ニューノーマル時代のイノベーション

前回のブログでは、イノベーションを起こすトップの作法として、ダイアローグ(対話)によってメンバー一人ひとりが持つ異なる考えや意見を聴くこと。仮に1,000個の異なる意見が出ても、それらに個別対応するのではなく、「アウフヘーベン(止揚)」して、共通項を導き出すことを提起しました。

今回は、「アウフヘーベン(止揚)」は時代の要請に則った手法であることの検証をふまえて、それを実践した企業とトップの事例を書きたいと思います。

止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。(Wikipediaより)

まず、本題に入る前に、「アウフヘーベン」を活かす方法について理解を深めたいと思います。

西山圭太さん(東京大学未来ビジョン研究センター客員教授/前・経済産業省商務情報政策局長)が、日本企業の弱点と人材不足の克服へ(膠着する日本経済の深層)というタイトルで、日本経済が行き詰っている原因について語っています。一つ目はマーケティングを軽視すること。二つ目は、顧客の要望の聴き方を間違っていること。以上を指摘しつつ、その克服のカギは、「アウフヘーベン」することだと述べていて参考になるので引用します。

(日本企業は)「技術があればいいんだ」みたいなことになっています。(中略)当時、ドイツ企業と比較したことがあります。日本とドイツは、やっている業種・業態が似ています。製造業が多く、B to Bが中心。ところがある時期から、圧倒的にドイツのほうが利益率が高いのです。なぜかというと、ギリギリの標準化をドイツ企業はするのです。当時、日本の経営者の方にこの話をしたとき、彼らがどう言ったかというと(中略)「いやいや、お客さんの意見はもちろん聞いています」と言うのですが、そこに大きな誤解があり、ドイツ企業と日本企業の決定的な差があるのです。ドイツ企業も(中略)仮に1000人のお客さんがいたとして、1000人のお客さんの意見を徹底的に聞くけれど、そこで1000種類つくることはしません。1000人のお客さんの意見を、ドイツ的にいえば「アウフヘーベン」して、1000個ではなく、例えば10個とか50個にするのです。ところが、日本の場合は1000個を1000個のままやる。お客さんから見ると、「言ったとおりやってくれた。こんなありがたい人はいない。また来年お願いします」となって(中略)日本はそれをやっていて、しかもそれをすごく良いことだと思っている。(10MTVオピニオンより)

この話しは、私も製造業に属していた期間が長かったので、現場で体験したことにそのまま当てはまります。加えて西山さんは言及していませんでしたが、人事的な視点から言えることは、「お客さんの1000の要望をすべてかなえようとする」発想は、従業員の全人格的労働、つまり、時間制限なく働かせることが出来るという意識が背景にあったからではないでしょうか。ドイツのように厳格な労働時間規制があると、当然、経営は最大限効率良く成果を上げる方法論を練り上げるはずです。日本はそれとは対称的だったとも言えると思います。

西山さんの話しは、ビジネスの世界における「アウフヘーベン」の話しですが、前回も取り上げた、台湾のデジタル担当政務委員(閣僚)のオードリー・タンさんが、行政の見地からも、多くの人々の意見の中から共通項を見いだして「アウフヘーベン」することの有効性について述べていますので引用します。

「最初から完璧を目指すと、取り残される人々が必ず出てきます。それでは公平とは言えません。真に多様で公平な社会を目指すためには、私は二つのステップを経る必要があると思っています。一つはこの『共通の理解』を得ること、つまり、ある問題に対して、満足できるわけじゃないけど受け入れられるという状況にまで持っていくことです。最終的な目的地を決める前に、人々が今共通認識として持っていることは何かを学ぶのです。この過程を経て、ついに共通の目的が定まれば、あとはその実現に向けて突き進む。そのためには、この共通の理解を意思決定に携わる人だけではなく社会全体に周知する必要があります。私の役割は、この2ステップを経るための場を用意することなのです」(VOGUE JAPAN 2020年8月21日「完璧を目指そうとしなくていい」──台湾のデジタル大臣、オードリー・タンが目指す政府と社会)

タンさんは明確に、「答えありき」で政府が民意を問うのではない。自らの役割は、そもそも何もない状態から人々の「共通認識」を見いだし、それを人々に受け入れられる「共通の目的」として定め、「社会全体に周知」する場を用意することだと述べています。

また、タンさんは別の場で、人間の知恵を結びつけ具現化することこそがDX(デジタルトランスフォーメーション)の本領発揮の場なのであって、従来のITが、機械と機械をつなげることであったのと比較して、そもそも目的が異なると述べています。

私は、西山さん、タンさんは、共に「ニューノーマル」を示唆しているということに気づきました。

「ニューノーマル」、日本語では「新常態」「新しい日常」などと訳されます。これまでとはがらっと異なる世界がやってくる、という文脈で使われる今再頻出ワードの一つです。

この言葉は、産業経済は2007年から2008年にかけての世界金融危機後に、近年の平均的な水準に復元するだろうという、経済学者や政策決定者たちの間に共有された信念に警鐘を鳴らす議論の文脈から登場してきた。リーマン・ショックを含む一連の危機の前後で生じた避け難い構造的な変化を経て、「新たな常態・常識」が生じているという認識に立った表現である。(Wikipediaより)

「ニューノーマル」という言葉を「アフターコロナ」に当てはめて近未来を予測する人の中には、非対面の「リモートワーク」が不可逆的に普及するので、企業は必ずしも都心に拠点を持たなくてもよくなるだろうとか、情報セキュリティーをより厳格化する必要がある、などといった、非常に単純化した概念にとどまるものが多いようです。

一方、そのような中で本質を突いているなと思ったのは、慶應義塾大学教授の宮田裕章さんの言葉でした。オードリー・タンさんが言っているような、実現すべき目的は、「権力が与えるのではなく、一人一人から生まれる」と述べていて目を奪われました。

従来の企業活動は、新聞、雑誌、広告も含め、多くの人に届けられるモノを提供するということが中心でしたが、これからはデータで一人ひとりを捉えて「体験」を共創していく時代になるでしょう。「新しい日常」というのは権力を持った一部が定義して画一的に求めるものではなく、激動する社会の中で一人ひとりが見いだして、響き合って生まれるものであってほしいと考えています。(宮田裕章(慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授))

この中で、宮田さんが述べている、「激動する社会」についてですが、同じく慶應義塾大学教授の菊澤研宗さんが詳しく解説しています。私たちが直面している現実について理解を深めることが出来るので引用します。

新型コロナ後のニューノーマルとは、ある意味で安定状態がノーマルではなく、異常事態がノーマルになるということでもあると思う。まさにVUCA(ブーカ)と呼ばれる不確実な時代が到来しているのだろう。VUCAとは、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の略語であり、米軍がテロ対策に用いた用語だといわれている。このVUCAに対応できない企業はパラダイムの不条理に陥り、合理的に失敗することになる。このようなVUCA時代に、①環境変化を感知し(sensing)、②そこに機会を捕捉し(seizing)、③既存の資源を再構成して自己変容(transforming)する能力のことを、ダイナミック・ケイパビリティ(変化対応的な自己変革力)と呼ぶ。(菊澤研宗(慶応義塾大学商学部教授))

ここまで引用した方々の言葉を私なりにまとめます。

「新型コロナ後のニューノーマルとは異常事態がノーマルになること。不安定、不確実、複雑が増し、ますます曖昧な中で意思決定が求められるようになる。そのような環境では、権力が一方的に押し付けた目的と方法は役に立たない。従来の発想を逆転して、一人ひとりがもつ認識からアウフヘーベンして共通理解を醸成し、社会全体に周知して実現に取り組む。そのような変化対応的な自己変革力が求められる。」

そこで、会社が直面した危機的な状況を、「変化対応的な自己変革力」で乗り切るべく奮闘した事例がないか探したところ、レストラン「ロイヤルホスト」で知られる、ロイヤルホールディングス会長の菊地唯夫さんが、2011年3月に発生した東日本大震災の際に経験されたことを語った日経ビジネスオンラインの記事が目に留まりましたので、やや長文ですが引用します。

菊地唯夫 [きくち・ただお]氏 1965年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本債券信用銀行に入行。頭取秘書を務めていた98年に経営破綻を経験する。その後ドイツ証券を経てロイヤル(現ロイヤルホールディングス)に入社。総合企画部などを経て2010年社長に就任。ロイヤルの経営立て直しに着手する。16年会長兼CEO(最高経営責任者)、19年から現職。

痛烈な皮肉から芽生えた自覚 外食は再びよみがえる 2020年9月11

社長に就任した2010年は、リーマン・ショックの影響が残り、外食産業の景気も低迷していました。ロイヤルホールディングスも2期連続の赤字から立ち直るための方策がなかなか定まりませんでした。定まらないどころか、経営陣の間では経営方針をめぐって対立が起こっていた。「何とかしてまず利益を回復させよう」という考え方と、「従業員の処遇やお客様の満足度向上が先だ」とする考え方です。

本来、企業経営というものは企業価値の向上を通じて全てのステークホルダーに恩恵を与えるものでなければなりません。2つの考え方が対立すること自体が問題なのですが、当時の私はそこまで気が回りませんでした。社長だったのに「どうすれば会社を良い方向へ導けるか」というビジョンを持ち合わせていなかったのです。

その結果、対立が思わぬ形で表面化してしまいました。11年1月、社長を退いた会長が株主を巻き込み、株主提案を突き付ける事態にまで発展したのです。一部の取締役が経営を実質的に支配しているとして取締役の刷新を求める提案でした。

提案株主と話し合いの場を設けましたが残念ながら決裂し、会社として会長の職を解くことを決めました。この騒動は世間に知れ渡り「お家騒動」「内紛」などと厳しい批判も浴びました。私は店長や料理長など、幹部クラスの従業員を集めて会社の現状を説明する必要に迫られました。

そこでの出来事は今でも忘れられません。一通り説明を終えて、「ゴタゴタが起きて皆さんには申し訳ないけど、今いらっしゃるお客様に迷惑がかからないように頑張ってください」と私が伝えた時です。1人の従業員が突然手を挙げて大声で言いました。「社長、大丈夫です。我々は経営陣なんて一切見ていませんから。お客様しか見ていませんから」と。

ああ、これは私に対する痛烈な皮肉なんだ。そう心に突き刺さりました。「今のロイヤルは経営陣と現場を支える従業員との間に大きな溝が横たわっているのだ」と痛感しました。本気でこの会社を何とかしなければと思い始めたのはこの時からです。初めて経営者としての本当の自覚が芽生えたと言えるかもしれません。

そのすぐ後に発生したのが東日本大震災でした。皆さんのご記憶の通り、地震がもたらした被害は甚大でした。我々も物資の調達が困難になり、「ロイヤルホスト」を中心に東北地方の多くの店が営業できない状態になりました。そこで会社が決めたのが、トラックに支援物資を積める限り積んで応援に行くこと。13日に最初の支援チームが出発し、私も「15日までには現地の状況視察を兼ねて応援に行く」と社員に伝えていました。

(中略)現地の様子を自分の目できちんと確認したい気持ちからの行動でしたが、想像以上に従業員たちが喜んでいました。「社長が自分たちと同じ船に乗ってくれた」。そんな印象を持ったようです。それが全国の従業員に伝わり、私に対する見方や会社の雰囲気が変わるきっかけになった気がします。

宮城県の東南端にある山元町では、30人ほどのチームを組み、がれき撤去のお手伝いをしたり、避難所にいる被災者に煮込みハンバーグや豚の角煮丼などの温かい食事を提供したりするボランティアもやりました。そのときのことを今も鮮明に思い出します。

ホテルに戻ると毎晩、皆が集まって何か話し合っています。何をしているのだろうと思ったら、食事内容や提供方法について改善するところはないか、反省会を開いているのです。これには感動しました。「この会社にはお客様のことを思う素晴らしい従業員がたくさんいる。もっと彼らが輝ける場を用意してやらねば」と心から思いました。

従業員がお客様に良いサービスを提供できる「仕組み」を作るのが経営の役割であり、それがゆくゆくは会社の業績につながっていく。新米社長の私はそのことにようやく気付いたのです。経営と現場が問題を共有し、同じ方向を向かなければ会社は立て直せないと。

それから、私は1人でこっそり店舗に足を運ぶようにしました。店長会議など、普段の会議ではなかなか出てこない現場の「本音」を知りたかったからです。コーヒーや軽食を頼み、店長の時間ができそうな時を見計らって声をかけました。現場が抱えている問題を色々と聞き出せる有意義な機会でした

(中略)従業員向けに決算説明会を開き始めたのもこの頃です。ロイヤルの置かれている現状を説明した上で、会社の方針や今後の施策を伝える場を作れば、従業員もモチベーション高く仕事に励んでもらえるのではと思ったのです。(中略)経営と現場との距離を徐々に縮める。私がロイヤルの経営の立て直しに挑んだ数年間は、そのための地道な活動の繰り返しでした。

ロイヤルの菊池社長(当時)が経営の立て直しに取り組んだことは、トップダウンではなく、店舗で働く社員一人ひとりの本音を経営の意思決定に活かすことだったようです。東日本大震災の混乱の中で、自らの役割を、「従業員がお客様に良いサービスを提供できる「仕組み」を作るのが経営の役割であり、それがゆくゆくは会社の業績につながっていくことだと気づいた」という言葉にその意志が凝縮されていると思います。

さらに、「経営と現場との距離を徐々に縮める」べく、「従業員向けに決算説明会を開き、会社の方針や今後の施策を伝える場を作ることで、従業員のモチベーションを高めることに取り組んだ」と述べています。私が考えるイノベーションの条件である、「自分の考えをメンバーに押し付けない」「経営が目指す絵を描きメンバーに見せる」「経営上の重要情報をメンバーと共有する」にぴったり符合します。

今回は、アフターコロナに私たちを待ち構えている「ニューノーマル」の姿について様々な視点から考察しました。

「ニューノーマル」において、実現に取り組むべき目的は、従来のように、権力を持つ側が一方的に決めるのではなく、一人ひとりの認識を集めて共通認識を見出し、共通理解を醸成して、すべての人が、たとえ満足できないとしても、受け入れられる状態にする。

そして、

誰一人漏らさず全員が一致して取り組めるかどうかにかかっていると思います。

それこそが、新型コロナ後の、異常事態がノーマルになる、「ニューノーマル」への変化対応的な自己変革力を備えることになるという気づきを得ました。今後、「ニューノーマル」についての概念は、様々な変遷を経て徐々に明確化されていくと思いますが、「人間中心主義」に基づいたものでなければならないということを、私は主張し続けたいと思います。

民主主義とイノベーション

成功するトップが、人並外れて持っている能力っていったい何なのだろうかと、これまで私が仕えた方々のことを思い出しながら考えてみました。

一つは、場の空気を読む力。もう一つは、一人一人のメンバーの気持ち(考え)を把握する力、ではないかと。今回は、そんな考えに至った理由を書きたいと思います。

2021年が始まるや否や、コロナ感染の拡大を受けて政府は、東京、神奈川、千葉、埼玉に緊急事態宣言を発出しました。その後も、全国に感染拡大が広がる中で、各道府県の知事達からは、「自分たちの道府県にも緊急事態宣言の発出を」との声が出始めています。一方、菅総理は、現時点では、「数日間様子を見極めたい」とし、対象地域の拡大について明言を保留しています。そのような中で、次のようなネットニュースが配信されました。

緊急事態宣言下で迎えた3連休中日の10日、首都圏の商店街や商業施設は、多くの人でにぎわいを見せた。外出自粛が叫ばれるものの、客からは「昼くらい外で飲ませて」「店は開いている」と本音が漏れた。東京・上野のアメ横商店街(台東区)は、午後には人をよけないと歩けないほど混雑した。各所に消毒液が設置されたが、大半の人は素通り。「昼飲み」を楽しむ満員の客で盛り上がる店もあった。千葉県船橋市の大型商業施設でも、多くの家族連れや若者がショッピングを楽しんだ。セールに人だかりができる衣料品店や、入店待ちで行列する食品量販店もあった。フードコートは各テーブルがアクリル板で仕切られ、感染対策の注意書きが各所に。ただ昼時でも満席にはならず、客は自然と間隔を空けて座っていた。テーブル用の除菌シートを使う人はごく一部。料理の取り分けや、マスクを外したおしゃべりも散見され、緊張感はなかった。

 家族で訪れた浦安市の女性(35)は「店舗ごとにも消毒があったし、このくらいの混雑なら特に不安はない」。買い物袋を抱えた10代の3人組は「バーゲンに来た。自粛とはいえ店は開いているし、閉じこもってばかりいられない」と話した。 

このニュースを読む限り、感染者の急増で各地の保健所、医療機関の業務はパンク状態であるにもかかわらず「自分は無関係」だと自己解釈して、通常生活を続けようとする人が一定数いることが分かります。

一方、このニュースに対して、ある人が書き込んだ次のコメントが印象的でした。

同調圧力相互監視で抑え込んでいた日本モデルは崩壊しつつある。短期で済めばまだしもここまで長期化すると、もうやってられないよって人が増えた結果。今、去年の春と丸々同じ事やってもあの時程の自粛はしないと思うよ。

日本モデルの感染抑え込みとは、「同調圧力」と「相互監視」だった、というコメントを読んで、はっとしました。

というのも、最近、ネット配信の教養講座で、社会学者の橋爪大三郎さんが、日本特有の「同調圧力」と「相互監視」について、分かりやすい説明をしているのを聞いたからです。

橋爪さんの見立ては次の通りです。

日本文化には「正典」がない。正典とは、世界4大文明である、キリスト教文明の聖書、イスラム教文明のコーラン、インド文明のヴェーダ、中国文明の儒教(四書五経)のような、人々の思想、行動のよりどころ。政治、経済など、世俗におけるあらゆることを決める「道徳的規範」のことだ。では、正典を持たない私たち日本人は何をよりどころとしているかというと、周囲の人の言動をみて、これに合わせることによって道徳的規範を保っている。

橋爪さんの言葉にある、「周囲の人の言動をみて、これに合わせる」とは、「相互監視」機能を強化し、「同調圧力」を高めることと符合します。

さらに、「同調圧力」が高まると、非言語的な「空気(つまり道徳的規範)」が醸成されて、やがて人々は見えない「空気」に従うようになる、との仮説が頭に浮かびました。

菅総理が、緊急事態宣言の発令地域拡大の意思決定を、

「数日間様子を見極めたい」

と述べたのは、意思決定に必要な科学的エビデンスが揃うのを待つためではなく、

「発令地域拡大はやむなし」

という

「空気」

が人々の間に醸成されるのを待つためではないでしょうか。これを、大和言葉では、

「機が熟すのを待つ」

と表現するのだろうと思います。仮に、合理性に則って判断するのであれば、広がり続ける感染を食い止めるために、速やかに緊急事態宣言の対象地域を拡大すると思います。しかし、菅総理のように、多くの日本人は、合理性よりも「空気」の醸成を期待し、無意識にそれに従ってしまうようです。

関東軍による満州での軍事活動の拡大。海軍の真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦。そして極めつけはポツダム宣言受諾の判断を遅らせたのも、この「空気」だったと、当時を知る人々が異口同音に口にするのを、NHKの特集番組で視ました。

さらに、「空気の研究」で有名な、山本七平さん(故人)は、この「空気」が現代の日本社会の隅々までを支配し、様々な問題を引き起こしていると述べています。そして、そんな言説を、コロナの感染拡大以降、頻繁に見聞きするようになったような気がします。

それは、前提が役に立たない異常事態が続くなかで、「同調圧力」や「相互監視」といった目に見えない「空気(道徳的規範)」が、私たちを支配しているという「感覚」に、多くの人が気づき始めたからではないでしょうか。

さらに、「空気」に加えて私たちの社会をより複雑にしていると考えられるのは、「本音と建前の文化」です。私たちが進んで従っているように見える「空気」ですが、実際には、それほど納得している訳でも、受け入れたいと思っている訳でもない、ということが多いのではないでしょうか。

以前、お世話になったアメリカ人英語教師が、言っていたことを思い出します。

「日本に来てびっくりしたことは、日本人が、それまで考えていた日本人と全然違うことだった。それは、日本人が一人ひとり非常にユニーク(個性的)だということ。むしろ、アメリカ人の方が一般化しやすい。多くの外国人がもつ日本人像である、集団的、没個性的というのは当たっていないと思う。」

彼の言葉を信じるなら、本来個性的な日本人が本音を言わず、一見すると同質に見えるのは、所属する集団に「同調圧力」と「相互監視」が働いていて、場を支配する「空気(道徳的規範)」を乱すのを恐れるからではないでしょうか。

さらに、本音を表に出して「同質的な関係」を壊し、自身が「異質化」して、集団から「監視」される立場になることを恐れるからかもしれません。少なくとも、日本人である私はそのように考え、これまで本音を隠しがちだったという自覚があります。

冒頭、成功するトップは、人並外れた、場の空気を読む力と、一人ひとりのメンバーの気持ち(考え)を把握する力が備わっていると述べました。言葉を変えれば、メンバーを「相互監視」する「同調圧力」が何かが分かっている。さらに、メンバー一人ひとりが「空気(道徳的規範)」に対してどのような「本音」を持っているのかを「掌握」しているのではないでしょうか。ふたつの力を併せ持って、メンバーと組織を望ましい方向へと導くことができるのではないかと私は考えています。

そして、トップが備えるふたつの力、「空気を読む力」と、「メンバーの本音を把握する力」は、これまで何度も書いている、イノベーションの条件と符合するようです。そこで、空気を掌握できず、メンバーの本音がバラバラでも放置してしまうようなトップの下では、イノベーションはなかなか起こらないということが分かる話を紹介したいと思います。

参考にしたのは、台湾のコロナ感染対策を担った、デジタル担当政務委員(閣僚)、オードリー・タンさんが、「なぜ台湾の人々は「コロナ危機」を共有できたのか」というテーマで語った内容です。

タンさんは、ここで、「民主主義とイノベーションの関係性」について興味深い発言をしています。

新型コロナウイルス対策に当たった蔡英文政権の面々は全員、SARSのときの経験を共有しています。疫学研究者出身の陳建仁・前副総統(2020年5月で退任)をはじめ、多くのメンバーがSARS流行前後で重要な役職に就いていました。また、現在の政権内には、感染症や公衆衛生の専門家がたくさん含まれています。これは、公衆衛生の観点から言えば、「少数の人が高度な科学知識を持っているよりも、大多数の人が基本的な知識を持っているほうが重要である」ことを学んだ結果だと思います。

基礎的な知識を持っている人が多ければ多いほど、情報をリマインド(再確認)し、お互いに意見を出し合ったり、対策を考えることができます。逆に、少数の人のみが高度な科学知識を持っているだけの状態では、何が起こっているか理解していない人が多いということです。想像してみてください。もし前代未聞の出来事が起きたときに、誰にも相談できず、あなただけに決定権が託されたとしたら、果たして的確な判断を下せるでしょうか。このことからも情報の共有がいかに大切なものなのかがわかると思います。

それとともに重要になるのが、「エンパワー(empower)」の概念です。これはトラブルやハプニングに直面した際に、すぐ反応して状況を変えていこうとする力を意味します。誰かから強制されなくとも、主体的に動き、困っている人に積極的に手を差し伸べる。多くの人がそうした力を持つことで、困難な問題も解決に導くことができるのです。今回の新型コロナウイルス禍で台湾の人々がとった行動は正にこうしたことだったと思います。

(中略)民主主義社会においては、イノベーションは社会全体に広がっていきます。決して中央にいる一握りの人たちが他の多くの人々に強制するものではありません。ですから、中央の状況と他の地域の状況が異なっていれば、それぞれに適合したより新しい方法が生み出されていきます。それは、台湾の人々がこのウイルスの仕組みを正確に理解していたからであると言えるでしょう。

このようにして、政府と人々の間にパンデミック(世界的大流行)に備えるための意識が共有されていきました。今回、「手洗いの徹底」「ソーシャルディスタンスの確保」「マスク着用」といった政府の要請を、人々がすぐに実行に移すことができたのは、この意識の共有が一番大きなポイントでした。(出典:幻冬舎GOLD ONLINE 2021年1月7日付より)

つまり、台湾では、政府が国民に正しい情報を発信し、それらが共有されていく中で国民の意識の変化(空気)を読み、国民が望んでいること(本音)を把握して、常に最適なリーダーシップが発揮できるような政策的取り組みをしたというのです。それが台湾の民主主義であり、その民主主義においては、イノベーションが社会全体に広がっていく状態を指すこと。そして、その担い手は、中央にいる一部の専門家や政治家ではなく、基本的な知識を身につけた国民一人ひとりだと言っているのです。

では、私たちの日本は、果たして台湾が目指しているような民主主義と比較してどんな状態にあるのでしょうか。いま一度、私たちが属する会社、学校、地域などあらゆる組織に、タンさんが述べている民主主義の原則、

一人一人が、基本的な知識を身につけていて、強制されるのではなく、社会全体にイノベーションを広げる担い手としての役割を期待されているか

に照らして、総点検してみる価値があるそうです。自信をもって「一致する」と言えないならば、その組織は何を目指しているのか。何を拠り所として運営されているのかをしっかり見極めた方が良いと思います。

ここまで述べたことをまとめます。

トップが「空気を読み」「一人ひとりのメンバーの本音を把握」する力を備える。さらに、私が考えるイノベーションを起こす三条件、「自分の考えを押し付けない」「ありたい会社の姿を示す」「経営上の重要な情報を共有する」を実践すると、自ずと「創発が生じイノベーションが起きる」ことが、台湾のコロナ対策から知見を得ることが出来ました。

しかし、こんなことを言うと多くのトップから反論されそうです。

「民主主義なんてとんでもない。メンバーがやりたいことを勝手に始めたら収拾がつかなくなるじゃないか。」

「メンバーをコントロールできなくなったら社内は混乱するに決まっている。」

このような反論への抗弁を考えました。そして、たったひとつの、シンプルな方法を見つけました。それは、

「メンバー一人ひとりの考えや意見に耳を傾ける」

という方法です。そして、仮にですが、1,000人が1,000個の異なる意見を出したとしても心配する必要はありません。1,000個すべてに対応する必要は無いからです。

但し、1,000個の意見を漫然と聞き流していてはだめで、必死に聴いて1,000個の中に潜んでいる傾向、つまり共通項を言語化(抽象化)するのです。これをドイツ語で「アウフヘーベン(止揚)」と呼びます。

次回は、「アウフヘーベン(止揚)」と、それを実践したトップの事例について書きたいと思います。

経営の神様の金言②(本田宗一郎さん)

新年を迎えた日本は、コロナウィルスの感染拡大で揺れています。菅総理大臣は1都3県に緊急事態宣言の発令を決定し、これから私たちの生活にどのような影響が出るのか戦々恐々とした雰囲気が漂っているようにみえます。

具体策の一つとして、飲食店の営業時間を20時までとする、罰則規定を設けた規制が行われるようです。罰則規定が設けられるという点について、緩やかな規範の下にやってきた方針の大転換だと問題視する意見がマスコミや識者と呼ばれる人たちから出ています。なんとか年末年始は乗り切りましたが、今後一定期間は継続的に感染者数が増加することは避けられそうもないので、医療機能不全を回避する対処療法的な対策と、先々を見据えた感染拡大抑止策の両面から舵取りをしなければならない政府には、非常に高度な判断が求められます。

日本の場合、残念ながら問題が大きくなってしまった訳ですから、まずは顕在化した問題への対応に優先度を上げて取り組まなければなりません。このような状況に陥るとモグラ叩きゲームのようになった医療現場は疲弊し、人は離れます。よって、目下、最も重要なことは、医療機関からの医師、看護師の離反を防ぐということで、その一点にあらゆる手段を講じなければなりません。それが出来ているのか、いないのか、連日テレビに出演している医師の話しを聞くと、十分な対応が出来ているようには見えません。それよりも、人々の関心が、飲食店の営業時間短縮や、ワクチンの安全性に向いているようです。それは、政府が正しい情報を提供し、人々の素朴な疑問に真摯に応える等して、適切に導いていないからではないかと思います。

台湾のコロナウィルス感染対策の先頭に立つIT担当大臣のオードリー・タン氏が、NHKの特集番組のインタビューに答えていた次の言葉が印象的でした。

「感染対策で最も必要なことは、政府が国民を信じる(Trustする)ことです。信じれば、国民が政府を信じ返して(Trust backして)くれる。」

相互の信頼関係が台湾のコロナウィルス感染対策の理念になっていること。その点の圧倒的な不足が、日本の対応を迷走させ、いつまで経っても国民に納得感を与えられない真因だと、私は感じています。

さて、本題に入ります。前回の松下幸之助さんに続き、もう一人の昭和を代表する名経営者であった「本田宗一郎さん」の金言と、私が考えた3つの、「創発が生じ、イノベーションが産まれる条件」と符合するか、検証したいと思います。

参考にしたのは、前回同様、週刊東洋経済のバックナンバーです。「インタビュー本田宗一郎1973年9月1日 3758号「わが退陣の弁 もう若い者の時代」です。

このインタビューは、本田宗一郎さんが、本田技研工業創立25周年を機に、副社長の藤沢武夫さんと一緒に経営の第一線から退く意図を明らかにしたことを受けて行われたものです。本田さん66歳、藤沢さん62歳だった当時、決して老齢というわけでもなく、しかも、創業者社長の去り際があざやかだともてはやす記者(インタビュワー)の言葉に対して、本田さんは何と答えたでしょうか。

「人間はなま身なのだから、いつ、どうなるかわからない。事故や病気で明日にでも死ぬかもしれない。だから、われわれがいなくても経営できるようにしておくのが、株主や従業員に対する義務だと思うんですよ。経営者というのは“かけがえのない人”であっちゃいけないんだ。その経営者が急に死んでも、ちゃんと経営ができるようにしておくというのが、経営者の役目だと思う。」

と言っています。これが、本田さんの基本的な考えです。

だから、

「こういう考えで、藤沢副社長と二人で早くから後継者を育ててきたわけです。そして、後継者が育ってきたら、私たちは早くバトンタッチすることがいい。」

として退任を決めたようです。

その準備は退任の10年程前から、「重役会にほとんど出なかった」という行動から一貫していたようです。

そこで、【条件①:トップがメンバーに自分の考えを押し付けない】に関連したことを、本田さんは次のように語っています。

「なぜ(重役会)に出ないかというと、私でも副社長でも、出席して「こういうふうにしたらどうだい」と役員たちに相談をもちかけると、こっちは相談のつもりでも、相手は命令と受け取っちゃうんですね。だから、われわれは出席しないで、若い役員たちだけで議論をしてもらう。(中略)こういうことをやってきたから、うちは若い人がどんどん育ってきたわけだ。」

 私は、人材育成担当者の交流で、青山の本田技研工業の本社で人事部の方から話しを伺ったことがあります。本田さんが引退され、お亡くなりになられて数十年も経つのに、社員一人一人のやる気と、強みを発揮する環境の醸成を第一に取り組む、「ホンダイズム」が脈々と受け継がれていることを目の当たりにしました。

例えば、これはどこの会社でも同じですが、「上司は部下を育てる役割を持っています」よね。そして、たいていの企業では、部下育成の取り組みを人事評価基準に入れる等、対策を講じますが、ホンダではもっと根本的に、「部下を育てられない上司について理解をしたうえ」で対策を講じていました。

お名前は失念しましたが、人材育成の責任者の方は次のようにおっしゃっていました。

「上司が部下を育てない理由は、優秀な部下に依存してそうでない部下に頼る必要がないからです。だから、ホンダでは優秀な部下を抱え込まないようにするために、高い人事評価を与えられた社員(部下)は、一定期間を経過すると他部門に異動させなければならない、という厳格なルールがあります。そのため、上司は、4番打者はいずれいなくなると分かっているので、次の4番打者、さらにその次の4番打者の候補を育てざるを得なくなり、自然に人材育成が促進するのです。」

この言葉はまるで、「重役会に出ない」ということを自らに課し、次世代に任せて育成を行った本田さんの智慧に倣っているかのようです。

実際にインタビューで本田さんは次のように語っています。

「これからも本田技研はいまのシステムでずっとやっていくでしょうね。今後、経営者に突発事故が生じても、経営自体はちゃんと回転していくだろうと、自信を持っていますよ。」

個人の自主性に依存するのではなく、育成が促進するシステムを講じて運用する。目から鱗が落ちる思いをしました。

続いて、【条件②:トップとメンバーが同じ絵を見ている】についてですが、本田さんの場合、あることがきっかけで、同じ絵を見続けてきた社員が、自分よりも優れた考えを持つに至ったことを痛感して引退を決意したと語っています。記者からの、「若い社員の人たちと、ものの考え方でギャップを感じるようになりましたか」との質問に対する本田さんの以下の回答は非常に興味深い言葉です。

「感じるですね。低公害エンジンの開発でも、私は開発に成功すればGMやフォード、トヨタ、日産などとこの排気問題に関しては同一のスタート・ラインに立てると考えた。ところがこれが若い人たちから猛反対を受けた。「社長は企業本位に立って排気ガス問題を考えているが、それはまちがいで、社会的責任の観点から開発に努めるべきだ」というわけだ。全く彼らの言うとおりだ。」

全面的に社員の言葉に理解を示したうえで本田さんは自己を内省します。

「長く経営にたずさわっていると、どうしても経営の苦労がしみ込んで、つい経営というものを基盤においた話をしがちである。ところが、最近は企業の社会的責任が非常にやかましく言われだした。こうした急激な変化に対応するには、私も年老いたなということをはっきり認めざるをえない。こうした問題は、どこの企業でもかかえていると思うんだが、トップが早く認識するかどうかの違いだろう。それは、下の意見が上に通じているかどうかによる。」

さらに、経営にとって耳の痛い意見でも言いやすい環境を整えていたと本田さんは続けます。

「本田技研ではふだんから、誰でも私や藤沢副社長にずけずけものを言えるようにしてある。若い従業員は純粋な立場から企業責任を考えている。こうした意見が、すぐにトップに反映するようにしてあったとういうことは重要だと思う。」

そして、結論として自らのポリシーを語ります。

「経営者としては、従業員の心の中に生きることを考えていけば、自然と、企業の社会的責任の問題だって解決できると思う。従業員の心の中に生きることはいちばん大事なことではないかな。それは、大衆の心を知るという一つの基本なのだ。」

本田さんの言葉は、冒頭私が書いた台湾のオードリー・タン氏の言葉、

「感染対策で最も必要なことは、政府が国民を信じる(Trustする)こと。信じれば、国民が政府を信じ返して(Trust backして)くれる。」

に通じると思いました。人が人と心を通わせることが、成功の普遍的要因であることを、時空を超えて、お二人が教えてくれているようです。

【条件③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されている】については、インタビューでは具体的な話をされていなかったようです。しかし、経営上の重要情報が共有されていなければ、社員の育成にも成功できなかったでしょうし、社会的責任を果たすべきだという社員の言葉は出なかったと想像します。

本田さんにとって、会社存在の目的と事業の目標を達成するために、社員と経営の重要情報を共有して、一体化することはあまりにも当たり前すぎて、敢えて語るまでもないことだったのかもしれません。

2回に渡って、「経営の神様」と「昭和の名経営者」、お二人の金言を振り返り、答えのない時代に企業が継続的に成長発展していくための智慧を探りました。

次回は、現代を生きる経営者の言葉の中から、「創発を生じ、イノベーションを起こす」条件を探ってみたいと思います。

経営の神様の金言①(松下幸之助さん)

今日12月31日は、コロナウィルスの感染で世界中が大混乱に陥った2020年の最後の日です。来年はどんな一年になるのでしょうか? 日本でもワクチンの接種が始まり、抗体を持つ人が増え始めると感染者数も徐々に減少していき収束に向かっていく。そんな目途が1年以内に立つことを祈るばかりです。

感染収束のために、一人一人が感染を広げないように努力する必要はありますが、多分に不可抗力の面が大きいので、じっと、その時が来るのを待つしかない、という覚悟が必要かもしれません。ポイントは、どのような心持ちで「待つ」のかということだと思います。

年末年始の今こそ、来年はどんな過ごし方をするか、一人一人の知恵が試されるときです。

私にとって2020年は、このブログでこれまでの仕事経験を書き出したり、30年近く音信不通だった友人と再会したりした、「振り返る年」でしたので、来年は、「未経験のことに挑戦する年」にしたいと考えています。

そこで、「挑戦」を向ける先として考えているのが、次の2つのテーマです。

一つ目は、組織の視点から、私が考えた、「創発を生じ、イノベーションを産む条件」を企業に提案して組織に実装すること。

二つ目は、働く人一人一人の視点から、私が考えた、「3つの人生の座標軸」 ①良い人間関係 ②人生の目的 ③好きな仕事 を備えて、イキイキとして輝いている人が、企業に蓄えられるように支援することです。

いずれも、ブログに書いた、これまでの人事の仕事を通じて見聞きした、経営者や従業員のリアルな姿を通じて気づいたことがベースになっていて、私がライフワークとして取り組みたいテーマです。

私が2つのテーマに取り組むにあたり自身に課すことは、「多くの人との出会いの場をつくる」ことです。そして、自分のこと(やりたいこと、出来ること)を分かりやすく伝えて関心をもって頂く。そして、先入観なく、お話しを聞かせて頂いて、自分が出来ることを提案、提供し、喜んで頂いてお一人お一人と信頼関係を築く。そういう好循環を起こしていきたいと思っています。

初対面の人に関心をもって頂くためには、私がお伝えする言葉に誤りがあってはいけません。そこで、「創発が生じ、イノベーションが産まれる条件」について、以下3つの条件の妥当性を検証してみたいと思います。

条件①:トップがメンバーに自分の考えを押し付けない

*前回までのブログでは、「トップがメンバーに答えを求め過ぎない」と書きましたが、トップが、自分が持っている考え(答え)に固執して、これをメンバーに押しつけると、創発が生じにくくなるという方が適切と考え訂正しました。

条件②:トップとメンバーが同じ絵を見ている

条件③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されている

これらを念頭に置いて、成功した経営者が語った言葉を確認していきます。まずは、「経営の神様」、松下幸之助さんの言葉です。

「今はインターネットとデジタルの時代。AIが人間にとって代わろうとしている、そんなときに大昔の人の言葉を引き合いに出しても、あまり意味がないのでは?」と反論される方がいるかもしれません。

私も少し自信がなかったのですが、あまりにも有名すぎる松下さんの言葉と逸話を読み返したところ、いまでも色あせていない金言にあふれていました。

これまで数えきれないくらいの多くのリーダーたちが、その拠り所としてきた松下さんの言葉が果たして、私の掲げた「イノベーションの3つの条件」と符合するでしょうか。

参考にしたのは、東洋経済のインタビュー「松下幸之助縦横談(1953年8月15日2588号)です。

まず、【条件①:トップがメンバーに自分の考えを押し付けない】に関連することを述べておられますので抜粋します。

「皆が僕にワンマンというが、なるほどワンマンのような形であるけれども、僕自身ワンマンではない。僕の知慧というものは全社員の知慧の一端をもらい、そこでカクテルにして要するに返還しておるのです。僕は権力的なワンマンではない。皆の代弁者になっておるだけで、要するにアメリカの大統領のようなもので、社員の意志を意志としてやっておるわけですな。」

「この頃は非常に高度な技術が必要でしょうだから実際のところ、わからんことに頭を使わないようにしております。それより皆の働いておる姿を、枯らさないようにせねばいかん、これを伸ばすようにすることが、自分の仕事でもあり、立場でもあると思っているのです。だから僕は技術者に対して、もっといいものにしてくれんかというと、ではどうしたらいいですかという。そんなことはわからん。君が考えよ、と僕はいいます一分でしまいですわ。」

松下さんは、結果に対して絶対に妥協しない非常に厳しい方だったそうですが、これらのコメントを読むと、一方的なトップダウンで押さえつけるのではなく、社員の意志とアイデアを経営に生かすことに苦心されていたことを垣間見ることが出来ます。

また、社員の力を生かしたのは、ご自身が病弱であったこと、また、学歴がなかったからそうせざるを得なかったという次のコメントも興味深いです。

「その当時、相変わらず肺が一向によくならない。(中略)それですから勢い人に仕事をしてもらう。これが却って伸びた所以だと私は思っています。余り自分が偉いのはいけません。余り偉い人の下では人間は育たない。一概にはいえませんが、総じてそうです。私はそんなに学校に行っていないので、今も手紙一本自分で満足に書けません。だから人に頼む。そうすると思いは千里を走るというふうにもいくのです。要するに私が体が弱かったこと、学問がなかったことが却って私に幸いしております。」

ここでおっしゃっている「偉い」というのは、「威張っている」という意味ではなく、「優秀過ぎる人」、というのが本意だったのではないでしょうか。そういう人の下では社員はいつまでたっても主役になれない。だから育たないということをおっしゃりたかったのではないかと想像します。

続いて、【条件②:トップとメンバーが同じ絵を見ている】に関連してつぎのような発言をされています。有名な「水道哲学」の解説とその扱いについてです。

「それは昭和七年五月五日です。その時は職工さん以外の所員―社員でなく所員といっておりました。製作所ですから、百数十名を電気倶楽部に集めて、松下電器の使命というものを宣言したわけです。今までわれわれは無自覚に、社会通念に基づいて勉強してきたけれども、今日只今からそれだけじゃなく、そのほかにわれわれは目醒めたところの一つの使命にたたなければならない、というて水道の水の話をしたんです。水道の水は、つまり加工したもので必ず値段がついている。が、道端の水道をひねって渇を癒やす。これは盗むわけです。けれども水を返せと言っても誰も咎めない。それは水があまりにも安いからです。安いのは量が多いからです。ところが電気器具にしてもその他のものにしても、実際の効果からいえば水よりも力のないものです。それが値が高くて、盗んだら咎められるということは、量が少ないからです。だから水のようにすべての物資を作り出すということが必要である。そうすると貧からの悩みがなくなってくる。四百四病の病より貧ほどつらいものはないといわれているが、その貧困をなくすることがわれわれの使命や。われわれの仕事というものは物資を無尽蔵に作って貧をなくするということです。ところが物だけではいかん、人間の心の問題もある。それは宗教家におまかせするとして物の方なら自分の力によって多少づつでもできるわけです。そうすると宗教と同じで尊い仕事や、心の渇を癒すか、物の渇を癒すか、いずれにしても尊い仕事や。われわれはこういう尊い使命に生きようじゃないか、というふうに指導精神を確立したわけなんです。」

昭和七年で、既に、社員と社会から共感を得られる事業の目的を定めて「指導精神を確立した」というのは、日本におけるビジョン経営の先駆けだったのでしょう。松下さんが、もし今の時代に生きていたら、いったいどんなビジョンを掲げるでしょうか。きっと、世界の潮流において日本が果たすべき役割を分かりやすく言葉にして、みんなにいいねと言われる絵を見せてくれたに違いありません。

最後に、【条件③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されている】について、松下さんはどう言っていたでしょうか。

「二百人なり二百五十人の規模になった時、はじめて事業家としての使命がなにかあるんじゃないか、それはどこにあるのかということを考えた。それはどんな考えかというと、当時個人経営でしたが、この仕事は個人のものと違うと思った。世間から委託されているものであって、だからその委託者に対して忠実に仕事をすることが、事業家としての使命である。こういうことを考えた。だから私事を許さない。それ以来は個人経営だけれど個人の金と店の金を区別した。そしてずっと毎月決算して、当時幹部もできていたので、その幹部にも見せ、今月は諸君の努力によってこんなに儲けたと、毎月利益を発表しました。」

ここでは、松下電器が、個人商店からパブリックカンパニーへと脱皮する姿が語られています。それは、事業家として果たすべき使命だと。そして、まずは公私を区別する。そして、公の部分に関する情報は社員と共有して目標達成に向けて一体感を醸成したのだと思います。経営上の重要情報の共有は、個人商店とパブリックカンパニーとを分ける一つの重要な指標になりそうですね。

これらは偶然なのか、必然なのかは分かりませんが、「経営の神様」が、私が考えたイノベーションの条件について、ずっと昔に言及されていたことを知り、とても勇気づけられました。

次回はもう一人の「神様」、昭和の名経営者、本田技研工業の創業者「本田宗一郎さん」の言葉を確認してみたいと思います。

イノベーションを産む仕組みと運用③

今回は、上質なビジョンを示し、メンバーと共有しながら、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

を念頭に置きつつ考察したいと思います。

先のブログで、経営上の重要情報が労使間で共有されていないことで生じる問題を理解するために、経済学の理論、「情報の非対称性」が参考になると述べました。「情報の非対称性」における、プリンシパル=エージェント関係は、企業における、プリンシパル(トップ)、エージェント(メンバー)関係に置き換えることが出来るからです。

この理論では、プリンシパル(トップ)とエージェント(メンバー)の双方で情報の共有ができていない状態、つまり、「情報の非対称性」があると、エージェンシー・スラック(モラル・ハザード)が生じて、エージェント(従業員)が、プリンシパル(経営者)の利益のために仕事を任されているにもかかわらず、エージェント(従業員)の行動に歪みが生じるとされます。

つまり、「情報の非対称性」を解消して、エージェンシー・スラック(モラル・ハザード)を防がないと、経営者と従業員の間に、本当の意味での「信頼」が築かれないということになります。「信頼」とは、「心理的安全性」に不可欠な条件です。そして、「心理的安全性」が担保されないと、トップとメンバー、またメンバー同士が腹を割った話ができず、創発は生じにくい、という結論が導かれるのです。

もうひとつ整理しておきたいことは、トップがメンバーに対して、経営上の重要情報を共有する意図、目的について、です。メンバーの日常業務にはほとんど関係のない情報を、トップがわざわざ開示するのは何故なのでしょうか。

この疑問を解く近道は、企業経営者から直接話を聞くことです。私がこれまでに関わった複数のベンチャー企業経営者によると、その目的はいずれも一致していて、

「メンバーに経営者意識をもってもらい、事業の発展に全力で貢献して欲しい」

とのことでした。

ベンチャー企業の急成長を支えるのは、言うまでもなく、メンバー一人一人の事業への強い参画意欲と高いモチベーションです。そこで、トップは、メンバーに対して、自分と同じ目的意識をもって熱心に仕事に取り組んでもらいたいがために、経営の重要情報を「知っておいて欲しい」と考えるのだと思います。

そんな、ベンチャー企業経営者が目指す労使関係を一言で表現する言葉がないか調べていたところ、偶然、

「経営パートナーシャフト」

という言葉を目にしました。

「経営パートナーシャフト」とは、ドイツの経営学者、ギード・フィッシャー(1899~1983)が1955年に著した「労使共同経営」という本で述べた概念です。

労使は対立する存在ではなく、経営のパートナーであるべきという考え方で、現在のドイツの労働法制は、フィッシャーの考え方が反映されていて、アングロサクソン流の市場原理に基づく労働観とは一線を画した、ドイツ的企業経営と雇用の基本軸として具体的に各企業に浸透しています。

では、「経営パートナーシャフト」を成立するために、トップとメンバーが、それぞれ果たすべき役割とは何でしょうか。

私が福岡の会社で勤務していた時に、研修講師をお願いするなど、相談に乗っていただいた、雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんが、最近出版された著書の中でフィッシャーの、「労使共同経営」について詳しく解説されていますので、やや長文ですが抜粋します。

従業員も企業のパートナーということになると、賃金と引き換えに単なる労務を提供する労働者を超えた責務を負うことになるのでしょうか。まさにその通り。同書で「協働者に課せられた要件」として並んでいる四要件を読むと、共同体のメンバーとしての責任が強く期待されていることが分かります。(63―64頁)。

(1)従業員はすべて、自己の最大の労働能率を経営共同体のために発揮しなければならない。単に量的・質的な物質的形態の面においてではなく、労働意欲と労働の喜びという思想的・精神的な形成の面においてもそうでなければならない。

(2)すべての個人は、自己の労働能率に対してだけではなく、協働者への人間関係に対しても、ひいては全体の経営共同体に対しても、個人としての責任を感じなければならないし、また、個人としての責任を負う用意が必要である。

(3)したがって、従業員ひとりひとりが自己の専門的・性格的特性の最高のものを経営活動のなかに投入し、さらに、いかなるときにもこれらの特性を十分に発揮する用意がなければならない。この点について会社側は、従業員ひとりひとりを人間性の陶冶というプログラムの中で援助する必要がある。

(4)従業員同士の関係や、上役と部下の関係は、真の仲間意識から生まれるものでなければならない。

これはまた、日本的経営の教科書にそのまま登場してもほとんど違和感のない言葉です。繰り返し「労働能率」が強調されていますが、能率を高めるために必要なのは尻を叩くことではなく、「社内の信頼の一致」であり、「経営全体への関心」であるというのも、職場レベルでの積極的な参加という意味で、日本的経営における小集団活動や自主管理活動と通ずるものが感じられます。

(中略)

労働者には「彼の仕事を遂行するのに、この責任そのものを引き受ける用意がなければならない」のですが、そのためには「各人が被個人の責任領域を認め、それを全体の経営組織ならびに経営の職能の中に組み入れる必要」があり、それは「会社側から従業員に対して、その経営体の意義や使命、ならびに個々の受注について、あるいは、経済状態、産業界の経営状態などについて、さらには、環境の変化に伴って、財政的・収益的・資産的にまったくか、あるいは詳細に報告されていないときには、不可能である」からです。「これが達成されてはじめて、両方のパートナーの実際面の利害の一致を合わせうる」という表現には、ドイツの共同決定法制こそが経営パートナーシャフトを支える基盤であるという認識が垣間見えます(70頁)。(働き方改革の世界史 濱口佳一郎/海老原嗣生「ちくま新書」より)

つまり、海老原さんがフィッシャーの言葉を引き合いにして解説している通り、

「従業員に、経営のパートナーとして、その能力と意欲を存分に発揮してもらうためには、経営に関する重要な情報を開示しなければならない」

ということがポイントだと思います。このことは、多くのベンチャー企業経営者が、

「メンバーに経営者意識をもってもらい、事業の発展に全力で貢献して欲しい」

と望み、その実現のために、経営の重要情報を開示し、共有していることと符合します。

では、経営の重要な情報が共有されさえすれば、トップとメンバーは経営のパートナーとして一致協力して、事業の発展にまい進するものなのでしょうか。

それでも、依然として、経営者の悩みは尽きないと思います。重要な情報を開示し、共有したにもかかわらず、メンバーが本気になってくれず、望んだ行動を見せてくれない、と嘆くトップが後を絶たないのではないでしょうか。

私はそこには二つの原因があると考えています。

一つ目は、

「各人が果たすべき役割と責任領域があいまい」

なこと、です。この課題を解決する方法について、私は、先のブログ「第36回_イノベーションを産む仕組みと運用①」で、「新日本型雇用」として、役割の明確化の重要性と効果について述べました。

二つ目は、経営の重要情報を開示している企業の多くが、情報を共有する本当の目的について説明が不足しているのと同時に、情報の受け取り方がメンバーに委ねられ過ぎていることがあるのではないかと思います。

つまり、日本のようなハイコンテクスト文化では、「文脈から行間を読み取る」ことが「情報の受け手に委ねられがち」なので、企業内においても、そのような文化の影響を受けて、無意識のうちにメンバーに、「トップの意を汲むこと」が求められてしまうのではないかと思います。

二つの目の原因についてある事例を紹介したいと思います。私が勤務したある上場企業での出来事です。

この会社では、プレスリリース(報道機関へ情報開示)をする場合、その発表時刻の直前に、経営から管理職へ、次に部門長から一般社員に向けて、開示情報についての説明が行われていました。自社の重要情報がネット経由で社員に伝わることがないように、との経営から従業員に対する配慮からだったと思います。

この会社は、ある時、事業の失敗で財務に問題が生じ自主再建が難しい状態に陥りました。そこで、新株を発行して業界のリーダー的存在だった競合会社にその株を引き受けてもらい、資金を調達して解決を図ろうとしました。

そんな、社会、市場に対してそれなりにインパクトのある情報が開示される直前に、いつものように私たちは、事実を知らされました。

多くの社員は、自社が苦境に陥っていることはおおよそ理解していましたが、まさか競合会社に助けを求めなければならないほど深刻な状況になっていたことを知り、衝撃を受けました。

それと同時に、経営の態度が、あまりにも淡々と事実を伝えただけだったことに、さらに大きなショックを受けたのでした。対外発表の前に、従業員に向けて情報開示する社内ルールがあることは分かっているものの、

「その事実を、私たち社員一人一人に、どのように受け止めて欲しいのか」

という経営の気持ちを表す言葉が見当たらなかったのです。

その時、私は気づきました。単に事実を知らせるだけではむしろ逆効果で、情報を開示する目的をはっきりと言葉で伝えなければならない、と。

その会社は、その後、不採算事業からの撤退を引き延ばした結果、全社の屋台骨を揺るがす程に負債が膨らみ、最終的に外国企業の100%子会社となり上場廃止になりました。

また、新株を引き受けて私たちの会社の苦境を一時的にではありましたが救ってくれた業界のリーダー的存在だった企業も、結局経営不振に陥り、外国企業の傘下に入り再建を果たしています。

私たちは、ドイツの、経営パートナーシャフトを参考にしつつ、原則に立ち返って、労使共同経営の基盤を築かなければなりません。その方向性は、トップとメンバーが経営の重要情報を共有すること。そして、情報共有の目的は、より明確に、

「創発によりイノベーションを産み出すこと」

という一点に絞ることが肝要かと思います。

そこで、トップには、メンバーと共有すべき経営の重要情報の質を担保するとともに、その開示目的を説明し続けて、徐々に説得力を高めていく、実践知としての賢慮(フロネシス)が問われることになります。そして、賢慮(フロネシス)が身に着くような、良い実践を積むためには、私たちの先輩が歩んできた歴史を俯瞰して、現在、私たちが直面している状況を正しく理解しておく必要があります。

東京大学東洋文化研究所教授の中島隆博先生によると、かつて古典主義と呼ばれた時代における経済は、富が物々交換に基づいていた。それに対して、近代における富は、生産に基づいている。そして、その生産を支えるのが労働する人間であり、人間の労働を通じて、モノが生産され、富を増やすモデルであったと述べています。

そして現在、モノは、情報や出来事というコトに置き換わり、人間はその「差異」を消費し、ある時は、その「差異」そのものとして消費されており、そこにはもはや「主体」としての「人間」の存在は消滅したと述べています。そして、人間の最後の砦として、消費されない者とは何か?という問いを立てられています。

中島先生は、消費されない者として、

「労働や消費から解放された人間」

の姿を模索しています。

そして、人間にとっての価値は、「所有」すべき何か(商品の転用)ではなく、人間的になる人を予想することで、それはbeingやhavingからの解放であり、Human Becoming(人間になる)、さらには、Human Co-becoming(共に人間になる)に向かっていると述べています。

つまり、トップがメンバーを、経営のパートナーに位置付けたいならば、「人間になるための教育」が必要である、ということになります。

ここで述べた教育の「教」とは、情報を伝えて頭で理解させる、ということです。トップの思い、経営の状態、そして情報共有の目的(メンバーに望むこと)を正しく、誤解なく伝える、ということです。

一方、教育の「育」は育むということで、「教」の目的が、Ability(知っている)状態にすることだとすると、「育」の目的は、Capability(出来る)ようにすることです。

企業の永続的発展を実現するカギは、「差異」を消費し、「差異」として消費される人間ではなく、再び「人間になること」が問われていることに、トップが解を出せるかにかかっているのです。

トップはこの問いに向き合う時、自らの思いと感情が自然に表出するでしょう。そして、それに呼応して、メンバー同士は互いに結び付き、共同体が醸成される。そんな、真の労使共同経営を実現する企業には、自ずと創発が生じてイノベーションが産まれるのです。

このような企業がどんどん増えて、日本の未来が明るくなることを、私は夢見ています。

これまで4回に渡って、イノベーションが産まれるのを阻む3つの要因と、取り得る取り組みについて述べました。

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

対策:トップは、メンバーが果たすべき役割と責任の範囲を明確化して労働契約を交わします。そこで定めたこと以外は自由を与えて自発的に創発が生じるよう促します。

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

対策:トップは、人間至上主義(人間の真の幸福の実現)に基づく普遍的なビジョンを描き、これをメンバーと共有します。

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

対策:トップは、メンバーと共有すべき経営の重要情報の質を担保するとともに、その開示目的を説明、説得する能力を、継続的に高めていくことが出来る実践知としての賢慮(フロネシス)を身に着けます。自らメンバーを育成し、彼らが各々の知恵と知識を共有せしめることによって、創発を生じさせ、イノベーションが産まれる共同体を醸成します。

今後のブログでは、人事が果たし得る創発とイノベーションの役割についての気づきと、視点に基づいて、広く社会全体を見渡し、様々な組織と人々の様子について書きたいと思います。

さらに、社会を見渡す中で、新時代の幸福論(回遊魚として生きる)で私が述べた3つの人生の座標軸 ①良い人間関係 ②人生の目的 ③好きな仕事 を備え、「身近な人との親密な関係を基盤にして、好きな仕事が出来ていて、人生の目的を意識している」という、理想の生き方をしている人々についても書き続けていきたいと思います。

イノベーションを産む仕組みと運用②

前回に続き、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

を基にして考えたいと思います。

繰り返しになりますが、トップとメンバーが、「同じ絵を見ていない」とは、「ビジョンが共有出来ていない」状態のことです。ビジョンが共有できないと、創発の目的が曖昧なままで、矢印を向ける対象が定まらず、メンバーの知性を結集することが出来ないのでイノベーションが産まれない、と考えられるのです。

トップは成り行き任せ、つまり、空気に流されずに、メンバーとビジョンを共有することに熱心に取り組んで、メンバーが常に、望ましい「心境」になるようにメンテナンスしなければなりません。

それにもかかわらず、トップは、ビジョンを描き、それをメンバーと共有する取り組みに失敗しがちです。それは何故なのでしょうか。今回は、私が見た典型的な失敗例から書き始めたいと思います。

ある企業の人事を担当していた時に、トップから、「従業員意識調査」の実施を指示されました。

私は人事面談や日常的な雑談を通じて従業員が経営陣を信頼、信用しておらず、相当な不満を持っていることを知っていました。意識調査をするとポジティブな意見よりも、様々な不平不満が噴出し、経営もそれらに正しく対応する術を持ち合わせていないので、きっと収拾がつかなくなるだろうと考えて、実施の期限を示されなかったことを盾にして、対応を引き延ばしていました。

いつまで待っても調査を実施しないことに業を煮やしたトップは、私を呼び出し叱責しました。私は、調査のリスクを説明して延期を提案しましたが、

トップは、

「やれと言ったら、やれ」

の一点張りで、実施は避けられなくなりました。

私は仕方なく、単純な意識調査よりもネガティブ要素が出にくい、「エンゲージメント」調査をすることにしました。従業員に分かりやすいように質問項目を設定して、手づくりで実施しました。

結果は、ネガティブ要素が出にくいように工夫したにも関わらず、大半の従業員が、今にも離反してしまうのではないかと思われる程の、経営への不信感、事業継続への不安、継続勤務に対する意欲の低下がはっきりと読み取れる散々な内容となりました。

経営陣への報告会の際、私の率直な報告に対して、トップは言葉を詰まらせて、

「どうしたらいいんですかね。」

と、私に質問しました。私は、実施前にリスクを伝えており、それでもトップダウンで強行したことを承服していなかったため、

「それはあなたの考え次第」

との本音を隠しつつ、明言を避けました。

一向に火消し役を志願しない私を一瞥したトップは、一人の役員に顔を向け同じことを言いました。すると、その役員はトップに忖度したのでしょう、

「人事が対応しないようなので私が対応します。」

と言い出しました。

続けて、

「従業員のフリーコメントには、直視すべきものと、取りに足らない無視してもよいものがあるようなので、対処すべきものだけに絞ればよいと思います。」

と根拠に乏しいことを発言しました。すると、あろうことかトップは、安堵の表情を浮かべ、

「それでは、後はよろしくお願いします。」

と言い残して会議室から出て行ってしまいました。

私は、この時のトップが見せた態度から、経営者として、最もしてはならないことを見せつけられた思いがしました。彼のいったい何が問題だったのか、それから、何度も何度も考えました。

そして、ある考えに至りました。彼の犯した最大の失敗は、

「従業員の声を真面目に聞こうとしなかった」

こともさることながら、意識調査以前の問題として、

「従業員と一緒に目指したいビジョンを示すことができなかった」

ことだと気づきました。従業員が自分と同じ絵を見る仕掛けもせず、興味本位で意識調査を強行したことが問題だったと気づいたのです。

このトップは、そもそも職場にいることが少なかったのですが、稀に特定の従業員と会食を催すことがありました。

従業員と向き合い、本音を聞き出す絶好の機会であるにもかかわらず、そんな場で彼の口から出るのはいつも、

「上場を目指す」

という言葉でした。

顧客満足やサービス向上の課題、また、従業員のモチベーションに真正面から向き合うでもなく、出てくる言葉は「上場」。

ある従業員が、

「なぜ上場を目指すんですか」

と質問した時、彼の回答は、

「え?上場すれば経済的にも恵まれるし良いに決まってるじゃない」

でした。

その言葉を聞いた時、従業員たちは何を感じたでしょうか。彼らは、「上場」は、トップが、「大金を手にしたい」と思っているからで、

「自分達や事業は、その道具に過ぎないんだ」

という冷ややかな受け取り方をしたそうです。

そんな、従業員の気持ちに鈍感で、自らの言説を変えることなく、ひたすら「上場」を唱え続け、自身の言動を反省も内省もしないトップの下で、その会社は、当初の資金調達には成功したものの、計画通りに事業を発展させることが出来ず、赤字体質から抜け出せないまま、従業員の離職も相次ぎ、上場できる状態とはどんどんかけ離れたところへ彷徨って行ってしまったようです。

では、このトップは、もし「上場」という目標を実現したければ、一体何をしなければならなかったのでしょうか。私は、その鍵は、トップと従業員が共有する

「上質なビジョン(絵)」

を持ち得るか否かにかかっていたと考えています。

人は、どんな時にトップ、つまりリーダーを信じ、ついていこうと思うでしょうか。

私ならば、

「この人についていったら、もっと良い世界を見せてくれるに違いない」

と信じた時、その人についていきたいと思うはずです。

この、「もっと良い世界」とは、

上質なビジョン

のことです。

かつて、日本全体が貧しく、物不足だった時代においては、

「経済的に恵まれた豊かな世界の実現」

をビジョンに掲げて見せさえれば、ほぼすべての人はついていったはずです。しかし、いまは違います。「上質なビジョン」とは、地球規模の問題解決に貢献するというアジェンダ。

つまり、

真の人類の幸福

の実現に寄与出来るか、という問いに対する答え、哲学に昇華しているのです。

最近、テレビ等に出演する、経済人や知識人と呼ばれる人の胸に、SDGs(持続可能な開発目標)のバッチがつけられているのを頻繁に見かけるようになりました。

SDGsは、誰も疑う余地のない事実であり、正論です。しかし、その事実をどのように解釈するかは人間に委ねられます。

個人の解釈、つまり主観の部分については、これはSDGsに限りませんが、極論するといくらでも嘘がつけてしまうのです。企業のビジョンも、トップの主観次第でなんとでも言えてしまう。だからこそ、何を示すかが問われるのです。

メンバーにとっては、トップの嘘を見抜くことはそれほど難しいことではありません。メンバーは大抵、これはどの企業でも同じだと思うのですが、トップの言葉、示す絵とその言動が一致しているかを厳しく観察しています。そして、そのトップが、本気ついていくのに値する人物か、それとも、必要最小限のことしかしないかを判断するのです。

もし、メンバーが本気にならず、企業の発展に全力を尽くしたいと思わなければ、創発は生じず、イノベーションも産まれません。だから、トップが示すビジョンの質が企業の存続そのものを決定するといっても過言ではないのです。

では、メンバーが、本気で力を発揮したくなるようなビジョンを示すことができるリーダーとは、いったいどのような条件を兼ね備えている人なのでしょうか。

私は、

皆の幸福を実現したいという高い精神性と倫理

を備え、

自分を常にバージョンアップし続けなければならないと考え、実際に実践している人

ではないかと考えています。

「会社はトップの器以上には大きくならない」

という言葉は有名ですが、それはこういったことが背景にあるのかもしれません。

「ビジョン」について、もう少し深堀します。

トップがビジョンを考える上で不可欠なことは、人類が歩んできた歴史と現在の立ち位置に関する深い洞察です。

最近、「BS1スペシャル“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス」を視ました。

「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の作者であるイスラエルの歴史学者、ユ・ヴァル・ノア・ハラリの思想を解説する番組だったのですが、この中でハラリ氏が、私たちが「上質なビジョン」を考える上で参考になることを語っていたので下記します。また、文末には参考情報として「サピエンス全史」の概要を記します。

人間は、知能(問題解決能力)と、意識(感情や主観=物事を感じ取る能力)を組み合わせて問題解決を行ってきた。しかし、現在は、AIが人間よりもはるかに高い知性を持つため、自ずと問題解決をAIに頼る傾向が際立っていて、投資先のほとんどは人間ではなくAIなどの知能に向けられている。

この傾向がさらに進むと、人間は、意識(感情や主観)を全く持たないAIに支配されてしまうだろう。AIは感情や主観のない人間とは全く別の存在であることを我々は自覚すべきだ。

よって、AIは知識に限定して活用し、我々人間は、自身の意識(感情や主観)を大切にして、失わないようにしなければならない。それは、どんなに新しい科学技術が開発されても

人間至上主義

を貫き通せるかにかかっている。「人間至上主義」を失うと、科学技術は暴走し、誰も止められなくなる。やがて、人間は、一部のエリート(多くの富を保有し神のように創造と破壊の力を持つ)と、圧倒的多数の無用者階級に二分されてしまうだろう。

この番組を視て私が至った結論は次の通りです。

「企業の存続(創発とイノベーションを継続的に起こす)には、トップが、

人間至上主義(人間の真の幸福の実現)

に基づく上質なビジョンを描き、これをメンバーと共有できるかにかかっている。」

前掲のユ・ヴァル・ノア・ハラリは、「ビジョン」のことを、

「フィクション」

と呼び、我々人類が幾多の革命を起こし得た能力と解釈しています。(その理由は文末の参考情報に詳しく書きました。)

私は、人類が持つ、フィクション(ビジョン)を共有する能力が、人間の幸福実現のために使われるのか、それとも、不幸をもたらすことに使われるのかを分かつのは、トップの精神性と倫理観、そして、人類が築いてきた「歴史」「人物」「古典」からの学びによって得た、知識と知恵に基づいて、どのような「主観」を持ち得るか、にかかっていると思います。

世界のリーダー達がリベラルアーツという学問分野を学び続ける理由は、正にこの、「主観」を形成するためです。人類の普遍的価値を身に着けて、正しいフィクション(上質なビジョン)を描き、メンバーと共有出来るようになるためなのです。

ビジョンを描くための学びの方法はリベラルアーツに限りません。人は個人的な経験をきっかけにして、客観的事実に対する見立て(主観)を劇的に変えることがあるからです。

一例として、これはある神奈川県の大手企業で実際に起きたことなのですが、その会社のトップは従来、従業員のメンタルヘルスについて無関心で、むしろ否定的な考えさえ持っていました。

社員がうつ病を発症して休職したという報告を受けても、発症の原因は個人が持つ何らかの因子がそうさせていると信じ込んでいて、会社として特段対処する必要はないと考えていました。

ところが、他社に勤める自分の子供が、職場の人間関係が原因でうつ病になった途端に、メンタルヘルスの取り組みの重要性を痛感し、自社において非常にしっかりとした制度を人事に命じて整備させたそうです。

愛する人が苦しむ姿を見て初めて事の重大さに気づいたのでしょう。これは、客観的事実が同じであっても、その人の捉え方次第で180度対応が変わってしまうということの分かりやすい事例です。

トップの皆さんにおかれては、是非、不確実性がますます高まる未来を、家族のように愛する人が苦しんでいなかったとしても、「人間至上主義」という一筋の灯明で自社と顧客とすべてのステークホルダーを照らして、メンバーをより良い世界へと導いていただきたいと願うばかりです。

次回は、上質なビジョンを示し、メンバーと共有しながら、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

を念頭に置きつつ考察したいと思います。

参考情報:ユ・ヴァル・ノア・ハラリの思想

「BS1スペシャル“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス」より。

歴史学者ユ・ヴァル・ノア・ハラリが2つの著作を通じて立てた問いは、「人類は果たして幸福になったのか」ということだった。

サピエンス全史では、人類の歴史を俯瞰しつつ3つの改革を描いた。

ホモ・デウスでは、科学革命によって生ずる未来予想を描いた。

人類はこれまで3つの改革に成功した。

認知革命は7万年前、農業革命は1万2千年前。

そして、目下、グローバリゼーションによる人類の統一の真っ最中である。人間は益々高度な技術を発明し、近い将来、あたかも神のように生命を操ることが出来るようになるだろう。

かつて、人類には多くの種族がいた。最も大きな勢力が、約250万年前に誕生したのが私たち「ホモ・サピエンス」と「ネアンデルタール人」だった。

フィジカル面では、ネアンデルタール人が、私たちホモ・サピエンスよりも優れていた。

一方、認知力面では、私たちホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人よりも優れていた。

ネアンデルタール人は実際に見たことしか信じなかったのに対して、ホモ・サピエンス「フィクション」を信じることが出来た。

ホモ・サピエンスは、「フィクション」を考え、選択し、多くの人と共有することによって仲間になり、集団で協力して行動することが出来るようになった。ホモ・サピエンスが体力で勝るネアンデルタール人に勝てたのは、この一点だけだった。

ホモ・サピエンスは、やがて、「フィクション」を集団で共有して文化を築き、文化はより広範囲に統合されて文明へと発展していった。そして、文化から文明へと拡大した背景には宗教があった。為政者が神との関係によって権威を得て、帝国が築かれ、貨幣が広範囲で共有され、現在に至る資本主義が誕生した。

20世紀になり、グローバリゼーションが進展し人類統一へ。これらは全てホモ・サピエンスだけが成しえた、「フィクション」を描く能力の成せる業だったのだ。

イノベーションを産む仕組みと運用①

前回は、メンバー間の相互作用によるイノベーションのきっかけは「創発」であること。また、創発は、トップの掛け声だけでは生じず、マネジメントの仕組みを講じて、これを適切に運用することによって偶然から必然的に生ずるようにすることが出来るとの考えを述べました。

そして、マネジメントの仕組みを講ずる際には、やるべきことを考える前に、やってはいけないことを押さえておく必要があり、私が経験で得た、創発が生ずるのを阻害する3つの要因について書きました。

創発を阻害する3大要因とは、以下の通りです。

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

今回は、

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

を基にして、トップがメンバーに対して講ずるべき、マネジメントの仕組みと運用について、考えてみたいと思います。

「成果を求め過ぎる」ことの弊害として、メンバーが、過去の延長線上にはない新しいアイデアが出せなくなることを問題提起しました。

例えば、トップが、

「新規事業や、既存商品のシェア拡大策を考えろ。」

などと、メンバーに具体的な答え(成果)を求めると、それが足かせとなってメンバーは自由な発想が出来なくなります。

命ずることが具体的であればあるほど、どうしても本来業務の範疇(既存の評価軸)で発想を強いることになり、心理として失敗を避けるべく、出来ないこと、やれないことに意識が向いてしまうのです。

創発は、一切の制約と懸念が取り払われた環境で、自由にアイデアを出し合うことが必要ですので、トップがメンバーに与えるのは、大きくて、漠然としていて、極力抽象的なテーマが効果的なのです。

とはいえ、トップとしては、

メンバーを完全に自由にさせるということには抵抗があるはずです

そもそも、信じて任せる、ことと、自由放任にすることとは同義語ではありません。あくまで、マネジメントの仕組みに基づいてメンバーに自由に発想させて、創発が生ずるのを促すのです。

そこで、まずは、

各個人が果たすべき役割、やるべきことなのかを明確にして

それ以外の部分は自由にさせるという段取りが必要です。

ところが、多くの日本企業では、トップの人間観、組織観によって、マネジメントの方向性が、自由放任主義か、管理・監視主義かに二極化していることが多く、その中間をなかなか見ることがありません。

それは、トップによるマネジメントの経験が、「成功体験」が勝る場合は、労使強調による自由度の高い方向へ。一方、「失敗体験」が勝る場合は、自主性を認めない強権的な方向へと、二つに分かれていき、ある時点で均衡が生じて、組織文化や企業風土として定着していくと考えられます。

自由放任主義、管理・監視主義のいずれにおいても、イノベーションが必然的に産まれる創発を生じさせるためには、

マネジメントの仕組みとして、メンバーのやるべきことを明確化して、これを約束事としてトップとメンバーの双方が合意している必要があります

そして、やるべきこととして定めない(定められない)部分をあえて設けおき、その部分については、自由度を与えることで、創発が生じ易い環境を整えることが出来ると思います。

次に、メンバーのやるべきことを明確化する方法について考えてみます。

やるべきことの明確化というと、すぐに思いつくのは「職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)」です。

日本を除く多くの国では、労使間で締結する労働契約には、必ず職務記述書がセットになっています。労働契約の前提として、果たすべき職務が明確化されていて、その職務の難易度や業績に与えるインパクトの大きさに応じて等級と報酬が決まります。

日本以外の多くの国では、まず職務が存在していて、そこに人を割り当てるという考え方が主流なのです。これが昨今、話題になっている「ジョブ型」制度の基本的な考え方です。

日本では、労働契約は緩やかに、あいまいさを含めた形で締結しておいて、入社後の環境の変化に応じてフレキシブルに職務を変えていくという方法をとります。このため、社内での雇用流動性を確保しておけるので、不況時でも大きなリストラをしなくても良いというメリットがあります。

反面、個人間の職務内容の違いをダイレクトに報酬に反映しにくいため、不公平感が生じやすいというデメリットがあります。

そのため、これまで日本では、従来の、能力本意の、終身雇用、年功序列に基づく人事制度の見直しが行われてきました。苦心の結果、欧米的なジョブ型(職務主義)と日本的な能力型(職能主義)の中間に位置する、「役割」をベースとした等級制度と報酬体系が普及しました。

先輩たちが日本的労働環境に即して苦心して考案した「役割型」を、「ジョブ型」にシフトする、というのが昨今の世の中の流れなのです。

その背景として考えられるのは、法律改正により増えすぎた非正規雇用と、正社員との区別が曖昧となり、両者の違いに合理性を持たせるために同一労働同一賃金の原則を徹底する必要性が生じていることが考えられ、その解決の方向性として、職務基準を明確化して、各職務の実態に応じてダイレクトに処遇することが必要、との考えが勢いを増しているのではないかと想像します。

しかし、理想は良いですが、「ジョブ型」の普及はあくまで机上の話しで、その導入は非常に困難です。

なぜならば、

「人に仕事を割り当てている」

実情を、

「職務を人に割り当てる」

という、正にコペルニクス的な大転換を伴うからで、職場には大きな負担を強いて、各方面に様々な影響をもたらします。

「ジョブ型」の導入手段としては、まず、メンバー全員の職務内容の洗い出しを行うことから始まります。次に明らかにした職務は、一旦、その担い手から切り離され、本来誰が担うべきかが検討され、改めて各個人に割り当てられます。

すると、必ず実態とのギャップが生じます。そして、「そのギャップは誰が埋めるのか」という論争が生じるはずです。理論上生じた人員の過不足は、人事では解決出来ませんので、職場単位での解決が求められるはずです。

結果として、一般社員については、「ジョブ型」で「やるべき仕事」と「やらなくてもよい仕事」が明確化されます。そして、誰が担うべきか曖昧になった職務は、暫定的に管理職以上がカバーするという、いびつな状況に陥ることが予想できます。

または、従来1.5人分、2人分の職務をこなしていたハイパフォーマー一般社員の職務を、敢えて限定することによって、周囲の社員との整合性を図り、且つ処遇変更するという、当人にとってはアンハッピーな措置を講じなければならなくなる可能性もあります。

さらに、実際に職務を個人に割り当ててみないと人件費が試算できないという問題も生じて、明白な混乱が経営の目にも留まる段階になって、やっと「ジョブ型導入断念」が決定するでしょう。

このように、ざっと想像しただけでも「ジョブ型」導入には様々な課題があり、日本の企業には普及が難しいのではないかと思います。

そこで、私たちが今考えるべきなのは、イノベーションが産まれることに寄与する制度、仕組みとしての、「新日本型雇用」を考案するということです。

「新日本型雇用」とは、企業ごとに異なる競争環境、またその影響を受ける社内業務に応じた現実的で、合理的な人事制度のことです。最小単位のタスク(作業)を洗い出して、それらをジョブ(職務)という単位でグルーピングして、最後に、一人一人が果たすべきミッション(役割)に集約する、構造的にやるべき仕事が明確化された人事制度です。

構造化のステップですが、まず、最小単位であるタスクをマニュアルで定義することから始めます。マニュアルとは、本来、誰でも出来るように仕事の方法を共有化するためのものですので、一切の属人性を排除する必要があります。マニュアル化が難しいタスクについては、職務記述書で定義します。

次に、職務記述書は、ジョブを定義するためのものです。構造としては、複数のタスクを束ねることによって定義されます。職務記述書からも属人性を排除する必要があります。

尚、タスクとジョブは、継続的に改善と改良が加えられるべきものですので、マニュアルと職務記述書は常に改定作業が行われる必要があります。担当者は、専任化するのではなく、実際の職務の担い手であるメンバーに委ねるのが良いでしょう。

最後に、各個人のミッション(役割)にジョブを割り当てていきます。ミッション毎に割り当てられたジョブの重要度、難易度の合算でミッション・バリュー(価値)が決まります。そして、バリューのサイズ(重要度・難易度)によって処遇が決定されます。ミッションは各人各様ですので、タスク、ジョブとは異なり、属人的に定めて、フレキシブルに変更が加えられるものになります。

これまでに、多くの日本企業に導入された、「役割型」の人事制度は、多くの場合、役割の根拠となるジョブ、また、最小単位であるタスクが紐づいておらず、非常にざっくりとしたものでした。

多くの場合、実際の役割のサイズ(重要度・難易度)をダイレクトに処遇に反映できないことを承知の上で、便宜的に等級を定めて報酬を決定するためのツールの域を出ませんでした。その曖昧さゆえ、昨今、「ジョブ型」への移行が叫ばれていると思うのですが、しっかりとミッションにジョブを割り当てることさえ出来れば、合理的で公正な人事制度を構築することが出来るはずです。「ジョブ型」ありきではなく、ミッションを明確にして運用する、「役割型」が日本企業にマッチすると思うのです。

尚、マニュアル中心主義の弊害についても記しておこうと思います。

これまで多くの企業が取り組んできたことは、職務記述書が存在しない中でのマニュアル整備でした。その結果、マニュアルでがんじがらめにされた個人からは裁量が奪われ、改善意欲や組織運営への参画意欲を低下させるというマイナス効果を生じさせたと考えます。

日本はマニュアル社会(言われたことしかできない人があふれている)と外国人から揶揄されるのを、私は度々耳にしたのですが、それは、マニュアルが金科玉条の絶対に守るべき仕事ルールとして個人に押し付けられているからで、その前提としてのジョブとミッションが定められていなかったからだと思います。

以上のように、個人のミッションを明確化して、そこでは表現しきれない部分はあえてきっちりと定義せず、個人の裁量の範囲として自由度高くアイデアを発想し、創発し、事業、組織への貢献を促す。そのようなマネジメントの仕組みが定着すると必然的にイノベーションが産まれる環境が醸成されるのではないかと思います。

最後に、もう一言付け加えます。やるべき事の明確化の上位に位置する概念として、

メンバー全員が共有するシンプルな価値基準の制定

が必要です。

私が勤務した企業では、その価値基準が、

「新しいことをする」

という分かりやすいものでした。

上司、先輩から、部下や後輩に、

「新しいことをしたときにプラス評価される」

と教えられました。そんな話を別の企業ですると決まって言われたのが、

「間接部門の経理や人事は新しいことをするのは難しく、営業のように成果がはっきりしている職種に比べて評価が難しいのでは」

という言葉でした。

しかし、私が勤務した会社では、あらゆる職種において、前例を踏襲しているだけではプラス評価は与えられないという不文律がありました。

そして、大多数の社員の気質として、常に新しいことをすることが意識化されていて、事業、組織運営、人事マネジメントに、イノベーションが生じ易い社風が醸成されていたのです。シンプルな価値基準はとてもパワフルだということを強調しておきたいと思います。

今回は、

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

を基にして、トップがメンバーに対して講ずるべき、マネジメントの仕組みと運用について、考えてみました。

次回は、さらに踏み込んで、「新しいことを生み出す」のを奨励しながら、個人を孤立させずに、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメント仕組みについて、

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

を念頭に置きつつ考察したいと思います。

イノベーションの阻害要因とは

前回は、イノベーションを偶然の産物から、必然的な結果に変えるために、その阻害要因を明らかにして、それらを解決する手段を講ずる必要があるとの課題を提起しました。

そして、イノベーションの目的とは、技術革新ではなく、社会や経済を良い方向に変えるためのアイデアが社会実装され、実際に社会が動いていくことだ、とも述べました。

今回はイノベーションの阻害要因について考えてみたいと思います。

イノベーションはどのようにして産まれるのでしょうか。天才的な個人のひらめき、もあるでしょうが、私が明らかにしたいことは、メンバー間に生ずる相互作用によって産まれるイノベーションについてです。

私が考えるメンバー間に生ずる相互作用とは、「創発」です。「創発」が生ずるとイノベーションが産まれる可能性が高まる、そのように考えています。

そこで、「創発」の定義を調べてみました。

創発(そうはつ、英語:emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。(中略)組織をマネジメントする立場からは、組織を構成する個人の間で創発現象を誘発できるよう、環境を整えることが重要とされる。一般的に、個人が単独で存在するのではなく適切にコミュニケーションを行うことによって個々人の能力を組み合わせ、創造的な成果を生み出すことが出来ると考えられている。(Wikipediaより)

ドラッカーはマネジメントの目的を、

「個人の能力の総和以上の成果を上げること」

と述べました。それと前述の「創発」の定義を合わせると、

「人間が集まり、その能力が組み合わさると、単純にその足し算以上の成果が産まれる。」

ということが言えると思います。

つまり、イノベーションが産まれる条件は「創発」であり、「創発」が生ずるようにメンバーを適切にマネジメントする、ということが目指すべき方向性のようです。

この文脈で、イノベーションは起きるものなのか、起こすものなのかという問いを立てると、「マネジメントする」という能動的な取り組みによって「創発」が生ずるので、イノベーションは、「起こすもの」だと言えます。

よって、トップが、「イノベーションを起こせ」と社内に号令をかけても到底「創発」は生じません。「マネジメント」という仕組みが伴って初めて生ずるものだ、ということになると思います。

余談ですが、仕組み(マネジメント)なき変革(イノベーション)がなぜ起きないかを理解する上で参考になるキーワードが、私たちの「意識」です。

ある人が、

「社会や組織の変革は、意識を変えて起きたためしがない。変革には新しい仕組みが伴うものだ。」

と言っているのを聞いたことがあります。

そういえば、私が勤務した会社が、環境変化に適応できず業績不振に陥った時、社員に「意識を変えろ」と声高に叫ぶトップがいました。

しかし、いくら声高に叫んでも社員はぽかんとして一向に目の色を変えない。意識が変わることはなかったのです。従来とは異なる新しい仕組みに伴って、初めて、人間の「意識」が変わり、変革が生ずると思います。

人間の「意識」についてもう少し深堀りします。

以前、NHKスペシャルで「脳」の特集があり、「意識」について興味深い解説がありました。それによると、「意識」とは、外部から入った刺激に対して、既に脳内に蓄えられていた経験や知識等の複数の記憶が結合して生ずる現象、とのことでした。

「よって、人は経験していないこと、知らないことを意識することはできない。」

番組内で科学者が語ったこの一言は、私にとって衝撃的でした。なぜかというと、それまで社内で多く見聞きした、「意識を変えろ」というトップの掛け声が、なぜ社員に響かず、一向に意識の変化が起きなかったのか、やっと理由が分かったからです。

経験していないこと、記憶していないことを人間は意識できない。掛け声だけでは従来の意識は変わらないので変革は起きない。つまり、創発とイノベーションは掛け声だけでは起こり得ず、仕組みを講じ、これを実践することによってしか起こり得ない、と結論を導くことが出来ます。

以上を念頭に置いて、創発が生じイノベーションが産まれる仕組みと実践方法の検討へと駒を進めたいのですが、その前に、今日のテーマである、創発とイノベーションの阻害要因を先に考えてみたいと思います。

人は、「やるべきこと」を考えることは得意ですが、「やるべきではないこと」を考えるは苦手です。あえて逆方向から、「避けるべき阻害要因」を明らかにしたいと思います。

以下、創発とイノベーションを阻害する3大要因(私が経験から得た私見)を述べます。

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

まず思い浮かんだのは、トップがメンバーに、意味あること、価値あることを求め過ぎるということです。そもそも、イノベーションとは、過去の延長線上にはない新しい価値創造です。そして、イノベーションの前提である創発とは、答えがないことに対してメンバーがアイデアを出し合い相互作用を起こすことです。にもかかわらず、トップはとかく、

「新規事業、既存商品のシェア拡大策を考えろ。」

などと具体的な答えを求めてしまいます。すると、足かせをはめられてしまったメンバーには、なかなか創発は生じなくなります。

トップがメンバーに、大きくて、漠然として、極力抽象的なテーマを与えると創発が生じやすくなると思います。

例えば、

「持続可能な社会の実現に自社が果たし得る役割を既存事業の枠に囚われずに考えなさい。」

などとした方が、自由な発想からアイデアが出やすくなり、創発が生じやすくなります。

かつて私が関わった研修では、受講生に、「真っ白なキャンバスに絵を描く」というお題が与えられ、創発が生じ易い場作りがされていました。

さらに、「仕事で使う専門用語を一切使わない」というルールも与えられてディスカッションすることによって、メンバーの間に、既存の枠に囚われない発想が生じていました。

仕事の範疇で発想すると、どうしても出来ない、やれないことに意識が向いてしまうものです。創発を生じるためには、一切の制約を取り払って、自由な発想でアイデアを出し合うことが必要なのです。

余談ですが、これから短期的な成果の追求は、ますますAIに委ねられることになるでしょう。一方、AIには任せられない、人間にしかできないことは、「夢を見ること」ではないかと私は思います。

「夢」とは、常に正しいこととは限りません。むしろ、はたからみて、非合理的なこと、バカなこと、無意味なことにこそ「夢」があるのではないでしょうか。

メンバーの自由な発想を封じて、創発が生じるのを妨げるのは、正しい答えを求め過ぎるトップの言葉ではないかと思います。メンバーの可能性を信じて、委ねれば、創発が生じイノベーションが産まれる場を醸成することが出来るはずです。

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

次に思い浮かんだのが、「ビジョンが共有出来ていない」つまり、トップとメンバーが「同じ絵を見ていない」状態です。

ビジョンが共有できないと、創発の目的と、矢印を向ける対象が曖昧なままなので、いつまで経ってもメンバーがトップと同じ「心境」になってくれません。

トップは、そんな状態を観かねて、メンバーに対して、

「意識を変えろ。」

と命じがちです。しかし、前述の通り、脳の機能制約上、未経験なこと、知らないことについて人間は「意識」することはできません。

そこで、私が考えたのは、未経験のこと、知らないことに創発を生じさせてイノベーションを産むのだ、といった「心境」になっていなければならないということでした。

「心境」とは、「なぜ自分がここにいるのか?」「なぜこのテーマが選ばれたのか?」「なぜ今やる必要があるのか?」という疑問が解かれていて、すっきりと、「いまここ」にいる状態と考えています。

ある研修講師の方が、

「私は研修の本題に入る前、受講生が、研修に向き合う状態(研修受講の心境)になるように工夫しています。それは、「なぜ自分がここにいるのか?」「なぜこのテーマが選ばれたのか?」「なぜ今やる必要があるのか?」という受講生が抱く3つの疑問を、丁寧に解いてあげることなのです。」

とおっしゃっていたことを思い出しました。

メンバーに創発を生じさせて、イノベーションを産むことを阻害する要因は、トップがメンバーとビジョンを共有する、つまり、同じ絵を見る取り組みを怠っていたり、重要視せずに成り行き任せにしていたりして、メンバーをある「心境」に至らせていないことではないかと思います。

良いトップ(リーダー)とは、

「少しでも良い未来を見させてくれると、メンバーに信じさせることができる人」

ではないでしょうか。トップはメンバーに対して、「意識」を変えろ、と丸投げするのではなく、ビジョンを語り、見せてあげることで、ある「心境」を醸成しなければならないのです。

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

私は、メンバーに創発を生じさせてイノベーションを産むことの阻害要因として、トップとメンバー間の、「情報の非対称性」があると考えています。

情報の非対称性(じょうほうのひたいしょうせい、英: information asymmetry)は、市場における各取引主体が保有する情報に差があるときの、その不均等な情報構造である。「売り手」と「買い手」の間において、「売り手」のみが専門知識と情報を有し、「買い手」はそれを知らないというように、双方で情報と知識の共有ができていない状態のことを指す。情報の非対称性があるとき、一般に市場の失敗が生じパレート効率的な結果が実現できなくなる。(中略)プリンシパル=エージェント関係において情報の非対称性が存在すると、エージェンシー・スラックと呼ばれるモラル・ハザードが発生する。(Wikipediaより)

ここでいう、プリンシパル=エージェント関係は、プリンシパル(経営者)、エージェント(従業員)の関係に置き換えることが出来ます。また、エージェンシー・スラック(モラル・ハザード)とは、エージェント(従業員)と、プリンシパル(経営者)双方で情報と知識の共有ができていない状態において生じます。

情報の非対称性、つまり、プリンシパル(経営者)が知りえないエージェント(従業員)のみ知り得る情報や専門知識がある(片方の側のみ情報と専門知識を有する)ことから、エージェント(従業員)が、プリンシパル(経営者)利益のために仕事を任されているにもかかわらず、エージェント(従業員)の行動に歪みが生じ効率的な資源配分が妨げられる、経営上のリスクとされる現象です。

つまり、トップとメンバー間に情報の非対称性があると、互いの重要な情報と知識が共有されないことで、一向に「信頼関係」が築かれず、創発が生じるのを妨げると考えられるのです。

その理由は、「信頼関係」とは「心理的安全性」に不可欠な条件であり、「心理的安全性」が担保されないとトップとメンバー、またメンバー同士が腹を割った話ができない。つまり、創発が生じにくいのです。

さらに、トップとメンバー間の「情報の非対称性」が解消されたとしても、創発の結果得られたアイデアを実行に移す権限がメンバーに与えられる必要があります。

メンバーに権限が与えられていないと単なる「アイデア出しゲーム」で終わってしまいます。せっかく創発で得られたアイデアがトップに無視され放置されてしまえばメンバーの「参画意欲」が持続しません。創発とイノベーションにおいては、メンバーの「帰属意識」よりも、継続的な「参画意欲」が重要なのです。

ところで、以前書いたブログで、ドイツの経営体について述べたことがありました。

ドイツでは、「有限会社(GmbH)」は、取締役会、社員総会(組合)、監査役会(設置は任意)で構成されていて、最高意思決定機関は「社員総会(組合)」であり、その権限はすべての事項(年度決算書の確定、利益処分、取締役の選任・解任、経営管理の監査及び監督等)に及び、その決議はすべて社員総会(組合)で行われると、法律で定められています。つまり、組合代表者は、経営責任者であり、日本のような労働者の権利を代弁し会社に対して団体交渉を担う機能とは全く異なるということです。(第8回:知っているようで知らないドイツ人のお話しより)

このドイツの経営システムは、「労使共同経営」と呼ばれるのですが、その存立条件として重要な2大項目は、①経営上の重要情報の従業員との共有 そして、②従業員に経営上の意思決定権が与えられている とのことで参考になります。

以上、創発を阻害する3つの要因について述べました。これらのいずれか一つでも解消されないと創発が生じず、その結果イノベーションが産まれないというのが私の考えです。

ここまで書き終えて、実は、もっとシンプルで重要な阻害要因があることに気づきました。

それは、

「メンバーに元気がなく、活気のない職場」

です。そのような熱量が低い職場では、創発は生じ得ず、イノベーションは産まれないはずです。

メンバーの元気、気力、職場の活力は、企業活動の源です。改めて、このような目に見えない人間のエネルギーが重要視されることを願っています。

今回述べた3つの創発の阻害要因を基にして、次回からは、私たちが講ずるべき仕組みとその運用方法について考察したいと思います。

人事のミッションはイノベーションを起こすこと

7月15日にブログを書き始めて約半年が経過しました。この間、韓国留学の思い出も含めて33回、投稿しました。私の仕事人生を振り返り、その時々で目にしたこと、聞いたこと、そして私がどんな行動をしたのかを一つ一つ思い出し、書き出したことに充実感を覚えました。

ある方から、

「記憶の断片を書き出すと頭の中に空間が出来て創造的な活動に取り組めるようになるよ。」

と教えていただいたことがあるのですが、私も今、そのような感覚を味わっています。そこで、おおよそ記憶の棚卸が終わった現時点から、次はどのような方向に創造的な思考を傾けてブログを書き続けるかを、ブログを勧めてくださったヴィーナスアソシエイションの手塚さんに相談したところ、次のアドバイスをいただきました。

「人事の仕事とは何か。会社、職場でイノベーションが起きるようにすること。偶然ではなく、必然的に起きるようにすることだ。」

手塚さんは続けて、

「企業には永続性が求められる。先が見通せない時代になってもその命題は変わらない。そして、永続を保証するものは、過去の延長線上にはない新しい価値の創造、つまりイノベーションを繰り返して起こすこと。イノベーションは、個人では生み出せない。たいていはメンバーの相互作用によって生みだされる。メンバー間の相互作用を起こすには、互いに自身の考えを自由に述べ合える心理的安全性が満たされた場が必要。そして、心理的安全性と相互尊重は、一人一人に自尊心が備わっていなければならない。だから、自尊心を育む必要があり、ずっとそれに取り組んできたんです。」

とおっしゃいました。そして続けて、

「イノベーションが、偶然の産物ではなく、必然的に生み出されるものとするためには、人事が主体となって、人間中心の場づくりに関与するという理想を掲げ、その理想に共感する人々とつながるために、実現にむけた想像力を働かせてみてはどうですか。」

と勧められたのでした。手塚さんは、自らの理念、

「人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではない。自分らしく輝いて生きるに値する充分なちからと能力を兼ね備えており、その可能性は想像をはるかに超えて大きい。」

を信じ、その理念の普及に人生をかけて取り組んでこられた本物の人だと第一回目のブログに書きました。その理念の先には、企業永続の条件である、イノベーションの創出があり、その大きな目的の実現のために、個を生き生きと輝かす必要があるとお考えになっているということを、何度もお話しを伺っていたにもかかわらず、お恥ずかしながら今まできちんと理解していなかったことに気づきました。

私の中では、企業永続=イノベーション までは頭では理解していたのですが、イノベーション=個人の自尊心 という公式までは描けていなかったのです。たしかに、暗く澱んで、人間関係も冷たく希薄で、懸念に満たされた居心地の悪い場でイノベーションが起きることを想像することはできません。偶然の産物が全くないとは言えませんが、そんな場を放置して世の中にあふれてしまったらイノベーションが必然的に産まれる状態にすることなどは到底望み得ないでしょう。

やはり、イノベーションは人間の相互作用によって産まれるもの。つまり、人事の仕事の領域なのです。再び手塚さんのお知恵を借りて、私のブログの方向性が定まりました。人事が主体的役割を担い、人と組織にイノベーションを起こす方法について、です。

そこでまずは、教科書的にイノベーションの定義を確認しておきたいと思います。

イノベーション(英: innovation)とは、物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般には新しい技術の発明を指すという意味のみに理解されているが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。つまり、それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。(Wikipediaより)

では、なぜイノベーションが、いま、私たちの日本で特に必要とされているのでしょうか。立命館大学アジア太平洋大学学長の出口 治明(でぐち はるあき)さんが、次のように述べておられます。

まず必要なのは、現在の日本で何が起きているのか、何が問題で、何を失いつつあるのかといった「現状把握」をすることです。全ての改革、全ての生存への作戦はそうした現状認識から始まると思います。改めて5つの問題を指摘したいと思います。

1つ目は、製造業から金融・ソフトといった主要産業のシフトに対応できなかったこと。また自動車から宇宙航空、オーディオ・ビジュアルからコンピュータ、スマホへと「産業の高付加価値化」にも失敗したこと。

2つ目は、トヨタやパナソニックなど日本発の多国籍企業が、高度な研究開発部門を国外流出させていること。つまり製造部門を出すだけでなく、中枢の部分を国外に出してしまい、国内には付加価値の低い分野が残っているだけという問題。

3つ目は、英語が通用しないことで多国籍企業のアジア本部のロケーションを、香港やシンガポールに奪われてしまい、なおかつそのことを恥じていないこと。

4つ目は、観光業という低付加価値産業をプラスアルファの経済ではなく、主要産業に位置づけるというミスをしていること。

5つ目は、主要産業のノウハウが、最も効果を発揮する最終消費者向けの完成品産業の分野での勝負に負けて、部品産業や、良くて政府・軍需や企業向け産業に転落していること。

この5つの結果として、日本型空洞化が日本経済を蝕んでいるのだと思います。1997年の人々が「このままでは2020年には世界のGDPの9.6%」というシェアまで落ちてしまう、そうなれば「日本が消える」と真剣に心配していたわけですが、実際の2020年になってみたら「9.6」どころか「5.9」という「地をはうような状況」になっているわけです。

出口さんが指摘されているポイントは、産業界が生み出す付加価値が下がっていて世界との競争に負け続けている、ということです。加えて、低付加価値の分野を殊更に過大評価して本質的な問題の解決(高付加価値分野への挑戦)から目を背けているということではないかと思います。

日本は今、絶望的な状況にある、という非常に厳しい見立てをされていて、私たち一人一人が何をなせるのか、何をなすべきなのかを考えると途方に暮れそうになりますが、諦めてはいけないと思います。過去からの延長線上には未来がないことを踏まえ、一人一人が現状を打破すること。とはいえ悲観的にならずに、明るく、前向きな気持ちでイノベーションに取り組みたいです。

次に、日本のイノベーションの先行研究とそこから得られる知見について整理をしておきたいと思います。

唯一といってもよい世界的に評価された日本発のイノベーション理論に、「知識創造(SECIモデル)」があります。私が多摩大学大学院在学中に修士論文の指導をお願いし大変お世話になった紺野 登 先生は、この理論の考案者である野中 郁次郎 先生の弟子で、お二人は共著も多く出されていて日本のイノベーション研究の先端を走っておられます。そんな紺野 先生が常々、

「イノベーションが産まれるのは、人間が蓄えた知(暗黙知と形式知)を人間の相互作用によって次々と変換して、進化、発展する場をつくること。それは、人間同士の豊かな関係性がベースとなっていて、且つ、触媒的な役割を担うリーダーの存在が不可欠である」

とおっしゃられていました。

そんな良い知恵を授けていただいたにも関わらず、大学院を修了しても尚、私が度々躓いたのは、企業組織に属すると、経営者、社員にかかわらず、人間の個としての属性が制約となって、なかなか理論通りにはいかない。理想と現実のギャップを埋めること、つまり、理論を、組織に、仕組みとして実装することが難しかったからでした。

本当のイノベーションとは、社会や経済を良い方向に変えるためのアイデアが社会に実装され、実際に社会が動いていくことだと思います。今、語られているイノベーションの話題は技術革新に偏りがちで、実装するための制約条件は何か、それをどのようにして解決するのか、についてはこれまで多く語られてこなかったように思います。

つまり、イノベーションを偶然の産物から、必然的な結果に変えるためには、イノベーションが起きる条件を考えるだけでは足りなくて、イノベーションが起きない阻害要因を明らかにして、それらを解決して、組織に実装する手段を講ずる必要がありそうです。

次回からは、数回に分けて、イノベーションを阻害する要因とその対策について、私の経験談を交えて考えてみたいと思います。

新時代の幸福論(回遊魚として生きる③)

私が考える、幸せな人生の条件。人生の座標軸 の内、「①良い人間関係」「②人生の目的」について書きました。

「①良い人間関係」では、コロナ禍以前にすでにあった「希薄な人間関係」が社会の分裂と分断を助長していて、それがコロナ禍で拍車がかかっている。さらに、働き方改革の総仕上げともいえるジョブ型によって加速する可能性がある。これを防ぐのは私たち一人一人が身近な人との親密な関係を築き、それを広げていくことだと思うと述べました。

「②人生の目的」では、暗黙知化している目的(人生の意味、根本原理、真価)を意識化するには、それを写し鏡となって気づかせてくれる人の存在、特に、親や恩師、上司等、師と仰ぐ存在を持つことが重要で、その人たちとの関係性が、自己の本質の発見に至る。さらに、部下や後輩など導く対象を持つことで本質を発揮して磨きをかけることが出来ると述べました。

つまり、「①良い人間関係」と「②人生の目的」は密接に関わり合っているということを言いたかったのです。今回は、「③好きな仕事」について書きますが、その前に前回、問題提起していたことを書きます。

自身の目的の実現に向けて取り組むことを見つけることが、好きな仕事(職業)の選択です。仕事は、「目的」に合致していれば成果も上がりやすいし、楽しいものです。問題は、激しくなる環境変化に伴い、仕事の経験を通じてせっかく身につけたスキルも短期間に陳腐化してしまう可能性がますます高まり、「好きな仕事」を続けることが難しくなっているということです。そこで、仕事は常に見直しを迫られる訳ですが、企業内で雇用が守られていた時代では、その変化に気付くことが少なかったものの、これからは一人一人が労働市場と向き合って、自身の仕事の経験、スキルと、刻々と変化する市場のニーズとの適合性を図っていかなければならないということです。

そこで、考えました。果たして私たちは、ずっと「好きな仕事をし続けること」ができるのだろうかと。

ずいぶん昔に「Only One」という言葉が流行りました。「世界に一つだけの花」という歌がヒットしたことがきっかけで、「自分らしさ」や「個性」を発揮することは良いことだと言われ始めました。しかし、私はこの言葉にどこか違和感を覚えていました。社会というのは、求める人がいて初めて成り立つものです。自分らしさや個性の発揮という言葉は美しい響きを持つけれども、「人に理解されなくてもよい。いつか分かってくれる人が現れるだろう」と、まるで芸術家が発する言葉のように聞こえたからです。芸術家の中には、評価や評判を気にせず、その生涯を常識の創造的破壊に捧げたような人がいます。

モーツァルトは病に侵されて最後は貧困のためにウィーンの共同墓地に埋葬されました。ゴッホは生涯たった1枚の絵しか売れなかったといいます。このように後世に偉大な芸術家と呼ばれるようになった人は確かに「Only One」と呼ばれる存在と言えるでしょう。しかし、私たちは、生活の糧を得るために生業としての仕事をしなければなりません。そして、仕事には必ず相手がいます。仕事を認めてくれる人の存在が必要です。そういった、誰の役に立つか、何が求められているか、という視点からの発想が、好きな仕事をし続けるための条件、前提になるのではないかと思います。

昭和から平成を通じて数多くのヒット歌謡曲を生み出した筒美京平さんがお亡くなりになりました。訃報に続いて筒美さんの業績に関する報道を見ていて、筒美さんが語られた言葉が目に留まりました。

「自分の持っている音楽を表明していく感じでは全然ない」

「自分が満足するのではなく、人を満足させようとしてきた」

筒美さんは、ご自身の真価を発揮する目的を、人の満足に置いていたということが意外でもあり、やっぱり、という感じがしました。好きな仕事をするというよりも、仕事の方から自分が好かれるようにしてきたのではないか。作曲家という職業が、筒美さん抜きでは語ることができなくなった、という意味で、真の「Only One」になられたのだと思いました。

正しいことをするのではなく、自分の真価を発揮して役に立つことをすることが、幸せな人生の座標軸なのだと思います。前回書いたように、真価(人生の目的)は、良い人間関係(良き師)によって気づかされます。そして、後進を育てることによって磨かれていきます。しかしこれだけでは発展しない。役に立つための場が必要です。それが良い人間関係の2つ目、横の人間関係です。横の人間関係とは、言葉を替えると「リーダーシップ発揮」の場のことです。

リーダーシップというと、強いリーダーがグイグイと周囲の人々を引っ張っているイメージがあります。しかし、環境変化が激しく答えがない現代においては、リーダーが唯一の答えを持っているという前提に立ったリーダーシップでは発揮に限界があります。人それぞれが持つ真価(人生の目的)を見出し、気づかせてあげて、それらが存分に発揮するようにして成果が最大化する。そのためにリーダーは、メンバーがお互いに自分と人との違いを認めて、尊重し合う風土を醸成する必要があります。これがダイバーシティ(多様性)の基本的取組みです。

お互いの違いに気づく方法はひとつしかありません。先入観なく、その人の言葉に耳を傾け、ありのままを受け留めること、だけです。この、「受容」と「共感」というカウンセリングのプロセスは、私が仕えた、組織の成果を継続的に高めている優れたリーダーに共通して備わっているスキルです。それを組織内に十分に展開できるかがポイントです。

そんな現代的な理想のリーダーとリーダーシップ像として、アメリカ映画「十二人の怒れる男」が参考になります。

『十二人の怒れる男』(12 Angry Men)は、1957年製作のアメリカ映画。ほとんどの出来事がたった一つの部屋を中心に繰り広げられており、「物語は脚本が面白ければ場所など関係ない」という説を体現する作品として引き合いに出されることも多い。父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員が評決に達するまで一室で議論する様子を描く。(Wikipediaより)

法廷に提出された証拠や証言は被告人である黒人の少年に圧倒的に不利なもので、陪審員の大半は少年の有罪を確信していました。全陪審員一致で有罪になると思われたところ、ただ一人、名優ヘンリー・フォンダ演じる、陪審員8番(建築家)だけが、検察の立証に疑念を抱き無罪を主張します。彼は他の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを要求します。そして、陪審員8番の熱意と、理路整然とした推理によって、当初は少年の有罪を信じきっていた陪審員たちの心にも徐々に変化が生じて、最後に無罪の評決が下るというストーリーです。

主人公の陪審員8番の言動は、他の陪審員の発言と諸事情を考慮しつつ、前提を疑い、しぶとく真実を探求し、誰もが納得する合理的な根拠を用いて、様々な利害の矛盾を超えていくお手本です。有罪、無罪と物事を単純化して割り切るのではなく、反対側から見たらどう見えるだろう。その人の立場だったらどう感じ行動しただろうかと、ニュートラルな立場に身を置くことであらゆる可能性を排除せずに妥当解を導き出す姿は「リーダーシップ」のお手本だと思いました。

私がこれまでに仕えた経営者で、魅力的で尊敬できる方というのは、優れた経営者であると同時に魅力的なリーダーでもありました。一方、いわゆる「ワンマン社長」は、ご自分の考えに固執するあまり、経営判断も常にそこから発想するためワンパターン化し、環境変化に適応するのが徐々に難しくなっていくという特徴がありました。やはり、従業員の意見をよく聴いて、その背後にある心を読み解くことが大切だと思います。

余談ですが、人事担当者の仕事は、経営者の姿勢に直接影響を受けます。かつて、私が尊敬する経営者の下で働いた時の人事部は、経営の意向と従業員の気持ちの、どちらかに偏ることを避けて、両方に配慮した意思決定をしていました。方法としては、誰かが考えを述べたら、今度は反対意見を敢えて発言して、先に出された考えを揺さぶる、欧米で良くやる手法(ディベート)を採用していました。その結果、柔軟な発想が出来たのではないかと思います。

但し、この議論のプロセスは「十二人の怒れる男」のように、非常に時間と根気が要ました。ある時、テーマが何だったかは忘れましたが、ルール運用が現状にそぐわなくなっているので見直しが必要ということになり、どうすべきかを決めなければならなくなりました。人事担当者5名が会議室に集まり、前述の方法で話し合いを始めたのですが、どうしても結論が出ず、一旦会議を中断して定時後に再開して深夜になり、それでも結論が出ないので、「じゃあ、お酒でも飲みながら」ということになって、バーでグラス片手に話しを始めたら、すぐに結論が出たということがありました。

私は、今でもこの方法が理想だと思っています。人事という仕事は、あらゆる可能性を吟味しないと本来意思決定などできないからです。その後勤務した会社では、経営の決定を実現することが求められ過ぎて、従業員の考えや気持ちへの配慮が二の次になったことがありました。そして、せっかく時間をかけて準備した、本来はとても良い試みが、結局従業員に受け入れられず効果が出ませんでした。やはり、制度や運用方法を検討するプロセスには、必ず従業員の考えや気持ちを反映することが必要だと思います。

以上、幸福な人生のための3つの人生の座標軸について書きました。

1.良い人間関係

2.人生の目的

3.好きな仕事

すべてがそろい、その接点である座標を持つことで、激変する環境を乗り越えていく。そんな新時代の幸福論(回遊魚として生きる)を、私自身が実践するとの決意を新たにすると共に、是非、この話を、これから社会に出る若者にしてみたいと思いました。