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16人の勇者 12. ➉覇王

第12章 ➉覇王

覇王は、力とテクノロジーによって世界を統一しようとする覇者です。
科学・制度・技術を用いて世界規模の課題を解決しようと志します。

この混乱と無秩序に満ちた世界を、
暴力と搾取が横行し、人々が恐怖と苦悩の中で生きるこの社会を、
自らの力によって正さなければならないと確信しています。

覇王は、この世に真の平和をもたらせるのは、自分しかいないと信じています。

人々は弱く、迷い、欲望に流されます。
民主主義も、善意も、理想論も、結局は争いを止められません。
だからこそ、自分が持つ卓越した力とテクノロジーと支配構造で世界を統一し、秩序を打ち立てるしかない。
それが覇王の信念なのです。

覇王は非常に優秀です。
・数手先を読み、資源を大胆に集中させ、一気に勝負を決めます。
・群を抜いた科学技術やハイテクで多くの問題を予見し、解決します。
・わずかな違和感も見逃さず、裏切りの芽は徹底的に摘み取ります。
・誰も下せない決断を恐れることなく下し、圧倒的な実行力で現実を変えます。
・敗北から学び、決して諦めず、何度でも立ち上がり、逆襲します。
・人の能力を見抜き、適材適所に配置し、巨大な組織を自在に動かします。
・国家や企業、文明全体を俯瞰し、長期的な戦略を描きます。

だから、人は従います。
だから、巨大な組織が生まれます。
だから、国は豊かになり、秩序は保たれ、栄華を極めるのです。

しかし、そんな完璧に見える覇王にも、誰にも見せることのない弱さがあります。
それは、自分の弱さを認められないこと、ありのままの自分で人と向き合えないことです。
覇王は世界を征服しようとします。
しかし本当に征服したいのは、誰にも知られたくない自分自身の弱さなのかもしれません。
その隠された傷を起点として、覇王という壮大なドラマが展開されていくことになります。

⑴光の側面
覇王は、圧倒的な統率力を持っています。

巨大な組織をまとめ、国家を動かし、歴史を変え、文明を築く力を持っています。
その決断は速く、意志は金剛のように強く、迷いはなく、困難から逃げません。
誰も決められないことを決め、誰も背負えない責任を背負います。

覇王は混乱を嫌います。
秩序を築き、資源を集め、技術を発展させ、巨大な国家や企業を築き上げます。
未来を先取りした科学技術で、魔法のように現実を分析し、劇的に変えます。
その力は、他を凌駕して、圧倒的です。

覇王の権力の源泉は、圧倒的な力(武力、科学力、ハイテク、技術力、財力、能力、…)です。
彼が用いるのは単なる暴力ではなく、「予測可能で合理的なテクノロジー」でもあります。
それによって数手先を読み、資源を集中させ、実際に国を豊かにし、無秩序を排していく。
巨大なものを分割し、扱いやすい単位へと再編したうえで統治します。

敵と味方。身内と外様。上と下。さまざまな境界を設け、それぞれに役割と権限を与え、互いに監視し、牽制し、調整し合う仕組みを築きます。

そうすることで、一人の人間では決して成し得ない巨大な国家や組織を統治することができるのです。
その威厳の前では、多くの人が畏れ、頭をたれて従います。
世界は統一され、秩序が生まれ、繁栄が訪れるのです。

⑵ 影の側面
覇王は、あらゆる手段を弄して人心を、そして未来をマネジメントしようと試みます。
・プロパガンダ、宣伝広告、マーケティング、ブランド戦略…。
・情報収集、情報統制、教育、法律、ルール設定、買収と企業統治、…。
持てる力やテクノロジーの全てを駆使して、世論を誘導し、自分がそう思ってほしいように人々が思ってもらえるように巧妙に操作します。
不確実性を完全に排除するために、人間の心さえもデータやアルゴリズムのようにマネジメントしようと試み、意図的にヒットやムーブメント、“はやりすたりを作っていくのです。

理想を定め、計画を練って実践し、現実を変えていく…。マネジメントは、世界の不確実性に対処するための唯一の本質的な手段であり、未来を拓こうとする者たちにとっての必要なツールですが、扱い方によっては、危険な武器ともなります。

人身のぬくもりを失い、良心を失ったマネジメントは、時に冷たく、残酷で、支配操作的です。
なりふり構わない、時に悪意を隠さない、法的な問題だけがその制約となるような、時に法的に問題が起こる危険性をもいとわない操作的な方法は、もはやマネジメントとは言えません。
それは、陰謀であり、謀略であり、人を穴に陥れる悪意のある罠です。
それは、詐欺的であり、暴力的であり、犯罪的です。
それは、人の心を貶める呪いであり、洗脳であり、黒魔術になり果ててしまうのです。

また、覇王は、自分自身の力に酔い、コントロールできない存在が許せなくなります。
天地自然の不確実性、時代の流れ、世界で起こる出来事をも自分の都合で操ろうとする。
まさに覇王のエゴは肥大し、神をも目指すようになってしまうのです。
こうなるともはや覇王は覇王ではなく、最も守るべきものであった人間性を失い始め、堕天使へと堕落してしまうことになります。

⑶ 恐れるもの
覇王が恐れるものは、無秩序、制御不能、そして停滞です。

覇王は、世界をより良くしたいと願っています。だからこそ、混乱を嫌い、秩序を築こうとします。責任を果たすために、あらゆる状況を把握し、制御しようとします。そして、停滞こそが敗北の始まりと恐れ、改革と成長を推し進めます。

しかし、この恐れが強くなりすぎると、秩序は管理へ、管理は支配へと変わります。本来、人々を守るために築いた体制が、人々を縛る檻になってしまうのです。

また、覇王の欠点は、心を開けない事、正直になれない事、愛してると決して言えない事でもあります。
覇王は、世界を支配し、人を動かし、完璧なまでの強さを得ることができた存在ですが、そういう存在に値しない自分であることを一番よく知っているのは自分です。
実は、覇王は、自分には自信がないのです。自分の心を支配することはできないし、心の中の敵を滅することもできないし、絶望を拭い去ることもできません。
正直に語り、抱きしめ合うことは、鎧をまとった覇王には不可能であり、かといって、愛されたいという渇望は決してなくなることはありません。愛し愛されたい心の飢餓を脅しと暴力で押し殺して、強さに邁進することによって忘れようとするのです。
実は、覇王は、権力や武力、財力をはぎ取ったら、ひそかに見下し、さげすんでいた下々の者たちと何も変わりがないことを知っており、それが暴露されてしまう事を最も恐れているのです。

人が手に入れることができないほどの権力と富を得た覇王ですが、その代償として、人として最も大切な成長を封印してしまってきたのです。

覇王は、心を開くことができません。
弱音を吐けません。
助けを求められません。
涙を見せられません。

脅すことはできても、「ありがとう。」が言えません。
そして、「大っ嫌いだ」とは言えても、「愛している。」の一言だけは、どうしても口にできないのです。
「私も愛している」と言ってくれる可能性は極めて低く、そして愛は、支配では得られないことを知っているからです。

だから覇王は、愛されるより、恐れられることを望みます。
尊敬されるより、服従されることを望みます。
信頼するより、支配することを望みます。
覇王は、愛よりも恐怖を人生の基軸として選んだのです。

しかし、恐怖によって得られるのは、忠誠ではありません。
沈黙であり、服従であり、諦めです。
人は命令には従っても、心までは差し出しません。

覇王は世界を征服することはできます。
しかし、一人の人間の心を命令で愛させることはできないのです。

⑷ 課題
覇王の課題は、さらに強くなることでも、権力を得ることでも、豊かになることでもありません。
それらの力は、有限であり、必ず頭打ちになるのが宿命です。

覇王の課題は、そうした偶像に頼るのではなく、真実に心を開くこと=自分自身を信じることです。
自分の中に愛し、愛される可能性があること、そして、愛は、実は恐怖とはくらべものにならないほどの偉大なる力が内在しているということに少しでも気づくことができたら、その時を境に、覇王の宇宙は劇的に変わっていくことでしょう。

自分のありのままを受け入れ、愛し、信じることができれば、自分の中の痛みや葛藤、恥や恐れ、自己嫌悪や絶望に光が入り、次第に闇が力を失い、平和を取り戻し始めます。
同時に、恐れとは異なる真の勇気、知恵、元気を取り戻し始め、その光は、徐々に覇王の帝国に反映し始めるはずです。

メンバーのハートは鼓動し始め、目の輝きが明るさを取り戻し、
分離感が癒され、心が開かれ、情熱と叡智が交流を始め、
現状の課題と問題点が、うそや隠し事、偏見を経ることなく、そのありのままが分かり、対処され始め、
今までは想像もしなかったような全く新しいアイデアや工夫が、 日常のあらゆる仕事の場面で創造され、実践されて、あっという間に現実が変わっていく。
結果的に、生産性と創造性は、想像を超えて高まり、奇跡的な成長を遂げていくことになるのです。

覇王が心を閉ざしたままでは、どれほど巨大な帝国を築いても、やがて内側から崩れていきます。愛なき組織は、早晩滅亡するからです。

覇王が、鎧を脱ぎ、鉾を納めて、一人の人間として心を開くことができた時、初めて本当の王への道が開けてくるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 11. ⑨武将

第11章 ⑨武将

武将は、人を率い、仲間を育て、組織を勝利へ導く勇者です。

戦士は、自ら戦います。
達人は、自らの技を極めます。
しかし、どれほど優れた戦士や達人であっても、一人で成し遂げられることには限界があります。
より大きな使命を果たすためには、多くの仲間と力を合わせなければなりません。
武将は、チームを作り、組織を束ねて、一丸となって未来を拓くのです。

武将は、自分が一番強ければよいとは考えません。
仲間一人ひとりの力を見抜き、それぞれが最も力を発揮できる場所へ導きます。
人を育て、人を信じ、人を生かし、組織全体を一つの生命体のように動かしていきます。
武将が目指すのは、自分一人の勝利ではありません。
仲間と共に勝利することなのです。

⑴ 光の側面
武将は、大局を見る人です。
目の前の一勝一敗ではなく、全体の流れを見ています。
目先の利益よりも、未来を考えます。
誰を育て、誰に任せ、誰を支えるべきかを見極めます。
武将は、自分が輝くことよりも、仲間が輝くことを喜びます。
仲間の成功を、自分の成功として受け止めることができます。
また武将は、責任を引き受ける人でもあります。
失敗すれば、自分の責任。
成功すれば、仲間の功績。
その姿勢が、人々の信頼を集めます。
武将の周りには、自然と優秀な人材が集まり、互いを高め合う強い組織が育っていくのです。

⑵ 影の側面
しかし武将にも影があります。
責任が重くなればなるほど、人を信じることが難しくなります。
失敗を恐れるあまり、すべてを自分で管理しようとします。
部下に任せられず、細かなことまで口を出すようになります。
やがて仲間は萎縮し、自ら考えなくなります。
また、成果への執着が強くなると、人を目的ではなく手段として見るようになります。
組織を守るためと言いながら、実は地位や権力を守っていることもあります。
さらに闇が深まると、武将は暴君へと堕ちます。
人を信頼できず、命令だけで人を動かし、恐怖によって組織を支配します。
仲間は協力者ではなく駒となり、組織は命を失ってしまいます。

⑶ 恐れるもの
武将が恐れるものは、敗北だけではありません。
仲間を失うことです。
自分の判断一つで、多くの人の人生が変わります。
だから武将は、決断する孤独を背負います。
間違えることを恐れます。
裏切られることを恐れます。
期待を裏切ることを恐れます。
その恐れが強くなりすぎると、人を信じることができなくなり、組織は次第に硬直していきます。
武将は、完全な確実性など存在しないことを受け入れ、それでも仲間を信じて決断する勇気を学ばなければなりません。

⑷ 課題
武将の課題は、勝ち続けることではありません。
仲間のために、自ら体を張ることです。
武将は、多くの部下を率い、大きな組織を動かします。
命令を下し、戦略を立て、組織を勝利へ導くこともできます。
しかし、それだけでは、人は心からついてきません。
人は、権威には従います。
しかし、愛する人のためには、自ら進んで命を懸けることができます。
真の武将は、自分の利益よりも部下を守ります。
自分の名誉よりも仲間の成長を喜びます。
そして、危険な時ほど、自ら最後尾ではなく先頭に立ちます。
部下に命を懸けることを求める前に、まず自らが部下のために命を懸ける覚悟を持つのです。
その姿を見た時、人は命令に従うのではありません。
心から信頼し、自らの意思でその人についていこうと決意するのです。

組織を支えるものは、権力ではありません。
制度でもありません。
まして恐怖でもありません。
組織を本当に支えるものは、愛です。
愛とは、甘やかすことではありません。
仲間の可能性を信じ、守り、育て、共に使命を果たそうとする覚悟です。

愛なき組織は、早晩滅亡します。一時は栄えることがあっても、決して永く栄えることはありません。仲間はもはや互いを信頼できなくなり、責任を押しつけ合い、挑戦を恐れ、やがて内側から崩れていきます。

反対に、愛ある組織は困難によって強くなります。
仲間は互いを支え合い、一人では到底成し遂げられない使命を共に実現していきます。
武将が、自らの勝利よりも仲間の命を大切にし、そのために自ら体を張ることができるようになった時、統率は支配から愛へと変わります。
その時、武将は、組織を率いる人から、人々に希望を与える存在へと成長します。
そして、武将は、自らの命を懸けて人々を守る覚悟をもった勇者への道を歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 10. ⑧達人

第10章 ⑧達人

 達人は、技を通して人格を磨き、人々の期待や想像をはるかに超える現実を創り出す創造者です。

 戦士は、目の前に立ちはだかる障害や壁にひるむことなく、自分の能力を高めることを通して強くなり、乗り越えます。しかし、戦士が強くなればなるほど、内面の悩みが多くなり、問題も多発します。新たに現れる敵もますます強くなり、外面の問題への対処を迫られます。
 また、問題解決能力が高まり、不確実でリスクが伴う戦いや挑戦に対しても勝利できるようになると、周囲の期待もより大きくなり、さらなる能力と責任を担う必要に迫られるようになります。戦士は、内面を見つめることによって人間的に成長を遂げ、さらに問題解決のスキル、職務遂行能力、専門的な技術をより高く磨くことを通して、多発するさまざまな問題に立ち向かうことになります。
 かくして、戦士は、達人へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 達人が成長するプロセスは、決して甘いものではありません。乗り越えなければならない壁も決して低くはありません。学問に王道が無いように、達人への近道はありません。達人が学ばなければならないことは、内外ともに無限であり、それも、数々の試練を通して体験的に学ばなければならないものであり、大きな苦痛も伴います。それは、まさに、過酷な道、修行なのです。

 内面的には、心の中の平和とセルフリーダーシップを取り戻すことによって、過度な緊張から解放されて、リラックスと集中のスキルを身につけます。リラックスは、弱いことでもだらしないことでもありません。それは最強最善のスキルであり、最も目的にかなった行動を、最も効果的なタイミングで、最も効率よく、最も最適な力で実行し、驚くような成果を出すことができます。
 但し、このリラックスのスキルを体得することは、容易ではありません。自分の中の平和を取り戻すためには、自分の中に存在している痛みや苦しみ、憎悪や悲嘆を癒やしていく必要があります。しかし、そうした痛みをもった小さな自分のパーツの数は無限であり、海を満たす水滴の数ほどあるのです。
 瞑想や内観を通して、自分の中の問題と向き合い、癒し、痛みのエネルギーを少しずつ開放していきます。しかし、それはカメの歩みのようにゆっくりであり、成果を出すためには根気と粘り強さが必要です。また、目に見える効果を実感できないので、こんなことを続けても何の役にも立たないのではないかという迷いが生まれますが、それを乗り越えるだけの強い信頼と意志が必要です。さらに、自分の中の痛みを見つめて行くことは、決して楽しいことではありません。体験した時と同じだけの痛みを再体験することも多く、その苦しさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
 達人は、このような過酷な試練の登山道を歩みます。着実に、一歩ずつ、時に疲労困憊し、倒れても、しばし休み、再び立ち上がり、前を向いて歩んでいきます。たとえ牛歩の歩みでも、着実な一歩は、目に見えないほどの着実な成長と変化をもたらします。数週間、数か月、数年という根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。次第に、苦痛と絶望は穏やかになり、気高く精妙なエネルギーに気づく感受性を取り戻し、みずみずしい生命の力強さと喜びを取り戻しながら、達人は、徐々に、リラックスと集中のスキルを体得し始めます。そして、うまくいくかどうかが分からない課題に対して、単なる成功を超えて、人の期待をはるかに超えるような驚くべき成功、まったく新しい現実を創造することができるのです。

 外面的には、自分が取り組む課題、芸術、仕事、芸道、武道、などのスキル高めるための方法をあらゆる角度から探求し、成長の計画を立てて、忠実に実践し、スキルを磨いていきます。徐々に腕を上げ、自分独自の方法を編み出し、誰も真似できない高度な専門性とスキルを身につけ、創造的で美しく、常人には真似できない達人の境地に至ります。

 但し、達人の境地に至る事は、容易ではありません。そのためには、身体的には、整った体と姿勢、鍛えられた筋力、強く揺るがない体幹、しなやかで無駄のない美しい身のこなしが必要です。 前述のリラックスと集中のスキルで磨かれた穏やかでパワフルな心も必要です。さらに、掃除などの人目につかない下積みの地道な仕事を続け完ぺきにこなす基礎力、気の遠くなるほどの繰り返し練習、人知れず重ねた努力、道を究めようとする情熱を通して磨き抜かれた技術も必要です。こうした心技体を体得することは、ラクダが針の穴を通るくらいに困難ですが、根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。
 次第に、自分独自の独特な手法や方法を編み出して奇跡を生み出す力を発揮できるようになります。その成功の秘訣は、独創的かつ特殊で秘伝的です。達人の真似をしたからと言って、同じように成功はできません。それは、余人をもって代えがたい、達人にしかできないことなのです。

 達人の作品は、どれも驚くべきものであり、依頼者は、期待以上の成果を手にすることができて、その作品に魅了され喜びます。こうして達人は、多くのファンに慕われるようになり、高い人望と絶大なる信頼が寄せられることになるのです。

 達人は、そのような修行のプロセスを通して、頼もしいパートナーや友人たちと出会うこともあります。その友人たちは、傷ついた子供や放浪者のころに出会った友人たちとは異なり、単なる遊び友達ではなく、仕事上の心強いパートナーとなります。達人は、新しい仲間、ソウルメイトたちと困難が多い修行の道を助け合って歩み、難しい仕事を協力し合って成功させていくことになります。こうして、達人は、表面的ではない深い信頼関係、絆を育む力を得ることもできるのです。達人が作り上げるチームは、まさに最強のチームであり、高度な専門家集団です。達人は、頼もしい仲間とともに、リーダーシップを発揮して、見事に困難なプロジェクトを成功に導いていくのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、達人は、一本気であり、わき目もふらずに一つのことを究めるので、視野が狭くなりがちです。もっと別の視点から見たならば、より良い解決策が見つかる可能性があるのに、自分の視野の狭さが邪魔をしてして、立ち位置を変えることに抵抗します。一芸を究めることは大切であり、それが差別化をもたらす源泉となりますが、その技だけで今後のあらゆる問題を解決できるとは限りません。技の陳腐化を防ぐためには、多様な視点からの探索と技術革新が必要であり、そのためにも、いわゆる“あそび”が必要なのです。一本気すぎて他を排除するのではなく、一見無関係に思えることであっても興味を持ち、見聞を広げる余裕が大事です。
 また、達人は、あまりにも真剣で、その意味で仕事の鬼であり、仕事ばかりに集中します。それは決して技を磨くという意味では悪いことではないのですが、睡眠時間や食事の時間、楽しい家族との対話、余暇の時間をないがしろにして仕事だけに取り組むことは、決して健康的とは言えません。それは仕事中毒であり、仕事に人生を依存している状態でもあります。バランスの良い生き方こそが、より高度な技につながることを鑑みても、ワークホリックではなく、人生の多様な側面を楽しむということはとても大切なことでしょう。

⑶ 恐れるもの
達人が恐れるものは、凡庸になること。技が衰えること。期待に応えられなくなることです。
だから練習し、努力し、改善します。
しかし、その恐れが強くなりすぎると、スランプとなり、当たり前にできていたことができなくなってしまうのです。
達人は、一旦スランプの隘路にはまってしまうと、創造ではなく、再現に走ります。
芸術は職人芸になり、仕事は作業になります。
そうして、創造のクオリテイは、達人の努力や意図とは正反対にどんどん鈍っていくことになります。
スランプの中の達人は、「努力は夢中に勝てない」の言葉を思い出す必要があります。
恐怖で委縮したありかたでは、決して達人技は機能しません、恐怖は、注意深さの源泉であり、成長への踏み台ですが、それに支配されてはいけません。
実は、自分の技は、自分が為すのではありません。自分の中のまだ十分には出会えていない偉大なる可能性が為すのです。そのためには、自分の中のロゴスを信じ、肩の力を抜いて、その働きに身を委ねる覚悟を学ぶのです。

⑷ 課題
達人の課題は、さらに努力することではありません。
遊び心を取り戻すことです。

遊びとは、怠けることではありません。
遊びとは、新しい視点を受け入れる余白、異なる世界に触れる勇気、未知を楽しむ心です。
その余白こそが、さらなる創造性を育てるのです。

そしてもう一つの課題は、人生の調和です。
達人は、本当に仕事一筋です。
時に、その真剣さゆえに、仕事だけが人生になってしまいます。
しかし、家族も、友人も、自然も、芸術も、休息もまた、人生を豊かにする大切な師です。
人生そのものを深く味わえるようになった時、技はさらに深まり、在り方もさらに成熟していきます。
達人は、もはや単なる技術者ではありません。
世界に存在しなかった価値を生み出す創造者なのです。

その創造力を未知の可能性へと向け、不可能を可能にする奇跡を生み出すならば、達人は魔法使いへの道を歩み始めます。
一方、その創造力を仲間や社会のために用い、人々を導き、困難な使命を成し遂げるならば、達人は勇者への道を歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 9. ⑦求道者

第9章 ⑦求道者

 求道者は、真理を探究する人です。

 職人は、自らの技を磨き続けます。
 知識を身につけ、経験を積み重ね、失敗を繰り返しながら、自分の専門性を高めていきます。
 しかし、ある時、大きな壁にぶつかっていることに気づくことになります。
・技術だけでは解決できない問題がある。
・努力だけでは届かない真実がある。
・同じ技術を使っても、人によって結果が違う。
・正しいことをしても、報われないことがある。

 そして職人は、技術では決して解くことのできない「答えのない問い」と出会うことになるのです。
・人は、なぜ苦しむのか。
・人は、なぜ間違えるのか。
・世界は、なぜこれほど矛盾と痛みに満ちているのか。
 職人は、その答えを探究する過程で、自分の技を磨くだけではなく、その技を支えている原理や法則、人間の本質、世界の真理そのものを知りたいと願うようになるります。

 こうして職人は、技を探究する者から、問いを探究する者となり、真理を探究する者である求道者へと変容を遂げるのです。

 求道者は、知識を集める人ではありません。真理を探究する人です。
 目に見える現象の奥にある法則、人間の心の仕組み、人生の意味、善と悪…。
 自由とは何か、愛とは何か、幸福とは何か…。
 求道者は、世界の本質を理解しようとします。

 求道者の探究は、真剣そのものです。
 書物を読み、科学を学び、心理学を学び、哲学を学び、宗教を学びます。
 山にこもり、瞑想を重ね、師を訪ね、寺院を巡り、旅をします。
 求道者は、容易には答えを手に入れることができない危険な問いを巡って、容赦ない修行を繰り広げていくのです。

⑴ 光の側面
 求道者は、問い続ける人です。
 安易な答えには飛びつきません。
 世間の常識をうのみにしません。
 権威だからといって信じません。
 自分自身の体験を大切にし、気付きを深め、徐々により精妙で豊かな感受性を身につけていきます。
 また、自分が間違っている可能性を受け入れる謙虚さも持っています。
 真実の前では、あらゆる自己欺瞞、こじつけやいいわけを決して許しません。
 自分の中の良心と言う厳格な基準に忠実なのです。

 だから求道者は、日々成長します。
 知識だけでなく、洞察を深めていくのです。
 出来事や存在を一面的にではなく、多元的多面的に理解できるようになり、認識に深みと広さが生まれてきます。いわゆる正見のスキルを身につけるようになります。

 ありのままをありのままに理解する。
 自分の願望を混ぜない。
 自分の恐れを投影しない。
 自分の都合で解釈しない。
 世界を世界のままに、人を人のままに、自分を自分のままに見る。
 その当たり前のようでいて最も難しい能力――正見を、求道者は問い続ける勇気を通して少しずつ身につけていくのです。

 また、正見とは、自他の分離をもとにした認識、分別や評価を慎むということでもあります。
 自が他を認識し、評価し、利用する。その当たり前の営みの背景にある“私が私だと思い込んでいた小さな防衛的で攻撃的な私”が、実は全体の私ではなかったことに気づき、距離を置き始めます。
 エゴを人格の中心から降ろした私は、しばし戸惑い、さまよいますが、エゴの自動認識に巻き込まれることなく、判断を保留して、静けさにとどまっていると、次第に、今までは他と思い込んできた領域を自分として体験できる視座が開けてきます。それは、共感を越えて自他不二の境地と言えます。

 正見とは、自が他を正しく見ると言うよりは、共感的、体験的に理解するということであり、それは、究極の調和、愛、一体感でもあります。

 そして、真の正見ができるようになる時、アイデンティティは、エゴにではなく、Selfにシフトし、もともと自分であった本来の自分が中心となる、王の帰還が実現するのです。

⑵ 影の側面

 人には、自分ではうまくコントロールができない、ままならないものが2つあります。
 一つは内面であり、一つは自分以外の世界です。
 求道者は、内面については、徹底的に探究を進めており、深い洞察を体得していますが、外側の世界の不確実性についてはいまだに苦手です。 外側の世界には、思いもよらない偶然、理屈では説明のできない奇跡もあれば、理不尽な苦悩、痛み、矛盾、うそ、搾取、暴力、など、光もあれば闇もあり、そのたいていのことは、自分のコントロールの範囲外で起こってきます。
 実は、求道者は、そうした外面の複雑性、不確実性が苦手なのです。
 求道者は、そうした外面の不確実性に対して、2つの対処をします。 一つ目は、「悪や複雑性の拒否」であり、もう一つは「ルール化」です。 こうした単純化とストイックさは、罠の多い精神世界を歩む上では、必要な武器と防具でもありますが、度が過ぎると、さまざまな機能不全となって現れてきます。

 まず、一つ目の「悪や複雑性の拒否」について、求道者は、ストイックに善を求めます。求道者はけがれることが嫌いなのです。
 しかし、現実は、もっともっと複雑で不確実で奥深く、シンプルではありません。 世の複雑性、不確実性に対処するためには、エゴが善と判断するものだけでは不十分です。
 エゴが悪として排除してきた衝動や感情、力も統合し、必要に応じて適切に用いる成熟さが求められます。
 怒りを知らない人は、不正に対して毅然と立ち向かえません。
 攻撃性を認めない人は、大切なものを守れません。
 権力を嫌悪する人は、組織を導く責任を果たせません。
 求道者は、善を求めるあまり、「善人」であろうとする罠に陥りやすくなります。 しかし、善人を演じることは成熟ではありません。 自分の中の悪を否定するほど、人はその悪に無自覚に支配されるようになるのです。
 自分の内にある善と悪の両方を見つめ、そのどちらにも支配されることなく、生かす道を探し続ける必要があります。
 影を否定することは成長ではありません。 影とは、排除すべき敵ではなく、セルフのもとで仕える力へと変容させるべき存在です。
 影を統合して初めて、人は世の複雑さや不確実さを受け止め、善悪を超えた成熟へと歩み始めるのです。

 二つ目の「ルール化」について、求道者は、きままで誘惑の多い外面の世界に対して、厳格なルールをもって自分の行動や組織の秩序を維持します。
 ルールは、トラブルを未然に防ぐ便利なツールであり、軸をもって生きる上での支えとなるものですが、扱い方を間違えると、強い副作用が出てくる劇薬となります。
 ルールはあくまでも手段であって、成長への踏み台ですが、それに権威を持たせて玉座に据えてしまうと、たちまち法的統治から転落し、教条主義、権威主義、原理主義となり、柔軟性のなさと狭量による厳格な罰則を強調し始めることになります。
 悪を排除しようとする人は、やがて複雑さそのものを排除しようとします。 その結果、人を理解することよりも、ルールを守らせることが目的になってしまうのです。
 自分たちが設定したルールを権威化して、自分の生活や生き方を一元的に例外を許さず厳格に律すると同時に、他者にも、そのような生き方を強制します。
 もし、ルールを少しでも踏み外したら、指摘し、裁き、罰を与えるのです。

 さらに、その傾向の度が過ぎると、求道者は、律法学者へと闇落ちすることになります。 律法学者は、すでに探究者ではなく権威者となってしまいます。
 律法学者は、世のため人のためと言いながら、正装して歩き、上席や上座を好み、やもめの家々を食いつぶし、その言い訳に長々と祈ります。
 人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしません。
 知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げます。
 真に聖なるものたちを、ルールにそぐわないと言って、魔女、罪人のレッテルを張って迫害するのです。
 そして、その時のルールは、もはや聖なる道ではありません。求道者の最も嫌うけがれの道となり、いつの間にか求道者は律法学者、魔女裁判官となり、悪の伝道者となってしまうのです。
 探求者は、こうした闇落ちの罠があることに十分注意をしなければなりません。自分の不完全さを受け入れる勇気、謙虚さ、共感、人の言葉に耳を傾けることができる節度、そして、自分の良心を決して裏切らない基軸を持つことが大切です。

⑶ 恐れるもの
 求道者が恐れることは、悟りと遠ざかることです。
求道者は、人間に本来そなわる本性を垣間見る見性を得ますが、その後も同様に、自由にその境地に入ることは容易ではありません。悟りは、睡眠と同じように、向こうからやってくるものであって、努力で呼び寄せられるものではないからです。
 むしろ、それを求めれば求めるほど、分離が強まり、境地は遠のいてしまいます。
 求道者は、悟りと遠ざかることを不安に思うあまり、儀式や方法、法具や経典などの偶像に依存することがあります。しかし、「形」に依存した瞬間、生きた真理=向こうからやってくる自然な流れは消え去り、残るのは人間が作り上げた「固直したルール」だけになります。
 不安や恐怖にたきつけられて、偶像や儀式、ルールに依存するその方法は、決して悟りに近づくやり方ではなく、むしろ、律法学者への転落の道でもあるので注意が必要です。

 また、求道者は、完ぺきではないこと、そこに少しでも影があること、間違いがあることを嫌うあまり、問題解決のための求道というよりは、理想主義や完璧主義の隘路にはまり、完璧な方法や、非の打ち所がない教えを求めることもあります。
 目的が問題解決から求道そのものに切り替わってしまうのです。理想を追求するあまり、次から次へと指導者や教えを巡り歩き、ジプシーを繰り広げることもあります。
 そうした探究が、最終的な真実との出あいにつながる可能性もありますが、時には、放浪者と同じように、本質的で見たくない問題から逃れるための言い訳となっている可能性もあります。あくまでも目的は、探究ではなく、真理に近づき真理を生きることであることを忘れてはいけません。

⑷ 課題
 求道者の課題は、真理を所有することではなく、真理に仕えることです。
 さらに多くの知識を得ることでも、さらに深い悟りを得ることでもありません。
 真理に仕えるとは、自分のエゴを、真理の前に静かにひざまずかせることです。
 自分の都合に合わせて真理を利用するのではなく、真理によって自分自身が変わっていくことです。
 求道者は、厳しい修行を経て、悟りを開き、自分自身を救うことができますが、本来の探究は、自分自身のみを救うことではありません。
 自らが得た智慧を、人の幸せのために用いること。
 それこそが、求道の使命なのです。
 真理は、自分一人のために存在するものではありません。
 人を照らし、人を生かし、人を幸せにするために存在するのです。

 求道者が、自分だけの悟りへの執着を手放し、真理に仕え、人に仕えようとした時、その探究は新たな段階へ入ります。
 真理を探す者は、やがて真理を生きる者となるのです。
 その時、真理は知識ではなく、生き方になります。
 そして、智慧は知識ではなく人格となり、求道者は、自分を救う存在から人を導く存在への道を歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる