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ポリヴェーガル理論⑤「自分らしさを取り戻すために」

人が人として輝いて生きることが出来る状態は、ポリヴェーガル理論的に言うと、腹側迷走神経系が主導している社会交流モードであると言えます。

しかし、社会交流モードに、意図的になることはできないとされています。

ポージェス博士によると、危機対応によって人は、社会交流モードから闘争・逃走モードやシャットダウンモードに変化するとされています。

この防衛反応を起こす際の評価は、思考や意思ではなくニューロセプションと呼ばれる反射反応的な防衛機構が判断していると考えられています。

特に、トラウマと呼ばれる心理的外傷に関わる反応は、トラウマを体験した時とは全く関係のない時と場所であったとしても、その体験に似たあらゆる要因(匂い、風景、色、感覚、などなど)がきっかけとなり、トラウマの記憶をフラッシュバックさせて苦痛を再体験せざるを得なくなるのです。トラウマは既に過ぎ去ったことなのですが、その人の中では、まだその呪いは息づいており、何度も何度も色あせることなく繰り返し苦悩を体験することになってしまうのです。

そして、フラッシュバックは、人の意志や考え方では止めることはできずに、危機対応モードに自分自身が乗っ取られてしまいます。

人が意図も希望もしない反応を避けることも止めることもできずに、自分らしさからかけ離れた動物的、爬虫類的、魚類的あり方にハイジャックされ、コントロールされてしまう…。何とも厄介で過酷な試練ではないでしょうか。

では、どうすればこうした意のままにならない反応を食い止め、コントロールを取り戻すことが出来るのでしょうか?

ポージェス博士は、まずはこうした反応を嫌い、呪うのではなく、古代から伝わってきたサバイバルの叡智の結晶から生まれた事であり、誇りに思うべきだと仰っています。そうした反応に抵抗し、やっつけ、矯正しようとするのではなく、まずは受け入れるべきだと私は解釈しています。

また、ポリヴェーガル理論やトラウマ心理学の流れの中で、とても優れた素晴らしい方法が、どんどん編み出されています。

ヨガ、ニューロフィードバック、ソマティックエクスペリエンス(身体に働きかける療法)のさまざまな方法、マッサージ、内的家族システム療法、スキーマ療法など様々なカウンセリング技法、マインドフルネス、アート、ダンス、音楽セラピー、鍼灸鍼療法、経絡ツボ療法、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)、などなど。

どの方法も素晴らしい方法であり、大きな可能性があると言えます。

ただ、どれも絶対の完璧なものではなく、発展途上であると同時に、相性もあると思います。興味のある方法をご自身の目と感覚で探求していけば、きっとより良いご縁が出来てくるのだろうと思います。

私も、さまざまな本を読み、お勧めのエクササイズを実践してみて、少しずつ学ばせていただいております。中には、ずいぶん入れ込んで探求を進めたものもあります。どれも今の私にとっては、貴重な学びです。

あくまでも参考としてですが、今の私にとって、大変役に立ってくれている瞑想と言う方法をここではご紹介したいと思います。瞑想は、古来から伝えられてきた方法であり、とてつもない高さ、深さ、広さがあると思っています。

よく瞑想は、潜水に例えられることがあります。潜れる深さの範囲内でしか世界を認識することが出来ない。深く潜る力があればあるほど、見える世界が広がり、気づきが深く大きくなっていく。そして、気づきの深さには際限がないのです。だから、瞑想のスキルも、想像を絶するような高い境地があるのだろうとも思っております。

私の場合は、水辺でぴちゃぴちゃと遊んでいる程度だろうと感じておりますが、そのようなレベルであっても、私にはずいぶん役に立っております。今でも毎日欠かさず行っている日課の一つです。

以下、私が学んだ瞑想の方法の中で、一番基礎的で安全な方法をご紹介します。

参考にしていただければ幸いです。

以下、当社出版電子書籍「自尊心が全てを変える」より抜粋

<エクササイズ 「リラックスを深める瞑想」>
リラックスを深めるための方法には、数多くの方法がありますが、ここでは、古来から伝わる瞑想という方法に挑戦してみたいと思います。瞑想とは、騒がしい心の中のノイズを静め、過去や未来に向かってしまう心の焦点を今ここに戻し、今ここの自分自身の姿を観察する方法です。今ここの自分自身には、通常の自分の意識では認識できない繊細さ、精妙さ、大きなエネルギー、偉大なる可能性がまどろんでいると考えられています。瞑想を通して、自分のその未開の大きな可能性を探求していきましょう。
瞑想には、さまざまな方法がありますが、ここでは、一つの安全な方法を提供しています。以下のステップで、自分自身を探求していきましょう。

①椅子などに腰掛け、ヘソを前に突き出し、あごを引いて姿勢を正します。手は、もっとも置きやすい形(伏せるなど)で置きやすい場所(腿の上など)に自然に置きます。

②姿勢を保持したまま、全身の力を抜いていきます。頭、肩、腕、手、手の指、背中、おなか、下腹部、足、足先と意識を向けて、そこに緊張があるようならば、力を抜いていきます。

③今ここに集中し、脱力し、リラックスした状態の自分自身を見つめていきます。自分自身を捉えづらい場合には、身体感覚や身体を流れているエネルギー感に注目してみると良いでしょう。頭頂、額、のど、胸、みぞおち、おなか、背中、肩、手、足、などの身体感覚を感じることはできますか?そこに流れている生命力、エネルギー感を感じることができるでしょうか。それは、痛いですか、心地よいですか?つらいですか、気持ちがいいですか?

※瞑想に慣れていない人は、自分を見つめ始めると、かゆみ、痛み、苦痛、いらいら、落ち着きのなさ、など不快を感じる場合が頻繁にあります。普段は意識に昇ってこない自分の中の凝りや痛みが明確に意識に上って来るので、初めのうちは仕方がないのです。「座禅は安楽の法門」と言う言葉があります。瞑想も慣れてスキルが高まってくると、気持ちよさを感じ、ストレスの解消や疲労回復、能力のアップにつながってくると言われていますので、簡単にあきらめずに、短時間でも良いので根気よく続けてみましょう。

④自分を見つめていくと、さまざまな思いや考えがわいてくることに気づくでしょう。時には、その考え事に没頭してしまっている自分を発見するかもしれません。そのように思いや考えがわいてきたら、それを手放すことに挑戦してみてください。過去の後悔や未来の不安から今ここに戻ってくるのです。雑草が生えていたらそれを抜き取るように、思いが起こったら、それを気前よく手放すのです。
思いを手放したならば、手放された思考は、雲散霧消して、静けさが残ることに気づくでしょう。固くこわばっていた頭皮や顔、あごの筋肉が、解放され、リラックスすることに気づくでしょう。しばし、その心地よさを感じてみましょう。
しばらくするとまた想念が起こってくるかもしれませんが、それに気づいたら、ただ手放すようにしましょう。自分で選んだわけではないあらゆる考えは、瞑想の邪魔になりますので、すべて手放し、意識を今ここに戻すようにするのです。

※瞑想を始めたころは、今の人生の課題となっている様々な問題(恋愛、金銭、職業、進学、人間関係などなど)に心がとらわれてしまい、なかなか今ここに集中することができないかもしれません。しかし、思い悩んでも解決できるものではないならば、思い悩むことから自分をしばしの間、解放してあげても罪にはならないでしょう。むしろ、リフレッシュした心で問題に立ち向かうと新たな可能性が見えるかもしれません。ですから、瞑想をするときだけは、悩ましい問題から離れて今ここに集中しましょう。
今ここでは、思い悩まされている問題は存在していません。今ここでは、悩ましいアイツもいなければ、退職勧告をするいやな上司もいません。後悔している失敗も過ぎ去った過去のことであって今ここのものではありません。問題は過去か未来に起こる(起きた)ことであって今ここには存在していません。今存在しているのは、静かな呼吸であり、確固たる心臓の鼓動であり、温かい体温であり、優しいそよ風です。存在しないものに関心を向けるのではなく、今ここでの実存、今ここで起こっていることに目を向けましょう。

⑤以上の落ち着きと静けさの状態を最初のうちは5分~10分程度、慣れてきたら15分から30分程度続けてみましょう。
瞑想は、長時間であっても気まぐれで時々であればあまり効果はありません。無理のない範囲内の時間で毎日コツコツと続けたほうが効果的です。瞑想を続けると、緊張感が和らぎ、ストレスに影響されづらくなり、不安感や恐怖感から解放されやすい免疫力を養うことができます。きっと続けて数か月もたてば疲れづらい元気な心身の状態を回復してくることに気づくでしょう。

また、瞑想を続けると、あまり他の娯楽が必要なくなるとも言われております。時節柄、ちょうどコロナ禍によって、外出や娯楽を制限されている時代、こうした瞑想が、ご縁があってここまで読んでくださった皆さまのお役に立てますように!

 

【参考文献】

・「ポリヴェーガル理論入門」ステファン・W・ポージェス 著 春秋社

・「身体はトラウマを記録する」べッセル・ヴァン・デア・コーク 紀伊国屋書店

・「身体に閉じ込められたトラウマ」ピーター・A・ラヴィーン 星和書店

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ポリヴェーガル理論の視点から見ると、人が人らしく創造的に活躍できる時とは腹側迷走神経系が活性化し、社会交流モードが主導している時であると言えましょう。

前述の通り、人の自律神経系は、

①背側迷走神経系(リラックスと休息モード:危機状況では絶体絶命モード)

②交感神経系(闘争・逃走モード)

③腹側迷走神経系(社会交流モード)

の3種類があり、哺乳類以降に進化した最新バージョンが腹側迷走神経系だからです。

ちなみに、背側迷走神経系は原始的な生命から魚類に至るまで進化したものであり、交感神経系は爬虫類以降動物に至るまでに進化したものであり、どちらも哺乳類以降の社会性の中で進化してきた腹側迷走神経系に比べると、より古いバージョンと言えます。

ですので、人が人として生活している時には、腹側迷走神経系(社会交流モード)が主導している状態が普通と言えるのですが、必ずしもその普通のことが普通にできるわけではありません。

前述の通り、ストレスが高じると、モードシフトが起こり、交感神経系の闘争・逃走モード、背側迷走神経系の絶体絶命モードとなります。

モードシフトは劇的であり、スキャンを使った実験によると、脳内の血流が、モードシフトとともにがらりと変わります。

脳神経学者ベッセルヴァン・デアコーク氏とスコット・ローチ氏は、1994年、当時最新の脳画像技術を駆使して、フラッシュバックと呼ばれる過去の痛み、苦痛の体験を思い出し、過去同様に苦悩する現象が起こるときに、人の脳内で何が起こっているのかを突き止めようとある実験をしました。

実験は、くつろいでいる被験者が脳内スキャンをかけられている間に、被験者が体験した悲劇を再現する台本を読み聞かせ、被験者がフラッシュバックを起こす際に、脳内の活性がどのように変化するのかを調べると言うものでした。

その時の被験者は、マーシャという40代の女性で、自ら起こした交通事故により、5歳の娘と妊娠していた胎児をなくしてしまうという悲劇を体験していました。

実験が開始され、マーシャに交通事故を起こした時の台本が読み聞かされると、脳内で劇的な変化が起こりました。

変化の一つは、脳内の前頭葉におけるブローカ野と呼ばれる部分が急激に活動を低下させたことがあげられます。

ブローカ野とは脳の言語中枢の一つであり、そこの活動が停止すると、気持ちや体験を言葉にすることが大変困難になります。ものを上手に考え、言葉にして伝えることが出来なくなるのです。言葉にならない恐怖とは、まさにこのことを言うのでしょう。

変化のもう一つの特徴は、大脳辺縁系と呼ばれる感情脳(恐怖、怒り、悲しみ、など)が活性化したことです。

マーシャは、台本を聞かされた瞬間に、ものを考えられなくなり、強烈な恐怖と悲しみ、怒りに圧倒されるような体験をしていたことになります。まさに、人格自体がシフトしたのです。

マーシャの体験した交通事故は、13年前の過去の記憶なのですが、脳内の反応においては、今ここで体験をしているような反応が起こっており、まさに、最悪の事故をいまここで再体験していたことになります。悲惨な体験は、体験した時だけで終わるのではなく、その後も何度も何度も反芻するたびに、思い出すたびにその時と同様な苦痛を体験することになるのです。

心理学的には、こうしたいつまでも繰り返し体験する苦悩をトラウマ(心的外傷)と呼んでいます。

トラウマの厄介なところは、苦痛は体験した時だけにとどまらないということです。

その時に感じていた匂い、ふと目にした光景やアイテム、聞こえた音、雰囲気は、記憶の中にしっかりと残っており、それ以降に、それらの記憶のかけら、断片をふと体験した瞬間にフラッシュバックがやってきて、悲劇を体験した時のまったく同様な生理的反応が起こってしまいます。すなわち心拍数、血圧が上がり、ものを考えられなくなり、言葉がつかえなくなり、激怒し、恐怖におびえ、嘆き悲しみ、正気を失うのです。

トラウマに浸食されていない状況では、人は通常の社会交流モードで日常生活を人としての幸せを感じながら営むことが出来ますが、トラウマを背負っている場合は、そうはいきません。

ある時には、常に脅威にさらされているような不安と危機感が、脳内の雑音のように流れており、どのような恵まれた環境であっても臨戦態勢となります。すなわち闘争・逃走モードとなるのです。前述の通り、闘争・逃走モードになると、ものを考えづらくなると同時に、感情脳が活性化しており、怒りや恐怖、悲しみなどの感情が高ぶり、感情にすっぽりと支配されている状態となります。

さらにトラウマが深刻化した場合は、最後の砦となる背側迷走神経系が目覚め絶体絶命モードが常態モードとなります。

心拍数や血圧が低下し、動かなくなる、またはのろのろの不活性の状態になると同時に、感覚遮断という特別な変性意識状態となり、痛みを感じづらくなるのです。解離状態とも言われ、自分を自分自身から解離させて、自分を自分とは思えなくなる状態となります。

ですので、解離状態にある場合は、人は鏡で自分を見ても、自分とは思えない違和感を感じたり、過去の痛みを思い浮かべても、それを体験した人は自分ではなく他者であると認識するのです。

人が人らしく生きていこうと考えた場合は、まずは、こうしたトラウマの働きをしっかりと見つめ、理解し、癒していく必要があります。

ややもすると、人の乱暴なふるまい、怠惰な態度は、責められることが多く、矯正を迫られることも多いのですが、トラウマ心理学的に言うと、そんなに簡単にはいきません。もう少し人間理解を深めて優しくならないといけないのです。

ややもすると、自分のどうにもならない感情を責めたり、意欲がわかずにふさぎ込んでしまう自分の弱さを嘆き、否定し、自責や自虐の念に駆られることがありますが、それもトラウマ心理学的には自分に対してずいぶん暴力的で無理難題を言っていることになります。

自分がそのような状況になるのには超古代から伝わってきている深い深い“わけ”があるのです。そのような大自然から生まれた太古の昔からの危機対応方法として学んできた生命の叡智を、自分の狭い了見で裁き、責めてはいけないのです。

「闘い、逃げること」「ふさぎ込み、動けなくなり、感じなくなること」、それは、決して弱さではなく、むしろ誇らしいこと、サバイバルの叡智の結果として起こっていることで、受け入れて、逆に感謝して、尊重するべきものなのだと言えましょう。