カテゴリー別アーカイブ: 06.人材教育の理論・情報

涙の理由

 トヨタの代表、豊田章男氏の涙に共感しましたね。

 一連の騒動を受けて、米公聴会に出席しなければならなくなってしまったこと、事情が事情だけに仕方がないのですが、心境的にはとても厳しいものがあったと思います。

 そんな公聴会の後で、トヨタアメリカの系列販売店やケンタッキー工場の従業員が集まった集会に参加して挨拶をする際、参加者の予想外の思いやりの拍手と勇気づけられる言葉を受けて、「公聴会で私は一人ではなかった。あなた方や世界中の同僚がともにいてくれた」という挨拶をする際に、感極まって涙が出てしまったわけですが、私は、その涙にぐっとくるものがありました。苦しい時にはお互いに助け合うという古き良き企業の風土、忘れていたけれども企業経営にとってとても大切な思いやりや温かい人間性を垣間見た思いがしたのです。

 帰国後、章男氏は、涙の理由についてこう語ったそうです。

 「自分が守ろうと思っていたが、実は守られていたのは自分だったと実感したがゆえに図らずも涙が出てしまいました。」

 社員を守ろうとして気丈にも孤独な戦いを敢行しようとしたけれども、実は守られていたのは自分だったことを実感したとのこと。それを実感された時は、とても深い感動を覚えられたんだろうと思います。

 なんだかんだ言ってもトヨタは日本を代表する会社です。私はトヨタのプリウスに乗っていますが、言われているような不具合は全く感じませんね。何となく、あまりの成功に、嫉妬、言いがかりをつけられている感もあります。

 いちユーザーとして、ぜひ今回の出来事にめげることなく、頑張ってほしいと思いました。

 そして、豊田章男氏もおっしゃっていましたが、「車を愛し、地球環境に貢献する会社」という理想が実現されて、それこそ新しい人間性の時代をリードする素晴らしい誇り高い会社となられることを祈ります。

愛が起こるとき

思考は、その感情的で感傷的な中身ともども、愛ではない。

思考は常に、愛を否定する。

思考は記憶に基づいている。しかるに、愛は記憶ではない。

思考は、その本性上、分離的なものである。

時間と空間、分離と悲嘆の感覚は、思考過程から生まれる。

それゆえ、思考過程が終わるときに初めて、愛がありうるのである。

「生と覚醒のコメンタリー」クリシュナムルティ

静謐さとは

静謐さは、禁欲や克己をもってしては生まれない。

それは、あるがままの実相を理解することによって生まれるのである。

あるがままを理解するには、即座の気づき(アウエアネス)が必要である。

なぜならば、あるがままの実相は、決して静止していないからである。

「生と覚醒のコメンタリー 1」クリシュナムルティ

思考そのものが問題

問題があるときに人はこんな言い方をする。

「問題を解決するためには、それを考えなければ」と。

しかし、私が言おうとしているのは、

  思考そのものが問題なのだということである。

      「ダイアローグ」デヴィッド・ボーム より抜粋

 

青春とは

  青春とは心の若さである。

  信念と希望にあふれ、勇気にみちて、

  日に新たな活動を続けるかぎり、

  青春は永遠にその人のものである。

                  松下幸之助

いちばんひどい病気

   多くの人は病んでいます。

   自分がまったく愛されていない

  関心をもってもらえない

   いなくてもいい人間なのだと・・・・・。

  人間にとっていちばんひどい病気は

   だれからも必要とされていないと感じることです。

         マザーテレサ

逃げるということ

「敵に背中を見せるってことは、

 おれたちが背負っているものを

 奴らにさらすってことだ。

 おれたちのつかもうとしている明日を

 みすみす連中の標的にするってことなんだよ。」

  劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮編 カミナ

ずば抜けて高い日本の子供たちの孤独感

          日本の子供は先進国でずば抜けて「孤独」…幸福度調査

 国連児童基金(ユニセフ)は14日、先進国に住む子どもたちの「幸福度」に関する調査報告を発表した。
 それによると、子どもの意識をまとめた項目で、「孤独を感じる」と答えた日本の15歳の割合は29・8%と、経済協力開発機構(OECD)加盟25か国中、ずば抜けて高かった。日本に続くのはアイスランド(10・3%)とポーランド(8・4%)だった。
                             読売新聞(2007年02月14日)

 古いデータですが、大切なことだと思ったので、引用しました。

 ユニセフの意識調査によると、先進国の中で、孤独感を感じる子供たちの割合が、ダントツに高い国が日本だったとのことです。

 最近、子供たちの暴力が増加傾向にあるというニュースも発表されましたが、その原因となっている重要や要素が、この孤独感なのではないでしょうか。

 『学校では信頼できる気の置けない大好きな友人たちとともに学んだり遊んだりして、家に帰れば愛する家族にに囲まれて、時にはけんかをしても愛されている実感を持って生活をする』、そんな子供が、簡単なストレスで切れてしまい、衝動に駆られて意に反して暴力をふるってしまうことをするでしょうか?

 そんな心境に追い込まれている状況というのは、全く逆に、『学校では、いついじめにあうかわからない恐怖とともにあり、級友とも感情を傷つけないようにかかわるので、自分の気持ちを相手に分かってもらうことなんかない。先生だってキャリアに傷つけないことだけを大切にしていて、問題があっても見て見ぬふりで信じられない。家に帰っても、みんな暗い顔で、機嫌が悪く、自分のことで手いっぱい。たまに会話しても冷たさしか感じない寂しさの中、自分も他人も大切には思えない』、そんな心境で心がいっぱいになってしまった子供たちが、きっと問題を起こしてしまうのだろうと思います。この問題は、学級崩壊やいじめ、登校拒否や様々な教育問題ともかかわっているのではないでしょうか。

 どうしてこんな問題が起こってしまったのでしょうか?世界中で、日本だけなのです。これは、ひとえに教育をリードしてきたリーダーたちの問題、ある意味で失敗といえるのではないでしょうか。こういう問題をよく理解して、文科省や教育に携わる人間は、私も含めて、猛反省すべきですよ。そして、早くこうした問題を解決できるように努めるべきだと思いますね。

 しかし、こうした問題に対処する方法として報道されることは、全国テストなどの競争の強化、厳罰主義、ゼロトレランス(不寛容)方式、など、おおよそ、ますます分離感と冷たさを助長する政策ばかりが目につきます。どんなに優秀な施策でも、さらなる分離感や脅迫を感じる方法は、子供たちにとってはますますの不信感を強化する働きかけと感じ、さらなる孤独感をもたらすでしょう。

 大切なことは、信頼感の回復。シンプルに会話の回復、愛の回復なのです。これができるのは、子供たちの主体性ではなく、大人たちのリーダーシップによるのですから、大人たちが、体を張ってこうした教育に取り組む必要があるのだと私は思いますね。

 信頼と愛の回復の教育。本当に実現するためには、とてつもない勇気とエネルギーと努力が必要だと思いますが、私自身は、ライフワークとして挑戦していきたいと思います。大切なことは、子供たちの自信と元気の回復なのです。子供たちには、自分で素晴らしい人生を切り開く限りない可能性を秘めている。それを引き出すのは自分自身の力であり、そんな自分の力に気づき、自らの足で立てるように支援することが本当の教育なのだろうと思います。ぜひ政府もこうした意見に耳を傾けて、政策に反映させてほしいと思いますね。