月別アーカイブ: 2010年8月

アトランティックプロジェクトが活躍中です

 先月から、F社にて、インターンシップ講座として、アトランティックプロジェクトが活躍中です。F社では、社内ファシリテーターの方が、ご自身で講座を運営されています。全11回実施されるのですが、ちょうど、昨日で6回目が終了し、折り返し地点となりました。それぞれ30名定員で実施されているのですが、今後のすべての会が定員以上のお申し込みがあるとのことです。これも、社内ファシリテーターの方々の運営が良く、学生たちの評判を呼んで申し込みが殺到していることによるものだと思います。ご担当の皆さん本当にお疲れ様です。こんなに素敵な形で弊社プログラムをご利用いただけますこと、大変光栄に思っております。

 こうした、素敵な学びの場をたくさん作れますこと、弊社としても、大変な喜びです。今後もこうした場をたくさん作れるように営業を頑張らなくっちゃ!

リサイクル作業終了

DSCF9182.jpg 弊社新入社員研修プログラム「アトランティックプロジェクト」教材のリサイクル作業を無事に終了しました。私の実家の両親にも手伝いに来てもらっての大仕事です。

 たった今、おかげさまで全行程を終了したところです。皆さん本当にありがとうございました!

 今年は、これからも、新入社員フォローアップ研修、内定者研修、インターンシップ研修、管理者研修と、出番を待っております。この素晴らしいプログラムが、これからももっともっと多くの方々に楽しんでいただき、良い学びを提供できますように!

 話は変わりますが、昨日の晩、(ほぼ)満月と、弊社のシンボルである金星がきれいに見えたのでご披露いたします。

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アトランティックプロジェクトの教材リサイクル

 今日は、弊社の新入社員研修プログラム アトランティックプロジェクトの教材リサイクルをする予定です。おかげさまで、アトランティックプロジェクトは、新入社員導入研修だけではなく、内定者研修、フォローアップ研修、インターンシップ講座、リーダー研修、管理者研修と幅広くご利用いただけるようになってきております。本当にうれしいことだと、ありがたく思っております。

 今日は、使用する教材のリサイクルです。実家の両親も手伝いに来てくれての大仕事となります。

 頑張ります!

決算を終了しました

 昨日、税務署に赴き、決算書を提出して、第7期目の決算を終了いたしました。

 不況の影響を受けて、昨年度よりも売り上げが少々下がり、少々赤が出てしまいましたが、さまざまな新しい試みをしたが故のコストであり、環境の厳しさの割には、よく頑張った売上でもあり、次年度に向けての新たな試みや投資ができたこと自体に満足をしており、立派な決算だったと自画自賛しております。

 ちなみに、弊社は、税理士さんに一切お願いをしていないので、仕分けから決算書作成、提出書類の作成と税務署との打ち合わせなど、すべて自前で執り行う必要があります。自前といっても私がするのではなく、私の奥さんがするのです。

 経理については、当初一切の知識がなかった私の奥さんですが、勉強をして、いまでは、一通りの決算を滞りなくやり遂げることができるようになりました。私などは、提出書類の山を見ただけでめまいがしそうな気がしますが、会計事務所並みにやり遂げてしまうのですから、大したものです。毎年無理難題をお願いしてしまっているようですが、それを見事にやり遂げてくれている奥さんに感謝です。

 今期も景気は上向かずに、ますます危険な雰囲気を帯びてきていますが、環境がどうあれ、私どもの教育は、どんな時代でも必要な大切な学びであると使命感を持って頑張っていきたいと思っています。今期も、楽しく、仲良く、日々の糧に困ることなく、たくさん良き仕事に出合えて、たくさんよい仕事ができますように!

受け入れるということ ⑤(最終回)

 近づきたい、だけど、近づきすぎると痛い。

 ヤマアラシのジレンマ。

 自分以外の他者とどうかかわればいいのか?

 とかく人間関係は、ままならないもの、意のままにはならない。

 平和と調和が大切と思う一方、度が外れたマナー違反や悪意には、猛烈な怒りと戦いで反応してしまう。

 困った隣人には、それほど寛容ではいられない。

 いったい人間関係をどうすればいいのか?

 人は、ややもすると、他人の考えや感情、態度や行動を、そうあるべきではないと評価したり、変えようとしたり、コントロールしようとしたり、努力するけれども、それらの試みは、たいていの場合成功はしない。

 あめとムチで、不安と恐怖に付け込んで相手の態度を変えることはできるかもしれないけれども、そうしようとする原因となる相手の心の在り方を変えることなどできない。

 有意義な変化は、決して外部からの圧力では起こらない。

 有意義な変化は、いつも必ず内面から起るのだ。

 私にとっては、理不尽で不条理な相手の態度や言動であっても、それは気の遠くなるようなプロセスを経て起こってきた結果であり、その原因は人知をはるかに超えている。

 小賢しい操作が通用するものではないのだ。

 できることは、ただ受け入れること。拒絶することでも、従うことでも、好きになることでもなく、ただ気づき、ありのままに受け止め、理解することだ。

 相手の不快な言動は、背景には、相手が感じている身体の痛み、いらいら、悲しみ、不快感、恐怖がある。しかし、それらの苦しみは、私も体験しており、十分にその痛みを理解できる。実は、相手が感じている苦しさは、私が体感している苦しさと同じものなのだ。

 相手が表現するものには、必ず原因があり、その原因は、私も体験的に理解できている。そうしようと思えば、相手を理解できるのだ。

 相手の痛み、悲しみ、いかり、不安、恐怖を、ありのままに見つめてみよう。

 拒絶するのではなく、自分にもあるものだと共感的に理解してみよう。

 驚くことに、関心を持たれ、受け入れられたものは、容易に姿を変えていく。

 恐怖は信頼に、怒りは友情に、悲しみはやさしさに。

 たとえ自分にとって都合が悪く不快で認知したくないものだからと言って、それから背を向けた瞬間に、それは野犬の様に牙をむいて追いかけてくる。そしてますます強くなり、ますます手に負えなくなってくるのだ。

 相手の今ここ、ありのままの痛みと喜びを、生まれ、傷つき、喜び、学び、年を取り、死にゆくそのすべてを見つめ、受け止めて、理解してみよう。

 相手の長所も欠点も、価値あるものとみなして、しっかりと見つめ、受け止め、理解してみた瞬間、分離感が癒され、和解が起こり、疑いから信頼へと、痛みから平和へと、関係性の変容という奇跡が起こる。

 大切なことは、自分にしろ他人にしろ、裁くことでも、罰することでも、操作することでもない。

 ただ受け入れること。真に愛することが大切なのだ。

受け入れるということ ④

 自分の中で起こっているさまざまなことがら、思考、感情、呼吸、消化、血液循環、緊張、反応、・・・。

 それらは、化学反応と同じように、素材と条件が整えば、必ず起こる。

 意思の力で止めようとしても止められないし、変えようとしても変えられない。

 あなたにとっては、理不尽に思えるような、あるべき姿ではないと思えるような反応であっても、それは気の遠くなるようなプロセスを経て起こってきた結果であり、その原因は人知をはるかに超えている。

 小賢しさが通用するものではないのだ。

 できることは、ただ受け入れること。拒絶することでも、従うことでも、好きになることでもなく、ただ気づき、ありのままに受け止め、理解することだ。

 自分にとってかかわりたくない事柄であっても、縁あって自分に起こっていること、しっかりと気付き、受け止め、そして十分に体験してみよう。

 それがどんなに不快な恐怖であっても、立ち直れないような深い悲しみであっても、逃げるのではなく、向き合ってみよう。それらは、起こるべくして起こったこと、価値あることなんだという思いで、よく体験してみよう。

 驚くことに、関心を持たれ、受け入れられたものは、容易に姿を変えていく。

 恐怖は注意深さに、怒りは改善への行動に、悲しみは思いやりに。

 たとえ自分にとって都合が悪く不快で認知したくないものだからと言って、それから背を向けた瞬間に、それは野犬の様に牙をむいて追いかけてくる。そしてますます強くなり、ますます手に負えなくなってくるのだ。

 快も不快も差別することなく、価値あるものとみなしてしっかりと気付き、受け止め、体験してみた瞬間、分離感が癒され、和解が起こり、容易に手放すことができるようになる。

 大切なことは、自分を裁くことでも、罰することでも、操作することでもない。

 ただ受け入れること。真に愛することが大切なのだ。

受け入れるということ ③

 受け入れる力を人生に活かすためにはどのようにすればよいのか?

 まずは、自分自身を受け入れること。

 私は、自分自身について、どの程度分かっているだろうか?

 私には、さまざま私がいる。

 私がわかっている私、私が気付けていない私。

 私が好きな私、私が嫌いな私。

 私がコントロールできる快適な私、私がコントロールできないやっかいな私。

 私がそうなりたいと思っている理想の私、そうなりたくないと思っている絶望の私。

 私が人に見せたいと思う素敵な私、人に見せたくないと思っているおぞましい私。

 さまざまな私をリードしようとする私、従う私、意のままにならない私。

 さまざまな方法で内面をリードしようとする私、独裁者の私、弱腰の私、暴君の私、陰謀家の私、評論家の私、検事の私、裁判官の私、信念の私、熟考の私、短慮の私、・・・。

 私の混沌とした内面を支配し、そうなりたい私、そう見せたい私になるために、私は、さまざまな努力をしている。

 私を裁くこと…こんな私はダメ人間だ、こんな私は罪びとだ、こんな私は死んだほうが良い、・・・。

 私のままならない面を脅し怒ること…何やってもダメなバカ者なんだな、このままだとのたれ死にだぞ、そんなだとみんなから嫌われて非難されるぞ、未来は不安と恐怖が待ってるぞ、・・・。

 私の嫌いな側面を攻撃すること…なんてダメなやつ、死んじまえ馬鹿野郎、お前なんか生まれてこないほうが良かった、・・・。

 私を矯正すること…そんなことは考えちゃだめだ、そんな感情は起こっちゃだめだ、そんな態度はだめだ、そんなことしちゃだめだ、・・・。

 私の支配権をめぐって戦うこと…そんな生き方じゃだめだ、もっと考えないと、もっと感性を大事にしないと、もっと直感を信じないと、もっと行動しないと、人に迷惑をかけるべきではない、人に迷惑をかけてもしかたがない、人を傷つけるべきではない、人を傷つけても仕方がない、自分が反省すべきだ、人を責めるべきだ、あっちがいい、こっちがいい、・・・。

 私をリードするために、私は、効果があるかどうかは別として、さまざまな努力をしている。

 ただ、していないことは、私を受け入れることだ。

 私は、いまここで、どんなあり方なのかということ、そんなシンプルなことを受け止めて理解していない。

 実は、私にまつわる多くの問題は、そこに起因しているのだ。

受け入れるということ ②

 受け入れることは、分離感をいやすということ。

 あなたがいったん受け入れることを始めたら、あなたと世界の間で存在していた幻想の壁、断絶、分離の緊張が和らぎ、癒され、内と外が共鳴し始めることに気づくだろう。

 不安や恐怖は、分離感の申し子。分離感が弱まれば、不安や恐怖も鎮まる。受け入れることは、不安と恐怖の根本をいやすのだ。

 受け入れることを通して、あなたは、より自由になり、より自分らしく輝くようになる。

 あなたが変われば、周りも変わる。あなたの輝きを受けて、あなたがかかわる人たちが、次第に、微妙に、根本的に変わってくることを次第にあなたは気づくだろう。

 受け入れることは、愛するということ。愛するということは、まさに、太陽の力。自分も他人もより自分らしく自由で輝かしく力強いあり方へと優しく変容を促すのだ。

受け入れるということ ①

 受け入れるということ、それは、拒絶することとは違う。

 拒絶することは、受け入れないことであり、受け入れることではない。

 受け入れること、それは、同意することとは違う。

 同意することは、他者の言うことを正しいと自分が思うことであり、受け入れることは、他者がそれが正しいと主張していることを理解することである。同意していなくとも受け入れることはできる。

 したがって、受け入れることと従うことは違う。

 受け入れたからといって、従う必要はまったくない。また、従うことは受け入れたことの証明ともならない。受け入れなくとも従うことはできるからだ。

 受け入れることは、好きになることとも違う。

 好き嫌いは実はたいした問題ではない。食べ物の好みが時とともに変わるように、好き嫌いは移ろいゆくもの、本質的なものではない。乗り越えられるのだ。

 受け入れるとは、相手のありのままを受け止めて、ありのままを理解すること。

 受け入れるとは、相手を裁いたり、操作したり、変えようとすることではない。そのままの相手を、そのままに理解しようとすることである。

 受け入れることは、途方もない大きな力を持っている。

 それは、北風ではなく太陽の力。

 暴力ではなく、優しさの力。

 改善の力ではなく、革命の力なのだ。