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マズローの欲求理論⑨(終章) B動機の時代がやってくる

 今、時代は大きく変わろうとしている。D動機からB動機へと、競争から協力へと、隠蔽から開示へと、緊張から解放へと、戦いから許容へと、恐怖から喜びへと、時代は大きく舵を切ろうとしている。

 従来の時代の権力の象徴である投資銀行の困窮と糾弾。リーマンブラザーズ、ギリシャとしだいに深まる資本主義経済の破綻。自然環境の破壊による異常気象と度重なる自然災害。ますます増加する経済的弱者と飢餓問題。解決不能とも思える様々な諸問題は、D動機による文化の限界を指し示すものであり、同時にD動機による文化の破綻を象徴する出来事でもある。

 D動機は、結果的に奴隷の生き方をもたらすことになる。

 人が人らしく生きる生き方は、B動機の生き方。情熱、挑戦、気高い思い、理想、こころざしに従った生き方である。

 ちょうど今、D動機の文化からB動機の文化へと大きく時代が変わろうとしているのだ。

 次々と報道されている悲惨、暴力、犯罪だけをみて世を絶望してはいけない。苦悩は十分だと悲劇を選択することを拒絶し始めた市民が一人、また一人と増えてきているのだ。

 エコに向けてできることを一歩ずつ実践し始めた草の根の市民、フェイスブックで公然と戦争反対を訴える戦争当事国の市民、困っている人がいたら手を差し伸べる善良な市民。きっと、テレビでは放映されない草の根では、悲惨な事件の数十倍もの素晴らしいささやかでたくさんの幸せが起こっているだろう。

 本当のところ、人は、パンのみにて生きているわけではない。人は、やりがい、愛、情熱、喜び、価値ある人間性や美徳のためにこそ本気になれるのである。そして、人は本気になったら、どんな人でも、想像をはるかに超えたすばらしい仕事をやり遂げることができる。人は、自分で思い込んでいるほどちっぽけな存在ではない。本当のところ、人の可能性は、想像をはるかに超えて偉大なのだ。

 企業も、D動機という古いやりかたを乗り越えて、B動機という大きな宝を開拓すべきだ。単なるコストリーダーシップ戦略は、最終的には破たんをもたらす。持続的成長のためには、イノベーションが必要不可欠であり、イノベーションを生み出す源泉は、B動機によって動機づけられた人間意識なのである。

 既述の通り、B動機によるマネジメントには、経営陣の勇気が必要だ。予測不可能性、不確実性、不安定性のリスクを引き受けなければならない。しかし、そこにこそイノベーションの活路がある。そこにこそ消費者と共感し消費者に愛される会社になれる活路がある。

 今こそ、B動機の経営に舵を切ろう。人を大切にして、人の真実の可能性を引き出す経営をしよう。

B動機には、リスクに挑戦し勇気をもって取り組む価値がある。B動機の時代は、まさにやってこようとしているのだから。

(マズローの欲求理論シリーズ 終)

 

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マズローの欲求理論③「動機づけのマネジメント」

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マズローの欲求理論⑤「B動機の経営」

マズローの欲求理論⑥「B動機の経営事例」

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マズローの欲求理論⑨「B動機の時代がやってくる」

 

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マズローの欲求理論⑧ 「B動機の生き方」

 従って、D動機の人生は、その目的を遂げることはできない。人生に自ら解決不可能な無理難題を課し、それが満たされない苦しみに追い立てられて必死に頑張り、そして、皮肉なことに、当初は願ってもいなかった生気を亡くしたいびつな廃墟と底知れない孤独を得るのだ。

 確かに、D動機は、生き抜く上で大切な動機である。実際のところ、我々は天使に囲まれて生きているわけではない。防衛力のない存在は、単なるお人よしのおばかさんとみなされるだろう。しかし、人は、D動機に支配される必要はない。恐怖や不安に支配されて逃げ惑うだけの人生を送る必要はないのだ。

 人には、D動機とは全く性質の異なる情熱を持っている。恐怖からではなく、喜びから生まれてくる情熱。騒がしく落ち着かない良く吠える子犬のような心からではなく、気高く穏やかで不動の理想から生きようとする態度。引きこもり、防衛し、攻撃する強い分離感を持った孤独ではなく、開き、受け入れ、思いやる強い親密さを持った一体感。外部の脅威に対する反応としての動機ではなく、自分自身の魂の本質からやってくる動機。それは、まさにBeing(実存)からやってくるB(実存)動機である。

 B動機は、D動機の過不足を気にしない。D動機が満足されていようがされていまいが、その意向に全く反応せずに淡々と機能することができる。D動機の騒々しい騒音に比べれば、はるかに小さく穏やかでそよ風のように静かであるけれども、その調べは常に流れている。そう、聴く耳を持ち、そっと耳を澄ませばだれでもどこでも聞こえてくる美しい呼び声なのだ。(続く)

 

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マズローの欲求理論⑦ D動機の生き方

 D動機によるものとB動機によるものとでは、人生は大きく異なる。

 D動機による人生は、基本的に戦いである。死の恐怖から逃れることがテーマとなるので、自分に脅威を与えるあらゆるものとの戦い、勝ち抜くことが必要となるのである。

 人にとって、最も恐怖を感じる脅威は、飢餓である。だから、飢えないように何としても食糧を確保しなければならない。しかも、今食べる食糧だけではなく、明日の食糧も確保しておく必要がある。さらに、未来永劫まったく飢えに苦しむ必要のないくらいの食糧の在庫がほしい。現代においてそんな欲求を満たすものはお金である。お金があればいつでも必要なだけ食料を確保できるし、お金は永遠に腐らない。だから、お金がほしい。だから、いやな仕事でも命令に従い頑張って働いて稼がなければならない。自分や自分が愛する者たちを飢えの恐怖から守るためにはお金が必要なのだ。しかも、今日明日の食いぶちだけではなく、未来永劫飢えることのないほどのお金が必要であり、その必要とする量は、多ければ多いほどよく、際限はない。しかし、どんなに仕事をしてたくさんのお金を貯金することができても安心と満足を得ることはできない。たとえ、運よく世界中の富を独占することができたとしても、安心と満足を得ることはできない。なぜならば、D動機は、死の恐怖から逃れることが目的であるが、死の可能性はなくすことができないからだ。

 人にとって、次に恐怖を感じる脅威は、敵である。自分も必死になって富を確保しようとしているから、確保できていない他人の恐怖と怒りはよくわかる。だから、周囲の人を見たときに、その人たちの好意や善意よりも、自分の富を奪おうとする悪意の可能性に目を奪われてしまうのだ。D動機の人にとって、この世は生存競争、弱肉強食の社会である。分離感が強く、自分は、常に脅威にさらされており、敵に囲まれており、孤独であると感じている。自分や自分が愛する者たちは、悪者たちの悪意にさらされており、自分自身を守るため、愛する者を守るためには、悪者たちを攻撃し、痛い目にあわせて撃退し、奪われたものを奪い返さなければならないと考えている。やらなければやられるのだ。こうして、D動機の人たちは、どんどん防衛的になり、どんどん攻撃的になっていく。彼らにとっての成長とは、まさに、武器と防具の強化を意味するのだ。強化すべき防衛力は、強ければ強いほどよく、際限がない。しかし、たとえ、運よく世界中でかなう者のないほどの強さを得ることができたとしても、安心と満足を得ることはできない。なぜならば、D動機は、死の恐怖から逃れることが目的であるが、死の可能性はなくすことができないからだ。

 D動機の生き方は、自分と愛する者を守るために、必死になって防衛し、必死になって努力し、必死になって攻撃して、必死になって獲得する。しかし、D動機の生き方は、その必死の努力の割には、実る果実は美味しくも豊かでもない。

 D動機(恐怖や不安)によって、どんなに必死になって頑張っても、安心と喜びは得ることはできない。なぜならば、恐怖や不安の可能性はいたるところにあり、無にすることはできないからだ。恐怖から逃れようとして外部を取り込もうと頑張るが、決して恐怖から解放されることがないので、外部から取り込もうとする渇望は際限なく起こってくるが、その欲求は永遠に満たされることはない。むしろ振り返ると、埃かぶった使われることのないとてつもなく大きくいびつな廃墟を発見することとなる。

 恐怖から逃れようとして自他の境界を厚くし、内部を守ろうと頑張るが、決して恐怖から解放されることがないので、自他の壁を厚くしようとする渇望は際限なく起こってくるが、その欲求は永遠に満たされることはない。むしろ、振り返ると底知れない孤独と寂しさにおぼれそうな自分を発見することとなる。

(続く)

 

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マズローの欲求理論⑤ 「B動機の経営」

 ところで、経営の目的は、存続と成長ではない。それは手段であって目的ではない。経営の目的は、こころざしにある。創業の精神、大義、社会貢献への思い、哲学、気高い理想にある。企業経営者は、このことを決して忘れてはいけない。経営の目的は、株主に文句を言われないことでも、シェアーを伸ばすことでも、コストを削減し利益を絞り出すことでもない。それらは、方便であって本質ではない。本当のところ経営の目的は、経営理念なのだ。

 陰気な皮肉屋の「理想や理念では飯は食えない」という言葉に惑わされてはいけない。青臭い理想こそが未来を拓くイノベーションの源となる。

 「戦争の真っただ中にあって、夢だの希望だの浮ついた甘いことを考えるなんて、間抜けでいかれた青二才だ」と言うトゲトゲしく不機嫌な頑固者の言葉に惑わされてはいけない。実のところ、経営が存続していくためには、未来の奇跡が必要である。現状の枠組みの中で5年後10年後もうまくやれると言う考えは幻想である。未来において新機軸となる新商品、新市場の開拓、全く新しい協力関係、多くの感動の創出が起こらなければ、現状以上の売り上げは確保できない。そして、未来に起こるイノベーションは、現在において予測することは全く不可能である。なぜならそれは現在のあらゆる想定を超えているからだ。そんな奇跡を生み出すためには、恐怖から逃げ惑うD動機の萎縮し攻撃的で孤独、感受性の鈍いハートには不可能である。それは、理想に向けて陽気で元気で前向きで他者への深い関心と愛を持った感受性豊かなメンタリティにこそ可能なのだ。

 B動機による経営にシフトすることは、経営者にとって勇気が必要である。D動機による支配体制を敷いている分には経営者は楽である。あめとムチによって容易にコントロールできる上に、命じたことは確実にやり遂げることを見込めるので、簡単に未来を予測できる。だから、仕事の基軸は、どなること、脅すこと、弱みに付け込むことであり、それは、巧妙に計画し考えれば誰でもできうる。

 一方、B動機によるマネジメントを展開しようとする経営者は、勇気と度量が必要である。人間主義的で温かく働きやすい環境を造るために多大なエネルギーと投資が必要であると同時に、そのようにしたからと言って成功の保証はない。従業員はそれを意気に感じて一生懸命に働いてくれる保証はないし、新商品を生み出すマジックを見せてくれる確証は全くない。効果は、現れるとも現れないとも言えないうえに、それが表れるとしても長期的である。だから、経営者は投資効果の責任を問われ、口うるさい利害団体からの攻撃の矢面に立たされる。高いストレスの中にありながら、気高い精神性を維持し、愛を持って従業員の可能性を信じきる必要がある。まさに、戦いの最前線で戦う武将と部下をいつくしむ仏の両面を持つ必要があるのだ。

 しかし、厳しいB動機の経営を貫く会社には、大きな飛躍の可能性がやってくる。以下、消費者に感動を提供し、本当に社会貢献を実現し、イノベーションと創造性のもとで大きく成長を遂げてきた勇気ある経営を紹介しよう。(続く)

 

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マズローの欲求理論④ 「D動機の経営」

 現実の現状を観察すると、世界中のありとあらゆる経営や組織が、D動機を基盤としていることが分かる。弱肉強食、適者生存という世界観のもとで、存続と成長を勝ち取ろうとする経営の目的自体が、D動機そのものである。

 D動機による経営は、収益性の確保と規模の拡大に邁進する。それこそがサバイバルを保証するからである。危機感に駆り立てられて、経営は、どんどん規模を拡大し、コストを削減し、利益を最大化しようとする。そうして、許される限り際限のないほど経営規模は拡大していく。しかし、どんなに規模が拡大し利益を確保しても、安心と喜びを得ることはできない。なぜならば、D動機の目的は死の恐怖から逃れることであるが、滅亡の可能性はどんなに消そうとしても無にすることはできないからだ。D動機に支配された経営は、生存競争の中で、際限無い防衛と攻撃に走り、必死になって規模と利益の拡大に猛進し、結果的に強欲の掠奪者となる。危機にさらされている被害者のつもりであったにもかかわらずいつの間にか周囲にダメージを与える加害者となってしまう。折からの環境意識の高揚、度重なる企業の不祥事を背景にして、多くの消費者が、この加害者に対して嫌気がさしている。強欲で高圧的で乱暴なふるまいにうんざりしているのだ。だから、迂闊にもそうした強欲を露骨に表してしまった企業や組織は、株価が下がり、大衆からの支持を大きく減らしている。さらに、D動機を徹底してした場合は、単に生産性の低下や評価の下落をもたらすだけではなく、とてつもない不祥事や事故を引き起こすことにつながる。懲罰人事を徹底していたかつてのJR西日本が引き起こした尼崎脱線事故、安全よりも利益を優先していたかつての三菱自動車工業が起したリコール隠し問題。D動機に焚きつけられて成長を遂げてきた経営は、皮肉なことに成長を遂げたエネルギーであるD動機で滅びるのだ。

 もちろんD動機は大切な動機であり、否定すべきではない。生活の安定、安全の確保、適度な防衛力がない存在は、ただのお人よしのおバカさんである。しかし、だからと言って、全面的にD動機に依存し、その奴隷となるべきではない。人は、パンのみにて生きるにあらず。人は、逃げるために生きるわけではない。人は、幸せのために生きるのだ。(続く) 

 

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マズローの欲求理論③ 「動機づけのマネジメント」

 経営管理の視点からこの欲求理論を考えた場合、D動機とB動機のそれぞれのマネジメントの特徴を整理すると、以下のとおりである。

 

<D動機によるマネジメントの特徴>

1.強み

・コントロールしやすい

 恐怖と不安による動機付けなので、経営の意図に確実に従うことを期待できる。

・見通しが立ちやすい

 命じたことに関して、ある程度確実に成果を期待できる。

・計画を立てやすい

 したがって、将来の計画を立てやすい。

 

2.弱み

・低いモチベーション

 脅されてすることで、生きがいと情熱を感じることはあり得ない。

・官僚主義的体質

 言われたことしかやらない。保身が優先事項であり、官僚主義的となる。

・低い生産性

 結果、生産性は頭打ちで、低調にとどまる。

 

<B動機によるマネジメントの特徴>

1.強み

・高いモチベーション

 人の本音の喜びに働きかけるので、情熱と強い意欲を引き起こす。

・クリエイティブとイノベーション

 新商品の開発、新規販路の開拓、新機軸の誕生など、過去からの延長ではない全く新しイノベーションを創造する。

・健康でエネルギッシュ

 総じてネガティブなストレスは低く、健康であり、元気である。結果、高い生産性や創造性を生み出すことにつながる。

 

2.弱み

・不安定

 いつも好調とは限らない。好不調の波は決して小さくない。

・見通しが立ちづらい

 見込みとはまったく異なる方向性、イノベーション、失敗(成功のもととなる)、出会い、創造などが起こり、それを予測することは不可能であり、計画を立てづらい。

・成功の保証がない

 人を大切にして、人間主義的なマネジメントを貫いたからと言って、必ず成功するという保証はない。

(続く)

 

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マズローの欲求理論② 「B動機」

一方、マズローは、人間の欲求は、D動機だけではなく、D動機とは全く性質の異なる欲求も存在すると主張した。D動機は、本質的には死の恐怖から逃れるために起こる様々な欲求であることに対して、それは、恐怖や不安からではなく、自分の本当の本音、魂の本質からたち起こってくる欲求であることからBeingの頭文字をとってB動機(実存動機)と名付けた。

B動機は、前提として「自分自身は充分である。自分自身は価値に値する。自分自身は今ここで満足であり幸せである。」という自己認識に立っている人が、「素晴らしい自分自身を表現したい。自分の理想を実現したい。自分らしく生きたい。自分にとって意義のあることにチャレンジしたい。」というハートの奥底からやってくる力強い喜びや意欲によって突き動かされる情熱でもある。

マズローは、B動機に該当する欲求を「自己実現の欲求」と名付けた。自己実現の欲求は、明らかにD動機の様々な欲求とは異なる。それは怖いからするのではなく、本当にそうしたいからするのだ。また、下位の欲求が満足されることによって発現されるタイプの欲求でもない。自我の欲求が満足できたからと言って自己実現の欲求が発現されるわけではない。逆に、死の恐怖にさらされているからと言って自己実現の欲求が起こらないわけではない。自己実現の欲求は、D動機の満足不満足と言うよりはむしろ、D動機の束縛から自由になった人、恐怖や不安に強く支配されることから解放されたハートにやってくるのだ。

だから、恐怖や不安の真っただ中でも自己実現の欲求は起こる。

取り残された人を救うために、自分の命を顧みずに炎に飛び込む消防士、

子供たちの命を救うために、自らの命をかけて戦う戦士、

聖なるものとの出会いを求めて無一文で出家し修行する僧、

貧乏のどん底にあって最高の芸術を生み出すアーティスト、

痛みを知っているからこそ思いやりとやさしさを忘れないホームレス、

自己実現の欲求は、今の人の現状とは関係なくやってくる。その人の外部の状況というよりは、その人の内面のあり方、生き方、哲学とかかわるのだ。(続く)

 

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マズローの欲求理論① 「D動機」

 A.マズローは、欲求階層説という理論を発表し、そのなかで、人間の欲求は、低次から高次へと階層をなしており、低次の欲求が満足されると、1階層上の欲求が発現してくると言う仮説を提示した。

 もっとも基盤となる低次の欲求は、『生理的欲求』であり、生き残りたいというサバイバルの欲求である。おもに、食欲、性欲、睡眠欲などにかかわる欲求といえる。

 生理的欲求が満たされたならば、次に発現してくる欲求が『安全欲求』である。単に生き残るだけではなく、生存が保証されたい、安定的に安全でありたいという欲求で、衣食住の安定とかかわる欲求である。

 安全欲求が満たされたならば、次に発現してくる欲求が『社会的欲求』である。社会の一員でありたい、仲間外れにされたくないという欲求である。

 社会的欲求が満たされたならば、次に発現してくる欲求が『自我の欲求』である。単に社会の一員であるだけではなく、社会の中でひとかどの人間になりたい、他の人たちよりも尊敬を集める人間でありたいという欲求である。

 マズローは、以上の欲求には、共通した要素があると考えた。それは、それらの欲求が、ある前提を基盤として起こっているということである。その前提とは、「私には、何かが欠けている。欠けている何かを得なければ生存の危機にさらされる。万難を排して欠けている何かを手に入れなければならない。」という自己認識である。そのような特徴から、マズローは、以上の欲求をDeficiency(欠乏)の頭文字をとってD動機(欠乏動機)と名付けた。

 D動機(欠乏動機)とは、生存の危機を起因とした、不安や恐怖に焚きつけられた渇望といえよう。

 一方、マズローは、人間の欲求は、D動機だけではなく、まったD動機とは性質の異なる欲求も存在すると主張した。(続き)

 

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ずば抜けて高い日本の子供たちの孤独感

          日本の子供は先進国でずば抜けて「孤独」…幸福度調査

 国連児童基金(ユニセフ)は14日、先進国に住む子どもたちの「幸福度」に関する調査報告を発表した。
 それによると、子どもの意識をまとめた項目で、「孤独を感じる」と答えた日本の15歳の割合は29・8%と、経済協力開発機構(OECD)加盟25か国中、ずば抜けて高かった。日本に続くのはアイスランド(10・3%)とポーランド(8・4%)だった。
                             読売新聞(2007年02月14日)

 古いデータですが、大切なことだと思ったので、引用しました。

 ユニセフの意識調査によると、先進国の中で、孤独感を感じる子供たちの割合が、ダントツに高い国が日本だったとのことです。

 最近、子供たちの暴力が増加傾向にあるというニュースも発表されましたが、その原因となっている重要や要素が、この孤独感なのではないでしょうか。

 『学校では信頼できる気の置けない大好きな友人たちとともに学んだり遊んだりして、家に帰れば愛する家族にに囲まれて、時にはけんかをしても愛されている実感を持って生活をする』、そんな子供が、簡単なストレスで切れてしまい、衝動に駆られて意に反して暴力をふるってしまうことをするでしょうか?

 そんな心境に追い込まれている状況というのは、全く逆に、『学校では、いついじめにあうかわからない恐怖とともにあり、級友とも感情を傷つけないようにかかわるので、自分の気持ちを相手に分かってもらうことなんかない。先生だってキャリアに傷つけないことだけを大切にしていて、問題があっても見て見ぬふりで信じられない。家に帰っても、みんな暗い顔で、機嫌が悪く、自分のことで手いっぱい。たまに会話しても冷たさしか感じない寂しさの中、自分も他人も大切には思えない』、そんな心境で心がいっぱいになってしまった子供たちが、きっと問題を起こしてしまうのだろうと思います。この問題は、学級崩壊やいじめ、登校拒否や様々な教育問題ともかかわっているのではないでしょうか。

 どうしてこんな問題が起こってしまったのでしょうか?世界中で、日本だけなのです。これは、ひとえに教育をリードしてきたリーダーたちの問題、ある意味で失敗といえるのではないでしょうか。こういう問題をよく理解して、文科省や教育に携わる人間は、私も含めて、猛反省すべきですよ。そして、早くこうした問題を解決できるように努めるべきだと思いますね。

 しかし、こうした問題に対処する方法として報道されることは、全国テストなどの競争の強化、厳罰主義、ゼロトレランス(不寛容)方式、など、おおよそ、ますます分離感と冷たさを助長する政策ばかりが目につきます。どんなに優秀な施策でも、さらなる分離感や脅迫を感じる方法は、子供たちにとってはますますの不信感を強化する働きかけと感じ、さらなる孤独感をもたらすでしょう。

 大切なことは、信頼感の回復。シンプルに会話の回復、愛の回復なのです。これができるのは、子供たちの主体性ではなく、大人たちのリーダーシップによるのですから、大人たちが、体を張ってこうした教育に取り組む必要があるのだと私は思いますね。

 信頼と愛の回復の教育。本当に実現するためには、とてつもない勇気とエネルギーと努力が必要だと思いますが、私自身は、ライフワークとして挑戦していきたいと思います。大切なことは、子供たちの自信と元気の回復なのです。子供たちには、自分で素晴らしい人生を切り開く限りない可能性を秘めている。それを引き出すのは自分自身の力であり、そんな自分の力に気づき、自らの足で立てるように支援することが本当の教育なのだろうと思います。ぜひ政府もこうした意見に耳を傾けて、政策に反映させてほしいと思いますね。

学習性無力感

“学習性無力感”とは、米国心理学者M.セリグマン(1943~)によって発見されたユニークな心理理論であり、教育に携わる私たちにとって、多くの教訓を示してくれる考え方だと思いますのでご紹介します。
なお、以下の文は、『オプティミストはなぜ成功するか』(M.セリグマン 講談社文庫)を参考にして、書いております。

<心理学を志す>
セリグマンは、13歳の時に、父が病気により体が麻痺すると同時に、うつ状態となり、不幸な晩年を送ったことを契機に、父親のような人たちの助けとなりたいと思い、心理学を志すようになり、1964年、ペンシルバニア大学の大学院に進学しました。
その頃の、心理学は、”行動主義”と呼ばれる考え方が主流となっておりました。
行動主義とは、「おおよそ、生物は、”刺激→反応”のパターンを観察、計測し分析することで、その行動を説明し、コントロールすることが出来る。」と言う考え方に基づいていたのです。
現代では、生命は、そのような単純なものではなく、”刺激→有機的存在→反応”と言う複雑なプロセスを経て主体的かつ個性的な行動をする存在であると言う考え方が主流であり、行動主義心理学は、心や意識を無視し、主体性をないがしろにしているとの理由で批判されることが多いのですが、当時は、一種の暗黙の規範のように、「”行動主義的”な考え方でなければ心理学ではない。」と言えるほどの強い権威を持った考え方だったのです。

<きっかけとなった心理実験>
セリグマンが、進学時に大学院で行われていた実験も、まさにこのような”行動主義心理学”に基づいた実験でした。
実験は、「パブロフの犬」に代表される条件付けの実験であり、犬に”刺激→反応”のパターンを学習させることを目的とした実験だったのです。
実験は、3段階で構成されており、まず、第一段階として、”高い音”をならした直後に電気ショックを与えることを繰り返し、犬が、高い音と不快なショックを結びつけるようにして、後で、犬が音を聞いただけでショックを受けたときと同じように恐れて反応することを学習させると言った条件付けを行ないます。
第二段階として、犬は、シャトルボックスに入れられます。シャトルボックスは、2区画に仕切られ、間に低い仕切り板があり、犬が望めば、飛び越えることが出来る高さとなっています。
実験は、シャトルボックスの片側にいる犬に、電気ショックを与えるが、仕切り板を飛び越えて、隣室に入るとショックが止まることを繰り返し、「電気ショックが起これば、仕切り板を飛び越え、隣室に入ると、ショックを止めることが出来る」ことを学ばせることです。
そして第三段階は、電気ショックを与えずに、高い音がなれば、音だけで仕切りを飛び越えることができるかどうかを試みることが実験企画の全体の内容でした。
セリグマンが、大学院に進学したそのときに、ちょうどこの実験が行われていたのですが、実は、実験はもくろみの通りに進んでおらず、諸先輩が、困っているところだったのでした。
第二段階において、犬は、電気ショックを与えても、ただ鼻を鳴らしているだけで、ショックから逃げるために、シャトルを仕切る板を飛び越えようとせずに、ただ座り込んでいたのでした。
その時、セリグマンは、犬の様子を見て、「父のうつ状態」と似ていると直観しました。
セリグマンは、この実験の犬は、どんなに逃げても、この電気ショックからは逃れられないことを理解し、無力感にさいなまれ、うつ状態になったのではないかと考えたのです。

<学習性無力感>
セリグマンのこの直観は、行動主義心理学に教化されていた諸先輩からは、「勘違いだ」「動物が、そんなに高度な精神活動はしていない」と否定されましたが、セリグマンは、めげずに、実験を繰り返し、ついに「動物であっても、自分でコントロールできない避けがたい出来事を多く体験すると、無力感を学習し、無抵抗なうつ状態になる」ことを論文で発表しました。
この論文は、支配的だった行動主義の考え方に強烈な一撃を加えることになり、当時の心理学会に大反響を与えることになったのです。
犬が体験したうつ状態は、後に「学習性無力感」と呼ばれ、このセリグマンの考えは、広く一般に認知される心理学の理論となりました。

<学習性無力感の教え>
“学習性無力感”…学習(狭義の)によって、うつとなり無力になる、とはなんと皮肉なことでしょう。
学習性無力感は、ある意味、”あめとムチ”で他者をコントロールしようとする試みは、決して教育にはつながらず、結局他者をうつ状態にしてしまうことにつながってしまうことを証明する理論でもあると言えましょう。
人は、自分らしく輝いているときには、想像もつかないような大きな仕事をやり遂げる力がありますが、うつ状態に陥れば、考えられないような失敗や問題行動を起こしてしまう可能性があります。
厳罰によって従業員の行動を管理しようとした2005年4月25日に起こったJR西日本の尼崎における大事故は、そのことを象徴しているようにも思えます。

・問題解決に必要なことは、恐怖ではなく信頼である。
・人は、不安で怖いから有能になるのではなく、自由で楽しいからこそ輝く。

学習性無力感の理論は、教育やマネジメントを考えるに当たって、私たちに、強く気をつけなければならない教訓を示してくれているといえましょう。

 

<関連書籍>

単行本『To be Yourself』より抜粋

 

<関連プログラム>

リーダーシップ研修”To be a Hero”

コミュニケーション研修”アドベンチャー トゥ エンカウンター”

体験型新入社員研修”アトランティックプロジェクト”