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ポジティブ心理学 3.楽観主義と悲観主義

①ものの見方、考え方が生き方を決める

 その後も”無力感とその回復”をテーマとする研究と実験は、繰り返されていきます。

 セリグマンの影響を受けたドナルド・ヒロト氏は、人間に対して、学習性無力感がどう働くのかを実験しました。

 実験は、大きく2段階で構成されています。

 第1ステップでは、まず、実験に参加してくれた人たちを3つのグループに分けます。

 第一のグループの人たちを部屋に入れ、不快な大きなノイズ音を流して、彼らに音を止める方法を発見させようとしました。彼らは、パネルのボタンを様々な組み合わせで押しましたが、不快な音を止めることは出来ません。なぜなら、どう操作しても絶対に音は止まらないように仕組まれていたからです。

 第二のグループの人たちは、部屋に入り、同様に音を止めようとしましたが、第一のグループとは異なり、ボタンの押し方によって音が止まるように操作されており、彼らは正しい止め方を発見し、ついに音を止めました。

 第三のグループの人たちは、騒音を聞かせることなく、何もしないグループです。

 さて、実験は、第2段階に入ります。第2段階では、それぞれのグループの人を実験室に入れ、不快な音を流しますが、その音を止めるための仕掛けが部屋の中にあり、その仕掛けを発見し、音を止めることが出来るかどうかが試されるのです。

 第2、第3のグループは、いとも簡単に仕掛けを発見し、音を止めることが出来ましたが、第1のグループは、自分には音を止める力がないと悟ってしまったかのように、実験室で座り込み、時間も場所も仕掛けも違うのに、やってみようともしなかったのです。

 この実験では、無力感は、動物だけではなく、人間も同様に起こることが証明されました。

 しかし、この実験の中では、実験の意図とは別に面白いことが発見されたのです。

 無力感の状態にしようとされた第1のグループの人たちの中でも、3人に1人は屈服しないで、あきらめない人が出てきたのです。

 また、何もしなかった第1のグループや、やれば出来ることを学習できた第2のグループの人の中でも、10人に1人は、不快な音を止めようとはしなかったのです。

 人によって、逆境の中でもあきらめない人と、恵まれた環境の中でも無力状態になってしまう人と、大きな違いが出てしまったのです。

 一体何が人をして、このような違いを生み出すのでしょうか?

 セリグマンは、この違いに挑戦し、様々な研究者との協力や研究を経て、この違いを生み出す原因は、出来事を自分自身にどう説明するかの“説明スタイル”、つまり、人のものの見方、考え方にあると結論付けたのです。

②楽観主義と悲観主義

 マーティン・セリグマンによると、説明スタイルには、楽観主義と悲観主義の2種類があるとされています。以下に2つの立場の感じ方、認知の仕方を見ていきましょう。

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 いかがでしょうか、悲観傾向の感じ方は、いやなことが起こったら、それは自分のせいで、今後もずっと続くし、そう思う必要のない部分も含めて全てがダークであると感じることが分かります。

 逆に、楽観傾向の感じ方は、つらい出来事であっても、安易に自罰的にならず、問題は限定的で、十分に回復可能であると前向きに認識する傾向であることが分かります。

 この発見後、セリグマンは、楽観傾向を持った人と、悲観傾向を持った人との、仕事、健康、人生における様々な違いや傾向を調査し、分析していきました。その結果、楽観傾向を持った人と悲観傾向を持った人とでは、人生における出会い、仕事、業績、健康、結果に、はっきりとした大きな格差が起こっていたことがわかったのです。

 以下に「オプティミストはなぜ成功するか」講談社文庫(マーティン セリグマン著)に記載されている事例の抜粋をいくつかご紹介しましょう。

⑴米国陸軍士官学校はじめ、組織をやめた人は、悲観主義者が多かった。

⑵米国メトロ生命が、楽観傾向の強い営業員の採用を増やしたところ、個人向け保険のマーケット・シェアーを50%近く伸ばした。

⑶ハーバード大学の卒業生の追跡調査をしたところ、60歳の健康状態は、25歳の時の楽観度に深い関係があることがわかった。悲観的な人は、楽観的な人よりも若い年齢でしかも重い成人病にかかり始め、45歳から後の20年間の健康を決定する要因として、楽観度が最も重要である事が分かった。

 いかがでしょうか?物の見方がどうであるかによって、仕事や成功だけでなく、健康や寿命にまで驚くほど大きな影響を及ぼすことが分かります。

 まさに、ものの見方が、人生を変えるのです。

 勘違いしてはいけないことは、この理論では、悲観主義を否定してはいません。むしろ悲観主義は生きていく上では必要です。我々は、天使に囲まれ天国に生きているわけではありません。人生の中では、思わぬ危険や落とし穴が決して少なくなく、注意深さや慎重さも必要です。悲観主義は注意深さの源泉ともなるマインドであり、悲観主義が無ければ、我々は長生きできないでしょう。

 しかし、身の回りに危険があるからと言って、過度に悲観し、引きこもり扉をしめ切って防衛と攻撃に徹するという生き方もいかがなものでしょうか。我々は、そういう心を閉ざした生き方をしたいがために生まれてきたわけではないのです。

 豊かな関係性を築き、心を開いて生き生きと生きられるものならば、危険を乗り越えて、そう生きようと挑戦することもできる。そうした、チャレンジを導くものこそが楽観主義なのだろうと思います。

 人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。本気を出せば、途方も無い大きな仕事をやってのけるものです。

 成功への第一歩は、特別なテクニックや能力を身につけることと言うよりはむしろ、自分を信じること、人生や未来の可能性を信じることが最も重要な要素であると言えましょう。

③Be→Do→Haveの原則

 成功哲学において、Be→Do→Haveの原則という考え方があります。

 Beとは、あり方、信念を意味しており、信念やあり方が行動(Do)を決定し、最終的な結果や所有(Have)をもたらすという考え方です。

 ですから、この原則によると「自分にはできる」「自分は成功する」という考え方が、その人の前向きな行動を促し、結果として成功をもたらすのであって、能力や環境といった所有(Have)が、結果をもたらすわけではないということになります。

 逆に、どんなに恵まれた環境を持っていたとしても、「私にはできっこない」「私には力がない」「そんなこと絶対に無理」という考えを持っていたとしたら、たとえそれに挑戦したとしても、行動は腰砕けになりやすく、迫力やねばり強さがないので、困難を克服することができずに、結局当初の信念どおり、不成功に終わってしまうのです。

 考える力は、クリエイティブでパワフルです。皆さんは、普段心の中でどんな事を考えていますか? 皆さんが、心の中ではぐくんでいる出来事が、行動(時)を経て、現実になって現れるのです。もし、心の中の様子が、不安や恐怖、戦いと憎しみにあふれていたら、時を経て現れる現実は、そのようになるでしょう。

 逆に、心の中の様子が、折れない志と夢、調和と感謝に満ちていたら、時を経て現れる現実は、そのようになるでしょう。

 人生は、栄光も悲劇も自分自身で作ることができるのです。あなたは、あなたの人生の主人公であり、王様、王女様なのです。自分の人生の主人として、自分でどのような人生を創りたいかを考え、そのように生きてみませんか。

ポジティブ心理学 2.学習性無力感

①きっかけとなった心理実験

 セリグマンが大学院に入学した時に目撃した大学院の諸先輩方の実験は、3段階で構成されていました。

 まず、第一段階では、”高い音”をならした直後に電気ショックを与えることを繰り返し、犬が、なんでもない音と、不快なショックを結びつけるようにして、後で、犬が音を聞いただけでショックを受けたときと同じように恐れて反応することを学習させると言った条件付けを行ないます。

 第二段階として、犬は、シャトルボックスに入れられます。シャトルボックスは、2区画に仕切られ、間に低い仕切り板があり、犬が望めば、飛び越えることが出来る高さとなっています。第二段階では、シャトルボックスの片側にいる犬に対して、”電気ショックを与えるが、仕切り板を飛び越えて、隣室に入るとショックが止まる”ことを繰り返し、「電気ショックが起これば、仕切りを飛び越え、隣室に入ると、電気ショックから逃れることが出来る」ことを学ばせることが目的です。

 そして第三段階は、電気ショックを与えずに、ブザーがなれば、音だけで仕切りを飛び越えることができるかどうかを試みることが実験企画の全体の内容でした。

 セリグマンが、大学院に進学したそのときに、ちょうどこの実験が行われていたのですが、実は、実験はもくろみの通りに進んでおらず、諸先輩が、困っているところだったのでした。

 第二段階において、犬は、電気ショックを与えても、ただ鼻を鳴らしているだけで、ショックから逃げるために、シャトルを仕切る板を飛び越えようとせずに、ただ座り込んでいたのでした。

 その時、セリグマンは、犬の様子を見て、「父のうつ状態」と似ていると直観しました。彼は、この実験の犬は、どんなに逃げても、この電気ショックからは逃れられないことを理解し、無力感にさいなまれ、うつ状態になったのではないかと思ったのです。

②学習性無力感

 セリグマンのこの直観は、諸先輩からは、「罰と報酬によって学習が生み出されると言う行動主義心理学の考え方とは外れる」「動物は、そんなに高度な精神活動はしていない」と否定的な意見で共感されませんでしたが、彼は、めげずに実験を繰り返し、ついに「動物であっても、自分でコントロールできない避けがたい出来事を多く体験すると、無力感を学習し、無抵抗なうつ状態になる」ことを論文で発表しました。

 この論文は、支配的だった行動主義の考え方に強烈な一撃を加えることになり、当時の心理学会に大反響を与えることになったのです。 犬が体験したうつ状態は、後に「学習性無力感」と呼ばれ、セリグマンの考えは、広く一般に認知される心理学の理論となったのです。

③学習性無力感の教え

 学習性無力感は、ある意味、「”あめとムチ”で他者をコントロールしようとする試みは、決して教育にはつながらず、結局他者をうつ状態にしてしまうことにつながってしまう」ことを証明する理論でもあると言えましょう。

 学習によってうつ状態になるとは、なんと皮肉なことでしょう。

 放っておけば、犬は犬として、人は人として元気に生きているわけですが、教育と称して、アメとムチで操作コントロールしようとすることによって、うつを引き起こしてしまうのです。

 このことは、教育に携わる私たちにとって、とても強い警告をしてくれているような気がします。教育と称して他者を外部からコントロールしようとする試みは、決して教育にはつながらず、むしろ人の自由を奪い、主体性や元気を奪ってしまう。

 人は、外部からの刺激では決して有意義な成長をすることはできません。行動が変わったように思えても、決して心からではなく、怖いから演技や見せかけの振る舞いをしているだけであって、決して人の偉大なる可能性を引き出しているわけではありません。真に重要な変化は、常に内面から起こります。

 腹の底から絶望が解けた時、喜びとともに自己信頼の回復が起こった時、胸にあたたかい愛が流れ込んできたとき、今までは見えなかった圧倒的な輝きを体験した時、 人は本当に変わるのです。

 教育に携わる人は、人の内面にあるこうした成長の力を決して疑うべきではありません。教育と言う名の偽善で人の内なる可能性をつぶしてはいけません。人に対する愛と信頼を失った人に限って、操作やコントロールをしたがる傾向にあることを決して忘れてはいけません。コントロールして矯正したい相手の問題ではなく、そうしたがる自分が問題なのです。

 人は、自分らしく輝いているときには、想像もつかないような大きな仕事をやり遂げる力があるけれども、うつ状態に陥れば、考えられないような失敗や問題行動を起こしてしまう可能性があります。もしそのうつ状態が、人為によってつくられたとしたら、なんて罪深いことでしょう。

 厳罰によって従業員の行動を教育しようとしたJR西日本の尼崎における大事故(2005年4月)は、そのことを象徴しているようにも思えます。

 学習性無力感の理論は、私たちが、自分や人と向き合ったときにどのようなかかわり方をすべきなのかを考えるにあたって、強く気をつけなければならない教訓を示してくれているといえましょう。

ポジティブ心理学 1.ポジティブ心理学が生まれた背景

 ポジティブ心理学とは、人間の”ものの見方、考え方”にスポットを当てる心理学です。

 アメリカの心理学者、マーティンセリグマン博士が提唱し始めた理論であり、私たちの認識の在り方、ものの見方考え方が、私たちのキャリヤや生活、幸福感や健康、生き方や人生そのものに大きな影響を及ぼすと考え、より自分らしく幸せな生き方に向けての具体的な方法を提唱してくれています。人生をより充実した豊かなものにするための方法、ウエルビーングを追求する方法、より自分らしく力強い生き方を促す方法の一つとして、現代心理学の主流の理論の一つとなっています。

 ポジティブ心理学を理解する上で、まずは、セリグマン博士が、なぜ心理学を志し、なぜポジティブ心理学を生み出したのかについての背景から探求してみましょう。なお、以下の文章は、「オプティミストはなぜ成功するか」講談社文庫(マーティン セリグマン著)に基づいて書いております。

1.ポジティブ心理学が生まれた背景

①心理学を志す

 M.セリグマン(アメリカ1943~)は、13歳の時に、父が病気により体が麻痺すると同時に、うつ状態となり、不幸な晩年を送ったことを契機に、父親のような人たちの助けとなりたいと思い、心理学を志すようになりました。

 彼の父は、彼が理想とする父親像にぴったりとマッチするような父親であり、物静かで落ち着いており、公務員として仕事に従事すると同時に、ニューヨーク州の高官選挙に出馬するといった大胆な挑戦を試みる尊敬すべき人物でした。

 しかし、ちょうど選挙への出馬を決心した頃、左半身の感覚が無くなったことを皮切りに、3度にわたる発作を起こし、49歳の若さで、永久の身体麻痺の状態となってしまいました。

 身体の自由を全く奪われた状態へと急激に変化して、彼は、心理的にもうつ状態となり、選挙に出馬しようとする闘志あふれる状態、落ち着いた尊敬すべき人格者であったころの父親と比べると見る影も無いほど絶望しており、みじめな状態になってしまったのです。彼のお父さんは、セリグマン少年の勇気づけや働きかけが功を奏することなく、その後、心身の無力状態が回復せずに、苦悩の中で亡くなりました。

 そのような体験を経て、彼は、お父さんのように絶望の中にいる人の助けになりたいと志し、心理学の道に入っていったのです。

②当時の心理学会の状況

 1964年、セリグマンは、実験心理学を学ぶためにペンシルバニア大学の大学院に進学しました。その頃の、心理学は、”行動主義”と呼ばれる考え方が主流であり、行動主義に基づいたさまざまな理論や実験が展開されていました。

 行動主義とは、「おおよそ、生物は、”刺激→反応”のパターンを観察、計測し分析することで、その行動を説明し、コントロールすることが出来る。」と言う考え方に基づいた心理学の一つの考え方を言います。

 現代では、生命は、そのような単純なものではなく、”刺激→有機的存在→反応”と言う複雑なプロセスを経て主体的かつ個性的な行動をする存在であると言う考え方が主流であり、行動主義心理学は、心や意識を無視し、主体性をないがしろにしているとの理由で批判されることが多いのですが、当時は、一種の暗黙の規範のように、「”行動主義的”な考え方でなければ心理学ではない。」と言えるほどの強い権威を持った考え方だったのです。

 複雑な心の内面を謙虚に研究し、理解を深めようとするのではなく、アメとムチのような刺激を工夫することによって被験者の行動や態度をコントロールしようとする行動主義の考え方は、現在からすると、カルト的な性質があると批判されても仕方のないところがありました。

 当時、行動主義を主導していたワトソンが、幼児のアルバート君に恐怖を人為的に教える心理実験など、現在では人道に反すると批判されることが多い心理学ですが、当時は、心理学会において強烈な権威を持っており、それを是とする者しか心理学者としてキャリアを伸ばすことが困難だったのです。

 そうした、現在では不自然で操作的、侵食的と非難される立場を正当化するように、自分たちの正しさを証明するような心理実験が多数行われています。パブロフの犬は、その代表的なものの一つと言えましょう。

 セリグマンが、進学時に大学院で行われていた実験も、まさにこのような”行動主義心理学”に基づいた実験でした。

ダイアローグの3段階

 ダイアローグ(Diarogue)とは、対話の意味です。

 語源から見ると、ダイア(Dia)は「流れる」で、ローグ(logue)は、「ロゴス」の意味であり、「関係を通してロゴスが流れる」ことをさしていると考えられます。

 では、ロゴスとはいったい何でしょうか。ロゴスとは、もともとギリシャ語で「言葉」「論理」「理(ことわり)」「神聖さ」などを意味する言葉であり、哲学や神学、言語学など様々な分野で使われており、その文脈によって意味合いが少しずつ異なります。

 ここでは、このロゴスの意味のレベルを3段階に整理して、ダイアローグ(対話)の深みを探ってみたいと思います。

 

  • 第一段階「情報交換の段階」

 ロゴスが、言葉を意味する段階です。いわゆる情報のやり取りの段階で、質問や説明がやり取りされることを通して、お互いの状況や考えを整理、理解することができます。

 論理的なやり取りが多く、それを取りまく感覚や感情、直観などの交流はまだ表に出てこないので、問題解決は表層的であり、本質的な解決につながりづらい段階です。

 懸念に基づく心理的な距離感があり、遠慮やぎこちなさ、慇懃さや注意深さをもってゆっくりと信頼を育んでいきます。

 

  • 第二段階「真実と創造の段階

 ロゴスが、真実や創造性を意味する段階です。懸念を乗り越え、心理的な安全性が確保されることによって、潜在化していた本音、感情や直観、アイデアが表出されるようになります。

 対話を通して共感、共鳴、楽しさがもたらされ、対話が単なる情報のやり取りではなく、個人の枠を超えた穏やかで豊かで創造的な場となります。結果、思いもよらなかった新しいアイデアや意味が紡がれる豊かな創造性が引き出されることになります。

 この段階で、ダイアローグは、本質的で的を得た、効果的かつ創造的な問題解決の源泉となります。

 

  • 第三段階「聖なる出会いの段階」

 ロゴスが、神聖さを意味する段階です。対話の在り方によっては、関係性を通して魂と魂が出会い、共鳴し、癒され、変容していく神聖な場となります。

 言葉によるもののみならず、沈黙を通しても意義深い共感が起こっており、穏やかでやさしい雰囲気の中で、お互いに深い興味と関心を持ち、お互いを無批判・無評価・無判断の態度でありのままを受け入れ、ありのままを理解します。

 場は、気高くエネルギッシュでパワフル、静かでありながらもダイナミックで生き生きと躍動しており、そこにいるだけで楽しくなり、元気になります。そこに立ち会う者は、その場にいるだけで、癒され、恐怖や絶望から自由となり、自分らしさを取り戻し、本来の自分らしい気高く元気で魅力にあふれた在り方へと変容を遂げていきます。

 ダイアローグは、単に情報のやり取りを意味するものではなく、そこには、隠されたミステリー、想像を超えた大きな可能性がまどろんでいます。向き合う態度ややり方によっては、その偉大なる力を引き出すことができます。

 人は、さまざまな側面がある複雑な存在です。注意しなければならない欠点もありますが、想像をはるかに超えるようない大きな可能性もまどろんでいます。大切なことは、その可能性に気づき、そういう自分として生きることなのだろうと思います。

 他に頼るのではなく、自分の内面の可能性を信じ、自分らしく勇気をもって生きることこそが、自分の偉大なる力をどんどん引き出し、魅力的になっていくプロセスを進めていくのだと思います。

 ただし、そうなるためには、孤立したエゴの状態のままでは変容は起こりません。そこには何らかの関係性が必要なのです。ダイアローグは、他者との関係を通してそうした成長のプロセスを後押しする貴重な機会なのだろうと思います。

 ダイアローグは単なるお話し合いではなく、共に聴き合い、響き合い、育ちあう冒険なのです。