また、自然界の掟は、「弱肉強食」ではなく「適者生存」なのだと主張する論調も存在します。「適者生存」という考え方もずいぶん強く私たちの心の根底に根付いているのではないでしょうか。「適者生存」とは、イギリスの社会学者ハーバート・スペンサー(1820 – 1903)が「Principles of Biology(生物学の原則)1864年」で発表した言葉です。これに先立って発表されたダーウィンの進化論の中で語られている「自然選択」という概念を言い換えた言葉でもあります。
適者生存とは、生存競争の中で、環境に最も適したものだけが生き残って子孫を残しうること、適応できないものは淘汰されていくという自然界の厳しい掟についての考え方を言います。スペンサーは、ダーウィンの言う「自然選択」よりも自分が名付けた「適者生存」の方が的確な言葉だと主張しています。スペンサーは、この適者生存の考え方を、単に生物学としてだけではなく、社会学として、人間の世界に応用できる理論として展開していきました。現在では、適者生存という言葉は世界中に広がり、多くの人たちのよりどころ、考え方の基盤となっています。しかし、彼の適者生存の考え方は、本当に正しいのでしょうか?
実は、そもそもの原点となっている進化論を書いたダーウィンは、この「適者生存」という言葉が好きではありませんでした。スペンサーの考え方は拙速であり、自然に対する観察がまだ十分ではないと考えていたのです。ダーウィンの自然選択説は、適応するために意図的に努力したものが生き残るとは言ってません。彼は、偶然に起こった遺伝子の変異によって多様化が起こり、多様性の中から自然環境との相互作用により淘汰が起こり、生存するものの方向性、進化の方向性が現われてくると主張しています。つまり、意図的な努力ではなく、偶然の変化による多様性が進化をもたらすと考えたのです。
一方で、スペンサーの言う適者生存は、生存のためには適応しようとする意図や能力が介在すると考えています。進化は、偶然ではなく、意志が強く能力が高いものに起こると考えるのです。ダーウィンの自然選択説では、淘汰されるものは、努力や意図が弱かったからではなく運が悪かったからと考えられますが、スペンサーの適者生存では、弱かったから、能力が低かったからだということになります。
スペンサーは、ダーウィンが自然の観察から導き出した不確実性による進化の法則を人間の力による進化の法則に書き換えたことになります。しかし、このことは、良かったことなのでしょうか?
ダーウィンが考える自然選択説のエンジンとなる不確実性や偶然には、人間の狭い了見では計り知れない要因、不思議、人知を超えためぐり合わせが進化を導くという可能性がありますが、スペンサーは、そのような可能性は排除されてしまいます。ダーウィンは、運がよかったから生き残ったのだと考えるのに対して、スペンサーは、能力があったから生き残ったのだと考えます。スペンサーの言う適者生存の考え方では人間の狭く限定された“適応”という価値観が絶対となり、適応至上主義、能力至上主義の世界観となるのです。そこにはもはや不確実性、可能性、不思議さ、奇跡の介在がもはや存在しません。そこにあるのは、純粋に力の価値観だけなのです。
そのような言い換えが起こると、自然界の摂理の名のもとに、人間界の都合、強者や権力者の都合や価値観を押し通す少々強引な理論、つじつま合わせが可能となります。
「成功者は、適応の意欲と能力、努力があったから成功した、優れた選び抜かれた存在だから成功したのだ。だから、どんなに法外な資産の独占であっても、それは自然で当たり前の報酬であり、非難に値しない。また、敗北者は、適応の努力が欠けており、またその意志も弱く、能力ががないから失敗した。それらの人たちは、淘汰され、、退場していくことが自然の掟であり、同情したり助けたりすべきではない。」
こうした考え方は、資本主義社会の基盤となる市場経済、自由競争のあり方を正当化する考えとなります。私個人的には好きな考え方ではありませんが、現代社会がこういうありかたで存在していることが正しいことを証明する拠り所となっているのだろうと言えます。
また、こうしたスペンサー的な考え方が、優生学を生み出す土壌ともなりました。優生学は、ダーウィンのいとこであるフランシス・ゴルトン(1822年-1911年)によって提唱され始めました。
優生学とは、「人類の遺伝的素質を改善することを目的とし,悪質の遺伝的形質を淘汰し,優良なものを保存することを研究する学問(広辞苑)」です。優生学では、優秀な人や社会的に有益な人を繁栄させるために、そうではない人たちを人為的に淘汰、排除していくことが必要です。優秀とか有益とか、そうした一部のエリートの勝手な価値基準で、人間の命を扱おうとする考え方であり、ひどい人種差別や暴力につながる邪悪で恐ろしい思想でもあります。しかし、この優生思想は、第二次世界大戦の際のドイツのホロコーストの拠り所とされた理論です。こうした考え方が、ついに実態を持ち、多くのユダヤ人たちの命を奪った暴力につながってしまいました。
また、日本において1948年から1996年に至るまで優生保護法という法律が存在していました。優生保護法では、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するために、遺伝する病と考えられた病気にかかっている人や障碍者、精神障害者や知的障害者などの不良な遺伝子と考えられた人たちの不妊手術(断種)、中絶、避妊を合法化しています。この法律をもとに、多くの人たちが不本意な強制不妊手術をされています。仙台市在住の飯塚淳子さん(70代・仮名)は、誤解によって精神薄弱のレッテルを張られ、周囲の大人の思惑によって、16歳の時に本人の同意なしに強制的な不妊手術を受けさせられたと、謝罪を求めて国を訴えました。この優生保護法によって不妊手術を受けさせられた人たちは、総計で2万4993人に登ります。
現在では、人権侵害、憲法違反、障碍者差別、などと非難される法律ですが、つい最近まで存在し、私たちの生活に大きな影響を与えていたことを忘れてはいけません。
<現代社会の基盤となっている思想の検討 シリーズ記事>