カテゴリー別アーカイブ: 06.人材教育の理論・情報

「自尊心の重要性」動画をアップ

 従来から、自尊心の重要性をテーマとする動画をyoutubeにアップしておりますが、映像が暗かったりなど問題があったので、改めて撮影をし直して作成し、本日総入れ替えをしました。

 「自尊心の重要性」をテーマとする講義は、通常は、企業研修や大学での講義でお話をさせていただいていておりますが、そうした場に出てこれない方々にも聞いてもらえたらと言う願いを込めて、動画を作成し発表をさせていただきました。

 動画は、全部で4部構成で、概要は以下の通りです。

 

【動画「自尊心の重要性」概要】

 その1 自尊心とその影響

 その2 自尊心とプライドの違い

 その3 日本における自尊心の現状

 その4 自尊心と生き方

 

 以下、リンクを張っていきますので、ぜひご覧ください。

 こうした情報が、多くの共感いただける方々に届き、勇気の輪が広がっていくことを願っております。

 

【動画「自尊心の重要性」】

①自尊心とその影響

 

②自尊心とプライドの違い

 

③日本における自尊心の現状

 

④自尊心と生き方

 

この動画が、多くの方々の元気と勇気を応援できますように!

 

<関連書籍>

・電子書籍「自尊心の重要性

子供たちへのコミュニケーション教育

主に小学校高学年の子供たち向けのコミュニケーションに関する小講義資料をご紹介します。弊社の「家族のためのコミュニケーション講座『伝説の車を復元せよ』」からの抜粋です。

こうした学びは、私は、今の子供たちにとって大変重要だと考えております。

掛け算の九九ができないと大騒ぎするくせに、自尊心が育まれていなくとも何も問題を感じない教育界の現状は、嘆かわしいことだと私は思っております。だって、人生を自分らしく逞しく生きるために必要なことは、九九のようなテクニックではなく自尊心のような生きる態度なのですから。

実は、この文章は、先日弊社のヴィーナス通信でも配信したのですが、読者の方から、義務教育で学ばせるべきだと仰っていただけました。私もまったくその通りだと思います。自尊心やコミュニケーションが当たり前の学びとなったならば、日本や世界はきっと変わると思います。そんな願いを込めて、ご紹介します。

【コミュニケーションについて】

—————————————————————-
◆どうしてコミュニケーションって大切なんだろう?
—————————————————————-

よく、「コミュニケーションは大切だ」と言われていますが、そもそもどうして大切なんでしょうか?

アメリカの心理学者ジャック・ギブ博士が、この問題を上手に説明する理論を発表しています。

「四つの懸念」という理論です。ちょっとむずかしく聞こえる名前ですが、とても分かりやすく参考になる考え方ですので、ここでご紹介しましょう。

ギブ博士は、人と人との出会いはすばらしいことであり、チームであることはすてきな事だけれども、そこには、必ず「懸念」と呼ばれるものが生じてしまうと考えました。

懸念とは、不安や恐怖のことです。

みなさんは、初めての人と話すときに、「ちゃんと話せるかな?」「誤解されないかな?」「よい友達になれるかな?」などと心配になりませんか?ギブ博士は、どんな人でも人と関わる時には、そうした心配が生じると考えたのです。

ギブ博士は、さまざまなチームの人間関係の研究を通して、人には、どのような懸念を生じるのかを調査しました。具体的データを集め、仕分けした結果、以下のような4種類の懸念に分けることができたので、この理論は、「4つの懸念」と呼ばれています。

 

<四つの懸念(J.ギブ)>

1.受容懸念

・そもそも私は受け入れてもらえるのだろうか?

・私は、責められたり攻撃されたりしないだろうか?

・相手はどのくらい信頼できるだろう。

2.データ懸念

・ここではどんな話をすればいいのだろうか?

・私はどのようにふるまえばいいのだろうか?

3.目標懸念

・チームが今していることは、何のためなのだろうか?

・われわれは何をしたいのか?

4.統制懸念

・ここでのボスは、誰なのか?

・ここでの私の役割ってどんなことなんだろう?

 

  世界中の誰もが、こうした心配を持ちながら、人とかかわっているだということが分かります。私たちは、人とかかわる時に、ドキドキと緊張することが、よくあると思いますが、それは、あたりまえのことなんですね。

  さて、ギブ博士は、チームをよりよくするためにはどんなことが必要なのかを研究したのですが、多くの研究を通して、「懸念を解消していくことが、チームの成長につながる」ということを発見しました。

チームが強くなるために必要な事は、何か特別なことではなく、お互いの不安や恐怖を解消して、心を開くことが一番大切な事なんだということが分かったのです。

初対面の時には強くあった懸念が解消されていくにつれて、メンバー同士が信頼し合えるようになり、一人一人のぎこちなさがとれて自由で楽になっていき、チームとしての生産性や創造性が引き出されていくと考えたのです。

  「自分や自分のチームがより良くなるためにはどうすれば良いのか?」と考えたときに、良く思いつくことが、「このままじゃだめだ」「今の自分じゃだめだ」「何か別の力が必要だ」「新しい何かに頼らなければ」などと思うことはありませんか?

私たちは、より良くなるために、よく今の自分を否定して、ちっぽけで弱くみすぼらしい(と思い込んでいる)自分以外の、強く大きく輝いている(と思い込んでいる)外部の何かに頼りがちになりますが、この理論の視点からは、それは決して最善策ではないと言うことなのだろうと思います。

だって、チームが成長するための力は、どこか他にあるのではなく、チームの内面になるのですから。宝物は、どこか遠くにあるのではなく、とっても身近な自分自身にあるのですから。

だから、頼るべきものは、遠くにあるありもしない魔法の力ではなく、最も近くにあるリアルな自分、無いと思い込んで顧みなかった自分(たち)の内面の可能性なのですね。

  それでは、懸念を解消して、チームのもっているすばらしい力を引き出すためには、どうすればよいのでしょうか?そのための方法は、いろいろあるけれども、本質的で最も効果的な方法がコミュニケーションであると言えましょう。なぜならば、懸念は、お互いに分かり合うことができなければ、解消されることはないからです。

ギブ博士の考えでは、信頼関係というものは、取り繕ったり演技をしたりしてつくるものではなくて、出会い当初に生じてしまう懸念を、正直なコミュニケーションを通して取り除いていけば自然にできあがる心情であって、たしかに信頼関係は難しいかもしれないけれども、もし本当に信頼関係ができたならば、チームのもともと持っている大きな力が解放されて、チームは、もっと強く、もっと生産的に、もっとクリエイティブになると考えたのです。

  やっぱり、コミュニケーションは、大切なんですね。だって、信頼関係を育んで、人やチームの力を引き出す原動力なんだから。 これからも、人とのご縁や人間関係を大切にしていこう!

 

—————————————————————-
◆コミュニケーションのポイント
—————————————————————-

コミュニケーションは、大切だということは分かったけれど、では、どうすれば、コミュニケーションがもっと上手になるんだろう?ここでは、そんなテーマに取り組んでいきたいと思います。

コミュニケーションが上手になるために最も大切なことは、「習うより慣れろ」ということです。いろいろ思い悩む前に、どんどん人に向き合って、人とかかわってみましょう。そんな体験からきっと大切なことを学べるはずです。時には、失敗することや痛みを感じることがあるかもしれないけれども、そんなことは、たいしたことじゃありませんよ。むしろ、失敗が多ければ多いほど、人は大きくなり、やさしくなり、強くなるんですから。

  ときどき、「コミュニケーションは生まれつきのもので、簡単にうまくなんかならない」と思い込んでいる人もいますが、そんなことはありません。

生まれつき話すことが苦手な人なんかいません。

あなたは、生まれつき泣くことが苦手な赤ちゃんを見たことがありますか?

生まれつき人の話を聞けない人なんかいません。

あなたは、あやされているときにキラキラした目でお母さんを見つめ、お母さんの言葉に夢中になっている赤ちゃんを見たことがありませんか?

  人には、話す”くち”と、聴く”みみ”と、理解する”こころ”を持っています。それらの力は、想像している以上にとても大きいのです。人は、誰もがその力を宿しているのです。そして、ひとたびその力が本当に解放されたら、おどろくほど魅力的で、力強く輝くことでしょう。

そんな力を引き出す参考として、以下にコミュニケーションをよりよくするためのポイントをご紹介しましょう。

1.自分を大切にすること

コミュニケーションが上手になるために最も大切なことは、自分を大切にすることです。

だって、自分を大切にできない人が、どうして他人を大切にできるでしょうか?自分を愛せるからこそ、他人を愛せるだろうし、自分を信じられるからこそ、他人を信じられるのですから。

自分を大切にできているかどうかは、コミュニケーションに大きく影響します。「自分は価値ある存在だ」と感じていれば、自分を表現することにためらいはありませんが、「自分は価値がない」と感じていれば、「こんなつまらない自分の意見を聞かせるのは、相手に悪いし時間のむだである」などと、自分を表現することに引け目を感じてしまうでしょう。

人は、誰もが価値ある尊い存在なのです。そして、人は、たいていの場合、自分で思っているほどちっぽけではありません。本気を出せば、どんな人でも、想像をはるかに超えた大きな力を発揮できるものです。

だから、「自分はダメだ」なんていう思いは、大きな勘違いで、そんな思い込みは持つべきではありません。自尊心をもって自分自身を大切にしましょう。

 

2.話すこと

自分が伝えたいことや感じていることをしっかりと表現することはとても大切なことです。

「分かってくれない」「聞いてくれない」と文句を言う前に、分かってもらえるように話してみましょう。

話し方のコツは、以下の通りです。

 ①自分が何を伝えたいのかをしっかりと把握する。自分の考えや気持ちが、他の人のそれと違っていても、大丈夫です。むしろ違いは創造性につながるものです。

 ②伝えたいことを正直に語る。

 ③正直さは、どんなに上手なテクニックよりも迫力があり、心に響き、説得力があります。(ただし、思いやりのない正直さは、相手を傷つけることがあるので注意すること)

 ④肩の力を抜いて、自分らしく表現する。

 ⑤かっこよく上手に伝える必要なんかありません。不器用でもいいんです。むしろ、不器用で正直な人の方が、器用で気取っている人よりも人気がありますよ。今のあなたで大丈夫。おだやかに、自分らしく自信をもって話してみよう。

 

3.思い込みに気をつけること

 人は、とても優れた理解力をもっていますが、決して完璧ではありません。 人は、とても勘違いしやすいのです。 しかし、たとえ勘違いでも、一旦こうだと思い込んでしまったことは、私たちの行動に支配的に影響を及ぼすものです。 だから、私たちは、誤解や勘違いのないように注意深くある必要があるのです。

 <人間関係の勘違いの一例>

 ・自分の理解

「Aさんにあいさつしたけど、知らんふりして行ってしまった。きっと私は嫌われているのだ。向こうがそのつもりなら、もうこちらからあいさつするのはやめよう。」

 ・事実

「Aさんは、考え事に夢中で、私が話しかけても気がつかなかったので、ふり向かなかった。」

 

4.あきらめないこと

コミュニケーションは、心から心への伝達です。

自分の心は、「悲しい」とか「うれしい」とか実際に体験しているので良くわかりますが、他人の心は、直接自分で体験することはできません。他人の心を知るためには、その人の言葉を聞いたり、様子を見たりして推しはかることしかできません。 ですから、コミュニケーションは、決して簡単なことではないのです。

 しかし、むずかしいからと言って簡単にあきらめるべきではありません。成功とは失敗しないことでありません。失敗してもあきらめないことが成功につながると言えましょう。

コミュニケーションは、すれ違いがあって当然であり、たとえすれ違いがあったとしても、関係の糸を切らないかぎり、最終的にはお互いに分かり合えるものです。あきらめない心を大切にしましょう。

 

5.勇気

人とコミュニケーションをとるためには、勇気が必要です。なぜなら、相手が自分を受け入れてくれる保障はどこにもないからです。人とかかわる時には、無視されたり、拒否されたりする恐れがあるのです。

しかし、危険があるからといって心を閉ざしてしまうのは、自分が本当にやりたいことではありません。言うべきことは、勇気をもって言葉で伝えていきましょう。そんな勇気が、新しい可能性を開いていくのですから。

 

6.そして耳を傾けること

“きく”には、”聞く”と”聴く”があると言われます。単に表面的にきくのは”聞く”ですが、相手が本当に言いたいことを真剣にきこうと努力することを”聴く”と言うのです。

人間関係は鏡であり、こちらのきき方で、相手の反応も決まってくるでしょう。 もし、私が表面的に”聞く”とすれば、相手の人も、表面的に”答える”関係となるでしょうし、もし、私が、相手に集中し、全身全霊で”聴く”とすれば、相手も本気で”応え”てくれるでしょう。

平和で自分を元気にさせてくれる人間関係は、相手の出方によって決まるのではなく、実は、私の”聴く”態度によって作り出されるのだということを忘れないで下さい。

 以下に、よく”聴く”ためのいくつかのポイントを上げます。

①肩の力を抜いて、相手に集中してみる。

②ただ表面的に”聞く”のではなく、意識的に聴いてみる。

③会話の予習をせず、”いま、ここ”に集中する。

④相手を”他人”と思わずに、”家族のような人”と思って聴いてみる。

 

以上、家族のためのコミュニケーション講座『伝説の車を復元せよ』より抜粋

 

凶悪少年犯罪と自尊心の関係

 また凄惨な未成年の犯罪が起こってしまいました。

 被害者の娘さんのご冥福をお祈りしたいと思います。ご遺族の心境を思うと胸が痛みます。

 かつて、家庭裁判所調査官など有識者が集まり、凶悪少年犯罪の事例を研究し、レポートを発表しました。レポートは、「重大少年事件の実証研究」と題して司法協会より平成13年に出版されています。このレポートによると、凶悪犯罪を起こす少年や少女に共通する特徴の一つとして「自己イメージの悪さ」が挙げられています。

 要するに、凶悪犯罪を起こした少年少女たちには、自分自身がダメ人間で、価値がなく、いなくてもよい存在だと思い込んでいる子が多いと言えるのです。

 犯罪を犯してしまった原因の一つとして、自分自身を、「価値の無い人間」「愛される資格が無い人間」と思い込んだ少年や少女が、対人関係で様々な問題を起こし、最終的に犯罪につながってしまったのではないかと考えられているのです。

 自尊心が低い人は、自分に対して否定的、攻撃的です。かつての私がそうだったのでよく分かりますが、自分の内面の中で、絶えず自分を攻撃する言葉、「ダメ人間、死んだほうがよい、だらしない、罪人、偽善者、・・・」が駆け巡っているのです。人から言われたら怒るくせに、自分では平気で自分にそう言う否定の言葉を投げかけているのです。

 人は、自分にするように人にするものです。自分に激しく攻撃する人は、人にも激しく攻撃するでしょう。しかも、縁が近づけば近づくほど、「その人は自分だ」と思えるくらいに相手を愛すれば愛するほど、自分にする暴力を相手に振るうことを我慢できなくなるでしょう。

 また、内面の葛藤が長引くと混迷の度合いを深め、次第に自分らしい魅力的な側面を失い、自分の人生を主体的に自分らしく生きるということに対して絶望し、投げやりで責任のとれない状況になっていくでしょう。まさに、心神喪失の状態になってしまいます。

 罪を憎んで人を憎まず。

 犯してしまった犯罪は、絶望の隙間に入り込んだ罪がさせたもので、その人そのものがしたものでは無いということなんだろうと私は解釈しています。

 凶悪犯罪の背景として、本当に自尊心の欠如が影響していたとしたならば、私が考えるこうした一連の絶望と悲劇のプロセスが本当に働いていたとしたならば、犯罪者に必要なことは、自分への呪いや自己否定をやめること、自尊心と愛の回復なんだろうと思います。

 また、こうした犯罪を、今後防いでいくために必要なことは、まさに、自尊心と愛の回復、自分への信頼、他者への信頼の回復なんだろうと思います。

 長崎県教育委員会が、命の教育を徹底していたにもかかわらず、また悲劇が起こったと失望されているとの記事を読みましたが、その無力感や痛さは、私にもわかる気がします。

 ただ、単に「命が大切だ」と主張しても、そのいのちが、自分とは関係のない他人のものと子供たちが感じている限りは、教育の成果は出ないでしょう。

 子供たちが「いのち」を実感できるとしたら、それはまさに、自分自身の命を通してです。

 だから、命は大切と言う前に、まずは子供たちに「あなたの存在こそが大切なんだ」と言ってあげるべきなんじゃないでしょうか。

 願わくば、多くの子供たちが自分自身を呪うのではなく祝福し、明るく元気に人生を謳歌できますように。

 今回の凄惨な悲劇を起こした背景にある暗くて重い痛みが癒され、呪いが祓われ、もう2度とこうした悲劇が起こらないよう、心から祈りたいと思います。

自信を持って生きるということ

「随処に主となれば 立処皆真なり

  汝 ただ現今用うる底を信ぜよ」  臨在禅師

 

(読み方)ずいしょに しゅとなれば りっしょ みなしんなり

    なんじ ただ げんこんもちうるていをしんぜよ」

 

(意味)あらゆるところで自分自身として主体的に生きれば、立つところみな真実となる。いまここの自分の本質を信じなさい。

日本の先生 自信が最低

nihonsensei.jpg

         朝日新聞 2014年6月26日より 

 

記事によると、日本の先生は、本アンケート参加の34ヶ国中、生徒指導の自信の度合いが最低だったとのことです。

 非常に興味があったので、OECD国際教員指導環境調査(TALIS)のオリジナルデータを国立教育政策研究所のwebページで詳細を確認してみました。

kyouin_jikokouryokukan.jpg

  国立教育政策研究所 OECD国際教員指導環境調査(TALIS)のポイント

     http://www.nier.go.jp/kenkyukikaku/talis/imgs/talis_points.pdf より抜粋

 

 データによると、日本の教員の自己効力間に関する設問に対する回答が、世界平均と比較すると著しく低いことがわかります。

 私の考えでは、良い仕事ができるかどうかの根源となる基盤が自己信頼であると考えており、その視点から見ると今の日本の教育の現場では、大変酷いことが起こっている心配があると、私は思います。

 自己イメージが与える影響は、その人の仕事ぶりのみならず、キャリアや人生、寿命にまで影響を及ぼすといわれています。教員の自己イメージが健全で、高い自尊感情を持っている場合には、生徒たちに対して愛と情熱をもって関わり、質の高い教育に誇りをもって取り組んでいる、すばらしい教室運営をされている可能性が高くなりますが、もしも、教員の自己肯定感が低い場合には、うつ気質となっているので生徒に対する愛や教育への情熱は、絶望の雲でかげってしまっており、十分に効果的な教室運営がなされていないだけではなく、多くの問題を引き起こしている可能性があります。

 自尊感情の欠如は、生産性の低下を招くだけではなく、事故や深刻な問題を引き起こす可能性もあるのです。生徒への暴力や性的虐待、いじめ問題の放置や各種依存症など、最近の新聞をにぎわす教師たちの暴挙は、このあたりからきているのかもしれません。

 ちなみに、国立教育政策研究所では、こうした傾向は、「謙虚さや高い目標を設定しているが故の傾向」であるとの解釈がなされており、大した問題ではないようなニュアンスの主張がなされていますが、私は、もっと真剣に現場の悩みに耳を傾けるべきだと思いますね。そうした解釈が、真実であるならば問題はないと思いますが、もし誤解だったとしたら、これは大変な問題ですよ。

 謙虚さと自虐は違います。

 謙虚さは、自分も尊いと感じているからこそ相手も尊い存在だと思う心情ですが、自虐は、自分を尊いとは思っていません。人は自分にするように他人にするものですから、自虐の人は、最終的には必ず他人に仇をなすなど、問題を起こすようになるでしょう。

 自己効力感が低いということは、自罰的となっているということであり、それは、疲弊しており、絶望感にさいなまれているということであり、決して健全で健康的なことだとは言えません。せっかくこうした調査で、現状の大問題が見えてきているにもかかわらず、こじつけや曲解で現実を見ようとしないとしたならば、大きな問題だと思いますよ。

 何しろ、自己肯定感の問題は、学級崩壊やいじめ、自殺問題など、多くの深刻な問題にかかわっており、そうした問題は、自己信頼の回復がなくして、根本的な問題解決にはならないのですから。

 ちなみに、アンケートの設問で、「生徒に勉強ができると自信を持たせる」の設問に対して、ハイと答えた先生の割合が、世界平均では85.8%ですが、日本では17.6%と著しく低下しています。その通り、自信のない人に自信は教えることはできないのです。

 データからすると、日本の教育現場は、崩壊寸前だと私は思います。原因は、さまざまな要素があるとは思いますが、これは先生たちの問題と言うよりは、先生たちを絶望に追い込んでいる古くて瑕疵あるシステムの問題なのだろうと思います。

 いずれにしても、こうしたデータから、教育現場からの悲鳴が聞こえてくるようです。政府は、そうした悲鳴に謙虚に耳を傾けて、真剣に対策を練り直す必要があると思いますよ。何しろ、教育こそが国力の根源なのですから。

多くの経営手法はまやかしだった!

実に痛快な本を読みましたので、ご紹介します。

「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」カレン・フェラン著 大和書房出版

著者のカレンさんは、アメリカにおいて長年にわたりコンサルタントとして活躍されている方です。

 本書では、ご自身の体験から、ビジネスの常識として適用されている多くの経営理論やモデルは誤りであり、思った通りの効果を発揮することはないだけではなく、思いもよらない逆効果を発揮して経営の足を引っ張るという衝撃的なことを語っています。

 彼女によると、「目標による管理」「競争戦略」「コアコンピタンス」「業績給」「能力主義的人事制度」「プロセスエンジニアリング」などの今を彩る様々な経営手法は、多くの場合、専門家同士の評価や第三者による検証がなされておらず、その正しさを証明できるものはほとんどないとのことであり、多くのダイエット手法と同じように、ブームにはなるものの、テクノロジーを導入しても成功しないことの方が多いだけではなく、逆に、職場から人間性を奪うものであり、生産性や創造性の足を引っ張るという論旨を展開なさっています。

 彼女は、コンサルタントとして、多くのコンサルティング案件を手掛けてきましたが、コンサルティング案件として受注するために、「在庫管理システムの構築」「工場におけるプロセスエンジニアリング」などの専門用語を使ったテクノロジーを駆使したように見せかけてはいたけれど、本当に業務改善が起こったとしたら、それは、職場の人間性の回復とコミュニケーションの改善による信頼関係の回復によるものだったと暴露しているのです。

 私も、実は、この仕事を始めたのは、学卒後に就職した会計事務所からであり、当初は、経営コンサルタントとして企業の戦略や業務改善を担当していたので、彼女の告白は、本当によくわかります。

 私は、大学時代、経営コンサルタントの仕事がかっこいいと思っており、そんな憧れをもって、とあるコンサルタント会社系列の会計事務所に入社した次第です。あこがれていた仕事ですので、それは一生懸命に勉強し、若いながらもがんばってコンサルティングの仕事にいそしんでおりましたが、頑張れば頑張るほど、何かがおかしいことに気づくようになってきました。端的に言うと、どんどん心が冷たくなっていったのです。まさに、新興宗教収益性教、効率性教、強者必勝教のバリバリの信者となり、それと同時に、何か大切なこと、優しさや思いやり、情熱や気高い思いをどんどん失っていったように思えます。

 そんな体験から多くの疑問と問題意識を感じ、私は、仕事自体はやりがいがあり、おもしろかったのですが、もっと本質的に大切な人間そのものを応援できる教育研修の業界に転職して現在のキャリアをはぐくんでいくことになりました。

 ちなみに、私が所属していた経営コンサルタント会社は、その後、多くのクライアント企業をプロデュースし、有名にして上場まで導き、一世を風靡した時代を築いたのち、あまりの強欲さと強引さと酷薄さによって顧客から見放され、あっという間に倒産してしまいました。

 まさに、力によって成長したものは、ふるったその力によって滅びるのです。因果応報の理は、どんな人も組織も逃れることはできないのです。

 カレンさんは、経営は科学ではないと言い切っています。科学的に分析し、数値的に把握し、管理すれば経営はうまくいくはずだという経営学の常識は、間違いであり、そんなことを真に受けてまじめに突き進むと、とんでもない隘路にはまってしまうだろうと警告されているのです。

 彼女によると、経営とは、人なのです。装置や建物や経営テクノロジーがどんなに立派でも、それ自体がイノベーションを起こすことなどなく、要するに「非理性的で感情的で気まぐれで、クリエイティブで、面白い才能や独創的な才能を持っている人間たち」こそが、未来を開いていくのであって、そのような人間が、理論どおりに動くはずがないと言っています。私もまったくその通りだと思います。

 カレンさんは、「大切なことは、モデルや理論などは捨て置いて、みんなで腹を割って話し合うことに尽きる」と主張されています。様々な経営理論や手法が、本当に良いものだったら家族に適応してみることを検討してみると良いとも言っています。例えば、業績考課制度。本気で業績考課制度を家族に導入してみたいと思っている人がいるでしょうか?そんなことを子供たちに適応してまじめに運営したら、きっと子供たちは病気で精神科にかかってしまうだろうと書かれています。本当にその通り、自分の家族にできないことを職場の仲間にやるということは、やっぱりどうかしていると思われても仕方がありませんよね。

 本書には、私自身、大いに勇気づけられました。創業以来15年間、はやりの冷たい経営テクニックに流されることなく、元気と勇気と信頼の回復をテーマとして、人とチームが本当にそう生きたい生き方の後押しをすること、真に役に立つ応援をすることをモットーに頑張ってまいりましたが、そのやり方が、決して間違えではなかったといってくれているようです。

 この本のメッセージの通り、これからも、コミュニケーションの改善と信頼関係の促進、元気と勇気と信頼の回復をテーマとした、本当に良い研修を展開していきたいと改めて思った次第です。

 素敵な本に感謝です!

自尊心を回復するための方法 ③誤解を解く

自尊心という言葉を巡って、とても多くの誤解があるように思えます。

さまざまな勘違いや思い込みによって、「自尊心」や「気高く生きる」、「矜持」といった、本来美徳とされるべき価値が傷つけられているように思えます。

「自尊心」と「傲慢さや自惚れ」は違います。

自尊心は、自分を信じ、愛して、自分らしく輝いて生きるということ。傲慢さや自惚れは、自分の本質を信じられないがゆえに、自分を嫌い、うそやはったりでごまかして生きるということ。両者は、まったく異なった意味を持っているにもかかわらず、日本においては、たいていの場合、同じものと信じ込まれており、自尊心の重要な価値にあやをつけられているように思えます。

そうした誤解によって、日本では、「自分を大切にすること」「自分の人生を祝福すること」「自分の大きな可能性を信じること」、そんな当たり前のことができなくなってしまっているのではないでしょうか。自分を愛することが、あたかもタブーであるかのように感じ、自分を大切にすることは罪であるという呪縛にかかって不自由な人生を強いられている人たちが多いのではないでしょうか。

自尊心は、努力をして育むような能力ではありません。自然に生得的に与えられている基盤であって、誰もが根底に持っている美徳です。自尊心がないように感じるのは、生まれつきそれが少ないからではなく、ネガティブな思い込みや有害な信念が阻害しているからです。太陽がないのではなく、厚い雲が光を遮っているから暗く感じるのです。

ここでは、そうした、多くの誤解に光を当てていきたいと思います。

 

1.「自分を愛する」ことと「自己愛」は違う

自己愛性パーソナリティ障害と言う専門用語もあり、自分を愛することは、いけないことなんだという信念を持っている人も多いと思いますが、それは、誤解です。

自己愛性パーソナリティ障害とは、ありのままの自分を愛することができない病です。長所もあれば欠点もあり、おっちょこちょいでカッコ悪いところも有り、人より劣っているところもある、そんな等身大の自分自身に満足できずに、一切の欠点と劣等性を否定し、自分にはそんなものはないと思い込み、優れて特別で力ある無敵の自分という幻想を信じ執着する病であって、決して自己信頼からくるものではありません。

ナルシスが愛したものは、きらきらする水面に映った外面であって、ありのままの全体ではありません。手を差し伸べれば消えてしまう影であって、実体ではありません。

自己愛が愛しているのは幻想であって現実ではないのです。

一方で、自分を愛するということは、ありのままの自分を愛するということ、等身大の人間としての自分を受け入れるということ、発展途上の自分を信じるということです。

ありのままの自分を愛しているので、欠点がばれないように強がる必要もなければ、自分の本当の姿を(醜いと思っていないので)隠してうそをつく必要もありません。

自分を愛することができる人は、無理して背伸びする必要もなければ、人に良く見てもらおうと意気込んで肩に力が入ることもありません。
明るく正直でオープンであり、そこには暗さや病が付け入るすきはありません。
「自分を愛する」ということには、まったく病理や陰はありません。むしろ、自分らしく力強く生きていくうえでの重要な基盤の一つ、美徳の一つとなると言えましょう。

 

2.「こだわり」と「頑固さ」は違う

こだわりと頑固さは、違います。

頑固さは、何につけ、背景の動機には恐怖があります。頑固な人は、本音でそうしたいというよりは、そうしないと怖いからそれに執着するのです。

「そうしないと欠乏が満たされない」「そうしないと自分を保てない」「そうしないと苦痛に耐えられない」・・・、焼けつくような渇望や危機意識があるので、良きにつけ悪しきにつけ、たいていの場合その欲求に逆らうことはできません。他人に迷惑がかかろうが、どんなに説得されようが、明らかな問題があろうが、そうせざるを得ないのです。

一方で、こだわりは、そうしないと怖いからするのではなく、シンプルにそうしたいからするのです。自分が愛し、挑戦したいと願っていることだからこそ、情熱的に集中力をもってそれにこだわるのです。

自分のハートの奥から湧き起ってくる情熱であり、たいていの場合、その欲求は気高く、美しく、真理をついており、他人に賛同はされるものではないかもしれませんが、他人を傷つけるものであることは、滅多にありません。

こだわりの人は、決してぶれません。得だからと言ってすべきでないことに手を出すこともなければ、損だからと言ってすべきことから逃げたりはしません。

こだわりの人は、決してあきらめません。自分の魂からの欲求であり、使命感があるので、例え艱難辛苦が立ちはだかっても、簡単にあきらめるわけにはいかないのです。

頑固であってはいけませんが、こだわりを持つべきです。そもそも、自分が大好きで、心から愛するものを、そんなに簡単にあきらめてはいけません。それが正しい道であれば、必ず道は開けてくる。チャンスとピンチは準備が整った人にやってくるもの。だからどんなに高い壁でも、乗り越えられない壁などないのですから。

 

3.「謙虚さ」と「自虐」は違う

謙虚さは、自分が尊く大切だからこそ、相手も尊び、敬う心を言います。

自虐は、一見腰を低くする謙譲さと勘違いされることがありますが、それは卑屈さであって、決して謙虚さではありません。

それは、自分を嫌うこと、自分を卑下することであって、決して自分を尊いとは思っていないからです。

人は、自分にするように人にするものです。自分を尊いとは思えない人は、本当のところ他人を尊いとは思えません。そのふりはできますが、本音では、そうは決して思えないのです。

心理実験で、人の不幸を喜ぶ人にはどんな特徴があるのかを調べた実験がありまが、その結果わかったことは、人の不幸を快感に感じる人は、一様に自尊心が低かったということがわかりました。

自尊感情が高い人たちは、人が苦しみ悲しんでいる姿を痛みと感じ、共感的、同情的でしたが、自尊心が低い人たちは、それを見て、喜んだのです。

自虐や自己卑下は、決して美徳ではありません。むしろ、慎むべき性向であって、その傾向が強まれば強まるほど、依存症、自傷行為、いじめ、虐待、ストーキング、など様々な問題や犯罪につながっていくでしょう。

 

4.「自分にまける」のは「弱い」からではない

自分に負けるのは、弱いからではありません。

自分に負けるのは、自分と戦うからです。

自分の一部を嫌悪し、矯正する戦いを挑み、勝とうとするから負けるのです。

戦いの当初は、作戦や対策を練り、一生懸命に頑張って、いくつかの勝利を得られるかもしれませんが、永遠に勝ち続けることなんかできません。戦いを続ける限り、いつかは敗北の憂き目を見るでしょう。

「完璧な自分」になれないことが問題なのではなく、「完璧な自分」になろうとすることが問題なのです。

「非の打ちどころがない自分」「無敵な自分」「一切の欠点がない自分」・・・

それは、たいていの場合、無理難題であって、強引であって、優しくありません。

それは、たいていの場合、頭ごなしであって、専制的であって、民主的ではありません。

そんな不自然な目標や理想を信じ込んで、本気でそうあろうと取り組んでも、ハートと体は、その欺瞞に気づいており、永遠に従い続けてはくれません。ハートや体は、正直であり、思考の狂気につきあうつもりなんか無いのです。

失敗は、成功へのステップであって、排除すべき無駄ではありません。

ネガティブな思考は、思いついて当たり前であり、退治すべき敵ではありません。

ネガティブな感情は、人として当たり前の感情であり、けがらわしい罪ではありません。

誘惑に負けるのは、誘惑に勝てない弱い人だからなのではなく、それに勝ち続けようという無謀な戦いに疲れ、絶望し、やけくそになったからであって、むしろ自暴自棄の絶望にはまり込んでしまうほどの強い意志で自己否定の努力を続けた強い人こそが、最も誘惑に負けやすい人なのです。

内面に、強い分離感と葛藤と痛みを抱える限り、決して誘惑には勝てません、誘惑に勝てるのは、我慢強いからではなく、誘惑に魅力を感じない時、その必要を感じない時です。

十分に満足を感じているとき、十分に幸せを感じているとき、内面が平和である時、愛し愛されているときこそ、誘惑の甘い罠を撃退できるのです

自分を不自然な物差しで裁き、窮屈な型枠に押し込めようとするのではなく、ありのままの自分を受け入れ、大切にするべきです。

自分を大切にすることは、自分に甘いことではありません。自分自身のリーダーとして、自分の内面に責任を持つこと、むしろ、時には自分に厳しくあることこそ自分を大切にすることなんだろうといえましょう。

よきリーダーに必要なことは、フォロアーを受け入れ、理解し、愛すること。自分の人生のリーダーとして自分らしく輝いて生きるために必要なことは、まさに、自分をいつくしみ、大切にすることなのです。

 

5.「自分を信じる」ための条件なんかいらない

「○○をやり遂げたから自分を信じられる」「○○ができるから自分を信じられる」「○○ができれば自分を信じられる」など、自分を信じるために条件が必要であるかのうような思い込みがありますが、それは誤解です。

信じられる自分になる必要なんかありません。すでに十分に信頼に値する自分なのですから。信頼に値しないのは、自分自身なのではなく、自分を裁くものさしです。

人を裁く評価基準にいったい何の権威があるのでしょうか?

いったい何の権威があって、良いだの悪いだのと評価を下せるのでしょうか?

評価基準に従ったならば、本当によき人生を歩めるのでしょうか?

たいていの場合、人を測る物差しは、個人のニーズではなく、社会のニーズ、権力者のニーズであり、人が人らしく力強く生きることを目的としたルールと言うよりは、人を支配、コントロールするためのテクノロジーです。

そんなものに個人の人生を支配されてはいけません。人は、他の権威に従うのではなく、自分のこころざしに従うべきなのです。自分を愛するために、自分を変える必要なんかありません。自分を信じるための条件なんかありません。そのままで十分に尊く、かけがえのない大切な存在なのです。

「あなたは、この世に望まれてきた大切な人。

あなたがなんであり、どこの国の人であろうと、

金持ちの人であろうと、貧乏であろうと、それは問題ありません。

あなたは、同じ神様がおつくりになった、同じ神様のこどもです。」   マザーテレサ

マザーテレサの言葉通り、人の存在は、尊くかけがえのないものだといえましょう。

そんな存在を大切にすることの、どこがいけないのでしょうか?

私たちは、難しいことを考える前に、まずは肩の力を抜いて、自分自身を信じ、大切にするべきなのではないでしょうか。

冷たく攻撃的な皮肉屋たちの言葉に惑わされてはいけません。毒のある信念をうのみにして勘違いの人生を生きるべきではありません。

堂々と自分を大切にし、愛し、信じ、力強く生きようではありませんか。

 

<関連記事>

自尊心を回復するための方法①自尊心の回復が全てを変える

自尊心を回復するための方法②自灯明法灯明

自尊心を回復するための方法③誤解を解く

自尊心を回復するための方法②自灯明法灯明

 「自灯明、法灯明」

 お釈迦様が入滅される直前に弟子たちに伝えられた教えと言われています。

 「他を頼るのではなく、自らを頼りとしなさい。自然(真理)の法を頼りとしなさい。」という意味だと私は解釈しています。

 自尊心を回復するための方法を考える際に、真っ先に指針とすべき言葉なんだろうと私は思っています。自分を大切だと思うために他を当てにすべきではないと考えているからです。

 もし、自分自身を大切だと思うために、他人の称賛が必要だとしたら、その人は、他人の称賛に依存して生きなければいけません。他人の称賛だけではなく、優しさや愛情にしても同じです。

 また、豊かな資産があるからこそ自分の尊さを実感できるという人は、自分の価値を認識するために豊かな資産に依存することになります。資産だけではなく、地位や名誉、権威やお金にしても同じです。

 さらに、自分のアイデンティティを国家や宗教、理想的な人物に委ねるとしたならば、自分を信じて生きるのではなく、外部の権威を笠に着て生きることになり、依存的な生き方となってしまいます。

 自分の価値を実感するために、他人の働きかけや他の権威、力に依存すると、それが得られているときには、比較的安定していられるでしょうが、減少し、欠乏感を感じ始めたら、自分自身が無価値であるように感じてしまい、大変な苦痛を体験することになってしまうでしょう。

 自分を癒し、自尊心を回復するコントロールセンターは、自分自身の内面にあるべきです。

 コントロールセンターが、自分自身にないとしたら、それは、外部にあるということであり、結果的に外部のパワーに自分自身が支配されることになってしまうでしょう。そのような生き方は、決して自尊心に裏付けされた自分らしい生き方とは言えません。

 自分らしく力強く生きようとこころざした場合には、まずは、自分自身に依って立つという覚悟が必要です。自尊心を回復しようとこころざした場合には、まずは、一切の依存心を手放し、自分で何とかしようとする覚悟が必要なんだろうと思います。

 これは、かつて体験した不条理、過酷な痛み、悲惨な体験においても同じなのだろうと思います。そのような心の傷があるからこそ自尊心を損なってしまい、回復できないという状況においても同じことが言えるのだろうと私は思います。

 かつて自分に仇をなした他者に謝罪してもらう、自分を傷つけた奴に報復し痛い思いをさせる、愛されなかったことによって空いた心の空虚さを誰かの愛で埋める、・・・、

 もし本当に意義のある自尊心の回復を図ろうとする場合は、過去のトラウマをいやすために他を頼ろうとするあらゆる企図を放棄する必要があるでしょう。

 なぜならば、そのような試みは、まさに、他者依存の混迷を深めると同時に、例え実現できたとしても、本質的な心の痛みは癒えることはないからです。

 たいていの場合、心の中には、痛みが先に存在しており、さまざまな出来事は、その痛みを顕在意識で体験していくためのトリガーにすぎないからです。

 また、心の中にある痛みは、他者から植えつけられたのではなく、自らが受け入れたからこそ存在しているのであって、痛みが自分の内面に存在することの責任を他人に押し付けるのではなく、自分ですべてを引き受けなければなりません。

 そして、自分の内面の傷を癒し、手放すことができる人は、自分だけであり、自らの意志と努力によって、自分の内面を健全化する必要があるのです。

 逆に言えば、人には、自分自身を癒すための十分な力があるのだろうと思います。

 仏教では、「人は、生まれながらにして仏である」とも言われています。

 人の内面には、自らを浄化し、自由に生きるための十分な力が、生まれながらにして宿っているということなんだろうと私は思います。

 自尊心を回復するために必要なことは、まず第一に、そうした、自分の内面にある力を拠り所とするのだという覚悟なのだろうと言えるでしょう。

 

<関連記事>

自尊心を回復するための方法①自尊心の回復が全てを変える

自尊心を回復するための方法②自灯明法灯明

自尊心を回復するための方法③誤解を解く