「こころみるというのは、一度でうまくいくことを期待しないということだ。
科学者が行う実験と同じで、それは、行動の結果から学ぶことが中心となる行為なのだ。」
『チームが機能するということはどういうことか』エイミー.C.エドモンドソン 英治出版
「こころみるというのは、一度でうまくいくことを期待しないということだ。
科学者が行う実験と同じで、それは、行動の結果から学ぶことが中心となる行為なのだ。」
『チームが機能するということはどういうことか』エイミー.C.エドモンドソン 英治出版
自尊心をもって人と関わるために必要な指針、考え方のヒントを以下、記していきます。
1.隠さない、ごまかさない
自尊心が欠如している人は、みっともないところもあり、カッコ悪いところもある自分を受け入れることができません。ですから、他人に自分のそういう欠点や弱さやを知られないように、隠し、ごまかし、内面をさとられないように懸命な努力を続けるのです。
人は、相手の完璧さなんて求めていません。完璧さを求めるのは、一切の非難される要素をなくしたいというエゴの恐怖感であって、すでに与えられたもので満足できない傲慢さからくるものです。
自分にダメな部分があったっていいじゃないですか。人間存在には、欠点がつきものだし、失敗から学ばなければならない未熟さもつきものです。そもそも、完璧ではない条件の中であっても一生懸命に頑張るあなたが、かっこいいのですから。
また、自分の内面で感じる痛みや欠点は、人類すべてが感じている痛み、問題と言えます。自分のそれを否定してしまったら、相手のそれも受け入れることができなくなってしまう。受け入れあい、信頼しあうことができなくなってしまいます。
ありのままの自分に自尊心を持つことが大切です。例え醜さがあったとしても、現在の自分の姿は、一生懸命にサバイバルしてきた結果としての在り方であり、事情があるのです。そんな事情を受け止めて、理解してあげることが大切です。もしそれが気に入らないとしても、すでに起こってしまっていることは、いったん受け止めなければ、理解もできないし、変えようがありません。
あれがないこれがないと、すでに受け取っているものに文句ばかり言ってはいけません。そうした不満は、今のあなたの輝きを曇らせてしまう雨雲のようなものです。
あれがあれば自信を持てる、これがあればもっと前向きになれるなどとけち臭いことを言ってはいけません。今あるものにひとまず感謝することが大切です。
自分を嫌うことで見えなくなってしまった自分の魅力がどれほどなものなのかを知ったら、きっと誰もが驚くはずです。人はたいていの場合、自分で思っている以上の存在です。ありのままの自分を受け入れ、愛し、信頼することを通して、隠されている自分自身の秘密、偉大なる可能性が開示されてくるものです。その第一歩として、自分を隠さず、ごまかさず、ありのままを理解し、受け止めてみましょう。
また、自尊心が損なわれている場合は、人の話に耳を傾けることができません。
自分は弱く脅威にさらされていると思い込んでいる人は、他人からの働き掛けを脅威や攻撃ととらえてしまう癖がついています。ですから、相手の語る言葉を、ありのままに受け止めることができずに、驚くほど歪曲して、受け止めてしてしまう傾向が強くなります。
どこかに悪意、悪巧み、罠があるのではと疑ってしまい、常に過剰防衛の姿勢で人と向き合ってしまうので、健全な関係性が育みづらくなってしまうのです。
自分の本質は醜く、愛されるはずがないと思い込んでいる人は、他人からの優しさや愛情を素直に受け止めることができません。その愛情は、自分の表面的な演技の反応からくるものと解釈しているので、いつか自分の本質がばれたら、嫌われるに違いないと思い込んでいるのです。ですから、人と落ち着いてじっくりと深くかかわる、正直に誠実に向き合うということができずに、豊かで生き生きとした人間関係を育むことが、非常に困難となってしまうのです。
自分の内面は崩れやすくもろいものだと思い込んでいる人は、他人の考えを受け入れると、自分を見失ってしまうのではないかと言う恐怖があるので、他人の意見に耳を傾けることができません。他人を快く受け止めるだけの度量がないのです。
こうして、自尊心が損なわれている人は、人の話に耳を傾けることが難しくなり、また、前述のとおり、話すことにも苦手意識が強くなってしまうので、コミュニケーションの問題を多く抱えてしまうことになり、健全な人間関係が育みづらくなってしまいます。
自尊心とは、現状のありのままの自分を尊いと思える魂の健全さのことであり、傲慢さや自惚れとは違います。
傲慢さや自惚れは、自分の本質が、醜く愚かで劣っていると思い込んでいるので、それを隠そうとしたり、否定しようとするが故の無理=劣等感から起こる態度であって、決して健全な自信からくるものではありません。
一方、自尊心は、不完全で欠点のある自分を嫌わずに、そのまま受け入れて、発展途上の自分を、それで良しとすることができるので、自分のありのままを隠そうとしたり、ごまかそうとする必要がありません。
健全な自尊心は、さまざまな病理や心の病を防衛する強力な免疫力ともなり、前向きな生き方、チャレンジ精神、たくましく粘り強い態度の原点となるとも言われております。
その意味での自尊心は、人間関係やコミュニケーションにも大きく影響を及ぼします。
このシリーズでは、自尊心とコミュニケーションの問題に焦点を当てて、その原因と改善方法を探求していきたいと思います。
1.自尊心と話す力
自尊心が欠如していると、相手に語ることができません。
自分に価値を見いだせない人は、自分の内面でひらめいたアイデアや考えに価値があるとは思えません。ですから、それをあえて他人に伝える必要性も感じないし、他人に馬鹿にされたり否定されたりする可能性を乗り越えてまで話そうとする勇気が湧いてきません。
自分がつまらなく意味のない存在だと思い込んでいる人は、他人に話しかけることができません。「こんなダメな自分と話すことは、相手にとって、時間の無駄遣いである」と罪悪感を感じてしまうのです。ですから、時には、あたりまえな挨拶、日常会話に事欠くようになり、最低限な報告や相談、メールの返信、連絡すらまともにすることができなくなってしまうのです。
一方で、相手は、本人が、そんな悩みを抱えているとは全く分かっていませんので、当然あるべき報告や連絡をしてこない理由がわからず、悪意があるのでは?嫌って避けているのでは?などと誤解されてしまうことが多く、後々の人間関係に悪影響を及ぼしていくことになるのです。
ナルシストと言う言葉があり、自分を愛することがいけないことであり、自分を大切にすることに抵抗感を持っている人も多いと思いますが、それは、誤解です。
確かに、自己愛性パーソナリティ障害と言う病気があり、本人や周囲が苦しまれているケースも事実としてありますが、自己愛性パーソナリティ障害とは、自分を愛する病気ではありません。それは、むしろ、自分自身を愛せない病気なのです。
自己愛性パーソナリティ障害とは、ありのままの自分を愛することができない病です。
長所もあれば欠点もあり、おっちょこちょいでカッコ悪いところも有り、人より劣っているところもある、そんな等身大の自分自身に満足できずに、一切の欠点と劣等性を否定し、自分にはそんなものはないと思い込み、優れて特別で力ある無敵の自分という幻想を信じ執着する病であって、決して自己信頼からくるものではないのです。
自己愛性パーソナリティ障害の人たちは、心の奥底で、自分の本質が、弱弱しく、醜いものではないかと恐れています、と言うか、そういう呪いを真実だと信じ込んでしまっているのです。
しかし、そうした情けなくて醜い(と思い込んでいる)自分である限り、人からは愛されないし、受け入れられないと恐れており、常に誰かに評価されるような自分でなければいけないと思い込んでいます。
だから、無理をしたり背伸びをしたりしてすごい自分を見せつけようとするし、逆にそうではない可能性を示すであろう自分の欠点の一切を受け入れることができません。だから、誰にでもあるような弱さや愚かさ、失敗やみじめさなどの一切を、自分には無い、もしくは自分の責任ではないと言い切り、完全無欠、ないしは無罪のふりをし、ありもしない完璧なキャラクターを演じることになります。
ですから、ナルシズムは、自信ではなく劣等感に由来するのだといえましょう。
ナルシスが愛したものは、きらきらする美しい水面に映った幻想的な外面であって、ありのままの全体ではありません。自己愛が愛しているのは幻想であって現実ではないのです。
一方で、自尊心とは、ありのままの自分を愛するということ、等身大の人間としての自分を受け入れるということ、発展途上の自分を信じるということです。
自分自身に欠点があることを知っており、それを受け入れているので、ことさら自分の弱さを人にばれないように強がる必要はありません。
自分の問題の責任を自分で引き受けており、それを人のせいにしようとはしないので、ことさら被害者ぶって自分の無罪や不幸ぶりを主張する必要もありません。
発展途上の自分を信じており、自分のありのままの姿、気高い面も愚かしい面もありのままに受け入れており、それが醜いとは思っていないので、隠したりうそをつく必要もありません。
健全な自尊心を持つことができている人は、無理して背伸びする必要もなければ、人に良く見てもらおうと意気込んで肩に力が入ることもありません。明るく正直でオープンであり、そこには暗さや病が付け入るすきはありません。
だから、自尊心は、美徳なのであり、持つべきなのだといえましょう。
「生まれてきてよかった。」
「何とかなる。大丈夫。」
「自分の人生も捨てたものではない。」
「道は開ける。」
そう思えるからこそ、自分らしく力強く輝かしい生き方ができるのではないでしょうか。
人は確かに欠点がある完璧では無い存在ですが、断じて無力ではありません。たとえ困難な人生でも生き抜く十分な力量を持っている存在であり、その可能性は、今の想像をはるかに超えて大きいのだと思います。
時に人生は過酷であり、激怒、悲嘆、絶望の極みを体験するかもしれませんが、だからと言って自分を呪う必要はありません。
勇者の人生には、ドラゴンがつきものであり、困難が過酷であればあるほど、勇者は強く偉大に成長していくものです。
そんな成長のプロセスにある自分自身を大切にして、堂々と生きることが自尊心なのだと言えましょう。
自己否定、自己嫌悪の罠に惑わされるべきではありません。完全無欠の非の打ちどころのない存在になんかなる必要もありません。あなたはあなたのままで大丈夫。欠点がありながらも一生懸命に過酷な人生に立ち向かっているあなたがカッコいいのですから。
そんな自分を信じて、自尊心をもって堂々と生きようではありませんか。
「とても単純で、素朴で、しごくあたりまえのことのようであるけれど、これを感じ体得するのは容易なことではない。だからこそ進歩が必要となってくるんだ。進歩とは、愛により近づいていくということを意味しているんだ。最も進歩したひとが、より崇高な愛を体験し、より深い愛を表現するんだ。ほんとうの人間の大きさとは、ただ、そのひとの愛の度数によって決定されるんだよ・・・」
「アミ 小さな宇宙人」エンリケバリオス著 より抜粋
平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明する。
優秀な教師はやってみせる。
しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。
ウィリアム・ウォード(教育学者)
人にものを教えることはできない。
みずから気づく手助けができるだけだ。
ガリレオ・ガリレイ
教育は科学であってはならない。
それは芸術でなければならないのだ。
ルドルフ・シュタイナー
教えることのできない子供というものはない。
あるのは子供達にうまく教えられない学校と教師だけである。
M.J.アドラー
自尊心は、その根拠となる条件を要求しない。
人は、生まれながらにして尊い存在であり、
たぐいまれなるユニークな存在であり、
無限の可能性を持った存在であり、
愛し、愛されるべき存在である。
だから、自信を持つために必要な能力もなければ、
愛されるために必要な条件もない。
愛されるための条件を要求してくるものは、傲慢さである。
傲慢さは、自分と言う与えられたすばらしいプレゼントに満足せず、あれこれとケチをつけるのだ。
傲慢さは、内面の調和がとれた平和な世界にたくさんの境界線を引き、分離、差別、葛藤をもたらす。
傲慢さは、受け入れ、愛し合う代わりに、距離を置き、遠くから操作する。
傲慢さは、愛し称賛する代わりに、けなし、できもしない要求を押し付けるのだ。
自尊心は、信頼に由来するのに対して、
傲慢さは、恐怖に由来する。
自尊心は、喜びに基づくのに対して、
傲慢さは、痛みに基づく。
自尊心は、中心軸に在るのに対して、
傲慢さは、周辺に点在する。
だから、自尊心と傲慢さは、似て非なるものである。
さながら、自尊心は蝶であるのに対して、
傲慢さは、蛾のようだ。
あり方の基軸を傲慢さではなく自尊心に置こう。
夜の世界を蛾のようにさまようのではなく、
蝶のように明るく軽やかに自由に飛び回ろう。
もともと人はそういう存在であり、
そうできない理由も、そうあるための条件もないのだから。
従来から、自尊心の重要性をテーマとする動画をyoutubeにアップしておりますが、映像が暗かったりなど問題があったので、改めて撮影をし直して作成し、本日総入れ替えをしました。
「自尊心の重要性」をテーマとする講義は、通常は、企業研修や大学での講義でお話をさせていただいていておりますが、そうした場に出てこれない方々にも聞いてもらえたらと言う願いを込めて、動画を作成し発表をさせていただきました。
動画は、全部で4部構成で、概要は以下の通りです。
【動画「自尊心の重要性」概要】
その1 自尊心とその影響
その2 自尊心とプライドの違い
その3 日本における自尊心の現状
その4 自尊心と生き方
以下、リンクを張っていきますので、ぜひご覧ください。
こうした情報が、多くの共感いただける方々に届き、勇気の輪が広がっていくことを願っております。
【動画「自尊心の重要性」】
①自尊心とその影響
②自尊心とプライドの違い
③日本における自尊心の現状
④自尊心と生き方
この動画が、多くの方々の元気と勇気を応援できますように!
<関連書籍>
・電子書籍「自尊心の重要性」
体験学習に関する小講義動画を公開しました。
弊社なりの体験学習についての理解を説明させていただいております。