質 問「人生で一番難しい事は何でしょう?」
タレス「自分自身を知る事である。」
質 問「では、一番簡単なことは何でしょう?」
タレス「他人に忠告することである。」
質 問「人生で一番難しい事は何でしょう?」
タレス「自分自身を知る事である。」
質 問「では、一番簡単なことは何でしょう?」
タレス「他人に忠告することである。」
連続ドラマ「空飛ぶタイヤ」を見ました。レンタルビデオ店で、3本まとめて借りてみました。
三菱自動車の起こしたリコール隠しをモデルとしたドラマであり、トラックの脱輪による死亡事故を発端として、当初は犯人扱いされた運送会社の社長が、さまざまな逆風下の中で事件に立ち向かい、しだいに事実を明らかにしていくにつれて、自動車メーカーの隠し事とうそとでっち上げを暴き、自らの潔白を証明すると同時に自動車メーカの経営者の逮捕に至る一連のドラマを描いています。
私自身も、サラリーマン経験があり、こうした理不尽かつ不条理な世界の中で苦労した体験もあるので、このドラマは、とても入り込んで感動しました。
主人公は、当初犯人扱いされていた運送会社の社長であり、脱輪したタイヤによって起きた死亡事故が整備不良によるものだったと疑われて、警察から家宅捜索を受け、亡くなった被害者の遺族からなじられ、民事訴訟を起こされます。事故を知った顧客から次々と仕事を干されて、経営が行き詰る中、1億5千万円の訴訟を起こされてしまうのです。事件をきっかけに社長の子供も学校で陰湿ないじめにあい、奥さんも地域社会の中で肩身の狭い思いをすることになります。なんという逆境でしょうか。私が同じ立場になったらと思うとぞっとすしますね。しかし、社長は、絶望する気持ちを奮い立たせて、社員の主張を信じて整備不良が原因ではなかったと主張し、本当の原因を探しに行動を起こしていくのです。
結論は、自動車メーカーが、本来ならばリコールすべき自動車メーカーの過失を隠し、それを運送会社の整備不良のせいにしようと、様々な策略を練ってついていたうそを暴く展開になるのですが、何しろ相手が巨大な力を持つ企業であり、弱小中小企業のしかも倒産を目前に控えた会社社長が立ち向かうのは並大抵ではありません。度重なる挫折と逆風に幾度も絶望しそうになるのですが、そのたびに従業員や家族、友人から勇気づけられ、支援を受けて、一丸となって企業の巨悪に立ち向かっていくことになるのです。
私は、三菱自動車のリコール隠しの詳細については正直全く分からないのですが、このドラマは、素人目に、とてもリアルに感じます。こういうことが本当に起こっていたように思えます。事実、三菱自動車のトラックの脱輪事故の直後、運送会社の整備不良が原因だと報道されて、私はそれを鵜呑みにしてしまい、しばらく悪い奴は運送会社なのだと思い込んでいましたから。ドラマとはいえ、こうして改めて丁寧に振り返ってみると、報道を信じて人を悪者に思い込んでしまうことはとても怖いことだと改めて感じましたね。
不器用で真っ正直で、情熱的ではあるがやさしく、あまり難しい策略を考えられないけれども直球勝負で真正面から問題解決を図ろうとする運送会社社長に私はとっても共感してしまい、他人とは思えない気持ちになり、ドラマを見ながら、「そんなこと正直言っちゃだめだよ!」「負けるな!」「そうだそうだやっちまえ!」など、お酒を飲みながら、妻と2人で声をあげて応援してしまいました。
最後に、真実が明らかになり、企業の巨悪が暴かれて、身の潔白が証明された時には、とてもすっきりした気持ちになりました。
これは明らかに三菱自動車の悪を暴いたドラマであり、テレビで放送するには様々な問題があったと思いますが、そんなドラマを作成し放送したWOWOWの見識と勇気に拍手を送りたいと思いました。これからも、こうした権力に擦り寄らずに真実を伝えようとするドラマや番組がどんどん増えていけばいいのにと思った次第です。
空飛ぶタイヤ、すごいドラマです。お勧めです!
普遍意識の視点では、自我意識がその限られた視野の中で、実際には存在していない出来事から様々な感情や想念を造り出して、それらを現実であると思い込み、それに振り回されている状況の全貌が、ただ明確に観えています。それは光によって映し出された影のようなものであり、また一枚の紙切れに書かれた絵のようなものであって、見えてはいますが、それに現実感や否定的な意味が伴うことはありません。実相として在るのは、さまざまな出来事を通して進化しよう、成長しようと唯ひたすら努力している純粋な魂の姿のみであって、それは、ただただ全面的な愛で包むしかないものです。
黎明(下巻) 葦原瑞穂著 より引用
「シモン、忘れるな。
お前を信じろ。
俺が信じるお前でもない。
お前が信じる俺でもない。
お前が信じるお前を信じろ。」
劇場版 天元突破グレンラガン(紅蓮編) カミナ
2009年 11月21日NHKの追跡!A to Zにおいて、「 なぜ増える?”ゴミ屋敷”トラブル」と題して、ごみ屋敷の問題を取り上げていましたが、その中のごみ問題に対する問題解決の方法としてユニークな事例が報道されていましたので、こちらで紹介します。
事例は、豊中市のソーシャルワーカー勝部麗子の試みであり、勝部さんは、今まで50件以上のごみ屋敷問題を解決してきたとのことです。
勝部さんによると、ごみ屋敷問題は、単に問題を起こしている人を説得してごみをかたずけるだけでは本質的な問題解決にはならないと考え、ごみ問題を起こしている人の元気と社会的な絆の回復を伴う必要があると活動を展開されています。
番組の最中に紹介された問題解決の方針は、以下の2つがあります。
1.人任せの苦情は受け付けない
2.節度あるおせっかい
私が特に感心したのは、1の人任せの苦情は受け付けないという方針です。この方針の背景には、「問題は、問題を起こしている本人だけにあるのではなく、地域全体の問題でもある。」という考え方があるとのことで、「問題を解決するためには、本人に変わってもらうだけではなく、地域全体が変わる必要がある。」という方向性を持っているとのことです。
私たちは、ややもすると、問題が起これば、その問題を自分とは切り離し、分析し、取り除いたり交換したりして解決を図ろうとしますが、勝部さんの方針は、そうではなく、問題が起これば、自分もその問題の一部であり、自分も含めて解決に向けて変わっていく必要があると考えるのです。
人と人との関係性が薄まってしまった現代社会では、他人に対して基本的に温かい関心を持つことは少なくなりましたね。ましてや、「隣がごみ屋敷」のような境遇に置かれたら、その迷惑は計りしれませんので、どうしても問題を起こしている人を「困りもの」「敵」「加害者」「悪」として裁き、非難攻撃する立場になってしまいます。その心境はよくわかりますし、私もそうするだろうと思いますが、ごみ屋敷問題を起こす人たちの心理状態に共通してあるものは「寂しさ」であり、近所の敵意や攻撃は、こうした寂しさを助長してますます問題を深みにはめてしまうという悪循環につながってしまいます。
勝部さんは、問題を起こしている人を非難したり叱ったりするのではなく、味方になって応援したいという意向を言い続け、信頼関係をはぐくむというアプローチをとります。 そして、ごみ捨てに合意してもらったとしても、一気に解決するのではなく、一部屋一部屋期間をおいてゆっくりと解決していくそうです。そのプロセスの中で、絆をはぐくみ、問題を起こしている人の社会復帰を促し、元気の回復を応援していくのです。
本当に意識の高い愛のある問題解決方法だと私は思います。なかなか出来ることではありません。その活動に本当に頭が下がります。
こうした活動を通して解決できたごみ屋敷は、それ以降は、ごみ屋敷化することはないとのことです。厄介な問題、時には、自分に火の粉が降りかかる困った隣人を、敵視して排除しようとするのではなく、自分も含めた全体として問題をとらえ、ともに成長を計る。厄介者を悪として裁き、正義の立場から戦うのではなく、ともに問題解決を計る仲間としてとらえ、高い意識と愛を持って解決に当たる。まさに21世紀的な問題解決の方法なのだろうと思います。私自身とても勉強をさせていただいたなぁと思いました。できるかどうかは別として、そのような方向性がきっとより建設的で効果的な方法なのだろうという理解のもとで、一つの大切な目標としたいと思います。
会社は、運命共同体です。私は家族だとさえ思っています。実際、伊那食品工業の社員たちは、自ら「伊那食ファミリー」と言っています。弟が力持ちでよく働けるからと言って、お父さんやお兄さんのごはんを減らして、弟に食べさせるでしょうか。弟さんにしたって、そんなことは嬉しくないはずです。家族それぞれが自分のできることを精いっぱいやって、共同で責任を持ち、ご褒美も家族みんなで分かち合うことのほうが、幸せではないでしょうか。
リストラなしの年輪経営(光文社) 塚越寛著 より引用
(能力も態度も絶望視されている教室の生徒たちと、真剣に向き合い、信頼関係をはぐくみ、生徒の力強い生き方を後押しすることができた1教師の成功事例を受けて)
むろん、現場で教師をされている方々の中には「それはきわめて幸運な例に過ぎない。実際はそんなに上手く行くことなど滅多にあるものではない。」と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、ここで気が付いていただきたい点は、このような意見が出てくること自体、その人の心の中に、生徒に対するぬぐい去れない不信感があることを示しており、教育に対する否定的な固定観念にとらわれているという状況があるわけです。
教師がこのような迷った心の状態で生徒に接している限り、その人の信じていることが現象化され続け、生徒を犠牲にするだけで真の教育など決して成されないことを肝に銘じておいていただきたいと思います。教師が観るべきものは、いかなる表現をする生徒の中にも必ず存在している神性であり、その働きに対する全面的な信頼なのです。
黎明 下巻 葦原瑞穂著 より引用
梅野さんは、高校卒業後、日産のディラーに就職するものの、3か月で退社。温泉旅館に転職したが、仕事の厳しさで半年で退職する。
その後、福岡・滋賀・京都・大阪で料理の修業をし、かに料理専門店を創業。珍しさもあって、顧客に受け、経営的に大成功する。
しかし、その成功を受けて、かに専門店以外に様々な業態でレストランを出店するものの、すべて失敗。料理人との確執など、さまざまなトラブルもあって、深刻なピンチに陥る。
何とか窮地を脱出しようと、霊媒師や超能力者に頼るが、すべてうまくいかず、自ら禅寺に修行に行く。修行中、自分と向き合う中で、ふと見かけた言葉「人に感謝、物に感謝」が胸に飛び込んできた。今までは、悪いことがあれば人のせいにして、人を見れば人を利用しようとばかりしていた自分に気づき、それではいけないと生き方を反省した。利用する生き方から感謝する生き方へ、人生の基軸をシフトしようとしたのだ。
その後、謙虚に人気店を回るなど勉強を進め、新たに健康志向の和食レストラン「梅の花」を創業する。
梅の花は、感謝の気持ちを大切に、親切なおもてなしやお客さんを裏切らない高い品質を提供することで成長し、豆腐や湯葉のレストランとして、現在では売上高285億円を誇る一大レストランチェーンと変貌を遂げたのである。
誰かに追随することはたやすい。
その人物が大きければ大きいほど、追随するのが容易となる。
しかし、それは創造性を妨げる。
なぜなら、追随するものは決して創造するものではありえないからである。
ゲシ・リンポチェ 「キリストのヨーガ」
映画「スピードレーサー」(マッハgogogoの実写版)の1シーン
スピード:(レース界にはびこる腐敗や悪を、命をかけて変えようとしたが、土壇場で裏切られて失敗し、怒り、絶望している心境のもとで)「レース界は、変わらないさ。」
レーサーX:「そんなことは関係ない。レースが我々を変えるんだ。」