自宅兼会社の庭にあるさざんかが満開です。

なかなかかわいらしいでしょう!毎年この時期に花を咲かせれくれて、楽しませてくれています。
 花言葉は、「困難に打ち勝つ」だそうです。確かに、ものさびしい秋の終わり、厳しい寒さに向かうこの時期に、けなげにこんなに優しく咲くんですから、その意味もわかる気がしますね。
 花言葉は、「困難に打ち勝つ」だそうです。確かに、ものさびしい秋の終わり、厳しい寒さに向かうこの時期に、けなげにこんなに優しく咲くんですから、その意味もわかる気がしますね。
さざんかにちなんで、今年世界や日本に起こった多くの困難を乗り越えられますように!
自宅兼会社の庭にあるさざんかが満開です。

なかなかかわいらしいでしょう!毎年この時期に花を咲かせれくれて、楽しませてくれています。
 花言葉は、「困難に打ち勝つ」だそうです。確かに、ものさびしい秋の終わり、厳しい寒さに向かうこの時期に、けなげにこんなに優しく咲くんですから、その意味もわかる気がしますね。
 花言葉は、「困難に打ち勝つ」だそうです。確かに、ものさびしい秋の終わり、厳しい寒さに向かうこの時期に、けなげにこんなに優しく咲くんですから、その意味もわかる気がしますね。
さざんかにちなんで、今年世界や日本に起こった多くの困難を乗り越えられますように!
今日は、2011年11月11日ですね。みごとな1並びの日です。特に、11時11分11秒は、猛烈な1並びなので、わくわくしますね。皆さんは、この瞬間をどうやってお過ごしになりますか?私は、静かに座って、世界の平和や家族と友人たちの健康と幸せを祈ろうと思っています。
1は、始まりの数字。すべての痛みと苦しみと不幸が終わり、新しく、幸せな世界となりますように。
奈良の天河大弁財天社にお参りに行ったついでに、京都に宿泊し、翌日、貴船神社から鞍馬寺へとお参りに行ってきました。京都駅から複雑な乗り継ぎを経て、ついたのが、貴船神社。
貴船神社は、「たかおかみのかみ」とおっしゃる水神様をお祭りしています。いたるところに清水が湧き出でて、美しい川のせせらぎが聞こえるすがすがしい神社でした。
貴船神社から鞍馬寺まで、電車で行くこともできますが、歩いて行けるコースもあり、どんなコースなのかは分かりませんでしたが、行ってみることにしました。
行ってみると、そこは、本格的な山道であり、登りが結構厳しい本格的な登山道だったのでした。この上りのきつさは、ハイキングじゃなくて、修業です。そんなつもりじゃなかったのですが、もう汗だくです。京都まで来て、お出かけの恰好で、汗だくです。妻も私も汗だくです。踏み出したからにはもう戻れません。気を引き締めて、がんばったのでした!
途中、奥の院、
不動堂を経て、
ようやく鞍馬寺に到着です。
汗だくではありましたが、さわやかな風と、涼しさに包まれて、身も心もリフレッシュできたような素敵な時間でした。
 両神社ともに、いくつかの意味深い詩やメッセージを掲示されており、ハートにまっすぐと届くような感じがして、感動しました。後日、それらのメッセージを当ブログでもお知らせしたいと思います。
 両神社ともに、いくつかの意味深い詩やメッセージを掲示されており、ハートにまっすぐと届くような感じがして、感動しました。後日、それらのメッセージを当ブログでもお知らせしたいと思います。
さて、鞍馬寺を出て、下山し、柚木神社を経て、
門前の商店街に出たところ、おなかもすいてきたので、おいしそうなお蕎麦屋さんに入ったのでした。そのお蕎麦がこれ、
実は、ニシンが麺の下に隠されているニシンそばなのです。昆布とカツオのだしがきいており、おなかがすいていたこともあって、それはもう、ものすごくおいしかった!期せずして体験した神社巡りの修行のご褒美の様で、ありがたく頂きました。
実は、今回の旅は、衝動買いの様な旅であり、奥さんの本当にちょっとした思い付きで、スケジュール的に無理があったのですが、思いきっていってしまった旅だったのです。どんな展開になるか分からない、行き当たりばったりの旅でしたが、行ってみると、とっても素敵な旅となりました。おかげさまで、心身ともにリフレッシュできて、英気を養うことができました。
奈良と京都の山々と神々に、そして、奥さんの思いつきに感謝です!
天河大弁財天社が、ちょうど11月2日に秋季大祭が開かれたので、お参りに行ってまいりました。

お祭りで、たくさんの人たちが集まり、活気にあふれてましたよ。

天河神社は、役行者が開かれたといわれている奈良の山の奥深くにひっそりとたたずむ神聖な場所。

家族、そして友人たちが、健康で、豊かで、幸せでありますように。
会社にたくさんの仕事が来て、良い仕事がたくさんできますように。
世界が平和で、生きとし生けるすべての存在が、幸せでありますように。
朝日新聞 天声人語. 2011年10月10日(月)付
震災後、ひどい略奪が起きない日本を世界は称賛したが、人影が消えた被災地は出店荒らしや空き巣にやられていた。どさくさこそ稼ぎ時とみるのは、こそ泥ばかりではない▼「人々が精神的なよりどころも物理的な居場所も失って、無防備な状態にあるそのときこそ、彼らにとっては世界改変の作業に着手するチャンスなのである」。近刊『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著、幾島幸子・村上由見子訳、岩波書店)の一節だ▼彼らとは、戦争や内乱、災害などの混乱に乗じ、改革と称してひともうけを企(たくら)む勢力を指す。筆者のカナダ人ジャーナリストは、イラク復興に群がるグローバル企業を取材して執筆を決めたという▼茫然(ぼうぜん)自失の人々をよそに、彼らは権力に取り入り、白紙に好きな絵を描く。惨事便乗の商売は途上国に限らない。財政難で強まる官から民へ、市場任せの風潮も好機らしい。俗耳になじんだ「小さな政府」への異議に、ざらりとした読後感が残った▼震災も「彼ら」には商機だろう。そこには生活と街と産業の再建にもがく住民がいて、予算がつけば総額十数兆円の復興計画が動き出す。東北3県は、スーツ姿の火事場泥棒にもご用心である▼「強欲の自由」は、各国で貧富の差を広げ、職なき若者の怒りは本家本元の米国にも広がった。自由競争の功は多々あれど、過ぎた市場信仰は社会に不安定の災いをもたらす。すでに深手を負った被災地ぐらい、部外者の金もうけとは無縁の場所でありたい。 (以上、朝日新聞より引用)
今月10日の朝日新聞天声人語からの引用です。文中、ショックドクトリンについての言及がありますね。ショックドクトリンとは、『「惨事便乗型資本主義=大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革」のことであり、戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人びとがショックと茫然自失から覚める前に、およそ不可能と思われた過激な経済改革を強行する(『』内amazon商品案内より引用)』政治手法を言うそうです。ナオミクラインさんとおっしゃる方が、岩波書店より新刊を出版しており、その中では、アメリカとグローバル企業などが進めてきた手法とのこと。
戦争や自然災害、政変などの危機に付け込んで、あるいはそれを意図的に招いて、自分の都合の良い施策を強引に押し通そうとする。まさに悪魔的な手法です。本によるとこのような手法をアメリカやグローバル企業等が多用してきており、現代社会の混乱の元凶ともなっているとのこと。
以前ならば、こうした話は、陰謀論などのレッテルを貼られて、異端扱いされており、大マスコミで取り上げられることなど全くなかったのですが、今回は、新聞の天声人語に引用されるようになっている。時代は変わってきたのですね。
こうした、今までは闇に隠されていた悪意や強欲さが明るみに出てきて、広く知れ渡ることは、本当に素晴らしいことだと思います。こうした話は、以前から数多くの名著があり、勇気ある少数の先駆者が告発してきたのですが、背景に必ず利権や権力の問題があり、マスコミは、それに楯突くことを恐れて、関与していなかったように思えます。しかし、次第次第に風向きが変わってきたのでしょう、勇気あるプロが発言するようになってきたように思えます。
こうした流れは、若者たちが立ち上がり世界に広がっている格差問題のデモ、中東の政権交代、原発の闇の告発、などなど、すべてにかかわっているように私には思えます。一見、混乱の様相を深めている世界情勢ですが、意外に本当の民主主義の未来は近くにあるのかもしれません。願わくば、平和的に、ジェントルに真実がオープンになっていくこと、変化が進行していくことを願いたいと思います。
(以下、単行本「To be yourself」ヴィーナスアソシエイション出版 より引用)
国連食糧農業機関(FAO)によると、2001~2003年の飢餓(栄養不良)人口を年間平均8億5400万人と推定されています。日本の人口がおよそ1憶2700万人ですので、世界では、日本の全人口の7倍弱の人々が、栄養不良や飢えで苦しんでいることになります。
うち8億2千万人がアフリカや東南アジアなどの開発途上国、2500万人が旧ソ連地域など過渡期にある国々、そして900万人が先進国の人々です。
また、そのうち3億5千万人以上が子どもたちです。飢えを原因として毎日、2万5千人が命を落としており、そのうち5歳未満の子どもの割合が72%、なんと1万8千人にものぼる子供たちが飢餓で毎日なくなっています。今こうしている4.8秒のうちに一人の子供が、飢餓でなくなっていることになるのです。
同じ地球で生きる人たち、これだけ多くの私たちの仲間たちや子供たちが、空腹で苦しみ、絶望のうちで亡くなっていくことを、いつまでも見過ごすわけにはいきません。私たちは、何とかこの飢餓問題に立ち向かっていかなければならないのです。
では、いったいどうして、こうした悲劇が起こってしまうのでしょうか?皆さんは、どんなことが理由で、このような飢餓問題が起こっていると思いますか?真っ先に考えられることが食糧不足。世界の人口が多すぎて、地球上で作り出す食料の量が足りないという理由が思いつくのではないでしょうか。
実は、この考えは、単なる勘違い、思い込みなのです。地球の生産性は、私たちの想像をはるかに超えて大きく、世界の総食糧供給は、現在でも、地球の全人口を養うに十分な量を確保できています。世界の総食料生産量を世界人口で割ると、一人当たり、毎日2kg程度の食糧を供給することができるので、もし本当に余すことなくみんなが口にしたならば、痩せるどころかメタボリック症候群を心配しなければならないほどの量で、世界は、むしろ多すぎる食糧が生産されているのです。
それでは、なぜこのような悲惨な飢餓問題が起こってしまうのでしょうか?紛争などの人為的災害、地震や津波、洪水、干ばつなどの自然災害、貧困など、さまざまな理由が取りざたされていますが、本質的には、地球の豊かさを分かち合うことができていないということにつながると考えられます。
私たちが日々暮らしているシステムは、完璧ではなく、あり余る食糧がありながらも、それを分かち合うことができずに、飢餓で死亡する人々に手を差し伸べることができないでいるのです。
アフリカでは、サハラ地方の国々で、2億1,300万もの人々が飢えに苦しんでいる一方で、盛んに食糧が輸出されています。1960年代末から70年代初頭にかけて、西アフリカ諸国で史上最悪の干ばつに襲われたときも、12.5億ドルもの食糧が輸出され続けました。
また、先進国のアメリカは、世界の富の25%を所有する大国であり、食糧においても豊かで、毎年穀類の過剰生産に頭を痛め、輸出に力を入れているほどの食料供給力を持っています。しかし一方で、TheFreePress2003年12月19日の記事によると、米国民の8人に1人、約3,460万人が貧困状態で、しかも、約3,100万人のアメリカ国民が、次の食事を入手する手段を持たない「飢餓状態」にあると伝えています。
日本では、経済的に豊かであり、食料の多くを輸入に依存しています。その輸入量は、全国民が必要としている量をはるかに超えて多く、世界1の食物輸入大国です。ただし、食糧が豊かで飽食の恩恵を受けている一方で、食べ切ることができずに多大な食料を捨てています。農水省によると、2002年度の食品産業全体の廃棄食品は約1,131万トンで、家庭で出される廃棄食料と合わせて2,300万トンもの食品が残飯として捨てられていると報告されています。その量は、世界の食料援助の総量を上回り、この量をカロリーに直すと、途上国の5,000万人分の年間食料に匹敵するのです。
これは、一体どういうことなのでしょうか?
餓えて亡くなる人たちは、なぜ、そこまで貧しいのでしょうか?
現在飢えで苦しんでいる人たちの70%程度が農村地帯に住んでいると言われています。ですから、十分自給自足が可能なはずですが、翌年の種子・肥料・農薬の購入(絶対に買わなければならないシステムになっている)や借金の返済などのために、現金収入を得る必要があり、作物の大半は、輸出に回さざるを得ません。その結果、彼らの作物は、その大半が先進国に輸出されて、家畜の飼料やバイオ燃料として使われます。彼らは、一生懸命に働いても、自分達が食べることもできないくらいのごくわずかな収入しか得られないのです。
貧しい人たちに最低限の生活も保証できないほどの生活を強いている企業や世界経済システムは、現状のような飢餓を生じさせてしまう仕組みは問題であると指摘されつつも、自由競争の名のもとに、このような悪循環を止めることをしないで、利潤追求を貫いてしまっているのです。
そして、最終消費者である先進国の人たちは、そのような過程を経て輸入した食材をもとにして生産した安くておいしい食べ物を自由に購入し、食べきれなければ廃棄してしまうのです。もちろん、もともとの農産物生産者たちが、そこまでの困難にさらされているとは知らずにそのようなライフスタイルを作り上げてしまっているのです。
私たちは、そのつもりはなくとも、現実的に4.8秒に一人の子供を飢餓で死なせてしまうような犠牲を途上国に強いておきながら、一方で、その子供たちを十分に救えるだけの大量の食糧を捨ててしまう社会システムを作り上げてしまっています。決して悪意で作っているわけではありませんが、そのシステムは、古く、欠点が多く、機能不全に陥っていると言えましょう。
飢餓問題は、多くの人たちが問題を認識し、対策の必要性を叫ぶ声が草の根で広まってきています。募金や国際支援など、具体的な行動も起こってきました。しかし、開発途上国の飢餓人口は減るどころか、1年に400万人のペースで増えています。問題は、深刻で、根深くとっても手強いのです。しかし、今後に向けて、このシステムは、変えていく必要が間違いなくあります。このような悲劇を私たちは許すべきではないし、今後に向けて、飢餓問題を、国際社会、我々みんなが協力し合って解決していく必要があるのです。
光速超えるニュートリノを日欧チームが観測、「時間旅行も可能」
ロイター 9月24日(土)13時29分配信
9月23日、日本や欧州の国際研究チームは、素粒子の一種であるニュートリノが光より速く移動することを示す観測結果が得られたと発表した。写真は実験が行われたジュネーブ近郊の欧州合同原子核研究所。提供写真(2011年 ロイター)[ジュネーブ 23日 ロイター] 名古屋大や神戸大なども参加する日本や欧州の国際研究チームは23日、素粒子の一種であるニュートリノが光より速く移動することを示す観測結果が得られたと発表した。
この結果が正しければ、宇宙の成り立ちをめぐる定説を覆すことになり、タイムマシンや異次元の存在も可能になるという。
欧州合同原子核研究所(CERN)によると、ジュネーブ近郊のCERNから発射したニュートリノを730キロ離れたイタリアの研究所でとらえる実験を3年以上にわたり1万5000回実施。その結果、ニュートリノが光より60ナノ秒(1億分の6秒)速く進むことを観測したという。
アインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論では、質量を持つものは光よりも速く移動できないとされたが、今回の結果は同説と矛盾することになる。
英マンチェスター大で素粒子物理学を研究するジェフ・フォーショウ教授は、観測結果が確認されれば、過去への時間旅行が理論上可能ということになると指摘した。
研究チームでは、今回発表された観測結果が、独立した研究チームによって今後検証される必要があるとしている。 (以上、reuters.comより引用)
従来の世界観は、光速を超えるものは存在しないという原則に基づいていたので、光速を超える物質が存在するという今回の発見は、今までの概念を根底から変えてしまう可能性があります。
私も、専門ではありませんので、詳しくは良く分かりませんが、以前、とっても興味があって、アインシュタインの相対性理論を少々かじったことがあります。その時の知識では、光速を超えられない理由は、確か、質量と速度は関係しており、その物質の運動する速度が速くなればなるほど、その物質の質量が増してくるとのことで、その物質をどんどん加速させていくと、光速に近づいてくることになるのですが、光速に近づけば近づくほど、その物質の質量が無限大になり、遂には、それ以上、その物質を加速することができなくなってしまうということだったと思います。
また、質量と時間も関係しており、質量が増せば増すほど、時間が遅くなる。だから、無限大になった質量の場では、時間が無限大に遅くなってしまう、つまり止まってしまう。だから、光速以上にはなれないということでもあったように覚えています。
今回の発見は、この大原則をひっくり返すような事実であるわけです。相対性理論が正しいとすると、光速の壁を超えるためには、マイナスの時間や異次元と言う要素を考える必要が出てくるとのこと。
私の解釈では、ある出来事が起こって、それが周囲に伝わるためには、光がそれを伝える媒体になるわけですが、もし私が、その出来事の後で、その光を追いかけ、光速よりも速く走って、競争したとすると、見える風景は、映画の逆回しのような風景になるはずです。徐々に、出来事の起源に近づき、遂には、出来事の起源の光を追い越し、それ以前の光を目にすることになる。要するに、過去に戻るということなのだと思います。
光の速さの枠組みの中では、原因→結果の因果律からは逃れられませんが、光よりも速く走るということは、その因果律を破ることになり、結果→原因という常識ではありえない逆転の世界を生きることになります。通常では、この世界にいる人たちは、すべて、今の光の枠組みの中で生きているので、同じ時空に暮らしていることになりますが、その時空の基盤となる光の速さを超えてしまったら、異なった次元に入り込むことになるのではないでしょうか。要するに、光よりも早い存在があるということは、異次元が存在するということの証明ともなるように思えます。
しかし、宇宙の真実は、相当深くて大きい。私たちは、その謎のほとんどをまだ分かっていないのかもしれません。今回の発見は、その神秘の一端を垣間見せてくれているように思えます。人類は、いろんなことを知っているようで、まだ何も分かっていないのかもしれません。だからこそ、今回のように、発見した事実に戸惑いながらも、正直に発表し、謙虚に探求していこうとする姿勢が大事なんだと思います。今後の研究に期待します。
最も地球に似た惑星、第2候補を発見
Rachel Kaufman
for National Geographic News
August 31, 2011
地球から36光年離れた場所で新たに見つかった惑星が、これまで確認された中では最も地球に似た太陽系外惑星である可能性が出てきた。ただし液体の水が存在するかどうかは、地表を覆う雲の割合が決め手になるという。
無味乾燥なHD85512bという名で呼ばれるこの惑星は、ほ(帆)座の方向にあるK型主系列星(KV、橙色矮星)の周りを回っており、チリにあるヨーロッパ南天天文台(ESO)に設置された観測装置HARPS(High Accuracy Radial Velocity Planet Searcher、高精度視線速度系外惑星探査装置)により発見された。
HARPSのデータによれば、この惑星の質量は地球の3.6倍で、中心星をめぐるその軌道は、ちょうど表面部に液体の水が存在するのに適した距離にあるという。液体の水は、われわれの知るような形態の生命が存在するための必須条件と考えられている。
ハーバード・スミソニアン天体物理学センターおよびマックス・プランク天文学研究所に所属し、今回の研究を率いたリサ・カルテネガー(Lisa Kaltenegger)氏は、「この惑星の距離は、液体の水が存在する条件をまさにぎりぎりで満たしている」と説明する。
「この距離をわれわれの太陽系に当てはめると、ちょうど金星よりも少し遠いくらいの場所になる」という。ということは今回発見された惑星が中心星から受け取るエネルギー量は、地球が受けている太陽エネルギーよりも少し多いことになる。
しかしカルテネガー氏が率いる研究チームがはじきだした数字によると、この惑星の地表を覆う雲の量が最低でも総面積の50%を越えていれば、中心星からのエネルギーを宇宙にはね返し、過熱を防ぐことができるという。
地球の平均雲量は60%であり、HD85512bについて条件とされた50%という数字も「無理な想定ではない」とカルテネガー氏は述べている。
言うまでもなく、水蒸気でできた雲が生まれるためには、地球と似た大気の存在が必要だ。現在の観測機器では、この距離にある惑星の大気組成を測定することはできない。
惑星形成モデルに基づくと、質量が地球の10倍を超える惑星の場合、その大気の主成分は水素とヘリウムであると推定されると、カルテネガー氏は説明する。HD85512bのようにそれより質量の小さい惑星の場合は、窒素と酸素が多くを占める、地球に似た大気を持っている可能性が高まるという。
◆生命居住可能な太陽系外惑星の「有力候補」
今のところ、水が液体でいられる温度にあるハビタブルゾーン(生命居住可能領域)の中にあることが確認された太陽系外惑星は、今回で2つ目だ。もう1つの候補とされる惑星、グリーゼ581d(Gliese 581d)も、以前にHARPSの計測機器を用いて発見されている。こちらは中心星のハビタブルゾーンの外縁ぎりぎりに位置している。
さらに別の候補と目される惑星、グリーゼ581gは、発見された2010年当時、最も地球に似た惑星と称された。しかしこの説をめぐっては常に議論があり、一部の専門家は、この惑星自体が計測異常により生じた架空の存在ではないかとの見解を表明している。
テキサス大学アーリントン校で天文学プログラムのディレクターを務めるマンフレッド・クンツ(Manfred Cuntz)氏は、新たに発見されたHD85512b上を地球外生命体が闊歩しているといった想像をめぐらせるにはさらなる情報が必要だとしつつ、「原理上は有力候補と言える」と語った。
クンツ氏によれば、その大きさと中心星からの距離に加え、HD85512bは生命を育むために有利な条件をもう2点備えているという。
その条件とは、この惑星の公転軌道はほぼ円形で、安定した気候が期待できる点、そして中心星のHD85512が太陽と比較しても年齢が高く、活動が活発でないという点だ。そのため、中心星からもたらされる電磁気の嵐が惑星の大気に悪影響を与える可能性も低いものとみられる。
それだけでなく、この恒星系は形成から56億年が経っているとみられ、原則的には「生命が発生し、進化するだけの十分な時間がある」とクンツ氏は述べている。一方、太陽系の年齢は約46億年と推定されている。
現在の有人宇宙飛行の限界を考えると、今のところは人類がHD85512bに足を踏み入れることは難しそうだ。
しかし、仮に到達したとしても、この惑星の様子は地球とはかなり違ったもののようだ。HD85512bの気候は蒸し暑いとみられ、重力も地球の1.4倍あると、今回の研究を率いたカルテネガー氏は語っている。
HD85512bに関する論文は現在Webサイト「arXiv.org」で公開されており、「Astronomy and Astrophysics」誌にも掲載が予定されている。
Illustration courtesy L. Calcada, ESO
以上、ナショナルジオグラフィックニュースより引用
相次ぐ宇宙関連のビックリするようなニュースです。地球型で生命を育むための条件があるとのこと。宇宙には、やっぱり地球と同じような惑星があるのですね。こうした条件の中で、生命がないと考えるほうが不自然で無理がある。きっと、結構豊かな自然がはぐくまれており、ヒトの様な存在もいるのかもしれませんね。テクノロジーが進化して、こうした惑星に訪問できる時が来るとしたら、そうした生命や存在との関係性をじゅうぶんに考えていく必要がある。私たちも、威儀を正していく必要があるということなのでしょう。
あると知ったら、行ってみたくなるのが人情です。更なる研究を期待したいと思います。
火星表面に水の流れ? 生命存在の謎解明へ NASA探査機が観測
2011.8.5 09:58 MSN 産経ニュースNASAの無人探査機がとらえた火星の表面。斜面に沿って縦に伸びる色の暗い何本もの細い線が、水が流れている場所とみられる(NASA提供・共同)
米航空宇宙局(NASA)は4日、無人探査機のデータを分析した結果、火星の表面に液体の水が流れている可能性を示す痕跡を見つけたと発表した。真水だと低温で凍ってしまうため、ある程度の塩分を含むとみている。5日付の米科学誌サイエンスに掲載された。火星には極地や高緯度地域で水が氷の状態で存在することが分かっているが、生命の存在に欠かせないとされる液体の状態で存在する可能性を示す証拠は初めてという。NASAの研究チームは火星を周回する無人探査機が撮影した火星表面の高解像度画像を分析。南半球の中緯度地域で、毎年、春から夏にかけて斜面に沿って細長い線が現れる一方、冬になると模様が消えてしまう場所が複数あることを発見した。こうした現象が起きるのは、暖かい季節に水が流れていると考えるのが最も理にかなうという。(共同)
火星上で、暖かい季節になると、水が溶けて、川が流れている可能性があるとのこと。多少水分があるという話ではなく、川が流れているとのことなので、相当な量の水が、火星上にあるということなのでしょう。水があれば、地球上の生命がいる可能性が相当高いと思うのは、素人考えなのでしょうか?この記事を読みながら、赤い火星上で、川沿いで、夏を謳歌する火星カエルたちが、一斉に合唱している風景を思い浮かべてしまいました。
それにしても、私が学んだ無味乾燥の廃墟としての火星像とは違う、全く新しい可能性を想像させてくれる発見ですよね。今後の研究に期待したいと思います。
生命の源は宇宙に? 隕石からDNAの成分発見 NASA
CNN 2011.08.12 Fri米航空宇宙局(NASA)は、生命の設計図といわれるDNAの基となる物質が隕石から見つかったと発表した。宇宙からの隕石や彗星が、地球上の生命の形成を促す役割を果たした可能性があることを示すものだとしている。
NASAの研究チームは炭素を多く含んだ隕石12種類について調べた。その結果、DNAを構成する核酸塩基の主要成分であるアデニンとグアニン、および生体内の筋肉組織に含まれるヒポキサンチンとキサンチンが見つかった。
さらに、核酸塩基に関連した3種類の分子も微量に含まれていることが分かったが、このうち2つは生物にはほとんど見られないことから、宇宙で形成されたことを裏付ける根拠になるとしている。
隕石からのDNA成分は1960年代以降、何度か発見されているが、それが宇宙で形成されたものなのか、地球上の生命に汚染されたものなのかははっきりしなかったという。
しかしNASAが今回調べた12個の隕石のうち9個は南極大陸にあったもので、汚染された可能性は極めて少なく、見つかった物質が宇宙で形成されたのは確実とみている。生命の源となる物質が小惑星や彗星で形成されているとの説は有力視されるようになっており、今回の発見はその説をさらに裏付けるものといえそうだ。
以上cnn.co.jpより引用
最近、宇宙関連で、次々とビックリするような新事実が明らかにされてきていますので、少しずつご紹介していきたいと思います。 今回は、生命の起源の問題について。宇宙からの隕石にDNAの痕跡が残されており、地球上の生命の起源は、宇宙に由来するのではないかという考え方が、ますます信憑性が高まってきたとのことです。
私自身は、理科の授業で、生命は、地球上の活動(海の満ち引き、雷、などなど)によって偶然出来上がったと習っているので、もし、この記事が真実だとすると、世界観が変わるような情報です。
もし、記事が本当だとすると、地球の生命は、宇宙に由来するものであること、この宇宙には、地球同様にたくさんの生命がある可能性があることが、必然的に事実となりますよね。私としては、宇宙には想像をはるかに超えるたくさんの生命があって、生き生きと美しく豊かな生命を宇宙全体が育んでいると考えたほうが、楽しくてうきうきとしてきます。
生物が存在するのは、地球だけではない。地球は孤独ではない。なんてロマンのある響きでしょうか。早く真実を知りたいですね。今後の研究を期待します。