意識の高い資本主義へ-新しい時代のマネジメント①

 急激に進化する科学技術、高まる社会不安と緊張、続発する企業犯罪やトラブルなど、近年の経済環境は、まさに激動、混沌の状況にあります。存続と成長を志す企業組織にとって、このような時代をどうとらえ、今後に向けてどう舵を切っていくべきなのでしょう?
 一つの考え方として、実に明確に来るべき時代を描いている本『メガトレンド2010』をご紹介しましょう。
 著者パトリシア・アバディーン氏は、1982年に『2000 黄金世紀への予告』を出版しており、その中で、いち早く「情報化社会」の誕生について述べています。
 本の中では、1960年~70年のどこかで微妙な大変化が起こり、富の源が、土地や資産から、情報に移っていったと発表したのでした。この考え方は、当時はまだ異論があり受け入れられなかった考えですが、1990年代よりハイテクの時代の流れとあいまって、現在では、110兆円の産業となって花開いており、その予測の正しさが証明されました。
 アバディーン氏は、『メガトレンド2010』において、今現在では、その「情報の時代」も既に終わりを告げ、密かにただならぬ変革が進行し、新しい時代が始まろうとしていると主張しています。
 その変革とは、価値の源泉が「情報」から「意識」へと変わる変化であり、「人間の意識」が、資本、エネルギー、テクノロジーと同じ、又はそれ以上にビジネスにとって貴重なものとなってきていると考えているのです。
 本書によると、資本主義は、人間の貪欲さや野心、競争心を原動力として大成功を収めてきたわけであるけれども、1990年代より、世界的な同時株安の傾向、企業の会計疑惑、数多くの企業犯罪、環境破壊、石油と医療費の高騰、格差の拡大などの経済動向や、テロ、戦争、国家間の緊張、など、きわめて不安定で不確実な社会動向を受けて、そのようなむき出しのエゴイズムが、社会の中で見直されるようになり、次第に受け入れられなくなってきていると同時に、環境に配慮し、企業倫理を尊ぶ会社が注目され、売上を伸ばし、高い収益性を確保し、株価も上昇するといった傾向が出てきていると報告されています。
 かつて経済誌において「社会を気遣う投資家は、心根の優しい間抜けで、平均にも満たない収益しか上げられない」と書かれていたように、従来までは、企業の収益性や競争優位性、成長力が尊ばれており、社会的な配慮のない時に強欲で強引に振舞う企業こそが収益性を高め最終的には生き残ると信じられていたわけですが、このような考えは、実は的外れな勘違いであり、現実には、社会を気遣う高い意識を持った企業こそが、現在では高収益企業となっており、逆に、労働搾取、環境への無理解など、悪いイメージや反感を持たれるような経営スタイルの企業は、収益性が悪化し、成長が鈍化していると報告されているのです。
 今後もこの「企業の社会的責任」と「ビジネスにおける精神性」が重視される傾向はより一層強くなり、これからの10~20年で、むき出しのエゴによる「欲望の資本主義」から、啓発された利己心による「意識の高い資本主義」にシステムは変化を遂げることになるだろうと予測しています。

<参考文献>
「メガトレンド2010」ゴマブックス 著者パトリシア・アバディーン

あなたに必要なこと

   あなたに必要なこと

人生に奇跡と栄光をもたらすものは何か?

それは、決して特別な才能でも超能力でもない。

あなたはすでに偉大なる成功をもたらすための十分な才能と力量を備えている。

あなたの中には、今はまったく想像もつかないほどの奇跡がまどろんでいる。

あなたに必要なことは、特別な防具や武器を身につけることではなく、

ただそのことを知ること。

自ら絶望し、恐怖することをやめることである。

 

厳しい試練を乗り越えてきた偉大なる勝者たちは、このことを知っている。

彼らは、道は拓けることを知っている。

未来は、自分で創造できることを知っている。

自分には、乗り越えられない苦難はないことを知っている。

そして、一歩を踏み出す勇気こそが未来を拓く宝であることを知っているのだ。

 

七難八苦、癒しようがない悲しみ、

痛み、憎悪、救いようのない絶望、乗り越えられない壁、…、

人生の中に訪れるのは、礼儀正しいお客様ばかりとは限らない。

しかし、決してうろたえてはいけない。

青い鳥は、決してどこか遠くにいるわけではない。

創造性の根源は、今ここに、あなたの中にこそある。

あなたの中にまどろんでいる可能性は、途方もなく強く大きい。

あなたに必要なことは、ただそのことを知ることである。

自分に対する信頼と信念が、

粘り強さ、協力者、新しい出会い、奇跡を引き寄せることを覚えておきなさい。

あなたに必要なことは、特別な何かではなく、自分を愛し、心から信じることなのである。

受け入れるということ

                      受け入れるということ

受け入れるということ、それは、拒絶することとは違う。

拒絶することは、受け入れないことであり、受け入れることではない。

受け入れること、それは、同意することとは違う。

同意することは、他者の言うことを正しいと自分が思うことであり、

受け入れることは、他者がそれが正しいと主張していることを理解することである。

同意していなくとも受け入れることはできる。したがって、受け入れることと従うことは違う。

受け入れたからといって、従う必要はまったくない。

また、従うことは受け入れたことの証明ともならない。

受け入れなくとも従うことはできるからだ。

受け入れることは、好きになることとも違う。

好き嫌いは実はたいした問題ではない。

食べ物の好みが時とともに変わるように、好き嫌いは移ろいゆくもの、本質的なものではない。

乗り越えられるのだ。

 

受け入れるとは、相手のありのままを受け止めて、ありのままを理解すること。

受け入れるとは、相手を裁いたり、操作したり、変えようとすることではない。

そのままの相手を、そのままに理解しようとすることである。

受け入れることは、途方もない大きな力を持っている。

それは、北風ではなく太陽の力。暴力ではなく、優しさの力。

改善の力ではなく、革命の力なのだ。

受け入れることは、分離感をいやすということ。

あなたがいったん受け入れることを始めたら、あなたと世界の間で存在していた幻想の壁、断絶、分離の緊張が和らぎ、癒され、内と外が共鳴し始めることに気づくだろう。

不安や恐怖は、分離感の申し子。

分離感が弱まれば、不安や恐怖も鎮まる。

受け入れることは、不安と恐怖の根本をいやすのだ。

受け入れることを通して、あなたは、より自由になり、より自分らしく輝くようになる。

あなたが変われば、周りも変わる。

あなたの輝きを受けて、あなたがかかわる人たちが、次第に、微妙に、根本的に変わってくることを次第にあなたは気づくだろう。

受け入れることは、愛するということ。

愛するということは、まさに、太陽の力。

自分も他人もより自分らしく自由で輝かしく力強いあり方へと優しく変容を促すのだ。

勇者となる

  勇者となる

気高く生きなさい

あなたは、もともと途方もなく気高い

あなたは、今考えているようなちっぽけな存在ではない。

あなたは、成長の途上にいるのであって、ゴールにいるわけではない。

だから、あなたができることが、あなたの能力の全てというわけではない。

あなたには、あなたが想像もしていないような奇跡がまどろんでいる。

あなたの夢とロマンの冒険は、これからもまだまだ続くのだ。

 

成長を楽しみなさい。

あなたの頭には、どんなに危険な罠をもくぐりぬけていく叡智を持ち合わせている。

あなたの腕には、どんなに強い敵をもなぎ倒すパワーがみなぎっている。

あなたの足には、空をも駆け抜ける速さを秘めている。

あなたの腹には、怯み動じることのない胆力が悠然と立っている。

あなたの喉には、響き渡る力強く美しい言葉を生み出し、諸国を従わせる力がある。

あなたの胸には、どんなに深い悲しみをも癒すやさしさがある。

 

あなたは、仲間をいつくしむ聖母である。

あなたは、全てを理解する賢者である。

あなたは、群雄割拠する猛者を束ねる覇者である。

あなたは、見捨てたり裏切ったりしない友達である。

あなたは、川であり、山であり、海であり、あらゆる自然である。

あなたは、太陽のように仲間を勇気付けるリーダーである。

あなたは、数千万の兵を束ねる百戦錬磨の勇者なのだ。

 

取り越し苦労をして、つまらないことを考えているときではない。

いまは、戦いのどらを鳴らすときである。

勇ましく胸を張って、剣を大空に高らかと掲げ、

駿馬にまたがり、第一歩を踏み出しなさい。

かつて勇者が、あらゆる奇跡を起こしてきたように。

あなたにも同じ生き方ができる。

なぜならば、あなたは、もともと気高い勇者なのだから。

勇者と暴君

   勇者

勇者は、本当に自分が生きたい人生を生きる。

勇者は、自分の本当の気持ちを良く知り、それを実行する。

自分の本当の感情や思考を愛し、信じているので、それをごまかしたり、拒否したりする必要はなく

ありのままに生きるので、その言葉も行動も人生も、力に満ち輝いたものとなる。

 

彼(彼女)は、りきみがなく、柔軟性に富んでおり、その反応は自然である。

彼(彼女)は、ワンパターンでプログラミングされているやり方で反応したり、「こうあるべきだ」と思込んでいる枠組みで答えを出したりしない。

彼(彼女)は、現実のありのままの自分の反応を愛し、そして表現するのである。

彼(彼女)は、自分の選ぶ道が、勝利の栄光につながっている事を確信している。

数知れない苦難や障害は、大いなる冒険につきものの乗り越えられるべき課題であり、その事で絶望するなどとは夢にも思わないのである。

従って、彼(彼女)は、勇気をもって危険に立ち向かっていく。

時には、失敗し、希望が見えない窮地に追い込まれるかもしれないが、決してあきらめたりくじけたりする事はない。

勇者は、障害や苦痛、痛みや絶望が、自分の成長のためにあることを知っている。

その不幸にとらわれて、復讐を試みたり、自分を罰したり、人の同情をかったりすることの無意味さを良く知っており、また、それは、道草であり、時間の無駄使いであり、あい路へと向かう甘い誘惑である事を知っている。

彼(彼女)は、「勝利の女神は、多くの苦難と無数の敗北の後にやってくる」ことを知っているのである。

 

勇者は、大いに笑い、そして素直に楽しむ。

自分の仕事や遊び、食事や生活、仲間との語らい、家族とのふれあい、自然のありさまや自分の創造作品を心から楽しむ事ができる。

また、彼(彼女)は、人との間に、基本的にオープンな関係を築く。

他者に対して、率直で正直であり、また、よく聴く心を持っている。

彼(彼女)は、相手が自分をどう認識しようが、まったく相手の自由であり、それをコントロールする事は本質的にできない事を知っている。

だから、ふりをしたり、うそをついたり、他者を支配しようとはしない。

相手の自由を心から受け入れ許すことができるのである。

勇者は、”今ここ”に集中しており、自分や家族、仲間や世間の出来事に深い関心を持っている。

“今ここ”で起こっている出来事のすべてを、嫌いだからと言って拒絶することなく、ありのままに観察し理解しているので、より良くしていくために打つ手は適切である。

勇者は、強い意志をもって自分や、自分の関わるすべてをよりよくしていこうと努力している。

彼(彼女)は、まさに自分の最善を尽くして愛するもののために戦う勇者なのである。

 

 

   暴君

暴君は、自分を”犠牲の子羊”であるかのように思っている。

「自分は無力であり、運が悪く、嫌われており、望みはなく、見捨てられており、死んだ方がいい」と思い込んでいる。

暴君は、自分に対する最悪の呪文を真実であると確信している。

“負け犬、罪人、みにくい、疲れきっている、死にそうだ、犠牲者、できそこない、…”

暴君は、このような言葉で、自分を投獄する檻をつくり、自分の勇気をくじき、自分をのろい、結果的に自分自身に不幸をもたらしている事に気づいていないのである。

暴君は、”苦難”が”栄光に向かうステップ”である事を忘れている。

彼(彼女)にとっての人生の目的は、”苦難に対する復讐”であり、”苦難を受けて当然であるといった自分や他人の罪深さの証明”であり、”蓄積した悲しみや怒りや憎しみの表現”である。

彼(彼女)は、終わってしまった苦悩にこだわり、過ぎ去ってしまった過去にとどまり、そこから一歩も進もうとはしない。

過去の悲劇を憎み憎悪しているにもかかわらず、過去の悲劇が彼(彼女)の人生の基盤になってしまっている。

まさに暴君は、悲劇に依存しているのである。

 

暴君は、”過去”に生きる。

彼(彼女)にとっての過去は、不幸ではあるが、危険のない居心地の良いすみかである。

そこにいれば、自分は犠牲者で悪者ではなく、自分の責任も限られており、起こる出来事も決まっているのでリスクが少なく安心していられる。

暴君は、”恐怖の未来”にも生きる。

暴君は、決して未来を信じる事はない。

彼(彼女)にとって未来は、不幸であった過去の焼き直しであり、それ以外の幸福のイメージは見えないし、見ようとしない。

また、例え大きな夢をもっていたとしても、それは、単なる過去の不幸の反動であり、それは本音の志ではないし、その実現を全く信じてはいない。

だから、暴君のビジョンは、「ひどい不幸にならないこと」であり、人生の目的は、「恐怖や不安から逃れる事」になる。

彼(彼女)の心は、心配と不安でいつも圧倒されているのだ。

病気になったらどうしよう、傷ついたらどうしよう、攻撃されたらどうしよう、

交通事故にあうかもしれない、会社をリストラされたら、見捨てられたらどうしよう…、

暴君の心は、希望の光が差し込む余地が無いほどに恐怖の亡者で満たされており、

結果として、変化を好まずに、チャンスを逃し、古い悲劇を反復するだけの人生を生きる事になるのである。

暴君の不安や恐怖は、現在をもゆがめる。

怖がり、萎縮しているので”今ここで”のありのままの出来事をじっくりとおちついて味わい、観察する事ができない。

蝶が飛ぶ美しい花畑にいても、病気のことで頭がいっぱいであり、素晴らしい香りに気づくことはない。

仲間と一緒にいても、仕事の不安に気をとられて、友達からの友情や愛に気づくことはない。

彼(彼女)は、あせっており、現実をゆがめて解釈し、打つ手のタイミングも対策も的はずれで強引なものになってしまうのだ。

暴君は、このような自分の内面に満足してないし、自信もないので、人に対して決して内面をさらすことはない。

彼(彼女)は、演技をしたり、ふりをしたり、仮面をかぶったりして人と操作的に関わる。

彼(彼女)は、自分の不幸な体験を巧妙に利用する。

「こんなに不幸なのだから同情される権利がある。」

「こんなにひどく傷つけられたのだから、やり返してもかまわない。」

「こんなに運が悪いのだから、勝利するはずはなく、またしなくてもいい。」

など、たくみに人をコントロールしたり、自分の暴力を合理化したり、責任を回避することに自分の自己イメージを利用するのだ。

暴君は、分かり合い、愛し、愛される暖かい関係を築き上げる事が苦手である。

彼(彼女)は、根強い不信感と敵意を手放す事ができないので、信頼や愛を体験した事もなければ、それを求めようともしない。

その代わりに自分の期待通りに人を巧みに操作しようと務め、また、相手の期待にそうように卑屈な奴隷となる。

結果として彼(彼女)のユニークさや潜在能力は発揮されず、その才能は開花する事はない。

逃げ惑い、自ら固く閉ざした扉で光が差し込む事はない。

こうして、暴君は、本来そうではなかった全く不本意な悲劇の人生を歩むことになるのである。

 

 

  自分を生きる勇者となるために

人生における困難、みじめな敗北、胸をふさぐ悲劇、など、

人生に訪れる事実は目を覆うばかりの出来事であることが少なくない。

しかし、この世に乗り越えられない苦難はないことを忘れてはいけない。

人の中には、人が想像する以上の途方も無い程の力がまどろんでいる。

その力を解放するキーワードは”勇気”である。

 

自分らしく輝いて生きるためには勇気がいる。

・安心できる過去の習慣から抜け出し、新しい未知の可能性に踏み出していく勇気

・他の人々と直接的に正直に関わる勇気・集団の力に対抗してでも自分の確信を選ぶ勇気

そして、もっとも大切な勇気は、”いまここ”の真実の自分を信頼し、自分にうそをつかずに、誘惑と危険に怯むことなく、真実の自分を生き抜く勇気である。

 

人には、勇者として生きるに値する途方もない可能性が眠っている。

人は、大いなるヴィジョンに向けて、肩の力を抜き、自分らしく勇気を持って生き抜こうとしたときには、想像を絶するほどの偉大なる力が発揮されるだろう。

新しい船出は、必ずしも安全が保障されているわけではない。

しかし、変化を恐れず、自分を信じて一歩踏み出せば、必ずや道は開ける。

そのときにはじめて気づくであろう、自分がもともと勇者であったことを。

いまここにあるということ

  いまここにあるということ

“今ここ”は、芸術作品だ。

それは、数多くの人の願いを種として、

数多くの人の工夫と知恵を集め、数多くの人の汗と祈りを経てこの世に姿を現した。

それはまさに数多くの人々の努力の結晶であり、あなたへの尊いプレゼントなのだ。

“今ここ”を楽しみなさい。

それは、あなたの関心にこたえてくれるだろう。

そこには汲みつくせないほどの喜びが眠っているはずだ。

もし楽しめないとしたら、あなたがよく観察してないからだ。

静かに穏やかに体験してみれば、その奥行きと深さと広さが分かるだろう。

“今ここ”を祝福しなさい。

それは、あなたの敬意にこたえてくれるだろう。

そこには途方も無いほどの可能性が眠っているはずだ。

もし祝福できないとしたら、どこをどう変えたいのかを考えなさい。

あなたの知恵が加わって、”今ここ”はさらに輝きを増すだろう。

“今ここ”を愛しなさい。

それは、あなたの愛にこたえてくれるだろう。

欠点もあり完璧とは思えないところもあるかもしれないが、

決して抵抗したり、逆らってはいけない。

どんなに受け入れがたくとも、起こってしまった後では遅すぎるのだ。

どのような出来事であっても、この時点では、できる限りの努力の結晶であり、

理由がないこと、無駄で意味のないことは何一つないのだ。

あなたが嫌わずに許し、受け入れていけば、

それは、あなた自身の栄光を身にまとうことになるだろう。

“今ここ”を創造しなさい。

それは、あなたの情熱にこたえてくれるだろう。

あなたの信念と熱い思いは、必ずや結晶化して

未来というすばらしい作品を生み出すはずだ。

もし、アイデアが起こらないとしたら、

あなたが不注意でぼんやりとしており、せっかくのヒントを取り逃がしているからだ。

“今ここ”との絆は、あなたの中のあふれんばかりの創造性を解き放つだろう。

権威はあなたの中にこそある

  権威はあなたの中にこそある

あなたは、好きなように人生を選べる。

あなたには、そのような権威が授かっているのだ。

どんなに立派な人であっても

どんなに高貴な本であっても

どんなに荘厳な建物であっても

どんなに高価な黄金であっても

あなたの持つ権威に値するものはない。

外部のまばゆさ、魅力、権力、魔力に惑わされてはいけない。

忘れないでほしい。

権威は、外部のどこかにあるのではなく、

権威は、内面に、あなたの中にこそある。

選択の源、運命の源泉、決定の権威は、あなた自身にあるのだ。

あなたの人生が幸せで輝かしいものであったとしたら、

それはあなたが選んだからだ。

なぜならば、何につけ選んだのはあなただから。

あなたの人生が、苦しく、痛みで満ちあふれていたとしたら、

それはあなたが選んだからだ。

なぜならば、現実に起こる出来事は、あなたがかつて選んだ結果だから。

宇宙の中でたった一つの人生、

長い歴史の中でたった一回の人生、

とてつもなくかけがえがなく大切な人生、

そんな人生をこの上なく幸せで豊かなものにしよう。

そのために必要なことは、あなたが自分の偉大なる権威を引き受けることだ。

自分で考え、自分で選び、人生の与えてくれる全ての体験を喜びとともに味わおう。

あなたには、そのようなたくましく輝かしい生き方ができる。

なぜならば、あなたは、もともとそういう存在なのだから。

仲間とともに

   仲間とともに

自分らしく生きなさい。

決して望んでもいない人生を歩んではいけない。

自分の人生に責任を持ちなさい。

決して自分を犠牲にしたり、不当に虐待したり、見捨ててはいけない。

自分のヴィジョンを生きなさい。

決して他人のヴィジョンに支配されてはいけない。

しかし、充分自分を生きることができているならば、

自分と同様に仲間を大切にした方がよい。

歴史に名を残した最強の勇者たちは、

決して一人だけで偉大な仕事をなしたわけではない。

志を共にする仲間との信頼と友情が、偉大なる成功の基盤となったのである。

私は宣言しよう。

勝者として生き残るのは、百戦錬磨の圧倒的な強さを誇る超人ではなく、

腰が低く、仲間をいたわる、輝ける普通人である。

自分を大切にするように、仲間を気遣い、大切にしなさい。

あたりまえで誰にでもできると馬鹿にせずに、こつこつと実践してみると、

そのうちにあなたは途方も無い宝を手に入れていることが分かるだろう。

Never Give Up

      Never Give Up

あなたは、窮地にいるかもしれない。

自ら招いてしまったこととはいえ、こんな苦痛は望んでいなかった。

あらゆる手は尽くしたが、事態は改善しなかった。

むしろ悪いことは重なり、次から次へと試練は私を襲ってきた。

もはや、手は尽き、気力は萎え、友は去り、お金もなくなった。

私は孤独であり、望みはなく、暗く惨めであり、もはや誰にもこんな私を見られたくない。

あなたは、絶望の中でひざを抱え、途方にくれる。

もはや、悲劇はきわまり、万策は尽きてしまったのか…

しかし、夜明け前が一番暗いことを忘れてはいけない。

一番苦痛に満ちている瞬間が、一番の幸福への始まりの瞬間なのだ。

この世に乗り越えられない苦難などないことを忘れてはいけない。

苦難は、乗り越えられるからこそあなたの前に提供された人生の教材なのだ。

あなたは、断じて孤独で見捨てられた放浪者ではない。

どんなときもあなたを応援している心強い味方が、

いつもあなたを見守っていることを宣言しよう。

太陽が、風が、木や花が、犬や猫が、父や母の思いが、

目には見えないあなたを心配する人の愛が、

まさにあなたを見守り、心から応援しているのだ。

 

あなたは、断じて無力ではない。

あなたの中には、いまは全く想像ができない奇跡がまどろんでいる。

ひまわりの種を見て、見事なひまわりの花を想像できる人がいるだろうか。

しかし、人の目論見とは別に、ひまわりの種は、奇跡を起こし、見事な花になるのである。

Never Give Up! 決してあきらめてはいけない。

勝利の女神は、海を埋め尽くすほどの敗北のあとにやってくるのだ!

奇跡は、今ここで起こる。さあ、奇跡への第一歩を踏み出そう。

自分を見つめるということ

   自分を見つめるということ

自分から逃げてはいけない。

今の自分がたとえ完全でなくとも、

今の自分がたとえ醜く愛するに値しない存在に思えても、

今の自分がたとえみすぼらしく力ない弱虫に見えても、

それは、この広い世界の中でたった一つの存在、

それは、この長い宇宙の中でたった一回の存在、

それは、とてつもなくかけがえのない存在なのだ。

 

不思議に思ったことはないだろうか?

知らないうちに食べたものが消化されることを、

知らないうちに呼吸をしていることを、

そうしようとしなくとも血液は循環するということを、

それほど努力しなくともそうしたいときに手や足が動くことを、

ごく自然に言葉を話せることを、

 

毎日太陽が照ることを、

毎日夜がやってくることを、

輝かしい夏、さびしい秋、凍りつく冬、再生の春がめぐってくることを、

そうしようとするときに出会える他者がいつでもいることを、

話し合えることを、

けんかしあえることを、

憎み会えることを、

人と関わるまいと決意できることを、

意思に反して人恋しくなることを、

恋の気持ちがこんなに激しいことを、

こんなに人を愛することが出来ることを、

 

私たちは、私たちが思っているほど愛されていないわけではない。

私たちは私たちがそれをどう感じるかは別として、驚くほど環境に恵まれている。

環境は、何も言わず、何も求めず、何も見返りを期待しないけれども、

ただひっそりと淡々と私たちにプレゼント(現在)を提供してくれている。

そう、私たちは、驚くほど愛されているのかもしれない。

そう、私たちは、驚くほど毎日いつでも応援されているのかもしれない。

そう、環境は、私以上に私を愛してくれているのかもしれない。

そんな私を見捨ててはいけない。

そんな私を虐待してはいけない。

この上なく優しい言葉で自分をいたわってあげよう。

この上なく暖かい手で自分を抱きしめてあげよう

あなたには、自分らしく輝いて生きるための十分な力がまどろんでいる。

あなたには、自分を大切にする責任がある。

自分に自信がないからと言って他を頼りにしてはいけない。

自分を灯明としなさい。

逃げずに自分を見つめ、ありのままを観察しなさい。

醜さ、嫌悪にひるんではいけない。

目をそらさずに淡々と観察していきなさい。

その背景に、深い悲しさと愛があふれていることに気づくだろう。

自分のありのままを観察していったとき、

人は、きっと本当の自分と出会うだろう。

そして、本当の自分は、途方もないほどすばらしいことに気づくだろう。

自分のすばらしさに気づいたとき、

人は、喜びに涙して後、自分となり、

自分らしく勇気をもって生きるだろう。