16人の勇者 10. ⑧達人

第10章 ⑧達人

 達人は、技を通して人格を磨き、人々の期待や想像をはるかに超える現実を創り出す創造者です。

 戦士は、目の前に立ちはだかる障害や壁にひるむことなく、自分の能力を高めることを通して強くなり、乗り越えます。しかし、戦士が強くなればなるほど、内面の悩みが多くなり、問題も多発します。新たに現れる敵もますます強くなり、外面の問題への対処を迫られます。
 また、問題解決能力が高まり、不確実でリスクが伴う戦いや挑戦に対しても勝利できるようになると、周囲の期待もより大きくなり、さらなる能力と責任を担う必要に迫られるようになります。戦士は、内面を見つめることによって人間的に成長を遂げ、さらに問題解決のスキル、職務遂行能力、専門的な技術をより高く磨くことを通して、多発するさまざまな問題に立ち向かうことになります。
 かくして、戦士は、達人へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 達人が成長するプロセスは、決して甘いものではありません。乗り越えなければならない壁も決して低くはありません。学問に王道が無いように、達人への近道はありません。達人が学ばなければならないことは、内外ともに無限であり、それも、数々の試練を通して体験的に学ばなければならないものであり、大きな苦痛も伴います。それは、まさに、過酷な道、修行なのです。

 内面的には、心の中の平和とセルフリーダーシップを取り戻すことによって、過度な緊張から解放されて、リラックスと集中のスキルを身につけます。リラックスは、弱いことでもだらしないことでもありません。それは最強最善のスキルであり、最も目的にかなった行動を、最も効果的なタイミングで、最も効率よく、最も最適な力で実行し、驚くような成果を出すことができます。
 但し、このリラックスのスキルを体得することは、容易ではありません。自分の中の平和を取り戻すためには、自分の中に存在している痛みや苦しみ、憎悪や悲嘆を癒やしていく必要があります。しかし、そうした痛みをもった小さな自分のパーツの数は無限であり、海を満たす水滴の数ほどあるのです。
 瞑想や内観を通して、自分の中の問題と向き合い、癒し、痛みのエネルギーを少しずつ開放していきます。しかし、それはカメの歩みのようにゆっくりであり、成果を出すためには根気と粘り強さが必要です。また、目に見える効果を実感できないので、こんなことを続けても何の役にも立たないのではないかという迷いが生まれますが、それを乗り越えるだけの強い信頼と意志が必要です。さらに、自分の中の痛みを見つめて行くことは、決して楽しいことではありません。体験した時と同じだけの痛みを再体験することも多く、その苦しさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
 達人は、このような過酷な試練の登山道を歩みます。着実に、一歩ずつ、時に疲労困憊し、倒れても、しばし休み、再び立ち上がり、前を向いて歩んでいきます。たとえ牛歩の歩みでも、着実な一歩は、目に見えないほどの着実な成長と変化をもたらします。数週間、数か月、数年という根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。次第に、苦痛と絶望は穏やかになり、気高く精妙なエネルギーに気づく感受性を取り戻し、みずみずしい生命の力強さと喜びを取り戻しながら、達人は、徐々に、リラックスと集中のスキルを体得し始めます。そして、うまくいくかどうかが分からない課題に対して、単なる成功を超えて、人の期待をはるかに超えるような驚くべき成功、まったく新しい現実を創造することができるのです。

 外面的には、自分が取り組む課題、芸術、仕事、芸道、武道、などのスキル高めるための方法をあらゆる角度から探求し、成長の計画を立てて、忠実に実践し、スキルを磨いていきます。徐々に腕を上げ、自分独自の方法を編み出し、誰も真似できない高度な専門性とスキルを身につけ、創造的で美しく、常人には真似できない達人の境地に至ります。

 但し、達人の境地に至る事は、容易ではありません。そのためには、身体的には、整った体と姿勢、鍛えられた筋力、強く揺るがない体幹、しなやかで無駄のない美しい身のこなしが必要です。 前述のリラックスと集中のスキルで磨かれた穏やかでパワフルな心も必要です。さらに、掃除などの人目につかない下積みの地道な仕事を続け完ぺきにこなす基礎力、気の遠くなるほどの繰り返し練習、人知れず重ねた努力、道を究めようとする情熱を通して磨き抜かれた技術も必要です。こうした心技体を体得することは、ラクダが針の穴を通るくらいに困難ですが、根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。
 次第に、自分独自の独特な手法や方法を編み出して奇跡を生み出す力を発揮できるようになります。その成功の秘訣は、独創的かつ特殊で秘伝的です。達人の真似をしたからと言って、同じように成功はできません。それは、余人をもって代えがたい、達人にしかできないことなのです。

 達人の作品は、どれも驚くべきものであり、依頼者は、期待以上の成果を手にすることができて、その作品に魅了され喜びます。こうして達人は、多くのファンに慕われるようになり、高い人望と絶大なる信頼が寄せられることになるのです。

 達人は、そのような修行のプロセスを通して、頼もしいパートナーや友人たちと出会うこともあります。その友人たちは、傷ついた子供や放浪者のころに出会った友人たちとは異なり、単なる遊び友達ではなく、仕事上の心強いパートナーとなります。達人は、新しい仲間、ソウルメイトたちと困難が多い修行の道を助け合って歩み、難しい仕事を協力し合って成功させていくことになります。こうして、達人は、表面的ではない深い信頼関係、絆を育む力を得ることもできるのです。達人が作り上げるチームは、まさに最強のチームであり、高度な専門家集団です。達人は、頼もしい仲間とともに、リーダーシップを発揮して、見事に困難なプロジェクトを成功に導いていくのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、達人は、一本気であり、わき目もふらずに一つのことを究めるので、視野が狭くなりがちです。もっと別の視点から見たならば、より良い解決策が見つかる可能性があるのに、自分の視野の狭さが邪魔をしてして、立ち位置を変えることに抵抗します。一芸を究めることは大切であり、それが差別化をもたらす源泉となりますが、その技だけで今後のあらゆる問題を解決できるとは限りません。技の陳腐化を防ぐためには、多様な視点からの探索と技術革新が必要であり、そのためにも、いわゆる“あそび”が必要なのです。一本気すぎて他を排除するのではなく、一見無関係に思えることであっても興味を持ち、見聞を広げる余裕が大事です。
 また、達人は、あまりにも真剣で、その意味で仕事の鬼であり、仕事ばかりに集中します。それは決して技を磨くという意味では悪いことではないのですが、睡眠時間や食事の時間、楽しい家族との対話、余暇の時間をないがしろにして仕事だけに取り組むことは、決して健康的とは言えません。それは仕事中毒であり、仕事に人生を依存している状態でもあります。バランスの良い生き方こそが、より高度な技につながることを鑑みても、ワークホリックではなく、人生の多様な側面を楽しむということはとても大切なことでしょう。

⑶ 恐れるもの
達人が恐れるものは、凡庸になること。技が衰えること。期待に応えられなくなることです。
だから練習し、努力し、改善します。
しかし、その恐れが強くなりすぎると、スランプとなり、当たり前にできていたことができなくなってしまうのです。
達人は、一旦スランプの隘路にはまってしまうと、創造ではなく、再現に走ります。
芸術は職人芸になり、仕事は作業になります。
そうして、創造のクオリテイは、達人の努力や意図とは正反対にどんどん鈍っていくことになります。
スランプの中の達人は、「努力は夢中に勝てない」の言葉を思い出す必要があります。
恐怖で委縮したありかたでは、決して達人技は機能しません、恐怖は、注意深さの源泉であり、成長への踏み台ですが、それに支配されてはいけません。
実は、自分の技は、自分が為すのではありません。自分の中のまだ十分には出会えていない偉大なる可能性が為すのです。そのためには、自分の中のロゴスを信じ、肩の力を抜いて、その働きに身を委ねる覚悟を学ぶのです。

⑷ 課題
達人の課題は、さらに努力することではありません。
遊び心を取り戻すことです。

遊びとは、怠けることではありません。
遊びとは、新しい視点を受け入れる余白、異なる世界に触れる勇気、未知を楽しむ心です。
その余白こそが、さらなる創造性を育てるのです。

そしてもう一つの課題は、人生の調和です。
達人は、本当に仕事一筋です。
時に、その真剣さゆえに、仕事だけが人生になってしまいます。
しかし、家族も、友人も、自然も、芸術も、休息もまた、人生を豊かにする大切な師です。
人生そのものを深く味わえるようになった時、技はさらに深まり、在り方もさらに成熟していきます。
達人は、もはや単なる技術者ではありません。
世界に存在しなかった価値を生み出す創造者なのです。

その創造力を未知の可能性へと向け、不可能を可能にする奇跡を生み出すならば、達人は魔法使いへの道を歩み始めます。
一方、その創造力を仲間や社会のために用い、人々を導き、困難な使命を成し遂げるならば、達人は勇者への道を歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 9. ⑦求道者

第9章 ⑦求道者

 求道者は、真理を探究する人です。

 職人は、自らの技を磨き続けます。
 知識を身につけ、経験を積み重ね、失敗を繰り返しながら、自分の専門性を高めていきます。
 しかし、ある時、大きな壁にぶつかっていることに気づくことになります。
・技術だけでは解決できない問題がある。
・努力だけでは届かない真実がある。
・同じ技術を使っても、人によって結果が違う。
・正しいことをしても、報われないことがある。

 そして職人は、技術では決して解くことのできない「答えのない問い」と出会うことになるのです。
・人は、なぜ苦しむのか。
・人は、なぜ間違えるのか。
・世界は、なぜこれほど矛盾と痛みに満ちているのか。
 職人は、その答えを探究する過程で、自分の技を磨くだけではなく、その技を支えている原理や法則、人間の本質、世界の真理そのものを知りたいと願うようになるります。

 こうして職人は、技を探究する者から、問いを探究する者となり、真理を探究する者である求道者へと変容を遂げるのです。

 求道者は、知識を集める人ではありません。真理を探究する人です。
 目に見える現象の奥にある法則、人間の心の仕組み、人生の意味、善と悪…。
 自由とは何か、愛とは何か、幸福とは何か…。
 求道者は、世界の本質を理解しようとします。

 求道者の探究は、真剣そのものです。
 書物を読み、科学を学び、心理学を学び、哲学を学び、宗教を学びます。
 山にこもり、瞑想を重ね、師を訪ね、寺院を巡り、旅をします。
 求道者は、容易には答えを手に入れることができない危険な問いを巡って、容赦ない修行を繰り広げていくのです。

⑴ 光の側面
 求道者は、問い続ける人です。
 安易な答えには飛びつきません。
 世間の常識をうのみにしません。
 権威だからといって信じません。
 自分自身の体験を大切にし、気付きを深め、徐々により精妙で豊かな感受性を身につけていきます。
 また、自分が間違っている可能性を受け入れる謙虚さも持っています。
 真実の前では、あらゆる自己欺瞞、こじつけやいいわけを決して許しません。
 自分の中の良心と言う厳格な基準に忠実なのです。

 だから求道者は、日々成長します。
 知識だけでなく、洞察を深めていくのです。
 出来事や存在を一面的にではなく、多元的多面的に理解できるようになり、認識に深みと広さが生まれてきます。いわゆる正見のスキルを身につけるようになります。

 ありのままをありのままに理解する。
 自分の願望を混ぜない。
 自分の恐れを投影しない。
 自分の都合で解釈しない。
 世界を世界のままに、人を人のままに、自分を自分のままに見る。
 その当たり前のようでいて最も難しい能力――正見を、求道者は問い続ける勇気を通して少しずつ身につけていくのです。

 また、正見とは、自他の分離をもとにした認識、分別や評価を慎むということでもあります。
 自が他を認識し、評価し、利用する。その当たり前の営みの背景にある“私が私だと思い込んでいた小さな防衛的で攻撃的な私”が、実は全体の私ではなかったことに気づき、距離を置き始めます。
 エゴを人格の中心から降ろした私は、しばし戸惑い、さまよいますが、エゴの自動認識に巻き込まれることなく、判断を保留して、静けさにとどまっていると、次第に、今までは他と思い込んできた領域を自分として体験できる視座が開けてきます。それは、共感を越えて自他不二の境地と言えます。

 正見とは、自が他を正しく見ると言うよりは、共感的、体験的に理解するということであり、それは、究極の調和、愛、一体感でもあります。

 そして、真の正見ができるようになる時、アイデンティティは、エゴにではなく、Selfにシフトし、もともと自分であった本来の自分が中心となる、王の帰還が実現するのです。

⑵ 影の側面

 人には、自分ではうまくコントロールができない、ままならないものが2つあります。
 一つは内面であり、一つは自分以外の世界です。
 求道者は、内面については、徹底的に探究を進めており、深い洞察を体得していますが、外側の世界の不確実性についてはいまだに苦手です。 外側の世界には、思いもよらない偶然、理屈では説明のできない奇跡もあれば、理不尽な苦悩、痛み、矛盾、うそ、搾取、暴力、など、光もあれば闇もあり、そのたいていのことは、自分のコントロールの範囲外で起こってきます。
 実は、求道者は、そうした外面の複雑性、不確実性が苦手なのです。
 求道者は、そうした外面の不確実性に対して、2つの対処をします。 一つ目は、「悪や複雑性の拒否」であり、もう一つは「ルール化」です。 こうした単純化とストイックさは、罠の多い精神世界を歩む上では、必要な武器と防具でもありますが、度が過ぎると、さまざまな機能不全となって現れてきます。

 まず、一つ目の「悪や複雑性の拒否」について、求道者は、ストイックに善を求めます。求道者はけがれることが嫌いなのです。
 しかし、現実は、もっともっと複雑で不確実で奥深く、シンプルではありません。 世の複雑性、不確実性に対処するためには、エゴが善と判断するものだけでは不十分です。
 エゴが悪として排除してきた衝動や感情、力も統合し、必要に応じて適切に用いる成熟さが求められます。
 怒りを知らない人は、不正に対して毅然と立ち向かえません。
 攻撃性を認めない人は、大切なものを守れません。
 権力を嫌悪する人は、組織を導く責任を果たせません。
 求道者は、善を求めるあまり、「善人」であろうとする罠に陥りやすくなります。 しかし、善人を演じることは成熟ではありません。 自分の中の悪を否定するほど、人はその悪に無自覚に支配されるようになるのです。
 自分の内にある善と悪の両方を見つめ、そのどちらにも支配されることなく、生かす道を探し続ける必要があります。
 影を否定することは成長ではありません。 影とは、排除すべき敵ではなく、セルフのもとで仕える力へと変容させるべき存在です。
 影を統合して初めて、人は世の複雑さや不確実さを受け止め、善悪を超えた成熟へと歩み始めるのです。

 二つ目の「ルール化」について、求道者は、きままで誘惑の多い外面の世界に対して、厳格なルールをもって自分の行動や組織の秩序を維持します。
 ルールは、トラブルを未然に防ぐ便利なツールであり、軸をもって生きる上での支えとなるものですが、扱い方を間違えると、強い副作用が出てくる劇薬となります。
 ルールはあくまでも手段であって、成長への踏み台ですが、それに権威を持たせて玉座に据えてしまうと、たちまち法的統治から転落し、教条主義、権威主義、原理主義となり、柔軟性のなさと狭量による厳格な罰則を強調し始めることになります。
 悪を排除しようとする人は、やがて複雑さそのものを排除しようとします。 その結果、人を理解することよりも、ルールを守らせることが目的になってしまうのです。
 自分たちが設定したルールを権威化して、自分の生活や生き方を一元的に例外を許さず厳格に律すると同時に、他者にも、そのような生き方を強制します。
 もし、ルールを少しでも踏み外したら、指摘し、裁き、罰を与えるのです。

 さらに、その傾向の度が過ぎると、求道者は、律法学者へと闇落ちすることになります。 律法学者は、すでに探究者ではなく権威者となってしまいます。
 律法学者は、世のため人のためと言いながら、正装して歩き、上席や上座を好み、やもめの家々を食いつぶし、その言い訳に長々と祈ります。
 人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしません。
 知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げます。
 真に聖なるものたちを、ルールにそぐわないと言って、魔女、罪人のレッテルを張って迫害するのです。
 そして、その時のルールは、もはや聖なる道ではありません。求道者の最も嫌うけがれの道となり、いつの間にか求道者は律法学者、魔女裁判官となり、悪の伝道者となってしまうのです。
 探求者は、こうした闇落ちの罠があることに十分注意をしなければなりません。自分の不完全さを受け入れる勇気、謙虚さ、共感、人の言葉に耳を傾けることができる節度、そして、自分の良心を決して裏切らない基軸を持つことが大切です。

⑶ 恐れるもの
 求道者が恐れることは、悟りと遠ざかることです。
求道者は、人間に本来そなわる本性を垣間見る見性を得ますが、その後も同様に、自由にその境地に入ることは容易ではありません。悟りは、睡眠と同じように、向こうからやってくるものであって、努力で呼び寄せられるものではないからです。
 むしろ、それを求めれば求めるほど、分離が強まり、境地は遠のいてしまいます。
 求道者は、悟りと遠ざかることを不安に思うあまり、儀式や方法、法具や経典などの偶像に依存することがあります。しかし、「形」に依存した瞬間、生きた真理=向こうからやってくる自然な流れは消え去り、残るのは人間が作り上げた「固直したルール」だけになります。
 不安や恐怖にたきつけられて、偶像や儀式、ルールに依存するその方法は、決して悟りに近づくやり方ではなく、むしろ、律法学者への転落の道でもあるので注意が必要です。

 また、求道者は、完ぺきではないこと、そこに少しでも影があること、間違いがあることを嫌うあまり、問題解決のための求道というよりは、理想主義や完璧主義の隘路にはまり、完璧な方法や、非の打ち所がない教えを求めることもあります。
 目的が問題解決から求道そのものに切り替わってしまうのです。理想を追求するあまり、次から次へと指導者や教えを巡り歩き、ジプシーを繰り広げることもあります。
 そうした探究が、最終的な真実との出あいにつながる可能性もありますが、時には、放浪者と同じように、本質的で見たくない問題から逃れるための言い訳となっている可能性もあります。あくまでも目的は、探究ではなく、真理に近づき真理を生きることであることを忘れてはいけません。

⑷ 課題
 求道者の課題は、真理を所有することではなく、真理に仕えることです。
 さらに多くの知識を得ることでも、さらに深い悟りを得ることでもありません。
 真理に仕えるとは、自分のエゴを、真理の前に静かにひざまずかせることです。
 自分の都合に合わせて真理を利用するのではなく、真理によって自分自身が変わっていくことです。
 求道者は、厳しい修行を経て、悟りを開き、自分自身を救うことができますが、本来の探究は、自分自身のみを救うことではありません。
 自らが得た智慧を、人の幸せのために用いること。
 それこそが、求道の使命なのです。
 真理は、自分一人のために存在するものではありません。
 人を照らし、人を生かし、人を幸せにするために存在するのです。

 求道者が、自分だけの悟りへの執着を手放し、真理に仕え、人に仕えようとした時、その探究は新たな段階へ入ります。
 真理を探す者は、やがて真理を生きる者となるのです。
 その時、真理は知識ではなく、生き方になります。
 そして、智慧は知識ではなく人格となり、求道者は、自分を救う存在から人を導く存在への道を歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

創造性とは

人は言う。
「自分には創造性なんて大それたものはない」と。

その通りなのかもしれない。
創造性は、エゴの仕事ではなく、神の仕事だからだ。

だから私たちは、自分の力だけで創造しようとすると、すぐに限界に突き当たる。

しかし、ほんの少し勇気を出して創造に挑戦してみると、不思議なことが起こる。
枯渇していると思い込んでいた井戸の底から、次々と新しい水が湧き出してくる。

一つ描けば、次の絵が現れる。
一つ書けば、次の言葉が現れる。
一つ問いを立てれば、さらに深い問いが現れる。

まるで、そこにある可能性は使うほど減るのではなく、使うほど増えていくかのようだ。

創造活動は、汲み尽くすことのできない井戸である。
その奥には、想像をはるかに超える可能性がまどろんでいる。

そして、その井戸から水をくみ出せば出すほど、歓喜は深くなり、愛は広がり、光は強くなる。

創造性とは、自分が何かを生み出すことではない。
創造性とは、ロゴスとの共同作業なのである。

私が創るのではない。
創造が私を通って現れるのだ。

偽りを手放す勇気

ファウチ氏が資金提供した武漢研究所の研究がCOVID-19の発生源となった
公開日:2026年6月18日 アメリカ国家情報長官室https://www.dni.gov/index.php/newsroom/reports-publications/reports-publications-2026/4165-fauci-funded-wuhan-lab-research-that-sparked-covid

国家情報長官のタルシ・ギャバードは、ファウチ氏が情報機関(IC)の政治的なキャリア指導者たちと共謀して、自身の行動、ウイルスの研究所からの漏洩という起源、そして計り知れない被害と数え切れないほどの命を奪ったこの危険な研究への米国の資金提供を指示した自身の役割についての真実を隠蔽したことを暴露する、これまで公開されたことのない通信記録や文書を公開している。これらの文書は、ファウチ氏がCOVID-19に関するICの評価に影響を与え、操作した直接的な役割、そして2024年にファウチ氏が宣誓証言でウイルス研究に関する情報機関職員との協議について知らなかった、あるいは参加していなかったと否定した際に、いかに議会に嘘をついたかを明らかにしている。

本日公開された資料は、トランプ大統領の最大限の透明性確保という方針を支持するため、国家情報長官ギャバード氏が1年間にわたって行った機密解除の見直しの結果である。

COVID-19関連情報一覧
COVID-19関連情報パート1
COVID-19関連情報パート2
COVID-19関連情報パート3
COVID-19関連情報パート4

※米国の Office of the Director of National Intelligence (ODNI) に掲載された公式文書より引用

 

先日、アメリカの情報機関がCOVID-19の起源や武漢研究所との関係について、これまでなら陰謀論と片付けられていたような内容を含む文書を公開しました。
私は、その内容がすべて事実だと言いたいわけではありません。
真相は今も完全には分かりませんし、今後も検証が続くことでしょう。
しかし、この出来事を見ていて改めて考えさせられたことがあります。
それは、人はなぜ真実よりも物語を信じたがるのか、ということです。

私自身、かつては陰謀論を信じる人たちに対して否定的でした。
世間から認められない人が、社会や権力のせいにしているだけではないか。
そんなふうに思っていました。
しかし、世界の矛盾や問題について真剣に調べ続ける中で、
「もしかすると、すべてではないにせよ、一部には事実も含まれているのではないか」
と思うようになりました。
そのときに苦しかったのは、新しい真実を知ったことではありません。
自分が信じていた世界観が揺らぐことでした。

人は、自分が間違っていたかもしれないと認めることが苦手です。
それまで信じてきた常識。
信頼してきた組織。
正しいと思っていた価値観。
それらが崩れることは、自分自身の一部が壊れるような感覚を伴います。
だから私たちは、無意識のうちに自分の世界観を守ろうとします。

時には、どれだけ証拠が積み上がっても受け入れようとしません。
「もっと証拠が必要だ」
「まだ確定していない」
と言い続けます。

もちろん、証拠を求めること自体は大切です。
しかし、その言葉が本当に慎重さから来ているのか、それとも世界観を守るための防衛反応なのかは、時々立ち止まって考える必要があります。

不確実性に対する未熟な反応は二つあります。
一つは、確実な答えが出るまで動かないこと。
もう一つは、確実な答えが出たと思い込むことです。
一見すると正反対ですが、その根底にあるものは同じです。
それは、不確実性に耐えられないということです。

現実には、私たちは完全な真相を知ることはできません。
時に私たちは、それでも判断しなければなりません。
それでも生きていかなければなりません。

だから私たちに必要なのは、真実を所有することではなく、
自分が信じている物語を疑う勇気なのかもしれません。

今回の文書が事実かどうか。
それは今後も検証され続けるでしょう。
しかし少なくとも一つ言えることがあります。
それまで議論することすら許されなかった問いが、再び問いとして扱われるようになったことです。
私はそこに希望を感じています。

なぜなら、人類の進歩とは、誰かの物語が勝利することではなく、問い続ける自由を失わないことだと思うからです。
私たちが恐れているのは、真実そのものではなく、真実が自分の物語を壊すことなのかもしれません。
私たちは真実を完全に知ることはできません。
しかし、自分が信じている物語を絶対視しないことはできます。
そして、その営みこそが、人類が少しずつ成熟していくために必要なことなのではないでしょうか。

そのために必要なのは、真実を知っているという確信ではありません。
自分が間違っていたかもしれないと認めること。
そして、偽りを手放す勇気です。

エッセイ賞第3次選考通過

実は、今年の3月くらいに、当ブログでも発表している文章「日常の中のロゴス」を、文芸思潮のエッセイ賞というコンテスト?に応募していました。
先日、文芸思潮社さんから連絡を頂いて、第3次選考を通過したのご連絡を頂きました。
こうした文芸賞への応募は初めての挑戦で、第3次選考通過がどういう意味を持つのかがよくわかっておりませんが、でも大変光栄なことだと思っています。

当ブログで言う「日常の中のロゴス」は、応募の際にタイトルを「日常のロゴス」と間違えて書いて送ってしまったので、選考通過作品のタイトルは、そうなっています。

【「日常の中のロゴス」シリーズ】
1.ロゴスとは何か
2.ロゴスを語源とする言葉
3.偶像崇拝の罠
4.自尊心の本質
5.教育と日常哲学
6.ロゴスへの帰還

今後、審査は続いて、9月の文芸思潮101号で入賞作品が発表されるそうです。
第3次選考通過だけでも光栄ですが、ちょっとだけワクワクします。トンビが鷹を生むでしょうか!
こうご期待!

自分を裏切らずに生きるということ

自分を裏切らずに生きるということ

困難から逃げずに立ち向かっていけば、どの道を通っても必ず勝利する。
何につけ人のせいにして逃げているうちは成長はないし勝利もない。

時に、ドラゴンに首をたれて恐怖の代理人になる人もいる。

どう生きたってかまわない。どう生きてもその人のその時の人生だ。
しかし、ダークサイドに落ちて喜んでる人は、誰も愛せないし誰からも愛されない。
金や力は得るかもしれないが、
誰かを犠牲にしてその生き血を吸う寄生虫のような嫌われ者になる。

自分らしく生きようと志す者は、決して恐怖に負けてはいけない。
恐怖は成長への踏み台であって主人ではない。
勇者の人生にはドラゴンがつきものだ。
痛みや苦しみは避けられないが、立ち向かうことで成長の教材になる。

「なんで俺ばっかりこんな目に合うんだ!」
それはあなたが勇者だからだ。
痛みから学び、成長し、いつか同じような苦しみを持つ人を救うためだ。

人生には目的がある。その大切なものの一つは成長だ。
成長することは、あなたの使命なのだ。
より深く、より広く、より気高い存在へと成長することは、人としての宿命。

痛みや困難は避けられない。
痛みを受ける弱い自分を許そう。
失敗した自分を受け入れよう。
そして反省から学び、
勇気をもって再び歩き出そう。

自分を裏切らないために。

 

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物理学上の時間は、順も逆も問わない。
しかし、この現実では、時間は誰にとっても平等に過去から未来へと流れていく。

この世界の時間とは、可能性を現実へと変えていく神秘である。

だから人生は、
進むたびに自由を失う。

しかしその不自由さの中でしか、本当に大切なものは得られない。
それは、支配から献身への脱皮である。

万能の神も、
無限の可能性を捨て、
あえて一つの歴史を選んだ。
あえて一つの世界を選んだ。
あえて一つの時間の流れを選んだ。
そして、あなたになった。

あなたが、ままならない世界の中で、それでも生きる中で、
愛も、
勇気も、
赦しも、
献身も、
現実となった。

そして、そんなあなたと、めぐりあうことができた。

あなたとの出逢いで、つまらない日常が輝いてきた。
さびしかったけどもう一人じゃなくなった。
あんなに重苦しかった対話が、楽しさに変わった。
とっくに忘れてしまった胸の鼓動、愛おしさがよみがえってきた。
すっかり委縮してなくなってしまったと思っていた勇気が胸に満ちてきた。
いとおしさと哀しさと愛が胸からあふれ出てきた。
あなたとの出逢いは、忘れてしまっていた尊いものに気づかせてくれた。

そう、君との出逢いは、封印された宝庫を開く鍵だった。
再び、自由になる。
再び、気高くなる。
再び、愛せるようになる。

君との豊かな関係性は、 人生の大切さを思い出させてくれた。
理不尽や苦悩さえも、 この旅に必要だったのだと教えてくれた。
そして、 長いあいだ抱えていた痛みを、 そっと溶かしてくれた。

さあ、今度は、一皮むけた二人で旅立つ番だね。
創造への冒険ははじまる。

 

16人の勇者 8. ⑥戦士

第8章 ⑥戦士

戦士は、勇気をもって旅に一歩踏み出した勇者です。
戦士は、慣れ親しんだ自分の居心地の良い部屋、習慣、生き方を捨て去り、愛する人を守るため、ドラゴンを倒すため、夢を実現するため、自分の弱さを克服するための旅に出る覚悟を決めます。

慣れ親しんだ環境を後にして新しい世界に入ろうとする際には、必ずそれに抵抗する「門番」と呼ばれる力が立ち現れてきます。門番は、異なる2つの世界の境界にいて、境界を出入りする人を監視し、管理します。
旅に出ることを決めた戦士にとって、門番は、最初に出会う敵となります。門番は、故郷を後にしようとする戦士の邪魔をして、旅立ちを阻止しようとするのです。
それは、故郷を後にするものを裏切者扱いにする嫉妬深い人であるかもしれませんし、法律のような制度であるかもしれません。
逆に、戦士を心配し、戦士が未知に挑戦することを危険視するあまりに、おせっかいをやく親かもしれません。
また、仲間抜けをするなら落とし前をつけろと脅す戦士を搾取していた者たちであるかもしれません。
さらに、戦士自身の冒険への不安や恐怖である場合もあります。
いずれにしても、門番は、何らかの理由、たいていの場合は狭く勝手な了見で、戦士の旅立ちを阻害します。戦士は、まずは、その者たちに対して、上手に立ち向かい、乗り越える必要があるのです。

戦士は、門番に対して決して逃げることなく立ち向かいます。門番を乗り越えるためのさまざまな作戦を練って、検討し、果敢に出陣するのです。
もちろん、面と向かって戦い、門番を倒し、打ち負かすことで乗り越えることもできますが、方法はそれだけではありません。門番が寝ているすきをみて素早く通り過ぎる方法もありますし、荷車の荷物に紛れて通り過ぎる方法もあります、通過を許されている何者かに変装して門番を上手にだます方法もあるでしょう。
理想的には、話し合い、門を出る必要性と意義を理解してもらい、旅を応援してくれる仲間になってもらうのが最高です。
そもそも、門番は、門番としての使命を持っており、戦士にとっては旅を邪魔する障害となる者ですが、決して敵や悪者ではありません。できるだけ門番を傷つけずに脱出できるのに越したことはないのです。戦士は、この門番への対処法を通して、まさに今までに学んだ事柄のテスト、力量を問われることになります。

いずれにしても、戦士は、こうして、障害から逃げることなく直面し、作戦を練って果敢に挑戦し、見事に高い壁を乗り越えて、戻ることのできない未知なる冒険へと乗り出すことになるのです。

⑴光の側面
戦士は、勇気と力と高潔さをもって敵に立ち向かいます。
目標を定め、計画を練って、果敢に挑戦して成果を出します。
時には自分や仲間を守るために勇敢に戦いを挑みます。戦士は、ただ単に強く手段を選ばない暴君ではなく、気高く高貴な正義の騎士なのです。
戦士は、多くの戦いや挑戦を経て、どんどん強くなっていきます。
どう転ぶかわからない不確実な戦いに挑み、多くの経験を経て戦いを有利に進め、勝利をもたらす力を身に着けていきます。
旅に出る前は先を見通せる事だけしかできなかったのに対して、戦士は、不確実で成功の保証がない課題に取り組み、高い確率で成功をもたらすことができるようになります。すなわち、不確実性への耐性を体得することができるのです。
また、困難な逆境にあっても、決してあきらめずに立ち向かう強靭な精神力、粘り強さを体得していきます。さまざまな不安にひるまずに率直に言うべきことを言う自己主張の力、説得し納得を引き出すプレゼンテーションの力を身につけます。

⑵影の側面
戦士が恐れるものは、自分自身の弱さ、能力不足です。
自分の中にある弱さや能力不足を、何度も何度も練習を繰り返し、克服していきます。
敵に勝つなどの具体的な目標を設定し、それを実現する能力を獲得するために学習計画、鍛錬のスケジュールを定め、強い意志で訓練を続け、成長していくのです。
それは、自分の中の弱さと戦い、打ち負かそうとするプロセスでもあります。
戦士は、自分の中の怠け癖、わがまま、悪の傾向、私利私欲を求める心、移り気、いい加減さに対して、無慈悲で厳しい態度で臨みます。それらを発見するたびに、自分を叱り、責め、否定して打ち負かそうとするのです。
そうしたストイックな態度は、戦士の急速な成長をもたらします。戦士はあっという間に力をつけて、能力を高めます。以前の自分とは比べ物にならないくらいの力強くたくましい存在になるのです。
しかし、一方で、自分の中で否定された弱さや欠点は、決して消え去ることはありません。光あるところに影ができるように、弱さや欠点は切り離せない自分の一部であり、どんなに戦士が強くなっても、それらは影のように存在しています。
普段は戦士の厳しい態度に打ち負かされて身を潜めますが、戦士の気力が弱まった時や心理的な困難で集中力を失ったときには、心のすきを縫って自己主張し、戦士を増々困惑させる事態を生むことになるのです。
戦士は、そうした弱点の反撃に会うたびに、自分の中にある欠点をぬぐえないことに対する罪悪感や恥を感じ、弱点を嫌悪し、恫喝し、破壊しようとします。完璧な戦士になろうとして、正義を貫き、時には自己犠牲の精神で、自分の命をも捨てる覚悟で戦いますが、たとえそれができたからと言って、欠点を克服できたわけではありません。
完璧になろうとする試みは、決して成功しません。光があれば影ができるように、長所があれば欠点が生まれてくるのは宿命です。また影は実体ではなく、光の欠如であり、光が強ければ強いほど濃くなります。同様に、戦士が強くなればなるほど、弱さや欠点も強くなり目立つようになるのです。
こうして、戦士の外面的な成長とは裏腹に、内面では、徐々に葛藤が強まり、苦悩は増していくことになります。この葛藤は、放置しておくと、ますます悪化して、後に大きな問題やトラブルにつながる原因となっていく危険性があります。
また、内面の葛藤は、外面にも影響を及ぼすようになります。戦士は、自分の内面の弱さを憎み、攻撃するように、他者の弱さや欠点に対しても厳格です。他者の弱さを指摘し、反省を促し、克服する努力をするように忠告します。
しかし、他者の弱点や欠点も、自分同様に光あるところの影であり、決して無くなることはありません。攻撃を受けて身をひそめることはあるでしょうが、チャンスを見て反撃をすることもあるでしょう。
戦士は、反撃にあえば会うほど、過剰に警戒し防衛するようになり、弱点への攻撃は、ますます無慈悲になり、過酷になります。戦士の攻めが強くなればなるほど相手の防衛と反撃も強まるので、ますます自他の葛藤は強まります。葛藤に勝つために、戦士の忠告は警告になり、次第に恫喝へと変わっていきます。
時には、虐待や暴力につながる危険性もあります。そうなると、もはや正義の味方ではなく、冷酷な一匹狼に逆戻りしてしまい、最悪で虐待者、悪への転落者となってしまいます。

⑶課題
そうした暴力や虐待の罠にはまることなく、戦士が本質的に強くなるためには、意識的にこの内面と外面の葛藤を解決するよう努力する必要があります。
戦士に必要な課題のまず一つ目は、何のために弱さと戦うのかについての大義を忘れないようにすることです。
弱きを助け強きをくじくという志の下では、弱者に対しての慈悲を忘れることはないでしょう。
しかし、大義を失い、私利私欲に走ってしまうと、容易に恐怖や怒りの感情に飲み込まれて、暴君や虐待者になってしまうことでしょう。

2つ目の課題は自制心を持つことです。自制心とは、自分を律すること、自分の内面の多様性を統合するリーダーシップを言います。
自制心は、弱点を決して否定しません。かといって、放置もしません。暴れ馬に手綱をつけて静め上手に乗りこなすのです。自分にとっての障害を見境なく敵と見立てて戦うのではなく、上手に向き合い、コントロールするすべ=自制心を学び取ることが大切です。

3つ目の課題は、受け入れる度量を身につけることです。まずは、自分や他者の欠点、弱点は、影のような存在であり、けっして消し去ることはできないことを理解し、それを受け入れることが必要です。自分が恐れるものは自分の影であることを見極めて、恐れから戦いを挑むことを止めることが大切です。恐れてやみくもに剣を振るうのではなく、存在を受け入れ、良く観察して、光を当てていくことが大切なのです。
認められた欠点はもはや敵ではありません。光が当たった欠点はもはや障害ではありません。それは、免疫力であり、注意深さであり、健全な防衛力となります。受け入れる度量は、狭量な偏屈さ、頑固さを和らげ、敵を少なくすると同時に、味方を増やし、最終的には戦力の増強につながるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 7.⑤暴君

第7章 ⑤暴君

一匹狼が群れに属さないとすれば、暴君はその群れを作る者です。
高い報酬と徹底した処罰で管理、コントロールして組織を束ねます。
愛ではなく契約による統治者なのです。

高い報酬の源泉は、不確実性への耐性です。
並外れた胆力をもって、不可能を可能にします。

暴君は、不確実性の正体を徹底的に研究します。
何が起こり得るのか。
どこに危険が潜んでいるのか。
どうすれば勝率を上げられるのか。
失敗を避けるためには何が必要なのか。
そうしたことを執拗なまでに分析し、自分なりの対処法やノウハウを構築していきます。

そして、磨きぬいたやり方と技術と力をもって、
・大きな賭けをする、
・リスクを引き受ける、
・修羅場に強い、
・危機で逃げない、…
暴君は、多くの人が恐れて近づかない危険や混乱の中へ、自ら踏み込んでいきます。
危険な橋を渡るリスクを引き受けて、不確実性と戦います。
だからこそ莫大な成果を生み出せるのです。

暴君は組織を作ります。
事業を作ります。
資産を作ります。
国家を作ります。
混乱を整理し、秩序を生み出し、大きな成果を実現します。

そのために必要なのは、知識でも技術でもありません。
覚悟です。
誰も引き受けたがらない責任を引き受ける覚悟。
誰も挑戦しない未来へ賭ける覚悟。
失敗すれば全てを失うかもしれない状況で決断する覚悟です。
暴君は、その覚悟によって莫大な価値を生み出します。

度胸と覚悟と注意深さは、幸運を招きます。
幸運の女神は、勇気あるものに微笑む。
暴君は、運を味方につけて奇跡を起こすのです。

だから人は彼を必要とします。
だから人は彼を恐れます。
だから人は彼に従うのです。

⑴ 光の側面
暴君は、圧倒的な実行力を持っています。
決断ができます。
責任を引き受けます。
不確実な未来に賭けることができます。

多くの人が危険を恐れて立ち止まる場面でも、暴君は前へ進みます。
だから新しい事業が生まれます。
新しい技術が生まれます。
新しい社会が生まれます。

暴君は成果主義です。
努力や能力を評価します。
結果を出した者には報酬を与えます。
その報酬は、自らが引き受けた不確実性から生み出されたものです。

暴君は人を甘やかしません。
厳しい要求をします。
高い基準を求めます。
しかしそれは、自らにも同じ基準を課しているからです。

暴君は、自分に最も厳しい人でもあります。
弱気な自分を許しません。
失敗した自分を許しません。
騙された自分を許しません。
傷ついた自分を許しません。
弱さや欠点を克服すべく、常に自分を鍛え続けます。
暴君は、努力によって越えられない問題はないと信じています。

違和感から目をそらしません。
危険の兆候を見逃しません。
現実を甘く見ません。
人の善意を過信しません。
社会に潜む罠を見抜こうとします。
そして、自らの知識と経験と技術を磨き続けます。

安易な楽観主義を嫌います。
しかし同時に、絶望もしません。
冷徹に現実を見つめながら、それでも大胆に未来に賭けます。
だからこそ、多くの人が諦める困難を突破できるのです。

そうした暴君は、不可能を可能にする魅力を持っています。
そして、人々はその力に憧れ、その覚悟に驚き、その危うさに畏怖するのです。

⑵ 影の側面
暴君は、世の複雑性を良く知っています。
この世に善と悪が存在し、複雑に絡み合っており、悪も簡単には裁けないことを良く理解しています。
しかし、悪を知っていることと、悪に支配されることは違います。
また、悪を利用することと、悪に奉仕することも違います。
暴君はしばしば、その違いを見失ってしまうことがあります。
暴君のその力は、時として、うそやごまかし、誇張や脅迫を交えた愛のない支配、冷たい取引へと変わってしまうのです。

暴君は、人を信じているのではありません。
愛されるよりも怖がられることによって管理しています。
成果を出せば報酬。
従わなければ処罰。
そうして秩序を維持します。

暴君にとって、人は大切な戦力です。
しかし心から信頼できる仲間ではありません。
利害によって結びついた存在だと考えています。
力になってくれることもありますが、状況が変われば裏切ることもあります。
だから暴君は、人を信頼ではなくアメとムチによって束ねようとします。
時に、それがハラスメントになり、暴力に転じることもあります。
人は、恐怖故に暴君に従いますが、心服はしていないので、言われたことしかやりませんし、身を護るために、言い訳やうそ、取り繕いに徹します。
暴君は、一生懸命に組織を束ねれば束ねるほど、組織はその力を失っていくのです。

また、暴君は、危機的状況になると、時として、強引になってしまいます。
暴君は、不確実性に立ち向かう英雄であると同時に、世界を制御可能だと思っています。
だからこそ、制御できない現実を前にすると激しく動揺します。
しかし世界には、努力でも技術でも解決できないものがある。
暴君は、決して敗北を受け入れることができないように、その事実を受け入れることができません。
だから、勝利のためには手段は選ばない、修羅の道を選ぶことがあります。法的な制約は、それを破ることまではしませんが、時として、法の網の目を通り抜けるような法律ぎりぎりの手段に訴えることもあります。
そうしたふるまいは、他者からは、詐欺的、暴力的とも映ることがあります。

さらに、暴君は、自分の弱さを激しく嫌悪しています。
臆病な自分、無力でみじめな自分、失敗する自分、偽善的な自分、醜い自分、…。
自分の中に、そのような自分が存在することを決して許そうとしません。

だから強くなろうとします。
だから勝ち続けようとします。
だから成功し続けようとします。
しかし、その戦いに終わりはありません。
なぜなら暴君が倒そうとしている相手は、他人ではなく自分自身の影だからです。

そして他人の中に同じものを見つけると、それもまた許さず、憎みます。
・弱音を吐く者。
・言い訳をする者。
・能力のない者。
・偽善者。
・見栄を張る者。
・依存する者。
そのような人々に激しい嫌悪感を抱くことがあります。
しかし実際には、それらは暴君自身の影でもあります。
影は、光の不在であって決して倒し排除することはできませんが、暴君はその勝ち目のない戦いを続けるのです。

自己否定が嵩じて自己嫌悪になってしまうと、勇者の道を踏み外して、魔王へと堕落する危険性があります。
暴君は、少なくとも、世のため人のためと思っている大義名分をもち、法律違反は慎みますが、魔王は、それすら尊重しなくなります。自分の中のぐずぐずと燃え滾る怒りや憎しみ、復讐心、…。それらの源泉は、他者から与えられたものと言うよりは、自己嫌悪なのですが、それを自分に見て反省しようとはせず、他人に投影し、攻撃を始めます。
眼光は狂気を帯びるようになり、その攻撃は、自分にするように他人にするものであり、容赦ないもので、虐待や暴力をふるうことに躊躇がなくなるのです。
その時、暴君が築いた王国は、人々のための秩序ではなく、自らの傷を守るための牢獄へと変わるのです。

⑶ 恐れるもの
暴君の恐れは自己嫌悪です。自分の中の見捨て虐待した自分が影となって、時として自分に影響を与えること、もしくはそう言う弱く醜い自分の存在が暴露されることを恐れているのです。

だからこそ徹底的な圧勝で脆い自己イメージを維持しようとします。
暴君にとって敗北とは、単なる失敗ではありません。
過去に見捨てた自分自身との再会です。
だから、そうした弱くてみじめな自分と直面しないためにも、単なる成功ではなく圧倒的な勝利を勝ち取る自分を維持する必要があるのです。
暴君は人から畏怖を集めることによって自己イメージを高めたいのです。

暴君は負けることを恐れています。
しかし本当に恐れているのは敗北ではありません。
敗北によって、自分が隠してきた弱さや醜さが暴露されることなのです。

⑷ 課題
暴君の課題は、自己不信と劣等感、そしてそれが積み重なって生まれる自己嫌悪です。
本来、人の弱さや醜さは、心理学的には、光の影であって、人存在としてあってしかるべきものであり、切り離すことは不可能な部分でもあります。
しかし、暴君は、そういう自分の内面の瑕疵、欠点や弱さを受け入れることができません。なぜなら、自分の本質が、そういう弱さ醜さであり、そういう自分の無価値な本質がばれたら存在が許されないと思い込んでいるからです。
だから、自分は完全無欠で非の打ちどころのない強さを持っており、何一つ隙はない。あらゆるものは自分が制御可能であり、不可能はない。そう思いたいし、そう思ってもらいたいのです。
暴君にとって、そういう無理難題を自分にも他人にも命じることは、決して楽しく自然なことではありません。自分の圧倒的な力をもってそういう強引な命令を通すことは、一時的にできたとしても、長続きはしません。
だからこそ、もっと肩の力を抜く必要があります。

暴君の課題は、さらに力を手に入れることではありません。
自分自身を許すことです。
弱さを許すこと。
失敗を許すこと。
愚かさを許すこと。
未熟さを許すこと。
偽善を許すこと。

暴君は、自分を愛していません。
だから他人にも厳しくなります。
だから世界にも厳しくなります。
自分を裁く人は、他人も裁くからです。
しかし人は誰も完全ではありません。

誰もが弱さを持っています。
誰もが矛盾を抱えています。
誰もが愚かさを持っています。
その事実を受け入れること。
そして、自分の価値を成果や支配や評価によって証明しようとすることをやめること。
それが暴君の学ぶべき課題です。

自分のありのままを受け入れて、それを少しずつ愛せるようになった時、少しだけ人を許せるようになり、人を大切にできる気持ちが起こってくるのであり、その時にこそ、暴君は、真のリーダーへと変容していくことができるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 6.④職人

第6章 ④職人

放浪者は、さまざまな経験を通して多くのことを学びます。
人との付き合い方。
傷ついた時の立ち直り方。
困難を切り抜ける知恵。
生き抜くための工夫。
しかし、それらはまだ断片的な知識に過ぎません。

職人は、それらを自分自身の力へと変えていく人です。
知識を技術へ。
理解を実践へ。
可能性を現実へ。

職人は、自分の才能や能力を信じ、繰り返し練習し、失敗し、改善を重ねながら、自らの技を磨いていきます。
職人は、自分と深く響き合う一つの分野を見つけ、その世界をどこまでも掘り下げていく人です。
その探究の過程で、自分と対象との間にあった境界線は少しずつ癒され、やがて対象を「自分」として体験するようになります。
だからこそ、理屈だけでは到達できない、他の誰にも真似のできない職人技が生まれるのです。

その探求の対象は、社会の中でうまく立ち回る方法と言うよりは、自分です。
「自分には何ができるのか」
「どこまで成長できるのか」
「どのような価値を生み出せるのか」
職人は、自らの可能性を形にするために修練を続ける勇者なのです。

⑴ 光の側面
職人は努力を信じています。
才能だけでなく、反復と鍛錬によって人は成長できることを知っています。

昨日より今日、今日より明日。
少しでも上達したい。
少しでも良いものを作りたい。
そんな向上心を持っています。

職人は、自分の責任を他人に押し付けません。
できなかったことを言い訳せず、自らの課題として受け止めます。
また、地道な積み重ねを厭いません。
派手な成功よりも、確かな成長を大切にします。
何度も挑戦し、何度も失敗し、その失敗から学びます。

職人は、自分の力で人生を切り開こうとする人です。
だからこそ、困難な状況の中でも諦めずに努力を続けることができます。
その誠実さと粘り強さは、職人の大きな魅力です。

⑵ 影の側面
しかし、その向上心は時として完璧主義へと変わります。
もっと上手くならなければならない。
失敗してはいけない。
常に正しくなければならない。
少しでも瑕疵があってはならない、…。

それは、自分のスキルを磨く原動力ともなりますが、
自他ともに欠点を嫌う狭量さともなり、時に頑固で、融通の利かないわからずやのレッテルを張られることもあります。

また、職人は、自分の仮説にこだわりを持っています。実際には、それらは勘違いや思い込みであることが多いのですが、一旦信じ込んだ仮説は、簡単には変えたり手放したりすることはありません。
他者から「それは違うよ」「勘違いだよ」とフィードバックされても、決して心からは納得することなく、いつまでも自分の勘違いを大切にして、逆に、過去や現実をその仮説の通りに合わせようとするのです。

それは、自分の成長が、仮説と共に在ったので、仮説を信じることは、大切なことでもあるのですが、自分が思いつくあらゆる仮説が真実とは限りません。
職人は、自分の技術やスキルを高めてきましたが、世界の複雑さや不確実性、混とんとしてよくわからない状況に対して、それを深く探求していくことを嫌い、単純で簡単にけりをつけたいという欲求が強いので、世界への理解は自分の技ほど成長していません。
だから、本当は不器用であり、社会でうまくやっていくことに関しては、実は全く自信がないのです。
そして、その自分の欠点と向き合うことが難しい。だから、社会や世界に関する自分の仮説を疑うことができずに、真実と思い込んでしまい、いろいろなトラブルや失敗につながる危険性が少なくないのです。

さらに、大きくゆがんだ世界観や宗教観を自分の信念として持ってしまった場合は、自分の高い技術やスキルが、逆にあだを為してしまいます。
勇者の道を踏み外し、自分の専門性を悪用して、偽善に仕えるマッドサイエンティストに闇落ちしてしまう危険性があるのです。

マッドサイエンテイストは、自分の狭い了見から生まれた暗い世界観や宗教観、人間観を絶対視し、それに人や現実を従わせようとします。
ゆがんだ理論を真実と偽り、専門性を生かして、数多くの実験を行って、自分の立場を証明し、正当化しようとします。
その結果、人の幸せのためではなく、自らのゆがんだ思想や理論による何らかのモンスターを作ってしまうのです。

職人にとって最大の敵は、未熟さではありません。自分の正しさへの執着=傲慢さなのです。

⑶ 恐れるもの
職人は、自分の不完全さ、失敗、愚かさ、自分の内面に存在する影を恐れています。
また、そういう自分の愚かな内面が暴露されて、人から嫌われ、見下されることを恐れているのです。

だから、安全確実で見通しがつくものにだけ手を出しますが、
自分にはできそうもないこと挑戦することを恐れます。

職人は、「分からない」「だから教えてください」ということが苦手です。
人に弱みを見られることを恐れているのです。

だから、知っているふりをします。人に聞かずに自分で何とかしてしまおうとします。
だからこそ高い探求心をもって主体的に高いスキルを体得できるのですが、その成長は、遅く、独自で、隘路にはまりがちとなります。

⑷ 課題
職人の課題は、了見の狭い自分のままで、さらにテクニックを磨くことではありません。
自分の今の限界、いまの不完全さを受け入れることです。

どれほど努力しても失敗はあります。
どれほど賢くなっても分からないことはあります。
どれほど技術を磨いても、人生を完全に制御することはできません。

だから職人には謙虚さが必要です。
自分の最善が絶対ではないこと。
自分の仮説が間違っている可能性があること。
自分のエゴの力だけでは届かない領域があること。
その事実を受け入れる勇気が必要なのです。

職人の使命は、非の打ちどころのない超人になることではありません。
肩の力を抜いて、もっと自分のありのままを受け入れること、真の意味で自分を愛することです。
そして、他人に対しても完璧を求めない。自分のルールを押し付けない。こうあるべきだという偽善から自由になって、もっと他人や社会のありのままをありのままに受け入れ、観察すること、謙虚に学ばせていただくことです。

なぜ努力しても報われないことがあるのか?
なぜ正しいことが受け入れられないのか?
その問いから逃げずに向き合った時、職人は次の旅へと歩み始めます。
技を極めようとしていた者は、やがて真理を求める者へと変わるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる