(以下、単行本「To be yourself」ヴィーナスアソシエイション出版 より引用)
国連食糧農業機関(FAO)によると、2001~2003年の飢餓(栄養不良)人口を年間平均8億5400万人と推定されています。日本の人口がおよそ1憶2700万人ですので、世界では、日本の全人口の7倍弱の人々が、栄養不良や飢えで苦しんでいることになります。
うち8億2千万人がアフリカや東南アジアなどの開発途上国、2500万人が旧ソ連地域など過渡期にある国々、そして900万人が先進国の人々です。
また、そのうち3億5千万人以上が子どもたちです。飢えを原因として毎日、2万5千人が命を落としており、そのうち5歳未満の子どもの割合が72%、なんと1万8千人にものぼる子供たちが飢餓で毎日なくなっています。今こうしている4.8秒のうちに一人の子供が、飢餓でなくなっていることになるのです。
同じ地球で生きる人たち、これだけ多くの私たちの仲間たちや子供たちが、空腹で苦しみ、絶望のうちで亡くなっていくことを、いつまでも見過ごすわけにはいきません。私たちは、何とかこの飢餓問題に立ち向かっていかなければならないのです。
では、いったいどうして、こうした悲劇が起こってしまうのでしょうか?皆さんは、どんなことが理由で、このような飢餓問題が起こっていると思いますか?真っ先に考えられることが食糧不足。世界の人口が多すぎて、地球上で作り出す食料の量が足りないという理由が思いつくのではないでしょうか。
実は、この考えは、単なる勘違い、思い込みなのです。地球の生産性は、私たちの想像をはるかに超えて大きく、世界の総食糧供給は、現在でも、地球の全人口を養うに十分な量を確保できています。世界の総食料生産量を世界人口で割ると、一人当たり、毎日2kg程度の食糧を供給することができるので、もし本当に余すことなくみんなが口にしたならば、痩せるどころかメタボリック症候群を心配しなければならないほどの量で、世界は、むしろ多すぎる食糧が生産されているのです。
それでは、なぜこのような悲惨な飢餓問題が起こってしまうのでしょうか?紛争などの人為的災害、地震や津波、洪水、干ばつなどの自然災害、貧困など、さまざまな理由が取りざたされていますが、本質的には、地球の豊かさを分かち合うことができていないということにつながると考えられます。
私たちが日々暮らしているシステムは、完璧ではなく、あり余る食糧がありながらも、それを分かち合うことができずに、飢餓で死亡する人々に手を差し伸べることができないでいるのです。
アフリカでは、サハラ地方の国々で、2億1,300万もの人々が飢えに苦しんでいる一方で、盛んに食糧が輸出されています。1960年代末から70年代初頭にかけて、西アフリカ諸国で史上最悪の干ばつに襲われたときも、12.5億ドルもの食糧が輸出され続けました。
また、先進国のアメリカは、世界の富の25%を所有する大国であり、食糧においても豊かで、毎年穀類の過剰生産に頭を痛め、輸出に力を入れているほどの食料供給力を持っています。しかし一方で、TheFreePress2003年12月19日の記事によると、米国民の8人に1人、約3,460万人が貧困状態で、しかも、約3,100万人のアメリカ国民が、次の食事を入手する手段を持たない「飢餓状態」にあると伝えています。
日本では、経済的に豊かであり、食料の多くを輸入に依存しています。その輸入量は、全国民が必要としている量をはるかに超えて多く、世界1の食物輸入大国です。ただし、食糧が豊かで飽食の恩恵を受けている一方で、食べ切ることができずに多大な食料を捨てています。農水省によると、2002年度の食品産業全体の廃棄食品は約1,131万トンで、家庭で出される廃棄食料と合わせて2,300万トンもの食品が残飯として捨てられていると報告されています。その量は、世界の食料援助の総量を上回り、この量をカロリーに直すと、途上国の5,000万人分の年間食料に匹敵するのです。
これは、一体どういうことなのでしょうか?
餓えて亡くなる人たちは、なぜ、そこまで貧しいのでしょうか?
現在飢えで苦しんでいる人たちの70%程度が農村地帯に住んでいると言われています。ですから、十分自給自足が可能なはずですが、翌年の種子・肥料・農薬の購入(絶対に買わなければならないシステムになっている)や借金の返済などのために、現金収入を得る必要があり、作物の大半は、輸出に回さざるを得ません。その結果、彼らの作物は、その大半が先進国に輸出されて、家畜の飼料やバイオ燃料として使われます。彼らは、一生懸命に働いても、自分達が食べることもできないくらいのごくわずかな収入しか得られないのです。
貧しい人たちに最低限の生活も保証できないほどの生活を強いている企業や世界経済システムは、現状のような飢餓を生じさせてしまう仕組みは問題であると指摘されつつも、自由競争の名のもとに、このような悪循環を止めることをしないで、利潤追求を貫いてしまっているのです。
そして、最終消費者である先進国の人たちは、そのような過程を経て輸入した食材をもとにして生産した安くておいしい食べ物を自由に購入し、食べきれなければ廃棄してしまうのです。もちろん、もともとの農産物生産者たちが、そこまでの困難にさらされているとは知らずにそのようなライフスタイルを作り上げてしまっているのです。
私たちは、そのつもりはなくとも、現実的に4.8秒に一人の子供を飢餓で死なせてしまうような犠牲を途上国に強いておきながら、一方で、その子供たちを十分に救えるだけの大量の食糧を捨ててしまう社会システムを作り上げてしまっています。決して悪意で作っているわけではありませんが、そのシステムは、古く、欠点が多く、機能不全に陥っていると言えましょう。
飢餓問題は、多くの人たちが問題を認識し、対策の必要性を叫ぶ声が草の根で広まってきています。募金や国際支援など、具体的な行動も起こってきました。しかし、開発途上国の飢餓人口は減るどころか、1年に400万人のペースで増えています。問題は、深刻で、根深くとっても手強いのです。しかし、今後に向けて、このシステムは、変えていく必要が間違いなくあります。このような悲劇を私たちは許すべきではないし、今後に向けて、飢餓問題を、国際社会、我々みんなが協力し合って解決していく必要があるのです。