先日、横浜に行った際に見かけた河津桜です。
思いのほか満開で、見事に咲いてますよね。
ここのところ、4月以降の研修の準備で余りで歩いていなかったので、まだまだ冬だと思っていたのですが、いつの間にか春がやってきてちょっとびっくりしました。
春は大胆に状況を変えますよね、美しく力強い花々が、一気呵成に開花し始める。
なんて見事なんでしょうか!
ちょっと癒され、元気を頂きました、河津桜さんありがとう!
先日、チームビルディングリーダー養成のためのワークショップを担当してまいりました。
児童福祉に関する方々向けの講座であり、14名の皆さんにお集まりいただきました。
皆さんは、普段から現場でプロとしてとてもお忙しくいらっしゃる方々であり、今回も相当無理をしてお越しいただいたのだろうと思います。お越しいただけてとてもとても光栄でした、ありがとうございました。
おかげさまで、すてきなメンバーの皆さんや支えてくださったスタッフの皆様のご協力で、とても楽しく充実した意義深い学びの場となったように感じます。
皆さん、本当にありがとうございました!
チームビルディングがテーマの講座でしたが、チームって不思議ですよね。1+1=2で割り切れないところがあって、時に2以下になってしまうこともありますが、思いもよらない力が発揮されて、想像を超えたとてつもない成果を上げることも少なくはありません。チームには、きっと不思議な可能性、魔法の力、奇跡がまどろんでいるのだろうと思います。
今回は、そうしたチームの大きな潜在性、可能性をどう引き出すのかを探求することがテーマでした。
児童福祉に携わってらっしゃる方々だけに、人間関係スキルの高い方々ばかりであり、正直で誠実であたたかい思いやりをもって人間関係が育まれていく展開となりました。ともに、よく笑い、リラックスをしてお互いを快く仲間として受け入れ、初対面の方々ばかりなのに、あっという間に旧知の親友のような深く豊かな関係性、家族のような雰囲気、ご縁が育まれたのが印象的でした。
プログラムは、体験学習がベースであり、実習やふりかえりを通してコミュニケーションやチームビルディング、リーダーシップを学んでいきます。体験学習には狙いやテーマが存在し、何を学ぶのかについての明確な枠組みをもってプログラムが展開されていきます。
プログラムを通して、
・健全な自尊心や前向きな態度、生き方が、チームワークやチームを導くリーダーシップの基盤となっていること。
・コミュニケーションは、恐怖や不安を乗り越え、信頼の風土を育む鍵であること。
・自己防衛と自己開示のバランスをとること、ゆっくりと許し心を開くことがチーム成長につながること
・人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではなく、想像をはるかに超えた力を持っていること。
・チームも、断じて欠点だらけの無力なシステムではなく、想像をはるかに超えた奇跡をまどろませていること。
・恐怖を乗り越えた高い意識こそが心理的安全性であり、信頼を基盤とした心理的安全性は、チームの偉大なる力を引き出すこと。
など、とても大切なことを学ぶことができました。
印象的だったのは、プログラムの最後のセッションとなるフィードバックセッションです。フィードバックと自己開示と言う質の高いコミュニケーションは、人やチームの勘違いや思い込みを修正すると同時に、人を勇気づけ、人やチームの大きな可能性や力を引き出すと言われています。
セッション中、お互いに深い関心と思いやりを持ち、やり取りや対話を通して、あたたかくて柔らかく、明るく楽しい、そこにいるだけで癒され、元気をもらえるような雰囲気が起こっていました。Dialogue(ダイアローグ=対話)と言う言葉があります。語源は、Diaが流れる、logueはロゴス、いわゆる真理や真実と言う意味です。私の解釈では、ダイアローグとは、関係性を通して真実が流れる、と言う意味だと理解しています。真理・真実と言う特別なエネルギーが起こる特別な関係性があり、そういう場で起こることこそがダイアローグだと解釈しています。その意味で、ワークショップの中で起こったことは、まさにダイアローグだったのだと感じました。まさに、関係性を通して、おだかやかで気高くパワフルで尊いエネルギーが引き出されて、そこにいる人たち全員が、楽しく、よく笑い、癒されて、元気を頂いたのです。
こうした体験をすると、人が、誠実に正直に向き合って、起こることは、決して対立や争いではなく、あたたかくやさしく人を癒し正気を取り戻し元気にするようなゆたかさ、平和なのだということがよくわかります。
現実には、世界のあちらこちらで戦争が起こり、悲しみと怒り、痛みと苦悩に満ちている地球の現状ですが、そうした闇も、人間関係の在り方によっては、乗り越えることができるかもしれません。
今回ご参加の皆さんは、そうした闇に光をもたらすリーダーたち、戦士たちなのだと思います。
メンバーの皆さん、本当にありがとうございました! 一隅を照らす光として、絶望に希望をもたらす戦士として、ともにがんばりましょう!!
大学で授業を担当しておりますが、後期はキャリア関係の2科目を担当しています。1科目は、おかげさまで昨年内に終了しており、もう1科目は、来週の月曜20日が最終講となります。
昨年終了の科目は、業界研究をテーマとした授業であり、多くのゲストスピーカーのご協力を頂き、すてきなご講演を通して、業界について、会社について、社会人として働くということ、社会人として輝いて生きるために必要なこと、などについて学ぶことができました。学生たちも、ゲストスピーカーとのダイアローグセッションと称して30分程度の質疑応答の場を取り仕切るなど、 とても難しい課題に挑戦し、見事に乗り越えてくれました。とても勇敢で立派な学生たちでした。素晴らしいゲストスピーカーと学生たちにあらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。
残りのもう一科目はキャリア形成に関する授業であり、単に就活突破の方法ではなく、人生を力強く幸せに生きるためのポイントを学ぶ講座です。当講座では、社会人として輝いて生きるための心構え、コミュニケーションや人間関係のスキル、社会情勢、志とビジョンについて学ぶことができました。これまでのところ、学生たちは、講座に真剣に向き合い、単に授業を聞くだけではなく、グループワークやコミュニケーションスキルを学ぶための体験型の講座に対しても、決して逃げずに立ち向かい、乗り越えてくれました。きっと体験から大切なことを学んでくれたと思います。とても充実した意義深い学びの場、良い教室となっていると思います。これも学生たちのおかげです。本当にありがとうございました!
来週の月曜が最終講なのですが、最終講のテーマは主体性とセルフリーダーシップです。簡単そうでとても難しいテーマです。これが当たり前にできていたならば、今芸能界で大炎上している事件も起こらなかったし、自民党の隠し金問題も起こらなかったし、もしかしたら、世界中の戦争や各種問題もとっくに解決できていたのかもしれません。
ままならない人生、困難や苦悩は避けて通れないことではあり、時に忍辱、耐え忍ぶことも多々あろうかと思います。しかし、だからと言って、絶望して志を捨てて、流されるままに生きてもいけません。権力から命じられたからと言って自分の良心に反することに手を出してもいけません。どんなにそれが難しくとも、決して自尊心を捨てずに、希望を忘れずに、何度も反省し、舵をしっかりともって軌道修正し、少しずつ進むことが大切なんだろうと思います。
最終講で、人には、どんなに困難な環境の中にあっても、人には自分らしく輝いて生きるための十分な可能性があること、自分を信じて勇気をもって生きることが予想もしていなかった偉大な未来をひらくことを伝えたいと思います。
学生たちの未来にたくさんの愛、あふれるほどの豊かさ、そして最高の幸せがやってきますように!
本日、会社として初詣に行ってまいりました。
当社では、毎年、1月11日の11時にこちらの神社さんでご祈祷をしていただいております。
毎年の行事であり、かれこれもう10年以上続いています。
以前私どもは、東京都稲城市に住んでおり、事務所も家の一部屋に構えておりました。最寄り駅が小田急線の新百合ヶ丘駅で、かれこれ20年近く活動していた大好きな拠点です。
こちらの神社さんは、その近くにある金神神社さんです。
初めてお参りした時に、売上がぐっとあがったこともあり、縁起を担いで、毎年の恒例行事としております。
こちらは、当神社さんにお祭りされている大黒天様です。一本の欅の巨木から作られており、総高は235cm。一刀彫りの大黒天像としては日本一で、川崎市の地域文化財に指定されたそうです。お顔が暗く映ってしまって恐縮ですが、めちゃくちゃ大笑いされています!
今年も、例年同様、良いご縁をたくさんたくさんいただいて、良いお仕事をたくさんたくさんできますように!!
あけましておめでとうございます。
昨年中は、いろいろとお世話になりありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
昨年末、仕事納めを予定していた日に、インフルエンザにかかってしまいましたが、その後、ゆっくり休んで、早めの病み上がりとなりました。今では、もうすっかり好調です!!
おかげさまで、妻にもうつることなく二人仲良く元気に新年を迎えることができました。
今年は、この調子で、家族や友人みな健康で、仲良く、楽しく過ごしていきたいと思いました。何やら新年早々、とくにアメリカで荒っぽい事件が頻発して、不安定この上ない世情ですが、振り回されずに、のびのびとくつろいで、良心に従って幸せに生きることをモットーとしたいと思います!
お仕事も、いろいろと頂いており、意外と忙しい年明けです。おかげさまで、一気に6月に向けて突っ走るスケジュールです!これも、家族や友人、お客様に恵まれているからこその充実です。本当にありがたいことと感謝申し上げます。
では、今年一年、私ども、元気でがんばってまいります!本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
私どもも今日で仕事納めとさせていただきます。
お世話になった皆さん、本当に一年ありがとうございました。おかげさまで、とても充実した一年となりました。
実は、2日前の27日に仕事納めにして本ブログでご挨拶をと思っておりましたが、なんと、最後の最後でインフルエンザにかかってしまいました。今、ものすごく流行っているですってね、薬局から取り寄せた診断キットで調べたところ、見事にA型にかかっておりました。とうとう私も、その一人となってしまいました。
こうなったら覚悟を決めて、ゆっくり休みます。
年末年始は、寝正月です!
皆さんも、どうぞくれぐれもお体大切に、ご自愛くださいませ。
改めて本年一年、ありがとうございました!良いお年を!
人には大きな可能性と言うものがある。
その偉大さは、今の認識では及びもつかないもの、想像をはるかに超える大きな存在である。
仏教ではそれを仏性と言う。
蓮華の花は、泥の中に根と茎を置き、それを越えて大きな花を咲かせる。
人は、泥の中でもがいて生きており、それが自分でありそれが人生だと思い込んでいる。今の意識では、水面上を見る目が未だ開いておらず、認識することができない。泥の中の世界しか認識できないので、汚れて醜い自分や他人、相互に傷つけ合い奪い合う関係性を世界の全てだと思い込んでいる。
しかし、今の人の狭い了見ではわかりようのない世界は存在して、そこに自分の大輪の花は確かに咲いているのだ。
太陽が存在しないわけではない、あまりに厚い雲(恐怖、怒り、悲しみ、恨み、無知、など)が覆っているので太陽が見えなくなっているのだ。
しかし、人が太陽の存在を信じようが信じまいが、太陽は存在している。いつでもどこでも片時も休むことなく我々を照らしてくれている。
しかし、仏性は、我々が世界を認識する道具となっている思考では決してとらえることができない。いわゆる不可思議(思考で把握することが不可能)な存在である。
それは今ここに実在する存在なのだが、精妙すぎるので五感では感じることができない。また、それを思考で理解することもできない。仏性、神性、光、愛、慈悲、魂などと名付けたところで、それらは、単なる名前であって、それそのものではない。
そもそも思考は、リアリティの後付けの説明に過ぎない。リアリティそのものを体験しているわけではなく、起こってしまったことを後付けで言葉にしている。思考は言葉によってなされる行為であり、常に真実の後付けであり時差があるので、今ここにはなり得ない。だから、今ここの実在を思考でとらえることは不可能なのだ。
だから、仏性は、人間の狭い了見の中では、体得することは容易ではない。しかし、努力することによって少しずつ気づき、開発していくことができる。そのためには、仏性に対する信頼と近づこうとする意識的な努力が必要である。
仏性は、あらゆる人にまどろんでいる可能性である。
お釈迦様も、私も、くだまく酔っ払いも、例え過ちを犯してしまった犯罪者にも、内面には天才をもっている。
仏性は努力して作るものではなく、人間存在であれば最初から設置されているのだ。
しかし、それに気づくことができて、その力を開発しなければ、それは機能しない。
お釈迦さまは、それに気づき、体得して、それを生きられた。
わたしたちは、それに気づけておらず、それを生きることができていない。
お釈迦様と私たちは、同じ仏性を持つ存在であり、その意味で同じ尊さを持つ存在だが、認識と意志によって全く違った生き方となってくる。
仏性に気づけなければ、無いのと同じことになる。正しい認識と志は、人にとっての最大の武器なのだ。
だから、その神性が自分や他人ににあるということを信じて生きることが大切であり、光に少しでも近づこうと意識的に努力することが大切だ。
仏性を信じられるからこそ、困難にあっても立ち上がり、前向きに生きることができる。
他人をエゴとしてではなく聖なる部分がある存在として見れるからこそ、欠点ある他人を尊敬することができる。
泥の上の存在を信じることができなければこの世は地獄である。人はみな自分勝手で嘘つきで自分に害をなそうとする鬼にしか見えない。自分も対抗するために醜くあさましく生きる鬼のような存在としか感じられなくなる。人間関係は、お互いに傷つけ合い、奪い合う戦場となる。
狭い了見で誤解し、思い込んでしまった地獄の様相を幻想と言う。
決してそうした幻想を信じ込んではいけない。狭い了見で勘違いの迷妄を生きてはいけない。
太陽は、あなたが信じようが信じまいが存在する。それを信じられないのは、あまりに厚い雲(恐怖、不安、怒り、など)に覆われているからだ。
自分と人の仏性を信じ、目につくエゴではなく、意識的に聖なる魂を見ようと努力してみることが大切だ。
かすかに感じる良心、善意、やさしさ、思いやりを大切にして、意識的に光に向かって生きようと決意してそう生きることが大切だ。
たしかにこの世は地獄の側面がある。人を平気で傷つけ、虐待し、搾取する鬼的な存在は決して少なくない。人は、誰もが聖なる部分もあるが獣性も同居しいる複合的な存在であり、どちらを選んで生きるかは個人の自由である。進化成長の段階や速度は人それぞれであり、自分の仏性を信じられずに、獣性を選んで他を犠牲にして利己的に生きる生き方も許されており、地球上では多様な在り方が混然一体となっており、全体的にいまだ幼稚園にもなり得ていない。
だからと言って自分も低い意識に感染してはいけない。恐怖に首をたれてはいけない。朱に交わらない気高さを持つべきだ。虐待や搾取を許してはいけない。立ち向かって打ち勝つ強さを持つべきだ。
天国の中で天使として生きるのは簡単だ。だれでもできる。
しかし、地獄の中で恐怖や絶望に身を委ねずに魂の純粋さをもって生きるのは並大抵ではない。
だからこそそういう生き方がかっこいいのだ。
人は生まれながらにして仏性を持った勇者だ。
だからこそ、光ない闇の中にあっても、痛みと絶望の世界の中にあっても勇者としての自分を見失わずに自分らしく堂々と生きる姿が輝かしいのだ。
恐怖や絶望にやりたい放題にさせてはいけない。立ち向かう勇気をもとう。
一隅を照らす光、それこそがあなたの本性だから。
お釈迦様は、自分の没後、2,000年後に「末法の時代」が訪れると警告されたそうです。
その時代には、人々は慈しみの心を忘れ、我欲をむさぼり、争いが絶えない世の中となるとのこと。悪業がはびこり、奇病が蔓延していくと語られたそうです。
お釈迦様の没年は紀元前500年くらいと言われています。ですので、いまは、ちょうど没後2500年くらいでしょうか。
お釈迦様の予言は、まんざらはずれてもいなようです。
人々の中には、慈しみを忘れ、平気で人を殺し強盗をする者たちも現れました。
疫病がはやり、人は不安で短気になり、人を嫌うこと躊躇せず、敵意と悪意に歯止めが効かなくなってきました。
他国に攻め入り、罪のない人たち、特に子供や女性を平気で殺害する国も出てきて、その国の狂気の暴力を諫めるのではなく、膨大な援助をして外道の火に油を注ぐことが正義と主張する偽善や詭弁もまかり通っています。
まさに、地獄への道は善意で敷き詰められているのです。
正義の化粧をした憎悪と悪意が、圧倒的な権力で我々に牙を向けてくる時代。狂気と非道が正当化される時代。まさに今は末法の時代のように感じます。
しかし、光に勝る闇はありません。どんなに技巧を弄しても嘘は真実には勝てません。邪悪、憎悪、悪意は、どんなに力をもったとしても決して勝ち抜くことはできません。最終的には自らふるった刃でうち滅ぼされてしまうでしょう。狂気は終わりを迎えることが定めなのです。
アメリカでは、大統領選が行われ、トランプさんが勝利を収めました。とても記念すべき勝利だと思います。マスコミからは散々な物言いをされ、言いがかりのような訴訟を起こされ、挙句の果てには3度にもわたる暗殺未遂を乗り越えての勝利です。本当におめでとうございます。
トランプさんは、自分のためと言うよりは母国のため、世界のために使命があるので不退転の決意で戦ったとのこと。タフな戦士、立派な将軍、勇者なのだろうと思います。
どういう性質のものかはわかりませんが、いずれにしてもこの勝利によってアメリカのみならず、世界は大きく変化すると思います。もちろん日本も例外なく激動に突入していくのだと思います。
願わくば、狂気が終わりを迎えますように。正気を取り戻すことができますように。ウソや欺瞞、隠しごとに光が当たり、本当のことが明らかになりますように。戦争が終わりますように。正義が貫かれますように、そして平和が実現しますように!