①きっかけとなった心理実験
セリグマンが大学院に入学した時に目撃した実験は、3段階で構成されており、まず、第一段階として、”高い音”をならした直後に電気ショックを与えることを繰り返し、犬が、なんでもない音と、不快なショックを結びつけるようにして、後で、犬が音を聞いただけでショックを受けたときと同じように恐れて反応することを学習させると言った条件付けを行ないます。
第二段階として、犬は、シャトルボックスに入れられます。シャトルボックスは、2区画に仕切られ、間に低い仕切り板があり、犬が望めば、飛び越えることが出来る高さとなっています。第二段階では、シャトルボックスの片側にいる犬に対して、”電気ショックを与えるが、仕切り板を飛び越えて、隣室に入るとショックが止まる”ことを繰り返し、「電気ショックが起これば、仕切りを飛び越え、隣室に入ると、電気ショックから逃れることが出来る」ことを学ばせることが目的です。
そして第三段階は、電気ショックを与えずに、ブザーがなれば、音だけで仕切りを飛び越えることができるかどうかを試みることが実験企画の全体の内容でした。
セリグマンが、大学院に進学したそのときに、ちょうどこの実験が行われていたのですが、実は、実験はもくろみの通りに進んでおらず、諸先輩が、困っているところだったのでした。
第二段階において、犬は、電気ショックを与えても、ただ鼻を鳴らしているだけで、ショックから逃げるために、シャトルを仕切る板を飛び越えようとせずに、ただ座り込んでいたのでした。
その時、セリグマンは、犬の様子を見て、「父のうつ状態」と似ていると直観しました。彼は、この実験の犬は、どんなに逃げても、この電気ショックからは逃れられないことを理解し、無力感にさいなまれ、うつ状態になったのではないかと思ったのです。
②学習性無力感
セリグマンのこの直観は、諸先輩からは、「罰と報酬によって学習が生み出されると言う行動主義心理学の考え方とは外れる」「動物は、そんなに高度な精神活動はしていない」と否定的な意見で共感されませんでしたが、彼は、めげずに実験を繰り返し、ついに「動物であっても、自分でコントロールできない避けがたい出来事を多く体験すると、無力感を学習し、無抵抗なうつ状態になる」ことを論文で発表しました。
この論文は、支配的だった行動主義の考え方に強烈な一撃を加えることになり、当時の心理学会に大反響を与えることになったのです。 犬が体験したうつ状態は、後に「学習性無力感」と呼ばれ、セリグマンの考えは、広く一般に認知される心理学の理論となったのです。
③学習性無力感の教え
学習性無力感は、ある意味、「”あめとムチ”で他者をコントロールしようとする試みは、決して教育にはつながらず、結局他者をうつ状態にしてしまうことにつながってしまう」ことを証明する理論でもあると言えましょう。
学習によってうつ状態になるとは、なんと皮肉なことでしょう。
放っておけば、犬は犬として、人は人として元気に生きているわけですが、教育と称して、アメとムチで操作コントロールしようとすることによって、うつを引き起こしてしまうのです。
このことは、教育に携わる私たちにとって、とても強い警告をしてくれているような気がします。教育と称して他者を外部からコントロールしようとする試みは、決して教育にはつながらず、むしろ人の自由を奪い、主体性や元気を奪ってしまう。
人は、外部からの刺激では決して有意義な成長をすることはできません。行動が変わったように思えても、決して心からではなく、怖いから演技や見せかけの振る舞いをしているだけであって、決して人の偉大なる可能性を引き出しているわけではありません。真に重要な変化は、常に内面から起こります。
腹の底から絶望が解けた時、喜びとともに自己信頼の回復が起こった時、胸にあたたかい愛が流れ込んできたとき、今までは見えなかった圧倒的な輝きを体験した時、 人は本当に変わるのです。
教育に携わる人は、人の内面にあるこうした成長の力を決して疑うべきではありません。教育と言う名の偽善で人の内なる可能性をつぶしてはいけません。人に対する愛と信頼を失った人に限って、操作やコントロールをしたがる傾向にあることを決して忘れてはいけません。コントロールして矯正したい相手の問題ではなく、そうしたがる自分が問題なのです。
人は、自分らしく輝いているときには、想像もつかないような大きな仕事をやり遂げる力があるけれども、うつ状態に陥れば、考えられないような失敗や問題行動を起こしてしまう可能性があります。もしそのうつ状態が、人為によってつくられたとしたら、なんて罪深いことでしょう。
厳罰によって従業員の行動を教育しようとしたJR西日本の尼崎における大事故(2005年4月)は、そのことを象徴しているようにも思えます。
学習性無力感の理論は、私たちが、自分や人と向き合ったときにどのようなかかわり方をすべきなのかを考えるにあたって、強く気をつけなければならない教訓を示してくれているといえましょう。