自尊心は、その根拠となる条件を要求しない。
人は、生まれながらにして尊い存在であり、
たぐいまれなるユニークな存在であり、
無限の可能性を持った存在であり、
愛し、愛されるべき存在である。
だから、自信を持つために必要な能力もなければ、
愛されるために必要な条件もない。
愛されるための条件を要求してくるものは、傲慢さである。
傲慢さは、自分と言う与えられたすばらしいプレゼントに満足せず、あれこれとケチをつけるのだ。
傲慢さは、内面の調和がとれた平和な世界にたくさんの境界線を引き、分離、差別、葛藤をもたらすのだ。
傲慢さは、受け入れ、愛し合う代わりに、距離を置き、遠くから操作するのだ。
傲慢さは、愛し称賛する代わりに、けなし、できもしない要求を押し付けるのだ。
自尊心は、信頼に由来するのに対して、
傲慢さは、恐怖に由来する。
自尊心は、喜びに基づくのに対して、
傲慢さは、痛みに基づく。
自尊心は、中心軸に在るのに対して、
傲慢さは、周辺に点在する。
だから、自尊心と傲慢さは、似て非なるものである。
さながら、自尊心は蝶であるのに対して、
傲慢さは、蛾のようだ。
あり方の基軸を傲慢さではなく自尊心に置こう。
夜の世界を蛾のようにさまようのではなく、
蝶のように明るく軽やかに自由に飛び回ろう。
もともと人はそういう存在であり、
そうできない理由も、そうあるための条件もないのだから。