カテゴリー別アーカイブ: 06.人材教育の理論・情報

新しいモチベーション理論 ③

【成果主義の弊害の事例】 モチベーション3.0 ダニエル・ピンク著より引用

ダン・アリエリーも含めた四人の経済学者たちは、インドのマドゥライに仕事場を構え、外発的動機づけが成果に及ぼす影響を研究した。・・・彼らは八七人の参加者を集め、何種類かのゲームをしてほしいと頼んだ。たとえば、的に向かってテニスボールを投げるとか、・・・インセンティブの影響を調べるために、あるレベルの成績を達成した場合の報酬として、被験者に対して三種類の金額を提示した。
参加者の三分の一は、目標成績を達成した場合に、四ルピーという少額の報酬を与えられる
(・・・アメリカのおよそ五〇セントに相当)、もう三分の一の参加者は、四ルピーだ(およそ五ドルに相当)、残りの三分の一は、四00ルピーというたい一ん高額な報酬を呈られることになっていた。

 どのような結果が出ただろうか、報酬金額の違いは、目標の達成具合を反映していたのだろうか?答えはイエスだ。だが、その答えの中身はあなたの予想に反しているかもしれない。中問の四0ルピーを提示された人たちは、四ルピー提示された人たちよりも成績が悪かった。では、四00ルピーという、高額のインセンテイブを提示されたグループはどうだ一たのだろうか?このグループの成績は最悪だった。ほとんどすべてのゲームで、少額の報酬グループにも中問の報酬クループにも、後れをとっていた。・・・・

このように一見矛盾する結論に達したのは、アメリカの研究者だけではなかった。ノーベル経済学賞を11人輩出しているロンドンスクール・オブ・エコノミクスの学者が、二〇〇九年、五一社の成果主義の給与体系を分析した。その結果、「経済的なインセンティブは、全体的な成績に悪影響を与えるおそれがある」という結論に達した。

新しいモチベーションの理論 ②

【成果主義の弊害】 モチベーション3.0 ダニエル・ピンク著より引用

レッパーとグリーンの初期の研究・・・は、・・・モチベーシヨン関連でもっとも引用される論文となった。この三人の研究者は、幼稚園児を数日問にわたって観察し、「自由遊び」の時間に絵を描いて過ごす子どもたちを見つけた。次に、この子どもたちが楽しんでいる活動に対して、報酬を与えた場合の影響を調べる実験を考案した。

彼らは子どもたちを三つのグループに分けた。1つ目のグループは、「賞がもらえることがわかっている」グループである。一人ひとりに「よくできました」と書いた賞状-青いリボンをつけて、子どもの名前が記されている-を見せ、「絵を描いて、この賞状をもらいたいか」と子どもたちに訊ねた。二つ目のグループは、「賞をもらえることを知らない」グループだ。研究者らは子どもたちにただ、「絵を描きたいか」とだけ訊ねた。そして子どもたちが絵を描き終えると、「よくできました」という賞状を渡した。三つ目のグループは、「何ももらえない」グループだ。「絵を描きたいか」と子どもたちに訊ねたが、絵を描く前に子どもたちに賞を約束したわけでもないし、終了後に賞状を渡したわけでもなかった。

それから二週間後の自由時問に、幼稚園の先生は紙とフェルトペンを用意した。一方、研究者らは密かに子どもたちを観察していた。「賞をもらえることを知らない」グループと「何ももらえない」グループの子どもたちは、実験前と同じくらいたくさんの絵を、実験前と同じくらい熱由心に描いていた。ところが、賞をもらえることがあらかじめわかっており、そのとおりにもらえたグループの子どもたちは、実験前より絵に対する興味を大幅に失っており、絵を描く時問も格}段に少なかった。

新しいモチベーションの理論

 ダニエル・ピンクによると、モチベーションの考え方は、以下の3つに分類できる。

【モチベーション1.0】  あめとムチによる動機づけ。企業経営の本質的な部分だとみなされてきたが、さまざまな実験で意図通りには機能しないことが分かった。

【モチベーション2.0】  交換条件付き報酬(成果型賃金制度の様な)。ほとんどの状況で効果がないばかりか、レベルの高い創造的で思索に富んだ才能をつぶしてしまう。

【モチベーション3.0】  自律性(自らの人生を管理したい)、熟達(自分の能力を広げて伸ばしたい)、目的(大義を持って人生を送りたい)、という人間に深く根差した欲求による動機づけこそが真の成長や高い成果につながる。

 

 ピンクは、著書「モチベーション3.0」の中であめとムチや報償によるコントロールが機能しないだけではなく弊害をもたらすことを多くの実験データを使って証明している。以降その実験を紹介していきたい。 

 

受け入れるということ ⑤(最終回)

 近づきたい、だけど、近づきすぎると痛い。

 ヤマアラシのジレンマ。

 自分以外の他者とどうかかわればいいのか?

 とかく人間関係は、ままならないもの、意のままにはならない。

 平和と調和が大切と思う一方、度が外れたマナー違反や悪意には、猛烈な怒りと戦いで反応してしまう。

 困った隣人には、それほど寛容ではいられない。

 いったい人間関係をどうすればいいのか?

 人は、ややもすると、他人の考えや感情、態度や行動を、そうあるべきではないと評価したり、変えようとしたり、コントロールしようとしたり、努力するけれども、それらの試みは、たいていの場合成功はしない。

 あめとムチで、不安と恐怖に付け込んで相手の態度を変えることはできるかもしれないけれども、そうしようとする原因となる相手の心の在り方を変えることなどできない。

 有意義な変化は、決して外部からの圧力では起こらない。

 有意義な変化は、いつも必ず内面から起るのだ。

 私にとっては、理不尽で不条理な相手の態度や言動であっても、それは気の遠くなるようなプロセスを経て起こってきた結果であり、その原因は人知をはるかに超えている。

 小賢しい操作が通用するものではないのだ。

 できることは、ただ受け入れること。拒絶することでも、従うことでも、好きになることでもなく、ただ気づき、ありのままに受け止め、理解することだ。

 相手の不快な言動は、背景には、相手が感じている身体の痛み、いらいら、悲しみ、不快感、恐怖がある。しかし、それらの苦しみは、私も体験しており、十分にその痛みを理解できる。実は、相手が感じている苦しさは、私が体感している苦しさと同じものなのだ。

 相手が表現するものには、必ず原因があり、その原因は、私も体験的に理解できている。そうしようと思えば、相手を理解できるのだ。

 相手の痛み、悲しみ、いかり、不安、恐怖を、ありのままに見つめてみよう。

 拒絶するのではなく、自分にもあるものだと共感的に理解してみよう。

 驚くことに、関心を持たれ、受け入れられたものは、容易に姿を変えていく。

 恐怖は信頼に、怒りは友情に、悲しみはやさしさに。

 たとえ自分にとって都合が悪く不快で認知したくないものだからと言って、それから背を向けた瞬間に、それは野犬の様に牙をむいて追いかけてくる。そしてますます強くなり、ますます手に負えなくなってくるのだ。

 相手の今ここ、ありのままの痛みと喜びを、生まれ、傷つき、喜び、学び、年を取り、死にゆくそのすべてを見つめ、受け止めて、理解してみよう。

 相手の長所も欠点も、価値あるものとみなして、しっかりと見つめ、受け止め、理解してみた瞬間、分離感が癒され、和解が起こり、疑いから信頼へと、痛みから平和へと、関係性の変容という奇跡が起こる。

 大切なことは、自分にしろ他人にしろ、裁くことでも、罰することでも、操作することでもない。

 ただ受け入れること。真に愛することが大切なのだ。

受け入れるということ ④

 自分の中で起こっているさまざまなことがら、思考、感情、呼吸、消化、血液循環、緊張、反応、・・・。

 それらは、化学反応と同じように、素材と条件が整えば、必ず起こる。

 意思の力で止めようとしても止められないし、変えようとしても変えられない。

 あなたにとっては、理不尽に思えるような、あるべき姿ではないと思えるような反応であっても、それは気の遠くなるようなプロセスを経て起こってきた結果であり、その原因は人知をはるかに超えている。

 小賢しさが通用するものではないのだ。

 できることは、ただ受け入れること。拒絶することでも、従うことでも、好きになることでもなく、ただ気づき、ありのままに受け止め、理解することだ。

 自分にとってかかわりたくない事柄であっても、縁あって自分に起こっていること、しっかりと気付き、受け止め、そして十分に体験してみよう。

 それがどんなに不快な恐怖であっても、立ち直れないような深い悲しみであっても、逃げるのではなく、向き合ってみよう。それらは、起こるべくして起こったこと、価値あることなんだという思いで、よく体験してみよう。

 驚くことに、関心を持たれ、受け入れられたものは、容易に姿を変えていく。

 恐怖は注意深さに、怒りは改善への行動に、悲しみは思いやりに。

 たとえ自分にとって都合が悪く不快で認知したくないものだからと言って、それから背を向けた瞬間に、それは野犬の様に牙をむいて追いかけてくる。そしてますます強くなり、ますます手に負えなくなってくるのだ。

 快も不快も差別することなく、価値あるものとみなしてしっかりと気付き、受け止め、体験してみた瞬間、分離感が癒され、和解が起こり、容易に手放すことができるようになる。

 大切なことは、自分を裁くことでも、罰することでも、操作することでもない。

 ただ受け入れること。真に愛することが大切なのだ。

受け入れるということ ③

 受け入れる力を人生に活かすためにはどのようにすればよいのか?

 まずは、自分自身を受け入れること。

 私は、自分自身について、どの程度分かっているだろうか?

 私には、さまざま私がいる。

 私がわかっている私、私が気付けていない私。

 私が好きな私、私が嫌いな私。

 私がコントロールできる快適な私、私がコントロールできないやっかいな私。

 私がそうなりたいと思っている理想の私、そうなりたくないと思っている絶望の私。

 私が人に見せたいと思う素敵な私、人に見せたくないと思っているおぞましい私。

 さまざまな私をリードしようとする私、従う私、意のままにならない私。

 さまざまな方法で内面をリードしようとする私、独裁者の私、弱腰の私、暴君の私、陰謀家の私、評論家の私、検事の私、裁判官の私、信念の私、熟考の私、短慮の私、・・・。

 私の混沌とした内面を支配し、そうなりたい私、そう見せたい私になるために、私は、さまざまな努力をしている。

 私を裁くこと…こんな私はダメ人間だ、こんな私は罪びとだ、こんな私は死んだほうが良い、・・・。

 私のままならない面を脅し怒ること…何やってもダメなバカ者なんだな、このままだとのたれ死にだぞ、そんなだとみんなから嫌われて非難されるぞ、未来は不安と恐怖が待ってるぞ、・・・。

 私の嫌いな側面を攻撃すること…なんてダメなやつ、死んじまえ馬鹿野郎、お前なんか生まれてこないほうが良かった、・・・。

 私を矯正すること…そんなことは考えちゃだめだ、そんな感情は起こっちゃだめだ、そんな態度はだめだ、そんなことしちゃだめだ、・・・。

 私の支配権をめぐって戦うこと…そんな生き方じゃだめだ、もっと考えないと、もっと感性を大事にしないと、もっと直感を信じないと、もっと行動しないと、人に迷惑をかけるべきではない、人に迷惑をかけてもしかたがない、人を傷つけるべきではない、人を傷つけても仕方がない、自分が反省すべきだ、人を責めるべきだ、あっちがいい、こっちがいい、・・・。

 私をリードするために、私は、効果があるかどうかは別として、さまざまな努力をしている。

 ただ、していないことは、私を受け入れることだ。

 私は、いまここで、どんなあり方なのかということ、そんなシンプルなことを受け止めて理解していない。

 実は、私にまつわる多くの問題は、そこに起因しているのだ。

受け入れるということ ②

 受け入れることは、分離感をいやすということ。

 あなたがいったん受け入れることを始めたら、あなたと世界の間で存在していた幻想の壁、断絶、分離の緊張が和らぎ、癒され、内と外が共鳴し始めることに気づくだろう。

 不安や恐怖は、分離感の申し子。分離感が弱まれば、不安や恐怖も鎮まる。受け入れることは、不安と恐怖の根本をいやすのだ。

 受け入れることを通して、あなたは、より自由になり、より自分らしく輝くようになる。

 あなたが変われば、周りも変わる。あなたの輝きを受けて、あなたがかかわる人たちが、次第に、微妙に、根本的に変わってくることを次第にあなたは気づくだろう。

 受け入れることは、愛するということ。愛するということは、まさに、太陽の力。自分も他人もより自分らしく自由で輝かしく力強いあり方へと優しく変容を促すのだ。