番には、Gセッションと呼ばれるセッションが実施されることがあります。Gセッションとは、Tセッションとは違った状況の中で、プロセスへの理解を促進するために実施されるセッションで、あらかじめ構造化された実習やツールを使用して自分について、自他の影響関係について学ぶことになります。実習は、たいていよく工夫されており、刺激的で、楽しいことが多く、グループで起こっている人間関係やダイナミックスが浮き彫りになり、とても探求しやすくなることが多いといえましょう。

 体験学習とは、実は、このTグループを応用した学習方法であります。
 現実的に6日程度の日程を研修に使えない企業や組織の事情を背景に、もっと短時間で効果的な方法をということで、主に、Tグループにおける午後一番で実施される構造化された実習を元にしたGセッションだけを集めて実施するようになったものが、体験学習だったのです。

【体験学習とは シリーズ】

1.体験学習とは

2.体験学習の学習プロセス

3.体験学習の効果

4.体験学習の原点

5.Tグループの誕生

6.日本におけるラボラトリーメソッド

7.Tグループの実際

8.私のTグループ体験

9.体験学習の留意点とポリシー

10.体験学習のお勧め