受け入れるということ ③

 受け入れる力を人生に活かすためにはどのようにすればよいのか?

 まずは、自分自身を受け入れること。

 私は、自分自身について、どの程度分かっているだろうか?

 私には、さまざま私がいる。

 私がわかっている私、私が気付けていない私。

 私が好きな私、私が嫌いな私。

 私がコントロールできる快適な私、私がコントロールできないやっかいな私。

 私がそうなりたいと思っている理想の私、そうなりたくないと思っている絶望の私。

 私が人に見せたいと思う素敵な私、人に見せたくないと思っているおぞましい私。

 さまざまな私をリードしようとする私、従う私、意のままにならない私。

 さまざまな方法で内面をリードしようとする私、独裁者の私、弱腰の私、暴君の私、陰謀家の私、評論家の私、検事の私、裁判官の私、信念の私、熟考の私、短慮の私、・・・。

 私の混沌とした内面を支配し、そうなりたい私、そう見せたい私になるために、私は、さまざまな努力をしている。

 私を裁くこと…こんな私はダメ人間だ、こんな私は罪びとだ、こんな私は死んだほうが良い、・・・。

 私のままならない面を脅し怒ること…何やってもダメなバカ者なんだな、このままだとのたれ死にだぞ、そんなだとみんなから嫌われて非難されるぞ、未来は不安と恐怖が待ってるぞ、・・・。

 私の嫌いな側面を攻撃すること…なんてダメなやつ、死んじまえ馬鹿野郎、お前なんか生まれてこないほうが良かった、・・・。

 私を矯正すること…そんなことは考えちゃだめだ、そんな感情は起こっちゃだめだ、そんな態度はだめだ、そんなことしちゃだめだ、・・・。

 私の支配権をめぐって戦うこと…そんな生き方じゃだめだ、もっと考えないと、もっと感性を大事にしないと、もっと直感を信じないと、もっと行動しないと、人に迷惑をかけるべきではない、人に迷惑をかけてもしかたがない、人を傷つけるべきではない、人を傷つけても仕方がない、自分が反省すべきだ、人を責めるべきだ、あっちがいい、こっちがいい、・・・。

 私をリードするために、私は、効果があるかどうかは別として、さまざまな努力をしている。

 ただ、していないことは、私を受け入れることだ。

 私は、いまここで、どんなあり方なのかということ、そんなシンプルなことを受け止めて理解していない。

 実は、私にまつわる多くの問題は、そこに起因しているのだ。

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