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46年ぶりの日食

 

              NHK「46年ぶりの皆既日食」(2009/7/22)より

 今日は、日本では、46年ぶりの日食ですね。東京では、9時55分から始まり、11時12分で最大の食となりました。東京では、74.3%が影となったそうです。

弊社事務所兼自宅からも部分日食を見ることができました。わかりづらいと思いますが、写真も何とか撮れましたよ。

 

 太陽は、私たちの生命と直結する大切な恒星ですが、そんな身近な星であっても分からないことがたくさんあります。

・なぜ、活動が周期的なのか?
・なぜ、コロナの外側のほうが、太陽表面よりも温度が高いのか?
・そもそもなぜコロナが存在するのか?
・内部の構造はどうなっているのか?
・そもそもどんな仕組みであれだけのエネルギーを生み出しているのか?

 科学が驚くほど進化したとはいえ、私たちには、到底知りえない事柄がたくさんありますね。宇宙の神秘は、とてつもなく大きく深いのです。戦争、飢餓、自然破壊、核問題、テロ、経済崩壊、など、太陽から見た地球は、どんなに悲しく痛みに満ちて見えるでしょうか。人は、改めて、自分たちのありようを見直して、謙虚に、人として人の美徳を大切にして生きる必要があるのではないでしょうか。

 日食は、「変化」を意味するそうです。地球上のすべての問題が解決に向かうような素敵な変化が起こりますように!

ALWAYS 三丁目の夕日

 「Always 3丁目の夕日」を見てきました。昭和33年、東京タワーの建設中の戦後復興の真っ只中が舞台となっています。私の生まれが、昭和36年であり、私のまさに体験した昭和がそっくり再現されており、私はすっかりはまってしまいました。

 今まで映画館では、あまり涙を流したことはなかったのですが、年のせいでしょうか?この映画は、途中からぼろぼろと止まらなくなってしまったのです。

 登場人物たちは、皆正直であり、作為のない、直球勝負の行き方をしており、貧乏ながらも一生懸命に生きています。また、人間関係も、非常に懐が深く、現代では訴訟問題にもなりかねない隣人のエキセントリックで困った言動を、迷惑がりながらも拒絶せず、なんだかんだといいながら受け入れて一緒に問題解決に取り組みます。あぁ昭和の時代の日本は、こんなにやさしかったのだなぁと感慨にふけってしまいました。

 東京タワーが次第に立てられていく中、物語は展開されていきます。ストーリーの詳細は言えませんが、実に良く練られた脚本であり、実に美しい音楽とともに、ドラマティックに展開していきます。本当にすばらしい物語でした。吉岡秀隆さんほか、出演者の皆さんのそれこそ直球勝負の演技が光っています。

 最後に登場人物の少年が家族とともに夕日を見ながら「夕日がきれいなのは当たり前だよ。明日も、3年後も、50年後もきれいだよ」という言葉が印象的でした。

 少年の言葉通り、未来の日本や世界の夕日もきれいにしなければなりません。

衣笠に来てます

昨日から、妻の実家である横須賀市衣笠に来ています。

衣笠には、最近「のぼり雲」と言う日帰りの温泉施設ができまして、私は、ここが大のお気に入りなのです。

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施設内は、結構広く、食事所、休憩所、売店だけでなく、理髪店まであります。

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浴槽は、写真撮影が禁止されているのでご紹介できませんが、泉質は、炭酸水素塩泉で、少し緑色がかった透明できれいなお湯です。アルカリ泉で「美人の湯」とも言われており、ぬるぬるしていかにも効きそうです。

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私は、ここで、サウナ⇒水風呂⇒温泉⇒休憩を4~5回繰り返すのです。そうすると、何ともいえない至福感に包まれるのです。疲れが取れて、ちょっとだけ若返ったような気がするのです。私の健康の秘訣なのです。

 衣笠は、私が大学生の頃、学習塾で講師としてアルバイトをしたところです。
 当時、私は、あまり自慢のできる生き方をしておらず、先生として人前に立つなど思いもよらなかったことだったのですが、時給の良い仕事を探していたので、背に腹は変えられず応募し、たまたま採用されたのでした。
 当時の私は、18歳の時(塾の講師になる1年前)にガス爆発事故に合い、両手上腕部が大やけどをして、その傷跡が痛々しく、今でこそずいぶん見やすくはなりましたが、当時は、ちょっとびっくりするような変色や傷跡が残っていました。ですから、できればそのような傷を人前にはさらしたくなかったのですが、お金のために背に腹は変えられず、講師のアルバイトを始めたしだいです。
 演壇に立つ前は、中学生である生徒たちが、どうこの傷や私を受け止めるのか分からず、とっても心配していたのですが、ふたをあけると、傷跡に対しては何の反応もせず、むしろ自信なさげな私に共感してくれたのでしょうか、数回教えていくと心から私を受け入れてくれるようになってきました。
 当時の衣笠近辺の中学生は悪ガキが多く、非行問題が良く取りざたされていましたが、私自身がちょっと前まで問題の多い非行少年だったので、なんとなく子供たちが共鳴しやすかったのかもしれません。

 当時私は、こんな私のような者が30名以上の子供たちを前に授業ができることが全く奇跡のように思っていました。正直大怪我のダメージから心が回復できていなかったのです。
しかし、仕事を続けていくうちに、子供たちとの関わりあいを通して、次第に私の中の絶望がときほぐれていき、隠してはいたけれども暗かった心の内面にわずかな光が差し込んできたことを覚えています。
 私は、子供たちに英語を教えていたのですが、逆に、子供たちから何か途方もないほど大切なことを学んだような気がしています。今の私がこのような仕事をして楽しく暮らせているのも、当時の子供たちのおかげであると思います。
 当時の子供たちも今はもう30代になっています。どうしているだろう、みんな?みんなのおかげで今も似たような仕事をして人生を謳歌しています。本当にありがとう!そしてありがとう温泉「のぼり雲」、ありがとう衣笠!