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エッセイ賞第3次選考通過

実は、今年の3月くらいに、当ブログでも発表している文章「日常の中のロゴス」を、文芸思潮のエッセイ賞というコンテスト?に応募していました。
先日、文芸思潮社さんから連絡を頂いて、第3次選考を通過したのご連絡を頂きました。
こうした文芸賞への応募は初めての挑戦で、第3次選考通過がどういう意味を持つのかがよくわかっておりませんが、でも大変光栄なことだと思っています。

当ブログで言う「日常の中のロゴス」は、応募の際にタイトルを「日常のロゴス」と間違えて書いて送ってしまったので、選考通過作品のタイトルは、そうなっています。

【「日常の中のロゴス」シリーズ】
1.ロゴスとは何か
2.ロゴスを語源とする言葉
3.偶像崇拝の罠
4.自尊心の本質
5.教育と日常哲学
6.ロゴスへの帰還

今後、審査は続いて、9月の文芸思潮101号で入賞作品が発表されるそうです。
第3次選考通過だけでも光栄ですが、ちょっとだけワクワクします。トンビが鷹を生むでしょうか!
こうご期待!

自分を裏切らずに生きるということ

自分を裏切らずに生きるということ

困難から逃げずに立ち向かっていけば、どの道を通っても必ず勝利する。
何につけ人のせいにして逃げているうちは成長はないし勝利もない。

時に、ドラゴンに首をたれて恐怖の代理人になる人もいる。

どう生きたってかまわない。どう生きてもその人のその時の人生だ。
しかし、ダークサイドに落ちて喜んでる人は、誰も愛せないし誰からも愛されない。
金や力は得るかもしれないが、
誰かを犠牲にしてその生き血を吸う寄生虫のような嫌われ者になる。

自分らしく生きようと志す者は、決して恐怖に負けてはいけない。
恐怖は成長への踏み台であって主人ではない。
勇者の人生にはドラゴンがつきものだ。
痛みや苦しみは避けられないが、立ち向かうことで成長の教材になる。

「なんで俺ばっかりこんな目に合うんだ!」
それはあなたが勇者だからだ。
痛みから学び、成長し、いつか同じような苦しみを持つ人を救うためだ。

人生には目的がある。その大切なものの一つは成長だ。
成長することは、あなたの使命なのだ。
より深く、より広く、より気高い存在へと成長することは、人としての宿命。

痛みや困難は避けられない。
痛みを受ける弱い自分を許そう。
失敗した自分を受け入れよう。
そして反省から学び、
勇気をもって再び歩き出そう。

自分を裏切らないために。

 

y=1/2gt²

物理学上の時間は、順も逆も問わない。
しかし、この現実では、時間は誰にとっても平等に過去から未来へと流れていく。

この世界の時間とは、可能性を現実へと変えていく神秘である。

だから人生は、
進むたびに自由を失う。

しかしその不自由さの中でしか、本当に大切なものは得られない。
それは、支配から献身への脱皮である。

万能の神も、
無限の可能性を捨て、
あえて一つの歴史を選んだ。
あえて一つの世界を選んだ。
あえて一つの時間の流れを選んだ。
そして、あなたになった。

あなたが、ままならない世界の中で、それでも生きる中で、
愛も、
勇気も、
赦しも、
献身も、
現実となった。

そして、そんなあなたと、めぐりあうことができた。

あなたとの出逢いで、つまらない日常が輝いてきた。
さびしかったけどもう一人じゃなくなった。
あんなに重苦しかった対話が、楽しさに変わった。
とっくに忘れてしまった胸の鼓動、愛おしさがよみがえってきた。
すっかり委縮してなくなってしまったと思っていた勇気が胸に満ちてきた。
いとおしさと哀しさと愛が胸からあふれ出てきた。
あなたとの出逢いは、忘れてしまっていた尊いものに気づかせてくれた。

そう、君との出逢いは、封印された宝庫を開く鍵だった。
再び、自由になる。
再び、気高くなる。
再び、愛せるようになる。

君との豊かな関係性は、 人生の大切さを思い出させてくれた。
理不尽や苦悩さえも、 この旅に必要だったのだと教えてくれた。
そして、 長いあいだ抱えていた痛みを、 そっと溶かしてくれた。

さあ、今度は、一皮むけた二人で旅立つ番だね。
創造への冒険ははじまる。

 

16人の勇者 第8章 ⑥戦士

第8章 ⑥戦士

戦士は、勇気をもって旅に一歩踏み出した勇者です。
戦士は、慣れ親しんだ自分の居心地の良い部屋、習慣、生き方を捨て去り、愛する人を守るため、ドラゴンを倒すため、夢を実現するため、自分の弱さを克服するための旅に出る覚悟を決めます。

慣れ親しんだ環境を後にして新しい世界に入ろうとする際には、必ずそれに抵抗する「門番」と呼ばれる力が立ち現れてきます。門番は、異なる2つの世界の境界にいて、境界を出入りする人を監視し、管理します。
旅に出ることを決めた戦士にとって、門番は、最初に出会う敵となります。門番は、故郷を後にしようとする戦士の邪魔をして、旅立ちを阻止しようとするのです。
それは、故郷を後にするものを裏切者扱いにする嫉妬深い人であるかもしれませんし、法律のような制度であるかもしれません。
逆に、戦士を心配し、戦士が未知に挑戦することを危険視するあまりに、おせっかいをやく親かもしれません。
また、仲間抜けをするなら落とし前をつけろと脅す戦士を搾取していた者たちであるかもしれません。
さらに、戦士自身の冒険への不安や恐怖である場合もあります。
いずれにしても、門番は、何らかの理由、たいていの場合は狭く勝手な了見で、戦士の旅立ちを阻害します。戦士は、まずは、その者たちに対して、上手に立ち向かい、乗り越える必要があるのです。

戦士は、門番に対して決して逃げることなく立ち向かいます。門番を乗り越えるためのさまざまな作戦を練って、検討し、果敢に出陣するのです。
もちろん、面と向かって戦い、門番を倒し、打ち負かすことで乗り越えることもできますが、方法はそれだけではありません。門番が寝ているすきをみて素早く通り過ぎる方法もありますし、荷車の荷物に紛れて通り過ぎる方法もあります、通過を許されている何者かに変装して門番を上手にだます方法もあるでしょう。
理想的には、話し合い、門を出る必要性と意義を理解してもらい、旅を応援してくれる仲間になってもらうのが最高です。
そもそも、門番は、門番としての使命を持っており、戦士にとっては旅を邪魔する障害となる者ですが、決して敵や悪者ではありません。できるだけ門番を傷つけずに脱出できるのに越したことはないのです。戦士は、この門番への対処法を通して、まさに今までに学んだ事柄のテスト、力量を問われることになります。

いずれにしても、戦士は、こうして、障害から逃げることなく直面し、作戦を練って果敢に挑戦し、見事に高い壁を乗り越えて、戻ることのできない未知なる冒険へと乗り出すことになるのです。

⑴光の側面
戦士は、勇気と力と高潔さをもって敵に立ち向かいます。
目標を定め、計画を練って、果敢に挑戦して成果を出します。
時には自分や仲間を守るために勇敢に戦いを挑みます。戦士は、ただ単に強く手段を選ばない暴君ではなく、気高く高貴な正義の騎士なのです。
戦士は、多くの戦いや挑戦を経て、どんどん強くなっていきます。
どう転ぶかわからない不確実な戦いに挑み、多くの経験を経て戦いを有利に進め、勝利をもたらす力を身に着けていきます。
旅に出る前は先を見通せる事だけしかできなかったのに対して、戦士は、不確実で成功の保証がない課題に取り組み、高い確率で成功をもたらすことができるようになります。すなわち、不確実性への耐性を体得することができるのです。
また、困難な逆境にあっても、決してあきらめずに立ち向かう強靭な精神力、粘り強さを体得していきます。さまざまな不安にひるまずに率直に言うべきことを言う自己主張の力、説得し納得を引き出すプレゼンテーションの力を身につけます。

⑵影の側面
戦士が恐れるものは、自分自身の弱さ、能力不足です。
自分の中にある弱さや能力不足を、何度も何度も練習を繰り返し、克服していきます。
敵に勝つなどの具体的な目標を設定し、それを実現する能力を獲得するために学習計画、鍛錬のスケジュールを定め、強い意志で訓練を続け、成長していくのです。
それは、自分の中の弱さと戦い、打ち負かそうとするプロセスでもあります。
戦士は、自分の中の怠け癖、わがまま、悪の傾向、私利私欲を求める心、移り気、いい加減さに対して、無慈悲で厳しい態度で臨みます。それらを発見するたびに、自分を叱り、責め、否定して打ち負かそうとするのです。
そうしたストイックな態度は、戦士の急速な成長をもたらします。戦士はあっという間に力をつけて、能力を高めます。以前の自分とは比べ物にならないくらいの力強くたくましい存在になるのです。
しかし、一方で、自分の中で否定された弱さや欠点は、決して消え去ることはありません。光あるところに影ができるように、弱さや欠点は切り離せない自分の一部であり、どんなに戦士が強くなっても、それらは影のように存在しています。
普段は戦士の厳しい態度に打ち負かされて身を潜めますが、戦士の気力が弱まった時や心理的な困難で集中力を失ったときには、心のすきを縫って自己主張し、戦士を増々困惑させる事態を生むことになるのです。
戦士は、そうした弱点の反撃に会うたびに、自分の中にある欠点をぬぐえないことに対する罪悪感や恥を感じ、弱点を嫌悪し、恫喝し、破壊しようとします。完璧な戦士になろうとして、正義を貫き、時には自己犠牲の精神で、自分の命をも捨てる覚悟で戦いますが、たとえそれができたからと言って、欠点を克服できたわけではありません。
完璧になろうとする試みは、決して成功しません。光があれば影ができるように、長所があれば欠点が生まれてくるのは宿命です。また影は実体ではなく、光の欠如であり、光が強ければ強いほど濃くなります。同様に、戦士が強くなればなるほど、弱さや欠点も強くなり目立つようになるのです。
こうして、戦士の外面的な成長とは裏腹に、内面では、徐々に葛藤が強まり、苦悩は増していくことになります。この葛藤は、放置しておくと、ますます悪化して、後に大きな問題やトラブルにつながる原因となっていく危険性があります。
また、内面の葛藤は、外面にも影響を及ぼすようになります。戦士は、自分の内面の弱さを憎み、攻撃するように、他者の弱さや欠点に対しても厳格です。他者の弱さを指摘し、反省を促し、克服する努力をするように忠告します。
しかし、他者の弱点や欠点も、自分同様に光あるところの影であり、決して無くなることはありません。攻撃を受けて身をひそめることはあるでしょうが、チャンスを見て反撃をすることもあるでしょう。
戦士は、反撃にあえば会うほど、過剰に警戒し防衛するようになり、弱点への攻撃は、ますます無慈悲になり、過酷になります。戦士の攻めが強くなればなるほど相手の防衛と反撃も強まるので、ますます自他の葛藤は強まります。葛藤に勝つために、戦士の忠告は警告になり、次第に恫喝へと変わっていきます。
時には、虐待や暴力につながる危険性もあります。そうなると、もはや正義の味方ではなく、冷酷な一匹狼に逆戻りしてしまい、最悪で虐待者、悪への転落者となってしまいます。

⑶課題
そうした暴力や虐待の罠にはまることなく、戦士が本質的に強くなるためには、意識的にこの内面と外面の葛藤を解決するよう努力する必要があります。
戦士に必要な課題のまず一つ目は、何のために弱さと戦うのかについての大義を忘れないようにすることです。
弱きを助け強きをくじくという志の下では、弱者に対しての慈悲を忘れることはないでしょう。
しかし、大義を失い、私利私欲に走ってしまうと、容易に恐怖や怒りの感情に飲み込まれて、暴君や虐待者になってしまうことでしょう。

2つ目の課題は自制心を持つことです。自制心とは、自分を律すること、自分の内面の多様性を統合するリーダーシップを言います。
自制心は、弱点を決して否定しません。かといって、放置もしません。暴れ馬に手綱をつけて静め上手に乗りこなすのです。自分にとっての障害を見境なく敵と見立てて戦うのではなく、上手に向き合い、コントロールするすべ=自制心を学び取ることが大切です。

3つ目の課題は、受け入れる度量を身につけることです。まずは、自分や他者の欠点、弱点は、影のような存在であり、けっして消し去ることはできないことを理解し、それを受け入れることが必要です。自分が恐れるものは自分の影であることを見極めて、恐れから戦いを挑むことを止めることが大切です。恐れてやみくもに剣を振るうのではなく、存在を受け入れ、良く観察して、光を当てていくことが大切なのです。
認められた欠点はもはや敵ではありません。光が当たった欠点はもはや障害ではありません。それは、免疫力であり、注意深さであり、健全な防衛力となります。受け入れる度量は、狭量な偏屈さ、頑固さを和らげ、敵を少なくすると同時に、味方を増やし、最終的には戦力の増強につながるのです。

16人の勇者 7.⑤暴君

第7章 ⑤暴君

一匹狼が群れに属さないとすれば、暴君はその群れを作る者です。
高い報酬と徹底した処罰で管理、コントロールして組織を束ねます。
愛ではなく契約による統治者なのです。

高い報酬の源泉は、不確実性への耐性です。
並外れた胆力をもって、不可能を可能にします。

暴君は、不確実性の正体を徹底的に研究します。
何が起こり得るのか。
どこに危険が潜んでいるのか。
どうすれば勝率を上げられるのか。
失敗を避けるためには何が必要なのか。
そうしたことを執拗なまでに分析し、自分なりの対処法やノウハウを構築していきます。

そして、磨きぬいたやり方と技術と力をもって、
・大きな賭けをする、
・リスクを引き受ける、
・修羅場に強い、
・危機で逃げない、…
暴君は、多くの人が恐れて近づかない危険や混乱の中へ、自ら踏み込んでいきます。
危険な橋を渡るリスクを引き受けて、不確実性と戦います。
だからこそ莫大な成果を生み出せるのです。

暴君は組織を作ります。
事業を作ります。
資産を作ります。
国家を作ります。
混乱を整理し、秩序を生み出し、大きな成果を実現します。

そのために必要なのは、知識でも技術でもありません。
覚悟です。
誰も引き受けたがらない責任を引き受ける覚悟。
誰も挑戦しない未来へ賭ける覚悟。
失敗すれば全てを失うかもしれない状況で決断する覚悟です。
暴君は、その覚悟によって莫大な価値を生み出します。

度胸と覚悟と注意深さは、幸運を招きます。
幸運の女神は、勇気あるものに微笑む。
暴君は、運を味方につけて奇跡を起こすのです。

だから人は彼を必要とします。
だから人は彼を恐れます。
だから人は彼に従うのです。

⑴ 光の側面
暴君は、圧倒的な実行力を持っています。
決断ができます。
責任を引き受けます。
不確実な未来に賭けることができます。

多くの人が危険を恐れて立ち止まる場面でも、暴君は前へ進みます。
だから新しい事業が生まれます。
新しい技術が生まれます。
新しい社会が生まれます。

暴君は成果主義です。
努力や能力を評価します。
結果を出した者には報酬を与えます。
その報酬は、自らが引き受けた不確実性から生み出されたものです。

暴君は人を甘やかしません。
厳しい要求をします。
高い基準を求めます。
しかしそれは、自らにも同じ基準を課しているからです。

暴君は、自分に最も厳しい人でもあります。
弱気な自分を許しません。
失敗した自分を許しません。
騙された自分を許しません。
傷ついた自分を許しません。
弱さや欠点を克服すべく、常に自分を鍛え続けます。
暴君は、努力によって越えられない問題はないと信じています。

違和感から目をそらしません。
危険の兆候を見逃しません。
現実を甘く見ません。
人の善意を過信しません。
社会に潜む罠を見抜こうとします。
そして、自らの知識と経験と技術を磨き続けます。

安易な楽観主義を嫌います。
しかし同時に、絶望もしません。
冷徹に現実を見つめながら、それでも大胆に未来に賭けます。
だからこそ、多くの人が諦める困難を突破できるのです。

そうした暴君は、不可能を可能にする魅力を持っています。
そして、人々はその力に憧れ、その覚悟に驚き、その危うさに畏怖するのです。

⑵ 影の側面
暴君は、世の複雑性を良く知っています。
この世に善と悪が存在し、複雑に絡み合っており、悪も簡単には裁けないことを良く理解しています。
しかし、悪を知っていることと、悪に支配されることは違います。
また、悪を利用することと、悪に奉仕することも違います。
暴君はしばしば、その違いを見失ってしまうことがあります。
暴君のその力は、時として、うそやごまかし、誇張や脅迫を交えた愛のない支配、冷たい取引へと変わってしまうのです。

暴君は、人を信じているのではありません。
愛されるよりも怖がられることによって管理しています。
成果を出せば報酬。
従わなければ処罰。
そうして秩序を維持します。

暴君にとって、人は大切な戦力です。
しかし心から信頼できる仲間ではありません。
利害によって結びついた存在だと考えています。
力になってくれることもありますが、状況が変われば裏切ることもあります。
だから暴君は、人を信頼ではなくアメとムチによって束ねようとします。
時に、それがハラスメントになり、暴力に転じることもあります。
人は、恐怖故に暴君に従いますが、心服はしていないので、言われたことしかやりませんし、身を護るために、言い訳やうそ、取り繕いに徹します。
暴君は、一生懸命に組織を束ねれば束ねるほど、組織はその力を失っていくのです。

また、暴君は、危機的状況になると、時として、強引になってしまいます。
暴君は、不確実性に立ち向かう英雄であると同時に、世界を制御可能だと思っています。
だからこそ、制御できない現実を前にすると激しく動揺します。
しかし世界には、努力でも技術でも解決できないものがある。
暴君は、決して敗北を受け入れることができないように、その事実を受け入れることができません。
だから、勝利のためには手段は選ばない、修羅の道を選ぶことがあります。法的な制約は、それを破ることまではしませんが、時として、法の網の目を通り抜けるような法律ぎりぎりの手段に訴えることもあります。
そうしたふるまいは、他者からは、詐欺的、暴力的とも映ることがあります。

さらに、暴君は、自分の弱さを激しく嫌悪しています。
臆病な自分、無力でみじめな自分、失敗する自分、偽善的な自分、醜い自分、…。
自分の中に、そのような自分が存在することを決して許そうとしません。

だから強くなろうとします。
だから勝ち続けようとします。
だから成功し続けようとします。
しかし、その戦いに終わりはありません。
なぜなら暴君が倒そうとしている相手は、他人ではなく自分自身の影だからです。

そして他人の中に同じものを見つけると、それもまた許さず、憎みます。
・弱音を吐く者。
・言い訳をする者。
・能力のない者。
・偽善者。
・見栄を張る者。
・依存する者。
そのような人々に激しい嫌悪感を抱くことがあります。
しかし実際には、それらは暴君自身の影でもあります。
影は、光の不在であって決して倒し排除することはできませんが、暴君はその勝ち目のない戦いを続けるのです。

自己否定が嵩じて自己嫌悪になってしまうと、勇者の道を踏み外して、魔王へと堕落する危険性があります。
暴君は、少なくとも、世のため人のためと思っている大義名分をもち、法律違反は慎みますが、魔王は、それすら尊重しなくなります。自分の中のぐずぐずと燃え滾る怒りや憎しみ、復讐心、…。それらの源泉は、他者から与えられたものと言うよりは、自己嫌悪なのですが、それを自分に見て反省しようとはせず、他人に投影し、攻撃を始めます。
眼光は狂気を帯びるようになり、その攻撃は、自分にするように他人にするものであり、容赦ないもので、虐待や暴力をふるうことに躊躇がなくなるのです。
その時、暴君が築いた王国は、人々のための秩序ではなく、自らの傷を守るための牢獄へと変わるのです。

⑶ 恐れるもの
暴君の恐れは自己嫌悪です。自分の中の見捨て虐待した自分が影となって、時として自分に影響を与えること、もしくはそう言う弱く醜い自分の存在が暴露されることを恐れているのです。

だからこそ徹底的な圧勝で脆い自己イメージを維持しようとします。
暴君にとって敗北とは、単なる失敗ではありません。
過去に見捨てた自分自身との再会です。
だから、そうした弱くてみじめな自分と直面しないためにも、単なる成功ではなく圧倒的な勝利を勝ち取る自分を維持する必要があるのです。
暴君は人から畏怖を集めることによって自己イメージを高めたいのです。

暴君は負けることを恐れています。
しかし本当に恐れているのは敗北ではありません。
敗北によって、自分が隠してきた弱さや醜さが暴露されることなのです。

⑷ 課題
暴君の課題は、自己不信と劣等感、そしてそれが積み重なって生まれる自己嫌悪です。
本来、人の弱さや醜さは、心理学的には、光の影であって、人存在としてあってしかるべきものであり、切り離すことは不可能な部分でもあります。
しかし、暴君は、そういう自分の内面の瑕疵、欠点や弱さを受け入れることができません。なぜなら、自分の本質が、そういう弱さ醜さであり、そういう自分の無価値な本質がばれたら存在が許されないと思い込んでいるからです。
だから、自分は完全無欠で非の打ちどころのない強さを持っており、何一つ隙はない。あらゆるものは自分が制御可能であり、不可能はない。そう思いたいし、そう思ってもらいたいのです。
暴君にとって、そういう無理難題を自分にも他人にも命じることは、決して楽しく自然なことではありません。自分の圧倒的な力をもってそういう強引な命令を通すことは、一時的にできたとしても、長続きはしません。
だからこそ、もっと肩の力を抜く必要があります。

暴君の課題は、さらに力を手に入れることではありません。
自分自身を許すことです。
弱さを許すこと。
失敗を許すこと。
愚かさを許すこと。
未熟さを許すこと。
偽善を許すこと。

暴君は、自分を愛していません。
だから他人にも厳しくなります。
だから世界にも厳しくなります。
自分を裁く人は、他人も裁くからです。
しかし人は誰も完全ではありません。

誰もが弱さを持っています。
誰もが矛盾を抱えています。
誰もが愚かさを持っています。
その事実を受け入れること。
そして、自分の価値を成果や支配や評価によって証明しようとすることをやめること。
それが暴君の学ぶべき課題です。

自分のありのままを受け入れて、それを少しずつ愛せるようになった時、少しだけ人を許せるようになり、人を大切にできる気持ちが起こってくるのであり、その時にこそ、暴君は、真のリーダーへと変容していくことができるのです。

16人の勇者 6.④職人

第6章 ④職人

放浪者は、さまざまな経験を通して多くのことを学びます。
人との付き合い方。
傷ついた時の立ち直り方。
困難を切り抜ける知恵。
生き抜くための工夫。
しかし、それらはまだ断片的な知識に過ぎません。

職人は、それらを自分自身の力へと変えていく人です。
知識を技術へ。
理解を実践へ。
可能性を現実へ。

職人は、自分の才能や能力を信じ、繰り返し練習し、失敗し、改善しながら、自らの技を磨いていきます。
職人は自分と相性の合う一つの分野を見つけ、深く掘り下げる人です。

その探求の対象は、社会の中でうまく立ち回る方法と言うよりは、自分です。
「自分には何ができるのか」
「どこまで成長できるのか」
「どのような価値を生み出せるのか」
職人は、自らの可能性を形にするために修練を続ける勇者なのです。

⑴ 光の側面
職人は努力を信じています。
才能だけでなく、反復と鍛錬によって人は成長できることを知っています。

昨日より今日、今日より明日。
少しでも上達したい。
少しでも良いものを作りたい。
そんな向上心を持っています。

職人は、自分の責任を他人に押し付けません。
できなかったことを言い訳せず、自らの課題として受け止めます。
また、地道な積み重ねを厭いません。
派手な成功よりも、確かな成長を大切にします。
何度も挑戦し、何度も失敗し、その失敗から学びます。

職人は、自分の力で人生を切り開こうとする人です。
だからこそ、困難な状況の中でも諦めずに努力を続けることができます。
その誠実さと粘り強さは、職人の大きな魅力です。

⑵ 影の側面
しかし、その向上心は時として完璧主義へと変わります。
もっと上手くならなければならない。
失敗してはいけない。
常に正しくなければならない。
少しでも瑕疵があってはならない、…。

それは、自分のスキルを磨く原動力ともなりますが、
自他ともに欠点を嫌う狭量さともなり、時に頑固で、融通の利かないわからずやのレッテルを張られることもあります。

また、職人は、自分の仮説にこだわりを持っています。実際には、それらは勘違いや思い込みであることが多いのですが、一旦信じ込んだ仮説は、簡単には変えたり手放したりすることはありません。
他者から「それは違うよ」「勘違いだよ」とフィードバックされても、決して心からは納得することなく、いつまでも自分の勘違いを大切にして、逆に、過去や現実をその仮説の通りに合わせようとするのです。

それは、自分の成長が、仮説と共に在ったので、仮説を信じることは、大切なことでもあるのですが、自分が思いつくあらゆる仮説が真実とは限りません。
職人は、自分の技術やスキルを高めてきましたが、世界の複雑さや不確実性、混とんとしてよくわからない状況に対して、それを深く探求していくことを嫌い、単純で簡単にけりをつけたいという欲求が強いので、世界への理解は自分の技ほど成長していません。
だから、本当は不器用であり、社会でうまくやっていくことに関しては、実は全く自信がないのです。
そして、その自分の欠点と向き合うことが難しい。だから、社会や世界に関する自分の仮説を疑うことができずに、真実と思い込んでしまい、いろいろなトラブルや失敗につながる危険性が少なくないのです。

さらに、大きくゆがんだ世界観や宗教観を自分の信念として持ってしまった場合は、自分の高い技術やスキルが、逆にあだを為してしまいます。
勇者の道を踏み外し、自分の専門性を悪用して、偽善に仕えるマッドサイエンティストに闇落ちしてしまう危険性があるのです。

マッドサイエンテイストは、自分の狭い了見から生まれた暗い世界観や宗教観、人間観を絶対視し、それに人や現実を従わせようとします。
ゆがんだ理論を真実と偽り、専門性を生かして、数多くの実験を行って、自分の立場を証明し、正当化しようとします。
その結果、人の幸せのためではなく、自らのゆがんだ思想や理論による何らかのモンスターを作ってしまうのです。

職人にとって最大の敵は、未熟さではありません。自分の正しさへの執着=傲慢さなのです。

⑶ 恐れるもの
職人は、自分の不完全さ、失敗、愚かさ、自分の内面に存在する影を恐れています。
また、そういう自分の愚かな内面が暴露されて、人から嫌われ、見下されることを恐れているのです。

だから、安全確実で見通しがつくものにだけ手を出しますが、
自分にはできそうもないこと挑戦することを恐れます。

職人は、「分からない」「だから教えてください」ということが苦手です。
人に弱みを見られることを恐れているのです。

だから、知っているふりをします。人に聞かずに自分で何とかしてしまおうとします。
だからこそ高い探求心をもって主体的に高いスキルを体得できるのですが、その成長は、遅く、独自で、隘路にはまりがちとなります。

⑷ 課題
職人の課題は、了見の狭い自分のままで、さらにテクニックを磨くことではありません。
自分の今の限界、いまの不完全さを受け入れることです。

どれほど努力しても失敗はあります。
どれほど賢くなっても分からないことはあります。
どれほど技術を磨いても、人生を完全に制御することはできません。

だから職人には謙虚さが必要です。
自分の最善が絶対ではないこと。
自分の仮説が間違っている可能性があること。
自分のエゴの力だけでは届かない領域があること。
その事実を受け入れる勇気が必要なのです。

職人の使命は、非の打ちどころのない超人になることではありません。
肩の力を抜いて、もっと自分のありのままを受け入れること、真の意味で自分を愛することです。
そして、他人に対しても完璧を求めない。自分のルールを押し付けない。こうあるべきだという偽善から自由になって、もっと他人や社会のありのままをありのままに受け入れ、観察すること、謙虚に学ばせていただくことです。

なぜ努力しても報われないことがあるのか?
なぜ正しいことが受け入れられないのか?
その問いから逃げずに向き合った時、職人は次の旅へと歩み始めます。
技を極めようとしていた者は、やがて真理を求める者へと変わるのです。

16人の勇者 5.③一匹狼

第5章 ③一匹狼…誰にも支配されず、誰も信じず、自分の力だけで生きようとする者

一匹狼は、自立した人です。
少なくとも本人はそう思っています。

誰かに頼らない。
誰かに期待しない。
誰かに振り回されない。

自分のことは自分で決める。
自分の身は自分で守る。

それが一匹狼の誇りです。

しかし、その誇りの奥には、深い傷が隠されていることがあります。
信じたのに裏切られた。
期待したのに失望した。
助けを求めたのに届かなかった。

だから一匹狼は決意します。
「もう頼らない」
「もう期待しない」
「もう傷つかない」

そして心を閉ざし、外側に防衛のための力を求め始めます。

お金、知識、能力、技術、権力、地位、資格、法律、ルール、…。
それらは人間の気まぐれよりも信頼できるように見えます。

人を信じる代わりに契約を信じる。
共感を求める代わりにルールを求める。

そうして一匹狼は、自分だけの城を築いていきます。

⑴光の側面
一匹狼には強さがあります。
自分の責任を他人に押し付けません。

困難が起きても、誰かが助けてくれることを期待せず、自分で考え、自分で決断し、自分で結果を引き受けます。

また、一匹狼は群集心理にも流されにくい特徴があります。
みんながそう言っているから。
みんながやっているから。
そうした理由だけでは動きません。
自分の頭で考え、自分で判断しようとします。

自分の生き残りと居場所をかけて、力、社会構造、儲かる方法、法律、ルールを学び、自らを守る術を身につけていきます。

周囲に流されない生き方をするので、既存の常識や権威に対しても疑問を持つことができます。
孤独に耐える力。
依存しない力。
自分の足で立つ力。
その力強さとたくましさは、一匹狼の美徳です。

⑵影の側面
しかし、その賢さは、時としてずる賢さに変わり、強さは時として、不遜、無礼に変わります。
例え常識と呼ばれることだって、ルールで決められていないのだから守らなくていい。
公序良俗、思いやり、年配者や地位への畏敬、などなど、自分で納得していないマナーを押し付けられるのはまっぴらごめん、と言うより、感情の世界から撤退して、構造の世界へ避難しているので、できません。厄介に思える人間関係ではなく、操作可能な力を選んだのです。
法律やルールさえ守れていれば、それ以上の人間性に関わる要求や圧力は拒否するので、本人には悪意はなくとも、他者からは不遜や無礼に見えます。

また、その強さは、時として冷酷さへ変わります。
人を信じない。
だから人の善意も信じない。
人の感情を軽視し、共感を弱さとみなし、効率や合理性だけで判断し始めます。

一匹狼は、自分が傷つかないために心を閉ざします。
しかし、心を閉ざせば、相手の痛みも感じられなくなります。
そうした感受性の鈍化に伴って、本人には悪意がなくとも、他者からは、冷酷で非情、攻撃的に感じられます。

さらに、自己防衛の欲求が嵩じて、被害者意識、憎しみ、復讐心、攻撃性、自己正当化の罠にはまってしまうと、正義の名のもとに暴力をふるう残虐な悪鬼へと闇落ちする危険性もあります。

理解されなかった。認められなかった。傷つけられた。
その怒りや恨みを抱えたまま力だけを追い求めると、被害者意識や復讐心、自己正当化が強くなります。

ルールを守るのではなく、ルールを利用する。
正しさを求めるのではなく、勝つことを求める。
法律違反でなければ何をしてもよい。
そんな発想に近づいていきます。

この状態の一匹狼が闇に飲まれると、勇者の道を踏み外し、悪鬼への堕落の道が始まるのです。

悪鬼は力を持っています。しかし愛を失っています。
頭脳はあっても共感がなく、能力はあっても慈悲がありません。
だから一匹狼にとって最大の敵は、他人ではなく、自分自身の中にある冷酷さなのです。

⑶恐れるもの
一匹狼が本当に恐れているものは、失敗ではありません。
裏切られること、利用されること、弱さを見せること、出し抜かれること、そして助けを求めても拒絶されることです。

だから人との深い関係を避けます。
本音を隠し、感情を隠し、そして孤独を選びます。
しかし皮肉なことに、孤独は一匹狼を守ると同時に、さらに孤独にしてしまうのです。

⑷課題
一匹狼の課題は、もっと強くなることではありません。
もっと人を支配することでもありません。
信頼を学ぶことです。

人を信じること。自分を信じること。
そして、世界には悪意だけでなく善意も存在することを知ることです。

誰にも頼らず生きることはできます。
しかし、誰ともつながらずに生きることはできません。
真の強さとは、傷つかないことではありません。
傷つく可能性を知りながら、それでも心を開く勇気です。

一匹狼は、力によって成長する存在ではありません。
信頼によって成長する存在なのです。

⑸成長の方向性
一匹狼の前には主に二つの道があります。

一つは、経済力や地位、ノウハウなどの更なる力を獲得し、暴君へと進む道。
もう一つは、孤独の中で鍛えた力を、誰かを守るために使う戦士への道です。

どちらも力を持っています。
しかし違うのは、その力を何のために使うかです。

自分を守るための力なのか。
愛する誰かを守るための力なのか。
その選択が、一匹狼の未来を決定します。

 

16人の勇者 4.②放浪者

第4章 ②放浪者

自然児・隠遁者は、内面に自己中心的で周囲への配慮が欠けたわがままなあり方がある限り、周囲からの指摘や注意、叱責を受けることになります。周囲から拒絶され、距離を置かれるような、さまざまな出来事に傷つきますが、それらの出来事は、未熟な今の在り方を指摘し、より高い成長を促すメッセージでもあり、そのピンチをチャンスとしてとらえ、自らの成長に向けての努力をする必要があります。しかし、多くの場合、今まで慣れ親しんでいたあり方、考え方、習慣、態度を変えたくない気持ちが強く、現状を維持することに固執して、新しいチャレンジをすることを拒否します。
しかしながら、未熟な現在のありようを続ける限り、痛みを伴う体験=変容を促すメッセージはとめどもなく起こり続けることになり、自然児、隠遁者は、そうした痛みから逃れるためのあらゆる方法を探ります。
かくして、自然児、隠遁者は、放浪者へと変容を遂げることになります。
放浪者は、閉じた世界から外に踏み出した人です。それだけで、すでに一つの勇気がある。しかし放浪者の本当の旅は、まだ始まっていません。

⑴光の側面
放浪者は、恐怖や苦悩から逃れるためのありとあらゆる方法を探していきます。助けてくれる人、機関、知識、科学、宗教、気晴らし、束の間の楽しみ、趣味、悩みを共有して相談できる友人、などなど、痛みや苦しみ、内面の傷の疼きから逃れるためのさまざまな方法を研究しながら見聞を広げ、まともにぶつかりあわずに上手にかわす方法、たとえ投げ飛ばされても上手に受け身をとって怪我をしない方法、ディフェンスの技術を身に着け、次第にたくましくなります。友人と友情をはぐくむ方法や、時には逃げることも大切だということ、困難の中でもリラックスをして楽しめる自分なりの方法などを学びます。
放浪者は、さまよい逃げまどいながらも、明るさを忘れず、束の間ではありながらも楽しさや喜びを求めます。仲間ともに語り合い、気晴らしのゲームを楽しみ、ちょっとした冒険を繰り広げながら、次第に子供っぽさから卒業し大人の流儀を身にまとうようになります。放浪者は、痛みを体験しているがゆえに、人の痛みが分かるやさしさを持っています。自分が傷ついた経験があるからこそ、苦しんでいる人を放っておけません。周囲の人たちにとって、放浪者は、痛みを分かち合える気のいいやつであり、助け合える良き友です。苦しみの中にあっても明るさを忘れず、楽しく明るさをもたらし、場を盛り上げてくれる仲間なのです。

⑵影の側面
放浪者が求めることは、困難から逃れること、今の自分の在り方や日常の習慣を維持して変えないこと、執着している何かを失わないことです。不満や問題があることは知っていても、放浪者にとって日常は、これ以上の危険性のないそれなりに安心できる場所であり、居心地の良い領域なのです。また、自分に降りかかった課題に取り組むためには、全く新しい希望と危険が待ち受けている未知の世界に踏み出さなければならないことを知っており、自分がそこでやっていける自信がなく、怖気づいているのです。
しかし、この世に変わらないものなど存在しません。今の自分の在り方も日常の習慣や生活も、時間の流れとともに変わっていくものであり、成長を促すメッセージは、良いこと悪いことの両面からさまざまな形で次々に訪れて来ます。
放浪者は、それらのメッセージを無視して、成長を拒絶しているわけではありません。
むしろ成長したいのです。
だから本を読む。話を聞く。旅に出る。人と出会う。技術を学ぶ。
しかし、そのどれもが「出発の準備」のまま終わってしまいます。
まだ早い。まだ自信がない。まだ足りない。助けてくれる人や制度がない。
そう言いながら、いつまでも出発できないのです。
放浪者は、この変化への呼びかけを上手にかわしながら、準備が足りないと言って出発を先延ばしにします。
しかし、どれだけ準備を重ねても、不確実性が消える日は来ません。
未知の世界へ踏み出す勇気は、準備の量ではなく、一歩を踏み出すことでしか育たないのです。

また、放浪者は、社会の複雑性や多様性、不確実性に直面することを嫌い、単純で分かりやすい答えに飛びつく傾向があるので、容易にだまされやすい特徴もあります。
出会う人たちがみな善良な人ならば問題はありませんが、残念ながら、この世界は天使に囲まれているわけではありません。中には、放浪者の弱さに付け込んでだまし、利用しようとする存在も少なくはありません。
「簡単に儲けられるよ!」「ちょっとくらいなら悪いことじゃないよ」「みんなやってるよ」などと、誘惑され、うのみにして従ってしまうと、悪のパシリへと転落してしまい、思いもよらない犯罪行為に手を出してしまう危険性もあります。
放浪者は、自分で考えることや判断することを決して放棄してはならないのです。

⑶恐れるもの
放浪者は、狭く小さな世界の中の限定された安定の中から出ようとしません。自分の中に課題があることを知っていながら、その問題を先送りしてばかりで直面しようとしません。問題を乗り越えるための努力をする代わりにそのような野暮な努力を冷笑しがちです。真実に向き合う代わりに嘘をついて誤魔化す時もあります。苦しみに直面する代わりに気を紛らわせるための束の間の楽しさに依存しやすい弱さもあります。友情を大切にする一方で気に入らない人や嫉妬を覚える人には関係改善の努力をせずに冷淡に突き放したります。間違いを正そうとする代わりに仲間外れになることを恐れて悪行につきあうことがあります。仲間受けを良くするために蛮勇をみせて虚勢をはることはありますが、基本的には失敗を怖がって挑戦をしたがりません。放浪者は、放浪を通してさまざまな知識や技術を磨き、多くのことができるようになりますが、それは、あくまでも限定的なもの、先が見通せて確実に解決ができることが保証されている問題への対処法であり、広い世界の中の不確実な事柄には対処できません。放浪者は、本質的により大きな可能性を持った存在なのであって、そのような狭く限定された力にとどまり続けることはできません。どんなにごまかしても、成長への課題や高い壁は消えることはありません。どんなに打ち消しても、自分の内面で芽生えた理想や夢は打ち消すことはできません。長い目で見た場合には、いつかは心地よい日常、自分にとっての楽園を後にして冒険に出る必要があるのです。

⑷課題
放浪者にとっての課題は、自分自身の可能性を信じること、執着を手放すこと、夢を持つこと、そして、ちょっとした挑戦をすることと言えます。ただし、大それた挑戦やリスクテイキングは必要ありません。ちょっとした勇気が大切なのです。行ったことのない所に行ってみる、食べたことのない食べ物を食べてみる、着たことのない色の服を着てみる、難しそうな本を読んでみる、正直になってあやまってみる、自分の弱みを言ってみる、相手に愛を伝えてみる、などなど、大きなことをすることに意味があるのではなく、ちょっと勇気が必要なことを丁寧に挑戦し、じっくりと味わってみる、そんな身の丈に合った挑戦が意義ある成長に結びつくことになります。

16人の勇者 3.自然児・隠遁者 B.隠遁者

第3章 ①自然児、隠遁者 

B.隠遁者
――古い自己を失い、孤独の中で真の自己を探し続ける勇者

隠遁者は、孤独が好きな人ではありません。
仕事や人付き合いに疲れて、さぼっている人でもありません。
現実社会に傷つけられて、逃げ隠れしている人でもありません。

隠遁者とは、古い自己を失い、何物でもなくなることを引き受け、
孤独の中で真の自己との再会を待つ人であり、
たった一人でアイデンティティの危機、最も危険な暗闇に立ち向かう勇者です。

隠遁者の多くは、自分が勇者だとは思っていません。
ただ、前の自分で生きられなくなった。
しかし次の自分も見つからない。
その宙づりの状態にいます。
しかし、この状態には大切な意味があるのです。

隠遁者に何が起きているのか?
周囲の人や社会からは、何も起こってないし、停滞し、落伍者のように見えます。
しかし、隠遁者の内側では、静かな革命がゆっくりと進行しているのです。
社会から逃げているのではなく、以前の自分では生きられなくなっている。
「自分はこういう人間だ」
「世界はこうあるべきだ」
「こうすれば嫌われない、こうすれば認められる」
そうした自分を支えていた構造が、根底から崩れてしまったのです。

これは脱皮ではありません。
脱皮なら、古い殻の下に新しい皮膚がある。しかし隠遁者が経験しているのは、新しいものがまだ見えない中で、人生の基軸となっているアイデンティティが崩壊していくプロセスにあります。
さながら、内部の全てが崩壊するさなぎのような状況と言えます。

しかし、さなぎと違うのは、さなぎの場合は、蝶になることが定めですが、隠遁者には、未来が見えません。今の境遇では、蝶になるような奇跡は到底考えられません。そこには、暗さと不安、絶望の気配しか見えない状態であり、羽化は必ずしも成功は約束されていません。

隠遁者は、自分自身や社会の矛盾の中で調子を合わせて生きることを拒絶した人です。それは、自己防衛のための戦略であり、命がけの戦いでもあります。決して勝ち目のない戦いの中で、それ以上戻ることができない限界点まで避難してきて、もう背水の陣です。
隠遁者は、個人の矛盾と社会の矛盾が交差する場所、羽化して奇跡を起こすか、敗北するかの分水嶺に立つ勇者なのです。

⑴光の側面
外から見ると、隠遁者は停滞しており、何ら成長の気配は見えません。
しかし内側では、少しずつ静かに変化が起こっているのです。
植物は、移動しませんから、なにも変化がないように見えますが、日々、ゆっくりと根を張り、水脈を探し、栄養を蓄えています。
サナギは、芋虫に羽が生えるのではなく、芋虫の在り方が大胆に分解され、根本的に構造が解体されたうえで、まったく新しい在り方に変容していきます。
隠遁者とは、真のアイデンティティとの出会いに向けた熟成期間でもあります。
隠遁者は、古い在り方を超越し、まったく新しい可能性を探るダイヤモンドの原石の状態でもあるのです。

⑵影の側面
しかし、真のアイデンティティとの出会いは並大抵ではありません。
隠遁者の中では、自分の今のありように対して、自分が拒絶した旧価値観による裁き、非難で暴風雨が吹いています。結果、罪悪感、恥、自己嫌悪、絶望の中にあり、決してのんきで楽しく幸せに暮らせているわけではありません。
たっぷり存在する時間を自己成長に向けて使えているわけでもありません。
「どうせバカだから」「誰にも勝てないし」「誰も助けてくれないから」「社会が悪いから」などと、自己防衛のための言い訳、枠組みで鎧を作り、新しい試みにはなかなか手を出せません。
そして、隠遁者は、そういう自分を決して愛することはできていません。どちらかと言えば、消え入りたいという絶望を抱えているかもしれません。
ただ、隠遁者の挑戦していることは、ある意味で死と再生、古いエゴが死に、新しい自分の可能性に目覚めると言う途方もない冒険であり、それを、抜き差しならないところで命がけでその問題に直面させられている状況とも言えます。
いわゆる、とてつもなくつらく苦しい体験をしており、出口は見えません。ただし、古い自分が死を望んでいるとしても、だからと言って、決して多層多面の自分や他人に対して暴力をふるうべきではありません。変わるべきは肉体ではなくエゴだからです。

⑶恐れるもの
また傷つくこと。また挑戦して、失敗すること。また手を差し伸べて、人から嫌われること。そして、自分が何者かわからないまま、世界に晒されること。
勝利の目途もたたないまま、やみくもに戦いに出ることは自殺行為であり、危険から身を守ることは当たり前の戦略です。
また、アイデンティティの喪失は、心理的には死に近い体験です。だから怖い。だから閉じる。それは弱さではなく、崩壊しつつある自分を守るための、正直な反応です。

⑷課題
隠遁者の課題は、元に戻ることではありません。以前よりもっと強くなることでもありません。
まだ生まれていない自分のために、生き延びること。
そして、沈黙に耐えること。新しいアイデンティティが生まれるまで、答えの見えない暗闇の中に留まり続けること。それはまさに、ネガティブケイパビリティの実践です。

隠遁者の使命は、変わることではありません。
失われた自分を探すことでもありません。
孤独の中で、本来の自己が現れるのを待つことです。
自分を超えた大きな生命や真理、ロゴスとのつながりを信頼することです。

My Self、タオ、仏性、真我、ロゴス、…
たくさんの呼び方で呼ばれてきた在り方があります。
それがどういうものかは、いまの五感による認識、エゴによる意識では決して把握することはできません。しかし、今の自分が分からないからといって、存在していないわけではありません。
どちらかと言えば、少し丁寧に、すこし意識的に、すこし粘り強く、今ここと関わることができれば、少しずつ開示されてくるミステリーであり、とても近く、思ったよりも親しい存在なのかもしれません。

隠遁者は、何か新しい存在になるために旅をするのではありません。
本来の自己へ帰るために旅をします。
その旅の中で古い自己は死に、新しい自己が生まれます。
だから隠遁者とは、何者でもなくなる勇気が必要です。
古い自己の死を受け入れ、孤独の中で真の自己との再会を待つ勇者なのです。

⑸お勧めのチャレンジ
・動物と関わる
隠遁者は、アイデンティティの危機を迎えており、たいていの場合、自尊心がボロボロです。しかし、本来自尊心は、can do ではなく being に持つものです。どんなにボロボロな自分にも偉大なる価値がある。そう思える気持ちが自尊心なのです。一人で、そういう心境になりづらければ、時に、仲間に助けを求めることもありです。他人に無条件の愛を期待するのは、慎まなければなりません。自分もできないことを相手に無理強いするものではありません。
その点、動物は、エゴが少なく、愛情も無条件です。どんなにみじめな自分に対しても、しっぽを振って、キラキラした目で抱き着いてきて、大いなる愛を表現してくれます。そうした愛を通して、自分自身への無条件の愛を少しずつ思い出していくことは、決して不可能ではありません。

・瞑想、ヨガ、実践ワーク
瞑想やヨガなどの実践的ワークは、今の自分が自分だと思っている自分を静めて、今は気づけていない自分の可能性と出会うための実践的方法です。やりかたは、いろんなところにいろいろなやり方で書かれていますが、相性の良い、自分がやってみたいと思える方法から取り組んだらよいでしょう。ただし、偶像崇拝、権威主義にはご注意ください。本来の自己探求には、大金や高額な本、宝石、壺は必要ありませんから。自分に頼るのであって、他に頼るのは、隠遁者が拒絶した古いやり方であって、自分が求める道ではありませんから。

・意識的に感謝してみる
隠遁者は、危機の中にあるため、どうしても苦しみや不足、不満に意識が向きがちです。だから、周囲は、みんな敵に見えがちですが、決してそれは真実ではありません。そうしたバイアスを調整するためにも、意識的に感謝の気持ちを持ってみることは大切です。1日の終わりに、一つだけでもいいから、自分と他に対して、感謝の言葉を紙に書いてみる、そして、それを言葉で言ってみる。そうした挑戦は、すこし、今の行き詰まりに風穴を開けてくれるかもしれません。

⑹羽化
隠遁者は、ある日突然変わるわけではありません。
しかしある時、自分でも気づかないうちに、世界との関係が変わり始めます。
以前は敵に見えていたものが、学びに見える。
以前は呪いに見えていたものが、贈り物に見える。
以前は自分を否定していた経験が、自分を育てていたことに気づく。

世界は変わっていません。
変わったのは、自分の見方です。
羽化とは、新しい能力を手に入れることではありません。
本来の自分を思い出すこと、本来の自分の感受性を取り戻すことです。

本来の自分は、今の想像をはるかに超えて偉大な勇者なのです。
だから今の自分だけを見て、自分の価値を決めつけてはいけません。
今のちっぽけで狭い了見では、計り知れない謎が存在するのです。

だから、いまの自分の不完全さを受け入れて、欠点を嘆くのはやめませんか。
隠遁者の使命は、まだ想像すらできない自分のために生き延びることです。
隠遁者の旅は、何かになる旅ではなく、本来の自己へ帰る旅なのですから。

16人の勇者 2.自然児・隠遁者 A.自然児

第2章 ①自然児・隠遁者  A.自然児
自然児・隠遁者は、この地図の出発点です。
私たちは皆、ここから旅を始めます。
ただし、二人は同じ場所にいますが、まったく異なる経緯でここにいます。
・自然児——まだ旅を始めていない人。ここが出発点。
・隠遁者——一度旅に出て、傷ついて戻ってきた人。ここが避難場所。
ここでは、この二人の在り方を、2回に分けてお伝えしようと思います。
まずは、自然児からご紹介しましょう。

①A.自然児
自然児は、自然の恵みと家族の庇護、世話を受けながら生きる純粋無垢で素朴な子供です。まさにダイヤモンドの原石であり、途方もない可能性に満ちています。
自然児は、周囲の思いやり、配慮や庇護、世話を受けることによって、自己信頼や他者への信頼の気持ち、愛し、愛される方法。そして楽観性を育むことができます。

⑴光の側面
自然児は、純真な心と、元気いっぱいであふれんばかりの生命力に満ちており、とても魅力的です。人に対して、まだ疑うことを知りません。だからこそ、素直に笑い、素直に喜び、素直に心を開きます。相手の言葉や態度を、スポンジのように吸収し、自分の世界を広げていきます。周囲の人たちは、そうした自然児の天性の明るさや無邪気さに癒され、元気を取り戻します。自然児は、その存在そのものが太陽なのです。

⑵影の側面
しかし、一方で、自然児は、自分は特別な存在で、無条件に愛されること、庇護や配慮や面倒を見てもらうことは当たり前で、いつまでも満たされるべきものであるという自分中心の極めて利己的な枠組みを持っており、時に、わがままで、周囲への配慮に欠けるところもあります。
また、痛みや困難、悪意、人生の苦労については、その存在を知らないか、または体験しても起こるべきことではないと考えており、それを拒否するか、無視しがちです。「闇なんか存在しない」「この世には良い人しかいない」「闇があっても私には関係ない」と考えています。

⑶求めるもの
自然児が求めるものは、安全であり続けること、安心であり続けることです。自然児は、弱く傷つきやすい存在であり、生きていくためには周囲の庇護や面倒、配慮が必要なのです。自然児は自分がそうした弱さを持つ特別な存在なので、周囲から面倒を見られ庇護を受けることが当然であると認識しており、周囲の配慮が自分の期待よりも低かった場合は、見捨てられる不安や被害者意識が惹起されて、火が付いたように泣き、怒ります。親の庇護や恵まれた環境が、いかに特別なもので、楽園であり、ありがたく感謝すべきものであるのかがまだ分かっていないのです。

⑷恐れるもの
自然児が最も恐れることは、見捨てられることです。自分には力が無いと思い込んでいる自然児にとって、見捨てられることはすなわち死を意味します。ですので、それを避けるために、泣き、怒り、時に笑顔や甘えで相手に関心を向けてもらい、面倒を見てもらえる方法を学びます。

⑸課題
自然児にとっての課題は、依存からの脱却と感謝の心です。一つ目には、他者や周囲に期待するのではなく、自分で自分の面倒を見れるように自立する力を身につけること。そして、二つ目には、自分の面倒を見てくれる周囲の愛や配慮を、当然のことと思うのではなく、そこには相手の努力と犠牲があることを理解し、感謝することが必要です。