カテゴリー別アーカイブ: ⑥心理学

自信と誇りの重要性① 人生の基盤となる自信と誇り

単行本『To be Yourself』ヴィーナスアソシエイション出版 より抜粋 )

 

1.自分らしく輝く人生の基盤となる自信と誇りの重要性

人が、自分らしく、幸せに輝いて生きるためには、いったいどんなことが必要なのでしょうか?

知識?体力?お金?健康?

さまざまな考え方があると思いますが、そのたいせつなものの中の一つに、私は、「自信と誇り」があると考えています。

人は、確かに完璧ではないかもしれませんが、決して欠点だらけの無力な存在ではありません。本気を出せば、どんな人でもとても素晴らしいことを成し遂げる力と可能性を持っています。

基本的に自分を大切にすること、自分の人生を信頼できること、前向きであること、そして勇気を持って挑戦していくことは、自分のもともと持っているすばらしい素質や力を引き出す重要なカギであると言えましょう。

ここでは、「自己イメージの心理学」を題材にして、この「自信と誇りの重要性」について解説していきたいと思います。(続く)

 

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自信と誇りの重要性② 自己イメージのネガティブな影響

自信と誇りの重要性③ 自己イメージのポジティブな影響

自信と誇りの重要性④ 日本人の自信

自信と誇りの重要性⑤ 健全な自信と誇りを持とう

 

 

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単行本『To be Yourself』

 

 

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われとなんじ

 私どものラボラトリーメソッドの哲学的な骨格のひとつとなっている実存哲学者マルティン・ブーバーの考え方をご紹介します。ブーバーの主著は、「我と汝」という名著です。その中で、高邁な”関係性”の哲学を展開しており、今回は、その考え方の一部をご紹介したいと思います。

 本書の中で、ブーバーは、世界は人間のとる態度によって2つとなるとしています。
ひとつは「われ-なんじ」の世界であり、もうひとつは「われ-それ」の世界です。

 「われ-なんじ」の関係は、われとなんじが、個別な存在と言うよりは、本質的に同じ存在として認識しあえる関係であり、われがなんじと全人格的に関わり、関係性に生きる実存の世界です。
 一方、「われ-それ」の関係とは、われとそれが異なった対象と認識する関係であり、われがそれを利用し、われに取り込もうとする分離と対立に生きる現象の世界となります。
その際、「われ-なんじ」のわれと、「われ-それ」のわれとでは、まったく異なった<われ>となります。

 「われ-それ」の<われ>は、個的存在としてあらわれ、他を利用し経験する主観として自己を意識します。
 一方「われ-なんじ」の<われ>は、人格的存在としてあらわれ、真実の関係を生きる主体として自己を意識することになります。

 ブーバーによると、「われ-なんじ」の関係こそが、リアリティの世界であり、『人間や人類が「われ-それ」の個的存在に支配されればされるほど、われは、一層非現実の深みに落ちていく。現代のような(「われ-それ」の)時代には、人間や人類の中にあるわれは、再び呼び起こされるまで、地下に隠れ、いわば、無価値な存在となってしまう。』としています。ブーバーによると、現代文明の危機は、「われ-それ」の途方もない支配の結果によるものとなります。
 「われ-なんじ」の全人格的な関係性を通して、「われ-それ」を癒し、自然を取り戻し、人格的存在となり、人間の全きを回復させていくことこそ大切と言えるのでしょう。

 ブーバーの視点は、きわめて現代社会の問題点の本質をついているように思えます。行き詰っている現代のさまざまな問題を解きほぐしていくためのヒントや大切な指針となるのではないでしょうか。

新しいモチベーション理論 ③

【成果主義の弊害の事例】 モチベーション3.0 ダニエル・ピンク著より引用

ダン・アリエリーも含めた四人の経済学者たちは、インドのマドゥライに仕事場を構え、外発的動機づけが成果に及ぼす影響を研究した。・・・彼らは八七人の参加者を集め、何種類かのゲームをしてほしいと頼んだ。たとえば、的に向かってテニスボールを投げるとか、・・・インセンティブの影響を調べるために、あるレベルの成績を達成した場合の報酬として、被験者に対して三種類の金額を提示した。
参加者の三分の一は、目標成績を達成した場合に、四ルピーという少額の報酬を与えられる
(・・・アメリカのおよそ五〇セントに相当)、もう三分の一の参加者は、四ルピーだ(およそ五ドルに相当)、残りの三分の一は、四00ルピーというたい一ん高額な報酬を呈られることになっていた。

 どのような結果が出ただろうか、報酬金額の違いは、目標の達成具合を反映していたのだろうか?答えはイエスだ。だが、その答えの中身はあなたの予想に反しているかもしれない。中問の四0ルピーを提示された人たちは、四ルピー提示された人たちよりも成績が悪かった。では、四00ルピーという、高額のインセンテイブを提示されたグループはどうだ一たのだろうか?このグループの成績は最悪だった。ほとんどすべてのゲームで、少額の報酬グループにも中問の報酬クループにも、後れをとっていた。・・・・

このように一見矛盾する結論に達したのは、アメリカの研究者だけではなかった。ノーベル経済学賞を11人輩出しているロンドンスクール・オブ・エコノミクスの学者が、二〇〇九年、五一社の成果主義の給与体系を分析した。その結果、「経済的なインセンティブは、全体的な成績に悪影響を与えるおそれがある」という結論に達した。

新しいモチベーションの理論 ②

【成果主義の弊害】 モチベーション3.0 ダニエル・ピンク著より引用

レッパーとグリーンの初期の研究・・・は、・・・モチベーシヨン関連でもっとも引用される論文となった。この三人の研究者は、幼稚園児を数日問にわたって観察し、「自由遊び」の時間に絵を描いて過ごす子どもたちを見つけた。次に、この子どもたちが楽しんでいる活動に対して、報酬を与えた場合の影響を調べる実験を考案した。

彼らは子どもたちを三つのグループに分けた。1つ目のグループは、「賞がもらえることがわかっている」グループである。一人ひとりに「よくできました」と書いた賞状-青いリボンをつけて、子どもの名前が記されている-を見せ、「絵を描いて、この賞状をもらいたいか」と子どもたちに訊ねた。二つ目のグループは、「賞をもらえることを知らない」グループだ。研究者らは子どもたちにただ、「絵を描きたいか」とだけ訊ねた。そして子どもたちが絵を描き終えると、「よくできました」という賞状を渡した。三つ目のグループは、「何ももらえない」グループだ。「絵を描きたいか」と子どもたちに訊ねたが、絵を描く前に子どもたちに賞を約束したわけでもないし、終了後に賞状を渡したわけでもなかった。

それから二週間後の自由時問に、幼稚園の先生は紙とフェルトペンを用意した。一方、研究者らは密かに子どもたちを観察していた。「賞をもらえることを知らない」グループと「何ももらえない」グループの子どもたちは、実験前と同じくらいたくさんの絵を、実験前と同じくらい熱由心に描いていた。ところが、賞をもらえることがあらかじめわかっており、そのとおりにもらえたグループの子どもたちは、実験前より絵に対する興味を大幅に失っており、絵を描く時問も格}段に少なかった。

新しいモチベーションの理論

 ダニエル・ピンクによると、モチベーションの考え方は、以下の3つに分類できる。

【モチベーション1.0】  あめとムチによる動機づけ。企業経営の本質的な部分だとみなされてきたが、さまざまな実験で意図通りには機能しないことが分かった。

【モチベーション2.0】  交換条件付き報酬(成果型賃金制度の様な)。ほとんどの状況で効果がないばかりか、レベルの高い創造的で思索に富んだ才能をつぶしてしまう。

【モチベーション3.0】  自律性(自らの人生を管理したい)、熟達(自分の能力を広げて伸ばしたい)、目的(大義を持って人生を送りたい)、という人間に深く根差した欲求による動機づけこそが真の成長や高い成果につながる。

 

 ピンクは、著書「モチベーション3.0」の中であめとムチや報償によるコントロールが機能しないだけではなく弊害をもたらすことを多くの実験データを使って証明している。以降その実験を紹介していきたい。 

 

分離感について⑨ 人の新しい可能性

 人には、他者と共感し、一体感を感じることができる能力がある。その力は、他者とは他人であるという強い分離感があるときには潜在化してしまい、機能不全となるが、凝り固まった分離感の思い込みから自由になり、肩の力を抜いて、素直に他者と向き合おうとしたときに自然に発動する。

 サッカー場で応援する人たちの一体感。コンサートホールで共に歌い、ともに踊り、共に楽しむことによって増幅される感動。教会で結婚する二人をみんなで応援しようとするときの聖なる祝福の瞬間。愛し合う2人の間で起こる言葉の必要ない相互理解。

 そのような状態の中では、人は他者をもはやどうでもよい他人とは思えない。他者の痛みは、自分の痛みであり、他者の喜びは自分の喜びである。他者がほほ笑むと、私も微笑み、他者が悲しみで涙を流す時には、自分の胸も悲しみが満ちて涙が流れる。他者が苦しんでいた時には、見返りがほしくて助けるのではない。他者の苦しみが自分でも体験できるから手を差し伸べざるを得ないのだ。

 こうした共感の能力は、人間の新しい可能性である。それらの体験は、日常的ではないかもしれないが、不自然ではない。

 もしも、すべての人が、自分と他人とが違う人ではなく、本当に体験を分かち合える同士であることを直覚したならば、強いリアリティと喜びの中で、すべての人や世界と一体感を感じながら生きることができたとしたならば、世界は、途方もない変容を遂げることだろう。そんな認識の中では、うそや詐欺、犯罪や搾取、独裁や支配、自然破壊や戦争は、もはや不可能である。人の新しい可能性、大いなる夢、わくわくする未来を感じることができる。 

 そんな未来は、不可能ではない。分離感とういう幻想に迷い込んだら見えなくなる境地がある。分離感の幻惑を見極めて、素直になれたとき、その時にこそ、人の本来の偉大なるあり方が開花するのかもしれない。それこそが、人と人の社会の新しい可能性なのではないだろうか。そんな大いなる可能性を信じてみたい。(分離感シリーズ終了)

 

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分離感について⑧ 「自然本来の社会性」

 動物学者フランス・ドゥ・バール氏は、「共感の時代」(紀伊国屋書店出版)の中で、動物たちが自然に持っている社会性を研究している。以下、動物たちの共感の力・徳性が発揮された事例をご紹介しよう。

<以下、「共感の時代」フランス・ドゥ・バール著(紀伊国屋書店出版)より引用>

・たとえば、二匹のサルに同じ課題をやらせる実験で、報酬に大きな差をつけると、待遇の悪いほうのサルは課題をすることをきっぱりと拒む。・・・どんなに少ない報酬でも、もらえないよりはましなので、猿も人間も利潤原理に厳密に従うわけではないことが分かる。(サルの不公正を嫌う性格について)

・野生の馬やジャコウウシは、オオカミに襲われると、幼い者たちの周りをぐるっと囲んで守ってやる。

・アルゼンチンのブエノスアイレスでは、あるメス犬が、捨てられた人間の男の子を自分の子たちと一緒に世話をして救って有名になった。オオカミに育てられたという双子、・・・このような異種間の養子関係は、動物園ではよく知られている。ある動物園のベンガルトラのメスは、豚の子供たちを引き取って育てたという。母性本能は、驚くほど寛大なのだ。

・人間や動物は、利己的な理由からしか助けあわないということにはならない。・・・たとえば、人間が見知らぬ人を救うためにレールの上に身を投げ出したり、犬が子供とガラガラヘビの間に飛び込んで重傷を負ったり、サメが出没する海域で泳ぐ人の周りをイルカが囲んで守ったりする。

・猫のオスカーは、・・・老人用診療所で、毎日アルツハイマー病やパーキンソン病などの患者のために回診する・・・オスカーは、部屋から部屋へと回りながら、患者を一人一人注意深く観察し、その匂いを嗅ぐ。誰かがもうすぐなくなると判断すると、その傍らで身を丸め、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、そっと鼻を押し付ける。そして、患者が息を引き取ると、ようやく部屋を後にする。オスカーの見立ては正確そのものなので、病院のスタッフにすっかり頼りにされている。・・・彼が患者の脇で番を始めると、看護師はすぐに家族に電話をかけ、家族は・・・急いで病院に駆けつける。オスカーはこうして25人以上の死を予測してきた。・・・スタッフは、彼が救いの手を差し伸べているのだと解釈している。

・私(動物学者コーツ博士)が泣きまねをして、目を閉じ涙を流すふりをすると、ヨニ(チンパンジー)は、自分のしている遊びなどの活動を直ちにやめ、興奮して毛を逆立てながら、急いでかけてくる。家の屋根や織りの天井といった、家の中でも特に離れていて、しつこく読んだり頼んだりしても降りてこさせられなかったような場所からやってくるのだ。・・・私の周りをせわしなく走る。私の顔をじっと見て、一方の手のひらで優しく私の顎を包み、指で顔にそっと触れるのは、何が起きているのかを理解しているかのようだ。・・・・私がいかにも悲しそうに、絶望したように泣くほど、ヨニはますます同情を示す。・・・ヨニは、(両手で目を覆う)その手を取りのけようとし、彼女の顔に向けて唇を突き出して、じっと見入り、かすかに唸り、鼻を鳴らす。

・ラブラドール・レトリバーのマーリー・・・ジョン・グローガンの『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』に出てくる暴れん坊でお騒がせの札付き犬だが、グローガンの妻ジェニーが、流産したのがわかって泣いていたときは、頭を彼女のおなかにぴったりと押し付けて、微動もせずに立っていた。

 

事例にもある通り、人間を含めた動物には、生来の正義感、思いやり、共感の力を持っている。前述の分離感の哲学は、断じて自然のありかたではない。

・弱い者は、滅びるままにすべき。

・強いものが弱いものを犠牲にして成長することが正義

・思いやりや愛は、不自然であり、間抜けな人の特徴

などの考え方は、断じて自然界の法則ではない。それらは、獣の法則である。しかし、一部の学者、企業家、政治家たちが語り、もっともらしく理論化されてきたそれらの考え方は、広く報道され、教育され、我々の頭に深く沁みとおり、悪く言えば洗脳され、我々の人生哲学の一部となってしまっているところがあるのではないだろうか。しかし、これらの考えは、権力者にとって都合のよい詭弁であり、決して自然界の真実ではない。

 強欲の資本主義が間違っており、反省すべきだと考えられてきたのは、つい最近のことではないだろうか。もっと自制心と思いやりのある高い意識の資本主義に代わるべきだという論調が最近強く出てきている。全くその通りであると私は思う。私たちも、そろそろそのような分離感の幻想から目覚め、本当のことに気づくべきなのだ。(続く)

 

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分離感について⑦ 「分離感は幻想」

 「人は、本質的に戦いの生き物であるので、闘争に基づいて生きなければならない。」

 「人は、本質的に社会的な生き物なので、愛や思いやりを大切に生きるべきだ。」

 現代社会においては、2つのまったく志向の違う考え方がある。いったいどちらが正しく、どちらが幻想なのだろう。まずは、前者から検討してみよう。前者は、資本主義社会を作り上げる根本となる考え方、人間観といえよう。以下、類する哲学を提示していこう。

・「自然の尽力はもっぱら、そのような人(競争に負けた不適者、貧乏人)をつまみ出し、世の中から一掃し、もっと優れた者たちのための余地を作ることに向けられている」ハーバード・スペンサー(「適者生存」という言葉を生みだした政治哲学者(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・強い生き物が劣った生き物を犠牲にして発展するのだとすれば、それは単にそうであるだけではなく、そうあるべきものだ。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・「人間の自由は、悪から始まる」 カント

・「(大企業の成長は)自然の法則(弱肉強食、適者生存、競争)と神の法則がうまく働いた結果に他ならない」ジョン・D・ロックフェラー(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・社会ダーウィン主義者は、そのような気持ち(思いやり)をあざける。自然がしかるべき過程(競争、弱肉強食)をたどるのを妨げるだけだというのだ。彼らは、貧しさは怠惰の証、社会的公生は弱点として切り捨てる。貧しいものはただ滅ぶに任せればよいではないか、と。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・エンロンのCEO、ジェフ・スキリングは、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の大ファンで、自分の企業内で冷酷無比な競争をあおり、意図的に(彼らの信じ込んだ弱肉強食の)自然をまねようとした。・・・従業員はエンロンの社内環境で生き延びるために、たがいにせっせと蹴落とし合い、その結果、内部はぞっとするような不正行為、外部では情け容赦ない搾取を特徴とする社風が生まれた。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・(行動主義心理学の父ジョン・ワトソンは)母性愛の意義に関しては特に懐疑的で、それを危険な道具と考えた。・・・社会はこれほどの温かさは不要で、もっとしっかりした仕組みが必要だというのだ。・・・ワトソンは、自らが「キスされすぎた子供」と呼ぶものの撲滅運動を展開し、1920年代には非常に世評が高かった。」(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

 いかがだろうか?上記の引用文献である「共感の時代」の著者フランス・ドゥ・ヴァールは、動物学者であり、彼の幾多の動物研究によれば、自然界は、上記のようなゆがんだ競争社会ではなく、もっと愛と思いやりと自己犠牲と社会性のあるものであり、上記のような考え方は、自然界のほんの一部の暗い側面だけを取り出して、人間社会のひずみを正当化しようとした詭弁であると語っている。私もまったく同感である。弱者や貧者は、滅ぶのが社会のためだなんて、いったいどんな悪趣味の人間が思いつく考え方なんだろうと思ってしまう。しかし、恐ろしいことは、このようなゆがんだ思い込みの信念を持った政治家が、実際にこうした考え方、思い込みに基づいて施策をとっていることだ。その結果どうなったのかは、今の日本や世界を見れば一目瞭然であろう。諸国間のいがみ合いと戦争、飢餓、格差問題、自然破壊・・・、決して自然の美しさを反映した社会となっているとは誰にも言えまい。(続く)

 

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分離感について⑥ 「分離感と施策」その2

 マイケルムーア監督作品の「キャピタリズム ~マネーは踊る~」で紹介された安定的に成長する優良企業がある。ウィスコンシン州のイスムス社(ISTHMUS)である。当社は、民主主義を経営に取り入れているユニークな会社である。従業員は、全員平等な経営者として扱われ、アイデアや意見は尊重され、会社の方針や意思決定は、すべて話合いと多数決で決められる。それだけではない。末端の社員とCEOの給与が同じなのだ。利益を真の意味で分かち合うファミリーなのだ。社員は、平等に扱われることに満足しており、仕事に生きがいとやる気と感謝を持って取り組んでいる。

 埼玉県川口にコミー株式会社という広角ミラーの製造販売を営むユニークな会社がある。当社は、非競争主義を提唱している。社長の小宮山氏は、競争原理で肉食獣のように熱くたたかうことは疲れるからいやだというのだ。肉食獣ではなく、もっと穏やかに、日々の仕事を大切にして、創意工夫を最大限に活かして経営をしていこうと志向されているのだ。だから、コミー社の日々の仕事は、コミーの物語として、丁寧に記録され、関係各社に公開し、共感と協力を呼んでいる。小宮山社長は、競争が成長の原点であるという考え方は、勘違い、幻想ではないかとおっしゃる。そんな疲れることをするよりも、丁寧に日々の仕事の中で起こっていることをよく理解し、しっかりと考え、工夫していくことが、会社の成長につながるという信念で経営されているのだ。結果、防犯ミラー業界において国内シェアーは、80%であり、顧客から絶大な信頼を得ている。

 長野県伊那市に伊那食品工業という素晴らしい会社がある。社長の塚越氏は、自分の仕事は、社員を大切にすることと公言し、リストラなしの年輪経営をモットーに、社員を家族として本当に大切にする施策を展開している。多くの工夫があるが、その最たるものが、情報公開主義であろう。伊那食品では、あらゆる情報が、隠されることなくすべて公開される。信頼は、取り繕って作るものではなく、隠し事やうそのない正直さからくるのだ。また、人事制度は徹底した年功序列である。社員は、社長の方針を意気に感じ、高いモチベーションで仕事に取り組んでいる。結果、48年にわたる連続の増収増益を達成した。

 分離感を弱める方針、一体感を高める経営哲学は、会社の偉大な成長をもたらすのだ。(続く)

 

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分離感について⑤ 「分離感と施策」

 人事諸制度には、さまざまな施策があるが、分離感の視点で見直してみると、本来の意図とは違った効果や副作用が見えてくる。たとえば、能力主義、成果賃金制度について。両施策は、本来、従業員の働きに見合った正当な報酬を提供することによって、従業員のモチベーションを高めようとする試みである。しかし、分離感の視点からみると、成果賃金制度は、従業員の一体感を壊し、分離感を高め、結果的に生産性を低下させる強烈な副作用がある。他者よりも仕事をしていることを証明することを通して自分の評価が決まるので、他者は、協力者というよりはライバルとなる。協力と競争は2者択一であり、一般的に言われているように両方を上手になんて器用なまねはできない。いったん競争が始まれば、関係性は、親愛から警戒へ、分かち合いから取引へ、協力から戦いへ、信頼から裏切りへと大きく変容していく。結果的に、組織の中で、より多くの隠し事、うそ、ごまかし、陰謀、策略がまかり通り、より小賢しく悪辣なやり方が勝利する質の悪い狂気の風土となる。従業員は、不信、怒り、孤独、疎外感、など多くのストレスを抱えるようになり、結果的に生産性に悪影響を及ぼすだけではなく、社会から糾弾されるようなトラブルを起こすなど、組織的な機能不全に陥るのだ。

 一方、幸運にも一体感をはぐくむことができた会社は、奇跡的ともいえる成長を遂げる実績を次々と上げている。(続く)

 

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