若者 バカ者 よそ者によるイノベーション③

真壁昭夫さんの「若者、バカ者、よそ者 イノベーションは彼らから始まる!」からヒントを得て書き進めてきたブログの最終回です。今回は「よそ者」について考えてみたいと思います。

同書のアマゾンの書評では「よそ者」を、

「組織の外にいて従来の仕組みを批判的に見る者」

と定義しています。

よそ者というと、すぐに連想するのは、外国人かと。外国人をもっと登用しないといけない、ということは国会でも話題になったようです。

多様性乏しい日本企業、西村氏「促しても…強い危機感」
(朝日新聞デジタル 2021年2月17日)

衆院予算委員会で17日午前、菅義偉首相と関係閣僚が出席する集中審議が始まった。最初に質問に立った経済産業省官僚出身でもある自民党の斎藤健衆院議員は「異次元の金融緩和をしても投資が伸びず、内部留保が積み上がっている。円安になっても輸出は伸びない。日本の産業競争力が後退を続けているように見える」と述べ、企業の多様性の乏しさにもその要因がある、と述べた。続けて、「日本の一部上場企業のトップは高齢化している。在任期間も短い。しかも、ほとんどが生え抜きで、女性や外国人もほとんどいない。同質性の高い組織で、中国やアメリカの威勢のいい企業と戦っていけるのか」とただした。今後必要なアクションを問われた西村康稔経済再生相は「様々な政策で企業に投資を促しても、なかなか思い切った意思決定ができない。強い危機感を持っている。若手、女性、外国人、多様な人材を登用していくなかで、豊かな発想でチャレンジしていくことが重要だ」と応じた。

ここで問題視されていることは、

日本企業は同質性が高い⇒しかも高齢化⇒多様な人材の登用が進まない⇒アメリカや中国の企業との競争に負け続けてしまう

という単純な関連式です。それに対して、西村大臣は、企業は投資の意思決定が鈍いから打破するために多様な人材を登用してチャレンジを促したいという、これまた現状を評論するような、本質的な問題解決とはかけはなれたコメントをするのに留まりました。

そこで、私が考える「日本で多様な人材の登用が進まない原因」として、「外国人」にスポットを当てて考えてみたいと思います。

私が考える外国人の登用が進まない真因は、私たち日本人の物事の考え方だと思っています。それは何かというと、物事の本質を考えることを無意識に避ける癖、です。そのことに気づいたのは、私自身の「よそ者体験」を思い出したからです。

小学校低学年の頃、母方の実家で、夜、爪を切ろうとした私は、叔父から、「夜爪を切ってはいけない」と叱られたことがあります。私は叔父に向かって、「どうして夜に爪を切ってはいけないの?」と質問しました。叔父は少し不機嫌になって、「ダメなものはダメだ」と言いました。私は、しぶしぶ従いましたが理由が分からないので、納得していませんでした。それから何年かして、「夜の爪切りがいけない」理由を調べてみたところ、「親の死に際に立ち会えなくなる」という迷信があることがわかりました。しかし、依然として、夜爪を切ることと、親の死に目に逢えなくなるということの関連性について、どこにも説明が見当たらず、結局今日まで分からずじまいです。

ちょっと考えると、私たちは、このような、そもそもどんな理由でずっと守られてきたのかよく分からない風習や規則に囲まれていることに気づきます。それはなぜなのでしょうか。

賴住光子さん(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部倫理学研究室教授)によると、著名な仏教学者の中村元さんの研究で、アジア各国における仏教の広がり方というのがあり、日本には他国に見られない3つの特異性「出家を条件にしない」「厳しい戒律を重視しない」「仏教本来の教理にこだわらない」を見つけたそうです。そのような緩やかな教えによって仏教は広まっていったと。もし、仏教本来の厳しい戒律が求められたならば日本中に、ここまで広く仏教は行き渡ることはなかったはずだと頼住さんは述べています。日本人と仏教の関係性を見ると、日本人が、ルーツや本質理解にはそれほどこだわらず、良いものであれば手っ取り早く取り入れて実践してしまうという特徴が読み取れるのではないかと思います。

仏教を例にして、日本人の「ものごとの本質」に対するこだわりの薄さについて、もう少し考えてみたいと思います。最も分かりやすいのは、「神仏習合(本地垂迹説)」です。本ブログで何度も取り上げている社会学者の橋爪大三郎さんによると、西暦500年の初頭に、朝鮮半島から仏教が伝来して、当時の大和政権がどのような判断をしたのか。また現代にどのような影響を与えたのか、次のような解説をされています。

さて、日本人にとって、宗教上の大きな問題は、神と仏の関係です。日本にはもともと神がいた。そこに仏が入ってきた。仏教と神道というべきか、もともとあった信仰との間には水と油の関係がありました。では仏とは何か。悟ったインド人で、ゴータマのことです。偉い知識青年で、日本人と関係はないのです。

では神とは何かというと、日本の自然を見て「ああ、感動した」となると、これは全部、神になります。自然には、山あり、川あり、木あり、岩ありと、いろいろなものがある。しめ縄を張るとご神体になるではないですか。つまり、日本の神道は自然崇拝であって、それを人格化した部分がある。こういうものなのです。

さて、こういうものがもともとの日本人の自然観、宗教観だとすると、仏教とつながりが悪いのです。仏教というのは、この世界のメカニズムを認識して、認識して、認識し尽くして、悟って、あまりに知識が立派であるから尊敬に値する、そういう人がブッダですということで、そうした知的活動のことです。自然現象(自然崇拝)というのは、そんな知的活動は全く行いません。ただ山は山、川は川なのです。

日本人は困った。困っていろいろ考えた。つまり、仏教と神道を何とか調和させようと思ったのですが、平安時代の末になって、お坊さんがこのような説を唱えました。「皆さん、仏教と神道をそんなに区別して考えるのはやめましょう。なぜなら同じだからです。もともとインドにいた仏様や菩薩が日本の民衆を救うために日本にやって来た。そして、あちこちに降り立って神社の神様になったのです。だから、神様の正体は仏様で、神様を拝めば仏様を拝んだことになり、仏様を拝んだら神様を拝んだことになるのです」

このような学説(本地垂迹説)は仏典のどこかに根拠があるのかと調べてみると、どこにも書いてありません。どこにも書いていないし、何の根拠もないのですが、日本社会の法則として、皆で相談して反対がなければその通りになる、というものがあります。したがって、平安時代のこの社会法則によって、この本地垂迹説は正しいことになってしまいました。このため、幕末になるまで日本人は仏と神を同じだと思っていたのです。

ところが、幕末に廃仏毀釈、神仏分離といって、仏教と神道は違うという一大キャンペーンがありました。なぜそのようなものが必要だったかというと、尊王攘夷に関係あるのです。つまり、明治維新の原動力は尊王思想です。天皇が本当の君主である。よって、武士はもちろん日本人民は全員、天皇の下に結集して、オールジャパンの政府、オールジャパンの日本国をつくって、外国と対抗しなければならない。こう説きました。幕府がオタオタしていたわけですから、この考え方は非常に説得力を持ちました。

さて、オールジャパンはいいとして、その中心になるのがなぜ天皇なのか。そうすると、国学の学者など、いろいろな人が言います。それは次のような論理です。

『古事記』『日本書紀』を読みなさい。神様、アマテラスの孫がニニギノミコトで、これを天孫降臨というのだが、高千穂峰に降り立った。そこできれいなお姉さんと結婚して、子どもが生まれ、ひ孫が神武天皇になって即位した。つまり、天皇は神の五世の孫。それが今に伝わっているわけだから、神様の子孫。だから天皇は偉い。というものです。

そうすると誰かが、「ちょっと待ってください。神様とは仏様のことではなかったのか」と意義を唱えたわけです。本地垂迹説からいえばそうなります。これはまずい。天皇の先祖がインド人になってしまうからです。

そこで、尊王思想の側は、本地垂迹説はなかったことにすると言って、なしにしてしまったわけです。そこで、天皇は純然たる神道家になり、仏教徒だったのにその証拠を隠滅し、それで東京に来て、賢所(かしこどころ)などを急造して、あたかも大昔から神道一本でやっていたかのようになったのです。日本国が天皇の下にまとまるのは天皇が神の子孫だからで、このイデオロギーのために仏教は邪魔だったのです。それで仏教を分離した。これが廃仏毀釈です。

橋爪さんによると、日本には昔から、反対がなければ、原理が矛盾していても取り入れて使ってしまうという柔軟性があったようです。しかし、明治になって、近代国家の樹立を目指すにあたって、国民の力を結集する必要があった。そこで、1300年も続けてきた「神仏習合(本地垂迹説)」をなかったことにして、神道と天皇の結び付きを明確化した。一方、仏教は廃仏毀釈で脇に追いやり宗教性を薄めたと。つまり、外国に対して合理的な「日本」を説明するために、神道国家日本を作り上げたということのようです。やがて、太平洋戦争の敗戦で神道の正当性も否定され、そもそも日本人の原点が何か、文化と宗教、世俗との関係など、論理破綻してしまい曖昧なまま今日に至った、というのが橋爪さんの説で、私もこの考えに同意しています。

恐らく、昭和20年の敗戦を境にして、正当性をもった宗教(神道)が否定され、それまで信じていた神を失った人々の困惑と混乱を避けるために、政府は、ひたすら経済活動に専念し、物質的豊かさを手に入れることを目標に掲げることで再び国民を結束させようしたのではないでしょうか。文化とか宗教とか小難しいことを考えるのはやめて、目の前のことに真面目に取り組みましょうという態度を初等教育から徹底的に刷り込むことによって経済成長という果実がもたらされました。そういった、国民総動員の経済第一主義が、まるで昔からずっとそうであったかのように「日本イズム」とみなされるようになったのではないかと思います。

だから、今でも私たちは、目の前に何か課題を出されると、その実態や本質は何かを深く考えようとせず、すぐに着手して、手っ取り早く片づけようとしてしまうのではないでしょうか。一方、あれこれ考えて、なかなか始めようとしないような人を「理屈っぽいやつ」と決めつけて、よそ者扱いしてはいないでしょうか。このようなに、目的や意味を与えられなくても、とにかく何でもやれてしまう日本人の態度は世界的に見てまれのようです。

私の経験では、「よそ者」である「外国人」は、日本人がこだわらないような物事の本質や行為の目的を非常に気にするようです。外国人から見ると、日本社会のあらゆる場所で見聞きすることは非常に気になるはず。にもかかわらず、ほとんどの場合、日本人は、自身がそうであるように彼らの疑問(物事の本質や行為の目的)に答える必要性を深く感じませんから、きちんと答えることを面倒に感じるはずです。一方、よそ者の外国人は、疑問が晴れないと非常に気持ちが悪く、納得できないことをやらされることを嫌います。仮にしぶしぶ従ってやったとしても意欲は出ないでしょう。これが、外国人の活躍を阻害する大きな原因ではないかと思うのです。この問題を解決するためには、我々日本人が物事の本質を正しく言葉で説明することが出来るかどうかにかかっています。

社会人になって2年目、出張で来日したアメリカの現地法人でヘッドハンティングした優秀なセールス・エンジニアを対応した時のことを今でもはっきり覚えています。都心の名所を案内することにした私は、職場近辺を散歩して、まず赤坂の日枝神社を案内しました。ふと鳥居を見上げた彼は、「これは何か?どうしてこんな形をしているのか?」と私に質問しました。深く考えたこともないことだったので答えることができませんでした。次に、皇居に行きたいというので、皇居前広場に移動し、「ここは江戸城だったところで、今は天皇が住んでいる」と説明したところ、「どうしてこんなに巨大な屋敷が必要なのか?この水をためたプールは何か?」など再び質問攻めにあいました。

彼の質問は翌日会社でも続き、事業、組織、人事等、会社に関するありとあらゆることに及びました。深く考えず、納得していなくても指示に従ってとりあえず仕事をしてしまう自分とはずいぶん違うのだなと思い知らされ、反省した私は、せめて日本の文化や風習については、外国人から質問されたときに正しく答えることが出来るようにと、住友金属の人事部が、外国人に日本を網羅的に説明するために編纂した「日本」という本を購入し、肌身離さず持ち歩くようになりました。この本は、同社の社員が外国人から質問され答えることが出来ず困ったことをテーマにして、その解説を見開き左が日本語、それに対照するように右には英語で解説されていて、現在に至るまで重版を重ねる知る人ぞ知るロングセラーです。その後も様々な国の人々との交流は続き、その都度、日本に関する様々な質問を受ける度にこの本は役に立ちました。

シュンペーターは、企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した人です。彼は、イノベーションには次の5つの類型があるとし、①新しい財貨の生産 ②新しい生産方法の導入 ③新しい販売先の開拓 ④原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得 ⑤新しい組織の実現(独占の形成やその打破)を提示したことで有名です。また、シュンペーターは、イノベーションの実行者を「企業者(entrepreneur)」と呼びました。この企業者とは、一定のルーチンをこなすだけの経営管理者(土地や労働を結合する)ではなく、まったく新しい組み合わせで生産要素を結合し、新たなビジネスを創造する者のことだとしました。

現代における生産要素は「知識」です。つまり、現代のイノベーションとは「知識」と「知識」との結合によって生まれるのです。グローバル化と情報技術の発達によって、遠くにある「知識」と「知識」を結びつけることも可能になりました。「知識」は、身近なものではなく、出来るだけ遠くのもの同士が結びつくことによってより革新性が生じやすいと言われます。トヨタがカンバン方式をアメリカのスーパーマーケットの商品仕入れ管理方法から学び生み出したことが象徴的です。

日本人はずっと昔から、自国にはない様々な技術や文明等の「知識」を積極的に取り入れ、習得してきました。それが今、壁にぶつかっています。「知識」は、ただ待っているだけでは向こうからやって来ません。日本人が、外国から見て「知識」を結合してイノベーションを起こしたいと思う相手とみなされるように、自分たちの社会、日本の魅力を高める努力を怠っているのではないでしょうか。

では、私たちが外国に向けて積極的にアピールすべき「知識」とはなんでしょうか。技術や方法といった表面的なことだけではなく、暗黙知と呼ばれる言葉にすることが難しい経験など、模倣が難しい、より高い価値を持つものに着目するべきです。さらに、それらの原理を一旦抽象化する、つまり形式知に変換するという、私たちが最も苦手とする言語化能力が求められていると思います。

さて、外国人の受け入れは、冒頭引用した国会でのやり取りのような、企業家だけが取り組むべき課題なのでしょうか。否、日本全体にとって非常に重大な課題、少子高齢化と人口減少による経済力の低下です。政治の場でそのことがあまり議論されていないこと自体が不自然です。

今後、確実に進行する人口減少と経済力低下の問題を解決するためには、もはや児童手当を拡充して一時的に出生率を高めるような努力をしても焼け石に水です。根本策としては、外国からの移民を受け入れるしかありません。このままだと近い将来、日本人の若者が中国に出稼ぎに行かなければならなくなるような事態になりかねません。そんな未来にならないようにするためには、私たち日本人が、ずっと昔から強みとしてきた、本質や出自にこだわらず柔軟に「知識」を習得する強みを発揮することに加えて、その「知識」を持つ生身の人間を受け入れることを避けてはいけないのです。

かつて日本人が受け入れてきた「知識」とは、人間とは切り離されたモノやコトです。それらの扱いは、こちら側、受け入れる方に委ねられコントロールが簡単です。一方、生身の人間はそうはいきません。気持ちを尊重し、様々な文化の違いに配慮し、自ら進んで「知識」を発揮してくれるように仕向けなければならないからです。しかし、そういった、異文化の人々のマネジメントが日本人の最も苦手とするところです。それは何故かというと、日本文化を共有しない人々との協働するためには、目的と目標を共有し、一丸となって取り組むように説明責任を果たし、納得感を醸成する必要があり、そのようなスキル教育が圧倒的に不足しているからです。

これからは、相手の本質を知り、自分たちの本質も探究し、両方の本質をぶつけ合って、互いが持つ「知識」を結合しイノベーションを起こす活動が絶対的に必要になります。そして、その第一歩は、私達日本人が、物事を深く掘り下げて本質を理解するという態度を身につけられるかにかかっているのです。

以上、3回に渡ってイノベーションの担い手としての「若者」「バカ者」「よそ者」について私の考えを述べてきました。ここで一旦、人事が起こすイノベーションについては筆を置きたいと思います。

若者 バカ者 よそ者によるイノベーション②(事例研究)

「空気を読まず、正論を吐き、ノイズを起こす」「女性」が、組織の中に波風を起こしてイノベーションを産む原動力になる。

その阻害要因として男性の意識と言動があるということを、社会学者の上野千鶴子さんのコメントをもとに読み解きました。

そして、「女性」の登用を進める公平な制度の運用が、国際比較で日本が非常に遅れている裏付けとして、森喜朗元首相の発言(失言)を取り上げました。

さらに、その原因として、日本特有の「平等意識」とその源流である「和の精神」が影響しているとの私の推論を、法隆寺管長の大野玄妙さんの講話内容に照らして検討しました。

最後に、「女性の登用」を促進するためには劇薬が必要で、既存の組織のルールを根こそぎひっくり返してしまうようなパワーを女性のチームに与えること。さらに、ペナルティを伴ったクオータ制を導入することの必要性を述べました。

今回は、「若者 バカ者 よそ者によるイノベーション②」の番外編として、女性の登用を進めて成果を上げている株式会社東横インの事例を取り上げます。テンミニッツTV「東横インに学ぶ「女性活躍」の秘策」で、代表執行役社長の黒田麻衣子さんが語った内容から抜粋します。

①女性登用のきっかけ

冒頭、黒田さんは、東横インが女性を積極的に登用することになったのは、祖父から電気工事会社を引き継いだ父親が、ホテル事業を始めるにあたって生じた偶然の出来事だったと語っています。

インタビュアー:支配人の方々の97パーセントが女性というように、女性を積極的に登用されたのは、なぜなのでしょうか?

黒田:それは創業期からで、まさに1号店から女性の支配人でした。その当時、父が祖父から継いだ仕事は、電気工事の会社だったものですから、男性ばかりの会社でした。そこから父はデベロップの仕事、ビルの企画をするような仕事を始めて、ひょんなきっかけからホテルをやることになったのです。ただ、電気工事の会社ですから、ホテルの仕事をできる人が誰一人いないということで、父の行きつけの飲み屋のママさんに頼んで、ホテルの1号店をオープンさせたのです。たまたまママさんが、田舎に戻ろうかなとおっしゃるタイミングで、「それだったら手伝ってください」という経緯でしたので、最初から「支配人は女性でいこう」と決めていたわけではありませんでした。

②女性活用の始まり

最初は偶然でしたが、そのあと東横インがとった方法は現在に至る女性登用の流れを決定します。女性と男性の違いを発見して、それを活かそうと考えたようです。

黒田:実際、2号店目は男性の支配人だったのですが、1号店と2号店の稼働率にかなりの差が出てきてしまったのです。「これはなぜだ?」と現場に行くと、女性が支配人をやっている方は、とてもきれいで居心地がいいのです。一方の2号店はなんとなくタバコ臭いし、暗いし汚いということで、これは女性に向いている仕事かもしれないと思ったそうです。そこで、社員は女性にしていこうとなっていきました。

③適性も意欲もある人材の採用方法

「支配人」という「リーダーシップ」を必要とする仕事の適任者を獲得するにあたり、育成する余裕がないので、最初から「支配人になりたい人」を募集、採用せざるを得なかったことが逆に功を奏したようです。つまり、リーダー的資質を備えた人を内部で抜擢するよりも、リーダーになりたいという意欲、意志がある人に役割を与えた方がスムーズだということです。

インタビュアー:支配人になる方法、道筋ですが、どういうかたちで社員登用をされているのでしょうか?

黒田:「未経験で構いません」ということで呼びかけて募集しています。まもなく創業35年になりますが、創業期には人を育てていく時間がありませんでした。ですから、最初から「支配人をやりたい人」というように採用せざるを得なかったわけですが、今となってはそれがよかったとも思っております。最初から「私がリーダーをやりたい」と言って、手を挙げる方が来てくださるからですね。逆に、もともと部下、スタッフとして入った人は、こちらが優秀だなと思って「支配人をやりませんか?」と声をかけても、「いえいえ、私はリーダーには向きません」と、リーダーに手を挙げない傾向があります。ですから、最初からリーダーをしたいと手を挙げてくださる方は、意識が違うのかなと思っています。

④女性登用の促進理由

ローカル採用で転勤がないことが、女性登用をより促進することにつながったようです。ここで好循環が生まれています。

黒田:これは女性ならではなのかもしれませんが、転勤はなかなかできないのです。家庭を持っていらっしゃる女性の方は特にそうです。ご主人に「転勤するからついてきて」と言うことは、これまでの日本ではあまりありませんでした。ですから、基本的には出張はありますが、転勤はないということで、ご自宅から通える範囲で採用しています。これは支配人だけではなく、全スタッフが現地採用ですので、本社からスタッフを派遣したりですとか、そういったことはいっさいしていません。地元を愛する方にホテルのスタッフになっていただきたいと思っています。

⑤性別による得手不得手

黒田さんの見立てによると、女性と男性にはそれぞれ得手不得手があるようです。そこで、同社では男女それぞれが活きるように仕掛けを講じているようです。

インタビュアー:女性が活躍する職場の面白さ、特徴というのは、どういうところにありますでしょうか?

黒田:社外の取締役から「女性ならではなのかもしれないけれど、横への情報の伝達が速いね」と言われたことがあります。横に情報が伝達しやすいということは、例えば支配人たちがやってよかったことを横展開できるので、その点はとてもよいと思っています。一方で、「上から下への情報伝達が下手だね」と言われたこともあります。支配人同士、うわさもひっくるめて、うわーっと情報が集まるのですが、本社が言ったことが支配人、末端のスタッフまで伝わっているかという部分に課題があります。お恥ずかしながら、お客様の方から「もうこういうサービスに変わっているよ」と教えていただくフロントもいたりするものですから。

インタビュアー:女性の能力と男性の能力の違いをどうやればうまく生かせるのか、男性中心の組織の場合と女性中心の組織の場合で、どう違うのかについては、どう思われますか?

黒田:私がいる本社の部長は男性と女性が半分ずつぐらいです。男性の部長の仕事を見ていると、緻密で一生懸命やってくださる。自分の仕事、任された仕事を集中してやっていると感じます。しかし、自分と同じように部下もやってくれるだろう、「自分の背中見て仕事をしてほしい」というところがあるため、部員に目が行き届いているかといえば、そうでもありません。一方、女性の部長は、一生懸命やっていないわけではないのですが、ともすると「遊んでいるのかな」と思われるくらいにおしゃべりが多い。ただ、実際は、そうしながら部下の様子をうかがっていたり、モチベーションを高めるようなことをしていると感じています。

男女の違いを見たときに、男性は新しいものをつくることが好きであり、その能力に長けていて、女性はゼロからつくり上げるよりも、すでにあるものを磨きあげる方が得意ですし、好きなのだろうと思います。男性の場合、磨きあげていく作業は途中で飽きてしまう、つまらなくなってしまうとも感じていますので、そこが能力の違いというか、性格の違いなのかもしれません。

インタビュアー:たしかにホテルの仕事は、どんどん磨きあげていかないといけませんね。

黒田:はい。日々、違ったお客様がいらっしゃいますので、新しいことがまったくないわけではありませんが、例えば壁を壊して部屋をつくるとかではなく、あるものをいかにうまく使うか、いかにお客様に喜んでいただけるか、今いるスタッフをどう育てていくかを常に考えていくことになります。

⑥女性のコミュニケーションの特徴

女性は、上司とのコミュニケーションの方法が率直でストレートだとの見立てをされています。これは上野千鶴子さんが「ノイズを起こす」と述べ、森元首相が「話しが長い」と失言したことと符合します。

黒田:女性の方が上司にモノを言います。ある意味、女性の方が、出世よりも今の職場の環境をよくすることに重点を置くのかもしれないですね。周りがよくなければ自分もよくならない、居心地が悪いというようなところが、あるのかもしれません。ですから、私に対しても「こうだったらいいのに」と女性は言ってきますね。

⑦組織づくりの工夫

女性のリーダーを出したければ女性だけの組織にするべき。しかし、調整役の男性の存在が必要と述べています。女性にパワーを持たせても、男性が関与することによって組織運営がスムーズにいくようです。これは、クオータ制のオプションとして参考になります。

黒田:これまでは、女性は男性に遠慮する、男性をまずは立てて女性は支える役回りを求められてきましたし、女性としてもそれを楽だと思いがちでした。ですから、女性は男性がいると、「自分がリーダーをやります」とは言わないのではないでしょうか。一方、女性しかいなければおのずとそこから女性のリーダーは出てくるものです。エリアの支配人の代表もいるのですが、そこにはあえて本社の男性の役員クラスも担当につけています。どちらかというと調整役、相談に乗る役回りです。実際、その男性については、総務部長兼どこどこエリアのエリア長としてはいるのですが、ホテル業務は素人で、ホテルのことを隅々まで知っているわけではありません。では彼らが何をするかといえば、ホテルを1つずつ任されているという意味で、ライバル関係にある支配人同士の間に立つ調整役です。もちろん支配人には出っぱってもらってもいいのですが、それでも例えば隣り合わせの店舗の価格が違うのはよくありませんし、あとは口論になったり、揉めごとがあったときに調整に入ってもらっています。女性は大きなところから見るというよりも、細かくて重箱の隅に行ってしまうこともあるので、「いやいや、そういう細かい話ではなくて」と言える男性がいることはよいことだと思います。女性の話は本当によく脱線しますから。

⑧女性登用成功の条件

女性登用に本当に必要なのは「ロールモデル」。東横インの場合、大勢の女性支配人が活躍しているのでうまくいっているようです。

黒田:(他社で)とても優秀な女性の社員がいて、「ぜひ役員になってほしい」と言っても断られてしまう、というお話はいろいろなところで聞いたことはあります。一方で、当社の場合は、女性が手を挙げて支配人になりますし、支配人の中でもさらにリーダーになる役目をお願いすると、たいていは「はい、分かりました」と受けてくださいます。やはり女性だけの中では、女性がリーダーになりやすいのではないでしょうか。あとは当社の場合、ロールモデルがいるのも大きいですね。

⑨女性のモチベーションの源泉

女性ならではのモチベーションの維持向上について「見てあげている」ことを知らせること。「個別事情への配慮」の重要性、効果について述べています。これは前回取り上げた、私の友人Uさんの「女性には母性があり戦士にはなれない」という言葉を裏付けるエピソードです。

黒田:特に女性は、「見ていてくれている」というのがとても励みになると私は思います。例えば、「このまえ、こんなことを言っていたよね」と言うだけで、「あっ、覚えていてくれたんだ」と励みになったりするものです。メールに対しても、一言でいいので返信するとか、時間が経ってからでも「このまえ、メールでこんなことを書いていたね」と言うだけで、「あっ、見ていてくれている」と思うものです。それが上手なエリア責任者は、男性でも女性でもうまくいっていますね。

全国の支配人が集まる機会が3カ月に1回あると申し上げましたが、具体的には3月、6月、9月、12月となっています。ただ、3月は卒業式シーズンですから、1年前から「会議の日が卒業式と重なっていませんか?」と全員に聞くようにしています。そして、全員が大丈夫だという日に全国支配人会議をするというのも細かいことですが、工夫しています。あとは、入社したての方の研修日と、お子さんの受験日とが重なってしまったケースが本社で起こったことがあります。研修は朝早く出張しなければいけないものでした。おそらく入ったばかりということもあり、「子どもの受験日です」と言えなかったのだと思いますが、別の先輩の社員が、そのことを知っていて部長に「受験日だと思いますよ」と言ってくれたみたいなのです。そこで部長が本人に「受験日と重なっていますか?」と聞いたら「そうなのです」となったので、「研修日をずらしましょう」という対応ができました。細かいことではありますが、そういった女性ならではの心遣い、思いやりは、すごく大事だと思っています。

⑩手間を惜しまない経営

次の非常に手間をかけた取り組みは、なかなか男性の経営者からは出てこない発想かもしれません。しかも、そこにも女性視点、男性視点の両面を反映している徹底ぶりに感心します。

黒田:賞与のときには、支配人に手書きの寸評を全スタッフに書きましょうと言っています。お給料明細とは別に寸評を書いてお渡しします。支配人にはパートスタッフまですべてに対して書くように言っています。私たち本社も、まず支配人の賞与の寸評は、エリア責任者が書いて、その後、2、3言ではありますが、私と人事部長が手分けして全員分書いて支配人たちにも渡しています。

インタビュアー:300を超える店舗があるなか、すべての支配人の皆様に社長が書いているということですか。2、3行のメッセージにはどういうことをお書きになるのでしょうか?

黒田:男性の視点で数字を押さえて、「ここ、伸ばしましたね」ということを書くケースが多いですね。私と人事部長は女性なので、数字というよりは定性評価であったり、「新人の支配人の研修をしていただき、ありがとうございます」とか「体調いかがですか」「元気になられましたか」「この対象期間中はプライベートでも大変でしたけれども、よくやってくださいました」というようなことを書いています。プライベートで大変という部分は、お子さんの受験があったり、お子さんの環境が変わったり、介護があったり、ご主人の働く環境が変わったりと、女性はプライベートも忙しいですから、そういったことに配慮しながら、一言書いたりということもあります。そうですね。その他にも、誕生日にはお花とカードが届きます。誕生日カードにも、エリア責任者が一言書いています。あとは、私が1年に1回は、支配人と20分程度の個人面談をしています。

⑪女性は「話す生き物」

手書きの寸評に加えて、頻繁にきめ細かく面談をして「会話をする」ことでさらに見えてくることがあるようです。

黒田:入社1年ほど過ぎた方とは全員面談を毎年一度しています。私にとっても貴重な機会となっています。支配人ご自身の体調であったり、プライベートで大変なことなどは、わざわざメールでお伝えくださる方は少なく、2人きりになったときに「いや、実は」とお話しになる方もいます。あとは、現場でこんなことが起こっているというのを知る機会にもなって、お客様、従業員のことを考えていくときの大きなヒントになるのです。女性は、話す生き物ですから。

インタビュアー:さきほどもおっしゃったように組織の問題点とかも、かなりズバリと言っていただけそうですね。

黒田:はい。支配人たちには、まず着任したてのときに必ず全スタッフと早いうちに面談をすることに加えて、1年に1回、あるいは半年に1回、賞与か昇級のタイミングで個人面談をするように伝えています。支配人に言っている以上、私もしなくてはと思ってするようになったのです。ですから、東横インは私だけではなく、各店舗が面談を頻繁にする会社だと思います。

⑫「インセンティブ制度」とは?

モチベーションを維持する工夫として(給与とは別途支給される)「インセンティブ」があり、社員からパートに至る様々な属性の社員の努力と成果に報いるものとして効果があるようです。

黒田:売上高ではなく、とにかくお客様を何人入れることができたか、何人のお客様にご利用いただけたかをとても大事にしています。ですから、基本給とは別に、稼働率が高くなればインセンティブが上がる稼働率連動奨励金を支給しているのです。数あるインセンティブのうちの1つですが、自分の店舗の稼働率に応じて支給するもので、同じ店舗で働くスタッフはすべて同じ率で支給しています。例えば先月、85パーセントの稼働率となった場合、ある係数を基本給にかけることになります。基本給が違うため、額としては支配人が一番大きく、パートの方は出勤の多い人が多くなるようになっていますが、係数については店舗の全スタッフ同じなのです。

⑬支給まで工夫

インセンティブは、あえて給料日と違う日に「現金」で渡しているそうです。お金は所詮、外発的な動機付けに過ぎず持続的な意欲の維持向上への効果は限定的と言われていますが、支給の方法を工夫すれば金額に関係なく従業員の心理にプラスの効果があることを教えてくれます。

黒田 スタッフ全員で店舗の稼働率を上げるという意識を高めてもらう狙いがあるため、パートの清掃スタッフから支配人まで、全員がもらえるようにしています。同じ係数で渡せるということに加えて、渡す日も工夫しています。給料日が20日なのですが、給料日と給料日の間にインセンティブを渡すようにしているのです。20日にもらえるのは普通のお給料で、ちょうどお給料がなくなってきた10日ぐらいに、あえて違う封筒に入れて現金でインセンティブをお渡しするようにしています。支配人たちから全スタッフに、「先月の稼働率はこれぐらいだったので、こういうインセンティブですよ」と渡すのです。インセンティブにはいくつか種類があって、例えばフロントは、会員を増やす役割を担っていますので、何人会員を増やせたかということもインセンティブに入っています。ですから、「あなたは先月会員を何件取ってくれたから、この金額です」と言いながらお渡ししています。インセンティブは、賞与のように給与の何カ月分も入っているわけではありません。パートの方で何千円、フロントの方でも数万円程度なのですが、お給料がなくなった頃にもらえると、ありがたみも違います。また、金額の多寡にかかわらず、先月の結果をすぐもらえるということも大きいと思っています。

⑭手間を惜しまない本当の理由

なぜ、現金支給という非常に手間がかかる方法を止めない理由は「喜んでもらうためだ」という」シンプルですが本質的な言葉を述べています。

黒田:インセンティブは給与ほどの額ではありませんから、やはり給与明細にすると味気ない。明細でお札何枚、たとえば5万円と書いてあっても、そこまではうれしくないかもしれないのですが、少額でありながら喜んでもらえる方法として、現金をその場でお渡しできるのはとてもいいと思っています。本社も本社で支配人の分を数えますので手間ではあります。店舗の支配人たちにとっても、何百円単位まで間違えてはいけませんので、大変な手間になります。ですから、支配人の働き方改革の一環として、「やめる」という議論もしたことがあります。ただ、例えば、現金でお渡ししたときに清掃スタッフから「ありがとうございます」と言われたときの顔を見るのがうれしくて、「続けていきたい」と支配人たちが言ってくれますし、やはりやめられないと思うのです。

⑮女性ならではの悩み

男性が見落としがちな女性登用の阻害要因に「周囲に頼ることを躊躇する女性の意識」があるとのこと。また、男性にも家事や育児へ関わる意識を変えて欲しいと明言されています。

黒田:私が結婚して子どもを産んだ頃は、ちょうど働いている女性と専業主婦の女性との割合が逆転した時期なのです。私の友人も、子どもを産んで働いている人と働いていない人がちょうど半分ずつぐらいでした。私の場合は、自分の実家だったり、主人の実家だったりとサポートしてくれる人がたくさんいて、それから区のサポートなどを積極的に使うことができました。ただ、そういう時代でしたので、子育ての主体はまだまだ女性であり、家庭を守るのも女性の仕事という風潮が強かった。私自身もそうでしたし、私の周りでも自分で子育てをしないといけない、自分が家庭を守らなくてはいけないという意識が強すぎて、「周囲に頼れない」と聞いたことがあります。その部分については私たち女性が変わっていかなくてはいけないと、他の女性経営者の方とも話をしています。幼い子どもをどこかに預けることに罪悪感を感じてしまうお母さんがまだ多いのではないかと、女性の経営者の方とよく話をしています。

インタビュアー:そのあたり、まさにご自身で体験しているからこそわかるのですね。

黒田:なんと言っても日本人の男性には、働く女性に対して「なぜ、家にいないのだろう」と思う気持ちを変えてもらわないといけませんね。男性のなかには、子育ての「手伝いをしている」という感覚を持っている方も多いと思うのです。今でこそ手伝ってくれる男性は増えていますが、まだまだ「手伝い」なのです。一方の女性たちは手伝っているのではなく、やっています。例えば、私も主人に子どもを見てもらって、プライベートで飲みに行くことがありますが、「空いている?」と聞かなければいけません。だけど、主人は「行ってくるからね」と言って、飲みに行きますよね。私が飲みにいくとき、主人は「行っておいで」と言ってくれるし、預かってくれますが、女性の場合は「預かってくれる?」と聞かなければいけないというのは、男性と女性の意識の大きな違いだと私は思っています。

⑯本当に必要な施策とは?

気軽に頼れる存在としてのベビーシッターの普及が有効であるとの考えを述べています。これからの日本に本当に必要なことを黒田さんは教えてくれています。

インタビュアー:これは一般論、社会全体の話ですが、女性がより活躍できる社会に向けて、どのようなことが必要だとお考えでしょうか?

黒田:気軽に頼れるベビーシッターは、日本社会に根づいていかなければいけないと思います。娘の留学先であるイギリスでは、高校生からベビーシッターのアルバイトを頻繁にするそうです。そのくらい需要があるのだなと思いました。知らない子かどうかは別として、高校生に子どもを預けるかといえば、日本では預けないと思うのですが、気軽にベビーシッターに頼れる社会になっていくと、もっと女性が活躍しやすくなると思います。当社自身、まだ保育園の補助などができていませんが、保育園とか、お子さんを預けられる設備、施設は増やしていかなければいけないと考えています。

黒田さんの、女性として、妻として、母として、そして経営者としての実践的な話は目からうろこが落ちます。

女性登用は「男性の意識改革」など掛け声だけでは到底実現しないこと。経営者が、そこにかかる手間や心遣いを、継続的に、しつこく徹底的に実行する覚悟が不可欠なのだと思いました。

日本人の半数は女性です。その力を最大限発揮せしめることが出来るかどうかが、日本の未来を左右するといっても過言ではないでしょう。

ところで、黒田さんはベビーシッター活用に言及されましたね。コロナウィルス拡散が収束したら東横インは「ベビーシッター」関連の新ビジネスを始めるかもしれません。女性が子育てを任せることへの罪悪感の払拭と、社会の許容度をどう高めるかといった難しい課題がありますが、ベビーシッターの認定資格化と育成事業への新規参入。そして、ホテル経営のノウハウを生かした託児施設の運営等など。。今後の同社の取り組みが楽しみです。

若者 バカ者 よそ者によるイノベーション②

真壁昭夫さんが著して2012年に出版された「若者、バカ者、よそ者 イノベーションは彼らから始まる!」からヒントを得て、前回は、イノベーションの担い手としての「若者」について書いてみました。今回のテーマは「バカ者」です。

同書のアマゾンの書評では「バカ者」を、

「旧来の価値観の枠組みからはみ出た人」

と定義しています。言葉を替えると「空気を読まず正論を吐く人」という人物のイメージかと。数は少ないですが、私がこれまでに出会ったそういう人々の顔が頭に浮かびました。

そこで、どんな会社、組織でも、今すぐに始められる「バカ者」によるイノベーションを考えた時に、ふと目に留まったのが、社会学者の上野千鶴子さんが日経ビジネスで語った「女性の登用」に関する記事です。以下、抜粋します。

記者:2019年末に世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数ランキングでは日本は153カ国中、過去最低の121位となっています。

上野:ぼうぜんとしています。というのは、毎年、ジェンダーギャップ指数は下がり続けていますが、それは、日本が悪くなっているからではなく、諸外国がジェンダーギャップの解消に努力しているのに、日本は変化していないから取り残されているのです。女性や若者の登用は、ボトムアップではほとんどできません。トップダウンの方が、速く、確実に進みます。企業のトップに頭を切り替えていただかないと、なかなか変わりません。日本はこれまで、持てる力の半分、つまり女性を腐らせてきたのだから、その女性を生かすことです。

記者:クオータ制に反対する男性たちは、強引に女性を登用したら組織の秩序が乱れると懸念しそうですが。

上野:下駄を履かせてでも女性を登用すれば、ノイズが起きます。そのノイズが、活性化の原動力になるんです。

上野さんの「ノイズが活性化の原動力となる」という言葉は、女性がイノベーションを起こすことを意味しているのではないかと思います。そこで、「バカ者」を「女性」に置き換えて「空気を読まず正論を吐く人」が「女性」だとします。(決して「女性」が「バカ」という意味ではありません。)すると、多くの組織で「女性」を活かしきれない理由と解決の方法を考えるという問いが浮かんできました。

ちょうどそんなことを考えていた時、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長がJOCの評議会で「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」と発言し波紋が広がっているというニュースが目に飛び込んできました。

JOC=日本オリンピック委員会は今年6月の役員改選で女性の理事を増やし4割以上にするという目標をかかげていることに対して、森会長は3日、JOCの臨時評議会で、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げて発言すると、自分も言わなきゃいけないと思うのだろう。それでみんな発言する」と述べました。一方で組織委員会の女性理事については「みんなわきまえておられて、非常に役立っている」としました。五輪憲章にはIOC=国際オリンピック委員会の使命として「いかなる形態の差別にも反対し、行動する」と記されていて、森会長の発言は波紋を広げています。(2021年2月4日 Yahooニュース)

森さんが「女性は競争意識が強くみんな発言する」と述べているのは、前述の上野さんのコメント、「ノイズが起きます」と一致します。森さんの価値観では、組織委員会の女性理事が「わきまえておられて」発言を控えるのが普通で、女性が積極的に発言することは気に入らないのでしょう。一方、国際団体であるIOCに直結しているJOCは女性の理事を増やして活性化を進めようとしているようです。そして、森さんのようにそのことを危惧する人たちが内部にいる。ポイントは、なぜそんなことが日本で起きるのか。本質は何なのかを私たちは正しく理解しておく必要があるということです。

まず、なぜ「女性」が、「空気を読まず、正論を吐き、ノイズを起こす」のかを考えてみたいと思います。

私の古い友人でコンサルタント、研修講師として長年、女性活躍支援に取り組んでいるUさんが、女性と男性の違いについて明言していました。

「女性は男性のように戦士にはなれない。それは母性があるからだ。母性は命を守るために理不尽なこと、不合理なことに従わない。それでも従うよう強制されると病気になる。」

Uさんは、かつてご自身が部門長として辣腕を振るったときに部下10数名から一斉に辞表を突き付けられたというトラウマ体験をしたそうです。その失敗から、やる気と活気にあふれた理想の職場を実現する、理想のマネジメントの姿を探求してこられました。そして、たどり着いた課題は、女性の能力を活かしきれないマネージャーの存在だったと。そこで、男性管理職の意識改革に取り組むようになりました。

彼女が自らの失敗を教訓にして、多くの男性マネージャーと向き合う中で、前述の「戦士になれない女性」という核心を突く言葉が生まれたのです。

つまり、女性が「空気を読まず、正論を吐き、ノイズを起こす」かというと、森さんが言っているような「競争意識が強い」からではなく、理不尽や不合理に流されない。つまり、忖度しないからなのです。だからこそ、同調圧力が強く働き、相互監視によって変化の動きを封ずるような組織においてこそ、女性が突破力となり、現状打破のきっかけをつくってくれると考えられるのです。さらに上野さんは、次のように述べています。

「ダイバーシティー(多様性)を促進した企業は利益率が上がる、というデータを多くのエコノミストが出しています。そのようなエビデンスがありながら、女性登用を進めないのであれば、日本の経営者は経済合理性では動いていないのではないかと疑いたくなります。」

ここまで分かっているのに、それでも尚、斜に構えて女性の活躍を素直に受け入れない人が、政治家や経営者など、責任ある立場の人たちの中に存在し続けるのは何故なのでしょうか。

森さんの発言を知って、私の頭にふと浮かんだのは「平等」という言葉でした。森さんを非難するネット上のコメントには「男尊女卑」「女性蔑視」等、不平等や差別の類の言葉を多く見かけましたが、私の頭には真逆の「平等」という言葉が浮かんだのです。

それは何故かというと、「平等意識」が強いと、皆同じであることが当たり前なので、違いを許容しない態度をとってしまうのではないかと思うからです。それは私たちが無意識に共有している文化であって、日本の地理的特性と歴史をたどることによって理解が深まるはずだ、という仮説を立てました。

「平等」の分かりやすい例として「大相撲」を採り上げます。「大相撲」には番付(格付)はありますが階級制度のない「平等」の典型例だからです。圧倒的な体格差がある力士同士が度々対戦し、小兵力士が多彩な技を繰り出し、圧倒的不利な条件を克服して大きな力士に勝利する姿に観客は歓声を送るのです。きちんと調べたわけではないですが「大相撲」のように階級のない格闘技は国際的に珍しいのではないでしょうか。

例えば、イギリス発祥のボクシングは、体重毎に17(最軽量のアトム級(女子のみ)を入れると18)もの階級が厳密に決められています。また、韓国の国技であるシルムにも、白頭級(105.1kg以上~160.0kg以下)、漢拏級(90.1kg以上~105.0kg以下)、金剛級(90.0kg以下)、太白級(80.0kg以下)の4階級があります。格闘技においては体重差が攻撃力に直結するためにこのような階級が設けられるのは当然なのでしょう。

一方、格闘技以外にも、ゴルフ等のように、実力的に差のある競技者も楽しめるよう、各競技者に一定の数値を与え、競技終了後、その数値をスコアより差し引いたネットスコアで勝敗を決めるというルールがあります。

格闘技もゴルフ等も、競技者間の条件の差異を埋めるために設けられたルールがあります。いわば平等(無条件に同じであること)を担保できないことをふまえて、公平(どちらかに条件が偏らないこと)を期するために「下駄を履かせる」のです。前述の女性登用にクオータ制を設けるという発想は、出産や育児と言ったライフイベントへの関与度、また体力等のフィジカル面での男女の性差を薄めるためで、女性に公平に機会を提供するのに必要不可欠であると考えられ、国際的に常識化したのではないかと思います。

一方、日本では、大相撲のように、個の違いを考慮せず、むしろ違いの克服を美徳とするような文化があり、それは、一言でいうと「平等意識」の表れではないかと私は思うのです。そういえば、日本では至るところでこの「平等意識」が議論や争いの原因になりますね。森さんも、女性登用に躊躇する経営者も、そして私たちも、日本人が普通に共有しているこの意識の正体とは一体何なのでしょうか。

「平等意識」とは、極論すれば、人は生まれながらにして皆同じ、という考え方です。この考え方に基づけば、同じであることが普通で、違いがあることは異常ということになります。かつて笹川良一さんが「世界は一家、人類は皆兄弟」と言っていましたが、まさにその発想です。しかし現実には、人間社会は決して平等ではありません。特に昨今では、コロナウィルス感染拡大によって、経済活動が停滞を余儀なくされ、多くの人が仕事を失い生活困窮者が増え続けています。そういった不平等な現実があるにもかかわらず私たちの意識のどこかには依然「平等」という感覚があります。そのために、違いがあるという事実を感覚的に受け入れがたく、森さんのように、ついつい感情的に反応してしまうのではないでしょうか。では、私たちの「平等意識」は、いったいどこまでさかのぼれば起源を特定することが出来るのでしょうか。

「聖徳太子」ゆかりの法隆寺の管長、大野玄妙さんによる、太子が唱えた「和を以て貴しとなす」と、その背景ついての講話を聞いてストンと腑に落ちました。私たちの「平等意識」は、誰かから学んだわけではなく、自然に生まれたもので、もとからここにあったというのです。(テンミニッツTV「法隆寺は聖徳太子と共にあり」より)

皆さんもよくご存知のように、聖徳太子さんといえば、「和を以って尊しとす」という和の精神を提唱し、これを広めた方です。ではその「和の精神」とは一体何か。よくご存じのように、この「和を以って尊しとす」という言葉は、実は中国の『論語』、そして『礼記』からの出典で、太子さんはこの言葉を引用したのではないかということが昔からいわれています。そこで『論語』をきちんと読んでみると、これは礼の働き、「礼の用は~」というように書かれています。つまり『論語』が述べているのは、「条件付きの和」なのです。要するに、世の中の秩序や上下関係など、そういったものが正しく機能するためには、皆で仲良くしなければならない。だから和が必要である。こういう考え方が、もともとの中国的な和の考え方です。

では聖徳太子さんの和とは、一体何か。実はこの和は、いきなり「和を以って尊しとす」と出てきます。つまりこれは、「無条件の和」です。条件がありません。そうすると、その無条件の和とは一体何か。それを考えてみるには、まず私たち日本人が、どのような生活をし、どのように現在の状況まできたかという歴史をたどる必要があるかと思います。そして、その歴史をたどる前には、聖徳太子さんよりもはるか以前から考えていかなければならないと思います。

続けて、大野さんは、日本の地理環境が「和」の精神を生んだと述べています。

それはすなわち、私たちが置かれていた環境です。これはもういうまでもなく海に囲まれていて周囲から隔離されています。当然、日本の人々は、単一の民族ではないことは誰しも分かっています。長い時間をかけて交流や混血といった形で組み合わさり、そして日本人が形成されてきたのです。その結果、日本人のものの考え方は、周囲の環境に強い影響を受けてきました。少ない資源を皆で仲良く分け合い、助け合いながら生きていかないといけない。日本はそういう社会でした。そういう環境下で何が起こったかと言えば、思いやりやいたわり、あるいは多様性、いろいろなことに対応できる能力などが培われてきたのです。狭いところで、毎日顔を合わせて生活をします。だから余計なことを言ってしまうと、次の日、気まずいのです。そのため、そういう環境で生まれてきたのは、「遠慮をする」ということでした。同時にそこで、「これは言わない方が良いだろう」という予知能力が働きます。「これを言ったらおしまいや」ということです

大野さんは日本との比較で、他国の感覚について述べています。

では、日本人以外のいわゆる大陸の人々はどうだったのでしょうか。例えばモンゴル高原ではいろいろな国が勃興します。そうすると彼らはけんかします。けんかをしたら、彼らはダーッと逃げていきます。そうすれば、お互い二度と会わなくてもよくなるからです。皆さんも歴史でご存じのように、匈奴という民族はヨーロッパまで逃げていきました。あるいは、現在のハンガリーと結びついたマジャール人です。それ以前ではアラン人など、東洋からずっと入ってきた人たちはいろいろいるわけですが、そういう人たちは、最終的にフランスを越えスペインを越えて、ジブラルタル海峡を渡って北アフリカに入り、そして国家をつくっています。ですからこれは、いったんけんかを始めたら、お互いで言いっ放しという世界です。だから当然、「言わなきゃ損」です。思いっきり言います。ダメ元で言います。そういう人々と日本人の感覚とは、かなり違う性質を持っているということです。これは当然のことでしょう。

最後に、大野さんは、このような「和の精神」が、現在の日本人にも生きていて、それが、足枷にもなっている部分があると述べて講話締めくくっています。

日本の「和の精神」、そして、それが個の違いを曖昧に、まるではじめからなかったものであるかのようにしてしまう「平等意識」の根本になっていて、不平等を克服する公平な制度の必要性を感じづらくしているとしたら。さらに、その影響で「女性登用の遅れ」という現象が表面化しているとすれば、その解決には、強固な岩盤を打ち破るように、相当強力な対策を講ずる必要がありそうです。従来の「管理職の意識変革」などといったソフトなことをやっても埒が明かないかもしれないのです。

そこで、劇薬の注入です。例えば「空気を読まず、正論を主張して、ノイズを起こす」女性の集団を、組織の中につくってしまう、というのはどうでしょうか。少人数を分散投入しても、既存勢力に排除されてしまうか、同調圧力に屈してしまうのがおちですので、大人数を、それも一斉に同じ職場に投入して既存勢力の常識とやり方を根こそぎひっくり返してしまうくらいのパワーを与えるのが有効でしょう。

さらに実行力を高めるためには、欧州など男女平等先進国で成果を上げている強制力のあるクオータ制を導入するのが不可欠でしょう。上野千鶴子さんによると、強制力のあるクオータ制なくして男女平等の社会を実現できている国はほとんどないようなのです。この現実を素直に受け入れて、従来の日本的な「平等意識」を一旦自己否定し、「公平な制度」を設けるよう仕向けるのです。

そして、クオータ制を設けたらフランスのように罰則を設けることも忘れてはなりません。女性比率50%を達成しなければ法人税率を上げるとか、各種助成金を非該当にする等、様々な方法があると思います。要は、小手先のお茶を濁すような施策ではなく、制度運用による徹底的な取り組みが必要だということです。

一方、多くの経営者はクオータ制を、「我が国の風土になじまない」と言っていることに対しても、上野千鶴子さんは一刀両断します。

「私は長年にわたって男性に下駄を履かせてきたでしょうと言い返しますよ。男というだけで無能な人でも管理職になれた。それは本人にとっても周囲にとっても幸せなことだったのかと、いくらだって反論できます。それに男だって女だって、ポストが人を育ててきたんです。有能な女性がしかるべき地位に就けない日本企業は、たくさんの女性を「おつぼねさま」と揶揄(やゆ)して、能力と意欲を腐らせてきたんです。現状を変えたくないがための言い訳にしか聞こえません。

上野さんの持論、森さんの失言、日本の地理、歴史による影響、そして制度的な対策まで述べてきました。「平等意識」が逆に「差別」と受け取られかねない言動を生むというパラドックス。平等に振る舞うほど不公平を助長するというジレンマ。私たちが陥りがちなこととその回避策を、これからもずっと考え続けたいと思います。

次回は、番外編(企業研究)として、女性登用に成果を上げている、ビジネスホテルチェーンの東横インを取り上げたいと思います。同社は、2019年末時点で310ホテル、6万6,887室、海外は、韓国に13店舗、ドイツ、フランス、フィリピン、カンボジア、モンゴルに展開しています。支配人の97パーセントが女性という同社が、どのようにして女性が持つ力を最大限発揮せしめているのか、代表執行役社長の黒田麻衣子の興味深いお話しを採り上げます。

若者 バカ者 よそ者によるイノベーション①

「若者、バカ者、よそ者 イノベーションは彼らから始まる!」(著者は真壁昭夫さん)という本が2012年に出版されました。それ以降、イノベーションを起こす条件の一つとしていろんなところでこの本のタイトルが語られるようになりました。Amazonのサイトにはこの本について次の解説があります。

行き詰まった日本を変えるにはどうすればいいか。その答えは、いままでのやり方を変えることだ。家電メーカーの業績不振は、中国や韓国メーカーの技術的なキャッチアップと円高によるものだろうが、変わらない企業の側にこそ問題がある。では、具体的にどうするか。人が変わらなければ、結果が変わらない。著者は、過去の成功体験に頼らないで組織を改革するには、「若者、バカ者、よそ者」の力が必要だと説く。つまり、強力なエネルギーを持つ若者、旧来の価値観の枠組みからはみ出たバカ者、組織の外にいて従来の仕組みを批判的に見るよそ者である。本書はシュンペーターのイノベーション理論をわかりやすく解説し、元気のない日本企業と社会を活性化することを目的にしている。新製品の発明・発見、新市場の開拓、新しい産業組織の実現など、いま日本に求められているのは、まさに創造的破壊なのだ。経営者、管理職層に読んでもらいたい一冊である。

そこで、「人事が起こすイノベーション」の締めくくりとして、3回に分けて「若者、バカ者、よそ者」について、それぞれ掘り下げて考えてみたいと思います。今回のお題は「若者」です。

友人のDさん(友人といっても20歳以上歳の離れた若者です)が最近転職をしました。以前勤めていた会社は全国的に有名な健康食品の通販会社なのですが、入社早々社内におかしなことたくさんあることが分かり心底呆れ返ってしまったそうです。例えば、出社すると全員が会長(亡くなった創業者の妻)の部屋の前で、ドアが閉まっていて姿の見えない会長に向かってお辞儀をして大声で挨拶をさせられるのだとか。そして、退職の直接的な原因は、上司が仕事の相談にまともに応じようとせず、放置されたことだったそうです。

そんな意欲を維持したくてもできないような環境に別れを告げて転職したDさんに久しぶりに会ったところ、一目見て表情も明るくイキイキしているので、転職がうまくいったのだと思いました。それで話を聞いてみると、とにかく「仕事が好きだし、楽しい」のだそう。毎日残業で忙しいけれど、全然苦にならない。とにかく楽しいのだそうです。そんなDさんの姿を見て、仕事は本来こうでなきゃならないと気づかされたのでした。でも、一体どれくらいの人がDさんと同じように「仕事が好きだし、楽しい」と思っているのか気になり始めました。

そこで関連する情報を調べたところ、2018年に米国のギャラップ社が実施した「エンゲージメント・サーベイ」の結果が目に留まりました。全世界1300万人のビジネスパーソンを対象としたこの調査によると、日本企業はエンゲージメントの高い「熱意あふれる社員」の割合がたったの6%で、米国の32%と比べて大幅に低く、調査した139カ国中132位だったとのこと。さらに「周囲に不満をまき散らしている無気力な社員」の割合は24%、「やる気のない社員」は70%に達しておりいずれも調査対象国中最下位レベルだそうです。従業員エンゲージメントとは、従業員の企業に対する信頼関係や愛着心を意味する言葉ですが、田中道昭さん(立教大学ビジネススクール教授)によると、仕事や会社に対するワクワク感や幸福感とも言える概念であり、社員幸福度とみなすことが出来るそうです。ではなぜ、日本には熱意あふれる、幸福度の高い社員がこんなに少ないのでしょうか。

元キリンビール株式会社の副社長で、高知支店長時代に行った改革を「キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!」という本に著した田村潤さんは、熱意あふれる社員がごくわずかしかいない原因について、次のような見立てをされています。

私は昭和48年入社ですが、少し上の世代は戦争経験者で「どんなことがあってもやる」という意気がありました。その世代がだんだんリタイアしてくると、それほど苦労しなくても業績が上がっていく時代に育ってきた人間が主流を占めるようになっていきました。日本企業の生産性が悪くなるのはアグレッシブさがなく、困難を乗り越えた経験がないために受け身になってしまっていると感じています。これは何とかしなければならないといろいろな改革が進んで新しいルールが次々と出来る。すると今度はそのルールを守ればいいのだということでそれを乗り越えようとする力が失われる。形式主義に陥っていると思うのです。

田村さんは、ここで、精神力と形式主義が「社員の熱意の低さの原因」との見立てをされています。その考え方に基づいて仕組みと仕掛けをして高知支店の改革に成功されたわけですから、おそらく間違いないのだと思います。しかし、私はなんとなく引っかかるのです。熱意あふれる社員が少ないのは、世代とか時代とかそんなことよりも、もっと単純な理由ではないかと。

以前、ある調査結果を読んだ記憶があるのですが、それは職場における精神の健康度に関する考察で、役職者が非役職者と比較して高い傾向があることがはっきりしたという内容でした。そして、精神の健康度を決定する要因は「仕事の裁量度」、つまり、自分がやりたいことを誰からも邪魔されずに出来るかにかかっているとの結論が導かれました。私がこれまでに複数の会社で実施に関わったモチベーションや意識調査の結果を見ても、役職者の方が非役職者と比較してポジティブな傾向が出ました。さらに、その中でも業績が好調で、現場への権限移譲が進んでいる組織の方が、結果はさらにポジティブな方に振れていました。

以上を俯瞰すると次のようなことが言えるのではないかと思います。

「仕事の裁量が大きくなるにつれて、意欲と満足度、さらには幸福感までもが高まっていく。」

友人のDさんが、なぜそんなに仕事が楽しいのか、もっと詳しく知りたいと思ったので会社の様子について質問したところ、社長が社員の前で、皆さんの力を存分に発揮して欲しいと度々発言していて、細かいことには口出ししないのだそうです。それが社風になっていて、直属の上司も、あれこれ指図しないし、仕事を任せてくれるのでとてもやりやすいという返事が返ってきました。

イノベーションを起こすために「若者」を揃えたとしても、Dさんの会社のように、彼ら彼女たちが思う存分仕事に打ち込める環境を整えなければ、内に秘めたエネルギーを発揮できずくすぶってしまうでしょう。私の知る福岡県のある一部上場の電子部品メーカーでは、2019年4月、採用活動が功を奏して例年の倍の80名もの大学新卒社員を採用しました。しかし、一年以内に8割の新入社員が退職してしまったそうです。その理由は様々だったでしょう。ただはっきりしていることは、その会社が「若者」を揃えることには熱心だったものの、彼ら、彼女たちがイキイキと仕事をする環境を整えることまで配慮が足りなかったということです。想像ですがその核心には、仕事を任せて(全員一律ではなく一人ひとりできることを見極めてです)、やる気を高め、維持するという仕掛けが不足していたのではないかと思います。

では、「若者」の意欲が高まらない原因が、「仕事の裁量の低さ」だとすると、それを防ぐための手立てはどうしたらよいでしょうか。

「若者」は経験が浅く、多くの場合仕事に不慣れですので、当然周囲の先輩社員や上司に指導を仰ぐことになります。すると、自ずと口やかましく指図されることが多くなります。細かいことを要求され続けると「若者」の意欲は下がり、自分で考えて工夫することがなくなって徐々に成長にブレーキがかかり始めます。一方、仕事が不慣れな中でも、安易に答えを与えず、まず自力でやらせてみて、うまくいったこと、出来なかったことを振り返らせて、徐々にステップアップさせるような指導の下では、「若者」はぐんぐん成長していきます。ポイントは、既存社員達の「若者」に接する態度が決め手になるのです。

私がこれまでに出会った人の中には「若者」を成長させることが出来る人と、そうでない人がいました。その割合は前者が2、後者が8という感じです。さらに、後者の8には圧倒的に、経験豊富なベテラン社員が多かったと思います。人はだれでも、年齢を重ねるにつれて自分の経験を大きめに自己評価し、それを人に押し付けがちになります。指導を受ける側の立場、視点に立った「正しい接し方と指導方法」を身につけない限り、育成に関わろうとしない傍観者か、もしくは「若者」のエネルギーを殺す存在になってしまいます。

そこで、「若者」にとって悪い存在となっているベテランのイメージをはっきりするために、私が出会ったお三方について書きたいと思います。

一人目のSさんは、高校卒業後、某総合電機メーカーに入社し定年退職まで勤め上げられ嘱託再雇用となり、65歳で契約終了となると同時に、私が入社した商社に再就職しました。創業者である社長が大学を卒業してそのメーカーに入社し、Sさんにお世話になったことから顧問という肩書きが与えられ、さらにトヨタの高級車をプレゼントされるという厚遇で迎えられました。そんなSさんの社員に対する態度は常に高圧的でした。社員は、社長がSさんを大切にしていることを知っていたので、どんなに理不尽なことを言われても逆らわず、服従するような態度が固定化していました。Sさんは、朝礼等、社員の前に立つときは常に不機嫌で社員のこと、社内で見つけたことについて不平、不満を述べました。その内容ほぼ全て業務とは直接関係のないことばかりでした。例えば、ごみの捨て方が分別のルールを守っていないとか、お弁当の容器がきれいに水洗いされていないというようなことばかり指摘し、都度腹を立てました。注意だけならまだしも、Sさんはあろうことか、誰にも相談せず、個人のごみは一切捨ててはならないというルールを決めてしまいました。それ以降、社員はごみを自宅に持ち帰らなければならず不便な思いを強いられました。実施した意識調査のコメントに、「ごみを捨てることが出来ない会社など見たことも聞いたこともない」といった辛辣なものがありましたが、社員は皆、似たような感情を抱いていたと思います。Sさんは会社が導入した経費精算や勤怠管理のシステムに対しても社員向け説明会の場であからさまに拒絶する態度を見せました。まともに説明を聞かず「とにかく気に入らない」と発言しました。それでも他の社員は、社長の手前、それを咎めることもできず好き勝手を言わせるままになっていました。Sさんの中にはかつての会社の「道徳的規範」が強固に確立していて、それをあたかも絶対的正義のようにみなして、すべての場所で通用すると思い込んでいたのではないかと思います。Sさんのように頑なで自分の考えを絶対視し、人の意見に耳を傾けない人は、日本企業では決して珍しい存在では無いのではないでしょうか。そのようなベテランの存在が「若者」のやる気を奪い、イノベーションの妨げになっているということを、もう一度私たちは真剣に考え直すべきではないかと思うのです。

二人目のTさんは、某大手家電メーカーの経理部門を勤め上げ、定年後嘱託再雇用満了後に、私が入社した出版社の顧問を務めていました。週一回出社されて、社内の各部署から業務の報告を受け、適宜アドバイスをするという役割でした。社員が困っていること、悩んでいることへの解決策を提示することがTさんの役割だったはずですが、Tさんの存在自体が社員の悩みの種になっていました。Tさんが許可をしないと社長の決裁伺いが出来ないという暗黙の了解があり、Tさんを納得させることが社員にとって非常にストレスになっていたからです。私が苦心したことは、その会社では顧客情報の一元管理が出来ておらず、各部署で情報を共有して効果的な営業活動が出来ていないことをなんとかするということでした。そこで、クラウドサービスを導入して、短期間で、一気に抜本的な業務の枠組み改良を行うという問題解決の方向性を考えつきました。私が社長にプレゼンして決裁伺いをしようとしたところ、社長は、「Tさんに相談してから再度提案しろ」と指示しました。その時私は、入社して間もなかったことからTさんのことについて詳しいことを知りませんでした。Tさんに私のアイデアを説明しました。するとTさんは、アイデアの内容そのものについてコメントするのではなく「クラウドサービスには情報漏洩の危険性があるので導入は認められない」と言い出しました。私は、クラウドサービスの情報は暗号化されていて情報漏洩のリスクはゼロとはいえないまでも低い。その証拠に、多くの企業で採用、導入されていますと反論しました。しかし、Tさんは私の意見を頑として受け入れず「危険なものは危険」の一点張りを通しました。私は、Tさんが古い基準で物事を差配していることの問題点を社長に訴えました。そして、システムを導入することで業務効率が上がり社員の激務も解消されるので人事的側面からもクラウドサービスの導入は必要と主張しました。結局、私の必死の訴えが功を奏して社長から決裁を得て導入することが出来ましたが、導入後もTさん導入準備に横やりを入れて、ことあるごとに嫌味を言い続けました。Tさんの理解では、クラウドサービスは技術的にも未成熟で実用には耐えられないもの、という認識をもっていたのかもしれません。しかし、会社の持続的成長に貢献すべき顧問という役割を果たすのであれば、ご自身の経験を活かしつつも最新のテクノロジーに関する知識を実装して正しい現状認識と判断をしていただきたかったと思います。

三人目のGさんはバブル崩壊後に廃業した某大手都市銀行出身者で、私が入社したソフトウェア開発企業で、常務取締役として管理部門を管掌していました。この会社は、東証一部に上場していましたが、某大手メーカーの連結対象子会社でもあり、社長筆頭に同社から役員が天下ってきていました。Gさんがどのような経緯で取締役に就いたのかはよくわかりません。私が入社してしばらくした頃、急速に業績が悪化しました。赤字化することを避けたい経営の意向で50名程の雇用調整を実施することになりました。私はそれ以前の会社で雇用調整の実務を担った経験があったので、全体のスキームを考え、再就職支援会社など外部の協力企業との調整を詰めて、いよいよ退職勧奨の実務(部下面談)を担う管理職向けの研修日を迎えました。Gさんは、取締役として、担当する退職勧奨面談はなかったので研修には参加しませんでした。研修の終了間近、質疑応答のパートに入った頃、Gさんが研修会場に姿を現し、私たち人事部員が研修受講者である管理職達から様々な質問を受けている様子を会場の後方で腕を組んで見届けました。そして、質疑応答も混乱なく無事に終わりかけていた最後になって、ある管理職から私たちが想定していなかった質問が出されました。私は、取り決めていなかった内容だったため、持ち帰って検討し、ルールを決めて関係者に通知すると返事をし、管理職達はその回答に納得して解散となりました。私は、急ごしらえながら無事に一歩を踏み出せたと考えて安堵しました。そして、管理職全員が研修会場を退室して私たち人事部員が会場の片づけを始めようとしたところ、Gさんがものすごい剣幕で私たちのところに歩み寄ってきて「全員別室に集合しろ」と怒鳴りました。私たちは意味がわからず恐る恐る別室に入ると中央にGさんが座りじっと私たちをにらみつけています。全員着席した途端にGさんは一方的にまくし立てました。「管理職に質問されて答えられないことがあるなど言語道断だ。一つでも抜けがあればすべて意味がないことだ。お前たちの仕事はまったくなっていない。」私は悔しさと怒りのあまり握りこぶしを今にも机の上に振り下ろしたくなる衝動に駆られました。それでも我慢出来たのは、私が抜けて仲間に負担がかかることを避けたかったからです。銀行出身のGさんからすれば、数字が完璧に一致しなければすべてやり直しという仕事観から発した言葉だったと思います。同社にとって初めての大きな雇用調整であり、やってみないと分からないことも多々ある中で、しぶしぶ研修に応じた管理職達に、なんとか主体的に部下のことを考えさせることが出来たという意味で、研修の最重要課題はクリア出来たと自負していました。しかし、本題とは異なる、全く予想もしない視点から頭ごなしに否定されたことは、私にとって一生忘れない記憶として刻まれました。最終的に、雇用調整は計画通り進捗し、トラブルも一件も発生せず無事に終えることが出来ました。私たちがGさんから受けたようなことを起こさないためにはどうしたら良いか、私の問題意識の原点のひとつになっています。

私が関わったお三方の記憶をたどる中で、改めて「若者」のやる気を高めて、イノベーションの担い手となってもらうために必要なことがはっきりしてきました。それは、「成功体験」をもつベテラン社員の扱いをどうするのかということです。

今後日本の企業では、間違いなく定年延長が具体化していきます。政府は、社会保障費削減のために、これまで保障を受ける立場であったシルバー層を、社会保障制度を支える立場になってもらうということを企図していると思います。現在、多くの企業では定年は60歳で65歳まで嘱託として継続雇用するという制度を運用しています。今後、定年を65歳に繰り下げて、70歳まで働ける環境を整えるように多くの企業では対応するでしょうが、制度変更はあくまで表面的なことです。制度変更による影響は今回のブログに書いたような「若者」のやる気にまで及ぶことを政治がどこまで理解しているかは疑問です。

「若者」に接する態度を気を付けるよう、ベテラン社員に意識付けをするという消極的な方法では効果は覚束かないと思います。OJT研修をやっても効果は限定的でしょう。より強制力のある仕組みが必要と考えます。

私が勤務した会社では、60歳定年を迎えると、会社に出社する必要はなくなります。毎月仕事に関するレポートを会社に提出することで、65歳まで継続雇用されて給与が支給されるのです。これは、ベテラン社員による現役社員への影響を抑えたいという意図から設けられた制度のようです。しかし、同社も近々65歳定年に移行を余儀なくされるはずですので、同じスキームで環境変化に対応できるのか疑問です。

そこで思い出したのは、千葉県香取市、水郷と呼ばれた佐原を観光したときに聞いた「ベテランの扱い」に関する話です。江戸時代、幕府の直轄領として交易で繁栄した佐原では独自の文化が発達しました。ユネスコ無形文化遺産にも登録された山車曳き廻しは特に有名です。この山車が保管されている「水郷佐原山車会館」で、説明員の方に聞いたことが参考になると思うのです。佐原には江戸時代から続くすべての世代の男性によって組織される自治組織があります。そして、満60歳、つまり還暦を迎えると全員、無条件で若者の下に就いてお茶汲みをするのだそうです。このルールによって、権力が固定化されず、派閥もできず、世代の入れ替わりが円滑に行われてきたと説明員の方は力説していました。この佐原モデルからは、個人の意識に依存するのではなく、ベテランの役割を強制的に変えることの必要性について教訓を得ることができます。この智慧を「若者」が意欲高くエネルギーを発揮してイノベーションを起こす組織づくりに活かせないか考え続けたいと思います。

今回はイノベーションの担い手である「若者」がエネルギーを存分に発揮して、意欲高く幸福感を感じて仕事をするにはどうしたら良いかを考えました。人生100年時代といわれる今だからこそ、改めて世代間の良い関係性づくりについて、成り行き任せではなく、しっかりとした理念を掲げて、具体的な方策を講ずる必要があることを再認識しました。

ニューノーマル時代のイノベーション

前回のブログでは、イノベーションを起こすトップの作法として、ダイアローグ(対話)によってメンバー一人ひとりが持つ異なる考えや意見を聴くこと。仮に1,000個の異なる意見が出ても、それらに個別対応するのではなく、「アウフヘーベン(止揚)」して、共通項を導き出すことを提起しました。

今回は、「アウフヘーベン(止揚)」は時代の要請に則った手法であることの検証をふまえて、それを実践した企業とトップの事例を書きたいと思います。

止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。(Wikipediaより)

まず、本題に入る前に、「アウフヘーベン」を活かす方法について理解を深めたいと思います。

西山圭太さん(東京大学未来ビジョン研究センター客員教授/前・経済産業省商務情報政策局長)が、日本企業の弱点と人材不足の克服へ(膠着する日本経済の深層)というタイトルで、日本経済が行き詰っている原因について語っています。一つ目はマーケティングを軽視すること。二つ目は、顧客の要望の聴き方を間違っていること。以上を指摘しつつ、その克服のカギは、「アウフヘーベン」することだと述べていて参考になるので引用します。

(日本企業は)「技術があればいいんだ」みたいなことになっています。(中略)当時、ドイツ企業と比較したことがあります。日本とドイツは、やっている業種・業態が似ています。製造業が多く、B to Bが中心。ところがある時期から、圧倒的にドイツのほうが利益率が高いのです。なぜかというと、ギリギリの標準化をドイツ企業はするのです。当時、日本の経営者の方にこの話をしたとき、彼らがどう言ったかというと(中略)「いやいや、お客さんの意見はもちろん聞いています」と言うのですが、そこに大きな誤解があり、ドイツ企業と日本企業の決定的な差があるのです。ドイツ企業も(中略)仮に1000人のお客さんがいたとして、1000人のお客さんの意見を徹底的に聞くけれど、そこで1000種類つくることはしません。1000人のお客さんの意見を、ドイツ的にいえば「アウフヘーベン」して、1000個ではなく、例えば10個とか50個にするのです。ところが、日本の場合は1000個を1000個のままやる。お客さんから見ると、「言ったとおりやってくれた。こんなありがたい人はいない。また来年お願いします」となって(中略)日本はそれをやっていて、しかもそれをすごく良いことだと思っている。(10MTVオピニオンより)

この話しは、私も製造業に属していた期間が長かったので、現場で体験したことにそのまま当てはまります。加えて西山さんは言及していませんでしたが、人事的な視点から言えることは、「お客さんの1000の要望をすべてかなえようとする」発想は、従業員の全人格的労働、つまり、時間制限なく働かせることが出来るという意識が背景にあったからではないでしょうか。ドイツのように厳格な労働時間規制があると、当然、経営は最大限効率良く成果を上げる方法論を練り上げるはずです。日本はそれとは対称的だったとも言えると思います。

西山さんの話しは、ビジネスの世界における「アウフヘーベン」の話しですが、前回も取り上げた、台湾のデジタル担当政務委員(閣僚)のオードリー・タンさんが、行政の見地からも、多くの人々の意見の中から共通項を見いだして「アウフヘーベン」することの有効性について述べていますので引用します。

「最初から完璧を目指すと、取り残される人々が必ず出てきます。それでは公平とは言えません。真に多様で公平な社会を目指すためには、私は二つのステップを経る必要があると思っています。一つはこの『共通の理解』を得ること、つまり、ある問題に対して、満足できるわけじゃないけど受け入れられるという状況にまで持っていくことです。最終的な目的地を決める前に、人々が今共通認識として持っていることは何かを学ぶのです。この過程を経て、ついに共通の目的が定まれば、あとはその実現に向けて突き進む。そのためには、この共通の理解を意思決定に携わる人だけではなく社会全体に周知する必要があります。私の役割は、この2ステップを経るための場を用意することなのです」(VOGUE JAPAN 2020年8月21日「完璧を目指そうとしなくていい」──台湾のデジタル大臣、オードリー・タンが目指す政府と社会)

タンさんは明確に、「答えありき」で政府が民意を問うのではない。自らの役割は、そもそも何もない状態から人々の「共通認識」を見いだし、それを人々に受け入れられる「共通の目的」として定め、「社会全体に周知」する場を用意することだと述べています。

また、タンさんは別の場で、人間の知恵を結びつけ具現化することこそがDX(デジタルトランスフォーメーション)の本領発揮の場なのであって、従来のITが、機械と機械をつなげることであったのと比較して、そもそも目的が異なると述べています。

私は、西山さん、タンさんは、共に「ニューノーマル」を示唆しているということに気づきました。

「ニューノーマル」、日本語では「新常態」「新しい日常」などと訳されます。これまでとはがらっと異なる世界がやってくる、という文脈で使われる今再頻出ワードの一つです。

この言葉は、産業経済は2007年から2008年にかけての世界金融危機後に、近年の平均的な水準に復元するだろうという、経済学者や政策決定者たちの間に共有された信念に警鐘を鳴らす議論の文脈から登場してきた。リーマン・ショックを含む一連の危機の前後で生じた避け難い構造的な変化を経て、「新たな常態・常識」が生じているという認識に立った表現である。(Wikipediaより)

「ニューノーマル」という言葉を「アフターコロナ」に当てはめて近未来を予測する人の中には、非対面の「リモートワーク」が不可逆的に普及するので、企業は必ずしも都心に拠点を持たなくてもよくなるだろうとか、情報セキュリティーをより厳格化する必要がある、などといった、非常に単純化した概念にとどまるものが多いようです。

一方、そのような中で本質を突いているなと思ったのは、慶應義塾大学教授の宮田裕章さんの言葉でした。オードリー・タンさんが言っているような、実現すべき目的は、「権力が与えるのではなく、一人一人から生まれる」と述べていて目を奪われました。

従来の企業活動は、新聞、雑誌、広告も含め、多くの人に届けられるモノを提供するということが中心でしたが、これからはデータで一人ひとりを捉えて「体験」を共創していく時代になるでしょう。「新しい日常」というのは権力を持った一部が定義して画一的に求めるものではなく、激動する社会の中で一人ひとりが見いだして、響き合って生まれるものであってほしいと考えています。(宮田裕章(慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授))

この中で、宮田さんが述べている、「激動する社会」についてですが、同じく慶應義塾大学教授の菊澤研宗さんが詳しく解説しています。私たちが直面している現実について理解を深めることが出来るので引用します。

新型コロナ後のニューノーマルとは、ある意味で安定状態がノーマルではなく、異常事態がノーマルになるということでもあると思う。まさにVUCA(ブーカ)と呼ばれる不確実な時代が到来しているのだろう。VUCAとは、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の略語であり、米軍がテロ対策に用いた用語だといわれている。このVUCAに対応できない企業はパラダイムの不条理に陥り、合理的に失敗することになる。このようなVUCA時代に、①環境変化を感知し(sensing)、②そこに機会を捕捉し(seizing)、③既存の資源を再構成して自己変容(transforming)する能力のことを、ダイナミック・ケイパビリティ(変化対応的な自己変革力)と呼ぶ。(菊澤研宗(慶応義塾大学商学部教授))

ここまで引用した方々の言葉を私なりにまとめます。

「新型コロナ後のニューノーマルとは異常事態がノーマルになること。不安定、不確実、複雑が増し、ますます曖昧な中で意思決定が求められるようになる。そのような環境では、権力が一方的に押し付けた目的と方法は役に立たない。従来の発想を逆転して、一人ひとりがもつ認識からアウフヘーベンして共通理解を醸成し、社会全体に周知して実現に取り組む。そのような変化対応的な自己変革力が求められる。」

そこで、会社が直面した危機的な状況を、「変化対応的な自己変革力」で乗り切るべく奮闘した事例がないか探したところ、レストラン「ロイヤルホスト」で知られる、ロイヤルホールディングス会長の菊地唯夫さんが、2011年3月に発生した東日本大震災の際に経験されたことを語った日経ビジネスオンラインの記事が目に留まりましたので、やや長文ですが引用します。

菊地唯夫 [きくち・ただお]氏 1965年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本債券信用銀行に入行。頭取秘書を務めていた98年に経営破綻を経験する。その後ドイツ証券を経てロイヤル(現ロイヤルホールディングス)に入社。総合企画部などを経て2010年社長に就任。ロイヤルの経営立て直しに着手する。16年会長兼CEO(最高経営責任者)、19年から現職。

痛烈な皮肉から芽生えた自覚 外食は再びよみがえる 2020年9月11

社長に就任した2010年は、リーマン・ショックの影響が残り、外食産業の景気も低迷していました。ロイヤルホールディングスも2期連続の赤字から立ち直るための方策がなかなか定まりませんでした。定まらないどころか、経営陣の間では経営方針をめぐって対立が起こっていた。「何とかしてまず利益を回復させよう」という考え方と、「従業員の処遇やお客様の満足度向上が先だ」とする考え方です。

本来、企業経営というものは企業価値の向上を通じて全てのステークホルダーに恩恵を与えるものでなければなりません。2つの考え方が対立すること自体が問題なのですが、当時の私はそこまで気が回りませんでした。社長だったのに「どうすれば会社を良い方向へ導けるか」というビジョンを持ち合わせていなかったのです。

その結果、対立が思わぬ形で表面化してしまいました。11年1月、社長を退いた会長が株主を巻き込み、株主提案を突き付ける事態にまで発展したのです。一部の取締役が経営を実質的に支配しているとして取締役の刷新を求める提案でした。

提案株主と話し合いの場を設けましたが残念ながら決裂し、会社として会長の職を解くことを決めました。この騒動は世間に知れ渡り「お家騒動」「内紛」などと厳しい批判も浴びました。私は店長や料理長など、幹部クラスの従業員を集めて会社の現状を説明する必要に迫られました。

そこでの出来事は今でも忘れられません。一通り説明を終えて、「ゴタゴタが起きて皆さんには申し訳ないけど、今いらっしゃるお客様に迷惑がかからないように頑張ってください」と私が伝えた時です。1人の従業員が突然手を挙げて大声で言いました。「社長、大丈夫です。我々は経営陣なんて一切見ていませんから。お客様しか見ていませんから」と。

ああ、これは私に対する痛烈な皮肉なんだ。そう心に突き刺さりました。「今のロイヤルは経営陣と現場を支える従業員との間に大きな溝が横たわっているのだ」と痛感しました。本気でこの会社を何とかしなければと思い始めたのはこの時からです。初めて経営者としての本当の自覚が芽生えたと言えるかもしれません。

そのすぐ後に発生したのが東日本大震災でした。皆さんのご記憶の通り、地震がもたらした被害は甚大でした。我々も物資の調達が困難になり、「ロイヤルホスト」を中心に東北地方の多くの店が営業できない状態になりました。そこで会社が決めたのが、トラックに支援物資を積める限り積んで応援に行くこと。13日に最初の支援チームが出発し、私も「15日までには現地の状況視察を兼ねて応援に行く」と社員に伝えていました。

(中略)現地の様子を自分の目できちんと確認したい気持ちからの行動でしたが、想像以上に従業員たちが喜んでいました。「社長が自分たちと同じ船に乗ってくれた」。そんな印象を持ったようです。それが全国の従業員に伝わり、私に対する見方や会社の雰囲気が変わるきっかけになった気がします。

宮城県の東南端にある山元町では、30人ほどのチームを組み、がれき撤去のお手伝いをしたり、避難所にいる被災者に煮込みハンバーグや豚の角煮丼などの温かい食事を提供したりするボランティアもやりました。そのときのことを今も鮮明に思い出します。

ホテルに戻ると毎晩、皆が集まって何か話し合っています。何をしているのだろうと思ったら、食事内容や提供方法について改善するところはないか、反省会を開いているのです。これには感動しました。「この会社にはお客様のことを思う素晴らしい従業員がたくさんいる。もっと彼らが輝ける場を用意してやらねば」と心から思いました。

従業員がお客様に良いサービスを提供できる「仕組み」を作るのが経営の役割であり、それがゆくゆくは会社の業績につながっていく。新米社長の私はそのことにようやく気付いたのです。経営と現場が問題を共有し、同じ方向を向かなければ会社は立て直せないと。

それから、私は1人でこっそり店舗に足を運ぶようにしました。店長会議など、普段の会議ではなかなか出てこない現場の「本音」を知りたかったからです。コーヒーや軽食を頼み、店長の時間ができそうな時を見計らって声をかけました。現場が抱えている問題を色々と聞き出せる有意義な機会でした

(中略)従業員向けに決算説明会を開き始めたのもこの頃です。ロイヤルの置かれている現状を説明した上で、会社の方針や今後の施策を伝える場を作れば、従業員もモチベーション高く仕事に励んでもらえるのではと思ったのです。(中略)経営と現場との距離を徐々に縮める。私がロイヤルの経営の立て直しに挑んだ数年間は、そのための地道な活動の繰り返しでした。

ロイヤルの菊池社長(当時)が経営の立て直しに取り組んだことは、トップダウンではなく、店舗で働く社員一人ひとりの本音を経営の意思決定に活かすことだったようです。東日本大震災の混乱の中で、自らの役割を、「従業員がお客様に良いサービスを提供できる「仕組み」を作るのが経営の役割であり、それがゆくゆくは会社の業績につながっていくことだと気づいた」という言葉にその意志が凝縮されていると思います。

さらに、「経営と現場との距離を徐々に縮める」べく、「従業員向けに決算説明会を開き、会社の方針や今後の施策を伝える場を作ることで、従業員のモチベーションを高めることに取り組んだ」と述べています。私が考えるイノベーションの条件である、「自分の考えをメンバーに押し付けない」「経営が目指す絵を描きメンバーに見せる」「経営上の重要情報をメンバーと共有する」にぴったり符合します。

今回は、アフターコロナに私たちを待ち構えている「ニューノーマル」の姿について様々な視点から考察しました。

「ニューノーマル」において、実現に取り組むべき目的は、従来のように、権力を持つ側が一方的に決めるのではなく、一人ひとりの認識を集めて共通認識を見出し、共通理解を醸成して、すべての人が、たとえ満足できないとしても、受け入れられる状態にする。

そして、

誰一人漏らさず全員が一致して取り組めるかどうかにかかっていると思います。

それこそが、新型コロナ後の、異常事態がノーマルになる、「ニューノーマル」への変化対応的な自己変革力を備えることになるという気づきを得ました。今後、「ニューノーマル」についての概念は、様々な変遷を経て徐々に明確化されていくと思いますが、「人間中心主義」に基づいたものでなければならないということを、私は主張し続けたいと思います。

民主主義とイノベーション

成功するトップが、人並外れて持っている能力っていったい何なのだろうかと、これまで私が仕えた方々のことを思い出しながら考えてみました。

一つは、場の空気を読む力。もう一つは、一人一人のメンバーの気持ち(考え)を把握する力、ではないかと。今回は、そんな考えに至った理由を書きたいと思います。

2021年が始まるや否や、コロナ感染の拡大を受けて政府は、東京、神奈川、千葉、埼玉に緊急事態宣言を発出しました。その後も、全国に感染拡大が広がる中で、各道府県の知事達からは、「自分たちの道府県にも緊急事態宣言の発出を」との声が出始めています。一方、菅総理は、現時点では、「数日間様子を見極めたい」とし、対象地域の拡大について明言を保留しています。そのような中で、次のようなネットニュースが配信されました。

緊急事態宣言下で迎えた3連休中日の10日、首都圏の商店街や商業施設は、多くの人でにぎわいを見せた。外出自粛が叫ばれるものの、客からは「昼くらい外で飲ませて」「店は開いている」と本音が漏れた。東京・上野のアメ横商店街(台東区)は、午後には人をよけないと歩けないほど混雑した。各所に消毒液が設置されたが、大半の人は素通り。「昼飲み」を楽しむ満員の客で盛り上がる店もあった。千葉県船橋市の大型商業施設でも、多くの家族連れや若者がショッピングを楽しんだ。セールに人だかりができる衣料品店や、入店待ちで行列する食品量販店もあった。フードコートは各テーブルがアクリル板で仕切られ、感染対策の注意書きが各所に。ただ昼時でも満席にはならず、客は自然と間隔を空けて座っていた。テーブル用の除菌シートを使う人はごく一部。料理の取り分けや、マスクを外したおしゃべりも散見され、緊張感はなかった。

 家族で訪れた浦安市の女性(35)は「店舗ごとにも消毒があったし、このくらいの混雑なら特に不安はない」。買い物袋を抱えた10代の3人組は「バーゲンに来た。自粛とはいえ店は開いているし、閉じこもってばかりいられない」と話した。 

このニュースを読む限り、感染者の急増で各地の保健所、医療機関の業務はパンク状態であるにもかかわらず「自分は無関係」だと自己解釈して、通常生活を続けようとする人が一定数いることが分かります。

一方、このニュースに対して、ある人が書き込んだ次のコメントが印象的でした。

同調圧力相互監視で抑え込んでいた日本モデルは崩壊しつつある。短期で済めばまだしもここまで長期化すると、もうやってられないよって人が増えた結果。今、去年の春と丸々同じ事やってもあの時程の自粛はしないと思うよ。

日本モデルの感染抑え込みとは、「同調圧力」と「相互監視」だった、というコメントを読んで、はっとしました。

というのも、最近、ネット配信の教養講座で、社会学者の橋爪大三郎さんが、日本特有の「同調圧力」と「相互監視」について、分かりやすい説明をしているのを聞いたからです。

橋爪さんの見立ては次の通りです。

日本文化には「正典」がない。正典とは、世界4大文明である、キリスト教文明の聖書、イスラム教文明のコーラン、インド文明のヴェーダ、中国文明の儒教(四書五経)のような、人々の思想、行動のよりどころ。政治、経済など、世俗におけるあらゆることを決める「道徳的規範」のことだ。では、正典を持たない私たち日本人は何をよりどころとしているかというと、周囲の人の言動をみて、これに合わせることによって道徳的規範を保っている。

橋爪さんの言葉にある、「周囲の人の言動をみて、これに合わせる」とは、「相互監視」機能を強化し、「同調圧力」を高めることと符合します。

さらに、「同調圧力」が高まると、非言語的な「空気(つまり道徳的規範)」が醸成されて、やがて人々は見えない「空気」に従うようになる、との仮説が頭に浮かびました。

菅総理が、緊急事態宣言の発令地域拡大の意思決定を、

「数日間様子を見極めたい」

と述べたのは、意思決定に必要な科学的エビデンスが揃うのを待つためではなく、

「発令地域拡大はやむなし」

という

「空気」

が人々の間に醸成されるのを待つためではないでしょうか。これを、大和言葉では、

「機が熟すのを待つ」

と表現するのだろうと思います。仮に、合理性に則って判断するのであれば、広がり続ける感染を食い止めるために、速やかに緊急事態宣言の対象地域を拡大すると思います。しかし、菅総理のように、多くの日本人は、合理性よりも「空気」の醸成を期待し、無意識にそれに従ってしまうようです。

関東軍による満州での軍事活動の拡大。海軍の真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦。そして極めつけはポツダム宣言受諾の判断を遅らせたのも、この「空気」だったと、当時を知る人々が異口同音に口にするのを、NHKの特集番組で視ました。

さらに、「空気の研究」で有名な、山本七平さん(故人)は、この「空気」が現代の日本社会の隅々までを支配し、様々な問題を引き起こしていると述べています。そして、そんな言説を、コロナの感染拡大以降、頻繁に見聞きするようになったような気がします。

それは、前提が役に立たない異常事態が続くなかで、「同調圧力」や「相互監視」といった目に見えない「空気(道徳的規範)」が、私たちを支配しているという「感覚」に、多くの人が気づき始めたからではないでしょうか。

さらに、「空気」に加えて私たちの社会をより複雑にしていると考えられるのは、「本音と建前の文化」です。私たちが進んで従っているように見える「空気」ですが、実際には、それほど納得している訳でも、受け入れたいと思っている訳でもない、ということが多いのではないでしょうか。

以前、お世話になったアメリカ人英語教師が、言っていたことを思い出します。

「日本に来てびっくりしたことは、実際の日本人が、それまで考えていた日本人像と全然違うことだった。それは、日本人が一人ひとり非常にユニーク(個性的)だということ。むしろ、アメリカ人の方が一般化しやすい。多くの外国人がもつ日本人像である、集団的、没個性的というのは当たっていないと思う。」

彼の言葉を信じるなら、本来個性的な日本人が本音を言わず、一見すると同質に見えるのは、所属する集団に「同調圧力」と「相互監視」が働いていて、場を支配する「空気(道徳的規範)」を乱すのを恐れるからではないでしょうか。

さらに、本音を表に出して「同質的な関係」を壊し、自身が「異質化」して、集団から「監視」される立場になることを恐れるからかもしれません。少なくとも、日本人である私はそのように考え、これまで本音を隠しがちだったという自覚があります。

冒頭、成功するトップは、人並外れた、場の空気を読む力と、一人ひとりのメンバーの気持ち(考え)を把握する力が備わっていると述べました。言葉を変えれば、メンバーを「相互監視」する「同調圧力」が何かが分かっている。さらに、メンバー一人ひとりが「空気(道徳的規範)」に対してどのような「本音」を持っているのかを「掌握」している。ふたつの力を併せ持って、メンバーと組織を望ましい方向へと導くことができるのではないかと私は考えています。

そして、トップが備えるふたつの力、「空気を読む力」と、「メンバーの本音を把握する力」は、これまで何度も書いている、イノベーションの条件と符合するようです。そこで、空気を掌握できず、メンバーの本音がバラバラでも放置してしまうようなトップの下では、イノベーションはなかなか起こらないということが分かる話を紹介したいと思います。

参考にしたのは、台湾のコロナ感染対策を担った、デジタル担当政務委員(閣僚)、オードリー・タンさんが、「なぜ台湾の人々は「コロナ危機」を共有できたのか」というテーマで語った内容です。

タンさんは、ここで、「民主主義とイノベーションの関係性」について興味深い発言をしています。

新型コロナウイルス対策に当たった蔡英文政権の面々は全員、SARSのときの経験を共有しています。疫学研究者出身の陳建仁・前副総統(2020年5月で退任)をはじめ、多くのメンバーがSARS流行前後で重要な役職に就いていました。また、現在の政権内には、感染症や公衆衛生の専門家がたくさん含まれています。これは、公衆衛生の観点から言えば、「少数の人が高度な科学知識を持っているよりも、大多数の人が基本的な知識を持っているほうが重要である」ことを学んだ結果だと思います。

基礎的な知識を持っている人が多ければ多いほど、情報をリマインド(再確認)し、お互いに意見を出し合ったり、対策を考えることができます。逆に、少数の人のみが高度な科学知識を持っているだけの状態では、何が起こっているか理解していない人が多いということです。想像してみてください。もし前代未聞の出来事が起きたときに、誰にも相談できず、あなただけに決定権が託されたとしたら、果たして的確な判断を下せるでしょうか。このことからも情報の共有がいかに大切なものなのかがわかると思います。

それとともに重要になるのが、「エンパワー(empower)」の概念です。これはトラブルやハプニングに直面した際に、すぐ反応して状況を変えていこうとする力を意味します。誰かから強制されなくとも、主体的に動き、困っている人に積極的に手を差し伸べる。多くの人がそうした力を持つことで、困難な問題も解決に導くことができるのです。今回の新型コロナウイルス禍で台湾の人々がとった行動は正にこうしたことだったと思います。

(中略)民主主義社会においては、イノベーションは社会全体に広がっていきます。決して中央にいる一握りの人たちが他の多くの人々に強制するものではありません。ですから、中央の状況と他の地域の状況が異なっていれば、それぞれに適合したより新しい方法が生み出されていきます。それは、台湾の人々がこのウイルスの仕組みを正確に理解していたからであると言えるでしょう。

このようにして、政府と人々の間にパンデミック(世界的大流行)に備えるための意識が共有されていきました。今回、「手洗いの徹底」「ソーシャルディスタンスの確保」「マスク着用」といった政府の要請を、人々がすぐに実行に移すことができたのは、この意識の共有が一番大きなポイントでした。(出典:幻冬舎GOLD ONLINE 2021年1月7日付より)

つまり、台湾では、政府が国民に正しい情報を発信し、それらが共有されていく中で国民の意識の変化(空気)を読み、国民が望んでいること(本音)を把握して、常に最適なリーダーシップが発揮できるような政策的取り組みをしたというのです。それが台湾の民主主義であり、その民主主義においては、イノベーションが社会全体に広がっていく状態を指すこと。そして、その担い手は、中央にいる一部の専門家や政治家ではなく、基本的な知識を身につけた国民一人ひとりだと言っています。

では、私たちの日本は、果たして台湾が目指しているような民主主義と比較してどんな状態にあるのでしょうか。いま一度、私たちが属する会社、学校、地域などあらゆる組織に、タンさんが述べている民主主義の原則、

一人一人が、基本的な知識を身につけていて、強制されるのではなく、社会全体にイノベーションを広げる担い手としての役割を期待されているか

に照らして、総点検してみる価値があるそうです。自信をもって「一致する」と言えないならば、その組織は何を目指しているのか。何を拠り所として運営されているのかをしっかり見極めた方が良いと思います。

ここまで述べたことをまとめます。

トップが「空気を読み」「一人ひとりのメンバーの本音を把握」する力を備える。さらに、私が考えるイノベーションを起こす三条件、「自分の考えを押し付けない」「ありたい会社の姿を示す」「経営上の重要な情報を共有する」を実践すると、自ずと「創発が生じイノベーションが起きる」ことが、台湾のコロナ対策から知見を得ることが出来ました。

しかし、こんなことを言うと多くのトップから反論されそうです。

「民主主義なんてとんでもない。メンバーがやりたいことを勝手に始めたら収拾がつかなくなるじゃないか。」

「メンバーをコントロールできなくなったら社内は混乱するに決まっている。」

このような反論への抗弁を考えました。そして、たったひとつの、シンプルな方法を見つけました。それは、

「メンバー一人ひとりの考えや意見に耳を傾ける」

という方法です。そして、仮にですが、1,000人が1,000個の異なる意見を出したとしても心配する必要はありません。1,000個すべてに対応する必要は無いからです。

但し、1,000個の意見を漫然と聞き流していてはだめで、必死に聴いて1,000個の中に潜んでいる傾向、つまり共通項を言語化(抽象化)するのです。これをドイツ語で「アウフヘーベン(止揚)」と呼びます。

次回は、「アウフヘーベン(止揚)」と、それを実践したトップの事例について書きたいと思います。

経営の神様の金言②(本田宗一郎さん)

新年を迎えた日本は、コロナウィルスの感染拡大で揺れています。菅総理大臣は1都3県に緊急事態宣言の発令を決定し、これから私たちの生活にどのような影響が出るのか戦々恐々とした雰囲気が漂っているようにみえます。

具体策の一つとして、飲食店の営業時間を20時までとする、罰則規定を設けた規制が行われるようです。罰則規定が設けられるという点について、緩やかな規範の下にやってきた方針の大転換だと問題視する意見がマスコミや識者と呼ばれる人たちから出ています。なんとか年末年始は乗り切りましたが、今後一定期間は継続的に感染者数が増加することは避けられそうもないので、医療機能不全を回避する対処療法的な対策と、先々を見据えた感染拡大抑止策の両面から舵取りをしなければならない政府には、非常に高度な判断が求められます。

日本の場合、残念ながら問題が大きくなってしまった訳ですから、まずは顕在化した問題への対応に優先度を上げて取り組まなければなりません。このような状況に陥るとモグラ叩きゲームのようになった医療現場は疲弊し、人は離れます。よって、目下、最も重要なことは、医療機関からの医師、看護師の離反を防ぐということで、その一点にあらゆる手段を講じなければなりません。それが出来ているのか、いないのか、連日テレビに出演している医師の話しを聞くと、十分な対応が出来ているようには見えません。それよりも、人々の関心が、飲食店の営業時間短縮や、ワクチンの安全性に向いているようです。それは、政府が正しい情報を提供し、人々の素朴な疑問に真摯に応える等して、適切に導いていないからではないかと思います。

台湾のコロナウィルス感染対策の先頭に立つIT担当大臣のオードリー・タン氏が、NHKの特集番組のインタビューに答えていた次の言葉が印象的でした。

「感染対策で最も必要なことは、政府が国民を信じる(Trustする)ことです。信じれば、国民が政府を信じ返して(Trust backして)くれる。」

相互の信頼関係が台湾のコロナウィルス感染対策の理念になっていること。その点の圧倒的な不足が、日本の対応を迷走させ、いつまで経っても国民に納得感を与えられない真因だと、私は感じています。

さて、本題に入ります。前回の松下幸之助さんに続き、もう一人の昭和を代表する名経営者であった「本田宗一郎さん」の金言と、私が考えた3つの、「創発が生じ、イノベーションが産まれる条件」と符合するか、検証したいと思います。

参考にしたのは、前回同様、週刊東洋経済のバックナンバーです。「インタビュー本田宗一郎1973年9月1日 3758号「わが退陣の弁 もう若い者の時代」です。

このインタビューは、本田宗一郎さんが、本田技研工業創立25周年を機に、副社長の藤沢武夫さんと一緒に経営の第一線から退く意図を明らかにしたことを受けて行われたものです。本田さん66歳、藤沢さん62歳だった当時、決して老齢というわけでもなく、しかも、創業者社長の去り際があざやかだともてはやす記者(インタビュワー)の言葉に対して、本田さんは何と答えたでしょうか。

「人間はなま身なのだから、いつ、どうなるかわからない。事故や病気で明日にでも死ぬかもしれない。だから、われわれがいなくても経営できるようにしておくのが、株主や従業員に対する義務だと思うんですよ。経営者というのは“かけがえのない人”であっちゃいけないんだ。その経営者が急に死んでも、ちゃんと経営ができるようにしておくというのが、経営者の役目だと思う。」

と言っています。これが、本田さんの基本的な考えです。

だから、

「こういう考えで、藤沢副社長と二人で早くから後継者を育ててきたわけです。そして、後継者が育ってきたら、私たちは早くバトンタッチすることがいい。」

として退任を決めたようです。

その準備は退任の10年程前から、「重役会にほとんど出なかった」という行動から一貫していたようです。

そこで、【条件①:トップがメンバーに自分の考えを押し付けない】に関連したことを、本田さんは次のように語っています。

「なぜ(重役会)に出ないかというと、私でも副社長でも、出席して「こういうふうにしたらどうだい」と役員たちに相談をもちかけると、こっちは相談のつもりでも、相手は命令と受け取っちゃうんですね。だから、われわれは出席しないで、若い役員たちだけで議論をしてもらう。(中略)こういうことをやってきたから、うちは若い人がどんどん育ってきたわけだ。」

私は、人材育成担当者の交流で、青山の本田技研工業の本社で人事部の方から話しを伺ったことがあります。本田さんが引退され、お亡くなりになられて数十年も経つのに、社員一人一人のやる気と、強みを発揮する環境の醸成を第一に取り組む、「ホンダイズム」が脈々と受け継がれていることを目の当たりにしました。

例えば、これはどこの会社でも同じですが、「上司は部下を育てる役割」を担っています。そして、たいていの企業では、部下育成の取り組みを人事評価基準に入れる等、対策を講じますが、ホンダではもっと根本的に、「上司が部下を育てない原因」を徹底的に考え抜いて対策を講じたそうです。

お名前は失念しましたが、人材育成の責任者の方は次のようにおっしゃっていました。

「上司が部下を育てない理由は、優秀な部下に依存してそうでない部下に頼る必要がないからです。だから、ホンダでは優秀な部下を抱え込まないようにするために、高い人事評価を与えられた社員(部下)は、一定期間を経過すると他部門に異動させなければならない、という厳格なルールがあります。そのため、上司は、4番打者はいずれいなくなると分かっているので、次の4番打者、さらにその次の4番打者の候補を育てざるを得なくなり、自然に人材育成が促進するのです。」

この言葉はまるで、「重役会に出ない」ということを自らに課し、次世代に任せて育成を行った本田さんの智慧に倣っているかのようです。

実際にインタビューで本田さんは次のように語っています。

「これからも本田技研はいまのシステムでずっとやっていくでしょうね。今後、経営者に突発事故が生じても、経営自体はちゃんと回転していくだろうと、自信を持っていますよ。」

個人の自主性に依存するのではなく、育成が促進するシステムを講じて運用する。目から鱗が落ちる思いをしました。

続いて、【条件②:トップとメンバーが同じ絵を見ている】についてですが、本田さんの場合、あることがきっかけで、同じ絵を見続けてきた社員が、自分よりも優れた考えを持つに至ったことを痛感して引退を決意したと語っています。記者からの、「若い社員の人たちと、ものの考え方でギャップを感じるようになりましたか」との質問に対する本田さんの以下の回答は非常に興味深いです。

「感じるですね。低公害エンジンの開発でも、私は開発に成功すればGMやフォード、トヨタ、日産などとこの排気問題に関しては同一のスタート・ラインに立てると考えた。ところがこれが若い人たちから猛反対を受けた。「社長は企業本位に立って排気ガス問題を考えているが、それはまちがいで、社会的責任の観点から開発に努めるべきだ」というわけだ。全く彼らの言うとおりだ。」

全面的に社員の言葉に理解を示したうえで本田さんは自己を内省します。

「長く経営にたずさわっていると、どうしても経営の苦労がしみ込んで、つい経営というものを基盤においた話をしがちである。ところが、最近は企業の社会的責任が非常にやかましく言われだした。こうした急激な変化に対応するには、私も年老いたなということをはっきり認めざるをえない。こうした問題は、どこの企業でもかかえていると思うんだが、トップが早く認識するかどうかの違いだろう。それは、下の意見が上に通じているかどうかによる。」

さらに、経営にとって耳の痛い意見でも言いやすい環境を整えていたと本田さんは続けます。

「本田技研ではふだんから、誰でも私や藤沢副社長にずけずけものを言えるようにしてある。若い従業員は純粋な立場から企業責任を考えている。こうした意見が、すぐにトップに反映するようにしてあったということは重要だと思う。」

そして、結論として自らのポリシーを語ります。

「経営者としては、従業員の心の中に生きることを考えていけば、自然と、企業の社会的責任の問題だって解決できると思う。従業員の心の中に生きることはいちばん大事なことではないかな。それは、大衆の心を知るという一つの基本なのだ。」

本田さんの言葉は、冒頭私が書いた台湾のオードリー・タン氏の言葉、

「感染対策で最も必要なことは、政府が国民を信じる(Trustする)こと。信じれば、国民が政府を信じ返して(Trust backして)くれる。」

に通じると思いました。人が人と心を通わせることが、成功の普遍的要因であることを、時空を超えて、お二人が教えてくれているようです。

【条件③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されている】については、インタビューでは具体的な話をされなかったようです。しかし、経営上の重要情報が共有されていなければ、社員の育成にも成功できなかったでしょうし、社会的責任を果たすべきだという社員の言葉は出なかったと想像します。

本田さんにとって、会社存在の目的と事業の目標を達成するために、社員と経営の重要情報を共有して、一体化することはあまりにも当たり前すぎて、敢えて語るまでもないことだったのかもしれません。

2回に渡って、「経営の神様」と「昭和の名経営者」、お二人の金言を振り返り、答えのない時代に企業が継続的に成長発展していくための智慧を探りました。

次回は、現代を生きる経営者の言葉の中から、「創発を生じ、イノベーションを起こす」条件を探ってみたいと思います。

経営の神様の金言①(松下幸之助さん)

今日12月31日は、コロナウィルスの感染で世界中が大混乱に陥った2020年の最後の日です。来年はどんな一年になるのでしょうか? 日本でもワクチンの接種が始まり、抗体を持つ人が増え始めると感染者数も徐々に減少していき収束に向かっていく。そんな目途が1年以内に立つことを祈るばかりです。

感染収束のために、一人一人が感染を広げないように努力する必要はありますが、多分に不可抗力の面が大きいので、じっと、その時が来るのを待つしかない、という覚悟が必要かもしれません。ポイントは、どのような心持ちで「待つ」のかということだと思います。

年末年始の今こそ、来年はどんな過ごし方をするか、一人一人の知恵が試されるときです。

私にとって2020年は、このブログでこれまでの仕事経験を書き出したり、30年近く音信不通だった友人と再会したりした、「振り返る年」でしたので、来年は、「未経験のことに挑戦する年」にしたいと考えています。

そこで、「挑戦」を向ける先として考えているのが、次の2つのテーマです。

一つ目は、組織の視点から、私が考えた、「創発を生じ、イノベーションを産む条件」を企業に提案して組織に実装すること。

二つ目は、働く人一人一人の視点から、私が考えた、「3つの人生の座標軸」 ①良い人間関係 ②人生の目的 ③好きな仕事 を備えて、イキイキとして輝いている人が、企業に蓄えられるように支援することです。

いずれも、ブログに書いた、これまでの人事の仕事を通じて見聞きした、経営者や従業員のリアルな姿を通じて気づいたことがベースになっていて、私がライフワークとして取り組みたいテーマです。

私が2つのテーマに取り組むにあたり自身に課すことは、「多くの人との出会いの場をつくる」ことです。そして、自分のこと(やりたいこと、出来ること)を分かりやすく伝えて関心をもって頂く。そして、先入観なく、お話しを聞かせて頂いて、自分が出来ることを提案、提供し、喜んで頂いてお一人お一人と信頼関係を築く。そういう好循環を起こしていきたいと思っています。

初対面の人に関心をもって頂くためには、私がお伝えする言葉に誤りがあってはいけません。そこで、「創発が生じ、イノベーションが産まれる条件」について、以下3つの条件の妥当性を検証してみたいと思います。

条件①:トップがメンバーに自分の考えを押し付けない

*前回までのブログでは、「トップがメンバーに答えを求め過ぎない」と書きましたが、トップが、自分が持っている考え(答え)に固執して、これをメンバーに押しつけると、創発が生じにくくなるという方が適切と考え訂正しました。

条件②:トップとメンバーが同じ絵を見ている

条件③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されている

これらを念頭に置いて、成功した経営者が語った言葉を確認していきます。まずは、「経営の神様」、松下幸之助さんの言葉です。

「今はインターネットとデジタルの時代。AIが人間にとって代わろうとしている、そんなときに大昔の人の言葉を引き合いに出しても、あまり意味がないのでは?」と反論される方がいるかもしれません。

私も少し自信がなかったのですが、あまりにも有名すぎる松下さんの言葉と逸話を読み返したところ、いまでも色あせていない金言にあふれていました。

これまで数えきれないくらいの多くのリーダーたちが、その拠り所としてきた松下さんの言葉が果たして、私の掲げた「イノベーションの3つの条件」と符合するでしょうか。

参考にしたのは、東洋経済のインタビュー「松下幸之助縦横談(1953年8月15日2588号)です。

まず、【条件①:トップがメンバーに自分の考えを押し付けない】に関連することを述べておられますので抜粋します。

「皆が僕にワンマンというが、なるほどワンマンのような形であるけれども、僕自身ワンマンではない。僕の知慧というものは全社員の知慧の一端をもらい、そこでカクテルにして要するに返還しておるのです。僕は権力的なワンマンではない。皆の代弁者になっておるだけで、要するにアメリカの大統領のようなもので、社員の意志を意志としてやっておるわけですな。」

「この頃は非常に高度な技術が必要でしょうだから実際のところ、わからんことに頭を使わないようにしております。それより皆の働いておる姿を、枯らさないようにせねばいかん、これを伸ばすようにすることが、自分の仕事でもあり、立場でもあると思っているのです。だから僕は技術者に対して、もっといいものにしてくれんかというと、ではどうしたらいいですかという。そんなことはわからん。君が考えよ、と僕はいいます一分でしまいですわ。」

松下さんは、結果に対して絶対に妥協しない非常に厳しい方だったそうですが、これらのコメントを読むと、一方的なトップダウンで押さえつけるのではなく、社員の意志とアイデアを経営に生かすことに苦心されていたことを垣間見ることが出来ます。

また、社員の力を生かしたのは、ご自身が病弱であったこと、また、学歴がなかったからそうせざるを得なかったという次のコメントも興味深いです。

「その当時、相変わらず肺が一向によくならない。(中略)それですから勢い人に仕事をしてもらう。これが却って伸びた所以だと私は思っています。余り自分が偉いのはいけません。余り偉い人の下では人間は育たない。一概にはいえませんが、総じてそうです。私はそんなに学校に行っていないので、今も手紙一本自分で満足に書けません。だから人に頼む。そうすると思いは千里を走るというふうにもいくのです。要するに私が体が弱かったこと、学問がなかったことが却って私に幸いしております。」

ここでおっしゃっている「偉い」というのは、「威張っている」という意味ではなく、「優秀過ぎる人」、というのが本意だったのではないでしょうか。そういう人の下では社員はいつまでたっても主役になれない。だから育たないということをおっしゃりたかったのではないかと想像します。

続いて、【条件②:トップとメンバーが同じ絵を見ている】に関連してつぎのような発言をされています。有名な「水道哲学」の解説とその扱いについてです。

「それは昭和七年五月五日です。その時は職工さん以外の所員―社員でなく所員といっておりました。製作所ですから、百数十名を電気倶楽部に集めて、松下電器の使命というものを宣言したわけです。今までわれわれは無自覚に、社会通念に基づいて勉強してきたけれども、今日只今からそれだけじゃなく、そのほかにわれわれは目醒めたところの一つの使命にたたなければならない、というて水道の水の話をしたんです。水道の水は、つまり加工したもので必ず値段がついている。が、道端の水道をひねって渇を癒やす。これは盗むわけです。けれども水を返せと言っても誰も咎めない。それは水があまりにも安いからです。安いのは量が多いからです。ところが電気器具にしてもその他のものにしても、実際の効果からいえば水よりも力のないものです。それが値が高くて、盗んだら咎められるということは、量が少ないからです。だから水のようにすべての物資を作り出すということが必要である。そうすると貧からの悩みがなくなってくる。四百四病の病より貧ほどつらいものはないといわれているが、その貧困をなくすることがわれわれの使命や。われわれの仕事というものは物資を無尽蔵に作って貧をなくするということです。ところが物だけではいかん、人間の心の問題もある。それは宗教家におまかせするとして物の方なら自分の力によって多少づつでもできるわけです。そうすると宗教と同じで尊い仕事や、心の渇を癒すか、物の渇を癒すか、いずれにしても尊い仕事や。われわれはこういう尊い使命に生きようじゃないか、というふうに指導精神を確立したわけなんです。」

昭和七年で、既に、社員と社会から共感を得られる事業の目的を定めて「指導精神を確立した」というのは、日本におけるビジョン経営の先駆けだったのでしょう。松下さんが、もし今の時代に生きていたら、いったいどんなビジョンを掲げるでしょうか。きっと、世界の潮流において日本が果たすべき役割を分かりやすく言葉にして、みんなにいいねと言われる絵を見せてくれたに違いありません。

最後に、【条件③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されている】について、松下さんはどう言っていたでしょうか。

「二百人なり二百五十人の規模になった時、はじめて事業家としての使命がなにかあるんじゃないか、それはどこにあるのかということを考えた。それはどんな考えかというと、当時個人経営でしたが、この仕事は個人のものと違うと思った。世間から委託されているものであって、だからその委託者に対して忠実に仕事をすることが、事業家としての使命である。こういうことを考えた。だから私事を許さない。それ以来は個人経営だけれど個人の金と店の金を区別した。そしてずっと毎月決算して、当時幹部もできていたので、その幹部にも見せ、今月は諸君の努力によってこんなに儲けたと、毎月利益を発表しました。」

ここでは、松下電器が、個人商店からパブリックカンパニーへと脱皮する姿が語られています。それは、事業家として果たすべき使命だと。そして、まずは公私を区別する。そして、公の部分に関する情報は社員と共有して目標達成に向けて一体感を醸成したのだと思います。経営上の重要情報の共有は、個人商店とパブリックカンパニーとを分ける一つの重要な指標になりそうです。

これらは偶然なのか、必然なのかは分かりませんが、「経営の神様」が、私が考えたイノベーションの条件について、ずっと昔に言及されていたことを知り、とても勇気づけられました。

次回はもう一人の「神様」、昭和の名経営者、本田技研工業の創業者「本田宗一郎さん」の言葉を確認してみたいと思います。

イノベーションを産む仕組みと運用③

今回は、上質なビジョンを示し、メンバーと共有しながら、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

を念頭に置きつつ考察したいと思います。

先のブログで、経営上の重要情報が労使間で共有されていないことで生じる問題を理解するために、経済学の理論、「情報の非対称性」が参考になると述べました。「情報の非対称性」における、プリンシパル=エージェント関係は、企業における、プリンシパル(トップ)、エージェント(メンバー)関係に置き換えることが出来るからです。

この理論では、プリンシパル(トップ)とエージェント(メンバー)の双方で情報の共有ができていない状態、つまり、「情報の非対称性」があると、エージェンシー・スラック(モラル・ハザード)が生じて、エージェント(従業員)が、プリンシパル(経営者)の利益のために仕事を任されているにもかかわらず、エージェント(従業員)の行動に歪みが生じるとされます。

つまり、「情報の非対称性」を解消して、エージェンシー・スラック(モラル・ハザード)を防がないと、経営者と従業員の間に、本当の意味での「信頼」が築かれないということになります。「信頼」とは、「心理的安全性」に不可欠な条件です。そして、「心理的安全性」が担保されないと、トップとメンバー、またメンバー同士が腹を割った話ができず、創発は生じにくい、という結論が導かれるのです。

もうひとつ整理しておきたいことは、トップがメンバーに対して、経営上の重要情報を共有する意図、目的について、です。メンバーの日常業務にはほとんど関係のない情報を、トップがわざわざ開示するのは何故なのでしょうか。

この疑問を解く近道は、企業経営者から直接話を聞くことです。私がこれまでに関わった複数のベンチャー企業経営者によると、その目的はいずれも一致していて、

「メンバーに経営者意識をもってもらい、事業の発展に全力で貢献して欲しい」

とのことでした。

ベンチャー企業の急成長を支えるのは、言うまでもなく、メンバー一人一人の事業への強い参画意欲と高いモチベーションです。そこで、トップは、メンバーに対して、自分と同じ目的意識をもって熱心に仕事に取り組んでもらいたいがために、経営の重要情報を「知っておいて欲しい」と考えるのだと思います。

そんな、ベンチャー企業経営者が目指す労使関係を一言で表現する言葉がないか調べていたところ、偶然、

「経営パートナーシャフト」

という言葉を目にしました。

「経営パートナーシャフト」とは、ドイツの経営学者、ギード・フィッシャー(1899~1983)が1955年に著した「労使共同経営」という本で述べた概念です。

労使は対立する存在ではなく、経営のパートナーであるべきという考え方で、現在のドイツの労働法制は、フィッシャーの考え方が反映されていて、アングロサクソン流の市場原理に基づく労働観とは一線を画した、ドイツ的企業経営と雇用の基本軸として具体的に各企業に浸透しています。

では、「経営パートナーシャフト」を成立するために、トップとメンバーが、それぞれ果たすべき役割とは何でしょうか。

私が福岡の会社で勤務していた時に、研修講師をお願いするなど、相談に乗っていただいた、雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんが、最近出版された著書の中でフィッシャーの、「労使共同経営」について詳しく解説されていますので、やや長文ですが抜粋します。

従業員も企業のパートナーということになると、賃金と引き換えに単なる労務を提供する労働者を超えた責務を負うことになるのでしょうか。まさにその通り。同書で「協働者に課せられた要件」として並んでいる四要件を読むと、共同体のメンバーとしての責任が強く期待されていることが分かります。(63―64頁)。

(1)従業員はすべて、自己の最大の労働能率を経営共同体のために発揮しなければならない。単に量的・質的な物質的形態の面においてではなく、労働意欲と労働の喜びという思想的・精神的な形成の面においてもそうでなければならない。

(2)すべての個人は、自己の労働能率に対してだけではなく、協働者への人間関係に対しても、ひいては全体の経営共同体に対しても、個人としての責任を感じなければならないし、また、個人としての責任を負う用意が必要である。

(3)したがって、従業員ひとりひとりが自己の専門的・性格的特性の最高のものを経営活動のなかに投入し、さらに、いかなるときにもこれらの特性を十分に発揮する用意がなければならない。この点について会社側は、従業員ひとりひとりを人間性の陶冶というプログラムの中で援助する必要がある。

(4)従業員同士の関係や、上役と部下の関係は、真の仲間意識から生まれるものでなければならない。

これはまた、日本的経営の教科書にそのまま登場してもほとんど違和感のない言葉です。繰り返し「労働能率」が強調されていますが、能率を高めるために必要なのは尻を叩くことではなく、「社内の信頼の一致」であり、「経営全体への関心」であるというのも、職場レベルでの積極的な参加という意味で、日本的経営における小集団活動や自主管理活動と通ずるものが感じられます。

(中略)

労働者には「彼の仕事を遂行するのに、この責任そのものを引き受ける用意がなければならない」のですが、そのためには「各人が被個人の責任領域を認め、それを全体の経営組織ならびに経営の職能の中に組み入れる必要」があり、それは「会社側から従業員に対して、その経営体の意義や使命、ならびに個々の受注について、あるいは、経済状態、産業界の経営状態などについて、さらには、環境の変化に伴って、財政的・収益的・資産的にまったくか、あるいは詳細に報告されていないときには、不可能である」からです。「これが達成されてはじめて、両方のパートナーの実際面の利害の一致を合わせうる」という表現には、ドイツの共同決定法制こそが経営パートナーシャフトを支える基盤であるという認識が垣間見えます(70頁)。(働き方改革の世界史 濱口佳一郎/海老原嗣生「ちくま新書」より)

つまり、海老原さんがフィッシャーの言葉を引き合いにして解説している通り、

「従業員に、経営のパートナーとして、その能力と意欲を存分に発揮してもらうためには、経営に関する重要な情報を開示しなければならない」

ということがポイントだと思います。このことは、多くのベンチャー企業経営者が、

「メンバーに経営者意識をもってもらい、事業の発展に全力で貢献して欲しい」

と望み、その実現のために、経営の重要情報を開示し、共有していることと符合します。

では、経営の重要な情報が共有されさえすれば、トップとメンバーは経営のパートナーとして一致協力して、事業の発展にまい進するものなのでしょうか。

それでも、依然として、経営者の悩みは尽きないと思います。重要な情報を開示し、共有したにもかかわらず、メンバーが本気になってくれず、望んだ行動を見せてくれない、と嘆くトップが後を絶たないのではないでしょうか。

私はそこには二つの原因があると考えています。

一つ目は、

「各人が果たすべき役割と責任領域があいまい」

なこと、です。この課題を解決する方法について、私は、先のブログ「第36回_イノベーションを産む仕組みと運用①」で、「新日本型雇用」として、役割の明確化の重要性と効果について述べました。

二つ目は、経営の重要情報を開示している企業の多くが、情報を共有する本当の目的について説明が不足しているのと同時に、情報の受け取り方がメンバーに委ねられ過ぎていることがあるのではないかと思います。

つまり、日本のようなハイコンテクスト文化では、「文脈から行間を読み取る」ことが「情報の受け手に委ねられがち」なので、企業内においても、そのような文化の影響を受けて、無意識のうちにメンバーに、「トップの意を汲むこと」が求められてしまうのではないかと思います。

二つの目の原因についてある事例を紹介したいと思います。私が勤務したある上場企業での出来事です。

この会社では、プレスリリース(報道機関へ情報開示)をする場合、その発表時刻の直前に、経営から管理職へ、次に部門長から一般社員に向けて、開示情報についての説明が行われていました。自社の重要情報がネット経由で社員に伝わることがないように、との経営から従業員に対する配慮からだったと思います。

この会社は、ある時、事業の失敗で財務に問題が生じ自主再建が難しい状態に陥りました。そこで、新株を発行して業界のリーダー的存在だった競合会社にその株を引き受けてもらい、資金を調達して解決を図ろうとしました。

そんな、社会、市場に対してそれなりにインパクトのある情報が開示される直前に、いつものように私たちは、事実を知らされました。

多くの社員は、自社が苦境に陥っていることはおおよそ理解していましたが、まさか競合会社に助けを求めなければならないほど深刻な状況になっていたことを知り、衝撃を受けました。

それと同時に、経営の態度が、あまりにも淡々と事実を伝えただけだったことに、さらに大きなショックを受けたのでした。対外発表の前に、従業員に向けて情報開示する社内ルールがあることは分かっているものの、

「その事実を、私たち社員一人一人に、どのように受け止めて欲しいのか」

という経営の気持ちを表す言葉が見当たらなかったのです。

その時、私は気づきました。単に事実を知らせるだけではむしろ逆効果で、情報を開示する目的をはっきりと言葉で伝えなければならない、と。

その会社は、その後、不採算事業からの撤退を引き延ばした結果、全社の屋台骨を揺るがす程に負債が膨らみ、最終的に外国企業の100%子会社となり上場廃止になりました。

また、新株を引き受けて私たちの会社の苦境を一時的にではありましたが救ってくれた業界のリーダー的存在だった企業も、結局経営不振に陥り、外国企業の傘下に入り再建を果たしています。

私たちは、ドイツの、経営パートナーシャフトを参考にしつつ、原則に立ち返って、労使共同経営の基盤を築かなければなりません。その方向性は、トップとメンバーが経営の重要情報を共有すること。そして、情報共有の目的は、より明確に、

「創発によりイノベーションを産み出すこと」

という一点に絞ることが肝要かと思います。

そこで、トップには、メンバーと共有すべき経営の重要情報の質を担保するとともに、その開示目的を説明し続けて、徐々に説得力を高めていく、実践知としての賢慮(フロネシス)が問われることになります。そして、賢慮(フロネシス)が身に着くような、良い実践を積むためには、私たちの先輩が歩んできた歴史を俯瞰して、現在、私たちが直面している状況を正しく理解しておく必要があります。

東京大学東洋文化研究所教授の中島隆博先生によると、かつて古典主義と呼ばれた時代における経済は、富が物々交換に基づいていた。それに対して、近代における富は、生産に基づいている。そして、その生産を支えるのが労働する人間であり、人間の労働を通じて、モノが生産され、富を増やすモデルであったと述べています。

そして現在、モノは、情報や出来事というコトに置き換わり、人間はその「差異」を消費し、ある時は、その「差異」そのものとして消費されており、そこにはもはや「主体」としての「人間」の存在は消滅したと述べています。そして、人間の最後の砦として、消費されない者とは何か?という問いを立てられています。

中島先生は、消費されない者として、

「労働や消費から解放された人間」

の姿を模索しています。

そして、人間にとっての価値は、「所有」すべき何か(商品の転用)ではなく、人間的になる人を予想することで、それはbeingやhavingからの解放であり、Human Becoming(人間になる)、さらには、Human Co-becoming(共に人間になる)に向かっていると述べています。

つまり、トップがメンバーを、経営のパートナーに位置付けたいならば、「人間になるための教育」が必要である、ということになります。

ここで述べた教育の「教」とは、情報を伝えて頭で理解させる、ということです。トップの思い、経営の状態、そして情報共有の目的(メンバーに望むこと)を正しく、誤解なく伝える、ということです。

一方、教育の「育」は育むということで、「教」の目的が、Ability(知っている)状態にすることだとすると、「育」の目的は、Capability(出来る)ようにすることです。

企業の永続的発展を実現するカギは、「差異」を消費し、「差異」として消費される人間ではなく、再び「人間になること」が問われていることに、トップが解を出せるかにかかっているのです。

トップはこの問いに向き合う時、自らの思いと感情が自然に表出するでしょう。そして、それに呼応して、メンバー同士は互いに結び付き、共同体が醸成される。そんな、真の労使共同経営を実現する企業には、自ずと創発が生じてイノベーションが産まれるのです。

このような企業がどんどん増えて、日本の未来が明るくなることを、私は夢見ています。

これまで4回に渡って、イノベーションが産まれるのを阻む3つの要因と、取り得る取り組みについて述べました。

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

対策:トップは、メンバーが果たすべき役割と責任の範囲を明確化して労働契約を交わします。そこで定めたこと以外は自由を与えて自発的に創発が生じるよう促します。

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

対策:トップは、人間至上主義(人間の真の幸福の実現)に基づく普遍的なビジョンを描き、これをメンバーと共有します。

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

対策:トップは、メンバーと共有すべき経営の重要情報の質を担保するとともに、その開示目的を説明、説得する能力を、継続的に高めていくことが出来る実践知としての賢慮(フロネシス)を身に着けます。自らメンバーを育成し、彼らが各々の知恵と知識を共有せしめることによって、創発を生じさせ、イノベーションが産まれる共同体を醸成します。

今後のブログでは、人事が果たし得る創発とイノベーションの役割についての気づきと、視点に基づいて、広く社会全体を見渡し、様々な組織と人々の様子について書きたいと思います。

さらに、社会を見渡す中で、新時代の幸福論(回遊魚として生きる)で私が述べた3つの人生の座標軸 ①良い人間関係 ②人生の目的 ③好きな仕事 を備え、「身近な人との親密な関係を基盤にして、好きな仕事が出来ていて、人生の目的を意識している」という、理想の生き方をしている人々についても書き続けていきたいと思います。

イノベーションを産む仕組みと運用②

前回に続き、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

を基にして考えたいと思います。

繰り返しになりますが、トップとメンバーが、「同じ絵を見ていない」とは、「ビジョンが共有出来ていない」状態のことです。ビジョンが共有できないと、創発の目的が曖昧なままで、矢印を向ける対象が定まらず、メンバーの知性を結集することが出来ないのでイノベーションが産まれない、と考えられるのです。

トップは成り行き任せ、つまり、空気に流されずに、メンバーとビジョンを共有することに熱心に取り組んで、メンバーが常に、望ましい「心境」になるようにメンテナンスしなければなりません。

それにもかかわらず、トップは、ビジョンを描き、それをメンバーと共有する取り組みに失敗しがちです。それは何故なのでしょうか。今回は、私が見た典型的な失敗例から書き始めたいと思います。

ある企業の人事を担当していた時に、トップから、「従業員意識調査」の実施を指示されました。

私は人事面談や日常的な雑談を通じて従業員が経営陣を信頼、信用しておらず、相当な不満を持っていることを知っていました。意識調査をするとポジティブな意見よりも、様々な不平不満が噴出し、経営もそれらに正しく対応する術を持ち合わせていないので、きっと収拾がつかなくなるだろうと考えて、実施の期限を示されなかったことを盾にして、対応を引き延ばしていました。

いつまで待っても調査を実施しないことに業を煮やしたトップは、私を呼び出し叱責しました。私は、調査のリスクを説明して延期を提案しましたが、

トップは、

「やれと言ったら、やれ」

の一点張りで、実施は避けられなくなりました。

私は仕方なく、単純な意識調査よりもネガティブ要素が出にくい、「エンゲージメント」調査をすることにしました。従業員に分かりやすいように質問項目を設定して、手づくりで実施しました。

結果は、ネガティブ要素が出にくいように工夫したにも関わらず、大半の従業員が、今にも離反してしまうのではないかと思われる程の、経営への不信感、事業継続への不安、継続勤務に対する意欲の低下がはっきりと読み取れる散々な内容となりました。

経営陣への報告会の際、私の率直な報告に対して、トップは言葉を詰まらせて、

「どうしたらいいんですかね。」

と、私に質問しました。私は、実施前にリスクを伝えており、それでもトップダウンで強行したことを承服していなかったため、

「それはあなたの考え次第」

との本音を隠しつつ、明言を避けました。

一向に火消し役を志願しない私を一瞥したトップは、一人の役員に顔を向け同じことを言いました。すると、その役員はトップに忖度したのでしょう、

「人事が対応しないようなので私が対応します。」

と言い出しました。

続けて、

「従業員のフリーコメントには、直視すべきものと、取りに足らない無視してもよいものがあるようなので、対処すべきものだけに絞ればよいと思います。」

と根拠に乏しいことを発言しました。すると、あろうことかトップは、安堵の表情を浮かべ、

「それでは、後はよろしくお願いします。」

と言い残して会議室から出て行ってしまいました。

私は、この時のトップが見せた態度から、経営者として、最もしてはならないことを見せつけられた思いがしました。彼のいったい何が問題だったのか、それから、何度も何度も考えました。

そして、ある考えに至りました。彼の犯した最大の失敗は、

「従業員の声を真面目に聞こうとしなかった」

こともさることながら、意識調査以前の問題として、

「従業員と一緒に目指したいビジョンを示すことができなかった」

ことだと気づきました。従業員が自分と同じ絵を見る仕掛けもせず、興味本位で意識調査を強行したことが問題だったと気づいたのです。

このトップは、そもそも職場にいることが少なかったのですが、稀に特定の従業員と会食を催すことがありました。

従業員と向き合い、本音を聞き出す絶好の機会であるにもかかわらず、そんな場で彼の口から出るのはいつも、

「上場を目指す」

という言葉でした。

顧客満足やサービス向上の課題、また、従業員のモチベーションに真正面から向き合うでもなく、出てくる言葉は「上場」。

ある従業員が、

「なぜ上場を目指すんですか」

と質問した時、彼の回答は、

「え?上場すれば経済的にも恵まれるし良いに決まってるじゃない」

でした。

その言葉を聞いた時、従業員たちは何を感じたでしょうか。彼らは、「上場」は、トップが、「大金を手にしたい」と思っているからで、

「自分達や事業は、その道具に過ぎないんだ」

という冷ややかな受け取り方をしたそうです。

そんな、従業員の気持ちに鈍感で、自らの言説を変えることなく、ひたすら「上場」を唱え続け、自身の言動を反省も内省もしないトップの下で、その会社は、当初の資金調達には成功したものの、計画通りに事業を発展させることが出来ず、赤字体質から抜け出せないまま、従業員の離職も相次ぎ、上場できる状態とはどんどんかけ離れたところへ彷徨って行ってしまったようです。

では、このトップは、もし「上場」という目標を実現したければ、一体何をしなければならなかったのでしょうか。私は、その鍵は、トップと従業員が共有する

「上質なビジョン(絵)」

を持ち得るか否かにかかっていたと考えています。

人は、どんな時にトップ、つまりリーダーを信じ、ついていこうと思うでしょうか。

私ならば、

「この人についていったら、もっと良い世界を見せてくれるに違いない」

と信じた時、その人についていきたいと思うはずです。

この、「もっと良い世界」とは、

上質なビジョン

のことです。

かつて、日本全体が貧しく、物不足だった時代においては、

「経済的に恵まれた豊かな世界の実現」

をビジョンに掲げて見せさえれば、ほぼすべての人はついていったはずです。しかし、いまは違います。「上質なビジョン」とは、地球規模の問題解決に貢献するというアジェンダ。

つまり、

真の人類の幸福

の実現に寄与出来るか、という問いに対する答え、哲学に昇華しているのです。

最近、テレビ等に出演する、経済人や知識人と呼ばれる人の胸に、SDGs(持続可能な開発目標)のバッチがつけられているのを頻繁に見かけるようになりました。

SDGsは、誰も疑う余地のない事実であり、正論です。しかし、その事実をどのように解釈するかは人間に委ねられます。

個人の解釈、つまり主観の部分については、これはSDGsに限りませんが、極論するといくらでも嘘がつけてしまうのです。企業のビジョンも、トップの主観次第でなんとでも言えてしまう。だからこそ、何を示すかが問われるのです。

メンバーにとっては、トップの嘘を見抜くことはそれほど難しいことではありません。メンバーは大抵、これはどの企業でも同じだと思うのですが、トップの言葉、示す絵とその言動が一致しているかを厳しく観察しています。そして、そのトップが、本気ついていくのに値する人物か、それとも、必要最小限のことしかしないかを判断するのです。

もし、メンバーが本気にならず、企業の発展に全力を尽くしたいと思わなければ、創発は生じず、イノベーションも産まれません。だから、トップが示すビジョンの質が企業の存続そのものを決定するといっても過言ではないのです。

では、メンバーが、本気で力を発揮したくなるようなビジョンを示すことができるリーダーとは、いったいどのような条件を兼ね備えている人なのでしょうか。

私は、

皆の幸福を実現したいという高い精神性と倫理

を備え、

自分を常にバージョンアップし続けなければならないと考え、実際に実践している人

ではないかと考えています。

「会社はトップの器以上には大きくならない」

という言葉は有名ですが、それはこういったことが背景にあるのかもしれません。

「ビジョン」について、もう少し深堀します。

トップがビジョンを考える上で不可欠なことは、人類が歩んできた歴史と現在の立ち位置に関する深い洞察です。

最近、「BS1スペシャル“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス」を視ました。

「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の作者であるイスラエルの歴史学者、ユ・ヴァル・ノア・ハラリの思想を解説する番組だったのですが、この中でハラリ氏が、私たちが「上質なビジョン」を考える上で参考になることを語っていたので下記します。また、文末には参考情報として「サピエンス全史」の概要を記します。

人間は、知能(問題解決能力)と、意識(感情や主観=物事を感じ取る能力)を組み合わせて問題解決を行ってきた。しかし、現在は、AIが人間よりもはるかに高い知性を持つため、自ずと問題解決をAIに頼る傾向が際立っていて、投資先のほとんどは人間ではなくAIなどの知能に向けられている。

この傾向がさらに進むと、人間は、意識(感情や主観)を全く持たないAIに支配されてしまうだろう。AIは感情や主観のない、人間とは全く別の存在であることを我々は自覚すべきだ。

よって、AIは知識に限定して活用し、我々人間は、自身の意識(感情や主観)を大切にして、失わないようにしなければならない。それは、どんなに新しい科学技術が開発されても

人間至上主義

を貫き通せるかにかかっている。「人間至上主義」を失うと、科学技術は暴走し、誰も止められなくなる。やがて、人間は、一部のエリート(多くの富を保有し神のように創造と破壊の力を持つ)と、圧倒的多数の無用者階級に二分されてしまうだろう。

この番組を視て私が至った結論は次の通りです。

「企業の存続(創発とイノベーションを継続的に起こす)には、トップが、

人間至上主義(人間の真の幸福の実現)

に基づく上質なビジョンを描き、これをメンバーと共有できるかにかかっている。」

前掲のユ・ヴァル・ノア・ハラリは、「ビジョン」のことを、

「フィクション」

と呼び、我々人類が幾多の革命を起こし得た能力と解釈しています。(その理由は文末の参考情報に詳しく書きました。)

私は、人類が持つ、フィクション(ビジョン)を共有する能力が、人間の幸福実現のために使われるのか、それとも、不幸をもたらすことに使われるのかを分かつのは、トップの精神性と倫理観、そして、人類が築いてきた「歴史」「人物」「古典」からの学びによって得た、知識と知恵に基づいて、どのような「主観」を持ち得るか、にかかっていると思います。

世界のリーダー達がリベラルアーツという学問分野を学び続ける理由は、正にこの、「主観」を形成するためです。人類の普遍的価値を身に着けて、正しいフィクション(上質なビジョン)を描き、メンバーと共有出来るようになるためなのです。

ビジョンを描くための学びの方法はリベラルアーツに限りません。人は個人的な経験をきっかけにして、客観的事実に対する見立て(主観)を劇的に変えることがあるからです。

一例として、これはある神奈川県の大手企業で実際に起きたことなのですが、その会社のトップは従来、従業員のメンタルヘルスについて無関心で、むしろ否定的な考えさえ持っていました。

社員がうつ病を発症して休職したという報告を受けても、発症の原因は個人が持つ何らかの因子がそうさせていると信じ込んでいて、会社として特段対処する必要はないと考えていました。

ところが、他社に勤める自分の子供が、職場の人間関係が原因でうつ病になった途端に、メンタルヘルスの取り組みの重要性を痛感し、自社において非常にしっかりとした制度を人事に命じて整備させたそうです。

愛する人が苦しむ姿を見て初めて事の重大さに気づいたのでしょう。これは、客観的事実が同じであっても、その人の捉え方次第で180度対応が変わってしまうということの分かりやすい事例です。

トップの皆さんにおかれては、是非、不確実性がますます高まる未来を、家族のように愛する人が苦しんでいなくても、「人間至上主義」という一筋の灯明で自社と顧客とすべてのステークホルダーを照らして、メンバーをより良い世界へと導いていただきたいと願うばかりです。

次回は、上質なビジョンを示し、メンバーと共有しながら、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

を念頭に置きつつ考察したいと思います。

参考情報:ユ・ヴァル・ノア・ハラリの思想

「BS1スペシャル“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス」より。

歴史学者ユ・ヴァル・ノア・ハラリが2つの著作を通じて立てた問いは、「人類は果たして幸福になったのか」ということだった。

サピエンス全史では、人類の歴史を俯瞰しつつ3つの改革を描いた。

ホモ・デウスでは、科学革命によって生ずる未来予想を描いた。

人類はこれまで3つの改革に成功した。

認知革命は7万年前、農業革命は1万2千年前。

そして、目下、グローバリゼーションによる人類の統一の真っ最中である。人間は益々高度な技術を発明し、近い将来、あたかも神のように生命を操ることが出来るようになるだろう。

かつて、人類には多くの種族がいた。最も大きな勢力が、約250万年前に誕生したのが私たち「ホモ・サピエンス」と「ネアンデルタール人」だった。

フィジカル面では、ネアンデルタール人が、私たちホモ・サピエンスよりも優れていた。

一方、認知力面では、私たちホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人よりも優れていた。

ネアンデルタール人は実際に見たことしか信じなかったのに対して、ホモ・サピエンス「フィクション」を信じることが出来た。

ホモ・サピエンスは、「フィクション」を考え、選択し、多くの人と共有することによって仲間になり、集団で協力して行動することが出来るようになった。ホモ・サピエンスが体力で勝るネアンデルタール人に勝てたのは、この一点だけだった。

ホモ・サピエンスは、やがて、「フィクション」を集団で共有して文化を築き、文化はより広範囲に統合されて文明へと発展していった。そして、文化から文明へと拡大した背景には宗教があった。為政者が神との関係によって権威を得て、帝国が築かれ、貨幣が広範囲で共有され、現在に至る資本主義が誕生した。

20世紀になり、グローバリゼーションが進展し人類統一へ。これらは全てホモ・サピエンスだけが成しえた、「フィクション」を描く能力の成せる業だったのだ。