悲観主義は間違っている。
だって、すべてが可能だからだ。
「アミ 小さな宇宙人」(エンリケバリオス著)より抜粋
悲観主義は間違っている。
だって、すべてが可能だからだ。
「アミ 小さな宇宙人」(エンリケバリオス著)より抜粋
社長との心の距離「火星と同じぐらい遠い」 asahi.com 2010年5月16日
社長との間に感じる心の距離は火星と同じぐらい遠い――。人事コンサルティング会社のJTBモチベーションズ(東京都港区)が実施したアンケートで、こんな会社員の心持ちが浮き彫りになった。従業員500人以上の会社に勤める全国約500人を対象に、社長との「気持ちの上での距離」を調査。「違う星にいる(4億キロ)」「違う国にいる(1万キロ)」「すぐそば(1メートル)」など八つの選択肢から選んでもらった。一番多かったのは「違う星」で、20.4%。4億キロは、地球と火星が最も離れた時の距離にあたる。
このほか、「違う都道府県にいる(500キロ)」が20.2%、「違う国」が19.4%と続いた。「一心同体と感じる(0メートル)」を選んだ人は0.2%にすぎなかった。
社長を遠く感じる理由は、「コミュニケーションが少ない」「こちらの仕事や状況を理解していない」が多かった。距離を遠く感じる人ほど、別の質問で「自分の仕事に対するモチベーションが低い」「会社の業績は悪化」と答える比率が高くなった。
調査を担当した菊入みゆきさんは「社長が社員とコミュニケーションをとることは、社員のモチベーションや会社の業績の向上につながる有効な手段といえる」と提言している。(山根祐作)
とてもユニークな意識調査ですよね。社長の心理的な距離感が、火星くらいに遠く感じるとは、それはずいぶんと遠いんですね。大声で呼んでも、とてもとても届きません。
原因は、コミュニケーション不足と無理解無関心。社長さん、社員は、自分たちにどうかかわるのかにはとても敏感で、よく見ているんですよ。火星に追いやられるということは、好かれているというよりは、明らかに嫌われている。でも、それは、社員の性格が悪いからではなくて、社長さんの態度が悪いからだそうです。どうぞどうぞお気を付けくださいませ。
社長との距離感が大きい人は、モチベーションも低く、会社の業績も悪化しているとのこと。恐ろしいことです。会社の業績は、まさに、コミュニケーションによるところが大きいのですね。調査を担当された菊入さんのおっしゃる通り、コミュニケーションを改善することがやるきと業績アップの秘訣なのだということが改めてわかります。なんだかんだ言っても、経営には、愛と心意気が必要だっていうことですね。
魚のカワカマスを使った実験があります。カワカマスと餌になる小魚をガラスで仕切ってしまうと、餌を取ろうとしたカマスが何度もガラスにぶつかってしまい、最終的には、捕食をあきらめてしまうのですが、仕切っていたガラスを取り外した後でも、カマスは、餌に食いつこうとはしなくなるのです。
度重なる不快な痛みを体験すると無力感を感じうつ状態となり、普段できることができなくなるという学習性無力感の典型的な実験です。
このことは、かますだけではなく、私たちにも当てはまることなのではないでしょうか。私たちは、多くの痛みを体験して、どんどん萎縮して、小さく小さく回遊するようになってきたのかもしれません。チャンスが目の前にやってきても、「どうせだめだから」「どうせ罠だから」と思い込んで飛びつくこともせずに、ただ、日常の習慣を繰り返してしまっているのかもしれません。
今、私たちは、「自分はこんなもんだ」と思っている自分は、もしかしたら、もっともっと大きい壮大な存在、地球大、宇宙大のスケールなのかもしれません。本来の姿は、想像をはるかに超えるくらいに明るく、元気で、大胆かつ勇敢で、楽しく、思いやりにあふれ、自由で壮大なのかもしれません。
私たちは、自分にしろ他人にしろ、萎縮し、恐怖でトゲトゲしくなった、ちっぽけな姿をその人そのものだと思い込んでしまっていないでしょうか。そのような欠点は、そのひとの本質ではありません。傷つき追い込まれた結果として現れてきた一時的な生傷やかさぶたであって、その人そのものの姿ではありません。人は断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。人の可能性や潜在性は、今見えているちっぽけな姿とは比べようもないほど大きく、想像をはるかに超えて壮大なのですから。
では、どうすれば、どうすれば、他人の欠点ではなく長所を見て、長所を伸ばすことができるのでしょうか?心理学の真理としてこんな言葉があります。
「他人を変えようとするならまずは自分から」
まずは、自分の欠点ではなく、長所を大切にしませんか。欠点をなじるのではなく、長所を伸ばしていきませんか。自分を大切にしませんか。自分を愛を持って受け入れて尊重しませんか。
自分を大切にできるからこそ、他人も大切にできる。自分を愛せるからこそ、他人も愛せる。自分を信頼できるからこそ、他人も信頼できる。本当のところ、自分の潜在性や可能性は、今の想像をはるかに超えて大きいのですから。自分の人生の力強さ、可能性の大きさを大切にしませんか。そんな生き方をお勧めします。
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電子書籍版『実践就活マニュアル 第1巻 就活に必要な心構え』
<動画「自尊心の重要性」>
①自尊心とその影響
②自尊心とプライドの違い
③日本における自尊心の現状
④自尊心と生き方
伝説の打撃コーチと呼ばれる高畠導宏さんは、自分のコーチ体験を踏まえて、「欠点は治らない」と断言されています。彼の指導方針は明確であり、欠点を矯正しようとするのではなく、長所を伸ばそうとするのです。長所を褒め、選手の長所を引き出すことができる的を得た練習方法を工夫し、勇気づけて、ともに練習を繰り返すことで、見違えるように選手が力をつけて、結果的に30人以上のタイトルホルダーを育てることができたのです。
基本的に、人材を育成する方向性として、欠点を矯正するよりも長所を伸ばすこと、自信を砕くのではなく自尊心をはぐくむほうが、結果的に大きな成果につながるといえましょう。影は、目立つので、つつきたくなりますが、日のあたる側面のほうが圧倒的に大きいのです。人は、確かに欠点を持っている完ぺきではない存在ですが、断じて無力ではありません。その人の可能性や潜在性は、人の見立てや思い込みよりも、はるかに大きいのです。それをちっぽけにしか見れないのは、リーダーの器量のなさ、自身の勝手な絶望から来る偏見と言えましょう。自分自身に絶望している人は、他人にも可能性よりも絶望を見出します。自分自身を嫌っている人は、他人にも愛すべき長所よりも憎むべき欠点を見出します。リーダーとして、そんな偏見の罠に陥ってはいけません。自分にしろ、他人にしろ、人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。影よりの光のほうが圧倒的に大きく、その潜在性と可能性は、想像をはるかに超えて、壮大なのですから。(続く)
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<動画「自尊心の重要性」>
①自尊心とその影響
②自尊心とプライドの違い
③日本における自尊心の現状
④自尊心と生き方
日本では、この自尊心と傲慢さは、同じようなものと同一視されてしまっているようですが、英語では、自尊心と傲慢さは、はっきりと言葉で違えて認識しています。自尊心は、Self-esteemであり、傲慢さは、Prideと表現されて、それぞれは、全く違うものであると認識されているのです。
Self-esteem(自尊心)とPride(プライド)の違いを整理してみると、 次の事が言えると思います。
<Self-esteem(自尊心)>
・自信に由来する
・自分の存在そのものを尊いと感じる
・欠点も含めて自分を受け入れられる
・失敗にめげずチャレンジング
・基本的に安心
<Pride(プライド)>
・劣等感に由来する
・他者と比較して、自分が上(下) と感じる
・自分の欠点の存在を許せず責める
・失敗を恐れて防衛的、保守的
・基本的に不安
○Self-esteem(自尊心)は、自信に由来するのに対して、Pride(プラ イド)は、自信の欠如=劣等感に由来する。
だから、本当の自尊心は、決して傲慢ではない。礼儀正しい紳士淑女であり、自分も大切にすると同時に仲間も大切にする。 一方、プライドは、本当の自分は欠点だらけで弱く、嫌な奴だと思い込んでいるので、それがばれないように隠したり、逆にあたかも強くふる まったりするので傲慢、うぬぼれとなる。
○Self-esteem(自尊心)は、自分の存在そのものに価値があると感じる のに対して、Pride(プライド)は、他者との比較において、自分が上(また は下)と認識する。
だから、プライドは、自分の価値がいつも他者との比較の中で決定する ので、自分の価値は、常に揺らいでおり、脅威にさらされている。 一方、自尊心は、自分の価値を認識するのに他者は必要ない。 他者がどうあれ、自分の尊さには揺らぎがないのだ。
○Self-esteem(自尊心)は、欠点も含めて自分を受け入れて尊重すること ができるが、Pride(プライド)は、自分に欠点があることを許せない。
自尊心は、発展途上の自分が好きであり、自分が完璧ではなくともそれを自然に受け入れることができる。だから、他人にも完璧さを求めないし、欠点ある他人を快く受け入れる。 一方、プライドは、自分に欠点があることを許せないので、他者から欠点を指摘されると猛烈な恐怖と怒りを感じる。だから、完璧になどなれるわけが ないのに、完璧ではない自分でいることが不安であり落ち着かなく、欠点を隠そうとして傲慢になる。自分の欠点を憎むように、他人の欠点にも敏感で それを嫌う。だから、他人にも完璧さを求め、基準を押し付け、矯正しようとする。
○Self-esteem(自尊心)は、失敗にめげることなく、前向きにチャレンジングに生きるが、Pride(プライド)は、失敗を恐れて防衛的、保守的に生きる。
だから、プライドの人生は、壁を作り、分離感を強め、引きこもり、攻撃的に被害者又は加害者として生きるが、自尊心の人生は、壁を乗り越え、分かち合い、知恵と愛と勇気をもって創造者として生きる。
○したがって、Self-esteem(自尊心)は、日常が安心と喜びであるのに対して、Pride(プライド)は、日常が不安と恐怖との戦いである。
だから、自尊心の人生は、基本的に明るく元気で信頼に満ちている。健康的で、平和で、クリエイティブ。自分らしく勇気を持って人生の冒険に乗り出すことができる。一方、プライドの人生は、素晴らしい自分の潜在性や可能性よりも醜い自分の欠点の存在に焦点が当たり、それを克服することがテーマとなるので、基本的に後ろ向きであり、戦いであり、不安である。本来の自分らしさ、明るく大胆で温かい側面が封じ込められ、生き残りをかける猛々しい本能の側面で生きることになる。本来そうあるはずではなかった痛くみじめな自分らしくない生き方を選ぶことになるのだ。
<プライドではなく自尊心を持って生きよう>
基本的に、人が成長する方向性として、欠点を矯正するよりも長所を伸ばす事、 自信を砕くのではなく自尊心を育む事の方が、結果的に大きな成果につながると言えましょう。
影は、目立つので、つつきたくなりますが、日のあたる側面のほうが圧倒的に大きい事を忘れてはいけません。人は、確かに欠点を持っている完璧ではない存在ですが、断じて無力ではありません。その人の可能性や潜在性は、人の見立てや思い込みよりも、はるかに壮大です。
それをちっぽけにしか見れないのは、そう認識す るエゴの器量のなさ、自身の勝手な絶望から来る偏見と言えましょう。そんな勘違いの罠に陥ってはいけません。人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。本気を出せば、どんな人でも素晴らしい仕事を成し遂げる力を持っています。
そんな自分に自信を持って生きてみませんか。
完璧な存在になどなる必要はまったくありません。
「もう少し背が高ければ自信がもてるのだけど・・・」
「もう少し頭がよければ自信が もてるのだけど・・・」
などとけちくさい事を言ってはいけません。
人は、皆、発展途上の存在であり、完璧になどなることは、そもそもできません。
発展途上の自分を大切にしましょう。
発展途上の自分を信じてみましょう。
発展途上とは言え、あなたには今のあなたの想像をはるかに超えた可能性がまどろんでいます。
あなたの人生は思っている以上に頼もしい力があるのですから。
そんな力と可能性を大切にしてみませんか。(続く)
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①自尊心とその影響
②自尊心とプライドの違い
③日本における自尊心の現状
④自尊心と生き方
このように、自尊心は、人の人としての生き方、コミュニケーション、人間関係、職業選択、仕事に取り組む姿勢、生きる態度、健康、人生そのものにとても大きな影響を及ぼす重要な要素であるといえます。
しかし、この自尊心についての教育は、実にお粗末であり、ほとんど手が打たれていない現状です。こうした自尊心教育がなされていない原因の一つとして、自尊心をめぐる大きな誤解があるのではないかと私は思っています。
自尊心は、よく、傲慢さや、うぬぼれと誤解されることが多いのではないでしょうか。自尊心を高く持つことは、鼻もちならない生意気で傲慢な危ない人間になることだという勘違いがあり、だから、自尊心はよいものというよりは、悪いもの、持つべきではないものという思い込みがあるように私には思えます。
本当の自尊心は、自分を尊い存在と思えると同時に、相手も大切な存在と感じるので、謙虚であり、思いやりがある紳士淑女として生きることにつながります。一方、傲慢さやうぬぼれは、自分を尊いとは思えないので、欠点を他人に隠そうとしたり、欠点などないふりをしようとしたりする無理からやってくるものであり、むしろ、自尊心の欠如からやってくるものと言えましょう。
日本では、この自尊心と傲慢さは、同じようなものと同一視されてしまっているようですが、英語では、自尊心と傲慢さは、はっきりと言葉で違えて認識しています。自尊心は、Self-esteemであり、傲慢さは、Prideと表現されて、それぞれは、全く違うものであると認識されているのです。(続く)
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①自尊心とその影響
②自尊心とプライドの違い
③日本における自尊心の現状
④自尊心と生き方
自尊感情とは、自分自身を尊い存在であると認識し、愛し、大切にする意識を言いますが、この自尊心は、古くから、人が人として生きる上で大切なものであるといわれてきています。たとえば、
・汝自身を敬え ピタゴラス
・独立自尊 福沢諭吉
・天上天下唯我独尊 釈迦
名だたる先哲たちの伝えてきたメッセージとして、自分を大切にすることの重要性が伝えられてきています。
また、自尊心は、現代心理学の重要なテーマの一つでもあります。というのは、自尊感情の低さが引き起こすと考えられる深刻なトラブルや事件が後を絶たないからです。
たとえば、依存症の問題。依存症は、自分に何かが欠けており、その不安や恐怖に追い立てられて、自分以外の何かに頼ろうとする志向が病的にまで固着した場合を言いますが、現代社会では、この依存症はいたるところで顔を出してきます。多発する覚せい剤事件を筆頭とする薬物依存、アルコール依存症、パチンコ依存症、買い物依存症、過食、ネトゲ廃人などなど、枚挙に暇がありません。これらの依存症の根本的な原因の一つが自尊感情の欠如と言えます。
また、学校における学級崩壊の問題。ベテランの力ある教師でさえも学級崩壊を止められないといわれています。なぜ崩壊が起こるのか?その主原因の一つに、生徒たちの自尊感情の問題が挙げられています。生徒の自尊感情が十分高ければ、「今自分は大丈夫であり、勉強も楽しく、先生も友達も悪い人ではない」と感じていますので、落ち着いて席に座り、先生の指導を聴くことも出来れば、友達と仲良くかかわることもできますが、自尊感情が低い場合は、「今の自分は、自分でさえも嫌いであり、当然周りにも嫌われているだろう。だから危機にさらされており、自分でそれを乗り越えられない」と思い込んでいますので、なにもされていないにもかかわらず不安で落ち着かなく、席にじっと座ることがでずに授業中なのに歩きまわり、先生の言うことも、嫌われていると思い込んでいるので、言うことを聞きません。この状態を、従来の対処法としての”しかる”ということで乗り越えようとすると、ますます子供たちの自尊感情を損ねて、泥沼にはまり込んでしまいます。だから、現在、学校では、子供たちの自尊感情をどう高めていくのかに挑戦している真っ最中なのです。
幼児虐待やドメスティックバイオレンスなどの虐待問題にも、この自尊感情の問題が影を落としていると考えられています。さまざまな意識調査や研究の結果、虐待を繰り返す人の共通した心理状態として自尊感情の欠如があげられることが分かってきました。虐待を繰り返す人は、対象者が憎くてやっているのではないのです。自分に絶望し、自分が嫌いであり、自分なんか死んだほうがよいと思っている人が、自分に常に加えている攻撃や脅しを自分の延長上と認識している子供や妻に向けてしまう。子供や妻が憎くてやるのではなく、まさに自分が憎くてやってしまっているのです。自尊感情の欠如は、自分だけではなく、愛する周りの人たちにまで深刻なトラブルに巻き込んでしまうのです。
この自尊感情の欠如の問題は、他にも多くの悲劇を引き起こしています。うつ、凶悪少年犯罪、自殺、などなど、現代社会を彩る様々な病理の背景のすべてにこの自尊心の問題が影を落としているといえましょう。(続く)
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<動画「自尊心の重要性」>
①自尊心とその影響
②自尊心とプライドの違い
③日本における自尊心の現状
④自尊心と生き方
今、時代は大きく変わろうとしている。D動機からB動機へと、競争から協力へと、隠蔽から開示へと、緊張から解放へと、戦いから許容へと、恐怖から喜びへと、時代は大きく舵を切ろうとしている。
従来の時代の権力の象徴である投資銀行の困窮と糾弾。リーマンブラザーズ、ギリシャとしだいに深まる資本主義経済の破綻。自然環境の破壊による異常気象と度重なる自然災害。ますます増加する経済的弱者と飢餓問題。解決不能とも思える様々な諸問題は、D動機による文化の限界を指し示すものであり、同時にD動機による文化の破綻を象徴する出来事でもある。
D動機は、結果的に奴隷の生き方をもたらすことになる。
人が人らしく生きる生き方は、B動機の生き方。情熱、挑戦、気高い思い、理想、こころざしに従った生き方である。
ちょうど今、D動機の文化からB動機の文化へと大きく時代が変わろうとしているのだ。
次々と報道されている悲惨、暴力、犯罪だけをみて世を絶望してはいけない。苦悩は十分だと悲劇を選択することを拒絶し始めた市民が一人、また一人と増えてきているのだ。
エコに向けてできることを一歩ずつ実践し始めた草の根の市民、フェイスブックで公然と戦争反対を訴える戦争当事国の市民、困っている人がいたら手を差し伸べる善良な市民。きっと、テレビでは放映されない草の根では、悲惨な事件の数十倍もの素晴らしいささやかでたくさんの幸せが起こっているだろう。
本当のところ、人は、パンのみにて生きているわけではない。人は、やりがい、愛、情熱、喜び、価値ある人間性や美徳のためにこそ本気になれるのである。そして、人は本気になったら、どんな人でも、想像をはるかに超えたすばらしい仕事をやり遂げることができる。人は、自分で思い込んでいるほどちっぽけな存在ではない。本当のところ、人の可能性は、想像をはるかに超えて偉大なのだ。
企業も、D動機という古いやりかたを乗り越えて、B動機という大きな宝を開拓すべきだ。単なるコストリーダーシップ戦略は、最終的には破たんをもたらす。持続的成長のためには、イノベーションが必要不可欠であり、イノベーションを生み出す源泉は、B動機によって動機づけられた人間意識なのである。
既述の通り、B動機によるマネジメントには、経営陣の勇気が必要だ。予測不可能性、不確実性、不安定性のリスクを引き受けなければならない。しかし、そこにこそイノベーションの活路がある。そこにこそ消費者と共感し消費者に愛される会社になれる活路がある。
今こそ、B動機の経営に舵を切ろう。人を大切にして、人の真実の可能性を引き出す経営をしよう。
B動機には、リスクに挑戦し勇気をもって取り組む価値がある。B動機の時代は、まさにやってこようとしているのだから。
(マズローの欲求理論シリーズ 終)
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従って、D動機の人生は、その目的を遂げることはできない。人生に自ら解決不可能な無理難題を課し、それが満たされない苦しみに追い立てられて必死に頑張り、そして、皮肉なことに、当初は願ってもいなかった生気を亡くしたいびつな廃墟と底知れない孤独を得るのだ。
確かに、D動機は、生き抜く上で大切な動機である。実際のところ、我々は天使に囲まれて生きているわけではない。防衛力のない存在は、単なるお人よしのおばかさんとみなされるだろう。しかし、人は、D動機に支配される必要はない。恐怖や不安に支配されて逃げ惑うだけの人生を送る必要はないのだ。
人には、D動機とは全く性質の異なる情熱を持っている。恐怖からではなく、喜びから生まれてくる情熱。騒がしく落ち着かない良く吠える子犬のような心からではなく、気高く穏やかで不動の理想から生きようとする態度。引きこもり、防衛し、攻撃する強い分離感を持った孤独ではなく、開き、受け入れ、思いやる強い親密さを持った一体感。外部の脅威に対する反応としての動機ではなく、自分自身の魂の本質からやってくる動機。それは、まさにBeing(実存)からやってくるB(実存)動機である。
B動機は、D動機の過不足を気にしない。D動機が満足されていようがされていまいが、その意向に全く反応せずに淡々と機能することができる。D動機の騒々しい騒音に比べれば、はるかに小さく穏やかでそよ風のように静かであるけれども、その調べは常に流れている。そう、聴く耳を持ち、そっと耳を澄ませばだれでもどこでも聞こえてくる美しい呼び声なのだ。(続く)
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D動機によるものとB動機によるものとでは、人生は大きく異なる。
D動機による人生は、基本的に戦いである。死の恐怖から逃れることがテーマとなるので、自分に脅威を与えるあらゆるものとの戦い、勝ち抜くことが必要となるのである。
人にとって、最も恐怖を感じる脅威は、飢餓である。だから、飢えないように何としても食糧を確保しなければならない。しかも、今食べる食糧だけではなく、明日の食糧も確保しておく必要がある。さらに、未来永劫まったく飢えに苦しむ必要のないくらいの食糧の在庫がほしい。現代においてそんな欲求を満たすものはお金である。お金があればいつでも必要なだけ食料を確保できるし、お金は永遠に腐らない。だから、お金がほしい。だから、いやな仕事でも命令に従い頑張って働いて稼がなければならない。自分や自分が愛する者たちを飢えの恐怖から守るためにはお金が必要なのだ。しかも、今日明日の食いぶちだけではなく、未来永劫飢えることのないほどのお金が必要であり、その必要とする量は、多ければ多いほどよく、際限はない。しかし、どんなに仕事をしてたくさんのお金を貯金することができても安心と満足を得ることはできない。たとえ、運よく世界中の富を独占することができたとしても、安心と満足を得ることはできない。なぜならば、D動機は、死の恐怖から逃れることが目的であるが、死の可能性はなくすことができないからだ。
人にとって、次に恐怖を感じる脅威は、敵である。自分も必死になって富を確保しようとしているから、確保できていない他人の恐怖と怒りはよくわかる。だから、周囲の人を見たときに、その人たちの好意や善意よりも、自分の富を奪おうとする悪意の可能性に目を奪われてしまうのだ。D動機の人にとって、この世は生存競争、弱肉強食の社会である。分離感が強く、自分は、常に脅威にさらされており、敵に囲まれており、孤独であると感じている。自分や自分が愛する者たちは、悪者たちの悪意にさらされており、自分自身を守るため、愛する者を守るためには、悪者たちを攻撃し、痛い目にあわせて撃退し、奪われたものを奪い返さなければならないと考えている。やらなければやられるのだ。こうして、D動機の人たちは、どんどん防衛的になり、どんどん攻撃的になっていく。彼らにとっての成長とは、まさに、武器と防具の強化を意味するのだ。強化すべき防衛力は、強ければ強いほどよく、際限がない。しかし、たとえ、運よく世界中でかなう者のないほどの強さを得ることができたとしても、安心と満足を得ることはできない。なぜならば、D動機は、死の恐怖から逃れることが目的であるが、死の可能性はなくすことができないからだ。
D動機の生き方は、自分と愛する者を守るために、必死になって防衛し、必死になって努力し、必死になって攻撃して、必死になって獲得する。しかし、D動機の生き方は、その必死の努力の割には、実る果実は美味しくも豊かでもない。
D動機(恐怖や不安)によって、どんなに必死になって頑張っても、安心と喜びは得ることはできない。なぜならば、恐怖や不安の可能性はいたるところにあり、無にすることはできないからだ。恐怖から逃れようとして外部を取り込もうと頑張るが、決して恐怖から解放されることがないので、外部から取り込もうとする渇望は際限なく起こってくるが、その欲求は永遠に満たされることはない。むしろ振り返ると、埃かぶった使われることのないとてつもなく大きくいびつな廃墟を発見することとなる。
恐怖から逃れようとして自他の境界を厚くし、内部を守ろうと頑張るが、決して恐怖から解放されることがないので、自他の壁を厚くしようとする渇望は際限なく起こってくるが、その欲求は永遠に満たされることはない。むしろ、振り返ると底知れない孤独と寂しさにおぼれそうな自分を発見することとなる。
(続く)
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