カテゴリー別アーカイブ: 06.人材教育の理論・情報

学ぶということ?

<私たちは答えを知っているわけではない>

一方、この本がテーマにしている”自分らしさ”は、いかがでしょう。”自分らしさ”とは、要するに個性であり、個性には、正解もモデルもありません。

 よく、すばらしいリーダーのあり方であるとか、すばらしいコミュニケーションのとり方、よりよい生き方、などと本がたくさん出版されていますが、よくよく考えると、リーダーシップ、コミュニケーション、生き方などといった、いわばヒューマンスキルは、それこそ個性の現われであって、その個性には、モデルや正解などありません。
 すばらしいリーダーと言った場合には、咲く花は一種類ではなく、百花百様、個性の数だけ美しい花が咲く可能性があるのです。
 コミュニケーションといっても、人によってすばらしいあり方はたくさんあって、いろんな美しい方法があるので、一つの正解など存在しないし、人の数だけ美しいあり方があるのだとといえましょう。

 でも、私たちは、モデル学習にとっても慣れてしまっており、ある意味で、モデル学習に飼いならされており、どんなことにも”正解”があり、その通りに振舞える人が優秀で、そうできない人は、失格であると思い込んではいないでしょうか。

 私たちは、もう少し謙虚になる必要があるのではないでしょうか。
 私たちは、「自分は、できないだけで本当は既にどうすればよいか知っている」「私は、正解を知っている」「自分が正しい」と思い込んでいるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。
 私が答を知っている正しい人ならば、なぜ、自分は、今こうなのでしょう?なぜ、自分の人生は、思い通りにならないのでしょう?
 自分には、まだたりない欠点があるからでしょうか?他人がその答を知らないで、自分に協力しないからなのでしょうか?環境が悪者なのでしょうか?
 しかし、どんなに逆境の中でも、自分らしく輝いて生きている勇者はいるものです。
 成功している勇者たちは、欠点が無いことなどありません。

 自分の中に腰をすえている”答え”は、決して真実ではありません。
 なぜなら、それは既に過去の遺物であり、”今ここ”で起こっていることとは、関係が無いからです。
 また、理論や概念は、言葉からできており、言葉は、決して実体にはなれません。あらゆる概念は、この運命からは逃れることはできません。理論は、権威あるものに見えるかもしれませんが、それは、実体の影にすぎないのです。影を操作して、実体を変えようとしても、実体は変わらないように、理論を操作して現実を変えようとしても、決してうまくはいきません。

学ぶということ?

<私たちが教えられてきた学習方法は万能ではない>

 私たちは、”学ぶ”ということをどう考えているでしょう。

 通常、私たちが”学ぶ”ときの”学び方”は、”モデル学習”といえるでしょう。

 モデル学習とは、基本的に漢字の書き取りと同じで、先生が”見本(モデル)”を示し、生徒は、それを”複写”し、何回も”練習”をして、”記憶”し、自分のものにする。そして、当初先生の示した見本が、自分のものになったときに、さらに新しく高度な”見本(モデル)”を提示してもらうと言ったサイクルを”モデル学習”と言います。

 モデル学習は、どんな教育機関、組織、文化でも行われている教育方法であり、汎用的で一般的であるといえましょう。
 非常に、効率的で便利な学習方法であり、応用範囲は広範囲にあるとはいえますが、実は、モデル学習は、限界があり、どんなことでもこの方法で学べるわけではありません。

 たとえば、一流のプロスポーツ選手を思い浮かべてください。
 彼ら彼女らは、大変パフォーマンスが高く、一流であり、モデルとするにはもってこいの人たちですが、しかし、モデル学習のように、彼ら彼女らの物まねをしたからといって、その技術を得られるわけではありません。
 また、一流になればなるほど、その技術はユニークであり、一般的ではありません。
 有名なプロ選手は、一様に個性的であり、全く画一的ではありません。
ですから、一流であるための型にはまったモデルは、存在しないのです。

 匠の技、というものがあります。一流の職人芸は、大変みごとであり、見習いたいスキルであります。しかし、残念ながら、見取り稽古には限界があり、同じようにやってみても、同じようにはできません。その技は、その人独自のきれをもっており、その人にしかできない独特なものだからです。

こころざしの重要性 (最終回)

自らのこころざしを実現するためには、そのような厳しい道を歩む必要があることをしっかりと理解して、信念をもって事にあたろう。

どんなに困難な試練であったとしても、あなたがあきらめずに、前向きに粘り強いく立ち向かっていけば、必ず道は開けてくる。

“チャンスとピンチは、準備が整ったものにやってくる”のだ。

だから、実のところ、立ちはだかった壁がどんなに高いものであったとしても、乗り越えられないものは存在しない。あなたの試練は、あなたが乗り越えられる準備が整ったからこそやってきた。だから、これからもあなたが生きていく上で、あなたが乗り越えられないような困難は、決してあらわれることはない。その意味で、あなたが出会うであろう障害は、あなたにとってのよき教材であり、成長への貴重な踏み台なのだ。

人は、たいていの場合人が想像している以上の存在である。あなたの可能性は、今は想像できないくらいに大きい。自分の人生を信じて、自分が選ぶ道を堂々と力強く歩いていこう。あなたには、それをやり遂げる充分な力があるのだから。

こころざしの重要性

志を手にした者は、自分の輝かしい未来についての青写真を手に入れたことになる。

あなたが手に入れたその青写真は、とてつもなく価値あるものである。地球上のどんなに美しい建物であっても、最初は、そっけない鉛筆書きの設計図から始まっていることを忘れてはいけない。今は、手書きの頼りないメモのように見えるかもしれないが、それが種となり、芽を出し、茎をのばし、葉を広げ、ついには今は想像もつかないような美しく大きな花を咲かせるのだ。

ただし、たんに設計図があるからと言っても、それを行動に移さなければ、けっしてその後のプロセスは、展開することはあり得ない。ヴィジョンに向けての具体的な行動への第一歩を踏み出す必要があるのだ。

その際に、必要となるものが、信念だ。「苔の信念岩をも通す」のことわざどおり、「私のこころざしは必ず実現する」という信念をもって行動に当たれば、必ずいつかは花を開かせることになる。しかし、「夢なんてどうせ実現するはずがない」と信じて事に当たれば、途中で遭遇するはずの困難にいとも簡単に屈服してしまい、素晴らしい可能性への道は閉ざされてしまうだろう。

夢の実現への道は、平坦ではない。その過程で出会う人や出来事は、礼儀正しいお客さんばかりとは限らないのだ。目の前に立ちはだかるだろう想像を絶する痛みや苦悩、困難は、1度や2度に限ったことではないだろう。世に言われる成功者たちは、このような困難に遭遇したことは、数限りなくあるのだ。成功とは、失敗しないことでも苦しまないことでもない。失敗してもあきらめないことが、最終的には成功につながるのだ。

人が成長するためには、どうしても「痛み」と向き合う必要がある。苦労が多ければ多いほど、その人の慈悲の深さと、揺るがない前向きな信念と、多くの人を受け入れる広さと度量が育まれてくるのだ。学問に王道がないように、人生にも抜け道はない。試練を潜り抜けてこそ人は大きくなっていくのである。

こころざしの重要性

<こころざしの重要性 その1(キャリアスキル演習(プレゼンディスカッションスキル演習)最後にあたって)>

さて、講座の最後に当たって、みなさんに改めて”こころざし”の重要性についてお話したい。

「私は一体何のために生きるのだろう?」
この問いは、とても厳しい問いである。いったん問いかけたら、答えが出るまでは、止むことはない。しかし、その問いにだけは、満足のいく答えを出すことなど不可能だ。だからこそ、「何のために生きるのか?」の問いかけは、危険が大きく、立ち向かっていくためには勇気が必要である。しかし、みなさんには勇気をもって、この問いに取り組んでもらいたい。

難しい問題だからこそ、危険な問題だからこそ、真剣に向き合う時には、強烈なエネルギーと情熱が心の奥底からやってくる。この情熱こそが青春の証なのだ。危険を避けて、どうせ考えても無駄だからと、この問いから背を向けて、流される生き方を選んだ時から、ひそかに老化が始まるのだ。

「戸を叩け、されば開かれん。」

聖書の言葉にもあるとおり、問いをかけられたものには、必ず答えはやってくるものである。

「何のために生きるのか?」この真剣な問いかけの今の自分の答えとなるものこそが”こころざし”である。志は、自分の理想、夢、あこがれ、育みたい人間性、哲学、最高のバージョンの人生である。

なぜコミュニケーションは重要なのか

 コミュニケーションは、パフォーマンスに大きな影響を与えると言われています。

 では、なぜ、そのような生産性の向上や創造性をもたらすのでしょう。
 社会心理学上で、この問題を上手に説明する理論で、「四つの懸念」(ジャック・ギブ)という理論があります。

 この理論では、人の「出会い」は、まさに未来を拓く「可能性」を意味することであり、すばらしい出来事でありますが、しかし、同時に、「出会い」は、「懸念(不安や疑いなどの総称)」をももたらし、それは、どんな人数や文化、集団でも避けることはできないされています。

 ギブは、チームの人間関係の実践研究をとおして、人間にはどのような懸念が発生するのかを調査しました。

 具体的データを集め、仕分けした結果、以下のような4種類の懸念に分類できたので、この理論は、「4つの懸念」と呼ばれています。

<四つの懸念(J.ギブ)>
1.受容懸念
 ・そもそも私は受け入れられるのか?
 ・相手は私を非難攻撃するだろうか?
2.データ懸念
 ・言葉を選ばなくては・・・
 ・ここではどんな話題が通用するのか?
 ・私はどのように振舞えばいいのだろうか。
3.目標懸念
 ・この対話の目的、目標は何か?
 ・自分の目的や目標は競合しないか?
4.統制懸念
 ・相手は私を強制するだろうか?
 ・私は、支配されないだろうか?
 ・誰が仕切るのだろう?
 ・またどのように仕切るのだろう?

 J.ギブによると、数々のグループの調査分析により、グループの成長は、懸念の解消のプロセスと等しいとされています。
 つまり、当初グループに強くあった懸念が解消されていくにつれて、信頼関係やメンバーの自由度が増し、チームとしての生産性や創造性が開発されていくと考えたのです。

 この理論では、チームのもともと持っている生産性や創造性はとても大きいのですが、その懸念が足を引っ張り、チームのもともとの力を麻痺させる阻害要因となっていると考えられます。
 チームの生産性や創造性の源は、チームの外にあるのではなく、チームの中、既に今ここにまどろんでおり、ただ、その懸念がチームの足を引っ張り、チーム力の発揮を阻害していると考えられるのです。
 ですから、私たちが、チームの潜在性を開発し、チームの創造性や生産性を高めるために必要なことは、チームの外にある新たな特別なものを取り込むことや不自然にりきんで特殊なことをするというよりはむしろ、懸念(誤解や不信)を解消すること、お互いに肩の力を抜くことこそ重要な要素であると言えましょう。
 その際、懸念を解消するための方法は、いろいろあるけれども、本質的で最も効果的な方法がコミュニケーションであるといえるのです。
 なぜならば、懸念は、相互理解をすること以外には、解消されることはないからです。

 信頼関係は、取り繕ったり、テクニックを使ったりして作り上げるものではなく、コミュニケーションを通して懸念が解消されれば、自然に起こることであり、信頼関係が起これば、チームの閉ざされていた潜在能力の扉が開かれ、本来のチーム力が開花し、高いパフォーマンスを遂げることにつながっていくと言えましょう。

 このように、コミュニケーションは、懸念の解消を促進し、信頼関係を育成することを通して、私たちが本来持っている素晴らしい可能性を引き出し、チームの生産性や創造性を高めることにつながると言えるのです。

B動機とD動機

D動機とB動機という概念は、人間性心理学の巨大な哲人A.マズローによるものです。
今日は、弊社の基盤となっている考え方のひとつである”マズローの動機付け”に関する弊社なりの認識をご紹介したいと思います。
マズローによると、人が行動を起こす動機は、大きくD動機とB動機に分類できるとされています。
D動機とは、欠乏動機と訳され、「自分には、何かが足りない」と認識している人が「足りない何かを満たさなければならない」と思い、自分以外の何かを求めてそれを得ようとする欲求を言います。それは、恐怖や不安に基づく動機でもあり、「そうしないと怖いからする」といった焚き付けられるような渇望ともいえましょう。
一方、B動機とは、Be(存在、実存)から来る動機であり、自分自身の内面にある価値を表現していきたいと願う、自己実現の欲求であるとされています。B動機は、欠乏動機を追い求めることではなく、むしろそこから脱して自由となった人に訪れる欲求であり、「本当にそうしたいからする」といったシンプルで自然な欲求であり、健全なチャレンジ精神の根源ともなるので、その人の本来の潜在的な可能性とも言える動機ともいえます。

マズローは、従来の経営管理は、人のD動機に働きかけて、人をうまくコントロールしようとする権威主義的なものが多く、その方法は、次第に機能しなくなるだろうと予測し、これからのマネジメントは、人の本来の力や可能性を引き出すB動機に働きかけるものであるべきであり、そのようなマネジメントこそが、人の本来のすばらしい創造力を引き出すのだと述べています。

マズローは、
『人はだれでも、より高次の価値を体現したいという生まれながらの欲求を持っている。ちょうど亜鉛やマグネシウムを摂取するという生理的な欲求が、生まれながらに備わっているのと同じように。このことは、より高次の欲求や動機付けが生物学的起源を持つことを明確に示している。あらゆる人間は、美、真実、正義といった最高の諸価値を求める本能的欲求をもつのである。この考えが理解できれば「何が創造性を育むのか」が問題ではないことが理解できよう。真に重要な問題とは、「誰もが創造的とは限らないのはなぜか?」ということなのだ。』
『…何世紀もの間、人間性は軽んじられてきた。』
として、人間本来の力を阻害するD動機による支配を明快に批判しています。

そして、『人間が成長するにしたがって、権威主義的経営管理はいっそう深刻な問題を引き起こすようになる。成長した人間は、権威主義的状況の下で実力を発揮することはできず、そうした状況を嫌悪するようになるのだ。』として、個人の成長が、組織や社会のあり方を変えていくであろうことを示唆しています。『…恵まれた状況を経験した人間は、劣悪な状況には満足しなくなる。…人間が成長し、精神の健康度を増すにつれて、競争を勝ち抜く手段として進歩的な経営管理がいっそう求められるようになり、権威主義的経営管理を続ける企業はますます不利な状況に追い込まれる。』と予言し、このことは、学校や宗教団体でもまったく同じことが起こるだろうと言及しているのです。

マズローが予言した状況は、まさに現代が抱えている問題のエッセンスといえましょう。
毎日のように起こる企業の犯罪、問題行動は、やはり、前時代的な恐怖による支配、管理が行われている企業体質に多く発生しており、逆に、コミュニケーションや人間性を大切にしている進化したマネジメントを実践する会社は、ますます成長軌道に乗ってきております。
また、マズローは、『厳格な権威主義的経営管理スタイルから参加型の経営管理スタイルへと移行し、権威による厳格な規制が取り除かれた直後は、無秩序状態が生じ、鬱積していた敵意や破壊性などが噴出してくる。』とも言及しており、進化に伴う痛みについても示唆していますが、今まさに起こっているさまざまな悲劇は、まさに変わろうとしている社会の生みの苦しみなのかもしれません。そう考えると、時代のダイナミズム、大きなうねりを感じます。また、戦争や多くの悲しみの先にあるものは、絶望ではなく、新しい社会の可能性なのかもしれません。

引用「完全なる経営」マズロー 日本経済新聞社

家具の宝島

 弊社の応接室を整えようと、応接セットを買いたく、埼玉の家具の宝島に行ってきました。家具の宝島は、少し傷の付いた家具を破格の値段で販売している家具屋さんです。関西に本社を持つ会社で、その安さぶりが有名になって、テレビでもよく取材されています。実際に行ってみると、本当に安かった!市価の半分から3分の1くらいの価格じゃないでしょうか。少し傷が付いているといっても、神経質になって探さなければよく分からない傷で、本当に気になるようならば、換えてくれるとのこと、おかげさまで、ずいぶんよいものを、とても安く買うことができました。
 こちらの会社の方針なのでしょうか、店員さんは、全員バイキングのコスチュームに身を固めて、顔には太い眉毛と真っ赤な丸い頬紅で化粧を施し、何とも面白い迫力があります。しかし、買い物をしながら気づいたのですが、単に奇をてらっているのではなく、店舗全体に気配りがされ、筋が通っているものを感じました。キズものではあるけれども、大切に扱われているのでしょう。また店員さんの商品知識の豊かなこと、決してひけらかしませんが、押さえるところはしっかりと押さえるキレがありましたね。きっとよく勉強されているんでしょう。ホームページを見たら、週に一日は、朝7時半から9時まで商人(あきんど)塾と題して、いろんな勉強をされているとのこと。社長が、熱いものをもっているのでしょう。それが社員にしっかりと伝わっていると感じました。
 こうした時代でも伸びる会社は、良い美徳を持っているなぁと感じました。

人と組織を進化させるチェインジエージェントとなる④(最終回)

産労総合研究所「企業と人材」誌に2007年12月号に執筆した記事「人と組織を進化させるチェインジエージェントになる」の原稿を数回にわたってご紹介します。今回は、4回目の最終回です。

<教育担当者として大切にしたい指針>
キャリア支援スタイルの教育を通して、「守り」から「攻め」へ、「保守管理者」から「パフォーマンスコンサルタント」へと自ら変容を遂げ、会社の真の持続的成長に貢献していくためには、数々の困難を乗り越えていく必要がある。
 最後に、私自身が大切にしている、変革を実践していくための指針、ポリシーをご紹介したい。参考にしていただければ幸いである。

1.力まない
人や組織を力づくで変えることはできない。価値ある変革は、常に、変化する主体、内面のコアから起こるのであって、外部からの圧力で起こるわけではない。教育担当者は、あせらず、急がず、可能性を信じて、自ら変わっていこうとする支援をすることが大切である。

2.怯まない
新しい考え方、哲学を提案していくことは、勇気がいる。なぜなら、そのような提案は、いつも快く受け入れてもらえるとは限らないからだ。しかし、だからと言って、言うべきことを言わないでいることは本意ではない。怯まずに、肩の力を抜いて、真に貢献できる提案を提示していくことが大切である。

3.あきらめない
変容を促すことは、容易ではない。成長への道のりは、苦難の道でもある。その過程では、数々の失敗や痛みはつきものと言えよう。しかし、本当に大切なことは、そう簡単にはあきらめるべきではない。勝利の女神は、数多くの敗北の後にやってくる。粘り強く取り組んでいくことが大切である。

人と組織を進化させるチェインジエージェントとなる③

 産労総合研究所「企業と人材」誌に2007年12月号に執筆した記事「人と組織を進化させるチェインジエージェントになる」の原稿を数回にわたってご紹介します。今回は、3回目です。

3・教育担当者の留意点-学習性無力感の教え
 新しい時代の教育を考える上で参考になる理論として「学習性無力感」の理論があるので紹介しよう。
学習性無力感とは、米国心理学者であるM.セリグマン(1943~)によって発表された心理理論であり、教育に携わる者にとっては、多くの教訓を示してくれている。

1.心理学を志す
セリグマンは、13歳の時に、父が病気により体が麻痺すると同時に、うつ状態となり、不幸な晩年を送ったことを契機に、父親のような人たちの助けとなりたいと思い、心理学を志すようになり、1964年、ペンシルバニア大学の大学院に進学した。
その頃の、心理学は、”行動主義”と呼ばれる考え方が主流となっていた。
行動主義とは、「おおよそ、生物は、”刺激→反応”のパターンを観察、計測し分析することで、その行動を説明し、コントロールすることが出来る。」と言う考え方に基づいた心理学である。
現代では、生命は、そのような単純なものではなく、”刺激→有機的存在→反応”と言う複雑なプロセスを経て主体的かつ個性的な行動をする存在であると言う考え方が主流であり、行動主義心理学は、心や意識を無視し、主体性をないがしろにしているとの理由で批判されることが多いのだが、当時は、一種の暗黙の規範のように、「”行動主義的”な考え方でなければ心理学ではない。」と言えるほどの強い権威を持った考え方だったのである。

2.きっかけとなった心理実験
セリグマンが、進学時に大学院で行われていた実験も、まさにこのような”行動主義心理学”に基づいた実験だった。
実験は、「パブロフの犬」に代表される条件付けの実験であり、犬に”刺激→反応”のパターンを学習させることを目的とした実験だったのである。
実験は、3段階で構成されており、まず、第一段階として、”高い音”をならした直後に電気ショックを与えることを繰り返し、犬が、高い音と不快なショックを結びつけるようにして、後で、犬が音を聞いただけでショックを受けたときと同じように恐れて反応することを学習させると言った条件付けを行なう。
第二段階として、犬は、シャトルボックスに入れられる。シャトルボックスは、2区画に仕切られ、間に低い仕切り板があり、犬が望めば、飛び越えることが出来る高さとなっている。
実験は、シャトルボックスの片側にいる犬に、電気ショックを与えるが、仕切り板を飛び越えて、隣室に入るとショックが止まることを繰り返し、「電気ショックが起これば、仕切り板を飛び越え、隣室に入ると、ショックを止めることが出来る」ことを学ばせることだ。
そして第三段階は、電気ショックを与えずに、高い音がなれば、音だけで仕切りを飛び越えることができるかどうかを試みることが実験企画の全体の内容だった。
セリグマンが、大学院に進学したそのときに、ちょうどこの実験が行われていたのだが、実は、実験はもくろみの通りに進んでおらず、諸先輩が、困惑しているところだった。
第二段階において、犬は、電気ショックを与えても、ただ鼻を鳴らしているだけで、ショックから逃げるために、シャトルを仕切る板を飛び越えようとせずに、ただ座り込んでいたのだった。
その時、セリグマンは、犬の様子を見て、「父のうつ状態」と似ていると直観した。
セリグマンは、この実験の犬は、どんなに逃げても、この電気ショックからは逃れられないことを理解し、無力感にさいなまれ、うつ状態になったのではないかと考えたのだ。

3.学習性無力感
セリグマンのこの直観は、行動主義心理学に教化されていた諸先輩からは、「勘違いだ」「動物が、そんなに高度な精神活動はしていない」と否定されたが、セリグマンは、めげずに、実験を繰り返し、ついに「動物であっても、自分でコントロールできない避けがたい出来事を多く体験すると、無力感を学習し、無抵抗なうつ状態になる」ことを論文で発表することになった。
この論文は、支配的だった行動主義の考え方に強烈な一撃を加えることになり、当時の心理学会に大反響を与えることになったのである。
犬が体験したうつ状態は、後に「学習性無力感」と呼ばれ、このセリグマンの考えは、広く一般に認知される心理学の理論となった。

4.学習性無力感の教え
学習性無力感は、ある意味、「”あめとムチ”で他者をコントロールしようとする試みは、決して教育にはつながらず、結局他者をうつ状態にしてしまうことにつながってしまう」ことを証明する理論でもあると言えよう。
学習によってうつ状態になるとは、なんと皮肉なことだろう。
人は、自分らしく輝いているときには、想像もつかないような大きな仕事をやり遂げる力があるけれども、うつ状態に陥れば、考えられないような失敗や問題行動を起こしてしまう可能性があるのだ。
厳罰によって従業員の行動を教育しようとしたJR西日本の尼崎における大事故は、そのことを象徴しているようにも思える。
我々も、そのつもりはなくとも、生産性やパフォーマンスの向上の名のもとに、知らず知らずのうちに、学習性無力感を引き起こしてはいないだろうか。教育の仕事に携わる我々は、この実験結果と理論を厳粛に受け止めなければならない。真剣に自分自身のあり方、教育スタイルを見直す必要があると私は考えている。

本当のところ、人は、パンのみにて生きているわけではない。人は、やはり、やりがい、愛、情熱、喜び、価値ある人間性や美徳のためにこそ本気になれるのである。そして、人は本気になったら、どんな人でも、想像をはるかに超えたすばらしい仕事をやり遂げることができる。人は、すばらしい力と可能性をその内面にまどろませており、開花できるチャンスを今か今かと待ち構えているのである。

厳罰や脅しによって管理しようとする時代はもはや終わった。ディスクローズの時代、大容量の情報がやり取りされる高度情報化社会においては、操作や隠し事、鞭は通用しない。むしろ、そのような試みは、自らの首を絞めると同時に、すばらしい未来への可能性の芽をつんでしまうのだ。
我々は、なんとしても人や組織の無限の可能性や潜在性に光を当てていく必要がある。そのためにも、本当に人を大切にする教育、人を思いやる教育、人が自分らしく輝いて活躍し、力強いキャリアをはぐくんでいく後押し、支援ができる教育を実現する必要があるのだ。