真壁昭夫さんの「若者、バカ者、よそ者 イノベーションは彼らから始まる!」からヒントを得て書き進めてきたブログの最終回です。今回は「よそ者」について考えてみたいと思います。
同書のアマゾンの書評では「よそ者」を、
「組織の外にいて従来の仕組みを批判的に見る者」
と定義しています。
よそ者というと、すぐに連想するのは、外国人かと。外国人をもっと登用しないといけない、ということは国会でも話題になったようです。
多様性乏しい日本企業、西村氏「促しても…強い危機感」
(朝日新聞デジタル 2021年2月17日)
衆院予算委員会で17日午前、菅義偉首相と関係閣僚が出席する集中審議が始まった。最初に質問に立った経済産業省官僚出身でもある自民党の斎藤健衆院議員は「異次元の金融緩和をしても投資が伸びず、内部留保が積み上がっている。円安になっても輸出は伸びない。日本の産業競争力が後退を続けているように見える」と述べ、企業の多様性の乏しさにもその要因がある、と述べた。続けて、「日本の一部上場企業のトップは高齢化している。在任期間も短い。しかも、ほとんどが生え抜きで、女性や外国人もほとんどいない。同質性の高い組織で、中国やアメリカの威勢のいい企業と戦っていけるのか」とただした。今後必要なアクションを問われた西村康稔経済再生相は「様々な政策で企業に投資を促しても、なかなか思い切った意思決定ができない。強い危機感を持っている。若手、女性、外国人、多様な人材を登用していくなかで、豊かな発想でチャレンジしていくことが重要だ」と応じた。
ここで問題視されていることは、
日本企業は同質性が高い⇒しかも高齢化⇒多様な人材の登用が進まない⇒アメリカや中国の企業との競争に負け続けてしまう
という単純な関連式です。それに対して、西村大臣は、企業は投資の意思決定が鈍いから打破するために多様な人材を登用してチャレンジを促したいという、これまた現状を評論するような、本質的な問題解決とはかけはなれたコメントをするのに留まりました。
そこで、私が考える「日本で多様な人材の登用が進まない原因」として、「外国人」にスポットを当てて考えてみたいと思います。
私が考える外国人の登用が進まない真因は、私たち日本人の物事の考え方だと思っています。それは何かというと、物事の本質を考えることを無意識に避ける癖、です。そのことに気づいたのは、私自身の「よそ者体験」を思い出したからです。
小学校低学年の頃、母方の実家で、夜、爪を切ろうとした私は、叔父から、「夜爪を切ってはいけない」と叱られたことがあります。私は叔父に向かって、「どうして夜に爪を切ってはいけないの?」と質問しました。叔父は少し不機嫌になって、「ダメなものはダメだ」と言いました。私は、しぶしぶ従いましたが理由が分からないので、納得していませんでした。それから何年かして、「夜の爪切りがいけない」理由を調べてみたところ、「親の死に際に立ち会えなくなる」という迷信があることがわかりました。しかし、依然として、夜爪を切ることと、親の死に目に逢えなくなるということの関連性について、どこにも説明が見当たらず、結局今日まで分からずじまいです。
ちょっと考えると、私たちは、このような、そもそもどんな理由でずっと守られてきたのかよく分からない風習や規則に囲まれていることに気づきます。それはなぜなのでしょうか。
賴住光子さん(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部倫理学研究室教授)によると、著名な仏教学者の中村元さんの研究で、アジア各国における仏教の広がり方というのがあり、日本には他国に見られない3つの特異性「出家を条件にしない」「厳しい戒律を重視しない」「仏教本来の教理にこだわらない」を見つけたそうです。そのような緩やかな教えによって仏教は広まっていったと。もし、仏教本来の厳しい戒律が求められたならば日本中に、ここまで広く仏教は行き渡ることはなかったはずだと頼住さんは述べています。日本人と仏教の関係性を見ると、日本人が、ルーツや本質理解にはそれほどこだわらず、良いものであれば手っ取り早く取り入れて実践してしまうという特徴が読み取れるのではないかと思います。
仏教を例にして、日本人の「ものごとの本質」に対するこだわりの薄さについて、もう少し考えてみたいと思います。最も分かりやすいのは、「神仏習合(本地垂迹説)」です。本ブログで何度も取り上げている社会学者の橋爪大三郎さんによると、西暦500年の初頭に、朝鮮半島から仏教が伝来して、当時の大和政権がどのような判断をしたのか。また現代にどのような影響を与えたのか、次のような解説をされています。
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さて、日本人にとって、宗教上の大きな問題は、神と仏の関係です。日本にはもともと神がいた。そこに仏が入ってきた。仏教と神道というべきか、もともとあった信仰との間には水と油の関係がありました。では仏とは何か。悟ったインド人で、ゴータマのことです。偉い知識青年で、日本人と関係はないのです。
では神とは何かというと、日本の自然を見て「ああ、感動した」となると、これは全部、神になります。自然には、山あり、川あり、木あり、岩ありと、いろいろなものがある。しめ縄を張るとご神体になるではないですか。つまり、日本の神道は自然崇拝であって、それを人格化した部分がある。こういうものなのです。
さて、こういうものがもともとの日本人の自然観、宗教観だとすると、仏教とつながりが悪いのです。仏教というのは、この世界のメカニズムを認識して、認識して、認識し尽くして、悟って、あまりに知識が立派であるから尊敬に値する、そういう人がブッダですということで、そうした知的活動のことです。自然現象(自然崇拝)というのは、そんな知的活動は全く行いません。ただ山は山、川は川なのです。
日本人は困った。困っていろいろ考えた。つまり、仏教と神道を何とか調和させようと思ったのですが、平安時代の末になって、お坊さんがこのような説を唱えました。「皆さん、仏教と神道をそんなに区別して考えるのはやめましょう。なぜなら同じだからです。もともとインドにいた仏様や菩薩が日本の民衆を救うために日本にやって来た。そして、あちこちに降り立って神社の神様になったのです。だから、神様の正体は仏様で、神様を拝めば仏様を拝んだことになり、仏様を拝んだら神様を拝んだことになるのです」
このような学説(本地垂迹説)は仏典のどこかに根拠があるのかと調べてみると、どこにも書いてありません。どこにも書いていないし、何の根拠もないのですが、日本社会の法則として、皆で相談して反対がなければその通りになる、というものがあります。したがって、平安時代のこの社会法則によって、この本地垂迹説は正しいことになってしまいました。このため、幕末になるまで日本人は仏と神を同じだと思っていたのです。
ところが、幕末に廃仏毀釈、神仏分離といって、仏教と神道は違うという一大キャンペーンがありました。なぜそのようなものが必要だったかというと、尊王攘夷に関係あるのです。つまり、明治維新の原動力は尊王思想です。天皇が本当の君主である。よって、武士はもちろん日本人民は全員、天皇の下に結集して、オールジャパンの政府、オールジャパンの日本国をつくって、外国と対抗しなければならない。こう説きました。幕府がオタオタしていたわけですから、この考え方は非常に説得力を持ちました。
さて、オールジャパンはいいとして、その中心になるのがなぜ天皇なのか。そうすると、国学の学者など、いろいろな人が言います。それは次のような論理です。
『古事記』『日本書紀』を読みなさい。神様、アマテラスの孫がニニギノミコトで、これを天孫降臨というのだが、高千穂峰に降り立った。そこできれいなお姉さんと結婚して、子どもが生まれ、ひ孫が神武天皇になって即位した。つまり、天皇は神の五世の孫。それが今に伝わっているわけだから、神様の子孫。だから天皇は偉い。というものです。
そうすると誰かが、「ちょっと待ってください。神様とは仏様のことではなかったのか」と意義を唱えたわけです。本地垂迹説からいえばそうなります。これはまずい。天皇の先祖がインド人になってしまうからです。
そこで、尊王思想の側は、本地垂迹説はなかったことにすると言って、なしにしてしまったわけです。そこで、天皇は純然たる神道家になり、仏教徒だったのにその証拠を隠滅し、それで東京に来て、賢所(かしこどころ)などを急造して、あたかも大昔から神道一本でやっていたかのようになったのです。日本国が天皇の下にまとまるのは天皇が神の子孫だからで、このイデオロギーのために仏教は邪魔だったのです。それで仏教を分離した。これが廃仏毀釈です。
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橋爪さんによると、日本には昔から、反対がなければ、原理が矛盾していても取り入れて使ってしまうという柔軟性があったようです。しかし、明治になって、近代国家の樹立を目指すにあたって、国民の力を結集する必要があった。そこで、1300年も続けてきた「神仏習合(本地垂迹説)」をなかったことにして、神道と天皇の結び付きを明確化した。一方、仏教は廃仏毀釈で脇に追いやり宗教性を薄めたと。つまり、外国に対して合理的な「日本」を説明するために、神道国家日本を作り上げたということのようです。やがて、太平洋戦争の敗戦で神道の正当性も否定され、そもそも日本人の原点が何か、文化と宗教、世俗との関係など、論理破綻してしまい曖昧なまま今日に至った、というのが橋爪さんの説で、私もこの考えに同意しています。
恐らく、昭和20年の敗戦を境にして、正当性をもった宗教(神道)が否定され、それまで信じていた神を失った人々の困惑と混乱を避けるために、政府は、ひたすら経済活動に専念し、物質的豊かさを手に入れることを目標に掲げることで再び国民を結束させようしたのではないでしょうか。文化とか宗教とか小難しいことを考えるのはやめて、目の前のことに真面目に取り組みましょうという態度を初等教育から徹底的に刷り込むことによって経済成長という果実がもたらされました。そういった、国民総動員の経済第一主義が、まるで昔からずっとそうであったかのように「日本イズム」とみなされるようになったのではないかと思います。
だから、今でも私たちは、目の前に何か課題を出されると、その実態や本質は何かを深く考えようとせず、すぐに着手して、手っ取り早く片づけようとしてしまうのではないでしょうか。一方、あれこれ考えて、なかなか始めようとしないような人を「理屈っぽいやつ」と決めつけて、よそ者扱いしてはいないでしょうか。このようなに、目的や意味を与えられなくても、とにかく何でもやれてしまう日本人の態度は世界的に見てまれのようです。
私の経験では、「よそ者」である「外国人」は、日本人がこだわらないような物事の本質や行為の目的を非常に気にするようです。外国人から見ると、日本社会のあらゆる場所で見聞きすることは非常に気になるはず。にもかかわらず、ほとんどの場合、日本人は、自身がそうであるように彼らの疑問(物事の本質や行為の目的)に答える必要性を深く感じませんから、きちんと答えることを面倒に感じるはずです。一方、よそ者の外国人は、疑問が晴れないと非常に気持ちが悪く、納得できないことをやらされることを嫌います。仮にしぶしぶ従ってやったとしても意欲は出ないでしょう。これが、外国人の活躍を阻害する大きな原因ではないかと思うのです。この問題を解決するためには、我々日本人が物事の本質を正しく言葉で説明することが出来るかどうかにかかっています。
社会人になって2年目、出張で来日したアメリカの現地法人でヘッドハンティングした優秀なセールス・エンジニアを対応した時のことを今でもはっきり覚えています。都心の名所を案内することにした私は、職場近辺を散歩して、まず赤坂の日枝神社を案内しました。ふと鳥居を見上げた彼は、「これは何か?どうしてこんな形をしているのか?」と私に質問しました。深く考えたこともないことだったので答えることができませんでした。次に、皇居に行きたいというので、皇居前広場に移動し、「ここは江戸城だったところで、今は天皇が住んでいる」と説明したところ、「どうしてこんなに巨大な屋敷が必要なのか?この水をためたプールは何か?」など再び質問攻めにあいました。
彼の質問は翌日会社でも続き、事業、組織、人事等、会社に関するありとあらゆることに及びました。深く考えず、納得していなくても指示に従ってとりあえず仕事をしてしまう自分とはずいぶん違うのだなと思い知らされ、反省した私は、せめて日本の文化や風習については、外国人から質問されたときに正しく答えることが出来るようにと、住友金属の人事部が、外国人に日本を網羅的に説明するために編纂した「日本」という本を購入し、肌身離さず持ち歩くようになりました。この本は、同社の社員が外国人から質問され答えることが出来ず困ったことをテーマにして、その解説を見開き左が日本語、それに対照するように右には英語で解説されていて、現在に至るまで重版を重ねる知る人ぞ知るロングセラーです。その後も様々な国の人々との交流は続き、その都度、日本に関する様々な質問を受ける度にこの本は役に立ちました。
シュンペーターは、企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した人です。彼は、イノベーションには次の5つの類型があるとし、①新しい財貨の生産 ②新しい生産方法の導入 ③新しい販売先の開拓 ④原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得 ⑤新しい組織の実現(独占の形成やその打破)を提示したことで有名です。また、シュンペーターは、イノベーションの実行者を「企業者(entrepreneur)」と呼びました。この企業者とは、一定のルーチンをこなすだけの経営管理者(土地や労働を結合する)ではなく、まったく新しい組み合わせで生産要素を結合し、新たなビジネスを創造する者のことだとしました。
現代における生産要素は「知識」です。つまり、現代のイノベーションとは「知識」と「知識」との結合によって生まれるのです。グローバル化と情報技術の発達によって、遠くにある「知識」と「知識」を結びつけることも可能になりました。「知識」は、身近なものではなく、出来るだけ遠くのもの同士が結びつくことによってより革新性が生じやすいと言われます。トヨタがカンバン方式をアメリカのスーパーマーケットの商品仕入れ管理方法から学び生み出したことが象徴的です。
日本人はずっと昔から、自国にはない様々な技術や文明等の「知識」を積極的に取り入れ、習得してきました。それが今、壁にぶつかっています。「知識」は、ただ待っているだけでは向こうからやって来ません。日本人が、外国から見て「知識」を結合してイノベーションを起こしたいと思う相手とみなされるように、自分たちの社会、日本の魅力を高める努力を怠っているのではないでしょうか。
では、私たちが外国に向けて積極的にアピールすべき「知識」とはなんでしょうか。技術や方法といった表面的なことだけではなく、暗黙知と呼ばれる言葉にすることが難しい経験など、模倣が難しい、より高い価値を持つものに着目するべきです。さらに、それらの原理を一旦抽象化する、つまり形式知に変換するという、私たちが最も苦手とする言語化能力が求められていると思います。
さて、外国人の受け入れは、冒頭引用した国会でのやり取りのような、企業家だけが取り組むべき課題なのでしょうか。否、日本全体にとって非常に重大な課題、少子高齢化と人口減少による経済力の低下です。政治の場でそのことがあまり議論されていないこと自体が不自然です。
今後、確実に進行する人口減少と経済力低下の問題を解決するためには、もはや児童手当を拡充して一時的に出生率を高めるような努力をしても焼け石に水です。根本策としては、外国からの移民を受け入れるしかありません。このままだと近い将来、日本人の若者が中国に出稼ぎに行かなければならなくなるような事態になりかねません。そんな未来にならないようにするためには、私たち日本人が、ずっと昔から強みとしてきた、本質や出自にこだわらず柔軟に「知識」を習得する強みを発揮することに加えて、その「知識」を持つ生身の人間を受け入れることを避けてはいけないのです。
かつて日本人が受け入れてきた「知識」とは、人間とは切り離されたモノやコトです。それらの扱いは、こちら側、受け入れる方に委ねられコントロールが簡単です。一方、生身の人間はそうはいきません。気持ちを尊重し、様々な文化の違いに配慮し、自ら進んで「知識」を発揮してくれるように仕向けなければならないからです。しかし、そういった、異文化の人々のマネジメントが日本人の最も苦手とするところです。それは何故かというと、日本文化を共有しない人々との協働するためには、目的と目標を共有し、一丸となって取り組むように説明責任を果たし、納得感を醸成する必要があり、そのようなスキル教育が圧倒的に不足しているからです。
これからは、相手の本質を知り、自分たちの本質も探究し、両方の本質をぶつけ合って、互いが持つ「知識」を結合しイノベーションを起こす活動が絶対的に必要になります。そして、その第一歩は、私達日本人が、物事を深く掘り下げて本質を理解するという態度を身につけられるかにかかっているのです。
以上、3回に渡ってイノベーションの担い手としての「若者」「バカ者」「よそ者」について私の考えを述べてきました。ここで一旦、人事が起こすイノベーションについては筆を置きたいと思います。