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新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑦ステージ4 求道者

ステージ4 求道者

 放浪者は、成長へのいざない、変容を促す呼びかけを拒否し、現状を維持することを選び、さまざまな困難から逃げまどい、楽しみを求めますが、いつか決して逃げ切れることができないことを悟り、自分の問題に向き合い、その解決策を真剣に探求するようになります。
 かくして、放浪者は、求道者へと変容を遂げることになります。
 求道者は、問題から逃げずに直面する勇気を取り戻し、逆境や困難を乗り越えるためのあらゆる方法を探求していきます。問題の根本的な原因、問題を解決するための方法、苦悩の原因、因果の法則、問題の科学的な分析、心理学、宗教学、など、さまざまな勉強と探求を進めるに従って、この世界に対するより深く正確な知見、自己反省と成長、健全な批判精神と論理的思考力、問題の本質と問題解決に至るための方向性と方法を学ぶことができます。
 求道者が求めることは、問題の原因を知ること、そして、その解決方法を知ること、または手に入れることです。求道者は、逃げまどうことをやめて、立ち止まり、強い意志をもって振り向いて、自分の問題に向き合います。
 「門を叩け、さらば開かれん。」の言葉通り、求道者の道を求める願いが強ければ強いほど、不思議な偶然が起こり、道を開くためのヒントをさまざまなところから得ることができます。どう解決すればよいのかわからなくて悩んでいたが、たまたま立ち寄った本屋さんで見つけた本で突破口を開けた、偶然に出会った見知らぬ人が、いろいろなことを教えてくれるお師匠様になってくれた、やけっぱちになって蹴とばして壊してしまったツボの中から探していた物が見つかった、街を歩いてふと見かけたオーディションに応募したことで思いもよらない未来が開けた、などなど、不思議な共時性というものは、実際に起こるものです。
 しかし、それは、原因が無ければ結果は起こりません。問いがあるからこそ応えがやってくるのです。こうした運命のいたずら、女神の微笑みの幸運と出会うためには、十分な準備が整っている必要があります。放浪者は、自然児、傷ついた子供、放浪者の体験を十分に乗り越え、求道者として問題意識をもって、問題はなぜ起こったのか?どうすればよいのか?を求める強い意志をもったことによって、準備を整えたことになります。そして、自ら汗水たらして行った努力の何十倍もの価値がある宝物、知識や武器、ツールや叡智などのさまざまな形の賢者と出会うのです。
 しかし、一方で、求道者は、柔軟性のなさと疑い深さ、完璧主義、理想主義、狭量による厳格な態度と言った欠点もあります。こうした欠点の度が過ぎると、求道者はせっかくのチャンスを逃してしまうことになります。
 求道者が批判精神や思考力だけに凝り固まり、感受性を失ってしまって、やさしい目や好奇心、聴く耳を失ってしまったら、こうした教えも手にすることはできません。自分に自信がなかったり偶然の幸運を疑って信じられなければ、訪れたチャンスをただの気のせいだと思い込み、目の前の宝を無視してありもしない宝を探し始めることになってしまいます。共時性や幸運は、論理的思考力ではとらえることができない次元の要素であり、この世には分からないことや不思議があることを受け入れる度量が無ければそれを受け止めることはできません。求道者は、自分が十分に準備を整えていることへの自信と、幸運に心を開く信頼感、聴く耳を持つことが大切です。
 求道者が恐れることは、罠にかかること、間違えること、完ぺきではないことです。
 求道者が出会う教えが、全て適切で正しいものとは限りません。そこは玉石混交の世界であり、間違えた教えを真実と勘違いしてしまう罠もあるのです。求道者には、真実とうそを見極める選択眼が必要なのです。
 また、求道者は、完ぺきではないこと、そこに少しでも影があること、間違いがあることを嫌うあまり、問題解決のための求道というよりは、理想主義や完璧主義の隘路にはまり、完璧な方法や、非の打ち所がない仕組みを求めることもあります。目的が問題解決から求道そのものに切り替わってしまうのです。理想を追求するあまり、次から次へと指導者や教えを巡り歩き、ジプシーを繰り広げることもあります。そうした探求が、最終的な問題解決につながる可能性もありますが、時には、放浪者と同じように、本質的で見たくない問題から逃れるための言い訳となっている可能性もあります。あくまでも目的は探求ではなく問題解決であることを忘れてはいけません。  
 求道者にとっての課題は、人生に対する自信と信頼の回復、偶然の出会いやヒント、ひらめきを大切にしてないがしろにしないこと、うそを見極める目と論理性、そして行き過ぎた理想主義や完ぺき主義を乗り越えることになります。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑥ステージ3 放浪者

ステージ3 放浪者

 傷ついた子供は、自分を害するさまざまな出来事に傷つきますが、それらの出来事は、未熟な今の在り方を指摘し、より高い成長を促すメッセージでもあり、そのピンチをチャンスとしてとらえ、自らの成長に向けての努力をする必要があります。しかし、多くの場合、今まで慣れ親しんでいたあり方、考え方、習慣、態度を変えたくない気持ちが強く、現状を維持することに固執して、新しいチャレンジをすることを拒否します。
 しかしながら、未熟な現在のありようを続ける限り、痛みを伴う体験=変容を促すメッセージはとめどもなく起こり続けることになり、傷ついた子供は、そうした痛みから逃れるためのあらゆる方法を探ります。
 かくして、傷ついた子供は、放浪者へと変容を遂げることになります。
 放浪者は、恐怖や苦悩から逃れるためのありとあらゆる方法を探していきます。助けてくれる人、機関、知識、科学、宗教、気晴らし、束の間の楽しみ、趣味、悩みを共有して相談できる友人、などなど、痛みや苦しみ、内面の傷の疼きから逃れるためのさまざまな方法を研究しながら見聞を広げ、まともにぶつかりあわずに上手にかわす方法、たとえ投げ飛ばされても上手に受け身をとって怪我をしない方法、ディフェンスの技術を身に着け、次第にたくましくなります。友人と友情をはぐくむ方法や、時には逃げることも大切だということ、困難の中でもリラックスをして楽しめる自分なりの方法などを学びます。
 放浪者が求めることは、困難から逃れること、今の自分の在り方や日常の習慣を維持して変えないこと、執着している何かを失わないことです。不満や問題があることは知っていても、放浪者にとって日常は、これ以上の危険性のないそれなりに安心できる場所であり、居心地の良い領域なのです。また、自分に降りかかった課題に取り組むためには、全く新しい希望と危険が待ち受けている未知の世界に踏み出さなければならないことを知っており、自分がそこでやっていける自信がなく、怖気づいているのです。
 しかし、この世に変わらないものなど存在しません。今の自分の在り方も日常の習慣や生活も、時間の流れとともに変わっていくものであり、成長を促すメッセージは、良いこと悪いことの両面からさまざまな形で次々に訪れて来ます。放浪者は、この変化への呼びかけを拒絶し、変わらないことを選ぼうとしてあがきますが、決してその望みはかなえられることはありません。
 放浪者は、さまよい逃げまどいながらも、明るさを忘れず、束の間ではありながらも楽しさや喜びを求めます。仲間ともに語り合い、気晴らしのゲームを楽しみ、ちょっとした冒険を繰り広げながら、次第に子供っぽさから卒業し大人の流儀を身にまとうようになります。周囲の人たちにとって、放浪者は、痛みを分かち合える気のいいやつであり、助け合える良き友です。苦しみの中にあっても明るさを忘れず、楽しく明るさをもたらし、場を盛り上げてくれる仲間なのです。
 しかし、一方で、放浪者は、そうした狭く小さな世界の中の限定された安定の中から出ようとしません。自分の中に課題があることを知っていながら、その問題を先送りしてばかりで直面しようとしません。問題を乗り越えるための努力をする代わりにそのような野暮な努力を冷笑します。真実に向き合う代わりに嘘をついて誤魔化します。苦しみに直面する代わりに気を紛らわせるための束の間の楽しさに依存します。友情を大切にする一方で気に入らない人や嫉妬を覚える人には関係改善の努力をせずに冷淡に突き放します。間違いを正そうとする代わりに仲間外れになることを恐れて悪行につきあいます。仲間受けを良くするために蛮勇をみせて虚勢をはることはありますが、基本的には失敗を怖がって挑戦をしようとしません。放浪者は、放浪を通してさまざまな知識や技術を磨き、多くのことができるようになりますが、それは、あくまでも限定的なもの、先が見通せて確実に解決ができることが保証されている問題への対処法であり、広い世界の中の不確実な事柄には対処できません。放浪者は、本質的により大きな可能性を持った存在なのであって、そのような狭く限定された力にとどまり続けることはできません。どんなにごまかしても、成長への課題や高い壁は消えることはありません。どんなに打ち消しても、自分の内面で芽生えた理想や夢は打ち消すことはできません。長い目で見た場合には、いつかは心地よい日常、自分にとっての楽園を後にして冒険に出る必要があるのです。
 放浪者にとっての課題は、自分自身の可能性を信じること、執着を手放すこと、夢を持つこと、そして、ちょっとした挑戦をすることと言えます。ただし、大それた挑戦やリスクテイキングは必要ありません。ちょっとした勇気が大切なのです。行ったことのない所に行ってみる、食べたことのない食べ物を食べてみる、着たことのない色の服を着てみる、難しそうな本を読んでみる、正直になってあやまってみる、自分の弱みを言ってみる、相手に愛を伝えてみる、などなど、大きなことをすることに意味があるのではなく、ちょっと勇気が必要なことを丁寧に挑戦し、じっくりと味わってみる、そんな身の丈に合った挑戦が意義ある成長に結びつくことになります。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ⑤ステージ2 傷ついた子供

ステージ2 傷ついた子供

 天真爛漫な自然児ですが、いつまでもそのままのあり方ではいられません。内面に自己中心的で周囲への配慮が欠けたわがままなあり方がある限り、周囲からの指摘や注意、叱責を受けることになります。人との一体感を喜び、無条件で愛し愛されることを期待する自然児は、相手と自分が分離して心理的な距離が生まれたことや叱責されてありのままの自分が否定されたことに驚き、孤独感を感じショックを受けますが、そのような事態を拒否や無視をし続けることもできずに、楽園の在り方から好むと好まざるとにかかわらず放り出されて、自分の欠点を補い、自立への道を歩むことになります。
 こうして、自然児は、この世の暴力、裁き、コントロール、恐怖、恫喝、怒り、悲嘆の洗礼を受けて、傷ついた子供へと変容を遂げることになります。
 傷ついた子供は、やさしくない、思いやりのない、愛のない態度、暴力、嘲笑、差別、酷い扱いを受けることによって、この世の現実を学ぶことになります。自然児が、困難に直面した時に、泣いたり微笑んだりして人を操ろうとするのに対して、傷ついた子供は、その方法にも限界があることや本質的問題解決にならないことを悟り、自立する必要があることを感じて、自立心を養うことができます。また、傷ついた子供は、痛みの体験を通して、自分の内面を反省し、成長につなげていく力を養います。さらに、傷ついた子供は、痛みを知ることを通して、他者の痛みもわかるようになります。痛みをもたらすものに対抗しようとする正義感とともに痛みを持った者への共感を学び、やさしく強くなるのです。
 傷ついた子供が求めるものは、再び心からの安心と安定を感じること、再び楽園に戻ることです。しかし、残念ながら、現実が楽園ではない以上、その望みはかなえられることはありません。どこを探しても楽園はこの世には見つけられないのだという確信、絶対の正義はないのだという気づき、依存ではなく自分で作らなければならないのだという覚悟を得るまでは、希望のない探求が続きます。
 傷ついた子供は、自分で自分の面倒を見ることを通して、人の世話をする力を養い、人の面倒を見ることができるようになります。自分同様に傷ついた弱いものをみると、湧き上がる正義感に基づいて、弱い者たちを守り、よく面倒を見ることがあります。傷ついた子供は、自分よりもっと弱い者たちに対する救済者、やさしい兄、姉なのです。時に、悪や権力に立ち向かい、反撃する反逆者となることもあります。傷ついた子供は、弱い者たちのために立ち上がる勇者でもあるのです。
 しかし、一方で、傷ついた子供は、自分に起こる障害やトラブル、痛みが、起こるべきではなかったことであり、それが起こってしまったことによって自分は被害を受けた被害者であると認識しています。悪いのは自分ではなく相手や出来事の方で、変えるべきは自分ではなく相手であると考えるのです。それは、多くの場合傷つきなくないという思いから、または、自分が正しいと言う先入観からやってくる誤解であって、真実ではありません。しかし、一旦出来上がった被害者意識の考え方、自己憐憫、ゆがんだ自己イメージの枠組みは、その後の人生にも長期にわたって影響を与えることになります。
 こうした考えは、ヒーローズジャーニーの視点から見ると、必ずしも妥当とは言えません。どのような英雄譚であっても、苦労や痛みのないものはありません。この世で生きる限りは、どのような人であっても困難や痛み、苦悩はつきものなのだということを意味するのだろうと思います。ですから、体験する困難は、起こるべきではなかった不運な事故なのではなく、成長のための必然だったとも考えられることができます。たとえ耐えられない苦痛であっても、起こった出来事には必ず前向きな意義が隠されている。だから、そこからの教訓や気づき、学びを得て、成長につなげることが大切なのだと言えるのです。
 また、傷ついた子供は、不快な出来事、嫌味で嫌いな人たち、苦悩や困難に出会うと、不平や不満がたくさん沸き起こってきて、時には人に愚痴をこぼしたり、反撃に出たり、落ち込んだりします。まれに、度が外れた危険な暴力に打って出たり、自傷行為など極めて危険な行為に及ぶ場合もあります。そうした態度は行動は、被害者意識や正義感から起こるものではありますが、そのような正義感は、多くの場合、自分勝手な狭い了見で解釈された誤解や思い込みであり、自分は正しく妥当だと思っても、他者の共感や賛同を得られることはなく、トラブルを引き起こす原因となります。
 また、ヒーローズジャーニーの視点からも、いつまでもそのような態度でいることは慎んだ方がよいということになります。なぜならば、不平不満、愚痴ばかりを言うだけで一生を費やす英雄の人生など存在しないからです。何につけ、人のせいにして文句ばかり言っているのでは、成長することはできません。人は、無意識でいると、自分で気は気づかないうちに自己防衛機構が働き、自分を顧みずに自分は正しくて相手が間違えている悪であると決めつけて文句を言いがちになりますが、それは自己防衛プログラムの自動反応のなせる業であって、決して真実ではないし自分らしい本来の在り方ではありません。自分らしく楽しく幸せな生き方を志すならば、起こる出来事を良くも悪くも受け止めること、どんなことが人生の中で起こっても、それは起こるべくして起こったことと歓迎し、受け止めることが大切なのだと言えます。
 傷ついた子供が、最も恐れることは、虐待されることと搾取されることです。そして、そうした自分では解決が難しい事態や困難に出会った時に対処する方法は、他者に助けを求めること、もしくは、相手に追従することです。誰かにこの窮地を救ってくれるように助けを求めるか、虐待者に対してその要求に追従することによって難を逃れようとします。しかし、助けを求めるにしても自分の窮地や弱みを正直に語る勇気が無ければ難しいし、虐待者の要望に答えたからと言って難を逃れられるとは限りません。もっと酷い要求を突き付けてくる可能性だってあるのです。そこで必要なことは、追従するのではなく勇気をもって断ることなのだと言えましょう。
 傷ついた子供にとっての課題は、困難を受け入れること、自分の弱さを受け入れること、謙虚であること、心を開いて自分の弱みを正直に告白する勇気を持つこと、そして、虐待に対してNoと言える力を養うことです。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ④ステージ1 自然児

ステージ1 自然児

 自然の恵みと家族の庇護、世話を受けながら生きる純粋無垢で素朴な子供です。まさにダイヤモンドの原石であり、途方もない可能性に満ちています。
 自然児は、周囲の思いやり、配慮や庇護、世話を受けることによって、自己信頼や他者への信頼の気持ち、愛し、愛される方法。そして楽観性を育むことができます。
 自然児が求めるものは、安全であり続けること、安心であり続けることです。自然児は、弱く傷つきやすい存在であり、生きていくためには周囲の庇護や面倒、配慮が必要なのです。自然児は自分がそうした弱さを持つ特別な存在なので、周囲から面倒を見られ庇護を受けることが当然であると認識しており、周囲の配慮が自分の期待よりも低かった場合は、見捨てられる不安や被害者意識が惹起されて、火が付いたように泣き、怒ります。親の庇護や恵まれた環境が、いかに特別なもので、楽園であり、ありがたく感謝すべきものであるのかがまだ分かっていないのです。
 自然児は、純真な心と、元気いっぱいであふれんばかりの生命力に満ちており、とても魅力的です。相手に対して無条件の関心と愛でかかわり、相手の言うことを一生懸命に聴いて吸収し、自分のものとしていきます。周囲の人たちは、そうした自然児の天性の明るさや無条件の愛に癒され、元気を取り戻します。自然児は、その存在そのものが太陽なのです。
 しかし、一方で、自然児は、自分は特別な存在で、無条件に愛されること、庇護や配慮や面倒を見てもらうことは当たり前で、いつまでも満たされるべきものであるという自分中心の極めて利己的な枠組みを持っており、時に、わがままで、周囲への配慮に欠けるところもあります。
 また、痛みや困難、悪意、人生の苦労については、その存在を知らないか、または体験しても起こるべきことではないと考えており、それを拒否するか、無視しがちです。「闇なんか存在しない」「この世には良い人しかいない」「闇があっても私には関係ない」と考えています。
 自然児が最も恐れることは、見捨てられることです。自分には力が無いと思い込んでいる自然児にとって、見捨てられることはすなわち死を意味します。ですので、それを避けるために、泣き、怒り、時に笑顔や甘えで相手に関心を向けてもらい、面倒を見てもらえる方法を学びます。
 自然児にとっての課題は、依存からの脱却と感謝の心です。一つ目には、他者や周囲に期待するのではなく、自分で自分の面倒を見れるように自立する力を身につけること。そして、二つ目には、自分の面倒を見てくれる周囲の愛や配慮を、当然のことと思うのではなく、そこには相手の努力と犠牲があることを理解し、感謝することが必要です。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス

 ヒーローズジャーニーは、神々の神話のエッセンスをまとめたものですが、この英雄譚は、人の生き方の参考にもなります。過酷な世界の中で生を受け、困難に立ち向かいながら生きる人の生き方も、また英雄の生き方ととてもよく似ているからです。ここでは、ヒーローズジャーニーの考え方をもとにして、それを人の人生にあてはめた場合の生き方を探求していきましょう。ここでは、ヒーローズジャーニーの考え方をもとにして、人が変容し、成長していくプロセスを独自に12のステージに編成しなおして解説しています。

ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
ステージ キャラクター 概要
ステージ1 自然児 人の闇の側面(痛み、悪意など)の存在を知らないか拒否、無視する
ステージ2 傷ついた子供 人生の困難の犠牲者となる
ステージ3 放浪者 困難や痛みから逃げまどい、すべき課題を先延ばしにする
ステージ4 求道者 困難の突破口を探し求め、可能性と出会う
ステージ5 戦士 可能性を求めて慣れ親しんだ日常から抜け出す覚悟を決める
ステージ6 達人 成功の保証がない不確実で危険な課題でも成功に導く
ステージ7 魔法使い 今までにはない自分独自の全く新しい方法を編み出す
ステージ8 変革者 不可能を可能にする
ステージ9 勇者 最大の試練を乗り越え、宝を得る
ステージ10 覇王 宝の新しい可能性を巡って新しい体制を作る
ステージ11 仙人 さまざまなしがらみから解放されて自由となり、本来の自分になる
ステージ12 賢者 自分が学んだことを後輩へと伝えていく

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ②ヒーローズジャーニー

 本シリーズでは、新刊“To be a Hero”の一部の内容をご紹介しています。今回の投稿は、第4章「勇者への冒険」の第1節「ヒーローズジャーニーの理論」です。

<以下、電子(Kindle)書籍“To be a Hero”一第4章「勇者への冒険」第1節「ヒーローズジャーニーの理論」より抜粋>

 アメリカの哲学者ジョセフ・キャンベル(1904 – 1987)は、ネイティブ・インデアンの神話を皮切りとして、幼少期から世界中の神話に興味を持ち、読破していきました。世界中の多くの神話を研究した結果、どの神話にも共通する一連のパターンがあることに気づきました。場所も時代も異なる無数のバリエーションがある神話の中で、いくつかの共通する同じストーリーの英雄伝説が繰り返し語られていることに気づいたのです。キャンベルは、その共通する一連のテーマや流れを『ヒーローズジャーニー(英雄の旅)』と名づけました。
 このヒーローズジャーニーの考え方は、その後、多くの文化面に影響を与えることになります。ジョージルーカス監督が、「スターウォーズ」を製作する際に、このヒーローズジャーニーを活用したことは有名な事実です。現代ではスターウォーズだけではなく、多くの物語、映画が、この理論に影響を受けていると言われています。
 また、ヒーローズジャーニーの考え方は、文化面のみならず、心理学やキャリア教育にも活用されるようになりました。神々が勇気をもって未知の世界に挑戦し、多くの試練を経て成長していく姿は、人が苦悩を乗り越えてたくましく生きる人生ととてもよく似ており、人のキャリアや人生のひな形にもなると考えられています。この困難が多い世界の中で生きる生き方の指針と考えると、とても参考になることが多いと考えられているのです。現在では、心理学やキャリア教育においても、このヒーローズジャーニーは、人の人生を肯定的に前向きにに考えていくための有効なツールとして、多くの場で活用されるようになってきています。
 本章では、このヒーローズジャーニーの理論を紹介していきたいと思います。ヒーローズジャーニーの考え方を参考にしながら、自分らしくたくましく幸せに生きる生き方を探求していきましょう。

1.ヒーローズジャーニーの理論

 ヒーローズジャーニーの創作者であるキャンベル博士は、「千の顔を持つ英雄(上下)」(人文書院)において、その理論を展開しています。千の顔を持つ英雄の中では、神々が日常から旅立ち、試練を経てに故郷に戻ってくるプロセスを17のステップで整理しています。その後、ハリウッドの脚本家、ストーリー開発の一人者と言われるクリストファー・ボグラーが「神話の法則」(ストーリアーツ&サイエンス研究所)を出版し、より簡素で分かりやすい12のステップの流れを発表しました。ここでは、ボグラーのヒーローズジャーニーの理論をご紹介していきましょう。

 

①ヒーローズジャーニーの全体像

 ボグラーの「神話の法則」で紹介されているヒーローズジャーニーの全体像、一覧は、以下の通りです。

ヒーローズジャーニーの全体像
ステージ
第一幕
出立、離別
(英雄の決断)
ステージ1 日常の世界
ステージ2 冒険への誘い
ステージ3 冒険への拒絶
ステージ4 賢者との出会い
ステージ5 第一関門突破
第二幕
試練、通過儀礼
(英雄の行動)
ステージ6 試練、仲間、敵対者
ステージ7 最も危険な場所への接近
ステージ8 最大の試練
ステージ9 報酬
第三幕
帰還
(行動の結果)
ステージ10 帰路
ステージ11 復活
ステージ12 宝をもって帰還

 ヒーローズジャーニーでは、数々の神話には、以上のような共通するテーマや流れがあると考えられています。
 日常で普通に暮らしていた英雄は、旅に出る意志を固め、二度と戻れない旅に出ます(第一幕 出立、離別)。
 故郷を後にした英雄は、仲間と出会い、敵と戦うなど、数々の試練を通して成長し、最大の試練で勝利を得ます(第二幕 試練、通過儀礼)。
 そして、故郷に帰還し、故郷に宝を持ち帰る(第三幕 帰還)のです。
 以上の大きな流れの中で展開される12のステージに関して、以下、その詳細を解説していきましょう。

 

②ヒーローズジャーニーの12のステージ

ステージ1 日常の世界

 旅立つ前のヒーローの日常です。しばしば、日常のヒーローは、問題の多い環境の中で、欠乏や困難の中で苦労している欠点の多いキャラクターとして描かれます。

 

ステージ2 冒険への誘い

 助けを求められる、ひらめく、天命を受ける、事故にあう、投獄される、などなど、良くも悪くも、外的もしくは内的な出来事によって、日常の習慣のままではいられない立場に追いやられてしまいます。それらの出来事は、今までのやり方や知識、現在のリソースでは解決することができません。ヒーローは、何らかの形で、全く新しい挑戦を試みなければならなくなるのです。

 

ステージ3 冒険への拒絶

 全く新しい冒険に出る必要性に迫られたヒーローですが、ヒーローの周囲の人たちは、そうした必要は全く感じていません。むしろ、ヒーローの気づきや危機意識は、突飛であり、笑いものの対象となります。周囲の人の価値観とヒーローの価値観に解離が起こるのです。ヒーローは、自分の気づきの方が間違えているかもしれないと感じ、周りの人から嘲笑されたり非難されることを恐れ、または、それなりに安定している日常の生活を失うことを恐れ、または、未知なる冒険に不安を感じ、一歩踏み出すことを躊躇します。このままではいけないという必要性は理解しながらも、だからと言ってそこまでのリスクを背負うことが正しいのかどうかを迷うのです。

 

ステージ4 賢者

 新しい旅に出ることをためらうヒーローに、助言をし、さまざまな準備を整えさせて、旅に出る勇気を与えてくれる賢者が現れます。賢者は、神、師匠、親、などの人として現れる場合もあれば、強力な武器、剣、魔法の道具、本、知識、等の形で現れる場合もあります。ヒーローは、そうした助けを得て、自分の気づきへの信頼を回復し、人の言うことではなく自分が受け止めた使命、危機意識、希望と夢、価値を選ぶ決断をし、腹を決めます。
 賢者は、いつもヒーローにとってやさしく慈悲深い存在として現れるとは限りません。時には、自分が気づいた脅威によって身内が傷つけられたり、大きな事故が起こったりなど、ネガティブな事件がその役割を果たすこともあります。時に、ヒーローは、そうしたショックを通して、自分の気づきや危機感が、周囲の人たちの言うような勘違いではなく、間違いない真実であることを確信し、迷いを断ち、冒険に出る覚悟を決めるのです。

 

ステージ5 第一関門突破

 旅に出る覚悟を決めたヒーローが、現在のなじみのある日常を捨てて、新しい未知な世界に入ろうとする時に、第一関門となる障害が出現します。異なる世界をつなぐゲートには、必ず難攻不落の門と門番がいるのです。ヒーローは、戦ったり、取引をしたり、出し抜いたりして、なんとか関門を突破し、全く未知なる新しい世界に一歩足を踏み出すことになります。関門の守護者は、ヒーローの障害にはなりますが、悪人ではなく、必ずしも乱暴に戦い、倒さなければならない存在というわけではありません。むしろ、やり方によっては、協力者、味方になってくれて、後々助けてくれる可能性もあるのです。ヒーローは、上手にこれを乗り越えるための器量が問われることになります。

 

ステージ6 試練、仲間、敵対者

 旅に出たヒーローが入り込んだ世界は、多くの場合、故郷の日常の在り方とはかけ離れた世界であり、常識の通用しない全く新しい可能性、または思いもよらない危険に満ちた世界となります。ヒーローは、そのような世界を手探りで探求し、非日常の特別な世界のルールを学び、謎を解き、なじんでいくことになります。旅の途中で、さまざまな試練に出くわしながら、新たな協力者を得たり、敵対者と戦うことを通して旅に必要な友情や信頼を育むスキル、体力や格闘の能力、問題解決のスキルを磨いていきます。

 

ステージ7 最も危険な場所への接近

 ヒーローは、旅のプロセスで、問題の本質を次第に見抜き、その問題を作り上げている最も強く恐ろしい怪物の正体をつきとめたり、根本的に問題を解決するための道具や方法=宝のありかを見出します。敵の親玉の怪物の住む場所や、 宝の隠されている場所は、特別な世界の中でも最も危険な場所です。そこは、ドラゴンの住む恐ろしい洞窟であり、魔王が支配する地獄であり、出口の見えない迷宮です。いわゆる死の土地であり、一歩踏み込めば、命の保証がない、とても危険な場所なのです。
 ヒーローは、それを恐れ、時にそこから来る使者に傷つけられ、逃げまどいながらも、仲間を見つけ、ともに戦い、戦いながらそれの正体と弱点を学び、獲得した知識や力、スキルとともに、その難関に挑戦することになります。作戦を立て、計画を練り、武器と防具をそろえて準備を整え、その最も危険な死地に赴きます。

 

ステージ8 最大の試練

 ヒーローは、最も危険な場所で奈落の底に落とされ、最大の恐怖と向き合い、死の淵を垣間見ることになります。最大の恐怖は、ドラゴンのような外的な存在の場合もあれば、自分の内面に封じ込めて直面することを避けていた傷のような内面の存在の場合もあります。
 この「最大の試練」のステップは、死と再生の通過儀礼でもあります。ヒーローは、最大の敵に攻撃されて、傷つき、倒れ、一度死ぬか、死んだようになります。ヒーローにとって最悪な瞬間、陰鬱とした絶望、最も危ない緊迫した時間となります。しかし、ヒーローは、その絶望の果て、奈落の底で、ドラゴンとは自分の恐怖であることを直覚し、それは幻想であることを見極め、勇気を取り戻して立ち上がり復活します。そして、生まれ変わり、成長した自分になって、敵に打ち勝つのです。
 こうした最悪の試練に出会うことは、ヒーローの宿命でもあります。ドラゴンがいないヒーロー伝説は存在しません。ヒーローは、七難八苦、癒しようがない悲しみ、痛み、憎悪、救いようのない絶望、乗り越えられない壁に出会うことは運命なのです。
 ヒーローは、そうした試練の中で、刃折れ矢尽き、友と離ればなれとなり、力を失います。彼は孤独であり、望みはなく、暗く惨めであり、もはや誰にもこんな自分を見られたく無いと絶望の中で膝を抱えます。
 しかし、夜明け前こそが一番暗いことを決して忘れません。一番苦痛に満ちている瞬間が、一番の幸福への始まりの瞬間であること知っているのです。神は乗り越えられない試練は与えないという真実を信じており、絶望の極みで勇気を奮い立たせて立ち上がります。自分の中にまどろんでいる力、今まではその存在を知らず、気づかず、期待もしていなかった驚くべき可能性に気づき、新しい自分に目覚めるのは、そのような時です。
 そうしてヒーローは、奈落の底で目覚め、再生し、新しい力をまとった新しい自分として反撃に出るのです。

 

ステージ9 報酬

 生死をかけた危機を乗り越え、最大の敵に勝利したヒーローは、探し求め続けていた宝物を手に入れます。宝物は、魔法の剣や霊薬のような物質的なものである場合もあるし、助け出すことができた人との愛と友情などの関係性である場合もあるし、名誉や平和、悟りなど精神的、象徴的なものである場合もあります。
 ヒーローは、愛する者たちのために危険を承知で死地に赴き、最大の障害をのりこえ、勝利を手にすることによって、英雄の称号を得ます。本来の自分の可能性や潜在性が解放されて新しいステージの自分となり、より魅力に富んだ輝かしい存在へと変容を遂げることになるのです。

 

ステージ10 帰路

 最大の試練に勝利を得たヒーローは、宝物を故郷に持ち帰るために、日常の世界に戻ることを決意します。しかし、その帰路は、多くの場合、スムーズではありません。敵の残党が宝物の奪還を目指して追って来るかもしれませんし、最後の死力を振り絞って復讐の戦いを挑んでくるかもしれません。特別な世界の秘密を日常の世界に持ち出すことを快く思わない存在から帰還を邪魔されるかもしれません。日常の世界に行くことができないヒーローの仲間、契約者が、反乱を起こすかもしれませんし、得た宝物を奪おうとする新たな敵が追ってくるかもしれません。
 多くの場合は、帰還の際に、そうした追う者たちから逃れようとする追走劇が展開されていくことになります。追いつ追われつのレースの中で、ヒーローは、学んだ魔法や武器で追跡者を撃退します。時に窮地に追い込まれると、特別な世界で手に入れたものを、追って来る者たちに目くらましとして投げつけでることで、少しずつ身軽になっていきます。特別な世界と日常の世界を分ける境界を潜り抜けるための準備をしていくのです。

 

ステージ11 復活

 追跡者をかわすことができたヒーローは、特異な世界と日常の世界を分ける関門をくぐり、日常の世界へと帰還します。その際、ヒーローは、特異な世界でつけてしまった垢、汚れ、穢れを落とし、浄化されて新しい存在に生まれ変わることになります。
 多くの場合、このみそぎと復活のプロセスは、最大の試練に次ぐ第二の試練ともなります。ヒーローとしての徳性、学びを得られていない場合は、境界を守る門番が、その関門を通ることを許してはくれません。宝物を日常の世界に持ち込む事と引き換えにヒーローの大切なもの、時には命を求められるかもしれません。また、ヒーローが特異の世界になじみすぎてしまい、日常の世界に戻ることを嫌がる可能性もあります。また、ヒーローが手にすることができた宝物の価値を日常の世界の人たちが理解できずに無視するか、もっと悪いことに悪用するかもしれなく、その危険性の方が高いと絶望してしまうかもしれません。さらに、日常の世界の権威が、ヒーローが持ち帰る宝物をほしがって奪いに来るかもしれませんし、逆にその力を警戒して、宝物を破壊、もしくは日常世界で活用ことをあらゆる手を尽くして阻止するかもしれません。それらの試練は、ヒーローが本当に教訓を学び取って成長し、英雄としての資格を得ることができたのかどうかのテストであり、失敗すれば、すなわち日常の世界にとっての死を迎えることになります。
 ヒーローは、こうした試練に対して、冒険で学び獲得した能力と武器によって乗り越えることができます。その勝利は劇的であり、冒険に旅立つ前は勝てなかった相手、圧倒的な力の差から屈服せざるを得なかった敵であっても、成長した勇者として立ち向かい、見事に勝利をおさめます。こうして、ヒーローは、全ての困難を克服して、真の勇者となって、日常世界に生まれ変わることになるのです。

 

ステージ12 宝をもって帰還

 冒険を終えてヒーローは、故郷に戻ってきます。その際、ヒーローは、冒険を通して得ることができた宝物や教訓を持ち帰ります。ヒーローが持ち帰った宝物は、癒しの力を持った魔法の薬、荒廃した土地をよみがえらせる聖杯、王国の復活、友情、支配からの解放、世界に役立つ知識、世界を変える叡智、などさまざまな可能性があります。ヒーローを迎える故郷は、ヒーローが持ち帰る宝物によって、より良いコミュニティとなり、喜びと健康と平和を手にすることができるのです。こうして、ヒーローの一つの冒険が幕を閉じることになります。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

新刊“To be a Hero”の内容紹介 ①おわりに

 最近kindleより発表した新刊“To be a Hero”の内容を、何回かのシリーズで、部分的にご紹介したいと思います。

 まずは、最後のご挨拶、メッセージから。

・・・・・・・・・・・以下、“To be a Hero” おわりにより・・・・・・・・・・・
 以上を持ちまして、“To ba a Hero ~自分を生きる勇者となる~”を終了します。

 この本にここまで付き合ってくださった読者の皆さんに、心から感謝を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

 本シリーズでも書きましたが、実は、私は、子供時代から若いころにかけて、自分を好きになれずに、前向きになれずに、何かと生きづらさを感じていました。私と同様に、生きづらさを感じている人は多いのではないでしょうか。
 実際に、この地球上で生きることは、決して楽なことではないと思います。世界には、戦争や暴力がはびこり、経済は不安定で貧困や餓死が存在しています。うそや陰謀、権力の不条理がまかり通り、悲しみや憎悪や悪意がそこかしこに見受けられます。人生の中には、絶えず心配事があり、想定しないトラブルがやってきて、困難や苦しみに放り込まれ、誰も助けてくれません。確かに、この世には、地獄の側面が存在しています。
 しかし、だからと言って絶望して肩を落として生きなければならないというわけではありません。恐怖や痛みに支配されて人生を棒に振る必要もありません。私たちには可能性があるのです。

 天国で天使たちにかこまれて、天使として生きるのは簡単です。誰でも苦労なくできるでしょう。しかし、地獄の中で、天使として生きるのは容易ではありません。朱に交われば赤くなるのことわざの通り、邪悪に囲まれて生きれば邪悪の影響を受けてしまうのは必至です。しかし、地獄にあっても自分の中の良心を信じて悪を選ばず、悪鬼たちの脅迫に屈することなく、恐怖にこうべをたれることなく勇気をもって立ち向かい、思いやりと愛、光をもって生きる生き方も存在します。それは、いばらの道であり、周囲の誰にもほめられない、むしろ嘲笑され、裏切者扱いされる可能性がある危険な道です。勇者は、その困難に立ち向かう人であり、誰にもできない難しさがあるからこそ輝かしくかっこいいのだと思います。
 きっとそうした勇者は、この世界に人知れずたくさんいるのだろうと思います。周囲の冷淡さに迎合せずに、思いやりとやさしさを忘れない人、周囲の不平不満の輪に入らずに感謝を忘れない人、小さく弱いものたちにやさしく語りかける人、見て見ぬふりをしないで不正を指摘する人、自分の失敗を誤魔化さずに正直に語る人、家族を愛し大切にする人、道路を掃除して街を清める人、人知れず世界の平和を祈る人、飢えに苦しんでいる人にやさしくパンを差し出す人、そうした人たちは、全て勇者であり、きっと勇者こそが今の地球を救っているのだと思います。

 いま、地球は、黙示録の真っただ中にあります。環境問題、温暖化、飢餓と疫病、世界経済の不安定、テロと戦争と核兵器など、深刻な問題に直面しています。末法の世でもあり、最も仏の教えから遠のいている時代でもあるように思えます。だからこそ、恐怖の持つ力は強大で、その力に屈服してしまった恐怖の代理人たちも数多く存在しています。
 いま、地球では、その存亡をかけた壮大な綱引きが行われているのだろうと思います。引きずり落そうとする勢力と、何とか救い上げようとする勢力が力いっぱい引き合い、拮抗状態にあるのだと思います。現状で動きが無いように見えても、背景にはすさまじい力が渦巻いているのです。
 相反する強い力が均衡状態にある状況下では、ちょっとした力の変化が、重大な変化をもたらします。問題の大きさと個人の力の小ささに絶望してあきらめてしまい、一人でも綱を引っ張ることを止めてしまったら、均衡が崩れてアッと言う間に引きずり落されてしまうかもしれません。
 逆に、粘り強く、一生懸命にがんばる勇者たちに勇気づけられて、一人、二人と仲間が増えるかもしれません。張り詰めたコップの水をこぼすためには、たった一滴の水で十分です。今のような張り詰めた時代には、一人一人の力は偉大です。たった一人の力で地球を救えるかもしれません。

 いま、地球は暗く、問題のとてつもない大きさと深刻さにめまいがする思いになると同時に、個人の無力さに暗澹たる気持ちになりますが、だからと言って、決してあきらめたり絶望してはいけません。
 闇がどんなに深くて強大だとしても、光に勝る闇はありません。光は闇に勝利するのが定めです。しかし、闇の中で光の存在を信じることは容易ではありません。光を信じるということは闇を敵に回すということであり、とてつもない危険が待ち受けているということでもあります。光のサイドに立って、闇の強大さに立ち向かうには、一世一代の勇気が必要であり、その困難な挑戦に踏み出せる人は、そう多くはありません。

 その数少ない中の一人は、あなたです。

 あなたがこの文章に目を通していることは、偶然ではありません。あなたには、このような時代に生まれ、立派に生きて地球に何らかの貢献するという使命があります。
 あなたは、まさに地球を救う一人の勇者なのです。

 被害者意識に甘えて、強い分離感に身を任せてはいけません。勝つべきものは、相手ではなく、自分自身なのです。
 道ができることを待っていてはいけません。あなたが道をひらくのです。
 導く人がいないことを言い訳にしてはいけません。だからこそあなたの出番なのです。
 準備が整ってないと先送りにしてはいけません。そこに行くからこそ奇跡が起こるのです。
 誰かの許可を得る必要などありません。あなた自身を権威として進むのです。
 皆がそうだからと言って、絶望に身を染めてはいけません。注意深く生き残って一隅を照らす光となるのです。

 あなたには、泥沼に落ちようとしている仲間を救い出す責任がああります。
 知っているなら、あきらめても手を緩めてもいけません。真に仲間を守る戦士になるのです。

 あなたは、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。あなたは勇者です。
 背伸びして勇者になるわけではありません、あなたはもともと勇者だったのです。
 あまりに厚い雲に遮られて勇者だったことを忘れてしまったのであって、今本当の自分を思い出したのです。
 自分の力と責任の大きさに怖気づかないでください。あなたの勇者としての可能性を信じてください。
 注目が集まることに尻込みしないでください。あなた自身の魅力とパワーを信じてください。
 立ちふさがる壁の高さにひるまないでください。それがどんなに苦しい困難であってもあなたに乗り越える力ができたからこそやってきた教材なのです。

 夜明け前が、最も暗いことを忘れてはいけません。
 今がつらく、苦しいとしたら、それは、単に夜明け前だということなのです。
 人の苦しみや思いとは無関係に、天の計らいは淡々と進行します。
 日は沈み、そしてまた昇ります。

 明けない夜は、ありません。
 もし今が、とても悲しく、苦しく、希望がなく、憎悪の極みだとしたならば、
 それは、闇の終わりだということ。
 夜明けが近いということです。

 だから決してやけになってはいけません。
 あなたなら大丈夫。あなたならできる。
 あなたは今思っているほどちっぽけな存在ではありません。
 あなたには、想像をはるかに超える途方もない潜在性と可能性がまどろんでいる。

 自分を信じてこうべを上げ、肩の力を抜いて大志に向けて一歩踏み出しましょう。
 そう、夜明けは近い。
 奇跡は必ず起こります。
 なぜならば、あなたは、もともと勇者なのですから。

新刊“To be a Hero”の内容紹介】
①おわりに
②ヒーローズジャーニー
③ヒーローズジャーニーをもとにした人の成長プロセス
④ステージ1 自然児
⑤ステージ2 傷ついた子供
⑥ステージ3 放浪者
⑦ステージ4 求道者
⑧ステージ5 戦士
⑨ステージ6 達人
⑩ステージ7 魔法使い
⑪ステージ8 変革者
⑫ステージ9 勇者
⑫ステージ10 覇王
⑬ステージ11 仙人
⑭ステージ12 賢者
⑮ヒーローズジャーニーの教え

 

 

現代社会の基盤となっている思想の検討  ⑥人と社会の大きな可能性

人には、他者と共感し、一体感を感じることができる能力があります。その力は、他者とは他人であるという強い分離感があるときには潜在化してしまい、機能不全となりますが、凝り固まった分離感の思い込みから自由になり、肩の力を抜いて、素直に他者と向き合おうとしたときに自然に発動します。

・サッカー場で応援する人たちの一体感。
・コンサートホールで共に歌い、ともに踊り、共に楽しむことによって増幅される感動。
・教会で結婚する二人をみんなで応援しようとするときの聖なる祝福の瞬間。
・愛し合う2人の間で起こる言葉の必要ない相互理解。

そのような状態の中では、人は他者をもはやどうでもよい他人とは思えません。他者の痛みは、自分の痛みであり、他者の喜びは自分の喜びとなる。他者がほほ笑むと、私も微笑み、他者が悲しみで涙を流す時には、自分の胸も悲しみが満ちて涙が流れる。他者が苦しんでいた時には、見返りがほしくて助けるのではなく、他者の苦しみが自分でも体験できるから手を差し伸べざるを得ない。

こうした共感の能力は、人間の新しい可能性と言えます。それらの体験は、日常的ではないかもしれませんが、決して不自然ではありません。

もしも、すべての人が、自分と他人とが違う人ではなく、本当に体験や感情を分かち合える同士であることを直覚したならば、強いリアリティと喜びの中で、すべての人や世界と一体感を感じながら生きることができたとしたならば、世界は、一瞬で途方もない変容を遂げることでしょう。

そのような世界の中では、他人と感情や考えを深いレベルで共有できるので、うそや詐欺、犯罪や搾取、独裁や支配、自然破壊や戦争は、もはや不可能となります。

人の新しい可能性、大いなる夢、わくわくする未来を感じることができます。
現代の目を覆いたくなる悲惨な現実とは全く異なる可能性ですが、決して不可能な未来ではありません。

分離感とういう幻想に迷い込んだら見えなくなる境地があります。分離感の幻惑を見極めて、素直になれたとき、その時にこそ、人の本来の偉大なるあり方が開花するのかもしれません。それこそが、人と人の社会の新しい可能性なのではないでしょうか。

私は、そうした未来を信じてみたい。

確かに現代社会は、疫病、戦争、貧困、悲しみに満ちた社会ではありますが、天国の中で天使として生きることは簡単で、誰でもできることでしょう。しかし、困難や障害、痛みや苦悩がある中で、絶望せずに天使として生きることは容易ではありません。だからこそ、そういう生き方がかっこいいのだと思います。

私は、そうしたかっこいい大人として、新しい未来に向けて少しでも進んでいきたい。

みなさんも、そうしたかっこいい大人になりませんか。皆さんの本質は、獣ではありません。ですから獣の掟は皆さんの生き方ではありません。皆さんの本質は、自分で気づいているほどちっぽけな存在ではありません。皆さんには、想像をはるかに超える潜在性、無限の可能性がまどろんでいる。まさに、皆さんの本質は、気高い勇者なのです。自分らしく気高い勇者として、ともに未来をに向けて力強くたくましく生きようではありませんか。

 

<現代社会の基盤となっている思想の検討 シリーズ記事>

戦いの哲学の検討

弱肉強食の検討

適者生存の検討

曲解された思想の強大な影響

自然界の本当の姿

人と社会の大きな可能性

現代社会の基盤となっている思想の検討 ⑤自然界の本当の姿

動物学者フランス・ドゥ・バール氏は、動物たちが自然に持っている社会性を研究しています。この節では、以下、ドゥ・バール博士が目撃した動物たちの共感の力・徳性が発揮された事例をご紹介しましょう。
<以下、「共感の時代」フランス・ドゥ・バール著(紀伊国屋書店出版)より引用>

・たとえば、二匹のサルに同じ課題をやらせる実験で、報酬に大きな差をつけると、待遇の悪いほうのサルは課題をすることをきっぱりと拒む。・・・どんなに少ない報酬でも、もらえないよりはましなので、猿も人間も利潤原理に厳密に従うわけではないことが分かる。(サルの不公正を嫌う性格について)

・野生の馬やジャコウウシは、オオカミに襲われると、幼い者たちの周りをぐるっと囲んで守ってやる。

・アルゼンチンのブエノスアイレスでは、あるメス犬が、捨てられた人間の男の子を自分の子たちと一緒に世話をして救って有名になった。オオカミに育てられたという双子、・・・このような異種間の養子関係は、動物園ではよく知られている。ある動物園のベンガルトラのメスは、豚の子供たちを引き取って育てたという。母性本能は、驚くほど寛大なのだ。

・人間や動物は、利己的な理由からしか助けあわないということにはならない。・・・たとえば、人間が見知らぬ人を救うためにレールの上に身を投げ出したり、犬が子供とガラガラヘビの間に飛び込んで重傷を負ったり、サメが出没する海域で泳ぐ人の周りをイルカが囲んで守ったりする。

・猫のオスカーは、・・・老人用診療所で、毎日アルツハイマー病やパーキンソン病などの患者のために回診する・・・オスカーは、部屋から部屋へと回りながら、患者を一人一人注意深く観察し、その匂いを嗅ぐ。誰かがもうすぐなくなると判断すると、その傍らで身を丸め、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、そっと鼻を押し付ける。そして、患者が息を引き取ると、ようやく部屋を後にする。オスカーの見立ては正確そのものなので、病院のスタッフにすっかり頼りにされている。・・・彼が患者の脇で番を始めると、看護師はすぐに家族に電話をかけ、家族は・・・急いで病院に駆けつける。オスカーはこうして25人以上の死を予測してきた。・・・スタッフは、彼が救いの手を差し伸べているのだと解釈している。

・私(動物学者コーツ博士)が泣きまねをして、目を閉じ涙を流すふりをすると、ヨニ(チンパンジー)は、自分のしている遊びなどの活動を直ちにやめ、興奮して毛を逆立てながら、急いでかけてくる。家の屋根や織りの天井といった、家の中でも特に離れていて、しつこく読んだり頼んだりしても降りてこさせられなかったような場所からやってくるのだ。・・・私の周りをせわしなく走る。私の顔をじっと見て、一方の手のひらで優しく私の顎を包み、指で顔にそっと触れるのは、何が起きているのかを理解しているかのようだ。・・・・私がいかにも悲しそうに、絶望したように泣くほど、ヨニはますます同情を示す。・・・ヨニは、(両手で目を覆う)その手を取りのけようとし、彼女の顔に向けて唇を突き出して、じっと見入り、かすかに唸り、鼻を鳴らす。

・ラブラドール・レトリバーのマーリー・・・ジョン・グローガンの『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』に出てくる暴れん坊でお騒がせの札付き犬だが、グローガンの妻ジェニーが、流産したのがわかって泣いていたときは、頭を彼女のおなかにぴったりと押し付けて、微動もせずに立っていた。

・子供をライオンにさらわれたバッファローが、ライオンを攻撃して助ける

・水路に落ちた猫を犬が体を張って助ける

・ライオンに捕まった小象を種が異なるバッファローが助ける

事例にもある通り、動物には、生来の正義感、思いやり、自己犠牲もいとわない気高さ、勇気、共感の力を持っています。本能的に生きる動物でさえこうした社会性を持っているのですから、社会性において群を抜いて進化している人間存在の場合は、もっともっと豊かな関係性、信頼、平和で幸せな社会を作れる潜在性があるはずです。こうした事例から見ると、前述の戦いの哲学は、必ずしも真実とは言えません。

・弱い者は、滅びるままにすべき
・強いものが弱いものを犠牲にして成長することが正義
・思いやりや愛は、不自然であり、間抜けな人の特徴
などの考え方は、断じて自然界の法則ではなありません。

しかし、一部の学者、企業家、政治家たちが語り、もっともらしく理論化されてきたそれらの考え方は、広く報道され、教育され、私たちの頭に深く沁みとおり、悪く言えば洗脳され、私たちの人生哲学の一部となってしまっているところがあるのではないでしょうか。
しかし、これらの考えは、権力者にとって都合のよい詭弁であり、決して自然界の真実ではないことを忘れてはいけません。

優秀と言う言葉は、やさしさに秀でていると書きます。ですから、弱肉強食や適者生存の考え方は優秀ではありません。やさしくないからです。

強欲の資本主義が間違っており、反省すべきだと考えられてきたのは、つい最近のことではないでしょうか。以前は、「人道的な会社は間抜けであり、利益を出せない」と考え、なりふり構わずに利益を出す企業がもてはやされる時代もありましたが、現代では、そのようなあさましい企業は、不祥事を起こし、顧客から見放され、業績が悪化すると同時に株価が下がり、窮地に追い込まれる事例が頻発しています。強欲な資本家や倫理観の無い起業家が市場を制覇するのではなく、善良な市民、消費者の健全な意識が市場に大きな影響を与える時代になりました。

21世紀の資本主義は、強欲の資本主義ではなく、もっと自制心と思いやりのある高い意識の資本主義に変わるべきだと考える人たちが多くなってきています。分離の哲学の幻想から抜け出し、本当のことに気づく人が増えてきたのではないでしょうか。今、時代は、古くて冷酷で偏った偏見や思想が力を失い、分離感の幻想から目覚め、本当のことに気づき始める大きなうねりが起こっているのだろうと言えます。

 

<現代社会の基盤となっている思想の検討 シリーズ記事>

戦いの哲学の検討

弱肉強食の検討

適者生存の検討

曲解された思想の強大な影響

自然界の本当の姿

人と社会の大きな可能性

現代社会の基盤となっている思想の検討 ④曲解された思想の強大な影響

弱肉強食にしろ適者生存にしろ、誤解と歪曲によって原典とはかけ離れてしまった考え方ですが、それが真理のように私たちの社会に深く根付いている、強く影響を与えていることに注目してみましょう。
よく、ダーウィンの名言として引用される言葉があります。

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか?そうではない。最も頭のいいものか?そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ。」

この言葉は、ダーウィンのが語ったと信じ込まれており、厳しい生存競争を生き残るための指針として、変化に適応するための努力を促す働きかけを正当化する原理として、多くのリーダーや政治家に頻繁に引用される言葉です。

しかし、実は、ダーウィンは、このようなことは、言ってません、この言葉は、進化論を独自に解釈したルイジアナ州立大学のレオン・メギンソン教授の言葉なのです。

もっともらしい主張で、耳障りがよく、進化論らしい主張のように思えますが、実は、ダーウィンの考え方とは違います。自然選択説と適者生存説、とても似ているように思える考え方ですが、全く違うのです。ダーウィンの自然選択説の視点からは偶然と多様性こそが進化の源泉であり、無駄のように見える多くの多様性こそが進化をもたらす大切な資源となりますが、メギソン教授の言う適者生存は、多様性を尊重しません。変化への適応能力に優れた選び抜かれた優秀な者だけが生き残り、弱いものや不完全なものは無駄なものと考えらえれて淘汰されて消えていくのが定めと考えます。

適応能力こそが存続と進化のカギだとすると、愛と慈悲に恵まれた環境にいた場合は、思いやりややさしさに満ちた存在が淘汰を生き残ることになりますが、暴力と残虐に満ちた環境にいた場合は、よりあさましく手段を択ばない醜い存在が優秀となり、未来を担うことになります。現実に、エンロン社のように、適者生存や弱肉強食の思想を真に受けて、社内で厳格な無慈悲な能力考課制度を敷いた企業が存在しますが、そのような企業では、最終的に出世し生き残った者たちは、こうした人の足を引っ張ることが得意で、仲間の業績を奪い自分のものとすることを何とも思わない、悪意と悪だくみを武器とするあさましい人材でした。結果的に業績は劇的に悪化し、破綻するか制度の見直しを余儀なくされています。

障碍者や社会的弱者、病気で苦しんでいる方々に対する見方も違います。適者生存の考え方では、障碍者や社会不適応者、社会的弱者は、能力が劣っているから淘汰されて当然という考え方になります。しかし、ダーウィンの進化論では、多様性こそが進化の源泉と考えるので、障碍者や社会的弱者は多様性を構成する一員であり、とても大切な可能性なのです。狭い了見の社会的な価値基準ではなく、自然という偉大な見地からは、自然淘汰を残り超えて生き残るのは、そのような人たちなのかもしれないのです。

ダーウィンは、キリスト教徒であり、リベラルな進歩主義者であり、奴隷制に反対していました。ですから、平和と平等、多様性を愛し、尊重する良き市民であり、ダーウィン自身は、弱肉強食、適者生存、優生思想と言ったいわゆる「社会ダーウィン主義」的な考えを否定していました。

彼の考える自然の在り方は、たくさんの不思議と偶然と無駄のように思える多様性から成り立っており、ゆっくりとたおやかな生命の進化が起こる奇跡に満ちている世界でもありました。そのような考え方が真実かどうかは別として、進化論を都合の良いように解釈し、歪曲して、科学的進化論のトラの威を借りて語った適者生存や優生学は、ダーウィンの考え方では無かったことだけは事実です。

ですから、私たちも、社会的進化論を、当たり前のように正しいと信じ込んでいるあり方を、検討していく必要があります。それらは、自然を観察した結果として導き出された科学ではなく、一部の人が都合よく解釈して歪曲した誤解を含んだ見解なのですから。
さまざまな自然をありのままに観察すると、自然界は、決してそのようなゆがんだ競争社会ではないことが分かります。もっと愛と思いやりとやさしさ、気高さや社会性のあるものであり、弱肉強食や適者生存、優生学は、自然界のほんの一部の暗い側面だけを取り出して、人間社会のひずみを正当化しようとしたこじつけ、極論すれば詭弁であると言えます。

弱者や貧者は、滅ぶのが社会のためだなんて、いったいどんなサイコで悪趣味の考え方なんだろうかと思ってしまいます。しかし、このようなゆがんだ思い込みの信念を持ったエリートたちや富裕層、権力者や政治家が、実際にこうした考え方、思い込みに基づいて施策をとってきたし、現在もとっていることは、恐ろしいことです。

また、そうした権力者たちの考え方に影響され、同調している人たちも決して少なくありません。2016年に神奈川県相模原市にある障害者施設で多くの障碍者の方々が殺害される陰惨な事件が起こりました。事件を起こした犯人は、「意思の疎通が取れないような重い障碍者は、安楽死させたほうが良い。彼らは人々を不幸にするだけだから」と語りました。

彼のこの考え方は、ここまで極端ではないとしても、似たような考え方を持つ人は少なくないのではないでしょうか。「貧困は自己責任」、「ホームレスがどうなろうと知ったことではない」、「生きるに値しない命は助ける必要はない」、「適者生存に反する障碍者や弱い人を助ける福祉は必要ないしお金の無駄」。少なからずの人たちがこうした考え方を是としているように思えます。しかし、それらの根拠、正当化の基盤となる思想は、決して真実ではありません。それは、誤解なのです。

ゆがんだ思想を真実だと信じ込み、それを原理として生きることを狂信と言います。私たちは、狂信の隘路にはまり込んでいるのかも知れません。私たちは、自分たちの考え方の基盤となっている思想をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。

 

<現代社会の基盤となっている思想の検討 シリーズ記事>

戦いの哲学の検討

弱肉強食の検討

適者生存の検討

曲解された思想の強大な影響

自然界の本当の姿

人と社会の大きな可能性