ポリヴェーガル理論の立場から考えると、人には、もちろん人としての自分が存在していますが、ストレスモードになると恐怖と怒り、渇望というネガティブな感情で動く動物的、獣的な存在、さらに、生命の危機に陥ると絶体絶命モードになり、凍り付き、解離を旨とする爬虫類的な存在が発現してくることになります。
すなわち、私と言う存在には、人としての自分、動物的獣的自分、爬虫類的自分が存在していると言えましょう。
前節で、獣的自分や爬虫類的自分が現れるのは太古の昔からの危機対応方法として学んできた生命の叡智であり、狭い了見で裁き、責めるべきではないこと、それは、決して弱さではなく、むしろ誇らしいこと、サバイバルの叡智の結果として起こっていることで、受け入れて、逆に感謝して、尊重するべきものだとポージェス博士は主張されていると申し上げました。
確かにそのとおりであり、進化の結果として確立された自律神経系のシステムに、人間の都合で文句を言うべきではありません。まずは、それらの反応を受け入れて、尊重するという態度は大切だと言えましょう。
しかし、だからと言って、獣的自分や爬虫類的自分に人生を乗っ取られてよいというわけではありません。人は人だからです。人としての玉座に人以前の進化状態の存在を座らせて、自分の人生を支配させて良いというわけではないのです。
自律神経系にも、進化のヒエラルキー(腹側神経系>交感神経系>背側神経系)があるように、自分のありかたにもヒエラルキーがあります(人>動物>爬虫類)。その秩序や序列を乱すことは決して健全ではないのです。
恐怖、絶望、悲嘆、怒り、憎しみ、暴力衝動は、本来動物的、獣的自分に備わった属性です。その気持ちをあるがままに認めその強い影響力が作用することを一時的部分的に許すことはあったとしても、それを自分そのものと勘違いしてそのままに発散することは、人としての自然な生き方ではありません。
それは獣的、爬虫類的なあるがままであって、決して人間としてのものではありません。自分の中の獣的存在や爬虫類的存在を上手に指導し、導く必要があるのだと言えましょう。
自分の中の獣的存在や爬虫類的存在を指導し、導くためには、大前提として、このポリヴェーガル理論が役に立つでしょう。
ポリヴェーガル理論は、自分の中にそのような人以前の進化状態の存在があることを決して否定したり、非難するのではなく、受け入れ、尊重し、誇りに思うべきだと考えています。
それらは、肉体に刻印されている進化の体系であり、危機的な状況に応じて、自分の意志や認識の範囲外で、独立的、半独立的に自分を守ろうと反応するものであり、進化の叡智の結果として存在しているものなのだということをまずは理解することが大切だと考えています。
すべては、いまのここから始める必要があります。たとえ現状が地獄のように感じられても、現在においては、そこが出発点であり他に道はないことを受け入れ、現実に向き合い、心を開き、自分自身を探求することが大切だ考えているのです。
【参考文献】
・「ポリヴェーガル理論入門」ステファン・W・ポージェス 著 春秋社
・「身体はトラウマを記録する」べッセル・ヴァン・デア・コーク 紀伊国屋書店
・「身体に閉じ込められたトラウマ」ピーター・A・ラヴィーン 星和書店
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