カテゴリー別アーカイブ: 06.人材教育の理論・情報

こころざしの重要性

志を手にした者は、自分の輝かしい未来についての青写真を手に入れたことになる。

あなたが手に入れたその青写真は、とてつもなく価値あるものである。地球上のどんなに美しい建物であっても、最初は、そっけない鉛筆書きの設計図から始まっていることを忘れてはいけない。今は、手書きの頼りないメモのように見えるかもしれないが、それが種となり、芽を出し、茎をのばし、葉を広げ、ついには今は想像もつかないような美しく大きな花を咲かせるのだ。

ただし、たんに設計図があるからと言っても、それを行動に移さなければ、けっしてその後のプロセスは、展開することはあり得ない。ヴィジョンに向けての具体的な行動への第一歩を踏み出す必要があるのだ。

その際に、必要となるものが、信念だ。「苔の信念岩をも通す」のことわざどおり、「私のこころざしは必ず実現する」という信念をもって行動に当たれば、必ずいつかは花を開かせることになる。しかし、「夢なんてどうせ実現するはずがない」と信じて事に当たれば、途中で遭遇するはずの困難にいとも簡単に屈服してしまい、素晴らしい可能性への道は閉ざされてしまうだろう。

夢の実現への道は、平坦ではない。その過程で出会う人や出来事は、礼儀正しいお客さんばかりとは限らないのだ。目の前に立ちはだかるだろう想像を絶する痛みや苦悩、困難は、1度や2度に限ったことではないだろう。世に言われる成功者たちは、このような困難に遭遇したことは、数限りなくあるのだ。成功とは、失敗しないことでも苦しまないことでもない。失敗してもあきらめないことが、最終的には成功につながるのだ。

人が成長するためには、どうしても「痛み」と向き合う必要がある。苦労が多ければ多いほど、その人の慈悲の深さと、揺るがない前向きな信念と、多くの人を受け入れる広さと度量が育まれてくるのだ。学問に王道がないように、人生にも抜け道はない。試練を潜り抜けてこそ人は大きくなっていくのである。

こころざしの重要性

<こころざしの重要性 その1(キャリアスキル演習(プレゼンディスカッションスキル演習)最後にあたって)>

さて、講座の最後に当たって、みなさんに改めて”こころざし”の重要性についてお話したい。

「私は一体何のために生きるのだろう?」
この問いは、とても厳しい問いである。いったん問いかけたら、答えが出るまでは、止むことはない。しかし、その問いにだけは、満足のいく答えを出すことなど不可能だ。だからこそ、「何のために生きるのか?」の問いかけは、危険が大きく、立ち向かっていくためには勇気が必要である。しかし、みなさんには勇気をもって、この問いに取り組んでもらいたい。

難しい問題だからこそ、危険な問題だからこそ、真剣に向き合う時には、強烈なエネルギーと情熱が心の奥底からやってくる。この情熱こそが青春の証なのだ。危険を避けて、どうせ考えても無駄だからと、この問いから背を向けて、流される生き方を選んだ時から、ひそかに老化が始まるのだ。

「戸を叩け、されば開かれん。」

聖書の言葉にもあるとおり、問いをかけられたものには、必ず答えはやってくるものである。

「何のために生きるのか?」この真剣な問いかけの今の自分の答えとなるものこそが”こころざし”である。志は、自分の理想、夢、あこがれ、育みたい人間性、哲学、最高のバージョンの人生である。

なぜコミュニケーションは重要なのか

 コミュニケーションは、パフォーマンスに大きな影響を与えると言われています。

 では、なぜ、そのような生産性の向上や創造性をもたらすのでしょう。
 社会心理学上で、この問題を上手に説明する理論で、「四つの懸念」(ジャック・ギブ)という理論があります。

 この理論では、人の「出会い」は、まさに未来を拓く「可能性」を意味することであり、すばらしい出来事でありますが、しかし、同時に、「出会い」は、「懸念(不安や疑いなどの総称)」をももたらし、それは、どんな人数や文化、集団でも避けることはできないされています。

 ギブは、チームの人間関係の実践研究をとおして、人間にはどのような懸念が発生するのかを調査しました。

 具体的データを集め、仕分けした結果、以下のような4種類の懸念に分類できたので、この理論は、「4つの懸念」と呼ばれています。

<四つの懸念(J.ギブ)>
1.受容懸念
 ・そもそも私は受け入れられるのか?
 ・相手は私を非難攻撃するだろうか?
2.データ懸念
 ・言葉を選ばなくては・・・
 ・ここではどんな話題が通用するのか?
 ・私はどのように振舞えばいいのだろうか。
3.目標懸念
 ・この対話の目的、目標は何か?
 ・自分の目的や目標は競合しないか?
4.統制懸念
 ・相手は私を強制するだろうか?
 ・私は、支配されないだろうか?
 ・誰が仕切るのだろう?
 ・またどのように仕切るのだろう?

 J.ギブによると、数々のグループの調査分析により、グループの成長は、懸念の解消のプロセスと等しいとされています。
 つまり、当初グループに強くあった懸念が解消されていくにつれて、信頼関係やメンバーの自由度が増し、チームとしての生産性や創造性が開発されていくと考えたのです。

 この理論では、チームのもともと持っている生産性や創造性はとても大きいのですが、その懸念が足を引っ張り、チームのもともとの力を麻痺させる阻害要因となっていると考えられます。
 チームの生産性や創造性の源は、チームの外にあるのではなく、チームの中、既に今ここにまどろんでおり、ただ、その懸念がチームの足を引っ張り、チーム力の発揮を阻害していると考えられるのです。
 ですから、私たちが、チームの潜在性を開発し、チームの創造性や生産性を高めるために必要なことは、チームの外にある新たな特別なものを取り込むことや不自然にりきんで特殊なことをするというよりはむしろ、懸念(誤解や不信)を解消すること、お互いに肩の力を抜くことこそ重要な要素であると言えましょう。
 その際、懸念を解消するための方法は、いろいろあるけれども、本質的で最も効果的なな方法がコミュニケーションであるといえるのです。
 なぜならば、懸念は、相互理解をすること以外には、解消されることはないからです。

 信頼関係は、取り繕ったり、テクニックを使ったりして作り上げるものではなく、コミュニケーションを通して懸念が解消されれば、自然に起こることであり、信頼関係が起これば、チームの閉ざされていた潜在能力の扉が開かれ、本来のチーム力が開花し、高いパフォーマンスを遂げることにつながっていくと言えましょう。

 このように、コミュニケーションは、懸念の解消を促進し、信頼関係を育成することを通して、私たちが本来持っている素晴らしい可能性を引き出し、チームの生産性や創造性を高めることにつながると言えるのです。

B動機とD動機

D動機とB動機という概念は、人間性心理学の巨大な哲人A.マズローによるものです。
今日は、弊社の基盤となっている考え方のひとつである”マズローの動機付け”に関する弊社なりの認識をご紹介したいと思います。
マズローによると、人が行動を起こす動機は、大きくD動機とB動機に分類できるとされています。
D動機とは、欠乏動機と訳され、「自分には、何かが足りない」と認識している人が「足りない何かを満たさなければならない」と思い、自分以外の何かを求めてそれを得ようとする欲求を言います。それは、恐怖や不安に基づく動機でもあり、「そうしないと怖いからする」といった焚き付けられるような渇望ともいえましょう。
一方、B動機とは、Be(存在、実存)から来る動機であり、自分自身の内面にある価値を表現していきたいと願う、自己実現の欲求であるとされています。B動機は、欠乏動機を追い求めることではなく、むしろそこから脱して自由となった人に訪れる欲求であり、「本当にそうしたいからする」といったシンプルで自然な欲求であり、健全なチャレンジ精神の根源ともなるので、その人の本来の潜在的な可能性とも言える動機ともいえます。

マズローは、従来の経営管理は、人のD動機に働きかけて、人をうまくコントロールしようとする権威主義的なものが多く、その方法は、次第に機能しなくなるだろうと予測し、これからのマネジメントは、人の本来の力や可能性を引き出すB動機に働きかけるものであるべきであり、そのようなマネジメントこそが、人の本来のすばらしい創造力を引き出すのだと述べています。

マズローは、
『人はだれでも、より高次の価値を体現したいという生まれながらの欲求を持っている。ちょうど亜鉛やマグネシウムを摂取するという生理的な欲求が、生まれながらに備わっているのと同じように。このことは、より高次の欲求や動機付けが生物学的起源を持つことを明確に示している。あらゆる人間は、美、真実、正義といった最高の諸価値を求める本能的欲求をもつのである。この考えが理解できれば「何が創造性を育むのか」が問題ではないことが理解できよう。真に重要な問題とは、「誰もが創造的とは限らないのはなぜか?」ということなのだ。』
『…何世紀もの間、人間性は軽んじられてきた。』
として、人間本来の力を阻害するD動機による支配を明快に批判しています。

そして、『人間が成長するにしたがって、権威主義的経営管理はいっそう深刻な問題を引き起こすようになる。成長した人間は、権威主義的状況の下で実力を発揮することはできず、そうした状況を嫌悪するようになるのだ。』として、個人の成長が、組織や社会のあり方を変えていくであろうことを示唆しています。『…恵まれた状況を経験した人間は、劣悪な状況には満足しなくなる。…人間が成長し、精神の健康度を増すにつれて、競争を勝ち抜く手段として進歩的な経営管理がいっそう求められるようになり、権威主義的経営管理を続ける企業はますます不利な状況に追い込まれる。』と予言し、このことは、学校や宗教団体でもまったく同じことが起こるだろうと言及しているのです。

マズローが予言した状況は、まさに現代が抱えている問題のエッセンスといえましょう。
毎日のように起こる企業の犯罪、問題行動は、やはり、前時代的な恐怖による支配、管理が行われている企業体質に多く発生しており、逆に、コミュニケーションや人間性を大切にしている進化したマネジメントを実践する会社は、ますます成長軌道に乗ってきております。
また、マズローは、『厳格な権威主義的経営管理スタイルから参加型の経営管理スタイルへと移行し、権威による厳格な規制が取り除かれた直後は、無秩序状態が生じ、鬱積していた敵意や破壊性などが噴出してくる。』とも言及しており、進化に伴う痛みについても示唆していますが、今まさに起こっているさまざまな悲劇は、まさに変わろうとしている社会の生みの苦しみなのかもしれません。そう考えると、時代のダイナミズム、大きなうねりを感じます。また、戦争や多くの悲しみの先にあるものは、絶望ではなく、新しい社会の可能性なのかもしれません。

引用「完全なる経営」マズロー 日本経済新聞社

家具の宝島

 弊社の応接室を整えようと、応接セットを買いたく、埼玉の家具の宝島に行ってきました。家具の宝島は、少し傷の付いた家具を破格の値段で販売している家具屋さんです。関西に本社を持つ会社で、その安さぶりが有名になって、テレビでもよく取材されています。実際に行ってみると、本当に安かった!市価の半分から3分の1くらいの価格じゃないでしょうか。少し傷が付いているといっても、神経質になって探さなければよく分からない傷で、本当に気になるようならば、換えてくれるとのこと、おかげさまで、ずいぶんよいものを、とても安く買うことができました。
 こちらの会社の方針なのでしょうか、店員さんは、全員バイキングのコスチュームに身を固めて、顔には太い眉毛と真っ赤な丸い頬紅で化粧を施し、何とも面白い迫力があります。しかし、買い物をしながら気づいたのですが、単に奇をてらっているのではなく、店舗全体に気配りがされ、筋が通っているものを感じました。キズものではあるけれども、大切に扱われているのでしょう。また店員さんの商品知識の豊かなこと、決してひけらかしませんが、押さえるところはしっかりと押さえるキレがありましたね。きっとよく勉強されているんでしょう。ホームページを見たら、週に一日は、朝7時半から9時まで商人(あきんど)塾と題して、いろんな勉強をされているとのこと。社長が、熱いものをもっているのでしょう。それが社員にしっかりと伝わっていると感じました。
 こうした時代でも伸びる会社は、良い美徳を持っているなぁと感じました。

人と組織を進化させるチェインジエージェントとなる④(最終回)

産労総合研究所「企業と人材」誌に2007年12月号に執筆した記事「人と組織を進化させるチェインジエージェントになる」の原稿を数回にわたってご紹介します。今回は、4回目の最終回です。

<教育担当者として大切にしたい指針>
キャリア支援スタイルの教育を通して、「守り」から「攻め」へ、「保守管理者」から「パフォーマンスコンサルタント」へと自ら変容を遂げ、会社の真の持続的成長に貢献していくためには、数々の困難を乗り越えていく必要がある。
 最後に、私自身が大切にしている、変革を実践していくための指針、ポリシーをご紹介したい。参考にしていただければ幸いである。

1.力まない
人や組織を力づくで変えることはできない。価値ある変革は、常に、変化する主体、内面のコアから起こるのであって、外部からの圧力で起こるわけではない。教育担当者は、あせらず、急がず、可能性を信じて、自ら変わっていこうとする支援をすることが大切である。

2.怯まない
新しい考え方、哲学を提案していくことは、勇気がいる。なぜなら、そのような提案は、いつも快く受け入れてもらえるとは限らないからだ。しかし、だからと言って、言うべきことを言わないでいることは本意ではない。怯まずに、肩の力を抜いて、真に貢献できる提案を提示していくことが大切である。

3.あきらめない
変容を促すことは、容易ではない。成長への道のりは、苦難の道でもある。その過程では、数々の失敗や痛みはつきものと言えよう。しかし、本当に大切なことは、そう簡単にはあきらめるべきではない。勝利の女神は、数多くの敗北の後にやってくる。粘り強く取り組んでいくことが大切である。

人と組織を進化させるチェインジエージェントとなる③

 産労総合研究所「企業と人材」誌に2007年12月号に執筆した記事「人と組織を進化させるチェインジエージェントになる」の原稿を数回にわたってご紹介します。今回は、3回目です。

3・教育担当者の留意点-学習性無力感の教え
 新しい時代の教育を考える上で参考になる理論として「学習性無力感」の理論があるので紹介しよう。
学習性無力感とは、米国心理学者であるM.セリグマン(1943~)によって発表された心理理論であり、教育に携わる者にとっては、多くの教訓を示してくれている。

1.心理学を志す
セリグマンは、13歳の時に、父が病気により体が麻痺すると同時に、うつ状態となり、不幸な晩年を送ったことを契機に、父親のような人たちの助けとなりたいと思い、心理学を志すようになり、1964年、ペンシルバニア大学の大学院に進学した。
その頃の、心理学は、”行動主義”と呼ばれる考え方が主流となっていた。
行動主義とは、「おおよそ、生物は、”刺激→反応”のパターンを観察、計測し分析することで、その行動を説明し、コントロールすることが出来る。」と言う考え方に基づいた心理学である。
現代では、生命は、そのような単純なものではなく、”刺激→有機的存在→反応”と言う複雑なプロセスを経て主体的かつ個性的な行動をする存在であると言う考え方が主流であり、行動主義心理学は、心や意識を無視し、主体性をないがしろにしているとの理由で批判されることが多いのだが、当時は、一種の暗黙の規範のように、「”行動主義的”な考え方でなければ心理学ではない。」と言えるほどの強い権威を持った考え方だったのである。

2.きっかけとなった心理実験
セリグマンが、進学時に大学院で行われていた実験も、まさにこのような”行動主義心理学”に基づいた実験だった。
実験は、「パブロフの犬」に代表される条件付けの実験であり、犬に”刺激→反応”のパターンを学習させることを目的とした実験だったのである。
実験は、3段階で構成されており、まず、第一段階として、”高い音”をならした直後に電気ショックを与えることを繰り返し、犬が、高い音と不快なショックを結びつけるようにして、後で、犬が音を聞いただけでショックを受けたときと同じように恐れて反応することを学習させると言った条件付けを行なう。
第二段階として、犬は、シャトルボックスに入れられる。シャトルボックスは、2区画に仕切られ、間に低い仕切り板があり、犬が望めば、飛び越えることが出来る高さとなっている。
実験は、シャトルボックスの片側にいる犬に、電気ショックを与えるが、仕切り板を飛び越えて、隣室に入るとショックが止まることを繰り返し、「電気ショックが起これば、仕切り板を飛び越え、隣室に入ると、ショックを止めることが出来る」ことを学ばせることだ。
そして第三段階は、電気ショックを与えずに、高い音がなれば、音だけで仕切りを飛び越えることができるかどうかを試みることが実験企画の全体の内容だった。
セリグマンが、大学院に進学したそのときに、ちょうどこの実験が行われていたのだが、実は、実験はもくろみの通りに進んでおらず、諸先輩が、困惑しているところだった。
第二段階において、犬は、電気ショックを与えても、ただ鼻を鳴らしているだけで、ショックから逃げるために、シャトルを仕切る板を飛び越えようとせずに、ただ座り込んでいたのだった。
その時、セリグマンは、犬の様子を見て、「父のうつ状態」と似ていると直観した。
セリグマンは、この実験の犬は、どんなに逃げても、この電気ショックからは逃れられないことを理解し、無力感にさいなまれ、うつ状態になったのではないかと考えたのだ。

3.学習性無力感
セリグマンのこの直観は、行動主義心理学に教化されていた諸先輩からは、「勘違いだ」「動物が、そんなに高度な精神活動はしていない」と否定されたが、セリグマンは、めげずに、実験を繰り返し、ついに「動物であっても、自分でコントロールできない避けがたい出来事を多く体験すると、無力感を学習し、無抵抗なうつ状態になる」ことを論文で発表することになった。
この論文は、支配的だった行動主義の考え方に強烈な一撃を加えることになり、当時の心理学会に大反響を与えることになったのである。
犬が体験したうつ状態は、後に「学習性無力感」と呼ばれ、このセリグマンの考えは、広く一般に認知される心理学の理論となった。

4.学習性無力感の教え
学習性無力感は、ある意味、「”あめとムチ”で他者をコントロールしようとする試みは、決して教育にはつながらず、結局他者をうつ状態にしてしまうことにつながってしまう」ことを証明する理論でもあると言えよう。
学習によってうつ状態になるとは、なんと皮肉なことだろう。
人は、自分らしく輝いているときには、想像もつかないような大きな仕事をやり遂げる力があるけれども、うつ状態に陥れば、考えられないような失敗や問題行動を起こしてしまう可能性があるのだ。
厳罰によって従業員の行動を教育しようとしたJR西日本の尼崎における大事故は、そのことを象徴しているようにも思える。
我々も、そのつもりはなくとも、生産性やパフォーマンスの向上の名のもとに、知らず知らずのうちに、学習性無力感を引き起こしてはいないだろうか。教育の仕事に携わる我々は、この実験結果と理論を厳粛に受け止めなければならない。真剣に自分自身のあり方、教育スタイルを見直す必要があると私は考えている。

本当のところ、人は、パンのみにて生きているわけではない。人は、やはり、やりがい、愛、情熱、喜び、価値ある人間性や美徳のためにこそ本気になれるのである。そして、人は本気になったら、どんな人でも、想像をはるかに超えたすばらしい仕事をやり遂げることができる。人は、すばらしい力と可能性をその内面にまどろませており、開花できるチャンスを今か今かと待ち構えているのである。

厳罰や脅しによって管理しようとする時代はもはや終わった。ディスクローズの時代、大容量の情報がやり取りされる高度情報化社会においては、操作や隠し事、鞭は通用しない。むしろ、そのような試みは、自らの首を絞めると同時に、すばらしい未来への可能性の芽をつんでしまうのだ。
我々は、なんとしても人や組織の無限の可能性や潜在性に光を当てていく必要がある。そのためにも、本当に人を大切にする教育、人を思いやる教育、人が自分らしく輝いて活躍し、力強いキャリアをはぐくんでいく後押し、支援ができる教育を実現する必要があるのだ。

人と組織を進化させるチェインジエージェントとなる②

産労総合研究所「企業と人材」誌に2007年12月号に執筆した記事「人と組織を進化させるチェインジエージェントになる」の原稿を数回にわたってご紹介します。今回は、2回目です。

2.変容する人事部門と教育担当の役割
 リストラの一巡、行き過ぎた成果主義の悪影響の反省、前述のメンタルヘルスの悪化やモチベーションの低下を踏まえて、人事の役割は、変化を迫られている。
 従来の人事の役割は、「管理」という言葉に象徴されるように、要因の適正化、人事コストの低減、自社のコア能力の設定と指導、従業員管理、風紀・規律・勤怠管理、昇進昇格管理等どちらかといえば組織を”守る”役割が期待されていたが、近年では、「能力とパフォーマンスの最大化」といった”攻め”の視点への変化、単なる「保守管理者」から組織活性化に向けての「リーダー」、個人の能力の最大発揮を促すキャリア形成支援の「プロフェッショナル」、21世紀の最重要企業戦略の一つであるコミュニケーションの活性化を通して組織の潜在能力を開発する「コンサルタント」としての役割を発揮する必要性が叫ばれるようになってきた。

 それに伴って、教育担当者の期待される役割も大きく変わっていくと考えられる。筆者は、時代の大きな傾向として、「モデル学習スタイルの教育」から、「キャリア育成支援スタイルの教育」へと重要性や注力する比重が変わっていくだろうと考えている。
 「モデル学習スタイルの教育」とは、すでにモデル化されている正解や見本を反復練習を通して記憶体得していこうとする教育スタイルである。もっともシンプルなモデル学習は、技能教育や資格取得のための教育であり、高度になると、コンピテンシー教育などが上げられよう。
一方「キャリア育成支援スタイルの教育」とは、個人の能力が最大限発揮できるようになるための支援を目的とする教育であり、個々人の個性に対応する必要があったり能力開発に長期の時間を要することからキャリアサポート型の教育スタイルとなる。
 具体的には、メンタルヘルス教育、キャリアカウンセリング、ヒューマンスキルトレーニング、根本的なモチベーションを高めるための教育(自己信頼の回復、キャリアヴィジョン、自己理解、など)、創造性開発訓練、個人の能力を発揮しやすくするためのチームビルディング、メンター制度、組織開発、などが挙げられよう。

 従来の教育は、モデル学習スタイルに偏りがちになっていたが、今まで見本としていた過去のモデルを忠実に実行していた結果として、現状(の悲劇)があることを忘れてはならない。また、今までの権威、見本、モデルは、現状を維持する力にはなっても、必ずしも新しい未来を開く鍵となるわけではない。「能力とパフォーマンスの最大化」を志す”攻め”の風土を作ることを期待されている教育スタッフにとっては、モデル学習スタイルだけでは、十分とは言えないのだ。

 キャリア育成支援スタイルの教育を実践するためには、発想の転換を必要とする。従来の「わが社の従業員は、仕事を効果的に遂行する上でどこかしら能力に欠けており、自ら学ぶ力も足りない。こちらから危機感をあおって行動を促し、正解を示して、教え込まなければならない。仕事上のパフォーマンスを高めるためには、こちらから間違いを指摘し、正し、管理する必要がある」といった発想ではなく、「わが社の従業員には、よい仕事をやり遂げる十分な能力と可能性がある。現状では完璧とはいえないが、自ら学び成長する力がある。仕事上のパフォーマンスをより高めるためには、本人の主体性を尊重し、本来のすばらしい能力を引き出す支援をすることがもっとも効果的である。」といった考え方に転換する必要がある。なぜならば、人間の本来のすばらしい力や可能性を信じることができなければ、それを引き出そうとする試みを真剣に誠実に貫くことができないからだ。

 さらに、「人は断じて無力ではない、その力と可能性は想像を超えて大きい」と言った信念を強く持つ必要がある。なぜならば、キャリア支援スタイルの教育は、えてして従来の発想の立場から、「必要性はわかっているが、現実離れしている」「うちの社員には無理」「経営陣がそんな教育を受け入れるはずがない」などといった反撃を受けることが多いからである。そのような反論、抵抗に怯まずに、人の可能性を引き出す教育を展開することは、並大抵ではない。揺るがない信念が必要なのだ。

 しかし、時代の流れは、確実に、キャリア支援スタイルの教育を必要としている。またそのような教育を実践している企業こそが、現実に飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を遂げているのである。新しい時代の教育担当者は、このような時代背景の中、怯むことなく信念を持って、粘り強く新しい時代の教育に挑戦していく必要があるといえよう。

人と組織を進化させるチェインジエージェントとなる①

産労総合研究所「企業と人材」誌に2007年12月号に執筆した記事「人と組織を進化させるチェインジエージェントになる」の原稿を数回にわたってご紹介します。文字数を削除する前のオリジナル文章です。

<人と組織を進化させるチェインジエージェントになる①>
筆者は、ヒューマンスキルトレーニングに特化した教育コンサルタント会社を経営している。筆者の展開するプログラムのテーマは、「元気と勇気と信頼の回復」である。人や組織を活性化し、パフォーマンスを高めるための方法は、技能トレーニング、工夫された問題解決の方法、人事考課等の制度的アプローチなど、さまざまな方法やツールがあるけれども、根底にある”自己信頼”や”メンバーとの信頼関係”が欠如した状態では、どんなにすばらしいテクノロジーも本来の機能を発揮しないだろうし、逆に、信頼関係は、確かに難しいが、もし本当に育成することができるのであれば、すべてが変わっていく可能性があると考えている。
 筆者は、「人は確かに完璧ではないかもしれないが、決して無力ではない。その可能性と潜在性は、想像をはるかに超えて大きい」という哲学を持っており、その可能性を開く鍵となるものが教育であるという信念の元で、研修を展開している。
 筆者が置いているそのような基盤、考え方に基づいて、同士である教育スタッフにメッセージを送りたい。

1.メンタルヘルスの立場が必要不可欠な職場の現状
 リストラ、成果主義、など、近年の社会情勢や労働環境の急激な変化を受けて、働く人たちのストレスと心の問題が深刻化している。
 厚生労働省の労働者健康状況調査によると、「仕事や職業生活に関する強い不安、悩み、ストレスがある」労働者の割合は、近年徐々に増加し、2002年では61.5%に達した。
 社会経済生産性本部が2006年に実施した「メンタルヘルスの取り組み」に関するアンケート調査によると、6割以上の企業でこの3年間に「心の病」が増加傾向にあると回答しており、心の病のため1ヶ月以上休業している従業員のいる企業の割合は、74.8%と、過去2回の調査結果である2002年の58.5%、2004年の66.8%を超えて大幅に増加し、とうとう7割台に突入している。
 自殺者数も9年連続で3万人を超えるという異常事態となっており、日本は、いまやメンタル不全社会へと突入しているといえよう。

 こうした心の健康問題の多発を背景に、日本の勤労者のモチベーションも極度に低下している。米国調査会社ギャラップによる「職場への帰属意識や仕事への熱意」に関する意識調査(2005年3月)によると、日本人の仕事に対する忠誠心や熱意は、「非常にある」9%、「あまりない」67%、「まったくない」24%となった。14カ国の同様な調査との比較によると、「非常にある」の9%は、シンガポールに並んで最低であり、最も高い米国(29%)の3分の1以下だったことが分かった。
 
 さらに、このような背景のもとで、日本のパフォーマンスレベルも低下しており、財団法人 社会経済生産性本部の「労働生産性の国際比較(2006年版)」によると、日本の労働生産性(2004年)は59,651ドル(798万円)で、OECD加盟の30カ国の中で第19位であり、主要先進7カ国間では最下位となった。

 以上のデータから判断すると、日本の職場の現状は、贔屓目にもうまく行っているとは言い難い状況であり、輝きと創造性に満ちているというよりはむしろ痛みと苦悩に満ちた状況にあるといえるだろう。実際のところ、われわれが直面し変えていこうとしている現状は、決して甘くはないのだ。

ダイアローグに至る過程‐新しい時代のマネジメント⑤

第1ステップ 懸念の解消
人と人とが出会うと、必ず懸念(疑惑、不安)が発生しますが、コミュニケーションが徐々に活性化し、お互いの理解を深めることができれば、自然に解消され、信頼へと変容していきます。

第2ステップ フィードバックと自己開示
信頼関係が醸成されてくると、メンバー個々人の内面で感じていることが、次第にオープンとなっていきます。フィードバックは、相手に映った自分の姿を聴くことであり、自己開示は、今ここで体験している気持ちやアイデアをオープンにしていくことです。
フィードバックと自己開示が行われると、個々人のグループへの関わり方は、真剣でより誠実なものに変わり、お互いに向ける関心や、相互理解が桁違いにレベルアップしていきます。メンバーは、チームの一員であることをしっかりと受け止め、たとえ不快な問題があっても、その問題が、自分とは異なる対象と言うよりも、自分もその問題の一部であると感じるようになり、解決に向けて主体的で積極的、責任あるかかわり方をするようになります。

第3ステップ 認知バイアス(偏見)の解除
深く正確なコミュニケーションが行われるにつれて、内面に隠されていたメンバーの本音や真相に光が当たり、メンバーは、より本当のことを理解するようになります。そのようにして明らかになってきたありのままの現実を正確に認識できるようなると、自分の中で信じ込んでいたさまざまなことが、真実ではなく、単なる誤解であったり、思い込みであったり、偏見であることに気づいてくことになります。
また、自分の立場や価値観、信念を防衛する必要がなくなるので、次第にそれらに固執することが孤独と感じるようになり、こだわりを捨てて、謙虚にメンバーに耳を傾け、正味相手の立場に立って、相手の理解をすることができるようになります。

第4ステップ エネルギーの集中
物理学者デビッド・ボームは、自身の「ダイアローグと思考の研究」のなかで、ダイアローグの状態を超伝導に例えました。
超伝導とは、特殊な合金を冷却して行くと、ある低温下の温度で、電子が自由となり、全く抵抗がない状態となり、非常に大きなエネルギーを生み出すことが可能となる現象を言います。
まさに、ダイアローグは、個々人の潜在能力を開放し、チームが一丸となって、大きなエネルギーを発揮している状態といえましょう。ダイアローグにおいて、メンバーは自由でリラックスしており、お互いに人間としての深い関心が向けられており、発言内容はもちろんのこと、発言者の気持や意図、雰囲気にいたるまでありのままに理解することができるので、交流する情報や感情は、質量ともにけた違いにレベルアップします。話し合いのテーマに対しての深い集中がなされており、出てくるアイデアや企画も創造的で質の高いものになるのです。まさに、生産性や創造性の高い、ハイパフォーマンスな輝かしいチームといえましょう。

<体験学習の地平>
ダイアローグは、そのエネルギーと創造性を武器として、組織を活性化し、組織に決定的な競争優位性と成長力をもたらすでしょう。体験学習は、組織をダイアローグ型に変容する可能性を秘めた非常に優れた学習方法です。今後、その役割はますます重要となってくることでしょう。来るべき素晴らしい時代に向けて、人間性を大切に育む精神を脈々と伝えてきた体験学習が、ますます多くの人たちと組織に役立ち、未来を開く手助けとなることを願っております。