自分の中の瞑想者を育む ④内なる瞑想者の役割

 内なる瞑想者は、自我とは全く異なる副人格ですが、2者択一ではありません。お互いに矛盾する立ち位置ですが、同居は可能です。内なる瞑想者は、決して自我を否定したり抑制したりしません。

 自我には自我の役割があります。この世知辛い世の中で生き残っていくためには、自分を守りつつ社会的に上手に立ち回っていこうとする自我の役割は必須です。自己を防衛する力が無い人は、単なるお人よしのおバカさんになってしまいます。

 ですから、内なる瞑想者を育むために自我を否定する必要もないし、自我としての認識と表現を遠慮する必要もありません。自我は自我として元気に活動させていくことが大切なのだと思います。

 ただ、自分が自我だと勘違い、同一化してしまい、自我が自分自身を乗っ取ってしまうことは、決して健康なことではありません。自分の主体は、自我ではなくSelfにあるからです。脅威があるからと言って、自我の自己防衛的な活発な活動に身を任せ、固く心を閉じてしまう生き方も自分らしい本来の幸せな生き方とは言えないでしょう。人には、心を開いて他者と意義深い豊かな関係を開く能力と可能性があります。その可能性を捨ててしまってはいけないのです。

 前述の通り、Selfは、積極的に意識していかなければ、活発な自我の働きの影に隠れてしまい、力を失ってしまいます。

 内なる瞑想者は、自分と自我の同一化にくさびを打ち込みます。瞑想者が育つことによって、自分自身と自我の間にスペースができあがり、自我を客観視することができるようになります。それと同時に、Selfの視点である自分の内面のすべての要素の統合者としての視点、自我を超える高い意識を活性化することができるのです。

 Selfは、自我を束縛しませんが、無関心無放縦にもしません。自我のありのままを観察し受け入れ、自我の痛みや渇きをいやすことを通して、過度な興奮を鎮めていきます。自我は、ある意味で戦士であり、Selfはその君主です。戦士は、君主に見放され、恐怖と不安にさいなまれて絶望に首をたれてしまうとその獣性が目覚めて、暴力をもって略奪を図る無法者となりますが、君主に愛され、信頼されると、人間性を内包した強さをもって本来の役割を果たす誇り高い騎士になるのです。

 残念ながら、日常を送る多くの私たちは、Selfによって自我を上手に従えていくことができていません。自分の中の君主が目覚めておらず、自我は暴君として、自分自身を乗っ取り、自己防衛と攻撃を繰り返す生き方をしてしまっているのではないでしょうか。自我に支配されている時の自分は、決してそれが正しいとも思っていなければ、安心や深い喜びを感じてもいません。自信を持てずに心の中は絶えず不安と不満のノイズが流れている日常になってしまっているのではないでしょうか。

 内なる瞑想者は、そうした自我のふるまい、たとえそれが愚かだと言われていることであったとしても、社会的外面的なレッテルを張ることなく、淡々と正確にありのままに観察し、理解を深めます。自我を裁いたりコントロールしようとせずに、そのままにしておいて、そのダイナミックな嵐のような動きを受け入れ、味わいます。

 瞑想者の視点は、初めは小さく弱い砦であり、容易に大波にさらされて見失ってしまう拠点ですが、見捨てることなく確保し、守り通すことを通して、徐々に育ち、大きくなっていきます。自我一色に染まってしまった自分の内面にスペースを作り、Selfを呼び起こす場をととのえていくのです。

 Selfは、激しい自我の活動の中で、普段は埋没してしまっているので、多くの人は、自分の中にSelfがあることに気づけていません。

 Selfは、窓の外で流れるそよ風の音であるのに対して、自我の放つ音は、ハードロックのコンサートの最大ボリュームの音楽です。だから、いつも関心を向けてしまうのは自我の放つ騒音であり、意識して聞こうとしなければ、Selfのささやきは決して聞くことはできません。

 Selfは、雲間に見える薄暗い光であるのに対して、自我は、暑い雲であり、暴風と暴雨、大嵐です。ですから、心が奪われてしまうのは嵐の脅威であり、意識して見ようとしなければSelfを知覚できません。太陽の存在を信じることがでなくなるのです。

 Seifは、深海の静けさであるのに対して、自我は、絶えず荒れ狂う荒波です。ですから、荒波にもまれて、その対処に大忙しでいる間は、決して深海の静けさは理解できません。自ら潜水していく努力が必要です。

 内なる瞑想者は、そうした、通常意識では認識が難しいSelfへの橋渡しをしてくれます。自我の活動とは別に、内なる瞑想者の安定した継続的な活動によって、徐々に、少しずつ強くSelfを自覚できるようになってくるのです。

 また、内なる瞑想者は、今ここで起こっているリアリティに対して、一切の抵抗をしません。自我が「答えは自分が持っている」と思い込んでいるのに対して、内なる瞑想者は、今ここのリアリティには自分ではわかりようのない大いなる謎があることを知っており、真実の声に耳を傾け、ただひたすら観察し、謙虚に教えを乞うのです。ですので、自我のレベルでは、起こる出来事を感知したその刹那に良い悪いを評価し、即対応しようとしますが、そのような拙速を慎み、判断を保留して、今ここの現実をより深く正確に理解するように努めます。まさに、正見を志すのです。

 ですから、問題に対する対処の仕方も、自我のレベルとは次元が異なるより優れた方法をとれるようになります。自我は、表面的な出来事をもとに過去に成功した自分のやり方やプログラムの枠組みに出来事を押し込めて、安易な対応、時に対処的で独りよがりで小手先な恐れのある対応を取るのに対して、内なる瞑想者は、表面には現れていない潜在的なニーズや要因を正確に理解することによって、より本質的で的を得た関わる全ての人が満足できるような問題解決策を取ります。

 例えていうなら、自我は、球筋をいち早くわかった気になって思い込み、球をよく見ないでやみくもにバットを振るので、決して打率は高くないのに対して、内なる瞑想者は、決して早とちりしません。じっくり球筋を見て、最善最高のタイミングでバットを振って、高い打率を実現するのです。

 こうして、内なる瞑想者は、眠れるSelfを目覚めさせて、本当の自分らしさ、真の自分自身によるセルフリーダーシップを促すと同時に、問題解決能力を高め、生活や人生そのもののクオリティを高めていくことにつながるのです。

<「内なる瞑想者を育む」シリーズ関連>

①自分らしく健康で幸せな生き方とは

②内なる瞑想者

③自我と瞑想者の違い

④内なる瞑想者の役割

⑤内なる瞑想者の育み方

自分の中の瞑想者を育む ③自我と内なる瞑想者の違い

自我と瞑想者の違いをまとめると、以下の通りとなります。

自我 内なる瞑想者
考える 感じる
レッテルを張って言葉や概念で素早く認識する 判断を保留し、より深く理解しようとする
対象として距離を置く 一緒にいる、共にいるようにする
比較し評価する 共感し味わう
変えようとする そのままにしておく
コントロールする 見守る、体験する
欠点を罰する ありのままを許す
自分を良く見せようとする 背伸びしない。欠点を含む全体としての自分、ありのままを愛する
他者の攻撃から自分を守り、自己の存続と勝利を目指す 他者や環境に対しても、自分にするのと同様にありのままに共感し、愛する
分離と戦い、試練の生き方 調和と愛に基づく自分らしく健康で幸せな生き方

 自我の働きは、基本的には対人関係や社会の中で育まれる自分の立場を守り、強化しようとすることであり、自分の外面が他者にどう映るのかを気にするのであって、自分の内面は、問題が起こらない限り関心ありません。自分の内面は、人間関係や社会的な関係の中で差しさわりが無いように、または、より都合が良いように矯正する対象となります。

 それに対して、内なる瞑想者は、自分の内面に集中します。内面で体験している身体感覚や感情、思考の動きをありのままに観察し、一切の操作やコントロールを排除して、それらと共に在り、温かく見守るのです。

  自我は、自分の内面に問題があることによって人間関係や社会的立場への悪影響が出た時には、まずは、その問題の根源を特定し、言葉で名付けて距離を置き、罰したりほめたり、排除しようとしたり、努力して力をつけたり、などの操作をすることによってコントロールしようとします。それは、社会的人間としての成長につながるものであり、決して悪いことではありませんが、内面を外面のための道具としてみなし、尊重することを忘れ、ないがしろにしてしまうと、自分の体や心に対する無理解や無関心、無理難題を強いることによるストレスの蓄積など、トラブルの元となる危険性があります。

 内なる瞑想者は、そうした副人格としての自我との同一化にくさびを打ち込み、静かで精妙なスペースをつくります。エゴのもたらすリスクを低減させて、自分の心身を癒し、健康と元気の回復をもたらします。

 瞑想者は、自分の内面で起こるあらゆることを問題とは思いません。それは、自然に起こる生き生きとした多様な生命のみずみずしい現象であって、汲みつくせない力と魅力と奇跡に満ち溢れた謎、ミステリーだと認識するのです。ですから、自分の内面は、対外面の都合によってちっぽけなエゴが操作コントロールできるようなものではなく、とてつもなく大きく深い自然と言う存在の一部であり、未だに分からない謎の多い、だからこそ謙虚に耳を傾けるべき、教えを乞うべき尊い存在だと考えているのです。

 瞑想者は、今ここで起こっている自分の内面のすべてに抵抗せずにそのままで許し、受け入れ、ひたすら観察し、より深く理解しようと試みます。レッテルを張って距離を置いて対象をコントロールしようとするエゴの衝動を保留し、感覚と共に在り、共感しとともに痛みや悲しみ、時に喜びなどの多様な体験をありのままにに味わい、逃げずに丁寧に変えようとせずに見つめていきます。

 瞑想者の視点は、自分の内面に対する無条件の愛の視点であり、最初は小さく弱い拠点であっても、騒がしい内面の不安と警戒の嵐に埋没することなく、粘り強く長期にわたって瞑想者の視点を確保することによって、その力はどんどん強くなっていきます。

 自分の中で常に流れている不平不満、不機嫌のノイズを鎮め、痛みを癒し、自己嫌悪や自己否定の頑固で暗い視点にやさしく光を当てて温め、自然に凍り付いた心を解かすと同時に、自分の内面の生き生きとした自然、神秘に対する畏怖と尊敬、感謝と愛を育んでいくことになります。

 まさに、自尊心の回復のプロセスであり、内なる瞑想者は、副人格に過ぎないエゴによる自己支配の次元から真の自己であるSelfによるセルフリーダーシップの次元へと変容を促していきます。

 エゴによる分離と戦いと試練の生き方から、Selfによる真の自分らしさの回復、愛と勇気と信頼の回復、健康で幸せな生き方へのシフトを促すことができるのです。

<「内なる瞑想者を育む」シリーズ関連>

①自分らしく健康で幸せな生き方とは

②内なる瞑想者

③自我と瞑想者の違い

④内なる瞑想者の役割

⑤内なる瞑想者の育み方

自分の中の瞑想者を育む ②内なる瞑想者

 では、本来の自分であるSelfに戻るために、自分の中の過剰な副人格の興奮を鎮め、Selfを中心とした内なる調和をもたらすためには、どのようなことが必要なのでしょうか。

 きっと、優れた方法は、たくさんあるのでしょうが、私は、その中の一つとして、「内なる瞑想者を育む」ということに挑戦しています。おかげさまで、その努力によって、生きづらさがやわらぎ、リラックスと集中が進み、より自分らしく楽しく生きられるようになってきたように感じております。

 本シリーズでは、この「内なる瞑想者」とはどのような存在であり、どのようにすれば育むことができるのかについて、私の体験も含めてお話ししたいと思っております。あくまでも私的な体験であり、考えであって、決して一般的な理論ではありませんが、何かの参考にしていただければ幸いです。

 さて、ここでの「内なる瞑想者」とは、Selfにつながるための副人格であり、Selfを意識的に自覚しようとするための私の中の新たな視点を意味します。

 内なる瞑想者の視点は、普段自分が自分だと思っている管理者としての副人格(自我)とは違っています。

 自我は、他者とのかかわりや社会生活の中で自分を守り、表現していこうとする視点、より自分の立場を強くよくするために自他をコントローしようとする視点ですが、瞑想者は、一切の操作やコントロールを放棄して、ただひたすらに観察し、受け止める視点です。

 その違いを詳しく探求すると、以下の事柄が言えると思います。

<「内なる瞑想者を育む」シリーズ関連>

①自分らしく健康で幸せな生き方とは

②内なる瞑想者

③自我と瞑想者の違い

④内なる瞑想者の役割

⑤内なる瞑想者の育み方

自分の中の瞑想者を育む ①自分らしく健康で幸せな生き方とは

 「ひとの人格は一つではない」

 こういわれると、どうお感じになりますか?そんなことはない、私は私だよ、なんと奇妙なことを言い出すのだろうかと思われるかもしれませんが、実はこの見識は、現代心理学の共通認識、一般的な知見となっています。

 現代心理学では、大脳生理学の発達にともなって、人は、実はたくさんの副人格ともいえる、独立、または半独立の反応の主体が存在していることが分かっており、私とは、一つの人格によって成り立っているのではなく、たくさんの副人格が寄り集まった総体であると考えられているのです。

 現代心理学を代表する理論の一つである内的家族システム(リチャード・C・シュワルツ)の考え方によると、普段私が私だと認識している私は、実は、私にとっての管理者、他者に対するスポークスマン的な働きを持った“私を代表する副人格であり、実は、私そのものではないと考えられています。

 内的家族システムの考え方によると、わたしそのものはSelfと呼ばれる主体であり、私の中心的存在で、副人格の癒やし手であり導き手であると考えられています。

 心身ともに健康でありSelfが本領を発揮できている場合は、本来の自分らしい生き方、あり方ができるわけですが、ストレス下にある場合は、Selfが、騒がしい副人格の働きの背後に隠れてしまい、本来の自分らしさ、能力や魅力が隠れてしまいます。ですから、本来の自分の生き生きとした健康な生き方をするためには、Selfと副人格の関係性を整え、内なる調和をもたらす必要があると考えられているのです。

<「内なる瞑想者を育む」シリーズ関連>

①自分らしく健康で幸せな生き方とは

②内なる瞑想者

③自我と瞑想者の違い

④内なる瞑想者の役割

⑤内なる瞑想者の育み方

営業開始しました(2024)

 本日より、新年の営業を開始いたします。

 新年早々、能登半島の大地震が起こり、あけましておめでとうございますとは言えない悲しい状況となっております。被害が大きかった輪島は私が授業を担当している大学と縁の深いお寺があるところであり、また、私のお客様にも、新潟や北陸に工場や社屋をお持ちの方もいらっしゃるので、他人事ではない心境でおります。

 被災された方々には、心からお悔やみ申し上げると同時に、いち早く救助が進み、被害が広がらないことをお祈り申し上げます。

 2024年は、辰年。辰年は時代を動かす変革や転機が起こる激動の年と呼ばれています。

 年初早々に波乱の幕開けとなりましたが、より大きな変革に向けての前兆であるようにも感じます。

 ウクライナ戦争とガザ地区でのイスラエルとハマスを巡る戦争の激化、G7の凋落とBricsの台頭、アラブ首長国連邦(UAE)とサウジアラビア、イランが正式にBricsに加盟したことによる脱ドル化の動き、それに伴って予想されるドルの価値の暴落、性的幼児人身売買にかかわっていたエプスタインが所有した児童性愛の島と呼ばれていた通称エプスタイン島に訪問した全名簿が公開されたこと、それに伴って幼児性愛犯罪にかかわった可能性のある、その多くがセレブであり権力者である人達の名前が明らかになったこと、それに伴って従来の権力のおぞましい所業や腐敗ぶりが非難されるようになってきたこと、など、新年早々、能登半島地震以外にも、とても大きな出来事が頻発しています。

 明治維新の時は、まさに革命であり、今まで当たり前だと思っていたことのすべてが変わりました。それも黒船来航から明治政府の設立まで15年と言うとても短い時間で大革命が起こりました。きっと革命とはそういうものなのかもしれません。

 今年も、明治維新の時のように、いままでは常識と考えられていたことのすべてが変わるような変革が起こる雰囲気が濃厚のように感じます。古くて腐敗した権力や構造が倒れ、新しい可能性が立ち上がってくることは歓迎ですが、革命には血がつきものでもあり、短時間で激しい変化が起こることに伴う暴力や破壊が心配です。

 どうか、これ以上の痛みや悲しみを体験することなく、世界がより平和で幸せなありかたに変わっていきますように。

 それから、私どもの仕事ももちろん頑張ります!辰年の勢いにあやかって、今年も良い仕事をたくさんいただいて、人の本当に幸せな生き方の応援をしていきたいと心から願っております。気概だけは、私どもの元気と勇気と信頼の回復をテーマとした仕事で、世界平和に貢献したいと願っております。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

今日で仕事納め(2023)

 はやいもので、今年もとうとう年末ですね。

 当社も、本日で、仕事納めとさせていただきます。

 今年は、いろんなことがあった年でもあります。

・株式会社ファシオさんと提携し、ファシオさんの「デリバル」においてオンライン講座を開講したこと。

・営業スキル教育系の新しいプログラムに挑戦し、成功したこと。

・多くのお客様に恵まれて、多くの大切な研修を担当させていただいたこと。そして、それにしっかりとお応えできたこと。

など、すてきなことがたくさんあった反面、当社を陰に陽に支えてくれた義母が亡くなったことなどとても悲しいこともありました。

 こうして1年をふりかえってみると、山あり谷ありの日々であり、一生懸命に忙しくがんばらせていただいた一年でもありました。なんとか乗り越えるとができたのも、お客様はじめ、お取引先の方々、協力会社のみなさん、当ブログを読んでくださっている方々、友人たち、そして家族のおかげです。みなさん、ほんとうにありがとうございました。あらためて心から感謝申し上げます。

 年末は、どこかにでかけるとか、特別な何かをするとかではなく、のんびりと過ごしたいなぁと考えております。でも、飽きっぽいので、本当にそうなるかは定かではありませんが…。

 みなさんも、どうぞお体大切に、良いお年をお迎えください!

後期授業が終了(2023)

 本日、後期授業の一つが最終講を迎えることができました。

 「マーケティングの視点から見る業界研究」というテーマの授業であり、7業種7名の輝いて活躍されている経営者や役員、人事ご担当者をゲストスピーカーにお招きして、業界について、会社について、社会人として活躍するということについてお話しいただく講座です。

 ただ、単にゲストスピーカーのお話を聞くのではなく、学生たちも業界や会社研究をして、研究成果を発表するというセッションもるので、参加型の講座となります。

 全15講の講座であり、学生たちは、1講~7講までは自分自身で企業、業界研究を行い、第8講から始まるゲストスピーカーに講演頂く授業から、30分程度の持ち時間で自分たちの研究を発表すると同時に、それを受けた形で残り60分ゲストスピーカーにお話しいただく展開となります。

 本講座は、学生から社会人への橋渡しをすることをテーマとした授業であり、ただ授業を受けていればいいという簡単な授業ではなく、相当な負担を強いられる講座となります。

 授業の前にはゲストスピーカーと名刺交換をしてあいさつをすること、授業が始まったら、自分たちが研究した内容を発表する、そして、ゲストスピーカーのお話が終わったら、質疑応答、挨拶を経て、後日ビジネスメールでお礼をお送りするという難易度の高いタスクをこなす必要があるのです。

 きっと、初めての体験だらけの挑戦だったでしょうが、学生たちは、見事に全工程をこなしてくれました。緊張している中で、とても見事な態度で終始課題をこなしており、私としてもとても誇らしい気持ちでした。

 難易度の高い講座を思い切って受講してくれて、難易度の高い課題に対して決して逃げずに見事に乗り越えてくれた学生著君に心から感謝したいと思います。みなさんほんとうにありがとう。

 ゲストスピーカーの皆さんは、実社会でご活躍されていらっしゃる方々ばかりであり、とても分かりやすく業界のこと、会社のことを話してくださいました。また、社会人としてのご自分の人生、うれしかったことや苦しかったこと、困難だったことそして乗り越えたドラマなど、社会人として輝いて活躍するための在り方を話してくださいました。学生たちが社会人として生きていく上で基盤となるとても大切なお話であり、学生たちも自信と勇気、そして、社会人としていくて行く上での最も大切な考え方を学ぶことができたと思います。ゲストスピーカーのみなさん、本当にありがとうございました。

 今日は、その講座の最後の授業であり、自身のプレゼンの振り返り、ゲストスピーカーのお話の振り返りをして、社会人として今後生きていく上での大切にしたいことをまとめた次第です。

 社会人として輝いて生きるために必要なことは、さまざまな考え方があると思いますが、私自身は、高い人間性だと思っています。

 単にテクニカルで小手先の技術では、社会人として直面する困難は乗り越えることはできません。また、困難に立ち向かうためにはさまざまな力が必要ですが、どんなに強い力を持っていたとしても、人と人との信頼関係を育めなければ、良い仕事はできません。

 社会人として活躍するためには、優秀である必要があると言えますが、優秀とは、人より優れているとか競争に打ち勝つ力があるとか超能力を持っているとか、そういう意味ではないと思っています。

 これは、友人から教えていただいたことですが、優秀ということばを日本語として理解すると、優はやさしいという意味であり、秀はひいでている、つまり「優秀」と言うことは、「やさしさにひいでている」という意味になります。

 やさしくあることは、とても強くあるということだと思います。本当に人にやさしくあるためには、自分が抱えている恐怖や不安を乗り越える強さを持っている必要があるからです。恐怖や不安に強く支配されている人は、真にやさしくはあれません。それは、嫌われることを恐れるへつらいであり、見返りを求める取引であり、下心ある操作であって、愛を基盤とした思いやりではありえません。

 「タフじゃなければ生きていけない、やさしくなければ生きる資格が無い」レイモンド・チャンドラーの名言の通り、本当のやさしさの背景にはタフさ、強さが必要なんだろうと思います。

 今回お越しいただいたゲストスピーカーの方々は、そういう意味で、みな優秀な方々でした。やさしく、しかも強い方々でした。まさに学生たちにとって生きる見本になる方々だったと思います。本当にありがとうございました。

 学生たちも、これから、就活を経て社会人へとなっていくことになります。きっと素敵な社会人になっていくのだろうと思います。願わくば、今回の講座で学んだ優秀(やさしさ、強さ)さ忘れずにいてほしい。社会人生活の中で出会う出来事は、甘く楽しいことばかりとは限りません。本当の困難や痛みに出会う中であっても、絶望することなく、くさることなく、魂を売ることなく、あきらめることなく、優秀であってほしい、つよくやさしい人であってほしいと願った次第です。

 受講してくれた学生たちの今後の活躍を心からお祈りしたいと思います!

チームビルディング ③開示ステップを乗り越えるために

開示ステップを乗り越えるためのポイント

①階層をフラットに、権威権力は極力抑えめに
 風通しの良い風土は、平等で対等な人間関係から生まれます。ですので、オープンな風土を目指すのであれば、階層をフラットにすることが大切です。

 組織として、仕事を進めていく上では、どうしても指示命令系統の権威が必要であり、また、報酬や昇進の能力評価システムなどの権力が必要となりますが、そうした権威や権力も、指示命令の情報を可能な限り開示したり、評価プロセスをオープンにしたり、評価プロセス以外の要素が入り込まないようにフェアーにするなどして、必要以上の力を集めないようにさせることが大切です。

②情報の質と量は、リーダーと末端が同じとなるよう公開する
 情報の質と量は、権威の裏付けとなる要素の一つとなるので、より大きな権威を欲しがる管理者は、時に公開せずに、自分の都合の良い時と内容で開示していくことがありますが、それは決してオープンな風土を作る上では効果的ではありません。

 そもそも、「何か良いアイデアを出してくれ」とチームメンバーにお願いしたとしても、情報の質と量が立場によって違っていたら、フェアーな話し合いはできません。より創造的で高い問題解決力のあるチームにするためには、より的を得たパワフルなアイデアをたくさん出すためにも、情報公開が必要となります。

③正直さ、オープンさには勇気が必要、一歩踏み出す勇気こそがリーダーの役割
 正直であることには勇気が必要です。特に、自分の弱み、失敗、欠点をオープンにしていくことは、相手に見下され嘲笑されるリスクを伴うので、大きな勇気が必要です。しかし、そうした勇気をメンバーに期待するべきではありません。リーダーにとって必要な美徳は、頭の良さでも技巧でもなく、勇気です。勇気こそが、新しい境地を開くカギとなり、それを担うものは、まさにリーダーなのではないでしょうか。

 リーダーの勇気ある一歩、自分の弱みを正直に語るというシンプルですが難しいことが、チームのぎくしゃくした関係性を振り払い、良き協力関係を引き出すきっかけになった事例には、枚挙に暇がありません。

 見下されたくない、嘲笑されたくないという思いは、メンバーの誰しもが持っている恐れです。その恐れが払しょくされない限り、ぎこちなさや堅苦しさ、うそやごまかしが消えることはありません。しかし、一旦、リーダーの自己開示、特に自分の弱さや欠点についての開示がなされると、そうした懸念は払しょくされて、メンバーの発言の自由度は、より大きくなるります。

 リーダーの欠点を非難しない姿勢、弱点を含んだありのままの人間性を尊重する姿勢が明確になることは、メンバーに大きな勇気を与えます。メンバーは、過度に緊張することなく、ようやく本来の自分らしい力を発揮できるようになるのです。

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チームビルディング ①チームビルディングのステップ
チームビルディング ②受容ステップを乗り越えるために
チームビルディング  ③開示ステップを乗り越えるために

チームビルディング ②受容ステップを乗り越えるために

受容ステップを乗り越えるためのポイント
①まずは自尊心を持つ
 自尊心は、人間関係に良くも悪くも強烈な影響を与えます。自尊心とは、傲慢さや自惚れを言うのではなく、ありのままの自分を尊重し愛する心情を言います。ありのままですから、優れた自分もそうでない自分も、そのすべてをありのままに許し、受け入れる必要があります。自分には、欠点があることを受け入れ、それを正面から言い訳せずに受け止め、よりよく成長していくことができる能力を自尊心というのです。

 逆に傲慢さは、自分の中の愚かさ、弱さ、醜さを許すことができません。そのようなものは私にはないと主張し、悪いの他人だと転嫁します。それは、自信に由来する言動ではなく、むしろ、劣等感や恐れに由来するものであり、決して自尊心とは言えないものなのです。

 リーダーの自尊心の在り方は、チームメンバーに強烈に影響を与えます。自尊心の低いリーダーは、自分の欠点や弱さを嫌い、攻撃し、無きものにしようとするように、他人の欠点や弱さも嫌い、攻撃し、無きものにしようとします。

 常に強い不安があり、保守的でリスクのあるチャレンジを好まず、部下にも逸脱や冒険には厳しい態度を取ります。時に、やたらに挑戦や変化を求める場合もありますが、自分の気の弱さ、臆病さにあがらいたいがための反動であり、喜びや愛に基づくものではなく恐怖や不安に基づくものなので、時に無謀だったり、的外れで独りよがりだったり、時にメンバーに限度を超えた重い負担を強いるものだったりします。

 また、チャレンジによって失敗したらそれを成功へのステップとは見ずに、落胆し、嘆き、責任追及をしがちです。

 逆に、自尊心の高いリーダーは、基本的に前向きであり、明るく健康的で楽しい雰囲気をもたらします。ありのままの自分を愛せるように他者の弱さにもおおらかで、多様性を尊重すると同時に、リスクのあるチャレンジも奨励し、たとえ失敗しても、成功へのステップを一歩進めることが出来た側面を尊重し、その勇気をたたえます。

 どちらのリーダーが良いチームを作れるのかは、自明のことでしょう。そもそも、自分を大切にできない人は、他人を大切にはできません。自分を愛せない人は、他人を本当の意味で愛することはできません。そもそも、自分すら信用できない人が、どうやってよくわからない他人を信じることができるのでしょうか。

 リーダーとしてチームを導いていくために必要なことは、頭の良さでもテクニックでも超能力でもありません。それは、シンプルに自分に対する愛、他者に対する愛なのだと思います。逆に愛が無ければ、どんなに小細工で取り繕っても真のリーダーにはなりえません。良きリーダーを志すならば、まずは、自尊心を持つこと。自虐で自分を非難攻撃するのではなく、傲慢さで自分の弱さから逃げるのではなく、勇気をもって自分を受け入れること、腹を決めて自分を愛し大切にすることが大切なのだと言えましょう。

②メンバーへの批判心を静め、親しい仲間と思ってみる
 人は、相手の良いところを見出し愛することもできますが、相手の欠点を見つけて非難することもできます。しかし、普段自分の心の中で、無意識的に相手にしていることは、意外なことに後者の非難することではないでしょうか。

 私たちは、基本的に人間関係の中で警戒モードが発動しており、他人の美徳や善性を見るというよりは、相手と距離を置き、相手の弱さや欠点に目が向きがちとなります。それは、自己防衛のために必要なステップでもあり、決して非難すべき態度ではないのですが、チームビルディングの良きリーダーを志そうとしたときには、そのような無意識的に現れる態度は、注意しなければなりません。防衛力や免疫力は必要ですが、だからと言って、相手の良さを全く見れないほどの過剰な警戒は慎まなければなりません。無意識的に起こりがちな相手への批判心を静め、まずは自分から相手を仲間として迎え入れる度量が必要です。

 距離感を縮め、親しみを増そうとする努力を、メンバーに依存するべきではありません。そうした努力には勇気が必要であり、リーダーこそがそうした勇気を担うべきなのだと言えましょう。

③メンバーに関心を持ち、理解を深める努力をする
 人は、実は、自分のことで精一杯で、他人のことに関心を持つことは意外にできていません。時に、警戒心から他者を観察することはありますが、それは、相手の悪意を探っているのであって、相手のすばらしさや可能性に興味を持とうとする関心とは違います。ですから、他人に関心を持つためには、意識的な努力が必要なのです。

 優れたリーダーには、他者に対して意識的に積極的に関心を持つように心がける人がとても多く存在します。彼ら彼女らの手帳には、出会った人の仕事上の記録はもちろん、仕事とは関係のない出身や生年月日、家族、家族の誕生日、趣味、食べ物の好みなど、驚くほど多くの事柄について書かれているものです。そのような情報をもとにクオリティの高いアドバイスや関係性を持つことができるのです。

 チームビルディングのリーダーをこころざすならば、メンバーに積極的に意識的に関心を持つ努力をすること、メンバーノートを作成して、メンバーに関して知りえた情報をしっかりとメモをしておくことをお勧めします。

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チームビルディング ①チームビルディングのステップ
チームビルディング ②受容ステップを乗り越えるために
チームビルディング  ③開示ステップを乗り越えるために

チームビルディング ①チームビルディングのステップ

 チームやチームビルディングは、最近の経営学のとても大きなテーマの一つとなっています。その在り方によって業績へのインパクトが良くも悪くもとても大きいからです。

 チームには、不思議な力がありますよね。1+1=2とは限らない、時にはそれ以上の力が発揮されて驚くような結果につながるという魔法の力、奇跡の力ともいえるものがあると思います。

 そもそも、チームの力がチームメンバーの力の総和だとしたら、なでしこジャパンが世界一になれるわけがありません。そこには、チーム力という不思議な力が働いていたからこそ起こった奇跡なのではないでしょうか。

 このシリーズでは、この奇跡の力をどう引き出すかについて、私どもの考え方をご紹介したいと思います。

チームビルディングのステップ

 ばらばらの個人の集まりに過ぎないチームを、目的に向けて協力し合い、潜在化していた大きな力を引き出して最善の結果に導いていく一連のプロセスをチームビルディングと言います。心理的安全性に基づく良いチームを作るためには、以下の4つのステップが必要です。

第1ステップ 受容  

 メンバー同士が、お互いを仲間として受け入れるプロセスです。このプロセスが成功すると、メンバーのチームへの参加度合い(コミットメント)を高めると同時にメンバ同士がお互いに深く関心を持ち、相互理解を深めオープンマインドとなり、ハイパフォーマンスの原点となる信頼関係につなげていくことができます。

 逆に、本プロセスがないがしろにされたり未解決である場合には、メンバー間の緊張と懸念、不信感が強まり、メンバー同士を仲間というよりは警戒すべき他人、または敵と認識し、今後のあらゆる工程で防衛的、警戒的な態度を引き起こし、さらに深刻かつ感情的で容赦のない葛藤を生み出す可能性があります。

第2ステップ 開示

 メンバー個人に内在しているデータや情報、感情や考えを表出し、聴きあうことによって、情報とエネルギーがチーム内で交流しあうステップです。

 情報や感情が個々人の中に潜在化しているときには何も変化が起こりませんが、一旦交流が始まると、チームの潜在能力と可能性が顕在化し、さまざまな創造性や問題解決に向けての効果的なプロセスが動き始めることになります。

 逆に、このステップが未解決の場合には、メンバーの見せかけだけのふるまい、慎重で自己防衛的な態度、巧妙なサボタージュ、お役所体質などと言った問題を引き起こす可能性があります。

第3ステップ 目標設定

 協力し合う目的、理想とするビジョン、達成したい目標を明確にするステップです。このステップを通して、個々人のチームに参加する動機が表明され、単にチームのタスク目標だけではなく、実現したい価値や理念、理想やポリシーも含めたチームのビジョンとして統合されていくことになります。

 目標設定が成功した場合は、チームメンバーのモチベーションが高まり、主体的かつ積極的なチーム活動への参画を促し、結果的に高いチーム成果を引き出すことになります。

 逆に、未解消の場合は、相互不信を招き、相互に距離を置き無関心を装うか、分離感を強めると同時に競争心が強まり、不要な葛藤を生み出す可能性が出てきます。

第4ステップ 組織化

 お互いの個性、能力、可能性についての相互理解が深まり、特徴に応じて役割分担がなされると同時に、仕事の進め方や問題解決の方法が有機的に統合され、ブラッシュアップされていくステップです。

 このステップの課題を乗り越えると、リーダーシップ機能は特定のリーダーのみに依存するというよりは、個性に応じて分かち担われるようになります。メンバー間の信頼関係や絆は強まり、お互いに頼もしい仲間と感じる相互依存の関係性へとチームは成長を遂げていきます。本音ベースの質の高いコミュニケーションが実現しており、問題解決に至るひらめきやアイデアの質も高まり、結果的にチームの力は形成初期とは比較にならないほど強くなります。

 逆に、このステップが未解消の場合は、強い依存心や主体性、責任感のなさを引き起こすか、反対に強い権力志向や権力闘争を巻き起こす可能性があります。

 

チームビルディングのポイント ~受容と開示の重要性~

 チームを作る際に、私たちは、いきなり「目標設定と役割分担」を設定しがちですが、前提となる「受容、開示」のステップがクリアーされていない限りは、目標や計画がどのように洗練されたものであっても機能しません。

 チームが目標に向けて一丸となって協力体制をとるためには、「受容、開示」のステップが不可欠なのです。

 ちなみに受容と開示のステップは、容易ではありません。受容と開示ができない背景には、懸念(不安や恐怖、誤解)がありますが、懸念は、持ってしかるべきものであり、そう簡単に解除することはできません。私たちは天使に囲まれて生きているわけではありませんので、攻撃を受けたり傷つけられたりするリスクがあります。ですので、身を守る防衛力を持つ必要があります。また逆に、不用意に相手を傷つけたり相手に不快にさせないような注意深さも必要なのです。懸念は、そうした防衛力や注意深さの源泉ともなるので、決して不必要なものではありません。

 ただ、リスクがあるからと言って固く身を守り心を閉じてしまうのは決して良策とは言えません、可能であれば心を開いて豊かな関係性を育んでいきたいという願いはだれしもが持っていると思います。

 私たちは、自己防衛と自己開示と言う全くベクトルの異なる矛盾した力を同時に使いながら人間関係を育まなければなりません。だからこそ、人間関係は難しいのだと思います。ただし、不可能ではありません。人には高い次元で両方の力を統合することができる能力があります。

 不安や恐怖は、必要ですが、決してそれに支配されてはいけません。それらは乗り越えるものであり、踏み台にして成長していくためのステップなのです。

 自己防衛と自己開示を高い次元で統合した状態こそが、心理的安全性と呼ばれる状態なのだと思います。そして、心理的安全性が確保されることによって、チームの偉大なる可能性を引き出すための準備が整い、本来の力を発揮することができるようになるのです。

 古来、有能なリーダーは、この受容と開示のステップ、つまり懸念(恐怖や不安、誤解)を解消するステップを意識するとせざるとに関わらず、上手に対処し、十分にクリアーすることによって強力なチームを作ってきました。優れたチームを作るためには、受容と開示のステップ、すなわち人間関係に必ず存在している恐怖や不安を意識的に乗り越えていく必要があります。

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チームビルディング ①チームビルディングのステップ
チームビルディング ②受容ステップを乗り越えるために
チームビルディング  ③開示ステップを乗り越えるために