⑦セルフリーダーシップを回復するために
前節で、自分らしく幸せに生きるためには、Selfとパーツが信頼しあい、協調しあえる調和の状態であることが必要だということが分かりましたが、では、どのようにすれば、そのような調和や統合が可能なのでしょうか。以下、IFSの考え方を参考にして、セルフリーダーシップを確立し、自分らしく輝いて生きるための方法について検討していきましょう。
⑴人は、あたかも難しい大企業の経営を営んでいる社長のよう
IFSの視点からは、人は、好むと好まざるとにかかわらず、すでに多くの部下を従えた大企業の社長のような存在として難しい経営を営んでいるように見えます。ですから、自分らしく生きることは実は簡単ではないのです。もし、いま、生きづらさを感じているとしたら、それは当たり前のことであり、大企業の社長としての修行、成長のプロセスなのだと理解すべきでしょう。
⑵SELF を主体として生きることが自分らしく輝いて生きるということ
IFSの考える“私”とは、Selfと多くのパーツを含めた全体像を言いますが、自分らしく幸せに生きれている状態と言うものは、あくまでもSelfが王座に座り、王国全体が調和的にある状況を言います。パーツは大切な自分の一部ですが、決して主人ではありません。パーツを玉座に据えてしまうと、本来の自分らしい生き方と言うよりは、客人による生き方、Selfのもっている気高さ、輝きを失った本来の自分らしくない生き方となってしまうでしょう。パーツを否定してはいけませんが、決して無関心、無放縦にしてもいけません。Selfによるリーダーシップを通してありのままを観察し受け入れ、パーツの持っている痛みや渇きをいやすことを通して、過度な興奮を鎮めていくこと、パーツとの信頼関係を育むこと、そしてSelfによる内面の王国のリーダーシップが確立していくことが大切だと言えます。
⑶自分の中のあらゆる自分を認める
IFSでは、まずは、自分の中に、自分が見捨ててしまったパーツがあることを受け入れること、そして傷ついたインナーチャイルド、追放者と和解し、癒し、再統合を図ることが必要だと考えています。どのパーツも見捨てずに歓迎する、全てのパーツに尊厳と感謝をもって癒しを深めていく自己への共感によるヒーリングが必要だと考えているのです。
私の中の追放者は、私が見捨ててしまった小さな私であり、私の顕在意識の手の届かないところに追いやってしまったために、もはやコントロールすることはできません。戦うことはもちろん、突き放す、無視する、脅す、褒美を与える、取引する、など、追放者が自分の一部ではなく分離した対称という認識を持ったままでは、どのようなテクニックを弄しても、問題を解決することはできません。
本質的な問題解決に必要なことは、もともと私だった追放者を再び迎え入れること、私の中の痛みの存在を認め、ありのままを受け入れ、共感し、再び自分として統合を図ることなのだと言えましょう。
⑷光は傷口から入ってくる
傷ついているパーツ、腹を立てているパーツなど、全てのパーツを見捨てずに尊重し、その痛みや弱さを思いやりをもって癒し救うことが、SELFの目覚めにつながります。
追放者や追放者を巡る私の中の管理者、消防士たちは、過去の痛みや傷から自分自身を守るために育くまれてきた自分の中の防衛機構です。いわば、かさぶたであり、古傷であり、残ってしまっている痛々しい傷跡です。時に、社会的なやっかい事を引き起こす原因となる者たちですが、それはあくまでも私を守る使命を全うしようとするが故の懸命な活動からくるものなのです。ですから、それらを決して見捨ててはいけません。都合が悪いからと言って嫌ったり抑圧したり無視したり排除しようとする試みは、決して成功しません。むしろ事態を悪化させてしまうでしょう。
自分で自分を嫌うということは、IFS的に言うと、パーツがパーツを嫌うといういわゆる兄弟げんかのような状態です。どちらが正しくてどちらが間違えていると言うことはありません。強いて言えばどちらも不完全なのです。どちらが勝っても調和はとれませんし、どちらが負けても問題は解決しません。内的に分離と葛藤を起し激化させることは、ますます事態を混沌とさせていくことでしょう。
最も大切なことは、あらゆるパーツを見捨てないこと、パーツゆえの使命を認め、受け入れ、愛すること、かつてのみじめで悲しい自分を認め、受け入れ、だきしめることこそが内定調和をもたらすことを理解する必要があります。まさに、光は傷口から入ってくるのです。パーツの痛みや渇望を受け止め、愛し、癒すことこそが、本来の自分であるSelfの目覚めを促し、内的な癒しと調和をもたらし、本来の自分の徳性、魅力を引き出すのです。。
⑸権威は自分の内面にある
癒しや問題解決の源泉(SELF)は、他でもない自分の内部にあります。内的な調和を失うと、Selfの存在を見失ってしまい、自分にはSelfなど存在しないと思い込んでしまいがちです。あたかも、厚い雲に覆われてしまって、太陽の存在を見失ってしまうことと似ています。
しかし、権威はあなたの中にこそあるのだということを忘れてはいけません。自分の内面の太陽を信じられないからこそ、それを他に求めて、まがい物の石やツボ、教えや偶像に全財産をつぎ込んでしまうのです。しかし外面に権威を求めても決して救われることはありません。だって、Selfはあなたの中にしかないのですから。
それがどんなに強くて大きくても、自分の玉座を外部の権威に明け渡してはいけません。 あなたは、あなたの人生の王様や王女様であり、決して脇役や召使いではありません。
今のあなたは、貧しく、小さく、頼りない状況かもしれません。 しかし、だからと言って、熱いハートを失う必要はありません。他人の考えをうのみにするのではなく、自分で考え、自分で決断するのです。
貧しいからこそ、大きな夢をもって気高い理想を貫くのです。
小さいからこそ、可能性を信じ、成長を楽しむのです。
弱いからこそ、胸を張って勇気を持って生きる生き方がかっこいいのです。
ありのままの自分、かっこいいところもあればかっこ悪いところもある自分を受け入れること、大切にすること、慈しみ、愛することからすべては始まります。
そもそも、追放者は、困難な人生を生き残るための適応方法として生み出されたものであり、それが無ければ私は生きてこれなかったかもしれないのです。
私の中の管理者は、自分勝手であり不完全な存在ですが、わたしを社会的な危機から守るために一生懸命なのです。それは管理者としての性であり、醜いことでも直すべきことでもなく、そうあることが当たり前なのです。私の中の消防士は、なりふり構わずに痛みを消そうとするので、時に反社的であり、時に不本意な問題を引き起こす厄介者のように感じますが、実は、私が生き残るために体を張って戦ってくれている戦士であり、私を愛してくれている大切な家族なのです。
私の中のパーツたちと向き合うために必要なことは、暴力ではなく、ひとえにおもいやり、やさしさ、共感であり、高い精神性なのだと言えましょう。
あなたは、断じて欠点だらけの力ない敗北者ではありません。あなたは、たぐいまれなる個性と美徳をもって生まれてきた勇者なのです。あなたの可能性は、今の想像をはるかに超えるほどの偉大さをまどろませています。その可能性を信じること、自尊心をもって生きることこそ、自分らしく生きる生き方を導くカギとなるのです。
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