第6章 ⑤暴君
一匹狼が群れに属さないとすれば、暴君はその群れを作る者です。
高い報酬と徹底した処罰で管理、コントロールして組織を束ねます。
愛ではなく契約による統治者なのです。
高い報酬の源泉は、不確実性への耐性です。
並外れた胆力をもって、不可能を可能にします。
暴君は、不確実性の正体を徹底的に研究します。
何が起こり得るのか。
どこに危険が潜んでいるのか。
どうすれば勝率を上げられるのか。
失敗を避けるためには何が必要なのか。
そうしたことを執拗なまでに分析し、自分なりの対処法やノウハウを構築していきます。
そして、磨きぬいたやり方と技術と力をもって、
・大きな賭けをする、
・リスクを引き受ける、
・修羅場に強い、
・危機で逃げない、…
暴君は、多くの人が恐れて近づかない危険や混乱の中へ、自ら踏み込んでいきます。
危険な橋を渡るリスクを引き受けて、不確実性と戦います。
だからこそ莫大な成果を生み出せるのです。
暴君は組織を作ります。
事業を作ります。
資産を作ります。
国家を作ります。
混乱を整理し、秩序を生み出し、大きな成果を実現します。
そのために必要なのは、知識でも技術でもありません。
覚悟です。
誰も引き受けたがらない責任を引き受ける覚悟。
誰も挑戦しない未来へ賭ける覚悟。
失敗すれば全てを失うかもしれない状況で決断する覚悟です。
暴君は、その覚悟によって莫大な価値を生み出します。
度胸と覚悟と注意深さは、幸運を招きます。
幸運の女神は、勇気あるものに微笑む。
暴君は、運を味方につけて奇跡を起こすのです。
だから人は彼を必要とします。
だから人は彼を恐れます。
だから人は彼に従うのです。
⑴ 光の側面
暴君は、圧倒的な実行力を持っています。
決断ができます。
責任を引き受けます。
不確実な未来に賭けることができます。
多くの人が危険を恐れて立ち止まる場面でも、暴君は前へ進みます。
だから新しい事業が生まれます。
新しい技術が生まれます。
新しい社会が生まれます。
暴君は成果主義です。
努力や能力を評価します。
結果を出した者には報酬を与えます。
その報酬は、自らが引き受けた不確実性から生み出されたものです。
暴君は人を甘やかしません。
厳しい要求をします。
高い基準を求めます。
しかしそれは、自らにも同じ基準を課しているからです。
暴君は、自分に最も厳しい人でもあります。
弱気な自分を許しません。
失敗した自分を許しません。
騙された自分を許しません。
傷ついた自分を許しません。
弱さや欠点を克服すべく、常に自分を鍛え続けます。
暴君は、努力によって越えられない問題はないと信じています。
違和感から目をそらしません。
危険の兆候を見逃しません。
現実を甘く見ません。
人の善意を過信しません。
社会に潜む罠を見抜こうとします。
そして、自らの知識と経験と技術を磨き続けます。
安易な楽観主義を嫌います。
しかし同時に、絶望もしません。
冷徹に現実を見つめながら、それでも大胆に未来に賭けます。
だからこそ、多くの人が諦める困難を突破できるのです。
そうした暴君は、不可能を可能にする魅力を持っています。
そして、人々はその力に憧れ、その覚悟に驚き、その危うさに畏怖するのです。
⑵ 影の側面
しかし、その力は、時として、愛のない支配、冷たい取引へと変わります。
暴君は、人を信じているのではありません。
愛されるよりも怖がられることによって管理しています。
成果を出せば報酬。
従わなければ処罰。
そうして秩序を維持します。
暴君にとって、人は大切な戦力です。
しかし心から信頼できる仲間ではありません。
利害によって結びついた存在だと考えています。
力になってくれることもありますが、状況が変われば裏切ることもあります。
だから暴君は、人を信頼ではなくアメとムチによって束ねようとします。
時に、それがハラスメントになり、暴力に転じることもあります。
人は、恐怖故に暴君に従いますが、心服はしていないので、言われたことしかやりませんし、身を護るために、言い訳やうそ、取り繕いに徹します。
暴君は、一生懸命に組織を束ねれば束ねるほど、組織はその力を失っていくのです。
また、暴君は、危機的状況になると、時として、強引になってしまいます。
暴君は、不確実性に立ち向かう英雄であると同時に、世界を制御可能だと思っています。
しかし世界には、努力でも技術でも解決できないものがある。
暴君は、決して敗北を受け入れることができないように、その事実を受け入れることができません。
だから、勝利のためには手段は選ばない、修羅の道を選ぶことがあります。法的な制約は、それを破ることまではしませんが、時として、法の網の目を通り抜けるような法律ぎりぎりの手段に訴えることもあります。
そうしたふるまいは、他者からは、詐欺的、暴力的とも映ることがあります。
さらに、暴君は、自分の弱さを激しく嫌悪しています。
臆病な自分、無力でみじめな自分、失敗する自分、偽善的な自分、醜い自分、…。
自分の中に、そのような自分が存在することを決して許そうとしません。
だから強くなろうとします。
だから勝ち続けようとします。
だから成功し続けようとします。
しかし、その戦いに終わりはありません。
なぜなら暴君が倒そうとしている相手は、他人ではなく自分自身の影だからです。
そして他人の中に同じものを見つけると、それもまた許さず、憎みます。
・弱音を吐く者。
・言い訳をする者。
・能力のない者。
・偽善者。
・見栄を張る者。
・依存する者。
そのような人々に激しい嫌悪感を抱くことがあります。
しかし実際には、それらは暴君自身の影でもあります。
影は、光の不在であって決して倒し排除することはできませんが、暴君はその勝ち目のない戦いを続けるのです。
自己否定が嵩じて自己嫌悪になってしまうと、勇者の道を踏み外して、魔王へと堕落する危険性があります。
暴君は、少なくとも、世のため人のためと思っている大義名分をもち、法律違反は慎みますが、魔王は、それすら尊重しなくなります。自分の中のぐずぐずと燃え滾る怒りや憎しみ、復讐心、…。それらの源泉は、他者から与えられたものと言うよりは、自己嫌悪なのですが、それを自分に見て反省しようとはせず、他人に投影し、攻撃を始めます。
眼光は狂気を帯びるようになり、その攻撃は、自分にするように他人にするものであり、容赦ないもので、虐待や暴力をふるうことに躊躇がなくなるのです。
その時、暴君が築いた王国は、人々のための秩序ではなく、自らの傷を守るための牢獄へと変わるのです。
⑶ 恐れるもの
暴君の恐れは自己嫌悪です。自分の中の見捨て虐待した自分が影となって、時として自分に影響を与えること、もしくはそう言う弱く醜い自分の存在が暴露されることを恐れているのです。
だからこそ徹底的な圧勝で脆い自己イメージを維持しようとします。
暴君にとって敗北とは、単なる失敗ではありません。
過去に見捨てた自分自身との再会です。
だから、そうした弱くてみじめな自分と直面しないためにも、単なる成功ではなく圧倒的な勝利を勝ち取る自分を維持する必要があるのです。
暴君は人から畏怖を集めることによって自己イメージを高めたいのです。
暴君は負けることを恐れています。
しかし本当に恐れているのは敗北ではありません。
敗北によって、自分が隠してきた弱さや醜さが暴露されることなのです。
⑷ 課題
暴君の課題は、自己不信と劣等感です。
本来、人の弱さや醜さは、心理学的には、光の影であって、人存在としてあってしかるべきものであり、切り離すことは不可能な部分でもあります。
しかし、暴君は、そういう自分の内面の瑕疵、欠点や弱さを受け入れることができません。なぜなら、自分の本質が、そういう弱さ醜さであり、そういう自分の無価値な本質がばれたら存在が許されないと思い込んでいるからです。
だから、自分は完全無欠で非の打ちどころのない強さを持っており、何一つ隙はない。あらゆるものは自分が制御可能であり、不可能はない。そう思いたいし、そう思ってもらいたいのです。
暴君にとって、そういう無理難題を自分にも他人にも命じることは、決して楽しく自然なことではありません。自分の圧倒的な力をもってそういう強引な命令を通すことは、一時的にできたとしても、長続きはしません。
だからこそ、もっと肩の力を抜く必要があります。
暴君の課題は、さらに力を手に入れることではありません。
自分自身を許すことです。
弱さを許すこと。
失敗を許すこと。
愚かさを許すこと。
未熟さを許すこと。
偽善を許すこと。
暴君は、自分を愛していません。
だから他人にも厳しくなります。
だから世界にも厳しくなります。
自分を裁く人は、他人も裁くからです。
しかし人は誰も完全ではありません。
誰もが弱さを持っています。
誰もが矛盾を抱えています。
誰もが愚かさを持っています。
その事実を受け入れること。
そして、自分の価値を成果や支配や評価によって証明しようとすることをやめること。
それが暴君の学ぶべき課題です。
自分のありのままを受け入れて、それを少しずつ愛せるようになった時、少しだけ人を許せるようになり、人を大切にできる気持ちが起こってくるのであり、その時にこそ、暴君は、真のリーダーへと変容していくことができるのです。