ダイアローグに至る過程‐新しい時代のマネジメント⑤

第1ステップ 懸念の解消
人と人とが出会うと、必ず懸念(疑惑、不安)が発生しますが、コミュニケーションが徐々に活性化し、お互いの理解を深めることができれば、自然に解消され、信頼へと変容していきます。

第2ステップ フィードバックと自己開示
信頼関係が醸成されてくると、メンバー個々人の内面で感じていることが、次第にオープンとなっていきます。フィードバックは、相手に映った自分の姿を聴くことであり、自己開示は、今ここで体験している気持ちやアイデアをオープンにしていくことです。
フィードバックと自己開示が行われると、個々人のグループへの関わり方は、真剣でより誠実なものに変わり、お互いに向ける関心や、相互理解が桁違いにレベルアップしていきます。メンバーは、チームの一員であることをしっかりと受け止め、たとえ不快な問題があっても、その問題が、自分とは異なる対象と言うよりも、自分もその問題の一部であると感じるようになり、解決に向けて主体的で積極的、責任あるかかわり方をするようになります。

第3ステップ 認知バイアス(偏見)の解除
深く正確なコミュニケーションが行われるにつれて、内面に隠されていたメンバーの本音や真相に光が当たり、メンバーは、より本当のことを理解するようになります。そのようにして明らかになってきたありのままの現実を正確に認識できるようなると、自分の中で信じ込んでいたさまざまなことが、真実ではなく、単なる誤解であったり、思い込みであったり、偏見であることに気づいてくことになります。
また、自分の立場や価値観、信念を防衛する必要がなくなるので、次第にそれらに固執することが孤独と感じるようになり、こだわりを捨てて、謙虚にメンバーに耳を傾け、正味相手の立場に立って、相手の理解をすることができるようになります。

第4ステップ エネルギーの集中
物理学者デビッド・ボームは、自身の「ダイアローグと思考の研究」のなかで、ダイアローグの状態を超伝導に例えました。
超伝導とは、特殊な合金を冷却して行くと、ある低温下の温度で、電子が自由となり、全く抵抗がない状態となり、非常に大きなエネルギーを生み出すことが可能となる現象を言います。
まさに、ダイアローグは、個々人の潜在能力を開放し、チームが一丸となって、大きなエネルギーを発揮している状態といえましょう。ダイアローグにおいて、メンバーは自由でリラックスしており、お互いに人間としての深い関心が向けられており、発言内容はもちろんのこと、発言者の気持や意図、雰囲気にいたるまでありのままに理解することができるので、交流する情報や感情は、質量ともにけた違いにレベルアップします。話し合いのテーマに対しての深い集中がなされており、出てくるアイデアや企画も創造的で質の高いものになるのです。まさに、生産性や創造性の高い、ハイパフォーマンスな輝かしいチームといえましょう。

<体験学習の地平>
ダイアローグは、そのエネルギーと創造性を武器として、組織を活性化し、組織に決定的な競争優位性と成長力をもたらすでしょう。体験学習は、組織をダイアローグ型に変容する可能性を秘めた非常に優れた学習方法です。今後、その役割はますます重要となってくることでしょう。来るべき素晴らしい時代に向けて、人間性を大切に育む精神を脈々と伝えてきた体験学習が、ますます多くの人たちと組織に役立ち、未来を開く手助けとなることを願っております。

ダイアローグとは‐新しい時代のマネジメント④

「ダイアローグ」は、「対話」を意味する言葉ですが、組織論においては、質の高いコミュニケーション、非常に深い相互理解と柔軟で創造性に満ちたチームの関係性を指し示す言葉として使われており、組織の存続と成長をもたらすキーワードとして注目されてきている言葉でもあります。

 ダイアローグが社会心理学的な用語として使われ始めたのは、実存哲学者マーチン・ブーバーによる哲学書「我と汝」からと言われています。
 ブーバーによれば、私達の関係のあり方は、お互いに利用しあう関係の「我ーそれ」の関係と、お互いに心から全人的に関わる「我ー汝」の関係の2種類があり、後者の際に交わされる会話のあり方を「ダイアローグ(対話)」と呼んだのです。関係性が「我ーそれ」であった場合、もたらされる結果は、葛藤や戦いであり、「我ー汝」のダイアローグの関係であった場合には、相互理解と平和、そして本当の意味での成長がもたらされると考えました。

近年『学習する組織(Learning Organization)』と言う理論、考え方が、経営学において注目されています。もともとは、1970年代にハーバード大学の組織心理学者クリス・アージリスによって唱えられていた概念であり、現在では、マサチューセッツ工科大学のピーターセンゲ教授が中心となり、世界的に広く知られるようになってきています。

 この理論によると、組織の競争力を高め、持続的成長をもたらす最も重要なことは、自ら問題を発見し学習し解決をはかる主体的に成長する「学習する組織」の体質を作ることであり、ダイアローグは、そのような組織を作るための重要なツールとなるとされています。

 体験学習は、コミュニケーションスキルの向上、チームビルディングをもたらす非常に優れた教育メソッドであり、組織をダイアローグ型に変容し、組織のもともと持っている素晴らしい力と可能性を引き出す強力な実践ツールです。
 私は、体験学習を通して、組織をダイアローグ型に変容していくことが可能であり、その際には、以下のステップに従って成長を遂げていくと考えています。

日本のマネジメントの現状‐新しい時代のマネジメント③

日本におけるマネジメントの現状を理解するうえで、2005年3月に実施された、米国調査会社ギャラップによる「職場への帰属意識や仕事への熱意」に関する意識調査が参考になるのでご紹介しましょう。
 調査は、2005年の3月に電話番号から無作為に選んだ千人を対象に実施され、03~04年にすでに実施されていた他国の同様の調査データと合わせると、14カ国の仕事や帰属意識に関する意識を比較、分析することができました。調査結果によると、日本人の仕事に対する忠誠心や熱意は、「非常にある」9%、「あまりない」67%、「まったくない」24%となりました。そして「非常にある」の9%は、調査した14カ国のうち、シンガポールに並んで最低であり、最も高い米国(29%)の3分の1以下だったことが分かったのです。
 このデータによると、日本人の多くが、職場に反感や不満を感じており、会社に対する満足度は、世界の中でも最低クラスであると言えましょう。

 私は、ES(従業員満足)が、企業の成長と存続にとってきわめて重要な要素であると考えております。よく、企業戦略の柱として、多くの企業でCS(顧客満足)を訴えていますが、私は、顧客満足主義を主張する大前提として、働く従業員が仕事や職場に満足し、自信と誇りをもって仕事に従事できている必要があると考えているのです。
 そのような視点から考えると、この調査データは、最近の日本の経営に何か大きな間違いがあることを証明しているのではないでしょうか。もちろん、従業員の問題もあるだろうとは思いますが、謙虚に、自分たちのマネジメントの方向性、施策、哲学をもう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

 米国心理学者M.セリグマンは、「学習性無力感」の理論の中で、不快なショックと報酬(あめとムチ)によって動物を教育しようとしたところ、動物は決して学習成長することなく、逆に無気力となり、うつ状態になってしまった実験を報告しています。「学習によって無力になる」とは、何と皮肉なことでしょう。私たちも知らず知らずのうちに他者にハッパをかけてコントロールしようと働きかけることを通して、うつを生み出してしまっているのかも知れません。自らに厳しく問い直す必要があるといえましょう。
 人は、自分らしく輝いているときには、想像もつかないような大きな仕事をやり遂げる力がありますが、うつ状態に陥れば、考えられないような失敗や問題行動を起こしてしまう危険性もあります。
 厳罰によって従業員の行動を管理しようとしたマネジメントが、大惨事を招いた事例は、枚挙に暇がありません。

 前述の「メガトレンド2010」の中において、弱肉強食で、適者生存が謳われる市場至上主義の米国であっても、単なる取引や契約で働くのではなく、情熱や信頼、愛社精神を持って働いてもらうことが組織の存続や成長に絶対不可欠であることを理解し、その対策をとっている企業こそが高い成長と収益を遂げている事例がたくさん紹介されています。
 日本の企業も、いつまでも、旧時代の遺物であるあめとムチによるマネジメントにしがみついてはいけません。今こそ、もともとあった日本のよきスピリットを生かし、信頼と情熱に基づいた、明るさと楽しさと冒険に満ちた経営に切り替えていく必要があります。
 人は、本気を出せば、本当にすごいことができるものです。その可能性と潜在性を信じて、人を大切にする、お互いに理解を深め合い、協力し合える体制を作っていくことが大切なのではないでしょうか。
 私は、来る「意識の高い資本主義」の時代に、この協力し合える体制作り、チーム作りが最も重要な経営課題の一つとなると考えています。またそのような素晴らしいチームを作るための重要なキーワードが、「ダイアローグ」であると考えております。

B動機とD動機‐新しい時代のマネジメント②

 時代の大きな変化に伴い、日常のマネジメントの考え方も変わっていく必要に迫られています。来るべき時代のマネジメントは、どのように変わっていくべきなのでしょうか。
 そのヒントになる考え方として、社会心理学者マズローは、一つの提言をしています。

 マズローによると、人が行動を起こす動機は、大きくD動機とB動機に分類できるとされています。
 D動機とは、欠乏動機の意味であり、「自分には、何かが足りない」と認識している人が「足りない何かを満たさなければならない」と思い、自分以外の何かを求めてそれを得ようとする欲求を言います。それは、恐怖や不安に基づく動機でもあり、「そうしないと怖いからする」といった焚き付けられるような渇望ともいえましょう。
 一方、B動機とは、Be(存在、実存)から来る動機であり、自分自身の内面にある価値を表現していきたいと願う自己実現の欲求であるとされています。B動機は、欠乏動機を追い求めることではなく、むしろそこから脱して自由となった人に訪れる欲求であり、「本当にそうしたいからする」といったシンプルで自然な欲求であり、健全なチャレンジ精神の根源ともなるので、その人の本来の潜在的な可能性とも言える動機ともいえます。

 マズローは、従来の経営管理は、人のD動機に働きかけて、コントロールしようとする権威主義的なものが多く、その方法は、次第に機能しなくなるだろうと予測し、これからのマネジメントは、人の本来の力や可能性を引き出すB動機に働きかけるものであるべきであり、そのようなマネジメントこそが、人の本来のすばらしい創造力を引き出すのだと述べています。
 マズローは、『人はだれでも、より高次の価値を体現したいという生まれながらの欲求を持っている。ちょうど亜鉛やマグネシウムを摂取するという生理的な欲求が、生まれながらに備わっているのと同じように。このことは、より高次の欲求や動機付けが生物学的起源を持つことを明確に示している。あらゆる人間は、美、真実、正義といった最高の諸価値を求める本能的欲求をもつのである。この考えが理解できれば「何が創造性を育むのか」が問題ではないことが理解できよう。真に重要な問題とは、「誰もが創造的とは限らないのはなぜか?」ということなのだ。』と述べ、創造的ではない人材にしてしまっている原因は、人の能力のなさではなく、人間性を軽んじるD動機に働きかけるマネジメントのあり方にあると問題を提起しているのです。

 また、マズローは、『厳格な権威主義的経営管理スタイルから参加型の経営管理スタイルへと移行し、権威による厳格な規制が取り除かれた直後は、無秩序状態が生じ、鬱積していた敵意や破壊性などが噴出してくる。』とも言及しており、進化に伴う痛みについても示唆していますが、今まさに起こっているさまざまな悲劇は、まさに変わろうとしている社会の産みの苦しみなのかもしれません。そう考えると、時代のダイナミズム、大きなうねりを感じます。また、戦争や多くの悲しみの先にあるものは、絶望ではなく、新しい社会の可能性なのかもしれません。

参考文献「完全なる経営」マズロー著

意識の高い資本主義へ-新しい時代のマネジメント①

 急激に進化する科学技術、高まる社会不安と緊張、続発する企業犯罪やトラブルなど、近年の経済環境は、まさに激動、混沌の状況にあります。存続と成長を志す企業組織にとって、このような時代をどうとらえ、今後に向けてどう舵を切っていくべきなのでしょう?
 一つの考え方として、実に明確に来るべき時代を描いている本『メガトレンド2010』をご紹介しましょう。
 著者パトリシア・アバディーン氏は、1982年に『2000 黄金世紀への予告』を出版しており、その中で、いち早く「情報化社会」の誕生について述べています。
 本の中では、1960年~70年のどこかで微妙な大変化が起こり、富の源が、土地や資産から、情報に移っていったと発表したのでした。この考え方は、当時はまだ異論があり受け入れられなかった考えですが、1990年代よりハイテクの時代の流れとあいまって、現在では、110兆円の産業となって花開いており、その予測の正しさが証明されました。
 アバディーン氏は、『メガトレンド2010』において、今現在では、その「情報の時代」も既に終わりを告げ、密かにただならぬ変革が進行し、新しい時代が始まろうとしていると主張しています。
 その変革とは、価値の源泉が「情報」から「意識」へと変わる変化であり、「人間の意識」が、資本、エネルギー、テクノロジーと同じ、又はそれ以上にビジネスにとって貴重なものとなってきていると考えているのです。
 本書によると、資本主義は、人間の貪欲さや野心、競争心を原動力として大成功を収めてきたわけであるけれども、1990年代より、世界的な同時株安の傾向、企業の会計疑惑、数多くの企業犯罪、環境破壊、石油と医療費の高騰、格差の拡大などの経済動向や、テロ、戦争、国家間の緊張、など、きわめて不安定で不確実な社会動向を受けて、そのようなむき出しのエゴイズムが、社会の中で見直されるようになり、次第に受け入れられなくなってきていると同時に、環境に配慮し、企業倫理を尊ぶ会社が注目され、売上を伸ばし、高い収益性を確保し、株価も上昇するといった傾向が出てきていると報告されています。
 かつて経済誌において「社会を気遣う投資家は、心根の優しい間抜けで、平均にも満たない収益しか上げられない」と書かれていたように、従来までは、企業の収益性や競争優位性、成長力が尊ばれており、社会的な配慮のない時に強欲で強引に振舞う企業こそが収益性を高め最終的には生き残ると信じられていたわけですが、このような考えは、実は的外れな勘違いであり、現実には、社会を気遣う高い意識を持った企業こそが、現在では高収益企業となっており、逆に、労働搾取、環境への無理解など、悪いイメージや反感を持たれるような経営スタイルの企業は、収益性が悪化し、成長が鈍化していると報告されているのです。
 今後もこの「企業の社会的責任」と「ビジネスにおける精神性」が重視される傾向はより一層強くなり、これからの10~20年で、むき出しのエゴによる「欲望の資本主義」から、啓発された利己心による「意識の高い資本主義」にシステムは変化を遂げることになるだろうと予測しています。

<参考文献>
「メガトレンド2010」ゴマブックス 著者パトリシア・アバディーン

あなたに必要なこと

   あなたに必要なこと

人生に奇跡と栄光をもたらすものは何か?

それは、決して特別な才能でも超能力でもない。

あなたはすでに偉大なる成功をもたらすための十分な才能と力量を備えている。

あなたの中には、今はまったく想像もつかないほどの奇跡がまどろんでいる。

あなたに必要なことは、特別な防具や武器を身につけることではなく、

ただそのことを知ること。

自ら絶望し、恐怖することをやめることである。

 

厳しい試練を乗り越えてきた偉大なる勝者たちは、このことを知っている。

彼らは、道は拓けることを知っている。

未来は、自分で創造できることを知っている。

自分には、乗り越えられない苦難はないことを知っている。

そして、一歩を踏み出す勇気こそが未来を拓く宝であることを知っているのだ。

 

七難八苦、癒しようがない悲しみ、

痛み、憎悪、救いようのない絶望、乗り越えられない壁、…、

人生の中に訪れるのは、礼儀正しいお客様ばかりとは限らない。

しかし、決してうろたえてはいけない。

青い鳥は、決してどこか遠くにいるわけではない。

創造性の根源は、今ここに、あなたの中にこそある。

あなたの中にまどろんでいる可能性は、途方もなく強く大きい。

あなたに必要なことは、ただそのことを知ることである。

自分に対する信頼と信念が、

粘り強さ、協力者、新しい出会い、奇跡を引き寄せることを覚えておきなさい。

あなたに必要なことは、特別な何かではなく、自分を愛し、心から信じることなのである。

受け入れるということ

                      受け入れるということ

受け入れるということ、それは、拒絶することとは違う。

拒絶することは、受け入れないことであり、受け入れることではない。

受け入れること、それは、同意することとは違う。

同意することは、他者の言うことを正しいと自分が思うことであり、

受け入れることは、他者がそれが正しいと主張していることを理解することである。

同意していなくとも受け入れることはできる。したがって、受け入れることと従うことは違う。

受け入れたからといって、従う必要はまったくない。

また、従うことは受け入れたことの証明ともならない。

受け入れなくとも従うことはできるからだ。

受け入れることは、好きになることとも違う。

好き嫌いは実はたいした問題ではない。

食べ物の好みが時とともに変わるように、好き嫌いは移ろいゆくもの、本質的なものではない。

乗り越えられるのだ。

 

受け入れるとは、相手のありのままを受け止めて、ありのままを理解すること。

受け入れるとは、相手を裁いたり、操作したり、変えようとすることではない。

そのままの相手を、そのままに理解しようとすることである。

受け入れることは、途方もない大きな力を持っている。

それは、北風ではなく太陽の力。暴力ではなく、優しさの力。

改善の力ではなく、革命の力なのだ。

受け入れることは、分離感をいやすということ。

あなたがいったん受け入れることを始めたら、あなたと世界の間で存在していた幻想の壁、断絶、分離の緊張が和らぎ、癒され、内と外が共鳴し始めることに気づくだろう。

不安や恐怖は、分離感の申し子。

分離感が弱まれば、不安や恐怖も鎮まる。

受け入れることは、不安と恐怖の根本をいやすのだ。

受け入れることを通して、あなたは、より自由になり、より自分らしく輝くようになる。

あなたが変われば、周りも変わる。

あなたの輝きを受けて、あなたがかかわる人たちが、次第に、微妙に、根本的に変わってくることを次第にあなたは気づくだろう。

受け入れることは、愛するということ。

愛するということは、まさに、太陽の力。

自分も他人もより自分らしく自由で輝かしく力強いあり方へと優しく変容を促すのだ。

勇者となる

  勇者となる

気高く生きなさい

あなたは、もともと途方もなく気高い

あなたは、今考えているようなちっぽけな存在ではない。

あなたは、成長の途上にいるのであって、ゴールにいるわけではない。

だから、あなたができることが、あなたの能力の全てというわけではない。

あなたには、あなたが想像もしていないような奇跡がまどろんでいる。

あなたの夢とロマンの冒険は、これからもまだまだ続くのだ。

 

成長を楽しみなさい。

あなたの頭には、どんなに危険な罠をもくぐりぬけていく叡智を持ち合わせている。

あなたの腕には、どんなに強い敵をもなぎ倒すパワーがみなぎっている。

あなたの足には、空をも駆け抜ける速さを秘めている。

あなたの腹には、怯み動じることのない胆力が悠然と立っている。

あなたの喉には、響き渡る力強く美しい言葉を生み出し、諸国を従わせる力がある。

あなたの胸には、どんなに深い悲しみをも癒すやさしさがある。

 

あなたは、仲間をいつくしむ聖母である。

あなたは、全てを理解する賢者である。

あなたは、群雄割拠する猛者を束ねる覇者である。

あなたは、見捨てたり裏切ったりしない友達である。

あなたは、川であり、山であり、海であり、あらゆる自然である。

あなたは、太陽のように仲間を勇気付けるリーダーである。

あなたは、数千万の兵を束ねる百戦錬磨の勇者なのだ。

 

取り越し苦労をして、つまらないことを考えているときではない。

いまは、戦いのどらを鳴らすときである。

勇ましく胸を張って、剣を大空に高らかと掲げ、

駿馬にまたがり、第一歩を踏み出しなさい。

かつて勇者が、あらゆる奇跡を起こしてきたように。

あなたにも同じ生き方ができる。

なぜならば、あなたは、もともと気高い勇者なのだから。

勇者と暴君

   勇者

勇者は、本当に自分が生きたい人生を生きる。

勇者は、自分の本当の気持ちを良く知り、それを実行する。

自分の本当の感情や思考を愛し、信じているので、それをごまかしたり、拒否したりする必要はなく

ありのままに生きるので、その言葉も行動も人生も、力に満ち輝いたものとなる。

 

彼(彼女)は、りきみがなく、柔軟性に富んでおり、その反応は自然である。

彼(彼女)は、ワンパターンでプログラミングされているやり方で反応したり、「こうあるべきだ」と思込んでいる枠組みで答えを出したりしない。

彼(彼女)は、現実のありのままの自分の反応を愛し、そして表現するのである。

彼(彼女)は、自分の選ぶ道が、勝利の栄光につながっている事を確信している。

数知れない苦難や障害は、大いなる冒険につきものの乗り越えられるべき課題であり、その事で絶望するなどとは夢にも思わないのである。

従って、彼(彼女)は、勇気をもって危険に立ち向かっていく。

時には、失敗し、希望が見えない窮地に追い込まれるかもしれないが、決してあきらめたりくじけたりする事はない。

勇者は、障害や苦痛、痛みや絶望が、自分の成長のためにあることを知っている。

その不幸にとらわれて、復讐を試みたり、自分を罰したり、人の同情をかったりすることの無意味さを良く知っており、また、それは、道草であり、時間の無駄使いであり、あい路へと向かう甘い誘惑である事を知っている。

彼(彼女)は、「勝利の女神は、多くの苦難と無数の敗北の後にやってくる」ことを知っているのである。

 

勇者は、大いに笑い、そして素直に楽しむ。

自分の仕事や遊び、食事や生活、仲間との語らい、家族とのふれあい、自然のありさまや自分の創造作品を心から楽しむ事ができる。

また、彼(彼女)は、人との間に、基本的にオープンな関係を築く。

他者に対して、率直で正直であり、また、よく聴く心を持っている。

彼(彼女)は、相手が自分をどう認識しようが、まったく相手の自由であり、それをコントロールする事は本質的にできない事を知っている。

だから、ふりをしたり、うそをついたり、他者を支配しようとはしない。

相手の自由を心から受け入れ許すことができるのである。

勇者は、”今ここ”に集中しており、自分や家族、仲間や世間の出来事に深い関心を持っている。

“今ここ”で起こっている出来事のすべてを、嫌いだからと言って拒絶することなく、ありのままに観察し理解しているので、より良くしていくために打つ手は適切である。

勇者は、強い意志をもって自分や、自分の関わるすべてをよりよくしていこうと努力している。

彼(彼女)は、まさに自分の最善を尽くして愛するもののために戦う勇者なのである。

 

 

   暴君

暴君は、自分を”犠牲の子羊”であるかのように思っている。

「自分は無力であり、運が悪く、嫌われており、望みはなく、見捨てられており、死んだ方がいい」と思い込んでいる。

暴君は、自分に対する最悪の呪文を真実であると確信している。

“負け犬、罪人、みにくい、疲れきっている、死にそうだ、犠牲者、できそこない、…”

暴君は、このような言葉で、自分を投獄する檻をつくり、自分の勇気をくじき、自分をのろい、結果的に自分自身に不幸をもたらしている事に気づいていないのである。

暴君は、”苦難”が”栄光に向かうステップ”である事を忘れている。

彼(彼女)にとっての人生の目的は、”苦難に対する復讐”であり、”苦難を受けて当然であるといった自分や他人の罪深さの証明”であり、”蓄積した悲しみや怒りや憎しみの表現”である。

彼(彼女)は、終わってしまった苦悩にこだわり、過ぎ去ってしまった過去にとどまり、そこから一歩も進もうとはしない。

過去の悲劇を憎み憎悪しているにもかかわらず、過去の悲劇が彼(彼女)の人生の基盤になってしまっている。

まさに暴君は、悲劇に依存しているのである。

 

暴君は、”過去”に生きる。

彼(彼女)にとっての過去は、不幸ではあるが、危険のない居心地の良いすみかである。

そこにいれば、自分は犠牲者で悪者ではなく、自分の責任も限られており、起こる出来事も決まっているのでリスクが少なく安心していられる。

暴君は、”恐怖の未来”にも生きる。

暴君は、決して未来を信じる事はない。

彼(彼女)にとって未来は、不幸であった過去の焼き直しであり、それ以外の幸福のイメージは見えないし、見ようとしない。

また、例え大きな夢をもっていたとしても、それは、単なる過去の不幸の反動であり、それは本音の志ではないし、その実現を全く信じてはいない。

だから、暴君のビジョンは、「ひどい不幸にならないこと」であり、人生の目的は、「恐怖や不安から逃れる事」になる。

彼(彼女)の心は、心配と不安でいつも圧倒されているのだ。

病気になったらどうしよう、傷ついたらどうしよう、攻撃されたらどうしよう、

交通事故にあうかもしれない、会社をリストラされたら、見捨てられたらどうしよう…、

暴君の心は、希望の光が差し込む余地が無いほどに恐怖の亡者で満たされており、

結果として、変化を好まずに、チャンスを逃し、古い悲劇を反復するだけの人生を生きる事になるのである。

暴君の不安や恐怖は、現在をもゆがめる。

怖がり、萎縮しているので”今ここで”のありのままの出来事をじっくりとおちついて味わい、観察する事ができない。

蝶が飛ぶ美しい花畑にいても、病気のことで頭がいっぱいであり、素晴らしい香りに気づくことはない。

仲間と一緒にいても、仕事の不安に気をとられて、友達からの友情や愛に気づくことはない。

彼(彼女)は、あせっており、現実をゆがめて解釈し、打つ手のタイミングも対策も的はずれで強引なものになってしまうのだ。

暴君は、このような自分の内面に満足してないし、自信もないので、人に対して決して内面をさらすことはない。

彼(彼女)は、演技をしたり、ふりをしたり、仮面をかぶったりして人と操作的に関わる。

彼(彼女)は、自分の不幸な体験を巧妙に利用する。

「こんなに不幸なのだから同情される権利がある。」

「こんなにひどく傷つけられたのだから、やり返してもかまわない。」

「こんなに運が悪いのだから、勝利するはずはなく、またしなくてもいい。」

など、たくみに人をコントロールしたり、自分の暴力を合理化したり、責任を回避することに自分の自己イメージを利用するのだ。

暴君は、分かり合い、愛し、愛される暖かい関係を築き上げる事が苦手である。

彼(彼女)は、根強い不信感と敵意を手放す事ができないので、信頼や愛を体験した事もなければ、それを求めようともしない。

その代わりに自分の期待通りに人を巧みに操作しようと務め、また、相手の期待にそうように卑屈な奴隷となる。

結果として彼(彼女)のユニークさや潜在能力は発揮されず、その才能は開花する事はない。

逃げ惑い、自ら固く閉ざした扉で光が差し込む事はない。

こうして、暴君は、本来そうではなかった全く不本意な悲劇の人生を歩むことになるのである。

 

 

  自分を生きる勇者となるために

人生における困難、みじめな敗北、胸をふさぐ悲劇、など、

人生に訪れる事実は目を覆うばかりの出来事であることが少なくない。

しかし、この世に乗り越えられない苦難はないことを忘れてはいけない。

人の中には、人が想像する以上の途方も無い程の力がまどろんでいる。

その力を解放するキーワードは”勇気”である。

 

自分らしく輝いて生きるためには勇気がいる。

・安心できる過去の習慣から抜け出し、新しい未知の可能性に踏み出していく勇気

・他の人々と直接的に正直に関わる勇気・集団の力に対抗してでも自分の確信を選ぶ勇気

そして、もっとも大切な勇気は、”いまここ”の真実の自分を信頼し、自分にうそをつかずに、誘惑と危険に怯むことなく、真実の自分を生き抜く勇気である。

 

人には、勇者として生きるに値する途方もない可能性が眠っている。

人は、大いなるヴィジョンに向けて、肩の力を抜き、自分らしく勇気を持って生き抜こうとしたときには、想像を絶するほどの偉大なる力が発揮されるだろう。

新しい船出は、必ずしも安全が保障されているわけではない。

しかし、変化を恐れず、自分を信じて一歩踏み出せば、必ずや道は開ける。

そのときにはじめて気づくであろう、自分がもともと勇者であったことを。

いまここにあるということ

  いまここにあるということ

“今ここ”は、芸術作品だ。

それは、数多くの人の願いを種として、

数多くの人の工夫と知恵を集め、数多くの人の汗と祈りを経てこの世に姿を現した。

それはまさに数多くの人々の努力の結晶であり、あなたへの尊いプレゼントなのだ。

“今ここ”を楽しみなさい。

それは、あなたの関心にこたえてくれるだろう。

そこには汲みつくせないほどの喜びが眠っているはずだ。

もし楽しめないとしたら、あなたがよく観察してないからだ。

静かに穏やかに体験してみれば、その奥行きと深さと広さが分かるだろう。

“今ここ”を祝福しなさい。

それは、あなたの敬意にこたえてくれるだろう。

そこには途方も無いほどの可能性が眠っているはずだ。

もし祝福できないとしたら、どこをどう変えたいのかを考えなさい。

あなたの知恵が加わって、”今ここ”はさらに輝きを増すだろう。

“今ここ”を愛しなさい。

それは、あなたの愛にこたえてくれるだろう。

欠点もあり完璧とは思えないところもあるかもしれないが、

決して抵抗したり、逆らってはいけない。

どんなに受け入れがたくとも、起こってしまった後では遅すぎるのだ。

どのような出来事であっても、この時点では、できる限りの努力の結晶であり、

理由がないこと、無駄で意味のないことは何一つないのだ。

あなたが嫌わずに許し、受け入れていけば、

それは、あなた自身の栄光を身にまとうことになるだろう。

“今ここ”を創造しなさい。

それは、あなたの情熱にこたえてくれるだろう。

あなたの信念と熱い思いは、必ずや結晶化して

未来というすばらしい作品を生み出すはずだ。

もし、アイデアが起こらないとしたら、

あなたが不注意でぼんやりとしており、せっかくのヒントを取り逃がしているからだ。

“今ここ”との絆は、あなたの中のあふれんばかりの創造性を解き放つだろう。