N社でコミュニケーションとリーダーシップ研修を担当しました(200911)

大阪のN社で、コミュニケーション研修とリーダーシップ研修を担当しました。それぞれの概要は以下の通りです。

 

コミュニケーション研修

<ねらい>「コミュニケーションを学び、チーム力を高める。」

 ①コミュニケーションスキルの基盤となる自尊心の重要性を学ぶ。

 ②対話力を磨く

 

<概要>

 ①自尊心の重要性

  ・古来から伝わる自尊心の重要性

  ・自尊心と傲慢さの違い

  ・自尊心と傲慢さの生み出す人生の違い

  ・健全な自尊心のはぐくみ方

②対話力を磨く

  ・実習「脱出!探検隊」

  ・3人寄れば文殊の知恵

 

【リーダーシップ研修】

<ねらい>「自分らしく輝く力強いリーダーとなるために。」

 ①チーム力を引き出すためのポイントを学ぶ。

 ②信頼関係をはぐくむためのポイントを学ぶ。

 

<概要>

①チーム力を引き出す

  ・実習「ひょうたん山」

  ・チーム力を引き出すためのポイント

②信頼関係をはぐくむ

  ・実習「風の卵の物語」

  ・褒めることの重要性

 

 N社における研修は、今年で4年目となります。こんなに長くお付き合いいただけますこと、大変光栄に思っております。

 N社は、経営トップ自らが、人を大切にすること、人間性をはぐくむことの重要性を訴え、地道にコミュニケーションを改善し良い会社を育てることの情熱を燃やしていらっしゃいます。経営陣初めスタッフの皆さんや社員の皆さんは、私の尊敬する大好きな素晴らしい方々ばかりです。

 ちなみに、N社は、現在の社屋の隣に新社屋を建設中で、来年の5月には、社屋が現在の2倍となります。社員も積極的に採用し、中期的には、現在の1.5倍程度まで増やす予定です。この不景気の時代に、このような成長路線を歩まれていること、本当に立派なことだと思います。私は、ひとえに、こうした経営陣の姿勢と会社の温かい人間的な企業文化がもたらしたものと感じております。

 帰り際、「来年は、もっと大きな会場で研修ができます。」とおっしゃっていただけて、大変光栄でうれしく、わくわくする思いでした。来年に向けて、私もスキルアップを図り、プログラムを磨いて、また伺おうと思っています。本当にありがとうございました!

 

 

梅野さんの事例

 梅野さんは、高校卒業後、日産のディラーに就職するものの、3か月で退社。温泉旅館に転職したが、仕事の厳しさで半年で退職する。

 その後、福岡・滋賀・京都・大阪で料理の修業をし、かに料理専門店を創業。珍しさもあって、顧客に受け、経営的に大成功する。

 しかし、その成功を受けて、かに専門店以外に様々な業態でレストランを出店するものの、すべて失敗。料理人との確執など、さまざまなトラブルもあって、深刻なピンチに陥る。

 何とか窮地を脱出しようと、霊媒師や超能力者に頼るが、すべてうまくいかず、自ら禅寺に修行に行く。修行中、自分と向き合う中で、ふと見かけた言葉「人に感謝、物に感謝」が胸に飛び込んできた。今までは、悪いことがあれば人のせいにして、人を見れば人を利用しようとばかりしていた自分に気づき、それではいけないと生き方を反省した。利用する生き方から感謝する生き方へ、人生の基軸をシフトしようとしたのだ。

 その後、謙虚に人気店を回るなど勉強を進め、新たに健康志向の和食レストラン「梅の花」を創業する。

 梅の花は、感謝の気持ちを大切に、親切なおもてなしやお客さんを裏切らない高い品質を提供することで成長し、豆腐や湯葉のレストランとして、現在では売上高285億円を誇る一大レストランチェーンと変貌を遂げたのである。

忙しい一週間

今日から、忙しい一週間となります。

月:T大学 キャリア形成論

火:J大学 キャリアアドバイザー

水:J短期大学 キャリア講座

木金:N社(大阪) コミュニケーションリーダーシップ講座

特に水曜のキャリア講座の終了後、その足で大阪に向かう必要があり、おおよそ大阪到着が夜中の12時くらいになりそうです。

こうして、たくさんのお仕事をいただけることは、本当に光栄でありがたいこと。一つ一つ大切に丁寧に担当していきたいと思います。

というわけで、今週は、更新がまばらになるかもしれません。

では、頑張っていってまいります!

悪を含めた環境を通して我々は成長する

映画「スピードレーサー」(マッハgogogoの実写版)の1シーン

 

スピード:(レース界にはびこる腐敗や悪を、命をかけて変えようとしたが、土壇場で裏切られて失敗し、怒り、絶望している心境のもとで)「レース界は、変わらないさ。」

 

レーサーX:「そんなことは関係ない。レースが我々を変えるんだ。」

大切なのは家族が信じあうこと

神奈川県の大学1年、仁科枝里子さん(24)は小学4年の終わりから21歳までの11年間、学校には全く行けなかったし、行かなかった。・・・・アルバイトなどしましたが、ほとんどの月日を家に引きこもるといった生活を送っていました。・・・・そんな仁科さんを支えたのは家族だった。父も母も投稿や進路について一切口を出さずに見守り続けたという。後になって、父が「枝里子は思い立ったら必ず動く子。心配しなくていい」と母に話していたと聞いた。・・・20歳を過ぎたとき、「学びたい」という気持ちが強まった。仁科さんは2歳年下の妹の勧めもあり、定時制高校に通うことを決意した。・・・・仁科さんが不登校を経験している子供やその親に伝えたいのは、<子供がいつか必ず動きだせるその時まで家族が信じあい、ともに不登校と付き合っていくのが大切>ということだ。<立ち止まったところが不登校という形であっただけ。力を蓄えるための準備期間が不登校と呼ばれてしまったりもするのだと感じています>

                        2009年11月4日(水) 朝日新聞朝刊

 

 今朝の朝日新聞朝刊からの抜粋記事です。とっても感動したので、ご紹介しました。記事中の仁科さんは、実名で投稿されているそうです。11年にもわたる不登校と引きこもりを克服したのは、家族の信頼関係だったという貴重な経験を公表してくれた仁科さんに感謝です。大切なのは、非難や脅しや操作や強制ではなく、やはり愛と信頼関係なのだろうと私は感じ入りました。

 子供が不登校になると、親は、社会から外れてしまうのではないか、未来の可能性が全く閉ざされてしまうのではないか、このままずっと引きこもるのではないか、などという不安と恐怖にさいなまれてしまい、余裕を持って子供の成長を見守ろうと思っても、なかなか気持ちが付いていかないのが現実だと思いますが、その点仁科さんのご両親は、立派だと思います。

 「枝里子は思い立ったら必ず動く子。心配しなくていい。」11年にもわたる引きこもりの中で、こんなに力強い信念と愛情に満ちた言葉はなかな言えないのではないでしょうか。

 素敵な体験をシェアーしてくれた仁科さんご一家に、ますますの幸せがありますように!

内定者研修を担当しました(20091102)

 IT関係の企業で、内定者研修を担当しました。概要は以下の通りです。

 

研修名:内定者研修「アトランティックプロジェクト」

テーマ:「自分らしく輝く魅力的なビジネスパーソンに向けての第一歩を踏み出す」

ねらい:①企業活動の全体像を理解する。

    ②コミュニケーションとチームスキルを体得する。

    ③プレゼンテーションスキルを体得する。

    ④ビジネスパーソンに必要な基礎知識(財務知識、仕事の進め方、など)を学ぶ。

人数:25名

日程:2日間

 

 研修は、2日間にわたる長丁場であり、まだ学生である内定者にとって、そんなに長時間にわたって研修を受けたことは生まれて初めてのことと思いますが、よく集中して積極的に受講してくれたと思います。

 プログラムは、弊社のアトランティックプロジェクトです。

 ストーリー展開は、アトランティックプロジェクトと呼ばれる謎の仕事をめぐって、6人前後でチームを作り、そのチームを会社とみなして、チームが協力し合って情報を集め、アトランティックプロジェクトの謎を解き、プロジェクトを受注し、一致団結してプロジェクトを遂行し、最終的には決算をする一連の経営シミュレーションを展開していく流れとなります。そんな、楽しくエキサイティングな体験を通して、自分らしく輝く企業人となるために必要な要素を体得していこうとする試みでした。

 今回の内定者は、さすがに厳しい就活戦線を勝ち抜いた学生たちであり、基本的に問題解決能力が高く、人間関係のスキルもそこそこ高い学生が多かったのもあり、プログラム自体は、非常に高いクオリティレベルで進めることができました。学生の皆さん本当にありがとう。

 2日前までは、初対面だったメンバー同士が、プログラム終了時には、すっかり強いきずなの同志になったようです。帰りがたく、いつまでの研修会場に残って楽しそうに話していたのが印象的でした。

 私も、さわやかで、能力が高く、すでにたくましさを獲得している若者たちと共に学べたことをとても光栄に思っています。これから実社会の一員としていろんな苦労もあるかと思いますが、ここでの体験と仲間を大切にして、力強く幸せなキャリアをはぐくんでいってほしいと願っています。ともにがんばりましょう!

矢野さんの事例(道は開ける)

矢野氏は、中央大学の夜間部を卒業後、妻の家業のフグ養殖会社を継ぐが、2年半で倒産。数千万円の借金を残して、夜逃げをした。

生活のために百科事典の訪問販売の職に就くが、飛び込み営業が全く出来ずに、数カ月で退職する。

その後、ちり紙交換、ボーリング場など、職につくものの安定せず、転職を繰り返す。9回目の転職でビニール雑貨の雑貨商となる。

要するにバッタ屋であり、倒産した会社や倒産しそうな会社から捨て値で仕入れた商品を、移動で販売する仕事であり、固定客もつかず、かろうじて食いつなげるだけの経営を続けていた。

そんなある日、顧客から「安物買いの銭失い」と言われ、カッと来て、やけくそになって、採算度外視で良いものを全品100円均一で閉店セールと称して販売した。

すると、驚くほどお客さんが集まり、大反響となり、売り上げも増大した。それに比例して仕入れ先も拡大し、商品アイテム数も増えていき、店舗も大きくなっていった。

現在、矢野氏の雑貨商は、ダイソーとなり、年商二千億を超える一大小売りチェーン店へと変貌を遂げたのである。

(参照 「逆転バカ社長」石風社)