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人生への絶望感 脳卒中誘発?

   人生への絶望感 脳卒中誘発 (朝日新聞 2009年9月1日)

 【ワシントン=勝田敏彦】人生に絶望する気持ちがあると、頸動脈(けいどうみゃく)に病変が起き、脳卒中や心臓病を起こす危険が高いことが米ミネソタ大の研究でわかった。米心臓協会の医学誌「ストローク」の最新号に論文が掲載された。

 研究チームは、循環器病にかかったことがない中高年女性559人を対象とした研究で、人生に対して前向きかどうかを質問。この回答と、超音波検査で測った頸動脈の壁の厚みのデータを分析した。

 頸動脈は脳に血液を送る血管。動脈硬化で壁が厚くなると、脳卒中などの原因となる血栓ができやすくなる。

 分析の結果、人生に最も前向きな集団と、最も絶望感が強い集団とでは、壁の厚みに0.06ミリの差があった。研究チームは「この差は、臨床的に重要である可能性があり、絶望感が強い集団は将来、心臓病や脳卒中になる危険が高い」と分析している。

 絶望感と頸動脈の壁の厚みとの間の生理学的な関係ははっきりしていないが、研究チームは、絶望感が強い人にはカウンセリングなどを勧めている。

 

 人生に対して悲観的である人たちは、前向きである人たちに比べて、動脈硬化で頸動脈の血管壁が厚くなり、0.06ミリの差があったとのこと、この差は、脳卒中や心臓病などの危険性を高めるとのことです。

 自分で自分の人生をどう思おうが、それこそ個々人の自由であり、人にとやかく言われる筋合いのものではないのですが、こういうデータを見ると、過度な悲観は気をつけなければならないと思いますね。

 基本的に、人生は、決して甘くはないものであって、それを心配しようと思ったらいくらでも心配することもできますが、そんな不安と恐怖の罠にはまって憂鬱となることは、やはり慎まなければならないと私自身は自戒しています。

 どんなに悩んでも未来のことは分からないものは分からないのです。人生とはそういうものであって、だからこそ不安でもありますが、だからこそ面白くもあるのです。

 人生は、ある意味でサスペンスとロマンの冒険でもあります。待ち受けているものがどんなものであれ、きっと何とかなっていくものですよ。せっかくならば、その冒険を思い切り大胆に楽しめるようにしたいものですね。

なぜコミュニケーションは重要なのか

 コミュニケーションは、パフォーマンスに大きな影響を与えると言われています。

 では、なぜ、そのような生産性の向上や創造性をもたらすのでしょう。
 社会心理学上で、この問題を上手に説明する理論で、「四つの懸念」(ジャック・ギブ)という理論があります。

 この理論では、人の「出会い」は、まさに未来を拓く「可能性」を意味することであり、すばらしい出来事でありますが、しかし、同時に、「出会い」は、「懸念(不安や疑いなどの総称)」をももたらし、それは、どんな人数や文化、集団でも避けることはできないされています。

 ギブは、チームの人間関係の実践研究をとおして、人間にはどのような懸念が発生するのかを調査しました。

 具体的データを集め、仕分けした結果、以下のような4種類の懸念に分類できたので、この理論は、「4つの懸念」と呼ばれています。

<四つの懸念(J.ギブ)>
1.受容懸念
 ・そもそも私は受け入れられるのか?
 ・相手は私を非難攻撃するだろうか?
2.データ懸念
 ・言葉を選ばなくては・・・
 ・ここではどんな話題が通用するのか?
 ・私はどのように振舞えばいいのだろうか。
3.目標懸念
 ・この対話の目的、目標は何か?
 ・自分の目的や目標は競合しないか?
4.統制懸念
 ・相手は私を強制するだろうか?
 ・私は、支配されないだろうか?
 ・誰が仕切るのだろう?
 ・またどのように仕切るのだろう?

 J.ギブによると、数々のグループの調査分析により、グループの成長は、懸念の解消のプロセスと等しいとされています。
 つまり、当初グループに強くあった懸念が解消されていくにつれて、信頼関係やメンバーの自由度が増し、チームとしての生産性や創造性が開発されていくと考えたのです。

 この理論では、チームのもともと持っている生産性や創造性はとても大きいのですが、その懸念が足を引っ張り、チームのもともとの力を麻痺させる阻害要因となっていると考えられます。
 チームの生産性や創造性の源は、チームの外にあるのではなく、チームの中、既に今ここにまどろんでおり、ただ、その懸念がチームの足を引っ張り、チーム力の発揮を阻害していると考えられるのです。
 ですから、私たちが、チームの潜在性を開発し、チームの創造性や生産性を高めるために必要なことは、チームの外にある新たな特別なものを取り込むことや不自然にりきんで特殊なことをするというよりはむしろ、懸念(誤解や不信)を解消すること、お互いに肩の力を抜くことこそ重要な要素であると言えましょう。
 その際、懸念を解消するための方法は、いろいろあるけれども、本質的で最も効果的なな方法がコミュニケーションであるといえるのです。
 なぜならば、懸念は、相互理解をすること以外には、解消されることはないからです。

 信頼関係は、取り繕ったり、テクニックを使ったりして作り上げるものではなく、コミュニケーションを通して懸念が解消されれば、自然に起こることであり、信頼関係が起これば、チームの閉ざされていた潜在能力の扉が開かれ、本来のチーム力が開花し、高いパフォーマンスを遂げることにつながっていくと言えましょう。

 このように、コミュニケーションは、懸念の解消を促進し、信頼関係を育成することを通して、私たちが本来持っている素晴らしい可能性を引き出し、チームの生産性や創造性を高めることにつながると言えるのです。

B動機とD動機

D動機とB動機という概念は、人間性心理学の巨大な哲人A.マズローによるものです。
今日は、弊社の基盤となっている考え方のひとつである”マズローの動機付け”に関する弊社なりの認識をご紹介したいと思います。
マズローによると、人が行動を起こす動機は、大きくD動機とB動機に分類できるとされています。
D動機とは、欠乏動機と訳され、「自分には、何かが足りない」と認識している人が「足りない何かを満たさなければならない」と思い、自分以外の何かを求めてそれを得ようとする欲求を言います。それは、恐怖や不安に基づく動機でもあり、「そうしないと怖いからする」といった焚き付けられるような渇望ともいえましょう。
一方、B動機とは、Be(存在、実存)から来る動機であり、自分自身の内面にある価値を表現していきたいと願う、自己実現の欲求であるとされています。B動機は、欠乏動機を追い求めることではなく、むしろそこから脱して自由となった人に訪れる欲求であり、「本当にそうしたいからする」といったシンプルで自然な欲求であり、健全なチャレンジ精神の根源ともなるので、その人の本来の潜在的な可能性とも言える動機ともいえます。

マズローは、従来の経営管理は、人のD動機に働きかけて、人をうまくコントロールしようとする権威主義的なものが多く、その方法は、次第に機能しなくなるだろうと予測し、これからのマネジメントは、人の本来の力や可能性を引き出すB動機に働きかけるものであるべきであり、そのようなマネジメントこそが、人の本来のすばらしい創造力を引き出すのだと述べています。

マズローは、
『人はだれでも、より高次の価値を体現したいという生まれながらの欲求を持っている。ちょうど亜鉛やマグネシウムを摂取するという生理的な欲求が、生まれながらに備わっているのと同じように。このことは、より高次の欲求や動機付けが生物学的起源を持つことを明確に示している。あらゆる人間は、美、真実、正義といった最高の諸価値を求める本能的欲求をもつのである。この考えが理解できれば「何が創造性を育むのか」が問題ではないことが理解できよう。真に重要な問題とは、「誰もが創造的とは限らないのはなぜか?」ということなのだ。』
『…何世紀もの間、人間性は軽んじられてきた。』
として、人間本来の力を阻害するD動機による支配を明快に批判しています。

そして、『人間が成長するにしたがって、権威主義的経営管理はいっそう深刻な問題を引き起こすようになる。成長した人間は、権威主義的状況の下で実力を発揮することはできず、そうした状況を嫌悪するようになるのだ。』として、個人の成長が、組織や社会のあり方を変えていくであろうことを示唆しています。『…恵まれた状況を経験した人間は、劣悪な状況には満足しなくなる。…人間が成長し、精神の健康度を増すにつれて、競争を勝ち抜く手段として進歩的な経営管理がいっそう求められるようになり、権威主義的経営管理を続ける企業はますます不利な状況に追い込まれる。』と予言し、このことは、学校や宗教団体でもまったく同じことが起こるだろうと言及しているのです。

マズローが予言した状況は、まさに現代が抱えている問題のエッセンスといえましょう。
毎日のように起こる企業の犯罪、問題行動は、やはり、前時代的な恐怖による支配、管理が行われている企業体質に多く発生しており、逆に、コミュニケーションや人間性を大切にしている進化したマネジメントを実践する会社は、ますます成長軌道に乗ってきております。
また、マズローは、『厳格な権威主義的経営管理スタイルから参加型の経営管理スタイルへと移行し、権威による厳格な規制が取り除かれた直後は、無秩序状態が生じ、鬱積していた敵意や破壊性などが噴出してくる。』とも言及しており、進化に伴う痛みについても示唆していますが、今まさに起こっているさまざまな悲劇は、まさに変わろうとしている社会の生みの苦しみなのかもしれません。そう考えると、時代のダイナミズム、大きなうねりを感じます。また、戦争や多くの悲しみの先にあるものは、絶望ではなく、新しい社会の可能性なのかもしれません。

引用「完全なる経営」マズロー 日本経済新聞社

ダイアローグに至る過程‐新しい時代のマネジメント⑤

第1ステップ 懸念の解消
人と人とが出会うと、必ず懸念(疑惑、不安)が発生しますが、コミュニケーションが徐々に活性化し、お互いの理解を深めることができれば、自然に解消され、信頼へと変容していきます。

第2ステップ フィードバックと自己開示
信頼関係が醸成されてくると、メンバー個々人の内面で感じていることが、次第にオープンとなっていきます。フィードバックは、相手に映った自分の姿を聴くことであり、自己開示は、今ここで体験している気持ちやアイデアをオープンにしていくことです。
フィードバックと自己開示が行われると、個々人のグループへの関わり方は、真剣でより誠実なものに変わり、お互いに向ける関心や、相互理解が桁違いにレベルアップしていきます。メンバーは、チームの一員であることをしっかりと受け止め、たとえ不快な問題があっても、その問題が、自分とは異なる対象と言うよりも、自分もその問題の一部であると感じるようになり、解決に向けて主体的で積極的、責任あるかかわり方をするようになります。

第3ステップ 認知バイアス(偏見)の解除
深く正確なコミュニケーションが行われるにつれて、内面に隠されていたメンバーの本音や真相に光が当たり、メンバーは、より本当のことを理解するようになります。そのようにして明らかになってきたありのままの現実を正確に認識できるようなると、自分の中で信じ込んでいたさまざまなことが、真実ではなく、単なる誤解であったり、思い込みであったり、偏見であることに気づいてくことになります。
また、自分の立場や価値観、信念を防衛する必要がなくなるので、次第にそれらに固執することが孤独と感じるようになり、こだわりを捨てて、謙虚にメンバーに耳を傾け、正味相手の立場に立って、相手の理解をすることができるようになります。

第4ステップ エネルギーの集中
物理学者デビッド・ボームは、自身の「ダイアローグと思考の研究」のなかで、ダイアローグの状態を超伝導に例えました。
超伝導とは、特殊な合金を冷却して行くと、ある低温下の温度で、電子が自由となり、全く抵抗がない状態となり、非常に大きなエネルギーを生み出すことが可能となる現象を言います。
まさに、ダイアローグは、個々人の潜在能力を開放し、チームが一丸となって、大きなエネルギーを発揮している状態といえましょう。ダイアローグにおいて、メンバーは自由でリラックスしており、お互いに人間としての深い関心が向けられており、発言内容はもちろんのこと、発言者の気持や意図、雰囲気にいたるまでありのままに理解することができるので、交流する情報や感情は、質量ともにけた違いにレベルアップします。話し合いのテーマに対しての深い集中がなされており、出てくるアイデアや企画も創造的で質の高いものになるのです。まさに、生産性や創造性の高い、ハイパフォーマンスな輝かしいチームといえましょう。

<体験学習の地平>
ダイアローグは、そのエネルギーと創造性を武器として、組織を活性化し、組織に決定的な競争優位性と成長力をもたらすでしょう。体験学習は、組織をダイアローグ型に変容する可能性を秘めた非常に優れた学習方法です。今後、その役割はますます重要となってくることでしょう。来るべき素晴らしい時代に向けて、人間性を大切に育む精神を脈々と伝えてきた体験学習が、ますます多くの人たちと組織に役立ち、未来を開く手助けとなることを願っております。

ダイアローグとは‐新しい時代のマネジメント④

「ダイアローグ」は、「対話」を意味する言葉ですが、組織論においては、質の高いコミュニケーション、非常に深い相互理解と柔軟で創造性に満ちたチームの関係性を指し示す言葉として使われており、組織の存続と成長をもたらすキーワードとして注目されてきている言葉でもあります。

 ダイアローグが社会心理学的な用語として使われ始めたのは、実存哲学者マーチン・ブーバーによる哲学書「我と汝」からと言われています。
 ブーバーによれば、私達の関係のあり方は、お互いに利用しあう関係の「我ーそれ」の関係と、お互いに心から全人的に関わる「我ー汝」の関係の2種類があり、後者の際に交わされる会話のあり方を「ダイアローグ(対話)」と呼んだのです。関係性が「我ーそれ」であった場合、もたらされる結果は、葛藤や戦いであり、「我ー汝」のダイアローグの関係であった場合には、相互理解と平和、そして本当の意味での成長がもたらされると考えました。

近年『学習する組織(Learning Organization)』と言う理論、考え方が、経営学において注目されています。もともとは、1970年代にハーバード大学の組織心理学者クリス・アージリスによって唱えられていた概念であり、現在では、マサチューセッツ工科大学のピーターセンゲ教授が中心となり、世界的に広く知られるようになってきています。

 この理論によると、組織の競争力を高め、持続的成長をもたらす最も重要なことは、自ら問題を発見し学習し解決をはかる主体的に成長する「学習する組織」の体質を作ることであり、ダイアローグは、そのような組織を作るための重要なツールとなるとされています。

 体験学習は、コミュニケーションスキルの向上、チームビルディングをもたらす非常に優れた教育メソッドであり、組織をダイアローグ型に変容し、組織のもともと持っている素晴らしい力と可能性を引き出す強力な実践ツールです。
 私は、体験学習を通して、組織をダイアローグ型に変容していくことが可能であり、その際には、以下のステップに従って成長を遂げていくと考えています。

日本のマネジメントの現状‐新しい時代のマネジメント③

日本におけるマネジメントの現状を理解するうえで、2005年3月に実施された、米国調査会社ギャラップによる「職場への帰属意識や仕事への熱意」に関する意識調査が参考になるのでご紹介しましょう。
 調査は、2005年の3月に電話番号から無作為に選んだ千人を対象に実施され、03~04年にすでに実施されていた他国の同様の調査データと合わせると、14カ国の仕事や帰属意識に関する意識を比較、分析することができました。調査結果によると、日本人の仕事に対する忠誠心や熱意は、「非常にある」9%、「あまりない」67%、「まったくない」24%となりました。そして「非常にある」の9%は、調査した14カ国のうち、シンガポールに並んで最低であり、最も高い米国(29%)の3分の1以下だったことが分かったのです。
 このデータによると、日本人の多くが、職場に反感や不満を感じており、会社に対する満足度は、世界の中でも最低クラスであると言えましょう。

 私は、ES(従業員満足)が、企業の成長と存続にとってきわめて重要な要素であると考えております。よく、企業戦略の柱として、多くの企業でCS(顧客満足)を訴えていますが、私は、顧客満足主義を主張する大前提として、働く従業員が仕事や職場に満足し、自信と誇りをもって仕事に従事できている必要があると考えているのです。
 そのような視点から考えると、この調査データは、最近の日本の経営に何か大きな間違いがあることを証明しているのではないでしょうか。もちろん、従業員の問題もあるだろうとは思いますが、謙虚に、自分たちのマネジメントの方向性、施策、哲学をもう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

 米国心理学者M.セリグマンは、「学習性無力感」の理論の中で、不快なショックと報酬(あめとムチ)によって動物を教育しようとしたところ、動物は決して学習成長することなく、逆に無気力となり、うつ状態になってしまった実験を報告しています。「学習によって無力になる」とは、何と皮肉なことでしょう。私たちも知らず知らずのうちに他者にハッパをかけてコントロールしようと働きかけることを通して、うつを生み出してしまっているのかも知れません。自らに厳しく問い直す必要があるといえましょう。
 人は、自分らしく輝いているときには、想像もつかないような大きな仕事をやり遂げる力がありますが、うつ状態に陥れば、考えられないような失敗や問題行動を起こしてしまう危険性もあります。
 厳罰によって従業員の行動を管理しようとしたマネジメントが、大惨事を招いた事例は、枚挙に暇がありません。

 前述の「メガトレンド2010」の中において、弱肉強食で、適者生存が謳われる市場至上主義の米国であっても、単なる取引や契約で働くのではなく、情熱や信頼、愛社精神を持って働いてもらうことが組織の存続や成長に絶対不可欠であることを理解し、その対策をとっている企業こそが高い成長と収益を遂げている事例がたくさん紹介されています。
 日本の企業も、いつまでも、旧時代の遺物であるあめとムチによるマネジメントにしがみついてはいけません。今こそ、もともとあった日本のよきスピリットを生かし、信頼と情熱に基づいた、明るさと楽しさと冒険に満ちた経営に切り替えていく必要があります。
 人は、本気を出せば、本当にすごいことができるものです。その可能性と潜在性を信じて、人を大切にする、お互いに理解を深め合い、協力し合える体制を作っていくことが大切なのではないでしょうか。
 私は、来る「意識の高い資本主義」の時代に、この協力し合える体制作り、チーム作りが最も重要な経営課題の一つとなると考えています。またそのような素晴らしいチームを作るための重要なキーワードが、「ダイアローグ」であると考えております。

B動機とD動機‐新しい時代のマネジメント②

 時代の大きな変化に伴い、日常のマネジメントの考え方も変わっていく必要に迫られています。来るべき時代のマネジメントは、どのように変わっていくべきなのでしょうか。
 そのヒントになる考え方として、社会心理学者マズローは、一つの提言をしています。

 マズローによると、人が行動を起こす動機は、大きくD動機とB動機に分類できるとされています。
 D動機とは、欠乏動機の意味であり、「自分には、何かが足りない」と認識している人が「足りない何かを満たさなければならない」と思い、自分以外の何かを求めてそれを得ようとする欲求を言います。それは、恐怖や不安に基づく動機でもあり、「そうしないと怖いからする」といった焚き付けられるような渇望ともいえましょう。
 一方、B動機とは、Be(存在、実存)から来る動機であり、自分自身の内面にある価値を表現していきたいと願う自己実現の欲求であるとされています。B動機は、欠乏動機を追い求めることではなく、むしろそこから脱して自由となった人に訪れる欲求であり、「本当にそうしたいからする」といったシンプルで自然な欲求であり、健全なチャレンジ精神の根源ともなるので、その人の本来の潜在的な可能性とも言える動機ともいえます。

 マズローは、従来の経営管理は、人のD動機に働きかけて、コントロールしようとする権威主義的なものが多く、その方法は、次第に機能しなくなるだろうと予測し、これからのマネジメントは、人の本来の力や可能性を引き出すB動機に働きかけるものであるべきであり、そのようなマネジメントこそが、人の本来のすばらしい創造力を引き出すのだと述べています。
 マズローは、『人はだれでも、より高次の価値を体現したいという生まれながらの欲求を持っている。ちょうど亜鉛やマグネシウムを摂取するという生理的な欲求が、生まれながらに備わっているのと同じように。このことは、より高次の欲求や動機付けが生物学的起源を持つことを明確に示している。あらゆる人間は、美、真実、正義といった最高の諸価値を求める本能的欲求をもつのである。この考えが理解できれば「何が創造性を育むのか」が問題ではないことが理解できよう。真に重要な問題とは、「誰もが創造的とは限らないのはなぜか?」ということなのだ。』と述べ、創造的ではない人材にしてしまっている原因は、人の能力のなさではなく、人間性を軽んじるD動機に働きかけるマネジメントのあり方にあると問題を提起しているのです。

 また、マズローは、『厳格な権威主義的経営管理スタイルから参加型の経営管理スタイルへと移行し、権威による厳格な規制が取り除かれた直後は、無秩序状態が生じ、鬱積していた敵意や破壊性などが噴出してくる。』とも言及しており、進化に伴う痛みについても示唆していますが、今まさに起こっているさまざまな悲劇は、まさに変わろうとしている社会の産みの苦しみなのかもしれません。そう考えると、時代のダイナミズム、大きなうねりを感じます。また、戦争や多くの悲しみの先にあるものは、絶望ではなく、新しい社会の可能性なのかもしれません。

参考文献「完全なる経営」マズロー著

意識の高い資本主義へ-新しい時代のマネジメント①

 急激に進化する科学技術、高まる社会不安と緊張、続発する企業犯罪やトラブルなど、近年の経済環境は、まさに激動、混沌の状況にあります。存続と成長を志す企業組織にとって、このような時代をどうとらえ、今後に向けてどう舵を切っていくべきなのでしょう?
 一つの考え方として、実に明確に来るべき時代を描いている本『メガトレンド2010』をご紹介しましょう。
 著者パトリシア・アバディーン氏は、1982年に『2000 黄金世紀への予告』を出版しており、その中で、いち早く「情報化社会」の誕生について述べています。
 本の中では、1960年~70年のどこかで微妙な大変化が起こり、富の源が、土地や資産から、情報に移っていったと発表したのでした。この考え方は、当時はまだ異論があり受け入れられなかった考えですが、1990年代よりハイテクの時代の流れとあいまって、現在では、110兆円の産業となって花開いており、その予測の正しさが証明されました。
 アバディーン氏は、『メガトレンド2010』において、今現在では、その「情報の時代」も既に終わりを告げ、密かにただならぬ変革が進行し、新しい時代が始まろうとしていると主張しています。
 その変革とは、価値の源泉が「情報」から「意識」へと変わる変化であり、「人間の意識」が、資本、エネルギー、テクノロジーと同じ、又はそれ以上にビジネスにとって貴重なものとなってきていると考えているのです。
 本書によると、資本主義は、人間の貪欲さや野心、競争心を原動力として大成功を収めてきたわけであるけれども、1990年代より、世界的な同時株安の傾向、企業の会計疑惑、数多くの企業犯罪、環境破壊、石油と医療費の高騰、格差の拡大などの経済動向や、テロ、戦争、国家間の緊張、など、きわめて不安定で不確実な社会動向を受けて、そのようなむき出しのエゴイズムが、社会の中で見直されるようになり、次第に受け入れられなくなってきていると同時に、環境に配慮し、企業倫理を尊ぶ会社が注目され、売上を伸ばし、高い収益性を確保し、株価も上昇するといった傾向が出てきていると報告されています。
 かつて経済誌において「社会を気遣う投資家は、心根の優しい間抜けで、平均にも満たない収益しか上げられない」と書かれていたように、従来までは、企業の収益性や競争優位性、成長力が尊ばれており、社会的な配慮のない時に強欲で強引に振舞う企業こそが収益性を高め最終的には生き残ると信じられていたわけですが、このような考えは、実は的外れな勘違いであり、現実には、社会を気遣う高い意識を持った企業こそが、現在では高収益企業となっており、逆に、労働搾取、環境への無理解など、悪いイメージや反感を持たれるような経営スタイルの企業は、収益性が悪化し、成長が鈍化していると報告されているのです。
 今後もこの「企業の社会的責任」と「ビジネスにおける精神性」が重視される傾向はより一層強くなり、これからの10~20年で、むき出しのエゴによる「欲望の資本主義」から、啓発された利己心による「意識の高い資本主義」にシステムは変化を遂げることになるだろうと予測しています。

<参考文献>
「メガトレンド2010」ゴマブックス 著者パトリシア・アバディーン

大学生の自信力

2005年7月5日の朝日新聞朝刊で、大学生の「自信力」に関する記事が掲載されていました。
記事によると、慶応大学の河地和子教授が約2千人の大学生を対象とした調査で、他国の中学生よりも自信がないことが分かったとのことです。
調査は、03年4月~05年3月、首都圏9校の大学生2104人を対象にアンケートを実施したもので、判定は、ローゼンバーグの「自尊感情測定テスト」を用いたとのことです。
河地教授は、00年~02年、日本、アメリカ、スウエーデン、中国の中学生にも同様の調査をしており、今回そのデータと比較するため、自己を肯定的にとらえている答えをした割合を足した数値を「自信力」として、「自分を肯定的・積極的に受け入れる自尊感情」が、各国比較でどのようになっているのかを分析しています。
その結果、日本の中学生の自信力は、4カ国の中で、最低であり、日本の大学生の自信力は、日本の中学生には勝るものの、他国の中学生には及ばず、最高値を示したスウェーデンのおよそ62%程度にとどまったことが報告されています。

この調査は、平凡社新書から『自信力が学生を変える』が出版されており、そこに詳細が書かれているとのことで、私も早速取り寄せて一通り読ませいていただきました。

本の中では、学生の生の声も掲載されており、自分自身を表現する言葉として「投げやり」「自分が嫌い」「優柔不断」「中途半端」「自分が許せない」「何事も長続きしない」「自分はたいしたことない人間」など、大変痛々しい言葉が綴られていました。

本の中で、「自信力」は、生活や人生にとっても大きな影響を及ぼす要素であり、最近話題になるうつ病は、「自己評価が低い人に起こりやすいことが臨床上知られており」、自信力を高めることは、心の健康と言う観点からも重要であると訴えられております。

そう考えると、日本の若者の「自信力」の低さは、放っておけない問題であるように思えます。

この問題に対する改善策として、82%の学生が「教員が学生と授業外でもコミュニケーションをとる」をあげており、河地教授は、対策として、教員に対して、①学生参加型・ワークショップを取り入れた授業、②学生が外部社会と接触する機会や場の提供、などを提言されています。

まさに、教育の役割は大きく、その担当者の責任は重いといえましょう。

本件の調査分析は、『自信力が学生を変える』(著者 河地和子 平凡社新書出版)に掲載されております。本は、力作であり、現代の大学生の本当の意識を見事に再現しており、また、河地教授の大学生に対する愛情と教育問題に対する熱い思いが伝わってきました。
現在、文部科学省で教育改革が進められていますが、まさにこのような本を参考にして、日本の若者の自信力を育むことをテーマとする改革にすべきではないかと感じております。

認知症と悲観主義の関係

2005年4月17日 Medical News Today.comにおいて、認知症と悲観主義傾向に関する調査研究の記事が掲載されました。

 この研究は、アメリカ・ミネソタ州メイヨークリニックのYonas Geda博士と同僚医師によるもので、研究の結果「悲観傾向や不安傾向の強い人は、30年から40年後に認知症となる危険性が30%~40%高まる」ことが分かりました。

 この研究は、1962年~1965年に、メイヨークリニックでの研究計画の一部として実施されたミネソタ多面的 パーソナリティ インベントリーを受けた50,000人から、Olmsted郡(ミネソタ)に住んでいるおよそ3,500の個人のサンプルを抽出し、医療データ収集や聞き取り調査を行い、どのようなタイプの性格や認知傾向が、認知症と関わっているのかを分析することを目的に実施されたものです。
 この研究の結果、「精神医学上の問題を持っているわけではないが、性格が悲観主義傾向にある人は、数十年後に認知症となる確率が30%高くなり、悲観傾向に加え、強い不安感を持っている人たちは、認知症となる危険性が、40%も高くなっていた。」ことが分かりました。

 Geda博士は、「この研究は、集団レヴェルの調査であり、それを個人レヴェルにそのまま適応できない」として「このように研究を解釈することに用心深くなければならない」としていますが、認知症が、性格や認知傾向と関わる可能性を示唆する大変貴重な研究と言えましょう。

 弊社では、自己効力感や認知傾向が、組織や個人のパフォーマンスに大きく影響を及ぼしていると考えており、健全でたくましい自己信頼感や人生に対する信頼、ありのままに認識する力の育成に取り組んでおりますが、悲観傾向や過度な不安が、単に生産性や創造性ではなく、認知症といった健康や生命にもかかわるような病気とつながっている可能性があると言うことは、衝撃的です。

 認知症の原因は、今の医学では、まだ分からないことが多く、いずれの理論も仮説として理解する必要があると思いますが、やはり、過度に悲観的になったり、不安にどっぷりと浸かってしまうことは、注意する必要があると言えましょう。やはり、明るく楽しく人生を謳歌することが、認知症の予防にもつながることは間違いないと言えましょう。
 人生において起こる事柄は、決して喜ばしいことばかりとは限りませんが、私たちは、断じて無力ではありません。闇の暗さに気が遠くなるときもありますが、光あってこその闇であり、また、光に勝る闇はありません。
 健康のため、豊かで幸せな人生のために、大いに前向きに生きようではありませんか。