受け入れる力を人生に活かすためにはどのようにすればよいのか?
まずは、自分自身を受け入れること。
私は、自分自身について、どの程度分かっているだろうか?
私には、さまざま私がいる。
私がわかっている私、私が気付けていない私。
私が好きな私、私が嫌いな私。
私がコントロールできる快適な私、私がコントロールできないやっかいな私。
私がそうなりたいと思っている理想の私、そうなりたくないと思っている絶望の私。
私が人に見せたいと思う素敵な私、人に見せたくないと思っているおぞましい私。
さまざまな私をリードしようとする私、従う私、意のままにならない私。
さまざまな方法で内面をリードしようとする私、独裁者の私、弱腰の私、暴君の私、陰謀家の私、評論家の私、検事の私、裁判官の私、信念の私、熟考の私、短慮の私、・・・。
私の混沌とした内面を支配し、そうなりたい私、そう見せたい私になるために、私は、さまざまな努力をしている。
私を裁くこと…こんな私はダメ人間だ、こんな私は罪びとだ、こんな私は死んだほうが良い、・・・。
私のままならない面を脅し怒ること…何やってもダメなバカ者なんだな、このままだとのたれ死にだぞ、そんなだとみんなから嫌われて非難されるぞ、未来は不安と恐怖が待ってるぞ、・・・。
私の嫌いな側面を攻撃すること…なんてダメなやつ、死んじまえ馬鹿野郎、お前なんか生まれてこないほうが良かった、・・・。
私を矯正すること…そんなことは考えちゃだめだ、そんな感情は起こっちゃだめだ、そんな態度はだめだ、そんなことしちゃだめだ、・・・。
私の支配権をめぐって戦うこと…そんな生き方じゃだめだ、もっと考えないと、もっと感性を大事にしないと、もっと直感を信じないと、もっと行動しないと、人に迷惑をかけるべきではない、人に迷惑をかけてもしかたがない、人を傷つけるべきではない、人を傷つけても仕方がない、自分が反省すべきだ、人を責めるべきだ、あっちがいい、こっちがいい、・・・。
私をリードするために、私は、効果があるかどうかは別として、さまざまな努力をしている。
ただ、していないことは、私を受け入れることだ。
私は、いまここで、どんなあり方なのかということ、そんなシンプルなことを受け止めて理解していない。
実は、私にまつわる多くの問題は、そこに起因しているのだ。