自分の中の瞑想者を育む ③自我と内なる瞑想者の違い

自我と瞑想者の違いをまとめると、以下の通りとなります。

自我 内なる瞑想者
考える 感じる
レッテルを張って言葉や概念で素早く認識する 判断を保留し、より深く理解しようとする
対象として距離を置く 一緒にいる、共にいるようにする
比較し評価する 共感し味わう
変えようとする そのままにしておく
コントロールする 見守る、体験する
欠点を罰する ありのままを許す
自分を良く見せようとする 背伸びしない。欠点を含む全体としての自分、ありのままを愛する
他者の攻撃から自分を守り、自己の存続と勝利を目指す 他者や環境に対しても、自分にするのと同様にありのままに共感し、愛する
分離と戦い、試練の生き方 調和と愛に基づく自分らしく健康で幸せな生き方

 自我の働きは、基本的には対人関係や社会の中で育まれる自分の立場を守り、強化しようとすることであり、自分の外面が他者にどう映るのかを気にするのであって、自分の内面は、問題が起こらない限り関心ありません。自分の内面は、人間関係や社会的な関係の中で差しさわりが無いように、または、より都合が良いように矯正する対象となります。

 それに対して、内なる瞑想者は、自分の内面に集中します。内面で体験している身体感覚や感情、思考の動きをありのままに観察し、一切の操作やコントロールを排除して、それらと共に在り、温かく見守るのです。

  自我は、自分の内面に問題があることによって人間関係や社会的立場への悪影響が出た時には、まずは、その問題の根源を特定し、言葉で名付けて距離を置き、罰したりほめたり、排除しようとしたり、努力して力をつけたり、などの操作をすることによってコントロールしようとします。それは、社会的人間としての成長につながるものであり、決して悪いことではありませんが、内面を外面のための道具としてみなし、尊重することを忘れ、ないがしろにしてしまうと、自分の体や心に対する無理解や無関心、無理難題を強いることによるストレスの蓄積など、トラブルの元となる危険性があります。

 内なる瞑想者は、そうした副人格としての自我との同一化にくさびを打ち込み、静かで精妙なスペースをつくります。エゴのもたらすリスクを低減させて、自分の心身を癒し、健康と元気の回復をもたらします。

 瞑想者は、自分の内面で起こるあらゆることを問題とは思いません。それは、自然に起こる生き生きとした多様な生命のみずみずしい現象であって、汲みつくせない力と魅力と奇跡に満ち溢れた謎、ミステリーだと認識するのです。ですから、自分の内面は、対外面の都合によってちっぽけなエゴが操作コントロールできるようなものではなく、とてつもなく大きく深い自然と言う存在の一部であり、未だに分からない謎の多い、だからこそ謙虚に耳を傾けるべき、教えを乞うべき尊い存在だと考えているのです。

 瞑想者は、今ここで起こっている自分の内面のすべてに抵抗せずにそのままで許し、受け入れ、ひたすら観察し、より深く理解しようと試みます。レッテルを張って距離を置いて対象をコントロールしようとするエゴの衝動を保留し、感覚と共に在り、共感しとともに痛みや悲しみ、時に喜びなどの多様な体験をありのままにに味わい、逃げずに丁寧に変えようとせずに見つめていきます。

 瞑想者の視点は、自分の内面に対する無条件の愛の視点であり、最初は小さく弱い拠点であっても、騒がしい内面の不安と警戒の嵐に埋没することなく、粘り強く長期にわたって瞑想者の視点を確保することによって、その力はどんどん強くなっていきます。

 自分の中で常に流れている不平不満、不機嫌のノイズを鎮め、痛みを癒し、自己嫌悪や自己否定の頑固で暗い視点にやさしく光を当てて温め、自然に凍り付いた心を解かすと同時に、自分の内面の生き生きとした自然、神秘に対する畏怖と尊敬、感謝と愛を育んでいくことになります。

 まさに、自尊心の回復のプロセスであり、内なる瞑想者は、副人格に過ぎないエゴによる自己支配の次元から真の自己であるSelfによるセルフリーダーシップの次元へと変容を促していきます。

 エゴによる分離と戦いと試練の生き方から、Selfによる真の自分らしさの回復、愛と勇気と信頼の回復、健康で幸せな生き方へのシフトを促すことができるのです。

<「内なる瞑想者を育む」シリーズ関連>

①自分らしく健康で幸せな生き方とは

②内なる瞑想者

③自我と瞑想者の違い

④内なる瞑想者の役割

⑤内なる瞑想者の育み方

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