カテゴリー別アーカイブ: 06.人材教育の理論・情報

自尊心は自己愛(ナルシズム)ではない

ナルシストと言う言葉があり、自分を愛することがいけないことであり、自分を大切にすることに抵抗感を持っている人も多いと思いますが、それは、誤解です。

確かに、自己愛性パーソナリティ障害と言う病気があり、本人や周囲が苦しまれているケースも事実としてありますが、自己愛性パーソナリティ障害とは、自分を愛する病気ではありません。それは、むしろ、自分自身を愛せない病気なのです。

自己愛性パーソナリティ障害とは、ありのままの自分を愛することができない病です。

長所もあれば欠点もあり、おっちょこちょいでカッコ悪いところも有り、人より劣っているところもある、そんな等身大の自分自身に満足できずに、一切の欠点と劣等性を否定し、自分にはそんなものはないと思い込み、優れて特別で力ある無敵の自分という幻想を信じ執着する病であって、決して自己信頼からくるものではないのです。

自己愛性パーソナリティ障害の人たちは、心の奥底で、自分の本質が、弱弱しく、醜いものではないかと恐れています、と言うか、そういう呪いを真実だと信じ込んでしまっているのです。

しかし、そうした情けなくて醜い(と思い込んでいる)自分である限り、人からは愛されないし、受け入れられないと恐れており、常に誰かに評価されるような自分でなければいけないと思い込んでいます。

 だから、無理をしたり背伸びをしたりしてすごい自分を見せつけようとするし、逆にそうではない可能性を示すであろう自分の欠点の一切を受け入れることができません。だから、誰にでもあるような弱さや愚かさ、失敗やみじめさなどの一切を、自分には無い、もしくは自分の責任ではないと言い切り、完全無欠、ないしは無罪のふりをし、ありもしない完璧なキャラクターを演じることになります。

ですから、ナルシズムは、自信ではなく劣等感に由来するのだといえましょう。

ナルシスが愛したものは、きらきらする美しい水面に映った幻想的な外面であって、ありのままの全体ではありません。自己愛が愛しているのは幻想であって現実ではないのです。

一方で、自尊心とは、ありのままの自分を愛するということ、等身大の人間としての自分を受け入れるということ、発展途上の自分を信じるということです。

自分自身に欠点があることを知っており、それを受け入れているので、ことさら自分の弱さを人にばれないように強がる必要はありません。

自分の問題の責任を自分で引き受けており、それを人のせいにしようとはしないので、ことさら被害者ぶって自分の無罪や不幸ぶりを主張する必要もありません。

発展途上の自分を信じており、自分のありのままの姿、気高い面も愚かしい面もありのままに受け入れており、それが醜いとは思っていないので、隠したりうそをつく必要もありません。

健全な自尊心を持つことができている人は、無理して背伸びする必要もなければ、人に良く見てもらおうと意気込んで肩に力が入ることもありません。明るく正直でオープンであり、そこには暗さや病が付け入るすきはありません。

だから、自尊心は、美徳なのであり、持つべきなのだといえましょう。

 

「生まれてきてよかった。」

「何とかなる。大丈夫。」

「自分の人生も捨てたものではない。」

「道は開ける。」

そう思えるからこそ、自分らしく力強く輝かしい生き方ができるのではないでしょうか。

 

人は確かに欠点がある完璧では無い存在ですが、断じて無力ではありません。たとえ困難な人生でも生き抜く十分な力量を持っている存在であり、その可能性は、今の想像をはるかに超えて大きいのだと思います。

時に人生は過酷であり、激怒、悲嘆、絶望の極みを体験するかもしれませんが、だからと言って自分を呪う必要はありません。

勇者の人生には、ドラゴンがつきものであり、困難が過酷であればあるほど、勇者は強く偉大に成長していくものです。

そんな成長のプロセスにある自分自身を大切にして、堂々と生きることが自尊心なのだと言えましょう。

自己否定、自己嫌悪の罠に惑わされるべきではありません。完全無欠の非の打ちどころのない存在になんかなる必要もありません。あなたはあなたのままで大丈夫。欠点がありながらも一生懸命に過酷な人生に立ち向かっているあなたがカッコいいのですから。
そんな自分を信じて、自尊心をもって堂々と生きようではありませんか。

愛について

「とても単純で、素朴で、しごくあたりまえのことのようであるけれど、これを感じ体得するのは容易なことではない。だからこそ進歩が必要となってくるんだ。進歩とは、愛により近づいていくということを意味しているんだ。最も進歩したひとが、より崇高な愛を体験し、より深い愛を表現するんだ。ほんとうの人間の大きさとは、ただ、そのひとの愛の度数によって決定されるんだよ・・・」

「アミ 小さな宇宙人」エンリケバリオス著 より抜粋

教育に関する名言

    平凡な教師は言って聞かせる。
    よい教師は説明する。
    優秀な教師はやってみせる。
    しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。

             ウィリアム・ウォード(教育学者)
   
   
    人にものを教えることはできない。
    みずから気づく手助けができるだけだ。

             ガリレオ・ガリレイ
   
   
    教育は科学であってはならない。
    それは芸術でなければならないのだ。

             ルドルフ・シュタイナー
   
   
    教えることのできない子供というものはない。
    あるのは子供達にうまく教えられない学校と教師だけである。

              M.J.アドラー

自尊心は無条件

自尊心は、その根拠となる条件を要求しない。

人は、生まれながらにして尊い存在であり、

たぐいまれなるユニークな存在であり、

無限の可能性を持った存在であり、

愛し、愛されるべき存在である。

だから、自信を持つために必要な能力もなければ、

愛されるために必要な条件もない。

 

愛されるための条件を要求してくるものは、傲慢さである。

傲慢さは、自分と言う与えられたすばらしいプレゼントに満足せず、あれこれとケチをつけるのだ。

傲慢さは、内面の調和がとれた平和な世界にたくさんの境界線を引き、分離、差別、葛藤をもたらす。

傲慢さは、受け入れ、愛し合う代わりに、距離を置き、遠くから操作する。

傲慢さは、愛し称賛する代わりに、けなし、できもしない要求を押し付けるのだ。

 

自尊心は、信頼に由来するのに対して、

傲慢さは、恐怖に由来する。

自尊心は、喜びに基づくのに対して、

傲慢さは、痛みに基づく。

自尊心は、中心軸に在るのに対して、

傲慢さは、周辺に点在する。

 

だから、自尊心と傲慢さは、似て非なるものである。

さながら、自尊心は蝶であるのに対して、

傲慢さは、蛾のようだ。

あり方の基軸を傲慢さではなく自尊心に置こう。

夜の世界を蛾のようにさまようのではなく、

蝶のように明るく軽やかに自由に飛び回ろう。

もともと人はそういう存在であり、

そうできない理由も、そうあるための条件もないのだから。

「自尊心の重要性」動画をアップ

 従来から、自尊心の重要性をテーマとする動画をyoutubeにアップしておりますが、映像が暗かったりなど問題があったので、改めて撮影をし直して作成し、本日総入れ替えをしました。

 「自尊心の重要性」をテーマとする講義は、通常は、企業研修や大学での講義でお話をさせていただいていておりますが、そうした場に出てこれない方々にも聞いてもらえたらと言う願いを込めて、動画を作成し発表をさせていただきました。

 動画は、全部で4部構成で、概要は以下の通りです。

 

【動画「自尊心の重要性」概要】

 その1 自尊心とその影響

 その2 自尊心とプライドの違い

 その3 日本における自尊心の現状

 その4 自尊心と生き方

 

 以下、リンクを張っていきますので、ぜひご覧ください。

 こうした情報が、多くの共感いただける方々に届き、勇気の輪が広がっていくことを願っております。

 

【動画「自尊心の重要性」】

①自尊心とその影響

 

②自尊心とプライドの違い

 

③日本における自尊心の現状

 

④自尊心と生き方

 

この動画が、多くの方々の元気と勇気を応援できますように!

 

<関連書籍>

・電子書籍「自尊心の重要性

子供たちへのコミュニケーション教育

主に小学校高学年の子供たち向けのコミュニケーションに関する小講義資料をご紹介します。弊社の「家族のためのコミュニケーション講座『伝説の車を復元せよ』」からの抜粋です。

こうした学びは、私は、今の子供たちにとって大変重要だと考えております。

掛け算の九九ができないと大騒ぎするくせに、自尊心が育まれていなくとも何も問題を感じない教育界の現状は、嘆かわしいことだと私は思っております。だって、人生を自分らしく逞しく生きるために必要なことは、九九のようなテクニックではなく自尊心のような生きる態度なのですから。

実は、この文章は、先日弊社のヴィーナス通信でも配信したのですが、読者の方から、義務教育で学ばせるべきだと仰っていただけました。私もまったくその通りだと思います。自尊心やコミュニケーションが当たり前の学びとなったならば、日本や世界はきっと変わると思います。そんな願いを込めて、ご紹介します。

【コミュニケーションについて】

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◆どうしてコミュニケーションって大切なんだろう?
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よく、「コミュニケーションは大切だ」と言われていますが、そもそもどうして大切なんでしょうか?

アメリカの心理学者ジャック・ギブ博士が、この問題を上手に説明する理論を発表しています。

「四つの懸念」という理論です。ちょっとむずかしく聞こえる名前ですが、とても分かりやすく参考になる考え方ですので、ここでご紹介しましょう。

ギブ博士は、人と人との出会いはすばらしいことであり、チームであることはすてきな事だけれども、そこには、必ず「懸念」と呼ばれるものが生じてしまうと考えました。

懸念とは、不安や恐怖のことです。

みなさんは、初めての人と話すときに、「ちゃんと話せるかな?」「誤解されないかな?」「よい友達になれるかな?」などと心配になりませんか?ギブ博士は、どんな人でも人と関わる時には、そうした心配が生じると考えたのです。

ギブ博士は、さまざまなチームの人間関係の研究を通して、人には、どのような懸念を生じるのかを調査しました。具体的データを集め、仕分けした結果、以下のような4種類の懸念に分けることができたので、この理論は、「4つの懸念」と呼ばれています。

 

<四つの懸念(J.ギブ)>

1.受容懸念

・そもそも私は受け入れてもらえるのだろうか?

・私は、責められたり攻撃されたりしないだろうか?

・相手はどのくらい信頼できるだろう。

2.データ懸念

・ここではどんな話をすればいいのだろうか?

・私はどのようにふるまえばいいのだろうか?

3.目標懸念

・チームが今していることは、何のためなのだろうか?

・われわれは何をしたいのか?

4.統制懸念

・ここでのボスは、誰なのか?

・ここでの私の役割ってどんなことなんだろう?

 

  世界中の誰もが、こうした心配を持ちながら、人とかかわっているだということが分かります。私たちは、人とかかわる時に、ドキドキと緊張することが、よくあると思いますが、それは、あたりまえのことなんですね。

  さて、ギブ博士は、チームをよりよくするためにはどんなことが必要なのかを研究したのですが、多くの研究を通して、「懸念を解消していくことが、チームの成長につながる」ということを発見しました。

チームが強くなるために必要な事は、何か特別なことではなく、お互いの不安や恐怖を解消して、心を開くことが一番大切な事なんだということが分かったのです。

初対面の時には強くあった懸念が解消されていくにつれて、メンバー同士が信頼し合えるようになり、一人一人のぎこちなさがとれて自由で楽になっていき、チームとしての生産性や創造性が引き出されていくと考えたのです。

  「自分や自分のチームがより良くなるためにはどうすれば良いのか?」と考えたときに、良く思いつくことが、「このままじゃだめだ」「今の自分じゃだめだ」「何か別の力が必要だ」「新しい何かに頼らなければ」などと思うことはありませんか?

私たちは、より良くなるために、よく今の自分を否定して、ちっぽけで弱くみすぼらしい(と思い込んでいる)自分以外の、強く大きく輝いている(と思い込んでいる)外部の何かに頼りがちになりますが、この理論の視点からは、それは決して最善策ではないと言うことなのだろうと思います。

だって、チームが成長するための力は、どこか他にあるのではなく、チームの内面になるのですから。宝物は、どこか遠くにあるのではなく、とっても身近な自分自身にあるのですから。

だから、頼るべきものは、遠くにあるありもしない魔法の力ではなく、最も近くにあるリアルな自分、無いと思い込んで顧みなかった自分(たち)の内面の可能性なのですね。

  それでは、懸念を解消して、チームのもっているすばらしい力を引き出すためには、どうすればよいのでしょうか?そのための方法は、いろいろあるけれども、本質的で最も効果的な方法がコミュニケーションであると言えましょう。なぜならば、懸念は、お互いに分かり合うことができなければ、解消されることはないからです。

ギブ博士の考えでは、信頼関係というものは、取り繕ったり演技をしたりしてつくるものではなくて、出会い当初に生じてしまう懸念を、正直なコミュニケーションを通して取り除いていけば自然にできあがる心情であって、たしかに信頼関係は難しいかもしれないけれども、もし本当に信頼関係ができたならば、チームのもともと持っている大きな力が解放されて、チームは、もっと強く、もっと生産的に、もっとクリエイティブになると考えたのです。

  やっぱり、コミュニケーションは、大切なんですね。だって、信頼関係を育んで、人やチームの力を引き出す原動力なんだから。 これからも、人とのご縁や人間関係を大切にしていこう!

 

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◆コミュニケーションのポイント
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コミュニケーションは、大切だということは分かったけれど、では、どうすれば、コミュニケーションがもっと上手になるんだろう?ここでは、そんなテーマに取り組んでいきたいと思います。

コミュニケーションが上手になるために最も大切なことは、「習うより慣れろ」ということです。いろいろ思い悩む前に、どんどん人に向き合って、人とかかわってみましょう。そんな体験からきっと大切なことを学べるはずです。時には、失敗することや痛みを感じることがあるかもしれないけれども、そんなことは、たいしたことじゃありませんよ。むしろ、失敗が多ければ多いほど、人は大きくなり、やさしくなり、強くなるんですから。

  ときどき、「コミュニケーションは生まれつきのもので、簡単にうまくなんかならない」と思い込んでいる人もいますが、そんなことはありません。

生まれつき話すことが苦手な人なんかいません。

あなたは、生まれつき泣くことが苦手な赤ちゃんを見たことがありますか?

生まれつき人の話を聞けない人なんかいません。

あなたは、あやされているときにキラキラした目でお母さんを見つめ、お母さんの言葉に夢中になっている赤ちゃんを見たことがありませんか?

  人には、話す”くち”と、聴く”みみ”と、理解する”こころ”を持っています。それらの力は、想像している以上にとても大きいのです。人は、誰もがその力を宿しているのです。そして、ひとたびその力が本当に解放されたら、おどろくほど魅力的で、力強く輝くことでしょう。

そんな力を引き出す参考として、以下にコミュニケーションをよりよくするためのポイントをご紹介しましょう。

1.自分を大切にすること

コミュニケーションが上手になるために最も大切なことは、自分を大切にすることです。

だって、自分を大切にできない人が、どうして他人を大切にできるでしょうか?自分を愛せるからこそ、他人を愛せるだろうし、自分を信じられるからこそ、他人を信じられるのですから。

自分を大切にできているかどうかは、コミュニケーションに大きく影響します。「自分は価値ある存在だ」と感じていれば、自分を表現することにためらいはありませんが、「自分は価値がない」と感じていれば、「こんなつまらない自分の意見を聞かせるのは、相手に悪いし時間のむだである」などと、自分を表現することに引け目を感じてしまうでしょう。

人は、誰もが価値ある尊い存在なのです。そして、人は、たいていの場合、自分で思っているほどちっぽけではありません。本気を出せば、どんな人でも、想像をはるかに超えた大きな力を発揮できるものです。

だから、「自分はダメだ」なんていう思いは、大きな勘違いで、そんな思い込みは持つべきではありません。自尊心をもって自分自身を大切にしましょう。

 

2.話すこと

自分が伝えたいことや感じていることをしっかりと表現することはとても大切なことです。

「分かってくれない」「聞いてくれない」と文句を言う前に、分かってもらえるように話してみましょう。

話し方のコツは、以下の通りです。

 ①自分が何を伝えたいのかをしっかりと把握する。自分の考えや気持ちが、他の人のそれと違っていても、大丈夫です。むしろ違いは創造性につながるものです。

 ②伝えたいことを正直に語る。

 ③正直さは、どんなに上手なテクニックよりも迫力があり、心に響き、説得力があります。(ただし、思いやりのない正直さは、相手を傷つけることがあるので注意すること)

 ④肩の力を抜いて、自分らしく表現する。

 ⑤かっこよく上手に伝える必要なんかありません。不器用でもいいんです。むしろ、不器用で正直な人の方が、器用で気取っている人よりも人気がありますよ。今のあなたで大丈夫。おだやかに、自分らしく自信をもって話してみよう。

 

3.思い込みに気をつけること

 人は、とても優れた理解力をもっていますが、決して完璧ではありません。 人は、とても勘違いしやすいのです。 しかし、たとえ勘違いでも、一旦こうだと思い込んでしまったことは、私たちの行動に支配的に影響を及ぼすものです。 だから、私たちは、誤解や勘違いのないように注意深くある必要があるのです。

 <人間関係の勘違いの一例>

 ・自分の理解

「Aさんにあいさつしたけど、知らんふりして行ってしまった。きっと私は嫌われているのだ。向こうがそのつもりなら、もうこちらからあいさつするのはやめよう。」

 ・事実

「Aさんは、考え事に夢中で、私が話しかけても気がつかなかったので、ふり向かなかった。」

 

4.あきらめないこと

コミュニケーションは、心から心への伝達です。

自分の心は、「悲しい」とか「うれしい」とか実際に体験しているので良くわかりますが、他人の心は、直接自分で体験することはできません。他人の心を知るためには、その人の言葉を聞いたり、様子を見たりして推しはかることしかできません。 ですから、コミュニケーションは、決して簡単なことではないのです。

 しかし、むずかしいからと言って簡単にあきらめるべきではありません。成功とは失敗しないことでありません。失敗してもあきらめないことが成功につながると言えましょう。

コミュニケーションは、すれ違いがあって当然であり、たとえすれ違いがあったとしても、関係の糸を切らないかぎり、最終的にはお互いに分かり合えるものです。あきらめない心を大切にしましょう。

 

5.勇気

人とコミュニケーションをとるためには、勇気が必要です。なぜなら、相手が自分を受け入れてくれる保障はどこにもないからです。人とかかわる時には、無視されたり、拒否されたりする恐れがあるのです。

しかし、危険があるからといって心を閉ざしてしまうのは、自分が本当にやりたいことではありません。言うべきことは、勇気をもって言葉で伝えていきましょう。そんな勇気が、新しい可能性を開いていくのですから。

 

6.そして耳を傾けること

“きく”には、”聞く”と”聴く”があると言われます。単に表面的にきくのは”聞く”ですが、相手が本当に言いたいことを真剣にきこうと努力することを”聴く”と言うのです。

人間関係は鏡であり、こちらのきき方で、相手の反応も決まってくるでしょう。 もし、私が表面的に”聞く”とすれば、相手の人も、表面的に”答える”関係となるでしょうし、もし、私が、相手に集中し、全身全霊で”聴く”とすれば、相手も本気で”応え”てくれるでしょう。

平和で自分を元気にさせてくれる人間関係は、相手の出方によって決まるのではなく、実は、私の”聴く”態度によって作り出されるのだということを忘れないで下さい。

 以下に、よく”聴く”ためのいくつかのポイントを上げます。

①肩の力を抜いて、相手に集中してみる。

②ただ表面的に”聞く”のではなく、意識的に聴いてみる。

③会話の予習をせず、”いま、ここ”に集中する。

④相手を”他人”と思わずに、”家族のような人”と思って聴いてみる。

 

以上、家族のためのコミュニケーション講座『伝説の車を復元せよ』より抜粋

 

凶悪少年犯罪と自尊心の関係

 また凄惨な未成年の犯罪が起こってしまいました。

 被害者の娘さんのご冥福をお祈りしたいと思います。ご遺族の心境を思うと胸が痛みます。

 かつて、家庭裁判所調査官など有識者が集まり、凶悪少年犯罪の事例を研究し、レポートを発表しました。レポートは、「重大少年事件の実証研究」と題して司法協会より平成13年に出版されています。このレポートによると、凶悪犯罪を起こす少年や少女に共通する特徴の一つとして「自己イメージの悪さ」が挙げられています。

 要するに、凶悪犯罪を起こした少年少女たちには、自分自身がダメ人間で、価値がなく、いなくてもよい存在だと思い込んでいる子が多いと言えるのです。

 犯罪を犯してしまった原因の一つとして、自分自身を、「価値の無い人間」「愛される資格が無い人間」と思い込んだ少年や少女が、対人関係で様々な問題を起こし、最終的に犯罪につながってしまったのではないかと考えられているのです。

 自尊心が低い人は、自分に対して否定的、攻撃的です。かつての私がそうだったのでよく分かりますが、自分の内面の中で、絶えず自分を攻撃する言葉、「ダメ人間、死んだほうがよい、だらしない、罪人、偽善者、・・・」が駆け巡っているのです。人から言われたら怒るくせに、自分では平気で自分にそう言う否定の言葉を投げかけているのです。

 人は、自分にするように人にするものです。自分に激しく攻撃する人は、人にも激しく攻撃するでしょう。しかも、縁が近づけば近づくほど、「その人は自分だ」と思えるくらいに相手を愛すれば愛するほど、自分にする暴力を相手に振るうことを我慢できなくなるでしょう。

 また、内面の葛藤が長引くと混迷の度合いを深め、次第に自分らしい魅力的な側面を失い、自分の人生を主体的に自分らしく生きるということに対して絶望し、投げやりで責任のとれない状況になっていくでしょう。まさに、心神喪失の状態になってしまいます。

 罪を憎んで人を憎まず。

 犯してしまった犯罪は、絶望の隙間に入り込んだ罪がさせたもので、その人そのものがしたものでは無いということなんだろうと私は解釈しています。

 凶悪犯罪の背景として、本当に自尊心の欠如が影響していたとしたならば、私が考えるこうした一連の絶望と悲劇のプロセスが本当に働いていたとしたならば、犯罪者に必要なことは、自分への呪いや自己否定をやめること、自尊心と愛の回復なんだろうと思います。

 また、こうした犯罪を、今後防いでいくために必要なことは、まさに、自尊心と愛の回復、自分への信頼、他者への信頼の回復なんだろうと思います。

 長崎県教育委員会が、命の教育を徹底していたにもかかわらず、また悲劇が起こったと失望されているとの記事を読みましたが、その無力感や痛さは、私にもわかる気がします。

 ただ、単に「命が大切だ」と主張しても、そのいのちが、自分とは関係のない他人のものと子供たちが感じている限りは、教育の成果は出ないでしょう。

 子供たちが「いのち」を実感できるとしたら、それはまさに、自分自身の命を通してです。

 だから、命は大切と言う前に、まずは子供たちに「あなたの存在こそが大切なんだ」と言ってあげるべきなんじゃないでしょうか。

 願わくば、多くの子供たちが自分自身を呪うのではなく祝福し、明るく元気に人生を謳歌できますように。

 今回の凄惨な悲劇を起こした背景にある暗くて重い痛みが癒され、呪いが祓われ、もう2度とこうした悲劇が起こらないよう、心から祈りたいと思います。

自信を持って生きるということ

「随処に主となれば 立処皆真なり

  汝 ただ現今用うる底を信ぜよ」  臨在禅師

 

(読み方)ずいしょに しゅとなれば りっしょ みなしんなり

    なんじ ただ げんこんもちうるていをしんぜよ」

 

(意味)あらゆるところで自分自身として主体的に生きれば、立つところみな真実となる。いまここの自分の本質を信じなさい。

日本の先生 自信が最低

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         朝日新聞 2014年6月26日より 

 

記事によると、日本の先生は、本アンケート参加の34ヶ国中、生徒指導の自信の度合いが最低だったとのことです。

 非常に興味があったので、OECD国際教員指導環境調査(TALIS)のオリジナルデータを国立教育政策研究所のwebページで詳細を確認してみました。

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  国立教育政策研究所 OECD国際教員指導環境調査(TALIS)のポイント

     http://www.nier.go.jp/kenkyukikaku/talis/imgs/talis_points.pdf より抜粋

 

 データによると、日本の教員の自己効力間に関する設問に対する回答が、世界平均と比較すると著しく低いことがわかります。

 私の考えでは、良い仕事ができるかどうかの根源となる基盤が自己信頼であると考えており、その視点から見ると今の日本の教育の現場では、大変酷いことが起こっている心配があると、私は思います。

 自己イメージが与える影響は、その人の仕事ぶりのみならず、キャリアや人生、寿命にまで影響を及ぼすといわれています。教員の自己イメージが健全で、高い自尊感情を持っている場合には、生徒たちに対して愛と情熱をもって関わり、質の高い教育に誇りをもって取り組んでいる、すばらしい教室運営をされている可能性が高くなりますが、もしも、教員の自己肯定感が低い場合には、うつ気質となっているので生徒に対する愛や教育への情熱は、絶望の雲でかげってしまっており、十分に効果的な教室運営がなされていないだけではなく、多くの問題を引き起こしている可能性があります。

 自尊感情の欠如は、生産性の低下を招くだけではなく、事故や深刻な問題を引き起こす可能性もあるのです。生徒への暴力や性的虐待、いじめ問題の放置や各種依存症など、最近の新聞をにぎわす教師たちの暴挙は、このあたりからきているのかもしれません。

 ちなみに、国立教育政策研究所では、こうした傾向は、「謙虚さや高い目標を設定しているが故の傾向」であるとの解釈がなされており、大した問題ではないようなニュアンスの主張がなされていますが、私は、もっと真剣に現場の悩みに耳を傾けるべきだと思いますね。そうした解釈が、真実であるならば問題はないと思いますが、もし誤解だったとしたら、これは大変な問題ですよ。

 謙虚さと自虐は違います。

 謙虚さは、自分も尊いと感じているからこそ相手も尊い存在だと思う心情ですが、自虐は、自分を尊いとは思っていません。人は自分にするように他人にするものですから、自虐の人は、最終的には必ず他人に仇をなすなど、問題を起こすようになるでしょう。

 自己効力感が低いということは、自罰的となっているということであり、それは、疲弊しており、絶望感にさいなまれているということであり、決して健全で健康的なことだとは言えません。せっかくこうした調査で、現状の大問題が見えてきているにもかかわらず、こじつけや曲解で現実を見ようとしないとしたならば、大きな問題だと思いますよ。

 何しろ、自己肯定感の問題は、学級崩壊やいじめ、自殺問題など、多くの深刻な問題にかかわっており、そうした問題は、自己信頼の回復がなくして、根本的な問題解決にはならないのですから。

 ちなみに、アンケートの設問で、「生徒に勉強ができると自信を持たせる」の設問に対して、ハイと答えた先生の割合が、世界平均では85.8%ですが、日本では17.6%と著しく低下しています。その通り、自信のない人に自信は教えることはできないのです。

 データからすると、日本の教育現場は、崩壊寸前だと私は思います。原因は、さまざまな要素があるとは思いますが、これは先生たちの問題と言うよりは、先生たちを絶望に追い込んでいる古くて瑕疵あるシステムの問題なのだろうと思います。

 いずれにしても、こうしたデータから、教育現場からの悲鳴が聞こえてくるようです。政府は、そうした悲鳴に謙虚に耳を傾けて、真剣に対策を練り直す必要があると思いますよ。何しろ、教育こそが国力の根源なのですから。